白銀あくあ、アイドル始めます!
俺と母さんと阿古さんの三者による話し合いはこの言葉から始まった。
「私が責任を取って、白銀あくあさんのやりたい事を全面的に手助けさせていただければと思っています!!」
俺は協力してくれる阿古さんに隠し事をしたくなかったから、事前に2人で会って、記憶がない事やアイドルをやりたいという事を打ち明けた。その翌日、再び俺と会った阿古さんから衝撃の事実を聞かされる。
「会社には退職届を提出してきました。引き継ぎの期間中はまだ出社しなければなりませんが、直ぐにでも事務所を立ち上げたいと思います」
阿古さんの提案に俺はさらに驚かされた。まさか昨日の今日で、退職届を出して事務所を立ち上げようとするなんて、流石に驚きすぎて固まってしまう。
困惑する俺を見た阿古さんは、ゆっくりと自分の思っている事を語ってくれた。
「私が直接知っている事務所となると今の企業との繋がりが強いので、強制力のある案件のせいであくあ君のやりたいことの幅を狭めてしまうかもしれません。また、今の企業の中で新たに芸能事務所を立ち上げるという事もできると思いますが、こちらはそれ以上に案件の強制力が強く、スケジュールをやるべき事でほとんど会社に埋められて、それをこなすだけにあくあ君が忙殺されると思います。私は……いえ、あくまでも個人的な意見ですけど、あくあ君にはもっと自由でいてほしい。あくあ君を何かに縛り付けるような真似はしたくないと思っています」
こんなにも真剣に俺の事を考えてくれた阿古さんに対して涙が出そうになった。
「だから私は個人事務所を立ち上げるべきだと思いました。最初の辺は金銭面のためとか、私が退職するにあたって受けてもらう仕事もありますが、他の選択肢よりかは自由が効くと思います。そして、これが冗談ではなく本気の提案だと、あくあ君に知ってもらうために私も勝負に出ました。でも、もし……あくあ君がそれでも大手でやりたいと思ったら、その時はもちろんちゃんとしたところを紹介させて頂くつもりです」
胸の奥から熱いものが込み上げてくる。
ここで乗らなきゃ男じゃねぇぞ!
心の奥底から投げかけられた自らの声に耳を傾ける。
アイドルに憧れた純真無垢だった頃の俺、リトルあくあは俺に囁く。
アイドルになって全ての女の子を幸せにしたいんだよね?
ああ。
だったら、自分のためにここまでしてくれた目の前の女の子1人幸せにできないようじゃダメだよね?
ああ、もちろんだ!
俺はこの人と、阿古さんと一緒に仕事がやりたい!!
席から立ち上がった俺は、阿古さんにお辞儀して感謝の言葉を述べた。
「よろしくお願いします!」
「こちらこそ、よろしくねあくあ君」
母さんは手強かったが、俺と阿古さんの強い意志と説得によりなんとか折れてくれた。
最終的には部屋の外で聞き耳を立てていたらぴすとしとりお姉ちゃんが、俺たちを応援してくれたのも大きかったかもしれない。
あとで2人にはしっかりとお礼しなきゃな……。
「やるからには私も全力であくあちゃんをバックアップします!」
「母さん……ありがとう!」
家族のバックアップを得てからは、全ての物事が目まぐるしいスピードで進んでいく。
阿古さんは引き継ぎの期間中に会社設立の届出の書類、事務所や電話を用意したりして手早く準備を整えてくれた。
お金の方は阿古さんの貯金と、母さんからの出資をやりくりしてなんとかしたらしい。
俺も少しはバイト代をと思ったが、こういう時は大人をしっかりと頼りなさい、と母さんに言われる。
そんなことを言ってくれる家族なんて今までいなかったから俺はなんだか嬉しくなった。
俺は俺のやれることをやろう。アイドルとしての準備を整えて、阿古さんがすぐに動けるようにしようと思った。
さらにその翌日、俺と阿古さんは、アイドル活動のために必要な宣材写真を撮るために知り合いの撮影スタジオを訪れる。
「あらぁ、これ、すんごくいいわよ」
宣材写真を取ってくれたのは、とあちゃんと一緒の写真を撮ってくれたノブさんだった。
阿古さん曰く、俺がアイドルデビューすると聞くと、自分以外には撮らせないでと、売れっ子にも関わらず無理やり予定を開けてくれたらしい。しかも本来であればかなりの額のギャラが発生するそうなのだが、今回はある条件を元に無料で写真撮影をしてくれたそうだ。
「その代わり、私をあーくんの専属写真家にしてほしいの。もちろんお仕事によっては私じゃない方がいい場合もあるから、その時は配慮するわよ。ねぇ、いいでしょ?」
「あっ、はい。俺もノブさんの写真好きなんで、むしろノブさんが撮ってくれる方が嬉しいです」
「あらぁ、それってプロポーズ? もぅ、そんなこと言われたらとあちゃんに悪いわぁ」
そういえばさっきノブさんに聞いた話だけど、あの後もノブさんととあちゃんは連絡を取り合っているらしい。
確かに撮影の最後、俺たちはノブさんと連絡先は交換してたけど、その2人が連絡を取り合っていたのはあまりにも意外だったので驚いた。一体、どういう繋がりなんだろうか? もしかしてとあちゃんもモデルデビューとか?
「これはとあちゃんと私、本物の乙女同士のヒミツだからあーくんにもナ・イ・ショよぉ」
まぁ、とあちゃんはめちゃくちゃ可愛いし、それこそアイドルとしてデビューしたっておかしくはない。
ノブさんと宣材写真を撮影してから数日後、俺は阿古さんからの電話で音響機材の揃ったスタジオに呼び出された。
「あくあ君、急に呼び出してごめんなさい」
阿古さんからは、アイドルとしてデビューするのに、俺の歌とダンスの確認もしてなかったのに動き出してしまった事を謝罪された。
寧ろ阿古さんを説得する時に、俺の方で何らかのデモテープとかダンスの動画を残しておくべきだった気がする。
「いえ、こちらこそ気が利かずにすみません。それで、ここは?」
俺が阿古さんに尋ねるのと同時に、スタジオの扉がゆっくりと開いていく。
「……男なのにアイドルを目指したいって言ってる頭のイカれた奴ってぇのはオメェの事か?」
ぶっきらぼうな低い声に、俺の体はびくんと反応する。
「はっ、はい! お邪魔しています!」
振り返るとスタジオの入り口の前にヒゲモジャの男の人が立っていた。
ノブさんに続いてちゃんとした大人の男の人が出てきて俺は緊張する。
「あの、俺」
「……こい」
「えっ? あっ、はい!」
自己紹介を兼ねて挨拶をしようとしたら、ヒゲモジャの男性はさっさとスタジオの中へと戻っていった。俺と阿古さんは顔を見合わせてその後に続く。ヒゲモジャの男性はスタジオに入ると、俺に対して、ガラス張りの部屋の向こうに行けと指差した。
「……歌え」
どうやら俺は自己紹介よりも先に、いきなり歌わされるみたい。
俺は言われた通りに防音室の中に入ると、マイクスタンドの前に立って深呼吸する。
まさかいきなり歌わされる事になるなんて思ってもいなかったけど、準備をしていなかったわけではない。
「ちょ、ちょっと待ってください。まずは挨拶を……」
スタジオの方からは、阿古さんの慌てた声が聞こえてきた。
しかしヒゲモジャの男性は唇に人差し指を当てて阿古さんを黙らせると、俺の方をジッと見つめる。
「……歌え、歌えばそれで全部わかる」
向こうから何を歌えとも指定されない上に、少し待っても曲が流れてはこなかった。
最初からいきなりアカペラで歌うのはかなりハードルが高いが、もうここまできたらやるしかない。
「あ……あ……あー」
俺は軽く声を出して、ガラス越しにヒゲモジャの男の人に視線を返した。
そして軽く息を吐くとゆっくりと歌い始める。
「君の〜♪」
やっべ、歌い出しでいきなり声が震えてしまった。だが俺は、序盤で上手く軌道修正して、何とか持ち直す。
はっきり言って、この歌はあまりアイドルには似つかわしくない曲だ。70から80年代を意識したようなムード感のある曲調、最近流行りのシティポップの流れを汲んだ楽曲で、歌詞は男性が一夜限りの女性をロマンティックに口説くものである。
そんなアイドル向きではない歌を、俺が選択したのには大きな理由がある。
この曲の歌詞は、一夜限りの出会い、つまりチャンスはたった一回きり、それなのに口説いているはずの男性側の方が、これを逃すと次はないぞと、女性に対して挑発的な口説き文句を並べ立てるのだ。でも、この誘いに応じてくれれば、誰もが見たことのない極上の景色を君に見せてあげられる。俺と同じ情熱をその心に宿した君ならば、きっとこの誘いに応えるだろう。そういった内容のことを歌っている。
「息を呑むような体験がしたくないか?」
不揃いで長ったらしい前髪の中から覗くヒゲモジャの男性の瞳の熱は本物だった。
この人はきっと、俺が自らの望みを叶えるのに相応しいかどうかを見極めようとしている。
俺はこの人が何者かはわからないけど、阿古さんが俺にしてくれたように、阿古さんがこの人ならと俺に紹介してくれた人を信頼したかった。
「今、生きているという実感が欲しくないか?」
そしてこの歌は、俺の人生とも少し重なった。
予想のつかなかった二度目の人生、まだ実感のないこの生の中で、果たせなかったあの時の夢を叶えてこの命の意味を見出したい。俺の中の感情がむき出しになる。
そのせいで最後はうまく歌うことも忘れて、ただただ感情をこの歌に乗せてしまった。
酷い出来だったなと俺は笑みをこぼす。しかし心の中は満足感で充実していた。
「……らしくねぇな。ああ! 全然アイドルらしくねぇ!」
椅子の軋む音が聞こえる。
「テメェのルックスと雰囲気なら、もっと甘く王子様みたいに愛を囁いたりだとか、元気でもって夢や希望を与える王道の歌詞の方がファンを満足させてやれるだろうよ」
前髪の奥から突き刺すような視線で俺を見つめる彼の瞳と目が合う。
「おまけに、最後は自分の感情に揺さぶられすぎて音は外すしテンポは乱れるし、しかも勢いだけで青臭さくって、最高にクソッタレで、最高に甘ったれてやがる」
ヒゲモジャの男は、椅子から立ち上がると片方の口角をニヤリと持ち上げる。
「だが、俺に取っては悪かねぇ。だってよ、テメェの歌ったその歌は、アイドルとして大多数の顔の見えない誰かに向けた歌じゃなくって、俺に向けられた俺だけのためのオメェの歌だ。おまけにこんなイカれた若造に、ここまで挑発されてノラねぇ男は、棺桶にでも足を突っ込んだ方が幾分マシだろうよ」
ヒゲモジャの男は防音室の扉を開けると、俺の目の前へとのそのそと歩いてくる。
そしてぶっきらぼうに俺の目の前に右手を差し出した。
「俺の事はモジャって呼んでくれ。これでも一応プロデューサーをやらせてもらってる。さっきはすまなかったな。俺はあんまり言葉は得意じゃなくてよ。だってよ、くっちゃべんなくても俺らみたいなのは歌えばそれで全部通じるだろ、なぁ?」
「は……はは、俺の名前は白銀あくあって言います。よろしくお願いします。えーっと……モジャさん?」
モジャさんは満足そうに片方の口角だけをあげて頷く。
「いいか、これから俺がお前の曲の全部をプロデュースする。他のやつにはやらせねぇ。どうせノブの野郎ともそういう契約してんだろ? 嬢ちゃんもそれでいいか?」
「あっ、はい! 勿論です小林さん」
モジャさん、本名は小林さんて言うのか……。
何となく見えてきたが、モジャさんはノブさんの紹介なのかな?
今の会話を聞いていても阿古さんが直接の知り合いってわけでもなさそうだしな。
「ヨシっ、最初の曲はすぐに用意する。白銀、お前は普通にやりゃあ基礎ができてるから問題ねぇが、今日は最初ビビって音程外しやがったな?」
俺がうっ……と胸のあたりを押さえると、モジャさんは大笑いした。そしてすぐに真剣な表情へと切り替える。
「学校に通ってて部活もしてるとノブから聞いてるが、今から1週間は部活を休んで毎日放課後は俺のスタジオに来い。本当はスタジオに寝泊まりしてみっちりとやりたいが、親御さんも心配だろうしなぁ。今回はそれで許してやるよ」
モジャさんはなかなか厳しい人のようである。
しかし俺にとっては、それがとてもありがたい事だった。
「ありがとう、阿古さん」
帰りの車、後部座席に座った俺は運転席の阿古さんにそう呟く。
阿古さんはこちらを振り向いてくれなかったけど、うん、と小さな返事が前の座席から返ってきた。
すれ違う車のライトに照らされた阿古さんの横顔はほんのりと色づいている。
こうして俺は、阿古さんとの二人三脚でアイドルとしての慌ただしいスタートを切った。