猫山とあ、未来に向かって走り出せ!
最初に異変に気がついたのは僕だったと思う。
「あ……あ……」
自分でも何故かはわからないけど、何かが引っかかって、あくあの方へと視線を向ける。
強張った体と何かに怯えたようなあくあの表情、ここではない何処か遠くを見つめるような焦点の合ってない目の動き、一眼見てあくあの様子が明らかに普通ではない事に気がつく。
悩む時間すら与えられず、無情にも減っていくカウントダウンコールの数字。
全てがスローモーションに見えているのに、この時が止まる事がないもどかしさで焦燥感に駆られた。
『0!』
開幕を告げる森川さんのラストコールが会場中に響き渡る。
「「「「「「「「「「わああああああああああああ!!」」」」」」」」」」
カウントダウンの終了とステージイベントの開始に応えるファンの人達の大きな歓声。
考えている時間はないけど、今の状態のあくあをステージに出す事は無理だ。その場にいた誰しもが僕と同じ事を考えたと思う。
あくあは今日のこのステージを誰よりも楽しみにしていた。
会場に来てくれるファンのみんなに、テレビや配信サイトで見てくれるファンのみんなに楽しんで欲しい。
常にどのステージもあくあは全力だった。だからみんなあくあの事が好きになるし、何事も常に本気だからついていきたくなる。今日のステージもあくあがファンの事を思っていっぱい考えて、努力して、やりたがっていたステージなのに、それなのに……今のあくあを見たら、きっとファンのみんなは、いつものあくあと様子が違うって事に気がついてしまう。そうなったらみんなあくあの事を心配して、ステージを楽しむどころじゃなくなる。そんな事、あくあだって望んじゃいない。
カウントダウンコールの終わったステージでは開幕を告げるイントロ用の音楽が流れる。
予定ではその音楽の後に、4人でステージに登場して一緒に歌う予定だった。
「僕が行く!!」
本当に自分でも吃驚するほどの大きな声が出た。
多分この状況が1番理解できていて、経験している僕だからすぐに反応できたのだと思う。
僕は動き出すのと同時に、モジャさんの座ってる方へと視線を飛ばす。
「こっちは任せろ!!」
たったそれだけの事、僕は何も言っていないのに、モジャさんはニッと笑って応えてくれた。
阿古さん、桐花お姉ちゃん、本郷監督が僕の声にハッとして一斉に動き始める。
それにつられるようにしてスタッフのみんなも一斉に動き出す。
あぁ、最高だな……。不謹慎かもしれないけど、その瞬間、僕はそう思ったんだ。
ねぇ、あくあ、きっと今そんな余裕なんてないだろうけど、見てよ。みんな、みんな君のために動いてる。
僕もみんなも、君の考えたこのステージをぶち壊したくない。いや、ぶち壊してたまるもんか!
駆け出した僕は、ステージの下にある昇降機の上に飛び乗った。
「前奏曲が終わった後、お願いします!」
「任せといて!」
昇降機を動かすスタッフの人が笑顔で親指を突き立てる。
僕もそれに応えるように笑顔で親指で突き立てた。
ふふっ、まさかこうやってまた女の人と笑い合えるなんてね。
「ふぅ……」
僕は目を閉じて大きく深呼吸する。
あえて慎太郎と天我先輩には声をかけなかった。
だって2人はきっと僕が声をかけなくてもわかってると思ったから。
「あくあ……君が僕をここまで連れてきてくれたんだ。だから今度は僕が……」
前奏曲が終わり、僕が歌う曲のイントロへと自然な形で切り替わる。
さすがはモジャさんだよ。ありがとう。
僕の乗った昇降機がゆっくりとステージに向かって迫り上がっていく。
大きな歓声が聞こえる。僕は軽く足踏みをしてリズムをとった。
「とあちゃーーーーーん!」
「会いにきたよーーーーー!」
「とあ! とあ! とあ!」
「きゃあああああああああああ!」
「生のとあちゃんやばすぎ!」
「生とかいうな!」
「女の私よりはるかに可愛いじゃん……」
「というか存在がもう可愛い」
イントロの終わりと共にステージに現れた僕は顔を上げる。
「星を瞬かせて、世界を照らせ!」
最初に歌うのはこの曲だって決めていた。
あくあは、覚えてるかな?
初めてこの曲を歌った時、僕は君の歌唱力についていけなかった。
あくあと一緒に歌えなかった事が悔しくて、自分の事が情けなくて……だから、だからね、いっぱい努力したんだよ。
「白い息を吐けば、どこかで水面が揺れる」
僕が手のひらをかざすと、その上に大海たまの姿が現れる。
それを見た観客席が大きく湧く。
「君が叩いたドアの扉、でも僕はそこにいない」
本来はデュエット曲のこの曲を、今日の僕は1人で2人分、猫山とあと大海たまの2人として歌い切る。
喉への負担は大きいかもしれないけど、それでも挑戦しようと思った。
だって、前に進めば何が見えるのか、その景色を教えてくれたのは君なのだから。
「傷を負ったケダモノ達はまた立ち上がる!」
サビに入る前、僕は両手を広げてみんな所に向かってもう1人の僕を届ける。
「わわわわわ!」
「ちっちゃなたまちゃんがいっぱいきた!?」
「たまちゃんが私たちの前に!?」
「あっ、あっ、あっ……」
「妖精バージョンのたまちゃんかわいい!」
「これテイクアウトできるかな?」
「自然とバッグに詰めて帰ろうとしてる奴ら多くて笑った」
「とりあえず触れるか確認しとこ」
「これチューできるんじゃ……」
「現実と仮想現実の区別ついてない奴ら、しっかりしろ!」
「お前らまだ最初の曲だぞ!!」
小さな妖精の格好をしたもう1人の僕が、みんなの目の前でダンスパフォーマンスを披露する。
最新のAR技術を使ったこのシステムを開発したのは、ベリルエンターテイメントでハイパフォーマンスサーバーを開発した鯖兎こよみさんだ。
たまちゃんと同じステージで歌ってみたい。まさかそれが実現できるなんて思ってもみなかった。
「このままじゃいけない! 僕だってもううんざりなんだ! だから無理をしても立ち上がれ! 生きてるって証を刻みつけろ!! 愛してる君に、この気持ちを伝えるまで諦めない!!」
息継ぎもままならないほどのハイテンポな曲を最後まで歌い切った後には、僕は肩で息をしていた。
「うわあああああああああああ!」
「とあちゃーん、すごかったよー!」
「この曲、最後まで1人で歌い切るとかやば……」
「さすがはベリル、最初からクライマックスだぜ!」
「みんな落ち着け。まだステージは始まったばかりだ」
「あれ? バッグに詰めたはずのたまちゃんが居なくなってる……」
「一瞬で夢の国に行ったな」
「とあちゃんの衣装かわいい」
「カボチャ型に膨らんだショートパンツと甘々のフリルブラウス可愛すぎ……」
「ハイソックスと生足かお姉さんそれだけで息が上がっちゃいそう」
「ふーん、衣装えっちじゃん」
まだ一曲目だ、疲れてる事をお客さんに悟らせちゃダメだ。
笑え! 息苦しそうな顔を見せるなよ、僕!
「みんな〜! 今日は来てくれてありがと〜!!」
精一杯いつも通りのトーンで、僕はみんなに笑顔で手を振る。
「トリックオアトリート! 僕に飴をくれるお姉ちゃんやお兄ちゃん達は、精一杯ペンライトを振ってねー! 飴ちゃんくれない意地悪お姉ちゃんとお兄ちゃんは悪戯しちゃうけど……いいよね?」
僕は首をこてんと傾けると、ファンのみんなに向けて物欲しそうな顔を見せる。
「うぎゃあああああああああ!」
「悪戯されたいいいいいいいいい!」
「でも餌付けもしたいいいいいいいいい!」
「うわ!」
「ペンライト振ったら本当に飴がでた!?」
「やば……なんなのこれ」
「おいおいおい、ハイパフォーマンスサーバーといいベリルやばすぎ」
「とりあえず死ぬほど手を振った」
「悲報、最初の曲からペンライトを振りすぎて手を負傷する」
「お前らまだ最初の曲だぞセーブしろ!」
これは近くにある高層ビルに取り付けられたカメラやセンサーがペンライトの光に反応して、観客席から僕に向かって仮想現実として投影された飴が降り注ぐシステムだ。本当はこの技術、ミサイルを追尾させるためのトラッキングシステムらしいんだけど、使い方ひとつでこんなにも平和な事に使えるんだと思ったらすごいよね。
「みんなー、飴いっぱいありがとー! それじゃあお礼にもう一曲歌っちゃおうかな!!」
僕がそういうとみんなが大きな歓声と拍手で応えてくれた。
ギターのイントロと同時に僕はマイクに向かって歌いかける。
「ただ立ち止まっているだけの日々、一歩を踏み出す勇気をくれたのは君だった。君の行こうとしている場所に僕も行きたかった」
ヨアケのタイヨウ。天我先輩に作曲をお願いして、僕が自分で歌詞を書いた曲だ。
「お日様より輝いている君の眩しさに目が眩んだ。ねぇ、僕の周りを見てよ。今はこんなに多くの人に囲まれている」
自分でも想像していなかった。
ねぇ、あくあ、このファンの人たちを見てよ。
みんな、みんな、君の事が好きで、君に会いたくてここにきたんだってわかってる?
「外はこんなにも楽しいって、君が教えてくれたんだよ。昨日も今日も君と過ごした時間はずっと幸せだった。明日も明後日もずっと夢を見続けられると思ってた。何気ない日常の中で、暗い記憶が僕の心に影を落とす」
ふとした時、繭子ちゃんとの事を思い出しそうになる。
そんな時、ずっと僕に寄り添ってくれたのは他でもないあくあだ。
「何もなくなってしまった僕の日常、取り戻せない時間だけが過ぎていく。未来なんて何もなかった。先の事なんて何一つわからない。でもそんな日に限って、君は僕の隣にいてくれたんだ」
だから今度は僕の番だ。
君が僕を救ってくれたように、今度は僕が君を助ける!!
「ヨアケのタイヨウ。明けない夜はないから。君はずっと僕に進むべき道を照らしてくれた。どんなに辛い過去があったとしても」
いつだってあくあは僕を、僕たちを導いてくれた。
お日様みたいな眩さと、その暖かな温もりで僕たちをの心を包んで救ってくれたのは他でもない君なんだよ。
「たとえ君に何があったとしても、たとえ君が何かを抱えていたとしても、僕は全てを受け入れてみせる」
君が何かを隠している事に僕は薄々勘づいていた。
だって君は、あきらかに僕たちこの世界に生きる男子とは違いすぎたから。
それでも僕はその理由を聞かなかった。そしてこれから先もその理由を聞く事はないだろう。
だって、今を生きる僕たちに、未来をいく僕たちに、過去の事に囚われてる暇なんてないんだから!!
「あの夜の告白、君の答えを覚えてるかな? この分厚い壁をぶち破って、この手を取ってよ!」
僕はまっすぐ前に向かって手を伸ばす。
あの時、君が僕に言ってくれた言葉、今度は僕がその手を取って連れていく!
「いつだって君の言葉は僕の中にあるから! こんなところで挫けるなよ。強くなくたっていいから、情けない君だっていいから、たとえ前に進むのが辛くなったって、いつだって僕が隣にいる」
ダメでもいい、情けなくてもいい。だからもう一度立ち上がってくれよ、あくあ!
明けない夜はないって僕に教えてくれたのは他でもない君なんだから。
「どこまでもずっと……」
最後まで歌い切った時、涙が出そうになった。
でもこんなところで泣くわけにはいかない。
だって、アイドルはみんなを笑顔にするものだって教えてくれたのは君だから。
「みんなー、天我先輩が僕のために作曲してくれた曲はどうだったー?」
だからね、あくあ。僕は笑うよ。
笑えなかったあの日々の笑顔をみんなに、そして今笑えてない君に届けるんだ。
「最高だったよおおおおおおお!」
「何か知らないけど涙出た」
「これ絶対にあくあ君の事じゃん」
「歌詞でわからせてくる」
「この2人はほんまもう……」
「ふぅ、あくあ君ガチ恋勢の私たちに牽制あざっす!!」
「悲報、嫁なみの1番のライバルはとあくんだった」
「むしろ正妻がとあ君で、嫁なみはおまけすらある」
「捗るも動き出してるぞ!!」
「嗜み、結婚しても四面楚歌すぎてウケる」
「もうあくあ君は希望者全員を嫁にすればいいんだよ」
「そうすれば全てが丸く収まるな」
観客席の方へと視線を向けると、家族席にいたお母さんやスバルが抱き合って泣いていた。
2人には本当にいっぱい、いっぱい、迷惑をかけたよね。最初は部屋に閉じこもっていた僕が、家の中で心を落ち着ける事ができたのは、2人がいたからだよ。
確かにあの家から外に連れ出してくれたのはあくあかもしれないけど、それまでの僕を支えてくれたのは家族の2人だ。
お家っていう逃げ場がなかったら、僕だってもしかしたら酷い男になってたかもしれない。でもそうはならなかったのは、2人がここは安全だよって僕を守る居場所にしてくれていたからだ。ありがとう……。
「次の曲は、僕にとってはとっても思い入れの強い曲なんだ。本当は僕が歌う曲じゃないんだけど……さっき飴を投げてくれなかったお姉ちゃんやお兄ちゃんへの悪戯返しで僕が曲を奪っちゃうんだからね!」
聞き覚えのある自分が作曲した歌のイントロに自然と笑みが溢れる。
あくあ……世界を変えるって言ったのは君だろ?
『この世界は美しい』
君が、僕たちが世界に向けて宣戦布告した日の事を覚えてる?
『ああ、世界はこんなにも美しい』
ほら、俯いてないで顔をあげなよ。
『そう、こんなにも美しいんだ』
ファンの顔を、楽しそうにしてるみんなの顔を見てよ。
『でも君はこの美しい世界で苦しんでいるよね?』
今、あくあはとっても苦しいと思う。
『僕はその事に気がついてしまった』
それは僕も経験した事だから、痛みの種類が違ったとしてもその苦しみだけは理解できる。
『だから君を止めなきゃいけない』
だから顔をあげなよ。そしてファンのみんなの笑顔を見て!!
『この世界は美しい』
この笑顔は偽りなんかじゃないって僕が保証する。
『ああ、なんて美しいんだ』
ねぇ、今日は男の子のお客さんだっているんだよ?
『本当に美しい』
ほら、みんなが同じ空間で笑いあってる。
『本当に?』
本当に決まってるだろ!!
『見たくないものから目を逸らしていないか?』
確かにまだ全てがうまくいっているとは言えないのかもしれない。
でもこの瞬間、この空間だけは、同じ空気を共有して僕達は一つにまとまっているんだ。
『この現実と争う事を諦めてないか?』
だからここからでしょ。君の見たい景色は、見たかった景色はこんなもんじゃないはずだ。
この国を世界を、全ての人類を笑顔にするんだろ!!
『隣の人の顔を良く見て、君はその人を救えるかも知れない』
君1人じゃ救えないかもしれない。だから、だから!
僕が! 猫山とあがいるんだ!!
黛慎太郎だって、天我アキラだっている!
この輪はどんどん広がっていって、そしていつかは世界すらも覆い尽くすんだ。
『beautiful right?』
それが君の、僕達の、ベリルエンターテイメントの宣戦布告じゃないか。
あの時、あの瞬間……ううん、それよりももっと前の、あの日、君の手を取った時、僕は決めたんだ。
たとえ世界を敵に回す事になっても僕は君の共犯者になるって!
「きゃああああああああああああ!」
「やっば、やばすぎて語彙力がやばい」
「とあちゃんバージョンのbeautiful rightとか嘘でしょ……」
「やめて、この曲私にくるんだよ!」
「まさか序盤にこの曲が来るなんて、しかもとあちゃんが歌うとか」
「そういえばこの曲を作曲したのはとあちゃんだったね」
「こーれ、裏で姐さん泣いてます」
「なんだろう、なんか知らないけど尊い波動を感じる!!」
「奇遇ですね。これは私達の知らないところでてぇてぇが始まってる気がします」
だからね。あくあ……僕と一緒に罪を重ねよう。
この世界の女の子を、ううん、女の子も男の子もみんなを幸せにしてみせる。
それが僕とあくあの罪だよ。
この世界の歪みを正せるのは、世界の常識から全てが外れていた君にしかきっとできないから。
カノンさんには悪いけど、僕はね、カノンさんより先に決めていたんだ。
僕の人生を全部、全部、君にあげるってこと。持ってけよ僕を、全部君にあげる。
全てを賭けて君の野望に手を貸すんだ。
「はぁ……はぁ……」
とりあえず3曲立て続けに歌ったけど、ステージの裏はどうなっているのだろうか。
きっとみんながどうにかしてくれてると信じてはいるけど、それでもあくあの事は心配だ
でも今の僕には歌い続けるしかない。僕が再びマイクに向かって声を出そうとしたその時、インカムから慎太郎の声が聞こえてきた。
『とあ、最初から飛ばしすぎだ。後の事を考えてしばらく休め!』
でも、休んでる余裕なんて……。
『あとは僕に任せろ』
慎太郎? いつもとは違う慎太郎のピリッとした声のトーンにびっくりする。
『僕が時間を稼ぐから、とあは後ろで休んでくれ』
僕を照らしていたスポットライトの光が落ちる。
こうなった以上、僕は後ろに引っ込むしかない。
それに、あの慎太郎がやるっていうのなら信じるしかないじゃないか。
だって、あくあが言ってたもん。慎太郎はやる時はやるやつだって俺が1番知ってるって……。
『さぁ、ここからは黛慎太郎の時間だ』
インカムの向こうから、メガネをくいっと持ち上げるような音が聞こえたような気がした。
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