桐花琴乃、私の心は曇り空に隠されたまま。
童話ピンクのバラ、貴族の御令嬢であるエリーゼが主人公の物語で、その人気はこの国を超えて世界中で愛される有名な作品の一つとなりました。
ミュージカルとしては定番中の定番の作品の一つに数えられますが、それ故に熱のこもったファンも多いです。私もその中の1人で、今日の文化祭をとても楽しみにしていました。
特にベリルに入社してからというもの、自分が運営側に回ってしまったので、今度のハロウィンイベントなんかも只の視聴者目線ではなくどうしても会社側の視線で見てしまいます。
しかし今回はあくまでも学校の文化祭、仕事ではありません。
もちろんあくあさん達以外はプロではありませんし、当然のごとくクオリティだってプロと比べると高くはないでしょう。それでも自分が携わってないから、久しぶりに只のファンであった頃と同じワクワクした気持ちで見られることが楽しみで昨晩も中々寝られませんでした。それに、あくあさんなら何をやってくれるのだろうという期待感もあります。
運営側になってわかった事ですが、あくあさんが周囲に及ぼす影響は計り知れません。演者としては、玖珂レイラさん、雪白美洲さんのような孤高の天才タイプというよりも、クレイジーな発言とは裏腹に周囲のベストを引き出した上で調和を取り、その上で絶対的に作品、原作を汚さない憑依型の小雛ゆかりさんのタイプにとても良く似ています。
そんなあくあさんだからこそ私も、そして今日ここに来ている皆さんも期待してしまうのかも知れません。
あの白銀あくあなら、たとえ学園の文化祭だったとしても何かをしてくれるのではないかと、私達にそう思わせてくるのです。
「うわ……めちゃくちゃいい席じゃんここ」
森川さんに同意します。私たちに割り当てられた座席は、まさしく特等席と言っても過言ではない程のベストポジションでした。ど真ん中の前から五列目、ここからなら余すところなく集中して舞台を見る事ができます。
「ふっふーん。抽選で勝ち取った私をもっと褒めてくれていいのよ!」
「さすがです、お嬢様。子供の頃から運だけはいいんですものね」
「ペゴニア、それなんかあんま褒められてるように思えないのだけど……」
「てへっ、バレました?」
「てへって、やっぱ褒めてないんじゃん!」
ふふっ、怒っているように見えて、カノンさんのお顔はどこか嬉しそうに見えました。
以前と比べてペゴニアさんとさらに距離が近づいたようで、お互いに良い関係が築けているようで安心します。
「はいはい、みなさん後ろの人の邪魔になっちゃいけないので座りましょう」
メアリー様のいう通りです。さっさと座りましょう。
座席に座った私は、ほんの少しだけ周囲の会話に耳を傾ける。
「劇、楽しみだねー」
「うんうん」
「ピンクのバラが題材なら、あくあ様ってやっぱりアステル様なのかな?」
「アステル様役のあくあ様は、夕迅様以上にスターズの女子を拗らせそう」
「HPには、アステル役は鷲宮リサさんって子がやるって書いてたよ」
「そっかー、残念だけど劇には出るんだよね?」
「みたいだね。サプライズゲストで白銀あくあ、猫山とあって書いてあったもん」
「いや、なんかさっき外で言ってたけどエリーゼ役の子が怪我したので配役が変わりますって言ってたよ」
「マジ?」
「こーれ、嫌な予感がします」
「奇遇ですね。私もベリルの波動を感じました」
「ていうか、なんかテレビカメラ入ってない?」
「あれ国営放送で配信するらしいよ」
「マジ?」
「マジ」
「でも森川なら私の目の前でほげっとしてるけど」
「あーれ、完全にプライベートです」
森川さん、後ろのお客さんを睨んじゃダメですよ。
それにしても直前のキャスティング変更ですか。どうやら何かトラブルがあったみたいですね。
私に連絡が来てないところを見ると、あくあさんやとあちゃんに何かトラブルがあったわけではないのでしょうが、少し気掛かりです。
そんな事を考えていると、開幕を告げるブザーの音と共に観客席の照明がゆっくりと落ちていきました。トラブルはあったみたいですが開演するみたいですね。さっきまでざわめきが嘘のように、息を呑む音が聞こえるくらい会場全体がしんとした空気に包まれていく。
「エリーゼ! どこにいるのエリーゼ!」
最初に出てきたのはエリーゼの母、マチルダです。
続いて出てきたメイド達がステージを広く使って、エリーゼを探すそぶりを見せますが見つかりません。
「全く、あの子ったらどこに行ったのかしら?」
頬に手を当て心配そうな表情を見せるマチルダ。
その時です。舞台の反対側から乗馬服を着た1人の女性が現れました。
「どうされたのですか、お母様?」
主人公エリーゼが登場しました。
エリーゼは貴族の子女という役柄ではありますが、正義感に強く行動的なところがあります。
凛としたエリーゼの雰囲気に合っており、これには無言で頷いているお客さんも多くいました。
しかしエリーゼを演じるにあたって難しいのが、恋に落ちてからのエリーゼです。
見た目の愛くるしさと相まってドンドンと可愛くなっていく様をいかに表現していくのか、凛とした雰囲気に合わせて普段は男役をやっている人をキャスティングをすると後半が尻すぼみになる事が多いんですよね。かといって、最初から愛くるしい人をキャスティングしすぎると、凛とした感じが出なくて要所要所でかっこよさが出せずに微妙になっちゃうとっても難しい役所なのです。
「どうしたもこうしたもありません。今日は舞踏会のために、ドレスをオーダーしに行きましょうって話をしたじゃないですか! 全くもう、その様子じゃきっと忘れてたんでしょ。ほら、早く着替えてきなさい!」
「あ……そうでした。すみませんお母様、すぐに着替えてきます」
普通こういう手の作品の場合、エリーゼの御令嬢らしくない行動を咎めたり、眉間に皺を寄せて邪険にする母親役が多いのですが、マチルダの場合は少し変わってるんですよね。
今回も約束を忘れてて乗馬に興じてたエリーゼを叱っているだけで、エリーゼのお転婆すぎるところに対して何かを言うようなキャラクターではありません。
「はぁ……舞踏会かぁ、退屈だなあ」
クローゼットを開けたエリーゼは、近くの鏡に映った自らと視線が合うと小さくため息を吐いた。
エリーゼはあまり面白くもない舞踏会に乗り気ではありません。
それでも服を着替えたエリーゼは母と2人、馬車に乗って目的のお店へと向かいます。
その時、事件が起こりました。
「誰か、助けて!!」
身につけていた宝飾品をひったくられた女性が声を上げる。
その声にいち早く反応したのがエリーゼでした。
「お母様、行ってきます!」
「エリーゼ! もう、あの子ったら! 誰か、エリーゼを追ってちょうだい!」
馬車から飛び降りたエリーゼは、外行き用のドレスのスカートを両手でつまみあげて、ひったくり犯を追いかける。
その軽やかな身のこなしのステップからは、演者自身の運動神経の良さが伺えます。
「待ちなさい!」
エリーゼはひったくり犯を行き止まりに追い詰める。
壁際まで追い詰められたひったくり犯は反転すると腰に下げていた剣を抜く。
対抗するように自らの腰に伸ばしたエリーゼの手が空を切る。
「あっ」
驚きと共にしまったという顔をするエリーゼ。それもそのはず、今日はいつもと違って武器を携帯していません。
ちなみに私がエリーゼなら、そのまま相手の手首に手刀を当てて、武器を叩き落として寝技に持っていきますし、森川さんくらいパワーとスピードがあったら、相手が武器を出す前にタックルして、純粋なフィジカルで相手を気絶にまで持っていけると思います。
「くっ……」
一転してピンチに陥ってしまうエリーゼ。
ジリジリと詰め寄ってくるひったくり犯、エリーゼはその動きに合わせるように一歩、また一歩と後退りしていく。
「どうやら困ってるみたいだね」
舞台に響く男性の声。
ああ……この声は間違いありません。あくあさんの声にみんな一瞬だけ驚いた顔をすると、その後に自然と笑みが溢れる。
「助けは必要かな? お嬢さん」
あくあさんが舞台上に出てくる。
そのルックスに思わず観客席から悲鳴が漏れそうになったけど、みんなが口元を手で押さえて耐えた。
金髪のウィッグにブルーのコンタクトレンズにも驚きましたが、衣装のサイズがほんの少し小さ目なのか、衣服が体のラインに吸い付いて男らしいあくあさんの肉体がより強調されてるのもあって、そこがまたちょっとエロくて背徳的すぎるのです。こ、これ、本当にしっかりと見てもいいのかな? いくらなんでもカッコ良すぎでしょ。
一緒に仕事してるからある程度は見慣れてる私でさえも、理想の王子様像すぎて顔が熱くなってしまいます。
「あわわわわ、あくあが本物のおーじしゃまに……」
「お嬢様しっかりしてください」
椅子ごと後ろに倒れそうになったカノンさんを、ペゴニアさんが背中に手を回して支える。ナイスキャッチです。
まだ夫婦になって1ヶ月は経ってはないとはいえ、カノンさんから成長の痕跡が見られません。むしろ悪化してないですか? 同じ検証班の仲間として1人の友人としてなんだかとっても心配です……。
「今の確実にみんな耐えたよな」
「あー様がアステル役とかまた荒れるぞ」
「生で見れて嬉しい気持ちが半分、ここじゃ騒げないぞという気持ちが半分」
「耐えろ私……」
「この配役変更は私達からすると嬉しいけどいくらなんでも心臓に悪すぎる」
「くっそ、掲示板に書き込みてぇ」
コスプレホスト喫茶の時から思っていましたが、なんかやたらと掲示板の人達が多くないですか?
そのおかげかはわからないですけど、さっきのシーンの耐えといい皆さんよく鍛えられているなと思いました。
そう考えると奥さんが1番耐性値低いって相当まずいですよカノンさん!
そして先程のシーンはなんとか耐えた観客席も、ヘブンズソードや月9でも見せたあくあさんの生の身体能力の高さを目の前にするとどうしても声が漏れてしまう。
「わっ!」
エリーゼを助けに入ったアステルのマントを翻すほどの華麗なアクションシーンに自然と観客席が湧く。
男の子のアクションシーンがこんなにもかっこいいなんて、あくあさんという存在が出てくるまで誰1人として知りもしませんでした。
それを生で見られるという事は、おそらく一生に一度あるかないかくらいの大きな出来事です。
カノンさんの隣で見ていたメアリー様も手を合わせて大喜びでした。
「助けてくれてありがとう」
エリーゼはスカートをギュッと掴むと、ほんの少しだけ悔しそうな顔をして助けてくれたアステルにお礼を述べる。
ふふっ、このシーンのエリーゼは、本当は武器があれば私だってと思っているのですが、その確認を怠ってしまった事、何も考えずに飛び出してしまった自らが悪いという事に気がついているので悔しいんですよね。
そんなエリーゼを見て、アステルは優しく微笑みかける。
「君がすぐに追いかけてくれたから俺だって気がつく事ができた。君のその勇気と優しさがなければ、ひったくり犯を捕まえる事はできなかっただろう」
あああああ! そうです。そうなんですよ! こういう所がアステルなんです!
アステルはエリーゼ自身が自ら反省している事にも、悔しい思いをしている事にもちゃんと気が付いて優しく包み込んでくるんですよ! 大体このシーンを読んだ女性は、こんな男いるかって一回は本を閉じてツッコミを入れるのですが、全く違和感がありません。だってそのアステルを演じているのがあくあさんですもの。
「あ……」
アステルはゆっくりとエリーゼに近づくと優しく彼女の手を取る。
そしてもう片方の手を彼女の掌に重ねる様にして、ひったくり犯が持っていたペンダントを置いた。
そのシーンを見てみんなの目が見開く。
これまでに見た多くのミュージカルでは、このシーンで両手を広げたエリーゼの掌の上にアステルがペンダントを落とす様にして渡すのですが、これはあくあさんなりの解釈でしょうか?
原作ではペンダントの返し方までもは明言されてないので、ここは脚本や演者のアドリブの見せ所でもあります。
「さすがはあー様、全てのアステルを過去にしてくる」
「開始5分も経ってないのに、私の知ってるアステルの過去最高をリアルタイムで更新してくる件について」
「ふっ、私なんか登場前の声の時点で私の中の最高のアステルを更新してきたぞ」
「耐えろ、耐えろ……」
「くっ……掲示板に書き込みてぇ……」
ペンダントを受け取ったエリーゼは、少しだけびっくりした表情をすると恥ずかしがってアステルから目線を逸らしてしまう。あ……このエリーゼは可愛い。
おそらくさっきのシーンはあくあさんのアドリブだったのでしょう。エリーゼ役の反応を見る限り予定されたものだったとは思えません。
しかもそのアドリブで一瞬にしてエリーゼの可愛さの面を引き出してくるあたり、さすがはあくあさんです。
「もぅっ! 私だって武器さえあればあんな奴に遅れを取らなかったのに!」
お屋敷に帰ったエリーゼはベッドにダイブすると、自分の枕に顔を埋めて両足をジタバタさせる。
ふふっ、さっきは我慢したけどやっぱり悔しかったんですよね。何よりも恋心というものを知らないエリーゼは、最後にペンダントを渡された後に視線を逸らしてしまった事が負けだと思っているのでしょう。
おそらくですが演者は、前のあくあシーンにまだ引き摺られてるのだと思います。もしここまで計算してやってるのだとしたら、あくあさんはもう小雛ゆかりさんの領域に入りかけている気がします。
それに気がついた人達は、私と同じ様に今まさに背筋に冷たいものを感じているのかもしれません。
だって私たちが見ている月9の白銀あくあや、ヘブンズソードの白銀あくあよりも、今、私たちの目の前にいるあくあさんはその先を走っているのですから。
「はぁ……」
ベッドから降りたエリーゼは窓際の壁に頭をもたしかけると、物憂げな表情でお月様を見つめる。
主人公エリーゼとアステル、2人の初めての邂逅はこれまでにないほど完璧でした。
その後はしばらくエリーゼのシーンが続きます。
本人はあの時のことが悔しくてという建前を前面に出しますが、市井に降りてアステルの姿を探しては、その度に市民の間で起きたトラブルを解決していく。
それがきっかけで王家に対する反体制派とエリーゼの間に繋がりができてしまいます。
これがこの作品にとっての不幸の始まりだとも言えるターニングポイント。先の展開を知っているみんなはなんとも言えない表情でそれを見守っていました。中にはもう先の展開に気がついて涙を流している人がいます。
いくらなんでも早すぎでしょと思ったらカノンさんでした。全く、ほら私のハンカチ使ってください。こんな事もあろうかと2枚持ってきてて正解でした。はい、鼻水拭いて。もう、世話がかかりますね。
「あらあら、エリーゼ、よく似合ってるわよ」
エリーゼの母、マチルダは、着飾った娘の姿を見て大喜びします。
この後エリーゼは舞踏会に参加するのですが、ドレスを着たエリーゼの姿を見て私を含めた多くの観客達は一抹の不安を感じました。
エリーゼ役の女の子は綺麗ですが、やはり可愛らしさというよりも勝気な表情から凛とした感じの印象を受けます。
アステルと邂逅した直後はまだあくあさんの魔法のおかげもあってかわいらしく見えましたが、それから暫く経っている事もあって、これが演者本来のエリーゼの状態なのでしょう。
「やっぱり舞踏会なんて退屈ね……」
1人バルコニーに出たエリーゼはいつもは履かないヒールの高い靴を脱いで足を休ませる。
そこへ現れるのがアステルです。王子様風だけど軍服のテイストがミックスされた白のナポレオンジャケットがやたらと似合いすぎていて、思わずみんなが悲鳴をあげそうになりました。
「おっと、先約かな。お嬢さんよかったら、私もほんの少しだけここで休憩させてもらえないだろうか?」
アステルの声を聞いたエリーゼはびっくりする。うん、だってあれだけずっと探してたのに、まさかこんなところで会うなんて思ってもいなかったよね。
「は、はい。どうぞ……」
エリーゼはバルコニーにもたれかかったまま、アステルのいる後ろを振り向こうとはしません。
アステルもまた、素足を見せた御令嬢の顔を見てはいけないと、入り口近くの壁にもたれかかってエリーゼの後ろ姿に熱い視線を向けます。あっ、あっ、あっ、だめですよあくあさん。お互いに会話はありませんが、その熱のこもった視線は反則です。
エリーゼ役の女の子もその熱い視線に気がついたのか、恥じらったような顔を見せる。
「これだからあー様は……」
「目もあってないのに、視線だけで女の子だってわからせてくるの反則すぎる」
「あくあ様に見つめられたら、あの捗るだって一瞬で女の子になってそう」
「これ相手のヒロインが誰だって可愛くなるよ」
「もう書き込めなくていい、掲示板がどうなってるのか確認してぇ……」
大丈夫ですか? なんか掲示板中毒になってる人いません?
私は再び意識をステージに向けると、壁際にもたれかかっていたアステルが一歩、また一歩と前に出ていきます。
このシーン、本来であればアステルはエリーゼの魅力的な後ろ姿に熱い視線を投げかけた後に、去っていくだけとしか明言されていません。だからこそ、スッと立ち去るという演出をする事が多いのですが、原作者の熊乃先生曰く、ここのシーンをもっと上手に表現しきれなかったと後悔する発言を以前よりずっとしていました。
「せっかくの満月の日なのに、雲で隠れてしまいましたね。まるで貴女のようだ」
ぐわああああああああああああああああああ!
耐えた、耐えましたよ私! でも流石にこれは厳しかったのか、会場の至る所から悲鳴の様な声が聞こえてきました。
隣を見るとカノンさんは、限界だったのか頭から湯気を出してオーバーヒートしています。
反対側の森川さんに至っては、股を押さえて恥じらった様な顔をしてました。まさか漏らしてなんかいませんよね? メアリー様に至っては顔を赤くしてペゴニアさんと2人で少女のようにはしゃいでいました。ペゴニアさん……貴女の主人、そこで死んでますよ。
って、今はカノンさんの事よりアステルとエリーゼです。私は再び舞台の方へと集中した。
アステルはエリーゼのすぐ後ろに立つと、その美しいロングヘアーの後ろ髪のほんの一部分を優しく掬い上げる。
エリーゼ役の女の子のドキドキが伝わってくる様です。
アステルはそのまま手から髪をするりと落とすと、何も言わずに去っていきました。
後ろ髪を引かれる、貴女の素顔を見られなかった事に未練があるということを表しているのでしょう。
この解釈は初めてです。だって普通……ていうか、男の子はこんな事しないでしょ!?
「止まらない。止められない。白銀あくあ」
「まさかここにきてやっと公式解釈決まるのか」
「ただの文化祭の演劇部だと気軽な気持ちで観にくるもんじゃなかった。あーくんの事舐めてた」
「先生のtowitter見てぇ」
「掲示板、掲示板、掲示板……」
エリーゼはこの事がきっかけでアステルの事を強く意識します。
アステルの方も、令嬢でありながら舞踏会をサボり履き慣れないヒールの高い靴を脱いで素足を見せていた彼女の事を気にする素振りを見せる。これは仕方ありません。王子様系男子はおもしれー女にはめっぽう弱いのですから。
現にあくあさんだって、カノンさんというおもしれー女と結婚してますしね。
「君は、あの時の……」
偶然にも街中で再会する2人。アステルは自分がこの国の王子であるという身分を明かし、デートを重ねて2人は愛を育む。物語はハッピーエンドに向かっていくのだと誰しもが思いました。
でも、ピンクのバラはそうではないのです。
「エリーゼ、どうして君が……」
ストーリーはいよいよクライマックスへと向かいます。
街中でひったくり事件があるなど、2人の住んでいた国は王の圧政により苦しんでいました。
その中でもアステルは一部の良心を持った貴族たちと共に、この国が良くなる方へと裏側から色々と手を回していたのです。それでも押し寄せてくる貧困の波に耐えかねた民衆の中に反抗の火が燻り続けていました。
身分を隠し市井で善行を重ねていたエリーゼは反抗勢力の旗印にされアステルと対峙します。
その時にアステルが手に持った剣が、彼女が着けていた目隠しの仮面に当たって床に叩き落としてしまいました。
「ごめん。アステル……でも、こうするしかないの」
ステージの照明が落ちると、舞台袖から現れたマチルダにスポットライトが当たる。
縄で縛り付けられたマチルダの後ろに居たのは、反抗組織のリーダー、ウラノスです。
ウラノスはエリーゼの正体に気づき、その母、マチルダを人質にとってエリーゼを脅していました。
「母を救いたければこの国と戦え」
皆さんはウラノスの声を聞いてポカーンとした顔をしましたが、私は声の主にすぐに気がつきました。
この声はとあちゃんです。いつもより低く男らしい声、普段はこんな声を出さないからみんなわからなくて当然でしょう。だってウラノスは頭を布でぐるぐる巻きにしてますし、見た目だけではとあちゃんだとは気がつきません。
「私は……!」
2人を照らしていたスポットライトが落ちて再び真っ暗になる。
そして再び会場全体に照明が戻ってくると、回想シーンに居たウラノスとマチルダの姿はそこにはありません。
再びアステルと対峙したエリーゼは、戦っている相手がエリーゼだと知って怯んだアステルの剣を叩き落とします。
しかし次の瞬間、多くの兵士たちがその場に雪崩れ込んできました。
「アステル殿下、レジスタンスの鎮圧に成功しました。リーダーであるウラノスは国王陛下と刺し違えた為に、今を以って貴方様がこの国の王様です。どうか我々にご命令を」
兵士の言葉を受けて、アステルはエリーゼの方へと視線を向ける。
レジスタンスの旗印にされてしまったエリーゼ、その素顔は今まさに白日の元に晒されています。
たとえ脅されていたとしても国家に逆らったのは事実、王子として、いえ、国王として彼女を救えない事は、この場にいる誰よりもアステルが1番理解している事でしょう。
「アステル……おめでとう。貴方なら、きっとこの国を良くしてくれるわ」
「エリーゼ、後少し、後ほんの少しだったのに……なんで、なんでっ、こんな事に……!」
鉄格子を間に挟み会話するアステルとエリーゼ。
数日後に処刑の決まったエリーゼとの最後の対面、2人の物語を彩る最後の共演シーンと言っても過言ではありません。何故ならこの後の共演シーンでは、亡骸となったエリーゼの体を抱き締めるというシーンしか残されてないのですから……。
「アステル、貴方に会えてよかった」
「エリーゼ……」
アステルは鉄格子の隙間から手を伸ばすと、エリーゼの体を抱き寄せる。
エリーゼは潤んだ瞳でアステルの事を見つめ返す。
これで最後なのに、なかなかスポットライトが落ちません。
「君に出会えて俺は幸せだった……」
エピローグでアステルがエリーゼに言う台詞をここに持ってくるの!?
次の瞬間、アステルの顔がゆっくりとエリーゼへと近づいていく。
待って、ちょっと待って! そ、そんなに近づいたらキ……あっ。
2人の唇が重なるか重ならないかで照明が落ちる。
残念ながら間に鉄格子があったために、真正面から見てた私達にも2人の唇が重なったかどうかもわかりません。
もはやびっくりしすぎて誰1人として声すら出せません。
人間って極限までくるともう反応すらできないんだなと、全員があくあさんにわからせられました。
「だから……俺はこの幸せを抱えて残りの人生を生きていくよ」
一生を独身とし貫くアステルの決意、実際アステルは結婚して子供を残さなくてもいい様に、そしてこんな悲劇をもう2度と生まないために、これを最後に絶対王政を終わらせます。
エリーゼの亡骸を抱くアステルの姿にスポットライトが当てられる。
えっ?
しかし、その亡骸をアステルが抱き上げた時、観客席にいた全員が固まってしまった。
エリーゼと同じ髪、同じドレスを着ていますが、その顔はなんと、とあちゃんだったのです!
じゃあ、エリーゼはどこに行ったの?
ステージの端っこにスポットライトが落ちる。
そこには煤けた外套を被った人間がポツリと立っていた。
その人物はその外套のフードに手をかけると、私達に向けて素顔を晒す。
エリーゼだ! エリーゼが生きてる!
「アステル……私、ずっと待ってるから」
あぁ、そっか、そうなのですね……!
原作ではアステルは王政を止めた後に、王族を廃してただの一般市民となり旅に出るのです。
きっといつか、いつの日か2人は再会するんだ。そしてまた2人は……あぁ、もう涙で目の前が何も見えません。
ただ拍手だけが割れんばかりの拍手が会場全体を包み込んでいました。
「おい……おい……先生がこの作品書いたの30年以上前だぞ」
「ここにきて新しい解釈、そして誰しもが待ち望んでいた全てがここに詰まっている」
「長い歴史を経て2人をハッピーエンドにするなんて反則すぎる」
「誰がこれやろうって言ったのか知らないけど、原作もちゃんと読み込んでるし、書いてある部分は100%再現してきた上で描かれてないその先を見せるなんてズルすぎる」
「ごめんもうこれを超えるとしたら、あー様が自分でもう一回やり直すくらいしかないと思う」
「今日もあくあ様が勝って、私たちが負けた。もうそれでいいよ。永遠に負け続けさせてください!!」
「いや、これはもうこの作品を作った全員の勝利でしょ」
「正直、学祭の演劇レベルじゃない。本気でやってるのが伝わってきた」
「あくあ様やばくない? 確実に小雛ゆかりパイセンの領域に踏み込んできてない?」
「わかる。エリーゼめちゃくちゃ可愛かったもん。乙女の顔してたし、普段凛としてるのに、あくあ様が絡むと女の子になるのギャップがあってたまらない」
「エリーゼ役の子、誰か知らないけど本当によかった」
「うっ、うっ、本当に今日、観に来れてよかった」
「掲示板やば……」
あー、本当にハンカチもう1枚持ってきてよかった。
私は隣で顔を涙と鼻水でベタベタにした森川さんにハンカチを貸す。
そのせいでハンカチが無くなったけど、持っていたティッシュでなんとか対処する。
「皆さん、今日は私達の演技を見にきてくれてありがとうございました!」
最後は裏方とキャスト全員が出てきて一列に並んで観客席に向かって頭を下げた。
「エリーゼとアステルを救ってくれてありがとう!」
「楽しかったよー!」
「みんなすごくよかったよー!」
「サンキューあくあサンキュー!」
手を振ってくれる皆さんに合わせて私も精一杯手を振り返しました。
本当に今日、これを見に来られてよかったと思います。
最初はどうなるかと思ったけど、エリーゼ役の子がここまでハマるとは思いもよりませんでした。
アクションシーンの所作を見る限り普段は男役をする事が多いのかなと思っていましたが、ヒロイン役を見事に演じきって見せたのは賞賛に値します。
もちろんそれを上手くリードして、魅力を引き出したのはあくあさんかもしれませんが、普段男役をしているのにヒロインを演じるのはとても勇気のいる事ではなかったのでしょうか。
舞台の最後、彼女が見せた満面の笑みを見て、私は心に突き刺さる物がありました。
『姐さん、まさかとは思うけど、自分は歳が離れてるからって諦めてなんかいないですよね?』
あの日の夜、森川さん、えみりさん、カノンさんに言われた言葉を思い出します。
私なんかが、あくあ様に恋をしていいんでしょうか? 先程のエリーゼ役の子の演技を見て、やる前から諦めるんじゃないと改めて言われた気がしました。彼女のあの笑顔は、きっと勇気を出して一歩を踏み出してやりきったからだと思います。
もし……もし、私も勇気を出して一歩を踏み込めば、この蓋をした秘めた思いをあくあさんに伝える事ができれば、それがたとえ失敗したとしても、あんな笑顔ができるのでしょうか?
わかりません。わからないけど、このままでいいのだろうかという疑念が私の心の中に生まれてしまいました。
あれ……? そういえばメアリー様はどこに行ったのでしょう?
気づけばえみりさんもいないような……。なんだか嫌な予感がしますが、今日だけは知らなかった事にします。
だって今だけは、この余韻にずっと浸っていたいもの。
fantia、fanboxにてこのお話の裏側を那月会長の視点で掲載しています。
よろしければこちらもどうぞ。
本編ではやらなかったようなお話をこちらのサイトにて無料で公開しています。
・らぴす視点の、あくあが引っ越した後の日常
・スターズ編後の姐さん視点の日常回
・森川視点の日常回
・鞘無インコが配信中に、配信外のシロやたまとプレーするエピソード
・あくあ、とあ、黛、天我のバーベキュー回(ヘブンズソード撮影中)
上のサイトは挿絵あり、下のサイトは挿絵なしです。
https://fantia.jp/yuuritohoney
https://www.fanbox.cc/@yuuritohoney
Twitterアカウントです。作品に関すること呟いたり投票したりしてます。
https://mobile.twitter.com/yuuritohoney