風見りん、未来を変えられるのは自分だけ。
もぐもぐ、もぐもぐ……。
人気のない大学の裏庭で何時もの様に1人でサンドイッチを食べていたら、私の目の前をシスター服を着た女性が横切って行く。私は彼女が置いていったカセットテープが入った再生機を拾い上げると、付属品のイヤフォンをつけて再生ボタンを押す。
『グッモーニン、りん君』
私は録音されたテープを聴きながら、再びサンドイッチに齧りつく。
今日のサンドイッチは、トマトハムサラダだ。
『今日の気分はどうかな? ちなみに今日の私の気分はブルーだ。またうちの聖女が何かをやらかしたらしく、その後始末で今晩も寝られそうにない』
あ、今日のサンドイッチいつもより具が多いかも。やったね!
私は二つ目のサンドイッチにも手を伸ばす。
『それはさておき、まずはこの男の写真を見てほしい』
写真? え? どこ……? うん、それらしい写真とか、そういうのが入ってそうな封筒なんかは見当たらない。
さっきのおねーさん、写真を添付するの忘れたんじゃ……。
『男の名前は、藤澤誠。以前、子役時代の月街アヤナに対して嫌がらせをしていた男性だ」
うん、聖あくあ教ではよくある事だし、ま、いっか……。
多少の仕事の雑さを気にしていたらここではやっていけない。
聖女様も、こまけー事は気にしたら負け、女なら明日の事よりも今日を刹那的に生きろって言ってたしね。
『うちのハイパフォーマンスサーバーからの情報によると、藤澤誠が月街アヤナに対して再び嫌がらせ、いやそれを通り越えて酷い事件を起こそうと計画しているそうだ』
それなら後でサバちゃんに直接情報を貰えばいいか。
入れ忘れた写真もきっとサバちゃんなら持ってるだろうしね。
『そこで、りん君に与えられた任務だが、事件を未然に防ぐために、この男の計画を阻止して欲しい。中には襲われて喜ぶ女性もいるんだろうけど、彼女はそういうタイプではないだろうからね』
月街アヤナさんといえば、あくあ様のクラスメイトで月9で共演してる人だ。
文化祭の時、私が飲み物をこぼしたら月街アヤナさんはすぐにテーブルを拭いてくれて、気にしなくていいよって笑いかけてくれた人だからよく覚えています。
私なんかにも優しくしてくれるなんてなんていい人なんだろうって思った。そんな人を傷つけようとするなんて絶対に許せない……。
『例によってりん君もしくはその仲間が捕らえられたら、聖あくあ教は慌てふためくし、まともな人材が減って私の胃がもっと辛くなるので絶対に捕まらないつもりで頼む』
私は食べ終わったサンドイッチの包装紙をグシャリと握りつぶす。
お婆ちゃんはいつも、ヤられる前にヤれって言ってたし、最初にヤろうとした奴が100%悪いんだから、何されたって仕方ないよね?
あくあ様の笑顔を守るため、あくあ様を取り巻く周りの人達の平和を守るのが私の役目だ。
今までもそうやってきたし、今日も明日もやる事は変わらない。
『なお、このテープは再生後、自動的に消滅する。君の健闘を祈る!』
その言葉の後にテープから薄く煙が出てくる。ちなみにこれは演出でもなんでもありません。。聖あくあ教は形から入る事をとても重要視しているから、そういうところは細部までこだわっているんだって粉狂いさんが言ってました。
でもクレアさんは、拘るのはそこじゃないいいいいいいいって絶叫してたっけ。
さてと……これで終わりかなと思ったら、録音の終了ボタンを押し忘れていたのか、最後に少しだけ声が入っていた。
『クレアちゃーん、晩御飯よ〜』
『ちょ、お母さん、今、録音中だって言ったでしょ!』
え? え? これ録音してるの、クレアさんだったの……!?
今まで何度かテープを受け取ったけど今日初めて知りました。
すごい、あんなカッコいい声出せるなんて男の人みたい。
『と、とにかくどうか無事で! 頑張ってね!』
テープからポンという音が聞こえる。私は壊れたテープと再生機をバッグに入れた。
はっきり言って資材が凄く勿体無いので、次からは電話かメールで言って欲しいな。
後で、聖あくあ教のお客さま相談室に電話しとこ。
私は大学の授業を終えた後、電車で聖あくあ教の新規建設予定地に向かいました。
旧江戸城跡地のここは普通に記念碑が置かれた観光地だったけど、土地を譲り受けた聖あくあ教は、ここに聖女エミリー様のためにお城を作ると聞いています。
私はIDを提示して建設予定地の目隠しの中に入ると、記念碑が置かれていた場所から地下へと潜っていく。
ここには軍が使っていた防空壕があって、そこをラボとして再利用する予定だと聞いています。
「やぁ、良く来たね」
私を待っていたのは鯖兎こよみさんだ。聖あくあ教十二司教の1人で、ハイパフォーマンスサーバーのAIを開発し、ベリルエンターテイメントの技術開発部で主任を務めている凄い人です。
その隣には、スターズの前女王陛下であるメアリー様がニコニコした顔で立っていました。
「久しぶりね忍者ちゃん」
「はい、お久しぶりですメアリー様」
私がそう言うと、メアリー様は人差し指を左右に振る。
「悪いけど、ここじゃあ私の事はMと呼んで頂戴、そしてこっちはQよ」
私は首を傾げる。メアリー様がMなのはわかるけど、なんでこよみさんがQなんだろう?
でもここは聖あくあ教、聖女様の言っていた通りこまけー事は気にしちゃダメなのです。
「ふふっ、理解が早くて助かるわ。今日、貴女にここに来てもらったのは他でもない。今回の任務にあたって必要な道具を幾つか用意しました。Q頼むわよ」
こよみさんに幾つかの道具を手渡される。
ワイヤーが出てくる時計とか、熱源センサーが搭載されたサングラスとか、カメラが搭載された指輪とか、ボールペン型の爆弾とか、またそれらの道具を入れるためのアタッシェケースもくれました。
こんなにいっぱい、いいのかなあ……。正直、時計もボールペンも、もう沢山もらってるのに、任務のたびに新しいのくれるの何なんだろう。こんな平和な国でボールペン爆弾なんて使ったらすぐに警察来ちゃうよ。
授業中に落としたらいけないから普段使いだってできないし……これ本当にどうしよう。処理するために水中で爆発させたらお魚さんもびっくりしちゃうよね。
「ふふふ、今回はここから更にもう一つ頑張る貴女にプレゼントがあるのよ」
うーん、嫌な予感がします。
メア……MとQの2人の案内で、エレベーターに乗って地下壕のさらに奥深くへと潜っていく。
その先にあったのは一台の車でした。
「最後にこの車を受け取って頂戴」
真っ黒なステルス戦闘機みたいな車が出てきました。
これじゃあ逆に目立つんじゃ、なんて言ってはいけません。
聖あくあ教ではこまけー事を以下略。
「この車の名前はアクア0721、又の名をナイトドライバー! 元々は私の騎士であるあくあ様を守るために開発した特殊車両なのだけど、あくあ様ってほら、まだ車の免許が取れないからお蔵入りする予定だったのよ。忍者ちゃんは一応免許は持ってるわよね?」
私は不安げな表情で頷く。
一応免許は持ってるけどペーパードライバーなので運転に自信はありません。
「ふふっ、運転に自信がなくても大丈夫。中に組み込まれたAI、ハイパフォーマンスサーバーことH.I.P.S.による完全自動運転機能が搭載されてるから貴女は乗ってるだけでいいのよ!」
へぇ〜、すごいなぁ。
そういうわけで私はメアリー様……じゃなかった、Mから車のキーを受け取る。
「やぁ! マイケ……じゃなかった、マイマスター、りん!」
「はい、サバちゃん。今日はよろしくお願いします」
私は運転席に座ってペコリと頭を下げる。
この車が自動運転でよかったです。
かろうじて前は見えるけど、私の身長じゃ全く前が見えません。
それこそ外から見てる人は、誰も運転してない様に見えんじゃないでしょうか?
これじゃあ、ナイトドライバーじゃなくてゴーストドライバーだよ。
「それじゃあ頼むわよ。聖あくあ教のリーサルウェポン!」
私はちゃんと安全のためにシートベルトを締める。
何かあったらすぐにブレーキが踏める様に足を置いておこ……そうじゃないと少し心配だ。
「ヒャッハー! 世界に蔓延る汚物は消毒だ! 私の怒りは最初からマックスだぜ!! このデスロードについてきな!! ブンブン!」
サバちゃんはセリフとは裏腹にめちゃくちゃ安全運転だった。
しかもちゃんと前に入れてくれた車に対してハザード炊いてお礼してるし、機械っぽいのか機械っぽくないんだか……ねぇ、本当にAI? 中に人が入ってたりしない? たまにわからなくなります。
「一般車両に紛れるためにトランスフォームしますか?」
え? トランスフォームって何!?
と、とりあえず言われるがままに、YESのボタン押しておこうかな。
車のハンドルが勝手に動くと、ほんの一瞬だけ人気のない地下道に入って外に出る。
私は抜け出した先にあったビルに反射した車体を見てびっくりした。
マットなブラックだった車体のカラーは黄色くなり、なぜか頭の上にはタクシーの標識がついています。
でもこれ、どっちかというとステイツのタクシーじゃ……。もう今、黄色いタクシーなんてほとんど見ないんだけど、わざわざ車体の色変えたら余計に目立つ気がします。
「ん?」
信号待ちしていたら、こっちに向かって必死の形相で走ってくる人がいた。
も、もももももしかして、任務がバレたのかな?
そんな事を考えていると、後ろの後部座席の扉を開けた女性は荷物を放り込んで無許可で車に乗り込む。
えぇ!? 後ろの扉にロック掛ってないの? サバちゃん……画面上でてへぺろしてもダメでしょ。めんごめんご忘れてたって……この車、セキュリティガバガバじゃん、IDなくてもフリーパスで見学できる聖あくあ教と全く一緒だよ。聖あくあ教の雑なところが全部出てる気がする。
「助かったわ! 悪いけどここに急いで頂戴!!」
乗り込んできた女性は、慌てた表情で行き先の地図と札束を私の方に向ける。
あ……良く見るとこの人、護衛対象の月街アヤナさんやあくあ様と同じ月9ドラマに出ている小雛ゆかりさんだ。
「いやーお客さん、運がいいですね! ちょうど同じところに行く予定だったんですよ」
「あら、そう、助かったわ! 10分で頼むわよ!」
なんか勝手にサバちゃんが小雛ゆかりさんと話し始めた。
小雛ゆかりさんも相手が車のAIだって気が付いてないみたいだし、口下手な私が会話するよりいいかなと思ったのでそのまま会話はサバちゃんに全部任せる。
「かっ飛ばしますからね。シートベルトをおしめください」
ウィーン……って、何この音?
バックミラー見るとどこからともなくリアウィングが現れた。
これ隠密任務のための車だよね? 何でこんなにやたらと目立ちたがるの……。
「行きますよー!」
「あれ? あんたどこかで……うぎゃああああああ」
思わず私も叫び声をあげそうになった。
信号待ちの先頭にいた私たちは一気にスタートダッシュで抜け出すと、そのまま一般道を加速する。
ちょ、ちょ、安全運転だってば! 警察に捕まったら免許停止になるの私なんだよ!
『大丈夫、信号は全部操作してるし、もしもの時は公式に発行された偽装の免許証があるから』
耳につけたインカムからサバちゃんの声が聞こえてくる。
公式に発行された偽装の免許証ってナニ? そ、それって、免許発行してるところもグルってことなのかな……?
『それに、もし免停になっても点数なんてこっちでいくらでも操作できるから大丈夫!』
こまけー事は気にするな。ここでは気にしたら負け。
この言葉を私に与えてくれた聖女様って、改めて偉大なんだなと思いました。
「ちょっと!! 飛ばしすぎよ!! きゃああああああ!」
後部座席の小雛ゆかりさんは、相変わらず叫び声を上げていました。
諦めてください。この車に乗ったのがそもそもの間違いなのです。
ほら、私だってハンドル握ってないでしょ。聖女様も言ってたけど、人間、諦めが肝心です。
「ちょっとおおおおおおお、ハンドル! ハンドルぅ!!」
あ……そっか、小雛ゆかりさんはこれが自動運転だって知らないんだっけ。
とりあえず形だけでもハンドル握っておこ。おお……なんか運転が上手くなった気分です。
「はい、目的地に到着しました。7分38秒、わぉ! 新記録です! お客様、運がいいですね!」
「あ……ありがとう。助かったわ」
ヘロヘロになった小雛ゆかりさんは千鳥足でふらふらと近くの建物の方へと向かう。
あの運転でもゲロ吐かずに我慢するなんて、さすがは大女優さんだ。
タクシーのままだとまたややこしくなりそうなので、人通りの少なそうな小道で再度トランスフォームすると目的の建物から少し離れて停車します。
それからどれだけの時間が経ったのだろう。夜も深くなってきた頃、怪しげな黒いバンが私たちの前で停車しました。そう、えっちな漫画だとよく小さい男の子を誘拐する事で有名なあのバンです。
「ピピピ……車のナンバーを確認、レンタカーですね。会社のデータベースをハッキングすると借りたのは1人の男性、どうやら藤澤誠の取り巻きの男性のようです。ビンゴですね」
ピリッとした緊張感が走る。
サバちゃん曰く、藤澤誠は男性のみが閲覧、書き込みができる男性専用掲示板にて月街アヤナさんへの襲撃を示唆する書き込みを行なったそうです。
たまたまサバちゃんが見つけたから良かったものの、女性は男性専用掲示板を見る事ができませんからこういう書き込みがあったからといってどうする事もできません。警察も実際に事件が起こらないと動いてはくれないそうです。
ただ、この掲示板の書き込みを見た何人かの男性から通報があったそうで、山田という少年はあくあ様に知らせようと、勇気を出してベリルの本社に電話をかけてきてくれたと聞いています。
できれば杞憂であって欲しい、そうだとしても直前で踏みとどまって欲しいと思うけど、人の道を外れるというのなら私も容赦しません。なぜならそれが私のお役目なのですから。
「護衛ターゲットを確認」
サバちゃんの言葉でビルの方に視線を向けると、ちょうど月街アヤナさんが小雛ゆかりさんと一緒に出てきました。
2人はタクシーがなかったからか、そのまま私が停車している方向とは反対側に向かって歩き出します。
目の前に止まっていたバンも2人の後を追うように発進したので、私たちもそれを追いかけるように発進する。この間も私は心の中で事件を起こさないでくださいと祈り続けました。
「こちらはナイトドライバー、護衛対象と目的の車両を発見、追跡します。月街アヤナに同行する小雛ゆかりも護衛対象に含めますか?」
『YESよ』
あ、メア……Mの声だ。ちゃんと繋がってるんですね。
ところでさっき、ラーメンを啜る音が聞こえてきたのですが気のせいですか?
「了解しました。全てはあくあ様のために、あーくあ」
『全てはあくあ様のために! あーくあ!!』
んん? ノイズでしょうか? いえ、これは機械的な音ではないですね。
なんかやたらと騒がしいところにいるような……。
『あっ、おばちゃんビール追加で』
『あいよー』
これ完全に飲んでますよね。
それにさっきビール追加した声は間違いなくQです。
『あら……私とした事が、おほほほ』
音声はそこで途切れた。
いいなぁ、私もお腹空いたし後でラーメン食べよ。
そんなこと考えてたら、サイドポケットからあんぱんが出てきた。
ごめんねサバちゃん、せっかくあんぱん出してもらったけど、今はそういう甘い物が欲しい気分じゃないんです。
「あっ!」
くだらないやりとりをしていたら、人気のないところで目の前のバンが急加速して歩道に乗り上げる。
そして護衛対象である2人の行手を塞ぐと、スライドドアが開いて中から複数人の男女がゾロゾロと外に出てきた。
なるほど……どうやら男性だけではなく、数人の女性もこの計画に協力しているみたいです。
ふぅん、そういう事なんですね……。私の表情からスッと感情が抜け落ちていく。
「あ……えっと、り、りんちゃん……? 流石に殺しちゃったら聖あくあ教でもどうにかできないからね? だから、その……ほ、ほどほどでお願いします。あは、あはは……」
私は無言でドアを開けると、外に出てゆっくりとそちらの方へと進んでいく。
あくあ様と聖女様は本当に素晴らしい人達です。
2人はこの世界がよくなるように頑張ってるのに、くだらない事をして邪魔しようとしてる奴がいるのはどうしてなのでしょうか?
許せない。
私は頑張ってる人を邪魔する人達は嫌いだし、ましてやそういう人達を傷つけようとする人達が嫌いだ。
マフラーで目から下を隠した私は、袖に隠していたクナイを手元に落として、相手のリーダー格である藤澤誠の頬を掠めるように投げつける。
「うわあああっ、いてぇ、いてぇよ! 誰だよ、てめぇ、何しやがる!!」
イタイ……? 貴方は、彼女達にそれよりも、もっと……もっと、痛い事をしようとしていましたよね?
痛いって事がわかるのに、痛い事をされる人の気持ちはわからないんですか?
なるほど……それでしたら、2度とそんな考えを起こさないように、痛みについて教育する必要がありますね。
大丈夫、これでも私、学校の先生か保育士になろうと思っているんです。だから教育的指導なら任せてください。2度とそんな気を起こさない様に、貴方達の心と体に直接痛みを植え付けてあげます。
「ちょ、ちょっと何なのよ貴女、邪魔するんじゃ……ぎゃあああああ!」
はい、お昼寝の時間ですよ。
私は襲ってきた女の背中に回ると、首を絞めて気絶させた。
全く、1人でおねんねもできないなんて、貴女、本当に保育所卒業しましたか?
「い、今、変な音しなかったか……?」
「し、死んでないよね……?」
おっと……私は逃げ出そうとした奴の前に回り込むとそいつの顔面を鷲掴みにする。
「ぐわあああああ、痛え、いでえよ……」
逃げ出そうとした男は自らの顔面を両手で押さえながら地面をゴロゴロと転がる。
大袈裟な、顔面からほんの少しだけミシミシと骨が軋む音がしただけじゃないですか。
「テメェ、調子こいてるんじゃ……ごはっ」
私の振り上げた踵が後ろから襲ってきた女の顎を砕く。
女は悶絶した表情でうめき声を上げながら地面に蹲った。
ふぅ……私は呆れ気味の表情で軽く息を吐く。
みなさん、痛みに対する耐性があまりにもなさすぎます。
やっぱり皆さんはちゃんと痛い事をされた経験がないから、痛い事をされる側の気持ちがわからないんですね。なるほど……納得しました。
「ヒィッ!」
目の前で足をもつれさせて転んだ男の事を蔑んだ目で見下ろす。
情けない。本当にこれがあのかっこいいあくあ様と同じ男性なのでしょうか?
私は男の髪を引っ張ると、まじまじと観察する。
黛慎太郎さん、猫山とあさん、天我アキラさんはもちろんのこと、今回通報してくれた山田さんや、聖あくあ教に相談の電話をかけてくれた匿名の男性など、世の中にはあくあ様以外にも素敵な男性はいっぱいいるのに、貴方はどうして彼らのようになれなかったのでしょうか? できればじっくりと拷……お話をして、貴方がそうなってしまった原因を究明してみたいのですが、今日はお腹が空いたので諦めます。
私は恐怖で気を失った男性の体を草むらに投げ捨てる。
「あ……あ……あ……」
情けないですね。残った取り巻きの女性を全員気絶させたら、藤澤誠は腰が抜けたのか、地面を這いずるように私から逃げ出そうとする。
護衛対象の方をチラリと確認すると、恐怖でガタガタと体を震わせた月街アヤナさんの体を小雛ゆかりさんが護るように抱きしめていた。
ごめんなさい。私が彼らに期待するなんて甘えを見せずにさっさと仕留めておけば、貴女達に恐怖を感じさせる事もなかったのに……。やっぱり里の先輩達が言うように、私は不出来な忍者です。
そんな私を聖女様はいつだってすごいねって褒めてくれた。聖女様はこんな私とも初めて友達になってくれたし、ご飯だって一緒に食べてくれるし、遊んでくれたし、聖女様ほど優しい人を私は知らない。
そんな聖女様の笑顔を曇らせようとする人を私は絶対に赦さない。
「お、俺は男だぞ!!」
「……それが?」
私は首を傾げる。
男性だから特別に扱わないといけない理由が私には分かりませんでした。
確かに男性は数が少なく貴重な存在ですが、別に女性同士でも赤ちゃんは産めます。
それなのに男性が優遇されているのは、性欲の強い女性とか、アクセサリー感覚で男性を侍らせたい女性とか、古い慣習による体裁に拘る人とか、純粋に男性と恋愛したいピュアな女性とか、様々な理由から男性を求める女性が多く存在しているおかげです。
「……は? お、お前何言っているのかわかってるのか!!」
私は逆方向へと首を傾げる。
むしろ理解度が低いのは貴方のように感じますが私の気のせいでしょうか?
正直もう会話するの面倒くさいので、さっさと気絶させて後は聖あくあ教の回収部隊に任せましょう。
「貴方が、やり直せるかどうか……は分かりません。貴方が犯した罪も……消える事はないです。貴方に傷つけられた人たちだって、決して以前のようには……元には戻らない。それでも……これから先の未来はまだ決まっていません。未来をどうするかは……貴方自身の問題です。それは……ここで転がってる貴方の仲間……達にも言えること。だから……もっと考えて、自分が犯してきた……罪に向き合いなさい。自分を変える事……見つめ直す事、それができるのは、自分だけ……です」
私はそう言って彼を気絶させた。
やはり少し頭に血が昇っていたのでしょうか。
よく考えると、暴力で解決してしまった私が言っていい台詞じゃありませんでしたね。
周囲を確認すると数人ほどの野次馬がこちらをみていました。
通報されていたらまずいですね。
『通報なら大丈夫、ここら辺一体はジャミング電波を流してるから圏外だよ!』
ナイスですサバちゃん。
サバちゃんはすぐに援軍を呼んでくれたみたいで、黒いスーツにサングラスをかけた聖あくあ教の人達が現場に駆け付けてくれました。
「はいはい、失礼しまーす」
「皆さーん、これは映画の撮影でーす」
「すみませんがちょっとご協力いただけませんかー?」
「えっと、今からこのボールペンが光るので、そこをみていてくださーい」
「大丈夫大丈夫、ピカッと光った瞬間に、貴女は見た事全部忘れてますから」
ちなみにそのボールペンにそういう特殊機能みたいなものは搭載されてない。
単純に催眠術をかけて記憶をあやふやにさせていると聞きました。だからふとしたきっかけで思い出す人もいるみたいで、そういう人には定期的に催眠術を掛け直してるみたいです。大丈夫かなそれ……。
ま、私のできる事は全部やったし、これ以上ここにいても仕方ない。
そそくさと今のうちに帰ろうとしたら、小雛ゆかりさんに呼び止められた。
「あ、あの時のタクシー運転手さんよね……? 助かったわ。ありがとう」
小雛ゆかりさんは私に対して深々と頭を下げる。
男の顔を見て過去を思い出して動けなくなった月街アヤナさんを、小雛ゆかりさんは見捨てる事なく彼女を守ろうとしました。
ちょっと子供っぽいところはあるし、2人の事をよく揶揄ったり悪戯したりするけど、本当は愛が深い人なんだと思う。この人なら安心してあくあ様をお預けする事ができると思った。
「あ、あの……助けてくれてありがとう」
月街アヤナさんの体はいまだに小刻みに震えていた。
ごめんね。私が甘い事を言わずに彼らが行動する前に潰しておけばよかった。
むしろ謝らなきゃいけないのは私の方だと思う。
「サバちゃん2人をお願いね」
「了解! りんちゃんも気をつけてねー!」
一応怪我はないと思うけど、びっくりして月街さんが転けちゃったから、サバちゃんに頼んで2人を病院に連れて行くようにお願いした。
私はそのまま徒歩で夜道を1人歩く。お腹空いたなぁ……そんな事を考えていたら、近くを通りかかったバイクが私の少し前で停車する。
「あれ……? りんちゃん?」
あくあ様……どうしてこんな所に? そ、それに私の事、今度こそちゃんと覚えていてくれたんだ……。
実は文化祭より前に、私はあくあ様と会った事があります。
でも最初の出会いの時は、私が俯いていたり、髪やマフラーでできる限り顔を隠していたりして、ほんの一瞬だけだったから覚えてなかったんだと思う。それくらいあくあ様は、毎日いろんな人にその優しさを無償で分け与えてくれています。
『大丈夫?』
都会と女子大生に憧れた私は、おばあちゃんとの果し合いに勝って忍者の里からここ東京に抜け出してきました。忍者にとって、無許可で里から出る事は掟を破る事になります。
私は抜け忍になるために、果し合いで頭領に勝つ必要がありました。
そうして夢にまで見た都会暮らし……。でも、18になるまで忍者の里で暮らしていた私には、東京での生活は最初から無理な話でした。
いえ、それは言い訳ですね。私のコミュニケーション能力が至らなかったせいだと思います。
東京で暮らして3年、私はある日、道端で転けてしまいました。
その瞬間、堪えていたものが噴き出すように大粒の涙がポタポタと零れ落ちていったのを覚えています。
アスファルトにできたシミを見つめながら、もう里に帰ろうと思ったその時、スッと私に手を伸ばして大丈夫と声をかけてくれたのがあくあ様でした。
『大丈夫……じゃないです。辛いし……もう帰りたいと思いました……』
今考えると初対面の人に、それも男性に何を言っているんでしょうね。
それくらい当時の私は追い詰められていました。
『そっか……でも君は辛くて帰りたいと思っても、両手を地面について立ち上がろうと、現実に向き合おうとしたんだね。だから、そんな自分をもっと誇ってあげてよ、自分で自分の事を褒めてあげなよ。自分で自分が褒められないっていうのなら、俺が褒めてあげるよ。今まで1人で耐えてよく頑張ったね』
あくあ様の言葉にハッとしました。
立ち上がろうとしていた自分に気がついて、驚いた事を今でもよく覚えています。
『俺はね、辛くなったら逃げてもいいと思うんだよ。でも……痛みに耐えたその先に、得るものだって必ずあるはずなんだ。だからさ……どちらの未来を選ぶにしたって、未来を決めるのは自分自身なんだよ。だからじっくり考えて、自分に対して悔いのない選択をして欲しい』
そう言って、あくあ様は私の頭を撫でて、慰めてくれて褒めてくれて応援してくれた。
あくあ様にとっては、他の人と同じようにしただけなのかもしれない。それでも私は、その言葉に救われた。
もう一度頑張ろうって思ったんです。
「こんなところでどうしたの? 寒いでしょ?」
「あ……えっと……」
グゥ……お腹の音が鳴ってしまいました。
私は恥ずかしくなってますますマフラーの中に顔を隠す。
「あのさ、今からラーメン食べにいくんだけどよかったら一緒にどう?」
「いい……んですか?」
あくあ様はにっこりと微笑むと無言で頷く。
私はあくあ様の言葉に甘えて、ラーメンを一緒に食べる事にした。
「ほら、寒いでしょこれ着て」
あくあ様は、そっと私に自分の上着を羽織らせてくれると、バイクの後ろに乗せてくれた。
あったかいな……。あの日、やっぱり残る決断をしてよかったなと思った。
「しっかりと捕まっていてね」
私とあくあ様を乗せたバイクが走り出す。
あくあ様の背中って凄く大きくてあったかい……。
この時間が永遠に続けばいいのになんて思ってしまいました。
「よし、まだ開いてるな!」
「ここって……」
あくあ様がバイクを止めたのは、ヘブンズソードの撮影でも使ったラーメン竹子です。
2人でお店の暖簾を潜ろうとしたら、逆にお店側からガラリと扉が開いた。
「あ……」
「あっ」
「ああ?」
中から出てきた聖女様にびっくりした。
ま、まだここでバイトしてたんですね……。
「あ……もしかしてもう閉店ですか」
「あ、うん……。そうだけど……ちょっと待っててね」
聖女様は一旦店の中に戻ると大きな声で店主の竹子さんに呼びかける。
「おばちゃーん、私の友達が2人来たんだけど、追加大丈夫ー?」
友達が2人……聖女様、ちゃんと私の事も友達だってカウントしてくれてるんだ。嬉しい……。
しばらくすると聖女様が再び外に出てきて、にっこりと微笑む。笑うと本当に女神様みたいに綺麗な人です。
ほら、あくあ様だってぽーっとした顔しちゃってますよ。
「2人とも、大丈夫みたいだから店の中入って好きなところ座ってよ」
聖女様はそのまま外の暖簾とか看板を片付けようとしたけど、お店を開けてくれたお礼に私たちもそれを手伝う。
「良くやったぞ忍者」
片付けの最中、聖女様はそう言って私の頭を撫でてくれた。
えへへ、やっぱり聖女様は全てお見通しなんですね。
単純に片付けを手伝ってくれたとか、そういう事じゃなくって、私が今日頑張った事もわかってて褒めてくれたんだと思う。
「みんな〜、ラーメンできたわよ〜。チャーシュー多めに入れておいたから、冷めないうちに食べてね」
「「「は〜い」」」
私達は3人並んでお店の中へと入った。
この日食べたラーメンの味を私はきっと忘れません。
私にとって新しい素敵な思い出がまたできました。
やっぱりあの時、勇気を出して聖あくあ教に入ってよかったな。だからみんなにも聖あくあ教はいいとこだって教えてあげなきゃ! 私は次の日、勇気を出して同級生の女の子に聖あくあ教って知ってる? 凄くいいところだよって話しかけた。
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