雪白えみり、繊細でか弱くてナイーブな私(自称)。
私はあくあ様に……正確には姐さんに、都内の某スタジオが入っているビルに呼び出された。
「よく来たわねえみりさん。話は聞いてるわよ」
「うっす……」
姐さん……待っててくれるのは嬉しいけど、仁王立ちは止めよう。
知り合いじゃなかったら、決闘を待つ侍とか、完全にターゲットを殺りに来ている奴にしか見えない。
「カノンさんとペゴニアさんも話は聞いてるわ。今日は楽しんでいってね」
「はーい」
「はい、桐花さん。今日はお世話になります」
初めての撮影で緊張しちゃいけないからって気を利かせてくれたあくあ様が、カノンに私の撮影に付き添ってくれないかとお願いしてくれたらしい。ペゴニアさんは、そのカノンの付き添いで同行している。
「やべえ、緊張してゲロ吐きそう」
「ほんと捗……えみり先輩って、肝心なところで内弁慶だよね」
「仕方ないだろ。こう見えても私は神経が図太いお前と違って、繊細でか弱くてナイーブな女性なんだから」
私がそう答えると、3人は首を傾けて頭にクエッションマークを浮かべる。
「繊細? 誰が? まさかえみり先輩の事じゃないよね?」
「雪白様、か弱いという言葉の意味を辞書で調べた方が良いのでは」
「ナイーブ? えみりさん……何時ものくだらない冗談なら後にしてください」
くっそ、こいつら真顔で言いやがって!
今の私には言い返すだけの気力がないから我慢するけど、絶対に後で覚えてやがれよ!!
「雪白えみりさん、入られます」
用意された控室に入ると、私は椅子に座って項垂れる。
あー、胃の辺りからなんか迫り上がってきそう。
今日だけはクレアの気持ちがわかるぜ。
「私はちょっとあくあさん達の方を見にいってくるから、暫くの間、3人はここでゆっくりしててね」
「はーい」
くっそ、誰だよさっきから呑気に、はーいなんて言ってるマイペースで神経の図太そうなおバカ元王女は!!
「姐さん、ちょっと薄茶色の粉とリラックスできる草で一服してきていいですか?」
「言い方を考えなさい、このおバカ」
姐さんに頭をガシッと掴まれる。
身の危険を感じた私は秒で謝った。
「あっ……ハイ、すみませんでした」
「えみりさんは1人にすると問題を起こしそうだから、大人しくここで待ってなさい」
「うっす」
「でも本当にお手洗いに行きたくなったら、カノンさんとペゴニアさんに付き添って貰うといいわ。それじゃあ大人しく待ってるのよ」
姐さんはそういうと控室から出ていく。
前からわかってたけど、やっぱ姐さんはイメージそのままに仕事のできる人だった。
ソレに比べてですね。誰ですかこの元王女とかいうポンコツは?
「ふんふーん」
かーっ! こいつぅ、のんのんのんきに私の隣で鼻歌なんか歌いやがって!!
あくあ様、こいつマイナスです。全く付き添い人として役に立ってません!!
「こう見えても直前まで、1人のファンとして先に見るのはどうかなーって思ったんだよね。でもあの時、私も側に居たわけだしえみり先輩1人に行かせるのはちょっとなって思ったのよ。何よりもやっぱり1度くらいはお仕事してる時のあくあ見たかったし、今日くらいはいいよね」
「はいお嬢様、私も今日はとっても楽しみでございます」
いいないいな! 私もそっち側の気分でウキウキウォッチしたかったよ!!
あぁ……なんでこの仕事受けたんだろ……。
いや、でも待てよ。詳細はわからないけど、もしかしたら撮影中やその間にあくあ様とワンタッチくらいはできるチャンスがあるんじゃないか? もしかしたらおズボンの上からナスタッチできるかもしれないし!
ぐへへ、そう考えると気分が上がってきたぞ。どさくさに紛れて服の上からナスタッチして、後でホゲ川に自慢したろ!
「なんか急にニコニコになったけど、変な事を考えてそうで嫌な予感がする」
「ろくな事を考えてなさそうなお顔ですね。でもお嬢様もたまにああいう顔をなさっていますよ?」
「えっ? マジ? 注意しよ……」
無駄無駄! お前も私と同じお笑い担当の方の検証班なんだよ。諦めろ!!
そんな事を考えてると、スタッフの人たちが控室に入ってくる。
私は用意された衣装に着替えると、メイクや髪型を整えてもらった。
「えみりさん。時間です」
「はっ、ハイ!」
痛っ! 勢いよく立ちあがりすぎて机の角に小指をぶつけた。
ふーっ、ふーっ、私は患部に息を吹きかける。よかった怪我はしてないみたいだ。
「もう何やってんのよ。ほら、ちゃんとして」
「雪白様ファイトです」
「う、うん」
あー、また緊張しそう……。
でも我慢だ。ゲロ吐いたらこの衣装を弁償しないといけなくなる。
それだけは絶対に避けないと!!
「雪白えみりさん入られます」
う、うわぁ……。
スタジオってこうなってるんだあ。
初めて見る撮影現場に私は目を輝かせた。
「久しぶり、えみりさん」
「あっ……あくあ様、きょ、今日はよろしくお願いします」
やっば……今日のあくあ様、いつもより色気マシマシじゃん。
以前、夕迅様を演じた時も色気マシマシだったが、今回のはそれとはまた違う雰囲気の色気だ。
本当に10代の高校生なのかと疑わしくなる。
落ち着いた大人が纏わせているような色気に、立ちくらみしてしまいそうになった。
「はは、もしかして緊張してる?」
「は、ははははははい……」
「大丈夫、撮影の時はずっと俺がそばにいるから安心して」
ふぁ〜。
撮影の時は! 俺が! ずっと! そばにいる!!
この安心感、さすがはあくあ様です。
どっかの役に立たない賑やかし要員の能天気な元王女様とは違う。
「そろそろ撮影を開始しますので、演者の皆さんは所定の位置に入ってください」
「は、はい……」
Carpe diem、今からMVを撮影するこの曲は少し悲しい曲だ。
まだ実際の曲を聴いたわけではないけど、歌詞の感じを見ているとそこはかとなく哀愁を感じる。
私みたいな嗜みに負けず劣らず能天気な女が出ていいMVなのかとも思ったが、何よりもそのMVに私を誘ってくれたのはあくあ様本人だ。
が ん ば れ !
遠目から見ているカノンが口パクで私にそう囁いた。
最初はあくあ様に言っているのかと思ったけど、どうやらカノンは私に向けて言ってるらしい。
ふふっ、頼りのない介添人だけど、ここは先輩としてちょっとかっこいいところを見せちゃいますか!
私は気合を入れると、目の前のカメラへと視線を向ける。
その瞬間、私の人生で今まで使った事のなかったスイッチがカチリと入った音がした。
◆
物悲しい雰囲気のアコースティックギターのイントロが哀愁を誘う。
『私はこの感情と、今度こそ向き合わないといけないから』
騒がしい家の住民たち。
屋根裏部屋に住んでいる私は、クローゼットを開いてその中にあった一着のドレスに思いを馳せる。
『だから一歩を踏み出す。この苦しみを乗り越えて先に行く』
私はそのドレスを綺麗に畳むと、箱に入れて誰の目にもつかないように奥へと仕舞い込むと胸の上に手を置いた。
かき鳴らされるアコースティックギターの音と、ドラム、ヴァイオリン、ベースの音が重なる。
音に哀愁を纏ったまま徐々にテンポアップしていくラテン調のメロディは心を切なくさせた。
『過ぎ行く日々に、咲き誇る花々を重ねていって』
咲き誇るロンサールの薔薇園を、葬式のような真っ黒なドレスで歩く私。
その手には同じ品種の薔薇で彩られたブーケが握られていた。
『過ぎ去りし季節を愛でるように、一輪の花を慈しんでいって』
私はその中でも見事に咲き誇った一輪の薔薇に触れる。
真っ黒な手袋の中でも消えることのない淡いピンク色に目を背けた。
『手折れた花を見て、あの頃に思いを馳せる』
視線を横に向けた先に、一輪の薔薇がポトリと地面に落ちる。
それを見つめる私の心が苦しくなった。
『私の中に確かにあった恋心』
昔の私へと映像が切り替わる。
『無知で無垢な私の心が、誘惑という名の魔法に甘く囁かれる』
真っ黒なローブを被った怪しげなお婆さん。
その甘く誘惑的な言葉に、何も知らない私の気持ちが乱される。
『華やかな舞踏会、着飾ったドレスでは表面を取り繕っただけ』
窓から眺めているだけだったあの綺麗なお城。
そこはとても華やかで楽しくて……ここは私の居ていい場所じゃないと思ってしまった。
『貴方の目の前でわざとらしく、ガラスの靴を落とせたらよかったのに』
そこで見つけた1人の王子様。
多くの人に囲まれていた彼は人気者で、でもその背中からはどこか私と同じ孤独を感じさせる。
あんなに光輝いて見えるのに、それと同じくらいの影を彼は背負っていた。
『でも私は遠くから見つめていただけ』
伸ばした手を引っ込める。
並べ立てた言い訳は、自分のため。
『心の奥に仕舞い込んだ目覚めたばかりの感情は私を苦しめるだけ』
1番のメロが終わり一気にサビへと入る。
『伝えたかったこの気持ち……恋してる……切ない……愛してる』
行き場を失った感情が心の棘になって自らに返ってくる。
『後悔しかない日々に、枯れゆく花々を重ねていって』
間奏が終わり2番のメロに入ると、あくあ様の歌い方が変わる。
すごい……さっきまでは心の叫びと激情を抑えつける様なノスタルジックな歌声だったのに、今は優しさと悲しさを纏ったノスタルジックな歌声へと変化していた。
『重ねる季節を悲しむ様に、最後の花を哀れんでいって』
私が去った後の薔薇園を歩くあくあ様。
そこに咲き誇っていたロンサールの薔薇は既に萎れていた。
『新しい蕾を見つけて、棘の刺さった心が痛む』
あくあ様は地面に膝をつくと、小さな蕾を包み込むように指先でその輪郭をなぞる。
何かに気がついたあくあ様はそちらの方へとゆっくりと視線を向けた。
『私の中に確かにあった恋心』
枯れた薔薇の花束を拾い上げるあくあ様。
もうそこに私はいない。
『積み重ねたこの感情に、毒を孕むのであれば』
一輪の手折られた薔薇が川に手向けられ流されていく。
『時を戻して、煤けたドレスのままで居たい』
鏡に映った自分の煤けたドレス姿を見つめる。
クローゼットの中には、もうあのドレスはない。
『鐘の音が鳴るより前に、カボチャの馬車で帰れたらいいのに』
伸ばした手を引っ込めて後ろを向いた私の手首をあくあ様が掴んだ。
目があった瞬間に、恋に落ちるってわかっていたから、私は気持ちを振り切るようにその腕を振り解く。
『遠くから見つめているだけでよかった』
そんな私の体をあくあ様は後ろから抱き締めて引きとめる。
お願い、こっちを振り向いてと囁かれた。
『誰にも言えなかった淡い想いは私を苦しめるだけ』
振り向いたらこの恋心から引き返せない。
それがわかっていたのに、私は振り向いてしまった。
『知らされる事のなかったこの気持ち……苦しい……大好き……耐えられない』
時が戻せるなら、恋心を知らなかったあの頃へと還りたい。
だってこの恋は叶わないのだから。
『幼い時に聞かされた童話』
お祝いムードに満ち溢れた街の中を1人私は歩く。
一夜の恋心に身を焦がした私は自ら身をひいた。
『シンデレラになれなかった私は主人公になる』
曲は間奏を挟んでいよいよクライマックスへと向かう。
『ごめんね。臆病だった私は一歩を踏み出せなかった』
煌びやかなドレスを脱いで煤けたドレスを身に纏った私には彼の隣はあまりにも眩しすぎた。
私にはそこから一歩を踏み出して、彼の隣に並び立とうとするだけの気持ちが足りなかったんだと思う。
『だから感情が揺れ動いたその時は、今度こそ向き合おうこの気持ちに』
その事を今更になって後悔しても全てが遅すぎた。
彼の隣で笑っている女性は私ではない。
『誰かを愛した日々は、今も私の心の中。さぁ一歩を踏み出そう。今度こそ後悔しないために』
複雑な感情を織り交ぜたようなあくあ様の優しくも魅惑的な声に最後は全員で酔いしれ聴き惚れた。
Carpe diem
歌 白銀あくあ
作詞・作曲・編曲
天我アキラ/黛慎太郎
テロップを見てびっくりする。
後で聞いた話によると、この曲の作詞の原型は天我先輩のポエムらしい。
それを黛くんがちゃんと歌詞にして、なんと今回は基本となるメロディーラインまで作ってしまった。
天我先輩はさらにそれをブラッシュアップして、たった2人で1曲を作り上げてしまったのである。
やば……。
完成した映像を見つめる女性陣は皆、普通に泣いていた。
ペゴニアさんは耐えているが、カノンはガン泣きだし、あの姐さんですら涙を流している。
流石に私は映像に自分が映っている恥ずかしさもあって、そこまでのめり込めなかったけど、なんか……なんかよくわからないけど、今までに感じた事がなかった達成感が心を満たしていった。
「ねぇ、貴女、役者には興味はない?」
「えっ?」
帰り際、私にそう声をかけてくれたのはベリルエンターテイメントの天鳥社長だった。
「あっ、すぐに返答をしろってわけじゃなくて、一度じっくりと考えてみてくれる? もし興味があるなら私の知っている人を紹介するわ。きっとバイトをするよりたくさんお金を稼げるはずよ。あ、後これ、今日の分、ありがとう。素人さんだから、他の人とのバランスを考えたら多くは払えないんだけど、事情は聞いてるから」
天鳥社長は少し厚みのある封筒と電話番号の書かれた名刺を私に手渡して去っていった。
役者か……興味がない事はないけど、そっちの仕事をするなら一度両親にも相談しないとな。
まぁ、そんなことは一旦置いといて、ソレよりもだな……慌てて便所に駆け込んだ私はすぐに封筒を開いて中を確認する。
うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!
すげぇ。普通に大卒初任給の平均くらいの金額が封筒に入っててびっくりする。
「こ、これで飯が食える。しばらくの間、雑草とはおさらばだ!!」
私が便所でガッツポーズしてると、嗜みから、大丈夫? 大きい方? ってメッセージが飛んできた。
失敬な! 大なんてしてるわけないだろ!!
それにお前も元お姫様ならそんな事を言うな!!
私は便所を出ると、帰りを待ってくれている2人の元へと向かった。
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