白銀あくあ、妥協はできない。
誰もいない薄暗い部屋の隅っこで俺は体育座りをしながら涙を流していた。
「うう……ごめんよぉ。らぴす……兄ちゃんは、兄ちゃんは、心を鬼にして、ぐすぐす……」
らぴすははっきり言ってわかりやすい。表情が多彩というか、誰に似たのか考えてる事が結構顔に出るタイプだ。
今日のオーディション合宿でも、きっとチームDに入りたかったんだろうな。俺がチームCだと告げた時、誰が見ても一目で分かるくらいガーンとした顔をしていた。
俺だって本当はらぴすを仲の良いスバルちゃんやみやこちゃんと組ましてあげたかったよ。
でも今のままらぴすがアイドルになっても、同じアイドルとしてダメな気がしたんだ。
俺もそうだけど、アヤナだって裏じゃ血反吐を吐くくらい頑張ってる。
ボイストレーニングにダンスレッスンはもちろんの事、基礎となる毎日の体力づくりや体幹トレーニングは必須と言っても過言ではない。中には体調管理のために普段から睡眠時間や食事メニューなんかも徹底してるもっとストイックな人もいる。
表の華やかさに比べて、裏では地道な積み重ねをしなければいけないので、並大抵の覚悟がないとどれも継続する事なんてできない。
でもそれはアイドルじゃなくても、他の職業を選んだとしても同じである。どんな職業、どんな立場の人にだって、それぞれの苦労があってそれぞれの努力があって、それぞれの悩みがあるからだ。
もちろん俺もアヤナもこの仕事が好きだからそんな弱音は言わないし、何よりこの地味なトレーニングが辛いと思わないというか、どちらかと言わなくても結構好きだったりする。
でも、それはMっ気が少しある俺とアヤナだから良いのであって、らぴすはどうなんだろうって思った。
『アヤナ、相談があるんだけど良いかな?』
『相談? うん、別に良いわよ』
琴乃や阿古さんかららぴすたちに声をかけている事を聞かされて、俺はすぐにアヤナに相談した。
アヤナのアイドルとしてのキャリアは俺よりも長い。
何よりも女性だらけのこの世界で、女性アイドルとして超人気グループのセンターを務めているアヤナの意見は確実に参考になると思ったからだ。
『なるほどね。大体の事情は把握したわ。それで……らぴすちゃんはどれくらい本気なの?』
アヤナの問いに俺は一呼吸置く。
『うーん……誘われてすぐに返答してない時点で、俺やアヤナほどの熱量はないと思う。本当にやりたかったらスバルちゃんみたいに即答するだろうし、スバルちゃんは審査の映像見ても普段からやってるなっていうのが透けてわかるんだよね。とあもそうだけど、あそこの姉妹……じゃなかった兄妹はクールな雰囲気と違って、中身はめちゃくちゃ負けず嫌いだから、メンタル面がそもそものアイドル向きだと思う』
『へぇ、スバルちゃんは、負けん気強いのか。私が好きなタイプじゃん』
俺はアヤナの見せた笑みに苦笑いを返す。
うちの新人になるかもしれない子だから、そこはお手柔らかにね。
って、そういうとこ、ちょっと小雛先輩に似てきてない? 大丈夫?
小雛先輩が悪影響を及ぼしてないと良いけど……。
『スバルちゃんっていうか、普段からやってる人って、自分もやってる人や教えてる人からするとすぐわかるよね』
『ああ……。ただ、それを言うなら、才能だけでオーディション受かっちゃったらぴすもすごいんだけど……』
『確かに、歌唱面でモジャPさんの審査に通ったって事でしょ?』
アヤナの問いかけに俺は頷いた。
実際にらぴすが歌唱審査を受けた時の映像を見たけど、歌声にも魅力があり、歌っている時の雰囲気は目を惹くところがあったと思う。
だからと言って単純な技術だったり、歌唱に必要な体力的な項目では、受かったメンバーの中でも最下位を争っているのが現実だ。
『思い出すなー。私もあくあとのデュエットでモジャPさんに見てもらったけど、細かい所まで丁寧にやるっていうか、楽曲へのアプローチがすごく繊細だから要求面も多いし、それだけダメなところを見逃してくれないからすごく勉強になった。でもできたら、よくやったじゃねぇかって言ってくれるからよっしゃって気になるもん』
『あー、わかるわ。あのくしゃっとした顔でニカっと笑うのが良いんだよな』
俺の言葉に、アヤナがうんうんと頷いてくれた。
『らぴすちゃんのためにも、あくあのためにも、スバルちゃんみたいにオーディションを受ける子達のためにも、はっきり言うけど、女性アイドルはプロデュースする方にも相当覚悟がないとダメだと思う』
『と言うと?』
『世界の男女比率と女性の分母の多さを見てもわかるように、世界も日本も女の子の代わりなんていくらでもいるもの。まず好きとか、割り切ってお金稼ぐとか、なんか目的がないと続かないし、私はそれで消えていった女性アイドルをたくさん見てきたわ。ベリルとあくあの本気度はわからないけど、継続して活動を続けようと思うならそれ相応の努力と覚悟、それに忍耐が必要だと思う。もちろんベリルだから、ベリルブースト、つまりは男性陣とのコラボを増やせば売れるだろうけど……そうじゃないのなら、みんなをあくあが目指す本物のアイドルへと導こうとするなら、一切妥協しない方がいい。自分と同じ対等な目線で彼女達をみてあげてほしいの。本気の子なら絶対についてきてくれるし、あくあや私がそうであるように、本気の子達はきっとそれを望んでると思う』
さすがだよ。アヤナはやっぱりかっこいいなと思った。
きっとイイ女ってのがいるとしたら、アヤナの事なんだろうなと思う。
何より俺達はアイドルというか芸能界に対しての考え方が本質的に似ているのか、アヤナの言葉は全部素直に自分の中に入ってきた。
『俺は……アイドルに関しては妥協するつもりはない』
『うん……私も、同じ切磋琢磨するアイドルとして、貴方の1人のファンとして、アイドル白銀あくあにはそうであってほしいって思う』
アヤナに相談してよかったと思った。
これで覚悟の決まった俺は編成会議でも自分の思っている事をスタッフや他の審査員に全てぶつける。
それが最終候補に選ばれた子達、全員のこれからにつながると思ったからだ。
ただ、アイドルの俺としてはそれで覚悟が決まったけど、1人の兄としてはやっぱり妹のらぴすがオロオロしてる姿を見るのは辛い。つまり、それはそれ、これはこれなのだ。
「で、なんでこいつはまたこんなに面倒臭そうな事になってるのよ?」
「さ、さぁ? オーディション合宿の記者会見から帰ってきてから、ずっとこうなんです」
扉の向こうから暇で家に突撃しにきた小雛先輩と、昨日も今日も明日もかわいいカノンが俺の様子を伺う。
普通ならこれでそっとしてくれるが、小雛先輩はそうじゃない。あの人はそういう他人への気遣いは一切しないからだ。
「もー、とりあえず電気くらいつけなさいよ」
普通に部屋に入ってきた小雛先輩は、リモコンを操作して部屋の電気を点ける。
「で、どうしたの?」
「らぴすは今も合宿で1人で頑張ってる。だから俺もらぴすと同じように孤独を味わってます」
「はぁ!? 何それ、馬鹿じゃないの?」
「バッ、バカ!?」
「馬鹿よ。あんたが妹大好きなのはもう驚かないけど、私もあんたも仕事には手を抜かないタイプなんだから、あんたの妹が応募した時点でこうなる事は必然だったの! だから諦めなさい」
うっ……まぁ、確かに、アヤナに相談してなかったとしても、俺は手を抜かなかっただろうと思う。
そこで俺がらぴすに忖度したら、覚悟を持って受験してくれている他の参加者の人に対してのリスペクトが足りないからだ。
「それとも何? 適当にデビューさせて、いずれドラマに出て、そこで私と共演して、大好きな兄様の代わりにこの私に引導を渡された方がよかったの? どっちにしろそこで終わってんのよ。言っとくけど私、のほほんとした気持ちで事務所のプッシュだけでドラマの現場にきたアイドルなら、星の数ほど泣かせてきたから」
そういや、前にもそんな事を言ってたわ……。
あんた達は泣かないから見どころあるわねって俺とアヤナの前で言ってて、周りのスタッフさん達がドン引きしたのを覚えている。
「ほら、あんた、明日はクリスマスイベントでしょ! しっかりなさい!! 私につまらないステージを見せたらぶっ飛ばすんだからね!!」
小雛先輩に腕を掴まれて両手でぐいぐい引っ張られる。
体の小さな小雛先輩に引っ張られたところでびくともしないけど、動かなかったら不機嫌になりそうなので素直に立ち上がった。
「もー! 最初からそうなるなら、しなきゃいいのに。ね?」
「ねー」
あれ? なんか、小雛先輩とカノン、ちょっと仲良くなってない?
そういえば最近、俺の気のせいか小雛先輩が家に入り浸る回数が増えた気がする。
「さっきはああ言ったけど、私だって鬼じゃないんだから、この私が代わりに優しく妹ちゃんにあんた向いてないからやめろって言ってあげたのに」
「先輩……それ、ミリも優しくないです……。先輩は一度辞書で思いやりとか優しさって単語を調べたほうがいいですよ」
さっきの言葉のどこに優しさがあったのか小一時間ほど小雛先輩を問い詰めたい。
「ムキーっ! せっかくあんたにもこれから優しい言葉かけてあげようと思ったのに!!」
「えぇっ!? せ、先輩が優しい言葉!? そ、それって新手の詐欺かなんかですか!?」
俺は家の窓を開けると外の天気を確認する。
大雨が降る気配はなしと……。
「ねぇ、カノンちゃん。私、本気で怒っていいかしら」
「いいと思います。でも最近ちょっとだけあくあの事がわかってきたんですけど、こういう時のあくあってわかりにくいけど甘えてるんだと思いますよ」
「ふーん」
あれ?
カノンと何を話していたのかは知らないけど、急に機嫌が良くなった小雛先輩は、こっちに近づいてくると必死に手を伸ばして俺の頭をポンポンと叩いた。
「はいはい。そんなに妹がいいなら、私が代わりに妹になってあげるわよ。お兄様、ゆかりはお兄様の事をとっても慕っておりますってね!」
「えっ!? 先輩……それはちょっと……」
小雛先輩が妹になるって事を想像しただけで、途方もなく疲れた。
確実に俺は妹の奴隷になり、完全な主従関係が成立してしまうだろう。
四つん這いの状態で兄という名前の椅子になった俺の上に小雛先輩が座って、俺が買ってきたアイスを勝手に食べてる姿が容易に想像できた。そうなった時点で24時間365日、小雛先輩の面倒を見させられるのは確定である。
「はぁ!? 私にここまでやらせておいて、なんなのよその申し訳なさそうにすみませんみたいな感じ出してくるの!」
「いやぁ。俺にも妹を選ぶ権利がありますから。どうせならカノンみたいな素直でめちゃくちゃかわいい妹がいいなぁ」
ほら、小雛先輩、うちのカノンを見てくださいよ。顔、赤くしちゃってかわいいでしょ?
「全く……心配して損した。それだけ冗談飛ばせるなら元気じゃない」
「え……? 心……配……?」
誰が? 誰を?
「……本気でぶっ飛ばしていい?」
「すみませんでした。面倒臭い俺に付き合ってくれてありがとうございます」
「わかればよろしい」
まあ、母さんやしとりお姉ちゃんも言ってたけど、普段のらぴすはしっかりしてるから分かりづらいけど、自分の事になるとちょっとぼーっとしてる時がある。
スロースターターというか、エンジンに火が点くまでに少し時間がかかるのだ。
きっとハートに熱さえ篭ればあとは心配いらないと思うんだよね。
だからこそ、らぴすには刺激的なメンバーが多いチームCに入れた。それがらぴすのためにも、チームCのみんなのためにもと思ったからである。
「それよりそろそろベリルに行く時間なんじゃない?」
「あ、うん……」
今日は12月23日。明日のベリルクリスマスフェスに向けてみんなで前日ゲーム配信をする予定だ。
俺も俺の仕事に集中しなきゃな。
「それじゃあ行ってきます!」
「行ってらっしゃい。気をつけてね」
「この前みたいなクソゲームするんじゃないわよー!」
この2人を家に残していくのは心配だけど、ペゴニアさんがついてるし、最悪下のフロアにはお婆ちゃんやえみりさんがいるから大丈夫だろう。俺は小雛先輩とカノンを家に残してベリル本社へとバイクを走らせた。
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