胡桃ココナ、女神の歌声。
12月24日、クリスマス当日、私は術後の経過も良く予定より少し早く退院する事になった。
これも年を越える前に退院して、私を家族や友達と一緒に年末年始が過ごせるようにと、みんなが協力してくれたおかげだと思う。
「今日で退院です。お母さん、頑張りましたね」
「先生……本当にありがとうございました!」
マリア先生とお母さんが抱き合って喜ぶ。お母さん、ちょっと泣いてる。
きっと私がみてないところでもいっぱい泣いたんだろうなと思う。
「ココナ君、君も良く頑張ったね。君が頑張ったから今日、退院することができるんだ。改めて、退院おめでとう」
「先生、ありがとうございます。先生には本当にお世話になりました……!」
「ふふっ、とは言ってもこれが最後じゃないからお別れの挨拶はしないよ。これからも定期的に病院には来てもらうからね。だからこれからも長い付き合いにはなるだろうけど、よろしくな」
「はい、先生! これからもよろしくお願いします!」
マリア先生は今や病院でもすごく人気の先生です。
最初の頃は優しいけど話しかけづらい感じの雰囲気がある美人さんだったけど、あくあ君のあのコンサート以来、趣味の絵にも暖かみが出て、それが影響したのかすごく話しかけやすくなった。
「ココナちゃん、退院、おめでとう!」
「うるはちゃん、私が学校を休んでる間の事をいっぱい教えてくれてありがとね」
うるはちゃんは、私がクラスに戻りやすいようにクラスメイトとの交換日記みたいなのを提案してくれて、だから離れていてもみんながそばにいてくれるみたいで寂しくなかった。
あくあ君は忙しいはずなのに、毎回、交換日記に何か書いてくれていて、それを見るたびにやっぱり好きだなって思う。見た目も王子様みたいなのに、中身まで王子様なのは反則だよ。
「ココナさん……私、私……」
「もう、リサちゃんってば、泣かないでよ……」
思わずこっちも涙が出る。
リサちゃんは、私たちに自分がVtuberの十二月晦日サヤカである事を打ち明けてくれた。
学校が終わった後も忙しいのにも関わらず、よくお見舞いに来ては術後のトレーニングに付き合ってくれたり、私の勉強を手伝ってくれたりして本当に嬉しかったな。
「む……そろそろ時間か」
マリア先生は忙しいから、もう次の患者さんの予定が入っているのかな?
先生、忙しいのに、ありがとうございますと私が言おうとしたら、マリア先生は私たちに向けて親指を突き上げて笑顔を見せた。
「それじゃあ、行こうか」
「えっ……?」
みんなで顔を見合わせた。
もしかしたらみんなで何かサプライズ的なものでも用意してくれたのかなと思ったけど、どうやらお母さんもうるはちゃんも、リサちゃんも知らないみたい。
私達はお互いに顔を見合わせると、マリア先生の後に続いて病院の隣にある大きな建物へと向かう。
聖メアリー病院大聖堂、確かスターズ正教の礼拝をするところだっけ。一体、ここに何があるっていうのだろう? 建物の中に入ると既に半分以上の席が埋まっていた。
私たちもマリア先生に促されて、4人で並んで長椅子に座る。今、思うと、こういうところに来るのって初めてかも……へぇ、大聖堂ってこんな感じになってるんだ。
決して華美ではないけど歴史を感じる重厚感のある作り、自然光がうまく取り入れられた大聖堂の中は人工的な照明がない事で物凄く神聖な空間を形作っている。
「ゆうちゃんこっち!」
「待って、まいちゃん」
元気な子供達がお母さん達と一緒にやってくると、私達の隣にあった長椅子に並んで座った。
ふふっ、隣にいた女の子達と目があってお互いに笑顔で手を振り合う。
「何かあるのかな?」
「教会ですし、クリスマスの特別な礼拝かもしれませんわ」
「あー、確かにありそう。お菓子とか貰えちゃうかもね」
3人で話していると、ステージの近くを見知った人が横切った。
「あ、カノンさんだ」
相変わらず綺麗で、同性の私でさえもため息が出るくらいだ。
シンプルなワンピースのドレスを着たカノンさんはすごく上品で、所作の一つを見てもやっぱり私達、普通の子達とかとは違うんだなって感じる。それに今日はいつものお見舞いに来てくれる時の年相応な感じとは違って、周りにメアリー様や、なんかエロそ……じゃなかった、えらい感じのシスターさんが2人もいるから余計に……って、え?
「ねぇ、あれ、クレアさんじゃないかしら?」
「あら、本当ね」
「びっ、びっくりした」
同級生の千聖クレアさん。そういえば実家がどこかの教会なんだっけ。
その繋がりで何かお手伝いに来たのかな?
カノンさんといい、大人の人達に混じって普通に談笑しているクレアさんを見ると、なんかすごく大人びて見えます。
みんなが注目する中、5人を代表してメアリー様がマイクの前に立った。
「みなさん、今日はここに来てくれてありがとう。聖メアリー病院、名誉理事のメアリーです」
畏まった言い方ではなく砕けた言い方で、あくまでも隣人のように話しかけくれたメアリー様に、一瞬でみんなの心が惹かれた。
スターズですごく人気があるって言うのがこの一言でもすごくわかる。
「今日はね。みんな、なんの日だか知ってる?」
「クリスマスー!」
元気よく答えた子供に、メアリー様は穏やかな笑みを見せる。
なんか、なんか……メアリー様ってすごく可愛いって思ってしまった。
カノンさんが可愛いのって、メアリー様譲りなのかな。
「ありがとう。そう! 今日はね、クリスマスなの」
メアリー様、すごく嬉しそう。
はにかんだ笑みがカノンさんと少し重なる。
そういえばメアリー様の若い時、写真でしか見た事ないけど、とてつもなく美人だった。
カノンさんも大人になったら、ああいう可愛い美人さんになるのかな。
「本当はね。今日ここでスターズ正教によるクリスマスミサが行われる予定だったんだけど、ちょっと我儘を言って今日は貸してもらったの。キテラ、ありがとう」
メアリー様が2人いるシスターの1人に視線を向ける。
あっ、そういえばあの人、スターズ正教の1番偉い人だっけ? あくあ君とカノンさんの結婚式の映像で見た気がする。そういえば隣にいる目隠しシスターさんもその時に式を取り仕切っていたっけ。
キテラさんはメアリー様に笑顔を返すと、綺麗な所作でお辞儀を返した。
「そして聖メアリー病院の皆さん、こんなお婆ちゃんの我儘を聞いてくれてありがとう。カノンも、エミリーさんも、クレアさんも手伝ってくれてありがとう」
メアリー様はちゃんとそれぞれにお礼を言うと、パッと表情を切り替えて前を向く。
強烈なリーダーシップを感じる表情と美しい立ち姿、そしてその身に纏う王者の風格に、大聖堂の中の空気が一瞬で引き締まった気がした。
「それでは、私からのクリスマスプレゼント……ううん。特別な人達に何かをしてあげたいと相談してきた、そう、彼らの想いと願いを受け取ってちょうだい」
シンとした大聖堂の中に革靴の響く音が聞こえる。
あ……。
その場にいた全員が息を呑んだ。
スーツを着て髪をオールバックにした黛君は、ステージの真ん中でお辞儀をすると、奥にあるパイプオルガンの方へと移動する。
堂々とした立ち居振る舞いに加えて、今までに積み重ねてきたであろう経験のせいだろうか、今の黛君からは初めて学校で見た時の頼りなさなんてもう微塵も感じられなかった。
男の子ってちょっと見ない間にこんなにも変わるんだと驚く。
「慎太郎お兄さん……」
反対側に座った少女がドキドキした顔で前を見つめる。
黛君のファンなのかな?
そんな事を考えていると、今度はヒールの音が大聖堂の中に響き渡る。
綺麗……カノンさんに負けないくらいすごく綺麗……。だけどあれって……。
「あら、まぁ……」
「な、なんて事ですの……」
前を見ていたみんなが固まった。
普通ならまずは気がつかないけど、みんな、文化祭の時に見せた彼のあの姿を知っている。
私も後で画像で見せてもらったし……だから、すぐに彼女が誰かわかってしまった。
「あくあ様……」
後ろに立っていたマリア先生はそう呟くと、跪いて祈るような姿勢をした。
あ、うん……この大聖堂の雰囲気と合わさって、確かにちょっと神々しい感じがするからわかるかも。
カノンさんはメアリー様からマイクを受け取ると私たちに向けて話しかける。
「白銀財団理事の白銀カノンです。今から披露する曲、first aidは、今もまさに病と戦い傷病から復帰しようと努力されている皆さんと、そのご家族、そしてそれをサポートしてくれる医療関係者、皆様の事を想って作詞・作曲しました。よろしければ、最後まで聞いていただけると嬉しいです」
ん? なんだろう。
前から回ってきた冊子をめくると、そこにはスターズの言葉で書かれた歌詞と、その意味を記した和訳された文章の二つが書かれていた。これから歌う曲の歌詞かな?
「パイプオルガンの演奏は黛慎太郎さん。ボーカルは白銀あくあさんです」
パイプオルガンの柔らかくも優しいメロディーが大聖堂の中に反響する。
幻想的な雰囲気と、厳かな空気感が入り混じって、心が浮くような高揚感に包まれていく。
『誰かに触れるのを怖がらないで。心が通じ合う時の高揚感に身を委ねて、その愛に深く満たされていく。Ah-ah-』
なんて……なんて! 綺麗な歌声なんだろう!!
以前、テレビであくあ君の歌が何故こんなにも魅力的なのかって検証していた国営放送の番組があった。
純粋な歌声として魅力、正確性が高いのに感情表現が豊か、単純な歌唱力の高さ、幅広い音域を歌う事ができる等々……それらの全てがこの一曲に詰まっている。
女装をしていても違和感のない。というか、このソプラノに近い曲を歌うためにあえて女装しているんだって気がつくと、すごいなと思った。
『君の温度を感じる。優しく触れるのは傷つけたくないから。暖かな光に包まれて、Ah, ah-』
あくあ君の歌に圧倒されてみんなの口が半開きになる。
でも、すごいのはあくあ君だけじゃない。
『心を閉ざさないで。願いはきっと明日の糧になるから。みんなの想いが重なる時、奇跡が起こると信じて、私はどんな時も諦めない』
パイプオルガンの演奏は、楽器を演奏した事がない人が想像するよりも遥かに難しいです。
私もピアノを子供の時にやってたからわかるけど、パイプオルガンとピアノは全くの別物で、ここまで弾きこなすには相当な努力がなければ無理だとすぐにわかりました。
『誰にでも赦しを願う権利はある。誰かを信じることをやめないで。君を独りで苦しませたりなんてしない。堕ちていくというのなら、その手を掴もう。光の射す水面に引き上げていくんだ』
ドラマにも出て、イベントにも出て、ライブもして、配信もやって、それも学校に行きながら……女の子だってここまで努力できる人なんて中々いない。
それなのにこの2人は……。
『人と人の繋がりを信じて』
あぁ……歌詞が心に浸透していく。
最初は全てに圧倒されていたけど、あくあ君と黛君が作り出す世界に導かれるように心が惹き寄せられた。
『心を触れるのを怖がらないで。誰かと重なる時の安らぎに身を委ねて、その愛に深く浸されていく。Ah-ah-』
自然と隣にいるリサちゃんやうるはちゃんと手を繋いでいた。
まだ入院したばかりの事を思い出す。
2人は1人で不安だった私のそばにずっと寄り添ってくれた。
『私の温度を感じて。怖がりながら触れるのは傷つけたくないから。優しい光に包まれて、Ah, ah-』
お母さんとは何度抱き合って泣いたかなんて覚えてない。
親子2人だけならきっと不安だったと思う。でも、私にリサちゃんやうるはちゃん、カノンさんやあくあ君、クラスメイトのみんなやマリア先生が居てくれたように、お母さんが1人で全部抱えないでいいように支えてくれる人達もいっぱい居たって聞いてる。
お母さんが働いている会社の人や病院の人もそうだけど、杉田先生や乙女咲の先生達、クラスメイトのお母さん達とか、移植手術をサポートしてくれた政府の人達とかがお母さんを孤独にしないようにしてくれた。
『心を閉ざしていたら迎えにいけないから。誰かが君に寄り添っている事を忘れないで。奇跡を手繰り寄せるために、何かを信じる事を諦めないで。未来を考えている。少しの可能性にも賭けたいとみんなが願っているんだ。君を暗闇の中に置き去りにしたくない。誰でもいい、苦しむ君の心を誰かにもたせかけてみないか。最後まで投げ出さないで』
手術や病気は辛かったけど、この経験は私に人は1人じゃ生きられないって事を教えてくれた。
この経験を活かしていつか私も誰かを助けたい。そんな心から強い人になりたいって思った。
『私は諦めない。そこに救済があるのなら、諦めない』
最後の一音が溶けて消え入るまで、みんながただ静かにそのメロディーに耳を傾けた。
静粛になった大聖堂の中に人の息遣いだけが聞こえる。
「ご清聴、ありがとうございました」
大聖堂の中を温かな拍手が包み込む。
本当にすごかった。非現実感に溢れた幻想的な空間の中で味わう特別な時間に心が酔いしれたような感覚を味わう。
「先ほども説明がありましたが、この歌はこれから一歩を踏み出そうという人に1人ではないという事を伝えたくて制作した楽曲です」
うん……。
曲を聞いていた間、手術が終わってから、ううん、そのもっと前の時から今までの事を順を辿るように思い出した。
「人は決して1人では生きられません。俺だってそうです。だから自分の弱い部分を受け入れてあげてください。そして周りの人は弱っている人を見たら、どうか声をかけてあげて。お互いに弱い部分、脆い部分を補い合えるような世の中になれば、きっとみんなが幸せになる。少なくとも俺はそう信じています。その願いを込めてこの曲を歌いました」
願いが込められた曲、なんて素敵な曲なんだって思った。
病気になって辛かったこと、苦しかったこと、本当にいっぱいある。
それでも今、こうやって穏やかな気持ちでいられるのは、みんなが私のそばにいてくれたからだ。
「貴方は決して1人じゃないよって、改めてこの言葉を、この曲を聞いてくれた全ての人達に贈らせてください」
今度は大きな拍手が大聖堂を包み込んだ。
あくあ君ってやっぱりすごいな。
今まさにこの曲を聴いて、きっとどこかで救われる人がいるんだって思う。
こんな人の隣に立つには相当頑張らなきゃいけないなって思うし、自分も頑張ろうって気合が入った。
諦めるのは簡単かもしれないけど、諦めないって事を知った私は、もう一度あくあ君にアタックしようって思ってる。
私とあくあ君じゃ、月とスッポンだし、もう手の届かないようなところにいる人だけど、やる前から諦めていい理由には決してならないから。
「この楽曲を披露するに当たって、この会場を提供していただいた聖メアリー病院と、ご協力していただいたスターズ正教の皆様に深く感謝いたします」
会場が少しだけどよめく。
カノンさんの件で、スターズ正教とあくあ君の関係はあんまり良くないんじゃないかって思っていた。
確かに結婚式はスターズの王家が主導の下、スターズ正教が式を取り仕切っていたけど、あれは王家の形式的なものだし、あくあ君が、あくあ君たちベリルがやろうとしている事はスターズ正教の指し示してきていた道とはそぐわない。
今まであくあ君達が何かでスターズ正教について言及した事はないけど、今回の事であくあ君がカノンさんと一緒にイベントに出た事で、とりあえず不仲ではないという事がアピールできたのはスターズ正教にとっても大きいんじゃないかと思った。
「よろしければ、この次の曲も聴いてください」
私は一緒に座って見ているお母さんやリサちゃん、うるはちゃんと顔を見合わせると笑顔で応える。
あくあ君達からのクリスマスプレゼント、もっともっと楽しまなきゃだめだよね。
会場が再び静粛に包まれていく。私は、あくあ君の美しい歌声へと耳を傾けた。
GW後に入院して手術する事になりました。
入院前の5月6日土曜か7日の日曜まで更新して、その週の13日の土曜か14日の日曜にまた復活できればと考えています。つまり5月8日月曜あたりから12日金曜まで更新をお休みする予定です。
早かったら11日木曜か12日金曜で復活できるかもしれません。
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