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桐花琴乃、美しい薔薇にこそ棘がある。

 ハロウィン・ナイトフェスティバルであくあさん達が披露した手話付きの四季折々。

 この曲を手話で歌うきっかけになったのは、ステージの上でも紹介した一枚の手紙でした。

 実はベリルには毎日のように手書きの手紙やメールなどが届いています。

 あくあさんはその全てに目を通したいというけれど、とてもじゃないですが1人で読める量なんかじゃありません。

 連日の様に届く多くの手紙やメールは、全て私達社員が中身を確認した上で、ピックアップした手紙だけをあくあさん達の手元へと届けるような仕組みができています。

 そうして届けられた手紙を読んだあくあさんは、たまたまその手紙を持って行った私にどうしようかと相談してくれました。


「すみません、桐花さん。せっかくの休日だったのに……」

「気にしなくても大丈夫ですよ。それに、こんなの仕事のうちには入りませんから」


 今、私の運転する愛車の助手席にはあくあさんが乗っています。

 ど、どどどどどうしよう!?

 あくあさんを車に乗せるのはこれが初めてではありませんが、2人きり、それも自分の愛車の助手席にあくあさんが乗っていると思ったら、とっても緊張してきました。

 しかも今日は休日、仕事ではなくプライベートなのです。

 そう考えるとこれは、デー……だ、だめよ! それ以上は考えちゃだめ!! 確かに、確かにですよ。のうりんで出てきたあの1ページ。ヒロインが男の子と農協へと向かう軽トラデートと状況が似ています。いえ……もうこれは完全に一致していると言っても過言ではありません。

 あぁ、だめよ琴乃、私とあくあさんは会社のタレントとマネージャー、節度を守ってちゃんと自制しないと! それにカノンさんだって、私の事を信頼してあくあさんを預けてくれてるのよ!!


『姐さん、いい雰囲気になったら帰り遅くなってもいいからね』


 ゴンっ!


「と、桐花さん!?」


 停車中、カノンさんの言葉を思い出した私はハンドルにおでこをぶつける。


「大丈夫ですか?」

「す、すみません。お見苦しいところをお見せしました」


 私は気を取り直すと、ゆっくりと車を再発進させる。

 よりにもよって、電話越しに話したカノンさんの言葉を思い出してしまいました。

 全く、カノンさんも年齢差を考えてくださいよ。

 あくあさんは16歳、私は30歳、下手したら……というか普通に犯罪じゃないですか!!

 そりゃ白龍先生の時は応援しましたけど、自分の事となるとそれはそれ、これはこれです。

 むしろ大人の私は、子供のあくあさんの事を、大人達から守ってあげないといけない立場なんですよ。

 全くもう、変な事言わないでくださいよね。変な事と言えば……。


『姐さん……わざと転んで抱きつきましょう!! その厚い胸部装甲でわからせるんです』

『森川様、それは妙案です。桐花様のモノであれば、旦那様なんて即堕ち2コマですよ』

『姐さんは押し倒したあくあ様が後ろにひっくり返らないか心配してるんですよね? それなら大丈夫。あくあ様の背中は私のこの無駄にでかい奴でお支え致します! 前から倒れて1つ、後ろで挟んで2つですよ!』

『流石です雪白様、微力ではありますが、私もこの無駄な肉の塊を提供致しましょう』

『捗るおま……天才かよ……! そ、それじゃあ、私はあくあ君のあくあ君が倒れないように支えちゃおうかな。ウヘヘ』

『……サイテー』

『森川様、流石にそれは犯罪です』

『ティ……お前、ちょっとは考えて発言した方がいいぞ』

『ちょっ! 捗るだけには言われたくないんだが!? あと嗜みと姐さんはお願いだからそんな冷えた顔で私を見ないで! 私を見捨てないで! うわあああああん、助けてペゴ衛門!!』


 よりにもよって、この前のお泊まり会での友人達とのアホなやり取りを思い出してしまいました。

 今思えば皆さんとも、カノンさんが中学生の時からの付き合いですものね。

 全く、何年経ってもくだらない事ばかり言って……ふふっ、そのおかげで少しだけ冷静になれた気がします。


「そろそろ目的地に到着します」


 助手席のあくあさんへと視線を向けると、読んでいた手紙を折り目通りに閉じてそっとポケットへと戻す。

 あぁ、どうしましょう。お手紙が汚れたり破損しないように、ゆっくりと丁寧に折り目に沿ってたたみ直すのも、優しくポケットの中へと戻すのも……好き、全部好き。

 たったそれだけの事でと思うかもしれませんが、そういう気遣いとか優しさが私くらいの年齢になるとキュンとくるんですよ。


「ありがとう。桐花さん」


 あくあさんは、いつものように優しい笑顔で私にお礼を述べる。

 今では流石にもう耐性がつきましたが、男性とこんな風に接する事ができるなんてほんの少し前まで思っても見ませんでした。


『みなさん、今度のハロウィン・ナイトフェスティバルでは、男性の来場者が予定されています』


 運営委員会との合同スタッフ会議の冒頭、天鳥社長の一言に会議場内はざわめきました。

 日々のニュース番組の報道でも言われていますが、ゆっくりとではありますが、徐々に、そして確実に今の私達の国が取り巻く環境は変わっていってます。

 思い返すとここ数年は、多くの女性が男性からの暴言や暴力によって傷ついたように、多くの男性も女性達による強姦事件など自制の効かない行動によって同じように傷つけられました。

 政治家でさえも匙を投げたっておかしくない状況、そんな状況を打破したのは他でもない、私の目の前にいる白銀あくあ、その人なのです。

 あくあさんの活躍はもちろんのこと、それに続くとあちゃん、黛さん、天我さんの活躍にも感化された男性の方から歩み寄りのリアクションが起こるなんて誰しもが想像していませんでした。


『警備の問題からは難しいと思いますが、私達ベリルエンターテイメントは、男性ファンを女性達と同じ特別招待席の区画内で一緒に鑑賞させたいと思っています』


 天鳥社長の力強い発言に誰しもがびっくりしました。

 その場にいた誰もが近くの人と困惑した顔を見合わせ、そして天鳥社長の方へと再び視線を戻したのです。

 天鳥社長は、そんなに身長が大きい方ではありません。ましてや私よりも6つも年下です。それなのに、堂々と椅子に座るその姿や意志の強い視線には風格すらも感じられました。


 ベリルエンターテイメントが成功したのは白銀あくあがいたからでしょ。


 少なからずそう思っていた人は居たと思います。

 でもそうではありませんでした。あくあさんの輝きの裏には常に彼女が、天鳥社長がいたのです。

 ベリルに入社した日、天鳥社長は私たちに向けてこう言いました。


『私は以前、藤財閥グループの広告代理店で勤務をしていました。当時、仕事のできなかった私は先輩や同僚、会社にも、たくさん迷惑をかけたと思います。だからみなさんも、いっぱい失敗して、いっぱい迷惑をかけてください。もちろんミスから学んで次に活かす事は重要です。でも、どんなに注意したってミスが無くなる事はありません。だったら、誰かがミスしても誰かがカバーしてくれる、私はベリルをそういう会社にしたいと考えています』


 力強い言葉、その後に天鳥社長は一瞬だけ微笑みました。


『そしてもう一つ、私は貴女達の事を同じ目的を志すチームの仲間だと思っています。だからこそ言わせてください。白銀あくあはとんでもない事を提案します。今までの誰しもしなかった事、やろうとしてなかった事、中には無謀な事だってあるでしょう。だからこそ皆さんには、その願いを、彼の、彼らの望む事を一緒になって叶えてほしいのです。いいですか? 私達の会社は歴史のある会社でもなければ、従来の業界の事務所とは全く違います。守りに入っては何も得られませんし、何も変わらないでしょう。攻めて、攻めて……きっと途中では批判されることもあると思います。でもそれが何になるのでしょう? その先に何があるかは後の歴史が証明してくれます。だから私達と一緒に歴史を作りましょう! 私達が世界を変えるきっかけのお手伝いをするのです!!』


 すごい人だと思いました。

 それと同時に誰しもが思ったのです。

 あぁ、この人だからあくあさんは、アイドル白銀あくあは誰よりも輝いて見えるのだと……。

 実際、天鳥社長の社長としての決断の速さには目を見張るものがあります。

 おまけに休日返上で仕事しているのか、休んでいるところも見たことがありません。


『社長、今回は私があくあさんについていきます。だから少しはゆっくり休んでください。私はハロウィン前に休日を頂きましたが、社長は……家にすら帰ってないでしょう』

『で、でも……』

『でももへったくれもありません!! 貴女は社長なんですよ。重要な決定を下すのは最終的に社長です。だからそんな貴女が体調を崩したらどうなるか、ちゃんと考えてますか? それこそあくあさんがやろうとしてる事が滞ってしまったら、それは社長の望む事ではないでしょう?』


 そういう意味では、天鳥社長とあくあさんは似たもの同士かもしれません。

 悪く言えば猪突猛進というか、こういう人達は周りがしっかりと休ませないとダメだと私は今回の件でそれに気がつきました。


『あはは……ごめんね、桐花さん。そしてありがとう。うん、じゃあ悪いけど私はその日休むから、桐花さん、あくあ君の事をお願いできるかな?』

『はい社長。任せてください』

『えへへ、やっぱ桐花さんは頼りになるなぁ。ねぇ、なんかあったら私の代わりに社長やります?』

『社長……そんなふざけた事言ってないで、ちゃんと休んでくださいね? 後で休んでるかどうか、チェックしますよ?』

『ぴえぇ……わ、わかりましたぁ!』


 あの時は、なるほど、この目つきの悪さも役立つ時があるのだと思いました。

 この目つきの悪さ、もしかしたらあくあさんにも通じるかしら? あくあさんも天鳥社長と同じで素直にお休みしてくれませんから。

 あ……でも、あくあさんは睨みつけた私を見て、可愛いですねとか信じられない事を言ってましたね。

 ……今気がついたけど、もしかしてあくあさんて目が悪いんじゃないでしょうか?

 これは後で、カノンさんとペゴニアさんにあくあさんを眼科に連れていった方がいいと連絡しておかないといけませんね。重大な病気が隠れてるかもしれまえんし。


「到着しました。私達は裏口から中に入りましょう」

「はい」


 私達は目的地に到着すると、現地の会場スタッフに誘導されて控室へと案内されました。

 あくあさんは衣装を整えると、軽く発声練習を兼ねて歌い始める。

 あぁ、なんと心地の良い歌声なのでしょう。

 包容力のある優しい歌声、その中には女性にはない色気がたっぷりと詰まっていて、聞いているだけで女性としてドキドキさせられるのです。とてもじゃないけど、16歳の男の子が発していい歌声ではありません。

 この歌声に魅了された大御所や人気歌手からも、デュエットしたい。邪な気持ちではなく、純粋に歌手として一緒に歌わせてほしい。と、ものすごい数の連絡が来ているのも頷けます。


「ふぅ……」


 軽く息を吐いたあくあさんは、ポケットから手紙を出すと開いてその内容をじっくりと見つめる。

 もう何度あの手紙を読み直しているのでしょう。この手紙を書いた人だって、そんなに何度も読み返してくれるなんてきっと想像すらしていません。

 本当にこの仕事をやれてよかった。貴方が本当に素敵な人だって知る事ができたから。

 天鳥社長と同じように私も貴方を裏から支えたい。

 私はカノンさんみたいに可愛くもないし、楓さんのように天真爛漫でも、えみりさんのように美しいわけでもありません。みんなは応援するって言ってくれたけど、私は自分が自分でヒロインじゃない事をよく知っている。


 だから……これでいいんです。


「あくあさん、そろそろ時間です」

「はい!」


 私達は控室を出て会場の裏口から舞台袖へと出る。

 あくあさんは1人、そのまま進むとステージの上に設置されたピアノの前に置かれた椅子に腰掛けた。

 今、この部屋の中では結婚式が行われてます。

 手紙にはこう書かれていました。


『背景、ベリルエンターテイメント様、白銀あくあ様、私には大事な友人がいます。その友人が結婚をする事になりました。幸いにも新郎の方があくあ様とカノン様の結婚式を見て、自分達も同じ事は無理だけど似た様な事をやりませんかと言ってくれたそうです。私達新婦の友人はみんな自分の事のように嬉しく思いました。だって男性と結婚できるだけでも奇跡なのに、そんな事を言ってくれるなんてすごいと思ったからです。そこで相談なのですが……貴社の白銀あくあ様に、その結婚式で歌ってはもらえないでしょうか? お金は私達友人達でなんとか工面したいと思います。友達のために何かしてあげたいんです! よろしければご検討ください。お願いします!』


 読んでいて、とても温かな気持ちになりました。

 あくあさんはこの手紙を読んで、すぐに行ってみたいと言ったのです。

 いや、むしろ自分がいかなきゃいけないと、これは仕事じゃなくてプライベートで行かせてくださいと天鳥社長にお願いしました。普通に依頼したらものすごい金額になるだろうし、多分、一般の人が払える金額じゃないと思います。でもね……この人達は、この会社は、そんな事は二の次なのですよ。

 だってこの会社は、白銀あくあのやる、やりたいと言った事を叶える会社なのですから。


「プログラムの途中ですが、ここで新郎新婦のお2人に、友人の皆様からプレゼントが届いています」


 会場の中からざわざわした声が聞こえる。

 そりゃそうでしょうね。だって、このサプライズを知っているのは会場で働いてるスタッフの人達だけです。

 つまりお手紙を送って来た人達ですら知らされていないのですから。

 あくあさんは椅子の高さを調整すると、軽く腕を動かした後に鍵盤の上にそっと指先を置いた。


「それでは皆さん会場に設置されたステージの方にご注目ください!!」


 あくあさんの奏でる美しいイントロのメロディーが流れる。

 この曲はとあちゃんが結婚式の時にあくあさんに向けて歌った曲だ。

 それと同時に、ステージと会場を隔ていた幕がゆっくりと上に上がっていく。


「きゃあっ!」

「えっ、えっ、嘘でしょ?」

「わぁっ!」

「ちょ、ちょっと待って!」

「本物、本物だよね?」

「あ……これ夢か……」


 うん、そりゃみんなそうなりますよね。

 でも皆さんマナーがいいのか、びっくりして動けないのか、みんな声を殺して大人しくステージの方をジッと見つめている。

 今のところは大丈夫ですね。まぁ、何かあっても私が絶対に止めますが……。


「どんなに辛い夜を過ごしても、必ず朝はやってくる」


 この曲を初めて聴いた時、高校時代に母を亡くした日の事を思い出しました。

 どんなに辛い事があっても必ず明日はやってくる。

 それは事実です。でも、私には明日の方向が見えませんでした。

 時と共に大人になった私は、自分に折り合いをつけられるようになったけど、それでも心の中にはどこかポッカリと穴が空いていたのです。

 そんな傷ついた時間を、カノンさん、楓さん、えみりさんとの時間が癒してくれました。


「少し億劫になる月曜日の朝、君と離れたくないと思った」


 最初は検証班として、何度か顔を合わせていましたが、そのうち休日にも普通に会うようになりました。

 お互いに歳は離れていましたが、その時間は私にとってはかけがえのないのものになったのです。

 今思えば、あの3人の遠慮が全くなかったからかもしれませんね。

 中学生のカノンさんはだいぶマセてて、少し生意気というか、背伸びしていて可愛いなと思いました。

 楓さんやえみりさんに関しては、あの頃からずっとあんな感じで誰に対してもそうであったと思います。

 だからこそみんなで過ごす時間は楽しくて、休日明けの月曜は億劫でしたね。


「火曜日の昼、離れていてもずっと君の事ばかりを考えている」


 そうですそうです。火曜になると、次はいつ会えるのかなって考えたりして、それもすごく楽しみでしたね。


「水曜日の夜は2人で水族館に行きたいな」


 ふふっ、思い出します。4人で行った水族館。

 誰もデートした事ないっていうから、もしもの時のためにって4人でデートに行ったんですよ。

 ほんと、今考えると何やってるんでしょうね。

 でもすごく楽しかったです。

 ショーに参加した楓ちゃんはツルッとこけてプールの中に落ちるし、えみりさんは迷子になりかけるし、あ、アレ? 今思い出すとこの2人に迷惑かけられた記憶しかないような……うん、きっと気のせいですね。

 良い思い出だったという事にしておきます。


「木曜日のお昼は、ちょっと2人で外に抜け出さない?」


 そういえばたまたま東京に出ていた時に、偶然にもお昼に同じ飲食店で人が集まった事がありましたね。

 そこは男性が働いていると噂されていた飲食店でしたが、実際はガセの情報でした。

 お互いに騙されたと知った時は、悲しいというよりも楽しくて笑いあった記憶があります。


「金曜日の夜は君と美味しいディナーを2人きりで食べよう」


 これまた誰かが食事デートやってみたいなんて言い出したから、さぁ大変。

 誰もデート服なんて持ってないし、テーブルマナーだって当然の如くあやふやです。

 あの時は本当にカノンさんに助けられました。当時のカノンさんは、まだ中学生でしたけどね……。

 あー、あと、えみりさんの食事マナーがとても美しかった事にも驚かされました。


「土曜日、今日は1日君と家で一緒に過ごしたいな」


 この前、偶然にもあくあさんとカノンさんの新居でお泊まり会をする事になりましたが、それ以前にもお泊まり会をした事があります。

 誰もいない家、そこで久しぶりに誰かと一緒になって過ごせた夜はとても楽しくて、家にいるのが楽になりました。


「日曜日の朝、目が覚めた時にベッドの中で君が僕の目の前にいた。ねぇ、こんなに幸せなことってあると思う?」


 翌日、目が覚めてもみんなが家にいて、トイレの中で朝1人泣いた事は内緒です。

 ふふ、良い歳して何やってるんでしょうね。

 だって、母が死んでからあの家に居たのはずっと私1人だったのですから。

 あぁ、だめ……。あの時の事を思い出したら泣きそうになる。

 これだから反則なんですよ。あくあさんのお歌は、一瞬で私の、いえ……私達の感情を自分達の大切にしまっていた記憶の宝箱の前へと持っていくのです。


「愛してる。ただそれだけのことが何気ない日々を幸せにしてくれるんだ」


 新郎新婦の方を見ると、2人とも手を取り合って喜んでいました。

 良いですね。幸せそうで見ているこちらも温かい気持ちになります。

 友人達はそんな新婦を見て泣きそうになってました。わかりますよ。

 私もカノンさんの結婚式の時、自分の家族が結婚したみたいに嬉しくて泣きましたから。

 全てを歌い切った時、大きな拍手が会場の中を包み込みました。

 あくあさんはマイクを手に取って立ち上がると、会場に来ている新郎新婦の2人にお祝いの言葉を述べる。


「ご結婚おめでとうございます! 実は俺も少し前に結婚したのですが、結婚はいいですね。とても幸せな気持ちになれます。もちろん長く一緒にいれば色々とあるんじゃないかって思うけど、そうだったとしても、この人とならそれもまた楽しいんじゃないかなって思うんですよね。まぁ、俺もまだ新婚なんでお二人に伝えられる事なんて何もないんですが……お互いにパートナーに感謝して、リスペクトもして、この幸せを噛み締めましょうとだけ伝えさせてください」


 続けてあくあさんは今回ここに来た理由と経緯を説明すると、スタッフの人たちにも感謝の言葉を伝えた。

 そして……そこで終わりではなかったのです。


「今日、ここに来た理由はもう一つあります」


 あくあさんの言葉に会場がざわめく。


「この手紙を送ってくれた人、その人達のためにも歌わせてもらえませんか?」


 びっくりしたお客さん達から声ににならない声があがる。

 新郎新婦の2人は大きく頷いた。


「実はこの曲、まだどこにも公開してないんです。一応許可は取ってるけど、俺とみんなの中で内緒ですよ?」


 まだ未発表の曲とあって、式場内は今日1番の盛り上がりを見せる。


「Carpe diem、歌います」


 あくあさんの後ろには、式場のスタッフの人達が手配してくれた人たちが楽器を持ってスタンバイしてくれていました。彼女達には先に楽譜を渡しているので、今日までに完璧に仕上げてきていると連絡をもらっています。

 物悲しい雰囲気のアコースティックギターのイントロ、それにあくあさんの声が重なる。


「私はこの感情と、今度こそ向き合わないといけないから」


 歌い出しから胸が締め付けられる。


「だから一歩を踏み出す。この苦しみを乗り越えて先に行く」


 えみりさんがPVに出演したこの曲を聴いた時、私は少し動揺してしまいました。


「過ぎ行く日々に、咲き誇る花々を重ねていって」


 この歌はまるで過去の私を思い出させて、今の私を映し出し、これから先の自分を予見させるようでした。


「過ぎ去りし季節を愛でるように、一輪の花を慈しんでいって」


 綺麗なウェディングドレスを身に纏ったカノンさんの姿を見た時、純粋に美しいと思いました。


「手折れた花を見て、あの頃に思いを馳せる」


 でもそれと同時に、私の心にほんの少しだけ影が差したのです。

 それはカノンさんに向けられたものではなく、私の、自分自身への棘でした。


「私の中に確かにあった恋心」


 私の中のこの気持ちは感情は一体なんなのでしょうか?

 羨ましいとも妬ましいとも違う感情、この感情に名前があるのなら知りたいと思った。


「無知で無垢な私の心が、誘惑という名の魔法に甘く囁かれる」


 恋なんてした事がないからわかりません。


「華やかな舞踏会、着飾ったドレスでは表面を取り繕っただけ」


 あくあさんはアイドルで、私は事務所の社員だ。

 彼はまだ16歳で、私はもう30にもなるおばさんよ!

 なぜか私はその言葉を心の中でも何度も繰り返した。


「貴方の目の前でわざとらしく、ガラスの靴を落とせたらよかったのに」


 ダメ……変な事を考えそうになった自分を押し殺す。

 プライベートと言っても、目の前の事に集中しなきゃ。


「でも私は遠くから見つめていただけ」


 本当にそれでいいの?

 なぜか幼い時にお母さんに言われた言葉が私の中へと響いた。

 子供の時、欲しいものがあったけど、我慢して違うものが欲しいと言った事を思い出す。

 あの時はお母さんが苦労してたのを見てたから、私は遠慮して本当に欲しいものが言えませんでした。

 今考えると、ブラックな会社でも稼ぎがいいからと働いていたのは、この事がきっかけだったのだと思います。


「心の奥に仕舞い込んだ目覚めたばかりの感情は私を苦しめるだけ」


 ダメ、これ以上は……!

 この気持ちに気がついたら戻れなくなる!!


「伝えたかったこの気持ち……恋してる……切ない……愛してる」


 あぁ……初めてあくあさんに会った日の事がフラッシュバックする。

 仕事で疲れて誰もいない家に帰る日々、仕事がますます忙しくなってカノンさん、えみりさん、楓さんとリアルで会う機会も減っていきました。

 心がすり減って苦しんでいる事に、自分ですら気がつかないほど疲れ切った日々。

 その事に気がついてくれたのは、初対面のあくあさんでした。

 本当にごく自然と、無自覚にそっと私の頭を優しく撫でてくれたのです。

 私の頭を撫でたあくあさんは、私に向かってこう言いました。


『大丈夫? 疲れてるなら、ゆっくりしてって良いからね』


 びっくりしました。こんな私の事を心配してくれる人がいるなんて……。

 あくあさんはすみませんと後で謝罪してくれたけど、男性に……ううん、誰かに頭を撫でられるなんて十数年ぶりでした。そして、母を亡くして誰にも頼れない状況がずっと続いて苦しんでいた私に、あくあさんは私が1番欲しかった言葉を投げかけてくれたのです。

 私はその後、しばらくカフェの中に留まりました。

 年下の男の子に甘やかされた事に、自分でもどうしても良いのかわからなかったのだと思います。

 何よりも自分がこんなにも誰かに甘えたいと思っていたなんて知りませんでした。


「後悔しかない日々に、枯れゆく花々を重ねていって」


 何を言ってるんだろう。

 相手は年下の男の子なのに……。


「重ねる季節を悲しむ様に、最後の花を哀れんでいって」


 PVの過ぎ去っていくあくあさんの背中が目の前のあくあさんに重なる。


「新しい蕾を見つけて、棘の刺さった心が痛む」


 きっとあくあさんは、これからも多くの恋をして、多くの人を幸せにするのだろう。


「私の中に確かにあった恋心」


 でもきっと、その中に私はいない。


「積み重ねたこの感情に、毒を孕むのであれば」


 本当にそれでいいの?


「時を戻して、煤けたドレスのままで居たい」


 後になって後悔したりなんてしない?


「鐘の音が鳴るより前に、カボチャの馬車で帰れたらいいのに」


 知れば知るほど好きになっていく。


「遠くから見つめているだけでよかった」


 遠くで見ているだけじゃ何も手に入らない。

 幼い時の私、欲しいものを目の前で買ってもらっていた同世代の子供を見て、それを知っているはずだ。


「誰にも言えなかった淡い想いは私を苦しめるだけ」


 これはもう恋というよりも欲に近い穢れた感情なのかも知れない。

 私だって聖人君子じゃない。一枚皮を捲ればそこにあるのは雌としての本能なのだ。


「知らされる事のなかったこの気持ち……苦しい……大好き……耐えられない」


 新婚のカノンさんを見て、とても幸せそうに見えた。


「幼い時に聞かされた童話」


 私も愛されたい。少しでも良いから……。

 例え全てを諦めてでも、彼に、あくあさんに届く可能性があるのなら手を伸ばすんだ!


「シンデレラになれなかった私は主人公になる」


 私はカノンさんにはなれません。

 だってこれは私が主人公のお話だもの。

 だから私は私にしかなれない主人公になる。そしてあくあさんと添い遂げるんだ。


「ごめんね。臆病だった私は一歩を踏み出せなかった」


 今までそうやってずっと何かを諦めてきた。

 だけどそれはさっきまでの私、今の私は、この曲のヒロインのように諦めたりなんてしない。


「だから感情が揺れ動いたその時は、今度こそ向き合おうこの気持ちに」


 昔の幼い自分と、今までの自分、母を亡くした自分、疲れ切っていたあの時の自分。

 全ての自分と向き合う。大丈夫、みんなの感情は今の私が持っていく!!


「誰かを愛した日々は、今も私の心の中。さぁ一歩を踏み出そう。今度こそ後悔しないために」


 あくあさんが最後まで歌い切ると、招待客の人達から大歓声と拍手が巻き起こる。

 これは、この曲は、あくあさんからみんなに向けてのエールだ。

 男性と結婚できるだけでも奇跡、手紙にもそう書かれていたように、ここに来ている招待客のお客さん達の多くは結婚を諦めています。招待客の皆さんを見ると、年齢は私より少し下くらいでしょうか。多くの女性達が結婚を諦める年齢です。

 だからこそ友人の皆さんは、自分達が成就する事ができなかったその想いを友人の結婚へと託したんでしょう。

 あくあさんはその気持ちを汲み取って、新郎新婦の2人に歌を届けました。

 でもその一方で、あくあさんは2つ目の曲で彼女達にこうも言ったのです。


 自分の幸せを誰かに委ねるんじゃない!

 君たちの物語の主人公は他の誰でもない君だと……!


 奇しくも、その言葉が誰よりも刺さったのは私でした。


「お疲れ様でした!」

「今日は本当にありがとうございます!」


 全てが終わり、私は行きと同じようにあくあさんを車に乗せて式場を後にしました。


『私、あくあさんのお嫁さんになります』


 私は車に乗る前に、カノンさんにそうメールを送りました。


『だと思った。だって私と姐さん、好きな男の子のタイプ全く一緒だもんね』


 ふふっ、やっぱりカノンさんは今も変わらずに少し生意気です。

 だって、私以上に私の事を知ってるんですから。


「あくあさん」

「桐花さん? どうかしましたか?」


 あくあさんの自宅があるマンションの地下エントランス。

 そこに送り届けた私は、あくあさんの去り際に意を決して声をかけました。


「私、あくあさんの事が好きです」

「え……?」


 サラリと言ったその言葉に、あくあさんは鳩が豆鉄砲ならぬ、楓さんがホゲったような顔をしていました。


「だから覚悟しておいてくださいね。こう見えて私、欲しいものは絶対に手に入れるタイプなんです」


 あの時、お母さんに買ってもらえなかった本当に欲しかったもの。

 私は大人になって自分の稼いだお金で買いました。

 そうでした、自分は本来そういう性格だったのだと思い出します。

 欲しい物は絶対に手に入れる。私は絶対に諦めたりなんてしません。


 だから、あくあさんが世界に宣戦布告した様に、私はあくあさんに宣戦布告しました。

fantia、fanboxにてカットしたミスコンの話を投稿してます。

真決勝戦も今月中に投稿できたらいいなぁ。


上のサイトはたまにキャラ絵あり、下のサイトはキャラ絵なしです。


https://fantia.jp/yuuritohoney

https://www.fanbox.cc/@yuuritohoney


Twitterアカウントです。作品に関すること呟いたり投票したりしてます。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 姐さん行ったぁぁぁ!
[一言] 姉御はてっきりとあ君のほうに行くのかと思ってたけどやっぱり特定班はあくまであくあとなのね(*'▽') 天我パイセンはヒロイン決まってるけど他2人はどうなんだろ( ゜Д゜) 今のところは黛はか…
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