雪白えみり、世の中にはやべー奴がいっぱいいる。
「やべぇな……」
何がやばいって?
今月も始まったばかりだと言うのに、財布の中に168円しか入ってない事とか、ホゲ川が想像以上にホゲってた事とか、嗜みがポンコツ……これはいつも通りか、とにかく、姐さんがこの前、上機嫌だった時以上にやばい事がある。
ミクおばちゃんのことだ。
「間違ってでも聖あくあ教とかいうお笑い軍団にだけは確保されるわけにはいかないよな」
シンプルにアイツらだけはヤベェ。何がやばいかって言うと自分達がやばいって事を認識してないところが、特にやばい。
それに何かのミスでミクおばちゃんに私があのチジョー軍団のボスをやってるって知られたら、後で母さんにぶち殺されるかも知れないからな。うちの母さんは表面上はほんわかしてるけど、姐さん以上に冗談の通じないヤベェ女だからな。
能天気なパパにならバレても、えみりはまた面白そうな事やってるなーっていつもみたいに笑ってくれるだろうけど、間違っても母さんにだけはバレるわけにはいかない。
そうなるとベリル側にそれとなく情報を流して……いや、それだとミクおばちゃんが逃げる可能性があるか。ミクおばちゃんは誰に似たのか肝心なところでビビるんだよなあ。
「かと言って嗜みとかホゲ川みたいなお笑い要員に頼んでもな」
ホゲ川は案外ちゃんとやってくれそうだけど、アイツなんでこういう時に限って怪我してんだよ。本気で使えねえ。
普段は使える姐さんはベリル側だし、姐さんは優しいからミクおばちゃんを無理やり連れてこれないような気がする。そもそも姐さんは顔と体の圧はすごいが、押しはあんま強くないからな。
嗜みに限っていえば、メアリーお婆ちゃんがそれとなく動きを追ってるから確実に無理だ。
私がメアリーお婆ちゃんの立場なら、嗜みが動いた時点でキテラを動かして、横からミクおばちゃんを掻っ攫う。
ペゴニアさんに頼んだとしても、このタイミングで嗜みから離れたら絶対にくくり辺りが察知する。
「本当は私が確保しに行ければいいんだけど……」
ワンチャンいけるんじゃないかって思ったけど、メアリーお婆ちゃんは嗜みと違ってポンコツじゃないから絶対に無理だ。きっと私の動きも監視してる。
となると、ベリル側でもなく、聖あくあ教でもなく、その上であくあ様と関係が近くて、ミクおばちゃんとも面識があって、押しが強そうな人で、私が連絡先を知ってる人……って1人しかいねえじゃねえか!!
『あんた、芸能界に興味はない?』
『え……あ、はは……』
あくあ様のお家に呼ばれた時に、リビングであくあ様の匂いを堪能していたら、私をロックオンした小雛ゆかりさんにめちゃくちゃ絡まれた。途中で私が困ってる事に気がついた月街アヤナさんが助けてくれたから良かったけど、まさかのガチ誘いに困惑した事を思い出す。
今までも街を歩いてて芸能界に誘われた事は何度もあったし、あくあ様に近づけるかも知れないって考えたら悪くはない選択肢でもあるけど……小雛先輩のところに行くのは危険な気がした。
「あの時に3人で連絡先を交換していた事が、まさかこんな所で役に立つなんてな」
私はすぐに小雛さんに協力を求めるメールを入れると、忙しいにも関わらず快く応じてくれた。
小雛さんはどこか持ってる気がするし、スターとスターは引かれ合う気がしたから、必ず誰よりも先んじてミクおばちゃんを確保してくれる予感がしてるんだよね。私のえみりセンサーが反応してるから間違いないはずだ。
あ、それと念の為にストッパー役にもなれて、ちゃんとしてる月街さんにも連絡入れとこ……。
「というわけで、連れてきたわよ」
私の期待通りに2人はミクおばちゃんを確保してくれた。
って、はっや! 昨日の今日じゃん。女優とアイドルって忙しそうなのに、もしかして2人ともクソほど暇なのか……? そんな事を考えていたら、顔にでていたのか月街さんが私に近づいてきた。
「小雛先輩、あんまり人に頼られた事がないから張り切っちゃって……」
小雛さんの顔を見ると、何よ? って顔してた。
うん、これは聞かなかった事にしておこう。
「ミクおばちゃん、久しぶり」
「えみりちゃん……って、その格好どうしたの?」
引き渡し場所になった営業時間後のラーメン竹子で、エプロンに三角巾をつけた私の姿を見たミクおばちゃんは驚いた顔を見せる。
あー、そっからかぁ……。
私はミクおばちゃんに、両親が借金返済のためにマグロ漁船と蟹工船で遠くに行っている事を告げる。
「弾正君も、のえる姐さんも相変わらずね。お金の問題なら私がなんとかしたのに……。そういうところが抜けてると言うか、なんというか……雪白って感じがするわ」
いや、ほんと、全くです。
「えみりちゃんも大丈夫? なんか変な事してない?」
「いやぁ、あはは……」
私は、大丈夫、何も変な事はしてませんよとアピールする。
聖あくあ教はアイツらが勝手に作ったもんだし、私は、そう私は、何も変な事はしてないはずだ。
「……のえる姐さんが言ってたけど、えみりちゃんって隠し事する時にすぐに視線逸らすよね」
「あはは……」
あれ? なんか私の方が問い詰められてませんか?
普通は逆なような気がするんだけど……。
私は話題を切り替えるべく、軽く咳払いする。
「コホン! そんな事よりミクおばちゃんは、どうしてあくあ様から逃げてるの? 確かにミクおばちゃんはどうしようもないくらい方向音痴だけど、絶対、迷子とかそんなクソしょうもない理由じゃないでしょ!」
「それは……」
ミクおばちゃんは言いづらそうに視線を逸らした。
ははーん、やっぱり別に理由があったようね。
「ミクおばちゃん、ここにいるのは私が信頼できる人しかいないから安心して、小雛さんも月街さんも、知り合って間もないけど、この2人は間違いなくあくあ様の味方だと思うから大丈夫」
「えみりちゃん……。えみりちゃんは昔から人を見る目だけは確かだもんね。わかったわ」
ミクおばちゃんは、まりんさんと子供を作るきっかけとなった出来事から順を追って話をしてくれた。
私はその話の途中で頭を抱える。
黒蝶家はその通りだとしても、揚羽お姉ちゃんに関しては、めちゃくちゃ勘違いされてるじゃねえか!
いや、そういう風に揚羽お姉ちゃんが仕向けてたからそれでいいのかも知れないけど、私は揚羽お姉ちゃんに懐いてたから、あの人が悪い人じゃないってのは最初から知ってるので凄く複雑な気分だ。
重苦しい雰囲気の中、小雛さんが口を開く。
「ふーん、私は平民だからよくわかんないけど、黒蝶揚羽って奴はそんなに悪い奴なの?」
全員が、え? って顔をする。
近くにいた月街さんが戸惑いながらも小雛さんに問いかけた。
「先輩……友達と話す時に、そういう噂話とか聞いたりしてませんか?」
「だって、阿古っちは人を悪く言う事なんてしないし、私に阿古っち以外の友達が居たと思う? それとこの私が、よく知りもしない他人の事にそこまで興味があるとでも?」
「すみませんでした」
「アヤナちゃん……時として謝罪の言葉は人を傷つける事があるって覚えておくといいわ」
「本当にすみませんでした」
なぜかはわからないけど、私とミクおばちゃんも月街さんと同じように頭を下げた。
あくあ様が理不尽と書いて小雛ゆかりと読むなんてギャグを飛ばしていた理由を今、理解する。
「えっと……それでその、ミクおばちゃんは、あくあ様と会いたいとは思ってるんだよね?」
私の問いかけにミクおばちゃんはコクリと頷いた。
「私だって会いたいよ。でも、結果的に長い間あくあ君を放置してしまっていた私が、今更どういう顔をして会いに行けばいいのかわからないわ」
「はぁ? そんなしょーもない事を気にしてんの?」
どうやら小雛さんにスイッチが入ったようだ。
狼狽えた表情を見せる月街さんは、私に助けを求めるように視線を送ってきたが、あまり私には期待しないで欲しい。私はできる限り壁の花になって事をやり過ごす。あ……よく考えたら竹子には、花なんて洒落たもん飾ってなかったわ。
「しょ、しょうもないって……」
「しょうもない事でしょ! 会って怒られるか、泣かれるか、線を引かれるかはわかんないけど、そこから始めない事には何にもならないじゃない。ま、アイツは能天気だから、ちゃんと事情さえ話せば普通に気にしないと思うけど……もう! 自分の子供なんだから、しゃんとしなさいよ! 他人の私ですらあんたの息子にミリも気を遣ってないんだから、親のあんたが息子に対して変な気を遣うんじゃない!!」
ええ……。そんな事、普通ある?
普通、この世界に、男の子供がいる親で息子に気を遣わない人なんているのだろうか?
そう問われたら大体の人は居ないって言うだろう。でも、今の私は間違いなく居ると答える。
あのあくあ様に気を遣わない小雛さんを見てると、まだまだ世の中には私の知らないやべー女がいるんなだなと思った。
「ミクおばちゃん、私も小雛さんの言う通りだと思う。とりあえず会ってみてお話しだけでもしてみたら? ほら、頼りにならないかもしれないけど、私もそばにいてあげるからさ」
「わ、私も、会った方がいいんじゃないかなって思います。あくあは、そういう事であんま怒ったりとかしないだろうし……その、この前、私にもメールが来たんですけど、仕事とかで見かけたら怒らないから戻ってくるように言っておいてって……ほら」
月街さんが手に持っていたスマホの画面を全員で覗き込む。
あ、本当だ……。月街さんは同じ芸能人だし、それもあってこういうメールを送ったんだろうな。
私もミクおばちゃんの親戚だから、あくあ様から似たようなメールが来てた事を思い出す。
「……私、そんなメールきてないんだけど?」
「え?」
「あ?」
私と月街さんは顔を見合わせた。
あくあ様……? よりにもよって、なんで小雛さんにだけ、そのメールを送ってないんですか?
「ふーん」
怖い怖い怖い!
小雛さんから姐さんのガチギレモードと同じ空気感が漂っている。
「ま、待ってください!」
月街さんは何やらスマホの画面をぽちぽち押した後じっと見つめる。
おそらくあくあ様に何やら連絡して、返答が返って来るのを待っているのだろう。
それからの数秒間は、生きた心地がしなかった。
「ほ、ほら、これ」
私達は再び月街さんのスマホの画面を覗き込む。
【自分:あのさ、小雛先輩にもその事ちゃんと伝えてる?】
【あくあ:先輩って結構、世話焼きというか、面倒見がいいから、言わなくても勝手にやってくれそうな気がする】
ミクおばちゃんや月街さんと顔を見合わせた後、全員で小雛先輩の方へと視線を向ける。
「フッフーン、あのあくぽんたんも、私の海よりも深い優しさがちゃんとわかってきてるじゃない!」
小雛さんはほんの一瞬で、誰がみてもわかるくらい上機嫌になった。
さすがはあの小雛ゆかりの部屋……じゃなかった、ホゲ川の部屋以降、小雛ゆかりマスターの白銀あくあ、小雛ゆかりトレーナーの白銀あくあと言われているだけの事はある。
「そういう事なら、この大女優小雛ゆかりさんが手を貸してやろうじゃないの!」
小雛さんはミクおばちゃんに向かって、なぜか勝ち誇ったかのような表情を見せる。
「明日、私が仕事終わりにアイツをここに連れてきてあげるわ。だからあんたも覚悟を決めなさい!」
小雛先輩はこの場にいた誰よりも小柄だったけど、誰よりも大きく見えた気がした。
なるほど、これくらいでっけー女じゃねぇと、あくあ様の師匠はやれねぇだろうなと納得する。
私は、話し合いが一段落したところで再び口を開く。
「それじゃあこの後の事だけど……」
ミクおばちゃんが再び迷子になったら意味がない。できればここから移動したくないと思った私は、ラーメン竹子のお座敷に泊らせてもらえないかと竹子さんにお願いする。何度か竹子には泊まった事があるから、ちゃんと来客用の布団が何枚かあるのは知ってるんだよね。
するとなぜか小雛さんや月街さんも泊まる事になって、私達4人はそのまま竹子のお座敷で一夜を明かした。
やたらと小雛さんのテンションが高いなと思ってたら、月街さんが友達がいなかったから、多分こういうのも初めてだからとポツリと呟いたの聞いて、とても悲しい気持ちになったのは内緒にしておく。