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白銀あくあ、始まりのカウントダウン。

 10月31日、ハロウィンイベント当日。

 俺は事務所の用意してくれた車に乗って会場となる渋谷区に向かっていた。


『ここ渋谷区は現在、規制線が張られチケットを持った人以外の入場が制限されています!』


 車の中に備え付けられたテレビへと視線を向けると、森川さんがいつものように現場から元気な姿でリポートしていた。


『すごい人ですが、歩けないという程ではないんですね』

『はい! そこも予め区の方で人流や密度を試算してチケットを販売しているらしく、比較的ゆったりと街中を歩く事ができます』


 カメラがターンすると、ハロウィン用のコスプレ衣装を身に纏った女性達が街を歩く様子が映し出される。

 おぉ……森川さんの前を歩くバニーガールのお尻に俺は思わず目を奪われた。

 キュッとしまった小振りなお尻と大きなお尻、うん、どっちもたまらなくいい。

 他にもやたらと胸の谷間を強調する魔女っ子とか、水着のようなセーラー服でおへそ周りや腋を無防備に晒す女性達の姿が惜しげもなく映し出される。ありがとうございます! ありがとうございます!! 俺はテレビに向かって拝んでいた。

 カノンには申し訳ないとは思うけど、俺にも我慢の限界がある。それでも文化祭とハロウィンイベントが終わるまでは仕事のためにも我慢しなきゃと、痛みに耐えて耐え抜いてここまで我慢してきた。

 きっとここまで自制ができているのは、ペゴニアさんが下手に茶化してくれるからだろう。

 あの人はああ見えて俺の仕事のこともちゃんと考えてくれる優しい人だ。


『規制された区画内のお店は今回のハロウィンイベントに合わせて、数々のコラボメニューだったり、コラボ商品などを販売しています。そちらもまた多くの人達で賑わってますね』

『今回これだけの数のお店とのコラボは大変だったんじゃないですか?』

『そうですね。だから今回は大元の実行委員会とベリルが契約をして、さらにそこから実行委員会がベリルから使用を許可されたコラボ用の写真やイラスト、音楽だったりを個々の店舗が使用できるという契約になっています』


 このコラボ用に実際に使用される写真はノブさんが撮ってくれたけど、イラストはとあや俺が描いたものが採用されていたりする。

 あとはベリルのデザインチームがデザインしてくれた物や、有名イラストレーターや漫画家とのコラボレーション等も展開されているそうだ。


『それではこちらがハロウィン・ナイトフェスティバルの入場ゲートです!』

『おぉ〜、これはすごいですね森川さん!!』

『うわぁ! これは間違いなくテンション上がる!』

『はい、もう入口の時点からこうワクワクするような、そんな気持ちにさせてくれます』


 特別に作られた入場ゲートやハロウィンの装飾に彩られた通りのお店、大通りには屋台や大きな創作物が並んだりしている。更には至る所で路上パフォーマンスが行われたりして、さながら本当に夢の国に迷い込んだような雰囲気を醸し出していた。

 俺も自分がやる方じゃなかったら、こういう所でゆっくりとカノンと2人きりでデートしたいよ。


『そしてこれ、なんだかわかりますか?』


 森川さんは近くの壁に書かれたスプレーアートを指差す。

 おっ……これは、俺の書いたやつだ!!


『ん……?』

『ナニコレ?』


 俺の書いたスプレーアートを見たスタジオの先輩アナウンサー達が固まる。

 あれ? どうしたんだろう……。結構わかりやすく書いたつもりなんだけどなぁ。


『これはですね……なんとあの白銀あくあさんが自ら書かれたスプレーアート、生命の神秘です! ほら、みなさんいっぱいここで記念撮影してますねー』

『おぉ……なるほどね』

『流石は画伯』


 生命の神秘……? あれぇ? そんなタイトルだっけ?

 普通にお化けと黒猫を描いただけなんだけどなぁ。伝達ミスか何かかもしれない。

 まぁ、これだけいろんな事を同時進行していたら、そういう事もあるか。


『それではたまたま会場に来ていた芸術家の先生にお話を聞いてみましょう。すみません。どうですかこの絵は?』

『凄いですね。一目見てこの作品自体が持つエネルギー、熱量にまず圧倒されました。そして深くこの作品を読み解いていくとですね。とあるメッセージ性に気がつかされるわけです』


 な、なんだってー!?

 俺は子供に喜んでもらおうと可愛い黒猫とお化けを描いただけなのに、その作者である俺自身すらも気がつかないうちに何かメッセージ性のようなものが込められていたのか……。うーん、わからん!


『先生、そのメッセージ性とは……?』

『例えばこの黒い塊を見てください。一見するとおどろおどろしい雰囲気がありますが、よく見るとここにうねりのようなものがありますよね?』

『おぉー』

『あー、本当だ』

『確かに』


 うねり? それは黒猫さんの尻尾ですね。


『このうねりが一つのキーとなっているんです。そしてこの申し訳程度に書かれた白いぼんやりとしたものが見えるでしょうか?』

『あっ!』

『見える! 見えます!』

『確かにありますね』


 そーれ、お化けです。


『この白いぼんやりとしたものは、私達の心の中に残った微かな希望なんです。そして黒い塊はそれすらも侵食しようとしている。つまり一昔前の私達のこの世界が、この中で如実に表現されているわけなんですね。そしてその根源たるうねりが、ほら、ここアップにしてください。うねりに絡みつく白い筋がみえてるでしょう! これがベリルであり白銀あくあさん自身なのです!!』

『『『おぉ〜!!』』』

『一見するとハロウィンの雰囲気を醸し出したような絵に見えなくもないし、百歩、いえ、一万歩譲って黒猫とお化け? にも見えなくはない気がするんですけど、そうじゃないんです。そんな幼稚園児が描いたような絵であるわけがないんですよ!するとこの絵は、このねじれた世界を正そうとしている白銀あくあさんの、ベリルエンターテイメントの強い決意、メッセージ性が込められているんです!!』

『『『『『『『『『『うおおおおおおおおおおお!』』』』』』』』』』


 周りでそれを聞いてた人たちが手を叩いて歓声を上げていた。

 いや……普通に可愛い黒猫とお化けを描いただけなんだけど……。

 それにその白い筋、お化けを描いたときにインクが跳ねて、不味いと思って誤魔化した跡なんです。ごめんなさい。

 よく見ると絵の前で何故か胡桃さんの主治医の先生が拝んでいた。

 うん、これはもう知らなかった事にしておこう。きっとそっちの方が幸せだ。俺は何も聞いてないし、何も知らない。そして俺が描いたのは、あくまでも可愛い黒猫と、お化けなのである。


『いいですねー。私も現地に行きたかったなぁ〜』

『そういうだろうなと思って、実は先輩達のために現地でお土産を買ってきました』

『森川、お前マジか!?』

『楓ちゃん、私は最初からわかってたよ楓ちゃんが優しい子だって!』

『はい、これです!』


 森川さんが取り出したのは文字が書かれただけのシンプルなステッカーだった。

 なになに、えーと……この国には白銀あくあがいる。

 ステッカーには間違いなくそう書かれていた。

 なんだこれ? どういう意味?


『はい?』

『ナニコレ?』


 スタジオにいる2人の先輩アナウンサーはステッカーを見て訝しむような顔を見せる。


『白銀あくあさんと森川楓のコラボ商品です!』


 俺と森川さんのコラボって何?

 そんなの売ってたっけ!?


『いらねええええええええええ!』

『楓ちゃん、後でちょっとおトイレの裏に来てもらえるかな?』

『え? え? 先輩達は嬉しくないんですかこれ?』


 森川さんはキョトンとした顔で首を傾ける。

 うーん、森川さん、流石にもうちょっと色々と可愛いグッズが他にもあったと思うんだけどなぁ。

 例えば俺が慎太郎や天我先輩とお揃いで買った、とあがデザインした魔女猫たまちゃんや吸血鬼シロのヘアクリップとか女の人にも普通に良いと思う。勉強するときとか、台本読む時とか、配信する時とか、前髪が邪魔な時に結構役に立つんだよね。


『嬉しくない』

『嬉しいわけがない』

『えー!? これもう売り切れ必須の人気商品なんですよ!』


 え……マジ!?

 すごいな。やっぱステッカーって結構売れるのかな?

 これとか、どこに貼るのか使用用途が全くわからないけど。


『……ねぇ、楓ちゃん、それどこで買ってきたのかな?』

『えっと、さっきそこの裏路地の駐車場で、やたらとフレンドリーな外国人のお姉さんが売り捌いてました!』

『それ違法グッズじゃねーか! すぐに実行委員会に通報しろ!!』


 森川さんは人がいいからなぁ。なんか変な人に騙されてないといいけど……あ、画面が切り替わって、しばらくお待ちくださいになった。大丈夫かな国営放送……。

 おっと、そんな事を考えていたらちょうど目的地の方に到着したみたいだ。

 俺はパーカーのフードを目深く被ると車から降りる。すると何人かのファンの人達が、遠くに置かれたフェンスの向こう側から俺が到着した事に気がついた。


「あ! あのパーカーの人、あくあ君じゃない?」

「身長的に間違いないよね。さっき黛君通っていったし」

「あくあくーん! 頑張ってー!!」

「昨日はお疲れ様ー! 今日も応援してるよー!!」

「好きー! 結婚してー!!」

「主〜!」

「この世に生まれてきてくれてありがとおおおおおおお!」

「あくあ! あくあ! あくあ!」

「勝つのはあくあ! 負けるのは私達!」

「ぎゃああああああ! かっこいいいいいいいいいい!!」

『後ろの人ー、あまり前に詰めてこないで下さーい、規制線の内側には入れませんよー。入ったら最後、姐さんに命持ってかれますよー。死んだら最後、これからのベリルのみんなを見れなくなっちゃうからねー』

「「「「「「「「「「はーい!」」」」」」」」」」

「Jカップあります! 私のIDは……」

「こら! 抜け駆けするな!!」

「相手未成年だぞ自重しろ!!」

「私のことも使ってー! このHカップ好きにしていいからー!!」

「うちわにID書くな!」

『電話番号やメールアドレス、チャットアプリのアカウント等を見せる行為は実行委員の方から禁止されてまーす。自重してくださーい! おい! こら、そこ! いい加減にしないとつまみ出すぞ! ゴルァ!!』


 すごい歓声で何を言っているのかまでは聞き取れなかったが、俺の耳はしっかりとJカップとHカップの単語だけは聞き取った。とりあえず、ライブという戦の前に成功祈願として胸神様に拝んどくか……。俺はファンのいる人達の方を見て手を合わせて軽く会釈した。


「きゃああああああ!」

「やっば、ベリルの子達ってみんなこうなの? とあちゃんも、マユシン君も、天我先輩もみんなファンサしてくれるじゃん!!」

「ふぁ〜、これは永久に推せる」

「あくあ様ー、天我先輩にもう少し優しくしてあげてー!」

「文化祭で会えなかったから今日きたよー!!」

「ライブ頑張ってー!!」

「ずっとずっと応援してるからー!」

「あくあくーん、とあちゃんともっと絡んでー!」

「愛してるー!!」

「主神に祈りを捧げよ! あ〜くあ!」

「今日もいっぱい楽しむからねー!」

「あくあ君ー、シンちゃんのことよろしくねー!!」

「あああああああ、もうだめ、最初から限界なんだけど……」

「初めて生で見たけど、もう自然と」

「うっ、うっ、うっ、もう涙が出てきた……」

「大丈夫貴女、ハンカチ貸そか?」

「泣いてちゃもったいないよ。気持ちはわかるけど、せっかくなんだから笑お」

「そんなに泣いてたら俺の顔がよく見えないだろ?」

「「「「「それヘブンズソードのやつー!!」」」」」

「シンクロしすぎでしょ」

「だって……」

「ねぇ?」

「みんな好きだし!!」


 俺は見えているファンの人たちに向けてもう一度大きく手を振ると、警備やスタッフの人達に囲まれてステージのあるエリアに入っていく。

 ステージの裏側は大きな壁に囲まれて、控室だったりスタッフルームだったり、機材が置かれた部屋等が作られている。よくこれを1日とかからず夜のうちに設置できたものだ。

 外で何度か組み立て練習はしたらしいけど、それを幾つかのパーツにバラして搬入したものを現場で再度組み直したらしい。物凄い人数とお金が動いている事を考えたらプレッシャーも凄いけど、それ以上にワクワクするし、良いステージにしたいなと思った。


「おはようございます。今日はよろしくお願いします!」


 ちなみに時刻はもう夕刻前だが、芸能界では最初の挨拶はおはようございますが決まりだ。

 すれ違うスタッフさん達に挨拶してステージ裏の通路を進んでいく。控室の中に入ると先に到着していたとあが椅子に座って確認のために台本を読んでいた。


「ねぇ、桐花さん、僕のタブレットどこー?」

「はいはい、とあさん、ちゃんとここにありますよ」


 俺はとあに近づくと、後ろからポンと両肩を叩いた。


「うわっ、びっくりした!」

「へへっ、いつも悪戯やられてるからなー。お返し!」

「もう! それをやって良いのは僕だけなんだからね。あくあはいつだってされる方なんだから」

「ちょっ、理不尽……」


 とあは相変わらずいつも通りだな。

 以前のような箱のサイズが決まっていた夏コミと違って、この規模は流石にやったことないだろうから緊張していないかと心配だったが、どうやら俺の杞憂で済んだようだ。

 お母さんのかなたさんや妹のスバルちゃんからは、不登校のきっかけとなったトラウマを抱えるまでとあは社交的な性格だったと聞いている。それを乗り越えた今のとあは、その頃に戻ったみたいで嬉しいと感謝された。


「ほらほら、あくあが最後なんだから早く着替えてきなよ」

「りょーかい! 桐花さんとあの事よろしくね」

「はい! 任せておいてください!」


 桐花さんもこういうちゃんとしたイベントは初めてだろうけど、彼女からも緊張した様子は見られない。

 阿古さんはまだ初めの頃、ちょっと緊張した感じがあったけど、桐花さんは本当に最初からこんな感じである。

 俺が理想とする大人、仕事のできる理想像というべきか。俺もこうでありたいと思ってる。

 くぅっ、桐花さんみたいな綺麗でかっこいいお姉さんがマネージャーなんてとあが羨ましすぎるぜ! とあはよくお姉ちゃんと言って甘えてるけど、俺だって許されるなら桐花さんの事をお姉ちゃんとか言って甘えたい!!


「おっ!」

「あっ!」


 更衣室に入ろうとしたらちょうど着替え終わった慎太郎が出てきてお互いにぶつかりそうになった。

 危な、もうちょっとでお互いに頭をぶつける所だったかもしれない。もう本番前なのにここで怪我をするわけにはいかない。気をつけよう。


「おっす慎太郎、調子はどうだ?」

「あぁ……まだ始まるまで少しあるけど、思ったより緊張していて自分でも大丈夫か少し心配になるよ」


 確かに慎太郎は緊張しているのかいつもより強張った表情をしていた。

 俺はそんな慎太郎を見て、あえてニッと笑う。


「慎太郎、言っておくけど俺だってちゃんと緊張してるんだぞ」

「え……? あ、あくあでも緊張する事があるのか?」

「あぁ、俺だけじゃない。きっと普通は誰だって緊張するはずなんだ。この仕事も多くの人達が関わっていて、夢のない話だけど多くのお金が動いてる。だからステージに出る俺たちには、少なくない責任がこの両肩に乗っているんだと思う。それに何よりも俺の場合はアイドルとして、みんなをファンの人達を楽しませるっていう責任があるんだ。だって俺たちを支えてくれてるのは、なんと言ってもファンの人たちなんだから」


 極論、ファンの人達さえいればアイドルは成立する。

 歌って踊れるとこがあればそれでどうにかなるんだ。

 ただ、今の俺たちはそういうわけにはいかない。ライブを実現する事さえも個人では不可能だったりするから、多くの人達に助けてもらって支えてもらわないといけないのが現状だ。

 規模が大きくなればなるほど、船に乗せる人数は多くなる。最初はただの手漕ぎボートで海に出るけど、気がつけばヨットになり、ちゃんとしたクルーザーになり、最後は多くのものを抱えるタンカーや豪華客船のようになっていくのだ。


「だから緊張するなとは言わない。むしろその緊張をずっと感じていられる慎太郎であってほしいと思う。それもきっと慎太郎にとっては大切な武器になるから。だから一緒にこの緊張を、嬉しいと思えるようになろうぜ!」

「あくあ……そうだな。緊張を嬉しいと思う……か、うん、物は考えようだとよくいうが、その考え方はいいと思う。参考にさせてもらうよ」


 慎太郎は俺たちの中でも1番思慮深い。俺のように思った事、感じた事をすぐに言葉にするんじゃなくて、ちゃんと頭の中で整理して考えた上で言葉に出すんだ。そういうタイプには、こうやって別のアングルからの視点、考え方を提案すると、悩みを解決するためのきっかけとなってくれる事が多い。

 今回の俺の提案も功を奏したのか、慎太郎からも笑みが溢れる。これなら大丈夫そうだ。


「じゃ、また後でな」

「あぁ」


 俺は慎太郎と別れると更衣室の中へと入る。

 すると中では、天我先輩が鏡の前でカッコよくポージングを決めていた。

 うん、俺は何も見てないぞ。

 何も見なかったことにして、スッとその場から居なく……なろうとしたが、先輩に見つかって腕を掴まれた。


「どこにいく後輩。どうださっきの我が考案したポーズは!?」

「うん……まぁいいんじゃないっすか」

「いくらなんでも投げやりすぎないか!?」

「だって……」


 先輩がかっこいいポージング練習しているのはいつも事だしな。

 そして後で、アキラくん余計な動きを取り入れない!! って振り付けのミキティ先生に怒られのが関の山だ。

 これは写真撮影の時も同じである。天我先輩はノブさんからも普通のポーズでお願いと言われるくらいなのだ。

 それでも先輩は懲りずにかっこいいポージングを研究し続けている。

 おそらくそれを理解してくれるのは本郷監督か、先輩並みにヘブンズソードが好きな人くらいだと思う。

 

「どっちにしろポージング変更する時は、一応ミキティ先生に聞いておいてくださいね」

「了解した!!」


 先輩は納得したのか、さっさと服を着替えて振り付けのミキティ先生の方へと向かっていった。

 うん、あの様子なら大丈夫だな。先輩は問題なさそうだ。


「よし、俺もそろそろちゃんとしようかな」


 衣服を着替え、メイクをしてもらい、髪型を整えてもらう。

 この一連の流れを、俺は大きなライブ時の自らのルーティンとして組み込んでいる。

 メイクもヘアスタイルも自分でする事じゃないし、服だって自分で選ぶわけじゃない。だからこそ、自分以外の何かが加わって一つのモノを完成させる行為は、多くの人が関わった大きなステージを演るという事に似ている。

 俺は全ての準備を整えるとステージの舞台袖へと向かう。


「待たせたな」


 とあ、慎太郎、天我先輩の3人と軽くタッチすると、4人で横に並んで阿古さんの前に立った。


「みんな、今日はいよいよハロウィン・ナイトフェスティバルです。緊張は……皆の顔を見る限り大丈夫そうね。まぁ、何かあってもここにいる全員で4人の事を支えるし、守るから安心してください。だから貴方達はステージの上でファンのみんなと向き合う事だけに集中して欲しいと思っています」


 阿古さんの言葉をみんなが真剣に聞いていた。

 その裏では森川さんのアナウンスの声が聞こえる。


『Hello friends! ようこそ、ハロウィン・ナイトフェスティバルinベリル・ワンダーランドへ!! さぁ、今晩限りの特別な夜をみんなで楽しみましょう!!』


 森川さんのテンションの高い声は本当に心地がいい。

 はっきり言ってこの人ほど周りに元気をくれる人はいないんじゃないかな。

 トークショーでの会話の時もそうだけど、ついつい森川さんにはサービスしすぎる節があって、一緒にいてすごく楽しいと思える。ある意味で、俺にとって1番のライバルは森川さんかもしれないな。

 そんな森川さんの元気に負けないように、俺も気合いを入れていく。


「もしかしたら今日ここでしか会えないお客さんがいる。これが最初で最後のみんなに会う機会になってしまう人だっているかもしれない。だから、そんな子達にもちゃんと届けて欲しいの。みんながちゃんと素敵だってこと。私が保証する。天鳥阿古は君達4人が素敵な男の子達だってことを知っています。だから今日もみんなに幸せな夢を見させてあげて欲しいの」


 阿古さんの言葉にみんなが自然と頷く。

 いくら鈍感な俺でも、流石にこの規模のイベントになると自分達がどれだけ人気なのかは理解できたつもりだ。

 人の出会いは、そしてこの瞬間だけは、俺たちにとってもファンの人にとっても一期一会なのだから。

 ステージの方から大きな歓声が聞こえてくる。どうやらカウントダウンのコールが始まったようだ。


『60……55……50……』


 5秒ごとに刻んでいく森川さんのカウントコール。

 俺たちは顔を見合わせると自然と円陣を組む。

 その中で最初に言葉を発したのは、とあだった。


「初めての夏コミベリルフェスは実力が追いついてなかったけど、あの時の僕とは違うって事、見せてあげるんだから!」


 とあ、すげえ練習してたもんな。配信だってサボらなかったし、ボイストレーニングだって通い続けていた。夏コミの時に悔しくて悔しくてたまらなかったことも。本当は負けず嫌いだって事もな。そしてとあがしてきた努力を俺は知っている。だからあとはその努力の結果をみんなに見せつけに行こうぜ!


「僕は……みんなと比べたらまだ全然なのかもしれない。だからこそ僕は、僕のできる事を精一杯やるだけだ!」


 慎太郎はこの日のために苦手なダンスにも必死に取り組んできた。その姿を見た俺はヘブンズソードの時の事を思い出したんだ。必死に演技の練習していた慎太郎。その後ろ姿と重なって見えた。俺は演技が苦手だった慎太郎が成長した姿を知っている。だから、信じて背中は任せるぜ、親友!


「まさか、こんな事になるなんてな……。ありがとう後輩、我をここまで連れてきてくれて」


 天我先輩は何かを噛み締めるようにそう言った。

 時折、先輩はいつもと違う表情を見せる時がある。それは初めて会った時の天我先輩の雰囲気に少し近い。

 俺はその時の先輩こそ、本当の先輩の素顔じゃないのかと思っている。


『30……25……20……』


 皆の視線が俺の方へと向けられる。


「いいか、ファンのみんなを楽しませるってことは俺たちも楽しむってことだ! だから今夜は……いいや、今日も俺達は全力で楽しむぞ!!」

「OK!」

「あぁ!!」

「おうっ!!」


 円陣を解くと、近くにいた阿古さんとみんながハイタッチを交わす。


『10!』

「「「「「「「「「「10!」」」」」」」」」」


 森川さんの声に合わせて、観客席もカウントダウンのコールを入れる。


『9!』

「「「「「「「「「「9!」」」」」」」」」」


 俺は阿古さんに向けて握り拳を向けた。


『8!』

「「「「「「「「「「8!」」」」」」」」」」


 阿古さんはにっこりと微笑むと、俺の握り拳に握り拳を合わせる。


『7!』

「「「「「「「「「「7!」」」」」」」」」」


 俺のゲンコツに比べたらすげー小さな手だ。


『6!』

「「「「「「「「「「6!」」」」」」」」」」


 こんな小さな手で俺たちの事を抱えてくれていると思ったら更に気合が入った。


『5!!』

「「「「「「「「「「5!!」」」」」」」」」」


 カウトダウンのコールが大きくなる。


『4!!』

「「「「「「「「「「4!!」」」」」」」」」」


 俺は自分の心臓がある場所、胸の上に手を置く。


『3!!』

「「「「「「「「「「3!!」」」」」」」」」」


 熱くたぎる胸の鼓動が聞こえる。そうだ俺は生きているんだ。


『2!!』

「「「「「「「「「「2!!」」」」」」」」」」


 会場のスポットライトの光を見て、あの日の事を思い出しそうになる。


『1!!』

「「「「「「「「「「1!!」」」」」」」」」」


 なんで……なんでよりによってこのタイミングなんだ。

 喉の詰まるような感覚に、早くなっていく自らの心音で胸の奥が苦しくなる。

 異変に気がついて俺の顔を覗き込んだとあ、慎太郎、先輩が驚いた顔を見せた。


『0!』

「「「「「「「「「「わああああああああああああ!!」」」」」」」」」」


 楽しくて、楽しみでしかたなかったハロウィンのイベント。

 そのカウントダウンのコールが、俺への死刑宣告のように聞こえた。

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