白銀あくあ、ノックをしても変わらない未来。
「つ、次で最後のクラブか」
俺は気を取り直して3つ目のクラブ、家庭科部のある家庭科室へと向かった。
ちなみに黛は演劇部でも多くの女子達と触れ合ってしまった結果、限界を迎えたらしく今は保健室で1人休ませている。ある程度控えめだった茶道部の皆さんと違って、演劇部はぐいぐいくるタイプだったからなぁ。
なんだか巻き込んでしまった黛には申し訳ないことをしてしまったような気がする。帰る時に保健室に迎えに行く予定だが、帰りにジュースくらいは奢るべきだな、うん……。
「ここか」
家庭科室にたどり着いた俺は、深く深呼吸する。
そしてさっきと同じ轍は踏むまいと、俺は家庭科室をノックをして入っても大丈夫かどうかをちゃんと確認した。
「はぁーい」
家庭科室の中から聞き覚えのある舌ったらずな声が帰ってくる。
俺をこの部活動の見学に誘った胡桃ココナさんの声だ。
「失礼します」
俺は家庭科室の扉をガラリと開ける。
「えっ?」
ちゃんとノックをして確認すれば大丈夫、そう思っていた時期が俺にもありました。
「んー? あくあ君、どうしたのぉ?」
胡桃さんは何故か制服を脱いでメイド服を着ている途中であった。
メイド服? 何故!? 家庭科部ですよねここ? 俺は一歩後ろに下がると表札を再度確認する。
しかし表札を何度確認しても家庭科室としか書かれていない。故にここが家庭科部の活動する場所なのは間違いないようだ。
「えっと……胡桃さんは何故メイド服を……」
「えへへ、このメイド服どぅ? 可愛いでしょー?」
だめだ会話が通じない。
「いや、その……えっと、ですね、胡桃さん……とりあえず、その、なんです、着るなら着る、脱ぐなら脱ぐでちゃんとして頂けるとありがたいのですが」
「んんー? 脱いだ方がいいのー?」
胡桃さんは普通にメイド服を脱ごうとしたので慌てて止める。
「って、脱いじゃだめですって!!」
「んー、じゃあ着るねっ、あっ! あくあ君はメイド服より制服とか裸エプロンの方が良かった? それとも体操服? 水着?」
だめだこの子は、オハナシガツウジナイ……。
「いや、もう何でもいいですからさっさと服を着てください。とりあえず俺は一旦外に出ますから!」
俺は慌てて家庭科室の外に出た。
はぁ……ただでさえ疲れてるのに、余計に疲れてしまった気がする。
もう帰ろうかな……。
そんな事を考えていると、家庭科室の扉がガラリと開いた。
「お待たせー、あくあ君希望のメイド服だよ〜、どうかなぁ? テヘヘ」
「あー、うん、カワイイデスネ」
カタコトの言葉で返事を返してみたものの、胡桃さんは普通にメイド服が似合ってたし、可愛いという言葉に嘘はなかった。
「わ〜い、あくあ君に可愛いって言われちゃった。嬉しいなぁ」
胡桃さんは俺の右腕にしがみつくと、肩に寄りかかるようにして俺の体を家庭科室の中へと連れ込んだ。
あれ……もしかしてここって、噂に聞くJKリフレだとかコンカフェとかそういう感じのお店ですか?
「ところで胡桃さん」
「なぁにあくあ君? あっ、ココナの事は胡桃さんじゃなくってぇ、ココナって呼び捨てにして欲しいなぁ」
「……念のために胡桃さんに再度お聞きしますが、なんで胡桃さんは家庭科部なのにメイド服を着ているんです?」
「えへへ、このメイド服ねー、ココナが中学生の時に自分で作ったんだぁ。あと胡桃さんじゃなくてコ・コ・ナ、もー、あくあ君ってばノリが悪いよ〜。でもそこが可愛い!」
うん……胡桃さんとは、会話のキャッチボールがうまくできてない気がする。
でもそこを気にすると会話が前に進まない気がしたので、俺は強引に会話を進めた。
「へぇー、それは凄いですね。ところで胡桃さん、家庭科部の他の部員の方は?」
「えっ? 他の人なんていないよ〜、だって、せっかくのあくあ君との二人きりの部活動なのに、他の子がいたら邪魔じゃん。だからココナ、自分で部活作っちゃったの」
えぇ……それってつまり部活動じゃなくて同好会とかじゃ?
「なるほど……わかりました。それではまた」
身の危険を感じた俺はなかった事にしてその場を立ち去ろうとしたが、胡桃さんがすごいパワーで腕を掴んで離してくれない。小動物みたいな体のどこからそんな力が出ているのだろう……。
「あのね、あくあ君。女の子にだって……ううん、ココナにだって選ぶ権利はあるんだよ?」
「はい?」
胡桃さんの言葉の真意がわからずに、俺は聞き返してしまう。
「つまり〜、ココナだって男の子なら誰だっていいなんて思ってないって事だよ。例えばぁ、あくあ君とクラスメイトの黛君とかも、女の子的にはかなり高ポイントの男の子なんだよ? でもね、ココナの王子様は最初からあくあ君一択だって決まってるから」
胡桃さんが俺に好意を向けてくれている事には流石の俺でも気がついている。いや……胡桃さんに関わらず黒上さんや鷲宮さんも俺に好意を向けてくれているのは間違いないのだろう。でもその好意を100%素直に受け取って良いのか、この世界の女子と男子の関係を思えば安易にその好意に応えるべきではないと俺は判断した。
そもそもこの世界では男性が少なく、その少ない男性の中で俺は比較的接しやすい部類なのだと思う。黛は良いやつだが、その黛からもこの世界の男性は基本的に酷い奴の方が多いという話は聞いている。
だから好意のベクトルを向けてくれていても、それが本当に俺の事が好きで向けてくれているものなのか、それとも気軽に接する事ができる男子だからと好意のベクトルを向けてくれているのかはわからない。俺はやっぱり、そういう関係になるならちゃんと俺の事を知ってから好きになって欲しいし、俺だって、その子の事がちゃんと好きになってからお付き合いしたいと思ってる。
でも胡桃さんは、そんな俺を知ってか知らずか、敢えて黛の名前を出すことで自分が真剣なのだとはっきりと言葉にして俺に宣言したのだ。
「でもね〜。あくあ君もココナと知り合ってまだ2週間くらいでしょ? まだまだあくあ君もココナの事を知らないだろうし、ココナもあくあ君の事が全部わかってるわけじゃないの」
確かに胡桃さんの言うように、俺はまだ彼女の事を何も知らないし、彼女もまた俺の全てを知っているわけではない。意外にも胡桃さんに、自分が思っていた事と同じ事を言われて胸が熱くなる。
「だからね。ココナの事、あくあ君に少しは知って欲しくって、こうやって毎日アピールしてるんだよ〜」
なるほど……胡桃さんがこんなにも色々と考えているなんて思っても見なかった。
そういう意味では、胡桃さんがこうやってアピールしてくれた事で、俺は今日、胡桃さんの事を少しは知る事ができたと思う。
「ねぇ……あくあ君はココナのこと嫌い?」
いつの間にか絡めた腕を解いていた胡桃さんは、俺の制服の裾をぎゅっと摘むようにして握った。
しかも上目遣いで瞳を潤ませているところがとってもずるい。やはり彼女は自分の武器が何なのか熟知している。
これで彼女を無下にできる男がいるとしたら、そいつはかなりの鬼畜だろう。
「いや、好きか嫌いかで言ったら、嫌いじゃな……」
「本当っ!? やったぁ〜、好きか嫌いかで嫌いじゃないって事は、ココナの事が好きかもしれないって事だよね? だってその二つしか選択肢ないもん! へへへ……あくあ君が思ったよりもチョロ……コホン、優しい人で良かったぁ!」
胡桃さんは、かなり食い気味に俺の体に抱きついて言葉を遮った。
「えっ、今なんかチョロ」
「気のせいだよ〜」
「んっ、でも」
「だから、気のせいだって〜」
「あ」
「も〜、あくあくんってば細かい事気にしすぎ! ココナ〜、あくあくんのそういうとこ良くないと思うよ?」
えぇ……でも今、確実に俺の事をチョロいって言いかけたような気がするんだけど。
「でもでも〜、ココナはあくあ君が好きだから、そういうところも全部受け入れるし許してあげるね」
「あっ、はい……アリガトウゴザイマス」
よくわからないけどなんか俺が悪いみたいになったような気がする。
なんだかちょっと理不尽な気がしたけど、俺はもうそんな細かい事は気にしないことにした。
黒上さんも相当厄介だったが、胡桃さんは別のベクトルで厄介な気がする。
「あっ、全部許すってのはそういうことも含めてだからね。私はあくあくんなら、何でも受け入れるし、何でも肯定するけど、あくあ君が私の事を知りたくなったらいつでも言ってね。ココナはあくあ君限定で無制限の無料トライアル付きだから遠慮しなくってもいいんだよ。だってあくあ君には、ココナでいーっぱいになって欲しいもん。ココナ、あくあ君のためなら頑張ってご奉仕するからね」
夕暮れ時、沈みかける太陽の光が逆光となった胡桃さんの瞳からハイライトが消えていく。
まずい、このままここにいたら食われる。そして一度食われたら最後、もう後戻りができない気がした俺は、慌てて胡桃さんの体を両手でぐいっと引き離した。
「……すみません、今日はもう疲れたので帰ります」
俺は流れるような動作で家庭科部あらため家庭科同好会を後にすると、保健室で休んでいた黛を引き取って帰路についた。
もう何度言ったか忘れたが、今日は何だかとっても疲れた気がする。
結局、その後も紆余曲折あった俺は、何故か三つ全ての部活動に参加することになってしまった。あれ? おかしいな? 何でもこの学校、男子生徒が複数の部活に所属することは禁止されていないらしい。
複数の部活が掛け持ちできる代わり放課後の部活動参加も自由なので、とりあえず籍だけでもということでそういう形になってしまった。
ちなみに黛は最初に見学した茶道部だけに所属する事に決めたらしい。まぁ、他の二つの部活動はろくに見学できてないから仕方ないよな……。
こうして俺の地獄の三連続部活動見学は終わったのである。