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白銀あくあ、ハジメテの撮影。

「あれ? もしかして、阿古さん?」


 阿古さんは、俺が喫茶店でバイトしていた時の常連客だった人で、確か何処かの財閥系の大企業に勤めていたと聴いている。そんな彼女がどこか困った様子で周囲をキョロキョロ見ている。何かあったのかもしれない。


「えっ……嘘。白銀君!?」


 俺が声をかけると、阿古さんはびっくりした表情を見せた。


「どうかされましたか?」

「えっと、実はね」


 阿古さん曰く、自社が契約している会社の商品と雑誌とのタイアップのお仕事でここに訪れたそうだ。

 なんでも最近はお仕事の調子がいいらしく、上司から初めて大きなプロジェクトを任されたらしい。

 それを成功させるために、阿古さんは予算をかけて希少な男性モデルを手配したが、手配したモデルの男性が撮影場所に現れなかった。電話に出ないことから、阿古さんが男性の所属する事務所に連絡を取ると、直前になって嫌だと言って男性のモデルが仕事をばっくれたらしい。

 この時点で俺の頭の中は怒りでいっぱいになった。俺だって研修生とはいえアイドルの端くれだったのだ。だから一度は了承して受けたお仕事を自分勝手な都合でドタキャンするなんて、そのプロとしての意識の低さが近しい同業者の一人としてとても許せなかった。

 阿古さんはそんな状況にも関わらず各方面に電話をかけて、代役の男性モデルを見つけようと努力したみたいだ。

 しかし希少な男性モデルがそう簡単に見つかるわけもなく、どうしようかと思って外に出ていたところ、偶然にも俺と遭遇したらしい。


「それでその……不躾で申し訳ないんだけど、白銀君、必ずお礼はするし、私で出来ることなら何でもするから、ほんの少しでいいの、一枚だけでいいから撮影に協力してくれないかな?」


 俺の顔を見上げる。阿古さんの顔は申し訳なさでいっぱいである。

 阿古さんの悔しさが俺には痛いほどに伝わってきた。


「とあちゃん」


 隣にいたとあちゃんに俺は視線を投げかける。

 俺自身としては阿古さんを助けてあげたいが、今はとあちゃんとの約束の最中だ。

 だから阿古さんを助けるためにも、先に約束したとあちゃんに許しをもらわないといけない。それが礼儀であるというものだと俺は思う。


「あくあくん、僕は大丈夫だから困ってる人を助けてあげて。それにあくあくんのそういう優しいところが、僕は好きだから……」

「ありがとう、とあちゃん!」


 なんて優しい子なんだろう。俺は感極まってとあちゃん事をぎゅっと抱きしめた。

 しかしすぐに冷静になった俺は、即座にとあちゃんの体から離れる。


「あっ……ごめん」


 何やってるんだよ俺、いくら仲が良くなったとはいえ女の子にいきなり抱きつくのはマナー違反だ。

 冷静になった俺は、いきなり抱きついてしまった事をとあちゃんに謝罪する。


「う、ううん、あくあくんなら僕、全然大丈夫だから」


 とあもびっくりしたのか、少し驚いた表情をしていた。

 本当に申し訳ない……ごめんなさい。

 ともあれ、とあちゃんから正式に許可を得た俺は、改まって阿古さんの方へと視線を向ける。


「あの、阿古さん。俺に協力できることなら何でも……でも、本当に俺でいいんですか?」


 はっきり言って、これはプロの仕事だ。

 今の俺はアイドルを目指しているとはいえまだ高校生で、ただの一人の素人でしかない。

 前世でだってアイドルとしてのデビューが決まっていたものの、デビュー当日に死んでしまったから実際にアイドルとして活動した実績もないのだ。

 手伝いたいと思ってはいるけど、一緒に仕事をしてくれるプロの人たちに迷惑をかけたくはないとも思っている。


「もちろん聞いてみるけど、問題ないと思うわ。ありがとう、白銀君」


 阿古さんは、撮影場所で待機していた撮影チームの所に俺を連れて行くと一発でオッケーをもらった。

 その後はとんとん拍子で事が進む。

 用意された衣装に着替えて軽く髪を整えて薄くメイクを施してもらうと、予め人が入らないようにしていた撮影区画でパシャパシャと写真を撮影していく。


「いいわぁ……白銀君、貴方すごくいい……」


 目の前で何度もシャッターを切るおねぇ言葉のカメラマンさんは、カメラの動きに合わせて体をクネクネと動かす。このカメラマンさんの名前はノブさん、何とまさかの男性だ。それもちゃんとしたお仕事をしている男性である。

 ノブさんは何でも有名なカメラマンだそうで、主に男性の被写体を中心に写真を撮っているそうだ。

 ちなみに男性のモデルの中には、男以外には撮られたくないなどという人も珍しくはないらしい。

 今回、阿古さんが手配したモデルもノブさんが撮影する事が条件でオファーを受けたそうだ。そこまで言っておいてドタキャンするのかよと、怒りを通り越えて呆れてくる。


「そうそう、その調子よ、ン“ッ! イ“イ“ッ!!」


 撮影が進む度に、俺の方も研修生だった頃を思い出してテンションが上がってくる。

 アイドルにとって見られる事を意識するのは当然の事だ。

 どの角度で、どうやって見られるのが自分の魅力を引き出せるのか。

 ノブさんのリクエストに応えながらも自分の限界を引き出していく。


「はぁ……はぁ……貴方、結構激しいのね。こんなの、私も初めてよ……」


 周りの女性スタッフは固唾を飲んでこちらを見守っている。

 その中でも阿古さんは、瞬きもせずにこちらをジッと見つめていた。

 なんて仕事熱心な人たちなんだろう。こういう人たちと一緒に仕事ができたことを誇りに思った。

 ふと、見学に来ていたとあちゃんと視線があう。


「あら……」


 しまった。考え事をしてしまったせいで集中力が切れて表情を乱してしまった。

 プロとしてはあるまじき失態である。俺は心の中で深く反省した。


「ねぇ、そこの貴方、よかったら一緒に写真撮ってみない?」


 ノブさんは、とあちゃんに熱い視線を向ける。

 まさかの展開に俺は一瞬戸惑ってしまう。


「え……ぼ、僕、ですか?」


 急に話を振られてあたふたとするとあちゃん。

 まさか自分が声をかけられるなんて、思ってもいなかった事だろう。


「そう、だって、貴方、デート中だったんでしょう? これはほんの少しの私からのお詫びみたいなもんよ。折角だから、二人でいるところを記念に撮ってみなぁい? もちろんプロの腕にかけて、ちゃんと可愛く撮るから安心して良いわぁ」

「あぅ……僕……その……」


 とあちゃんが嫌なら止めたいと思ってたけど、この感じだと一歩が踏み出せずに戸惑っている感じだろうか。

 最初はすぐに間に入って止めようと思ったが、俺はとあちゃんの意思を確認するようにじっと見つめる。

 すると俺の視線に気がついたのか、とあちゃんが俺の顔を見た。

 大丈夫、俺がいる、一人じゃないよと視線で合図を送る。


「ぇっと……それじゃあ、1枚だけ」


 トコトコと小走りで近づいてきたとあちゃんは、借りてきた猫のように緊張した面持ちで俺の隣にちょこんと立った。

 俺はとあちゃんの緊張をほぐそうと、手に持っていたビスケットを二つに割る。

 このビスケットは、今日のお仕事のタイアップ相手である森長さんのメリービスケットだ。

 ロングセラーの売れ筋商品だが、夏にはどうしてもビスケットの売り上げが落ちるみたい。

 そこで夏前にパッケージを今風に一新して、若い層にも売り出そうとしているのが今回のプロジェクトの大まかな内容だ。また、夏には夏向けの商品も出るらしく、これはその第一弾の重要なプロモーションにあたる。

 そんな大事なお仕事に、俺のような素人が出ていいのかとも思ったが、やると言った以上は頑張るしかないと改めて気合を入れ直した。


「とあちゃん」


 俺の声に反応したとあちゃんは、緊張した面持ちで此方に振り向く。

 まるでロボットみたいなカクンカクンとした動きに自然と笑みが溢れる。


「はい、これ」


 俺は半分に割ったビスケットをとあちゃんのお口の中に突っ込んだ。


「んっ……」


 突然の事に少し驚いたのだろう。

 少し緊張が解けて自然な表情が溢れる。

 俺は残った半分のビスケットを口に咥えた。

 ほんのりとした優しい甘みが口の中にじんわりと広がっていく。

 ホッとした甘さは、緊張を解すのにはもってこいだ。

 とあちゃんも緊張がほぐれたのか自然体の笑みを見せる。

 気がつけば俺も撮影を忘れて自然の笑みが溢れた。


「アッー! 最高よ、二人とも!」


 気がつくとノブさんは何度もシャッターを切っていた。


「良いわ……最高に良いのが何枚も撮れたわよ」


 ノブさんは、撮った写真のデータを確認するためにノートパソコンへと視線を落とす。

 周りのスタッフたちや阿古さんも、ノブさんを囲むようにしてパソコンの画面に真剣な視線を向ける。


「あっ……これが1番良いかも」


 最初に声を出したのは阿古さんだった。


「私もそう思います。何というか隣にいる方が置き換えて想像しやすいし」

「このかじり掛けのクッキーは、女性の購買意欲をそそる気がします」

「良いですね、もう堪らなく良いです。この画像はとても捗るので助かると思いますよ」


 みんな前のめりに真剣に自分の意見を出し合ってる。

 これがプロの現場か。すごい緊張感と寒気のする様なただならぬ気配が渦巻いているように見えた。


「ふむ……私もこれが良いわね。二人とも、こっちにおいで」


 俺たちはノブさんに手招きされて、パソコンの方へと近づく。

 女性スタッフの人たちがスッと後ろに捌けてくれたので、俺たちはノブさんの後ろからパソコンの画面を覗き込んで写真を確認する。


「どうかしら?」


 そこに写っていたのは、先ほどの俺たちの姿だった。

 手に半分こしたクッキーを持って、お互いに見つめ合う俺ととあちゃん。

 その表情と仕草はとても自然で、どこか微笑ましさのようなものと甘酸っぱい雰囲気に溢れていた。


「他の写真がこっちなんだけど」


 俺は画面に流れる他の写真を真剣な眼差しで見つめる。

 確かにどれも良く撮れているけど、さっきの写真と比べたらどこか作っているような感じがあった。

 うまくやろう、良く見せようとしたために、かっこよくは撮れているかもしれないが自然な雰囲気が完全に損なわれている。

 それは、このビスケットのふんわりと優しくてほんのりと甘い雰囲気を表すには、どこか不適切な気がした。


「確かに……こっちの写真のほうがいいですよね」


 自分の至らなさを痛感する。

 カメラマンのノブさんの技術は素人目にも間違いなく一流のものだった。

 だけど被写体である自分が、商品のコンセプトやマーケットの事までちゃんと考えて撮影に臨んでいたかといえば、そうではなかったのである。だからノブさんは、自然な雰囲気を出そうと敢えてとあちゃんを撮影に誘ったのだろう。俺は自分の実力不足が恥ずかしくなって画面の前で深く反省した。


「白銀君……よかったらだけど、この写真を使わせてもらえないかな?」


 阿古さんの言葉に、俺は首を左右に振る。

 俺一人だけなら良いけど、この写真にはとあちゃんが写っているからだ。

 ここで俺がとあちゃんの顔を見て、俺は良いですけどとあちゃんが、みたいな言い方をしたら、優しいとあちゃんは、良いよって言ってくれるかもしれない。

 でも、それじゃあダメだと思った。俺のわがままかもしれないが、俺はとあちゃんが少しでも嫌がる事はしたくない。だからとあちゃんを、自分のために利用するような事はしたくなかった。とはいえこれもまた俺の我儘であることには変わらない。だから自分一人でも、ノブさんや阿古さんが納得してくれるような、このクオリティの写真を撮らなければと腑抜けた自分に気合を入れ直す。


「あくあくん、僕は別にいいよ」


 そんな事を考えていると、まさかとあちゃんの方がいいよと声をかけてきた。


「今日、あくあくんのおかげでお出かけできたし、この写真……とってもいいお写真だから。それに、あくあくんがかっこいいと僕も嬉しいな」

「とあちゃん……気を遣わなくてもいいんだよ。俺一人でもなんとか皆に納得してもらえる写真を撮るから」

「ううん、確かにあくあくんならきっとこれにも負けない素敵なものをノブさん達と一緒に作れるかもしれない。でも……僕が、これを使ってくれると嬉しいなって思ったの」

「そっか、ありがとう、とあちゃん!」


 とあちゃんの優しさが心に染みる。

 結局俺は、息を巻いて阿古さんに協力を申し出たにも関わらず、ノブさんにもスタッフの皆さんにも、とあちゃんや阿古さんにも迷惑をかけてしまった。

 もし、リベンジするチャンスがあったら、絶対に次は失敗しない。この経験を糧にするのだと心に強く誓う。


「二人とも本当にありがとう。でも本当に大丈夫?」

「本当にいいの? 嫌なら辞めてもいいのよ」


 ノブさんも阿古さんも、本当に大丈夫なのかととあちゃんに再確認を取る。

 ここで止めてもいいんだからと、ちゃんととあちゃんの事を考えてくれている二人の優しさにも俺は感動した。

 ほんの少しかもしれないが自分が二人のお手伝いできたことが嬉しくなる。

 とあちゃんは二人の言葉に、大丈夫ですと小さな声で再びこくんと頷いた。


「わかったわ。それじゃあ今日の写真、完成したら二人に送るから連絡先を教えてもらえるかしら?」

「あっ、私も……二人とも一応未成年なのよね。親御さんの同意もいるから私の方からも連絡させて欲しいかな」


 俺たちは二人と連絡先を交換する。

 後日、俺が雑誌に載ることを家族に反対されたがなんとか説得した。

 だってここで認められておかないと、とてもじゃないがアイドルになる事を認めてなんてくれないからである。

 それに今回、撮影を手助けしてくれたみんなに手助けできる事といえばこれくらいのことしかない。

 最後は俺の熱意に折れた家族が認めてくれたおかげで、何とか雑誌に掲載させる事にお許しをもらう。

 こうやって俺は、図らずも自らの目的に向かって一歩前進したのであった。

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― 新着の感想 ―
[一言] あぁ、前にも捗る云々って言われてたけど、どこかなって思ってたらここだったのね。 ずっとどれだろって悩んでたの判明してスッキリw
[気になる点] 暇つぶしに読み返してみたら、もしかして捗るもすでに出ていた...?
[一言] ノブさんキタ━(゜∀゜)━!
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