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ヘブンズソード 第8話「ハンバーグは母の味」

 小学生の頃、私はみんなとご飯を食べるお昼の休み時間が1番の楽しみだった。


「ななちゃんのご飯美味しそう」

「うん、お母さんが作ってくれたんだ!」


 料理が好きなお母さんが作ってくれたお弁当。同級生からも羨ましがられるほどで、幼い私にとっては自慢の一つだった。特にその日は私の大好きなハンバーグの日だったから、蓋を開けただけで思わず笑みがこぼれてしまっていたのだろう。いつもより大きな口を開けてハンバーグをパクパクと食べていたら、それをみていた男子から怒鳴り声が聞こえてきた。


「おい! ドカ食い女!! さっきから嬉しそうに飯食ってんじゃねえぞ。ニヤニヤしながら飯食って気持ち悪いんだよ、デブ!!」


 男の子にとっては何気ない一言だったのかもしれません。でも……その一言が私にとってのトラウマになることはそう難しいことではありませんでした。


「ななちゃんって、すごく細いね」

「う、うん、ありがと」


 それから数年後、高校生になった私は食事を楽しむことができなくなってしまいました。

 かと言ってそれを誰かに相談することもできず、友達と楽しくご飯を食べていた昼食の時間は、1人おトイレで過ごすことが増えていったのです。


「オェッ……」


 せっかくお母さんが早起きしてくれて作ってくれたお弁当。無理してでも食べようと思ったけど、食べられなくって吐いてしまう。

 前までは食べられる日があったり、少しは食べられたりしたのに、ここ数日は更に症状が悪化してまるで食べられなくなってしまいました。家では外で友達と食べてきたからと嘘をついたけど、それだっていつまで誤魔化せるのか分かりません。


「ごめん、ごめんね、ごめんなさい……」


 私はお弁当箱に入っていたご飯を泣きながらゴミ箱に捨てた。食べずに持って帰ったり、吐いた形跡を見られたらお母さんを心配させてしまう。それだけは絶対に避けたかった。


「またねー」

「うん、また……」


 学校からの帰り道、空腹で倒れそうになる。

 それでも何かを食べようといざ食べ物を口に入れると吐いてしまう。


「もう……いやっ……!」


 自分でもどうにかしたいと思っていても、どうにもならない。

 なんでこんなことになっちゃったんだろう。自問自答した所で解決策など見つかるはずがなかった

 空腹のせいで頭が回らなくて、どんどんと悪い方向へと頭が回ってしまう。


 私が悪いのかな?


『そんなことはない。悪いのはお前じゃなくてその原因を作った男の方じゃないか』

「だ、だれ!?」


 声のした方へと視線を向けると、小さな影が広がって地面から何かが出てくる。

 私は慌てて逃げようとしたけど、何も食べてないせいか足に力が入らずにもつれてこけてしまう。


「チ、チジョー……」


 地面の小さな影から現れた虎型のチジョー。

 私の体は恐怖で動けなくなる。


「安心するがいい。私の闇の力でお前をその苦しみから解放してやろう」

「い、いや……」


 私の方へと手を伸ばす虎型のチジョー。

 その掌から出てきた真っ暗な霧が、私の口から体の中へと吸い込まれていく。


「えっ!?」


 次に目が覚めた時、私は教室の中で自分の席に座っていた。

 夢を見ていたのかと思ったけど、黒板に書かれた日付は翌日の日付を記していた。

 昨日チジョーに襲われてから、今までの記憶がない……。

 そんな日が何日も続いた。


「それじゃあ今日の授業はここまでだけど、最後に一つだけ。ここ数日、夜になると付近を徘徊しているチジョーの姿が何度か目撃されています。まだ何か事件があったわけではないけど、SYUKUJYO機関が対応するまでの間、十分に気をつけて帰宅するように。当面の間は部活も休みだから、みんなも寄り道せずにさっさと帰ること。いいですね?」

「「「「「はーい」」」」」


 嫌な予感がした。

 今日は記憶があるうちに早く帰ろうと、私は急いで家に帰る。

 でもその途中でお腹が空きすぎてふらついてしまう。


「大丈夫か?」

「えっ? お……男の……人?」


 そんな私の体を支えてくれたのは、近くのファストフード店の名前が入ったデリバリージャケットを着た男性だった。帽子をかぶっているから逆光で顔はよく見えなかったけど、長身で少し筋肉質な体に思わずドキッとしてしまう。


「す、すみません!」


 男の人に迷惑をかけちゃダメだと体を離したけど、それと同時に私はグゥッと大きくお腹の音を鳴らしてしまった。

 また、男の人に馬鹿にされるかもしれない。

 お腹の音を聞かれた恥ずかしさよりも、フラッシュバックしたトラウマが私の顔を青ざめさせる。


「お腹が空いているのか?」


 私はその問いに対して何も答えられずに固まってしまう。


「こっちだ」

「あっ……」


 男の人は私の手を掴むと、近くのファストフード店の中へと私を引き摺り込む。

 店内に入ると、なぜかもう1人の男の人がカウンターの向こうに仁王立ちしていた。

 その男性はこちらに向かって不敵な笑みを浮かべると、持っていた小手返しでポテトをひっくり返す。


「剣崎、俺のエレガントなポテートゥの返しと、完璧にマリアージュされた塩捌きを見よ!!」


 す、すごい……なんかよくわからないけど、無駄にかっこいい動きがすごかった。


「神代……残念だが、ハッシュドポテトの提供は朝だけだ。あと、その無駄になったハッシュドポテトの代金はお前のバイト代から引いておくように後で店長に言っておく。悪く思うなよ」

「なっ、なんだと!?」


 あっ……神代と呼ばれた男性が、綺麗に膝から崩れ落ちた。

 一体私は何を見せられているのだろうかというツッコミはさておき、私の腕を引っ張ってファストフード店へと招き入れた男性は、カウンターの向こう側に行くとメニューを私へと差し出す。


「好きなものを食え。神代の奢りだから気にするな」


 いいのかな……? 後ろにいた神代さんを見ると、なんとも言えないすごい顔をしていた。


「剣崎……くっ、気にするな。好きなものを食え!」

「冗談だ神代。もちろん俺が出す。だってお前、失敗しすぎて今日のバイト代なしだぞ」


 あっ……カウンターの後ろを見ると、確かに失敗した形跡が残っていた。


「ふふっ……あっ……」


 男の子達2人の話につい笑みがこぼれてしまった。

 ど、どうしよう。笑っちゃいけないよね?

 またあの時の男の子の顔が頭の中に浮かびそうになる。


「ふっ、やっと笑ったな」

「あ……」


 剣崎と呼ばれた男性が、目深くかぶっていたキャップの鍔を上に持ち上げた。

 優しくて暖かい笑顔に、私は思わず頬の色をピンク色に染める。

 なんて素敵な笑顔なんだろう……。男の子ってこんなふうに笑うんだ。

 私を嘲笑したあの男の子の顔が吹き飛ぶくらいの眩しい笑顔に惚ける。


「あ、えっと……」


 私は自然とポケットの中から財布を取り出そうとする。

 すると剣崎さんは首を左右に振って、私に財布をしまうようにジェスチャーした。


「心配するな。スマイルは0円だ」

「ちなみに俺のスマイルも無料だぞ。どうだ!?」


 男の子達2人の笑顔にほんの少しだけ心が軽くなった気がした。

 もしかしたら今なら、少しは食べられるかもしれない。


「あ……あの、ハンバーガー1つ」

「わかった。この番号札を持って席で待ってろ。すぐに届ける」


 私は番号札を持って近くの食事スペースの一角に腰掛けた。

 カウンターの奥からは、さっきの2人の話す声が聞こえてくる。


「ふっ、剣崎! パゥティーなら俺に任せろ! ポテートゥで鍛えたこのエクセレントな小手返しを見よ!」

「また肉を焦がすなよ神代。次に失敗したらマイナスどころか、多分クビだぞ」


 なんだろうこの気持ち……。

 あの時、食事が楽しかった頃の思い出が蘇ってくるようだ。


「ドリンクは店からのサービスだ。おかわりが欲しかったら言え」

「ハッシュドゥポテートゥは俺からのサービスだ!」


 目の前の作り立てのハンバーガーを包んだ袋を触ると、とても温かかった。


「い、いただきます……!」


 私は包み紙を開くと、中に入っていたハンバーガーにかぶりつく。

 そのハンバーガーの中に入っていたパテは、平べったくて、薄くって、味付けだってお母さんのふっくらとした柔らかい優しい味のハンバーグとは違っていた。

 でも……でも、大好きなお母さんのあのハンバーグを思い出して、目から一筋の涙がこぼれ落ちてしまう。


「あ、あれ……私、ごめん、ごめんなさい」


 私は手の甲で涙を拭う。でも泣けば泣くほど涙が止まらなくなった。

 剣崎さんと神代さんの手が私の方へと伸びてくる。

 男の子の前で泣いちゃダメだと、強く目を擦すっていたら2人にそれを止められた。


「落ち着け。ゆっくりと食べていい」

「そうだぞ。俺なんか初めてハンブゥーガァーを食べた時、慌てて食べ……感動で喉を詰まらせたからな」


 2人の手がそっと私の両頬に触れる。そしてそのまま私の目に溜まった涙を、2人の親指が優しく拭ってくれた。

 なんて優しい人たちなんだろう。男の人にもこんな暖かい心の人がいるんだ。

 心の奥に刺さったトラウマの棘が抜けかけたその瞬間、今までで1番、より鮮明にあの頃の記憶が私の頭の中にフラッシュバックする。


『おい! ドカ食い女!! さっきから嬉しそうに飯食ってんじゃねえぞ。ニヤニヤしながら飯食って気持ち悪いんだよ、デブ!!』


 あっ……あっ……だめ、見ちゃだめ。

 目の前のお店の窓ガラスに反射した自分の笑顔がトリガーになった。


『そんなことはない。悪いのはお前じゃなくてその原因を作った男の方じゃないか』


 自分の体の中から黒い霧のようなものが出てくる。


「あっ、ダメ……ダメええええええええええ!」


 私の叫び声と共に、自分の体がチジョーへと変化する。

 やっぱり私がチジョーだったんだ……。

 今までと違ってはっきりとした意識がある。

 でも、でも……頭の中が男の人の憎悪でいっぱいになって、自分のことが制御できない。


「お願い! 剣崎さん! 神代さん! 逃げて!!」


 私は振り絞るように声を出して、自分の体を何とか抑えつける。

 でも2人は一歩としてこの場を離れようとはしなかった。


「……心配するな。俺がお前を止めてやる」


 神代さんはどこからともなく飛んできた蜂の形をしたロボットを手で掴む。


「お母さんが言っていた」


 剣崎さんもまた同じように、飛んできたカブトムシを手で掴んだ。


「楽しい食事のひと時を邪魔するやつに、ろくな奴はいないってな」


 腰に現れたベルトに、2人はその機械を勢いよく装着する。


「変……身!」

「ヘンシンッ!!」


 あぁ……そっか、2人はドライバーだったんだ。

 SYUKUJYO機関が開発したドライバーシステム、本来であれば女性しか変身できなかったのに、なんのイレギュラーか、男の子達がドライバーに選ばれてしまったとニュースで世間を賑わせていたことを思い出す。

 3人の男性達の詳細は明らかにされてなかったから、みんなSYUKUJYOのメディア戦略かなにかじゃないのかと噂されていたけど、本当に実在していたんだ。


「男……おとこ……オトコっ!!」


 だめっ、もう自分の体どころか声すらも抑えつけられない。


「ワタシ、私を! 笑うナアああアアアアア!!」


 チジョーになった自分が剣崎さんと神代さんを攻撃する。

 完全に本体との意識を遮断された私は、その姿を俯瞰するように眺めることしかできなかった。

 お願い、やめて! その人達を傷つけないで!!


「クソッ、誰かを傷つける前に、俺がとどめを刺す」


 弓を引こうとした神代さんの動きを剣崎さんが制する。


「神代、彼女は今までのチジョーと違って、まだ完全には乗っ取られてはいない」

「なんだと!?」

「おそらくだがまだ彼女の意志が残っている。チジョーになってからまだ日が浅いのだろう。誰も傷つけてない今なら、まだ何とかできるかもしれない」


 2人はチジョーとなった私の攻撃をいなしつつ会話を進める。


「じゃあ、どうすればいい!?」

「わからん! わかってたらそもそもお前に相談してない。だから神代、お前も考えるんだ!!」


 どこからともなく現れた量産型のチジョーが戦いに加わる。

 チジョーになった私に対して、攻撃を防ぐだけで反撃してこない2人は徐々に不利な状況へと陥っていく。


「お、オネガイ……誰かを傷つけるマエに、わ、ワタシ ヲ コロして……」


 最後の力を振り絞り声を出す。

 死ぬのは怖い……怖いけど、誰かを傷つける自分の姿を想像したらもっと怖かった。

 でも、そんな私の思い言葉とは裏腹に、チジョーとなった私は2人に向けて攻撃を繰り出す。

 あ、危ないっ!


「そうはさせない!」


 チジョーになった私の放った黒い霧の攻撃は、誰かが放ったレーザー攻撃によって霧散する。


「ダレダ!」


 攻撃してきた方へと顔をぐるりと回すと、SYUKUJYOの制服を着た大人の女性と小柄な少女がレーザー銃を構えて立っていた。その背後には多くのSYUKUJYOの隊員たちがいる。


「剣崎、神代、周りの雑魚は私たちに任せろ!! 加賀美! お前は2人をサポートしてやれ!!」

「わ、わかりました。ミサ先輩!!」


 ミサ先輩と呼ばれた長身の女性は襲いかかってくる量産型のチジョーを素早いパンチで殴り飛ばすと、そのモデル並みに長い足を天高く上げて量産型チジョーの頭上へと踵を落とす。

 何という身体能力だろう。チジョーになった女性は、通常の女性とは比べ物にならないくらい身体能力が上昇する。でも彼女は、そのチジョーに対して純粋な腕力とフィジカル、パワーでもって圧倒しているのだ。


「神代、今のうちに彼女をどうにかするぞ」

「だからその、どうにかするの、どうにかするを説明しろ! 剣崎!!」


 チジョーになった私は再び手から黒い霧を出して2人に攻撃する。

 2人はその攻撃を地面に転がったりして華麗に回避していく。


「ええい! この黒い霧の攻撃が鬱陶しい!!」

「黒い霧……」


 SYUKUJYOの隊服を着た加賀美と呼ばれた少女は、タブレットを取り出して何かを検索し始める。


「2人とも! この黒い霧自体がチジョーかもしれない!! 以前にも似ている攻撃を仕掛けてきたチジョーがいるって、過去のデータベースにも載っている!! 憑依型のチジョーで、女性に長く憑依することによってネームドチジョーに変えてしまう、チジョーの中でも幹部クラスと呼ばれている大物です!! その名も、トラ・ウマー!」


 そ、それじゃあさっき頭の中に響いたこの声は……。


『今更気がついたところで遅い!!』


 チジョーになった私は攻撃を強める。


「それでどうすればいい!!」

「えっと、えっと……あっ! さっきのレーザー銃の攻撃で黒い霧が霧散したように、もしかしたら何か光るものに弱いのかも。その一瞬だけ影を引き離すことができれば、ちょっとはどうにかできるかもしれない」

「本当か?」

「神代、真実かどうかは重要じゃない。可能性があるのなら俺はそれに賭け続けるだけだ」


 剣崎さんはどこからか一枚のカードを取り出す。


「俺に策がある。2人は時間を稼いでくれ!!」

「任せろ剣崎!」

「わ、わかった!!」


 神代さんと加賀美さんは私からの攻撃を協力していなしていく。

 でもどうするんだろう? 外はもう真っ暗だからこの店内を照らす蛍光灯より明るい光なんて存在してない。

 剣崎さんは、手に持ったカードに向けて優しい声でそっと呟いた。


「彼女を救うためにお前の力が必要だ。俺に……俺たちに手を貸してくれロ・シュツ・マー」


 その言葉に応えるように、ロ・シュツ・マーのカードが淡い光に包まれていく。

 あぁ、なんて優しい色なんだろう。暖かくて、ほんわかとしてて、さっきの心が安らいだ瞬間を思い出すようだ。

 徐々に広がっていくカードの眩い光にあてられたのか、私の体を包み込んでいた黒い霧がほんの少しだけ体から引き剥がされる。

 自由だ……体が自由に動く。でも徐々に弱まっていく光、再び黒い霧が私の方へと戻っていく。


「剣崎さん! 神代さん! 2人とも、もういいから! SYUKUJYOの隊員さん、誰でもいいからこのまま私の事を殺してください!!」


 もうどうしようもない。それなら私は、人の心を持ったまま死にたいとそう願った。

 でも、でも……彼はまだ、彼だけはまだ私を救う事を諦めてなかったのである。


「ありがとう。ロ・シュツ・マー。だから今はゆっくり休め……あとはお前が信じた俺に任せろ」


 剣崎さんはロ・シュツ・マーのカードを優しく撫でると、私のいる場所へとゆっくりと歩きながらベルトに装着されたカブトムシのツノに手をかける。


「剣崎!?」

「剣崎さん!?」


 神代さんと加賀美さんは、剣崎さんの取った行動に驚きの声をあげる。

 誰しもが攻撃を仕掛けると思ったその瞬間、剣崎さんはベルトに装着されたカブトムシをパージして変身を解除した。


「さっきの黒い霧に触れた瞬間、君の抱えているトラウマが俺にも伝わってきたよ」


 剣崎さんは床に転がったかじりかけのハンバーガーを拾う。

 幸いにも包み紙に包まれていたために、奇跡的にそのままの形状を保ったままだった。


「俺もな、お母さんのハンバーグが大好きだったよ。ふんわりと膨らんでて、店で売ってるのとは違うケチャップ味の優しい味のハンバーグ。あぁ、思い出すな……」


 見たこともない男性の優しい顔に、私だけじゃないチジョーもSYUKUJYOの隊員さんたちも動きを止めて見惚れてしまう。

 何を思ったのか、剣崎さんは軽く埃を払うような仕草をすると、大きく口を開けてそのハンバーガーにかぶりついた。


「うん、うまいな」


 えっ? ……えっ!?

 ちょっと待って、これ間接キスじゃ……待って! こんなの聞いてない!!

 台本なんてもう擦り切れるほど読んだけど、こんなシーン間違いなくなかった!!

 こ、これって、もしかしてアドリブ!?

 私の目に親指を突き立てた本郷監督の姿が目に入る。


 そのままいけ!


 そう言われた気がした。


 か……。


 完成させなきゃ……!


 そうだよ。この素晴らしい演技を、みんなが繋いでくれたこのシーンのクライマックスを完成させるんだ!! 子役から10年やり続けてやっと掴んだこの役。私は、私の今できる最高の演技をもって、この男の子に……ううん、そうじゃない! 1人の役者、白銀あくあの、この最高のアドリブに応えなければいけない!! 腹の底から気合を入れろ、私も同じ役者だろ、奏いちか!!


「いい……のかな?」


 私は黒い霧を引き剥がすように、ゆっくりと前に一歩を踏みだす。


「わ、私、みんなと食べるご飯が好き! お母さんのご飯が好き!! だから、だから……!」


 助けて……! このトラウマを、貴方のその素敵な笑顔で吹き飛ばしてほしい!!

 剣崎さんの顔を見つめると、それに応えるかのように、剣崎さんは今日1番のスマイルを見せてくれる。

 その笑顔はどこまでも優しくて、どんな闇すらも吹き飛ばしてくれるような、全てを救ってくれる光のような眩しさを放っていた。


『ぐわあああああああああ』


 頭の中で、私に取り憑いていたトラ・ウマーの声が響く。

 苦しむ私の顔を見て、剣崎さんが私の方へと更に一歩、また一歩と近づいてくる。


「そういえば、お母さんはこうも言っていたな」


 剣崎さんはチジョーになった私の体を、その黒い霧ごと抱き締める。

 本当なら黒い霧のダメージによって痛いはずなのに、ほんの一瞬さえもその表情を崩すことはなかった。


「俺の笑顔の前では、太陽の光すらもスポットライトでしかないと。さぁ、余すところなく見るといい。これが今の俺にできる全力のスマイルだ!!」

『うぎゃあああああああああ!』


 心の中でトラ・ウマーと同じ叫び声をあげる。

 もはやプロの女優としての意地だけが、私をその場に立たせていた。


「あと少しだったのに、邪魔をしやがって!!」


 私の体から離れていった黒い霧が、SYUKUJYOの隊員の1人であるミサ先輩と呼ばれた女性の方へと向かうが、簡単にあしらわれてしまう。いや、トラ・ウマーはあえてフェイクとしてそういう動きを見せたのかもしれない。そのまま直角にカーブした黒い霧は、一目散に加賀美さんの方へと向かった。


「加賀美!!」


 黒い霧に包まれた加賀美さん、しかし、トラ・ウマーはすぐに離れていく。


「な、なんだと!? お前、まさか……くっ、まぁいい。今日のところはここまでだ」

「待てっ!!」


 変身を解除していなかった神代さんの矢と、ミサ先輩の放ったレーザー銃の光が逃げるトラ・ウマーの黒い霧へと向かう。しかし神代さんの放った矢は回避され、ミサ先輩の放ったレーザー銃の攻撃はそもそも見当違いの方へと向かっていく。そういえばさっき加賀美さんと2人で銃で撃った時も飛んできた光線は一筋だけだったし、もしかしたらミサ先輩はノーコンなのかもしれない。

 このシーンの後、無事に救出された私のシーンを少しだけ撮影して私の出演は終わりになったが、まだ少し他のシーンの撮影が残っている。

 逃げたトラ・ウマーは、誰もいない路地裏で本来の形状である虎型の姿へと戻った。


「な、なんなんだあいつらは……」


 人通りの少ない場所、そこを歩く1人の女性の後ろ姿を見たトラ・ウマーはニヤリと口角を上げる。

 新しいターゲットを見つけたと、そろりと路地裏に出ようとした瞬間。誰かの放った攻撃がトラ・ウマーの頬を掠めた。


「くっ……またお前か、しつこい!」


 路地裏のさらにその奥、何も見えないほどの暗闇の中から革靴の冷たい音が聞こえる。

 皺ひとつないスーツに身を包んだその男性は、クールな形のメガネを誰よりもかっこよくクイっと持ち上げた。


「トラ・ウマー……俺は2人のように甘くはないぞ」


 自らの主人と共に現れたバッタは暗闇の中で、その大きな二つの目を不気味に光らせる。


「変身……」


 橘斬鬼、三人目のドライバーにして、このお話より前に剣崎たちよりも早くトラ・ウマーに遭遇した彼は、トラ・ウマーが生み出してしまったチジョーのせいで心に小さくない影を落としてしまった。


「クソッ、ドライバーどもめ! 私の邪魔ばかりしやがって!!」


 トラ・ウマーはチジョーの中でもかなり臆病な性格をしている。だから憑依をしたチジョーばかりを戦わせ、不利な状況になると逃げ出すのだ。しかし、そんな彼女だからこそ、生きて生き抜いてチジョーの幹部にまで上り詰めることができたのだろう。

 この日も橘さんが変身したライトニングホッパーと少しやり合っただけで、トラ・ウマーは逃げ出してしまう。


「はい、カット!!」


 今日の撮影の全てを撮り終えた時、現場に大きな拍手が響き渡る。

 この最後のシーン、本当なら私のような関係のないキャストは先に帰宅するのが他の現場では当然だけど、このヘブンズソードでは、今日の撮影に出演した全ての演者、スタッフが誰1人として帰らずに最後まで撮影を見守っていた。

 聞いた話によると、他の放送回でもそんな感じらしい。


「ふぅ……」


 撮影が終わった現場の一角で、私は飲み物を口に含んで一息つく。

 私の名前は(かなで)いちか。芸歴は10年以上ある中堅だけど、こう見えてまだ17歳の現役女子高生。剣崎総司を演じた白銀あくあ君より一歳年上の高校2年生です。

 今回、私は与えられた役の台本を見て、少し複雑な気分になりました。

 なぜなら私が演じるななが抱えるトラウマが、今の私には痛いほど理解できたからです。

 だからこそあのシーンで、ななが剣崎さんに救われてよかったと自分の事のように嬉しくなりました。


「ねぇ、よかったらご飯食べて行かない?」

「あっ、はい」


 満足感に包まれて帰宅しようと思ってたら、本郷監督からご飯に誘われました。

 ちょうど時間も夕食どき、どこかのご飯屋にでもいくのかなと思ってたら、監督は私を連れて大部屋の方へと向かう。他にも誰か誘うのでしょうか? そう考えていたら、多くの人たちが何かを囲むように人だかりを作っていました。


「え……?」


 その中心にいたのはベリルの子たちでした。

 撮影が終わったばかりの黛くんはシャワーとか着替えのためにいなかったけど、あくあ君たちは何かの料理を作っていたのです。


「遅いしみんなが余った材料でなんか作るって、よかったら食べてこ」

「は、はい」


 こ、こんなこと普通にありえるのでしょうか?

 男の子たちが料理を作って振る舞う? あまりにも非現実的な光景に頭がついていかない。

 私はゆっくりと人の流れに合わせて、料理をしているあくあ君の方へと向かう。


「これ……って」


 あくあ君が揚げていたメンチカツを見た瞬間、私は固まってしまう。


「あれ? いちか先輩ってもしかして、メンチカツ苦手でした?」


 確か撮影のためにハンバーグの材料を発注したら、業者さんがサービスとか言っていっぱい持ってきすぎちゃったって話を誰かがしていた。あくあ君たちは、そのハンバーグの材料を使ってメンチカツを作ったのだろう。

 それはわかる……わかるけど、メンチカツを見た私は心が締め付けられるような気持ちになってしまった。


「ううん、そうじゃない。そうじゃないの……」


 あくあ君の揚げた大きめのメンチカツを見て、母のことを思い出して涙が溢れそうになった。

 私のお母さんは商店街で揚げ物屋さんを営んでいます。クラスメイトのみんなも小さい頃からお店に来てくれる常連客ばかりで、子供としてすごく誇らしかった。だから私が学校に持って行くお弁当も必然と揚げ物が多くて、たまにお母さんが気を遣ってたくさん作ってくれたものをみんなと一緒に食べたりしていたのです。

 ついこの前、いつものように仲の良い女の子たちにもお裾分けしようと、タッパーに詰めたメンチカツを学校に持っていった時に事件は起こりました。


『うげ……タッパーに揚げ物入れて持ってくるとかババくせー、しかもそんなデカイのよく食うよな。これだから女子はガツガツしてるって言われるんだよ』


 たまたまそれを見られた学校の男子に、そんなことを言われた私は悔しかった。

 言い返したかったけど、相手は男の子だしそんなことできる訳がない。


『そ、そうだよねー……ははは』


 私は自分に嘘をついて笑顔を作る。

 男の子に傷付けられた事よりも、嘘をついてしまった事に、言い返せなかった事に、お母さんに申し訳なくなって、自分に腹が立った。


「いちかさん大丈夫? 体調悪いとか、気分が悪いなら揚げ物はやめといたほうがいいかも」

「う、うん……」


 こんな事、2度とないかもしれない。それでも、私にそれを食べる資格はないと思ってしまった。


「あっ、とあ、そこにあるタッパー取ってよ」

「あいあい」


 えっ?

 あくあ君は、その中に油を切ったメンチカツを2つ3つ放り込む。

 そしてタッパーの蓋を閉めると私の方へと手渡した。


「もしかしたら、今は欲しくなくても帰った後にお腹空くかもしれないから。よかったらこれ持って帰ってよ」


 あくあ君からメンチカツの入ったタッパーを受け取った私は固まる。


「……あ、あくあ君って、タッパーにメンチカツ入れて学校のお昼に食べる女の子って、どう……思う?」

「え? いいんじゃないですか?」


 何を聞いているんだろう私と思ったけど、あくあ君はその問いに即答してくれた。

 そしてその後にもさらに言葉をつづける。


「むしろ俺としては、これ余りものだからと、タッパーに入れたメンチカツを恥ずかしそうにくれるような幼馴染のお隣さんが欲しかった。なお、同級生でも、少し年上のお姉さんでも可」


 それ、私の事じゃん……。幼馴染でもお隣さんでもないけど、一才年上だしメンチカツ好きだし、それ私の事でしょ……。はっ!? だ、だめよ。今もう少しで勘違いしちゃうところだった。

 さすがは共演者の女性を全て恋に落とすと言われてるあくあ君だわ。油断も隙もない。


 ぐぅ。


 あっ、気が抜けたのか、お腹の音が鳴って顔が真っ赤になる。

 もしかしたら、聞こえちゃったかな?


「……どうします? やっぱりここで食べて行きますか?」


 私は少し顔を赤くして、ゆっくりと首を左右に振る。


「ううん、やっぱり帰るよ。きっと、お母さんが家で私の帰りを待ってくれてるから」

「そっか。じゃあ気をつけて帰ってね。それといちかさん、今日の現場ではお世話になりました。アドリブ入れて良いって事前に本郷監督からは言われてたんだけど、いちかさんならうまく繋いでくれるってわかってたから」


 自然とメンチカツが詰まったタッパーを持つ手に力が入る。

 あの時、頑張ってよかったと思った。それと同時に、私は今以上に頑張らなきゃという気持ちが強くなる。


「あくあ君……私、もっともっと頑張るから、だから待っててほしい。今度はちゃんとしたレギュラーの役で共演してみせるから!」


 役者としての私からの宣戦布告だった。

 あくあ君の隣に立っても恥ずかしくない女優になる!


「お母さん、今から帰るね……うん、うん! それとすごいもの持って帰るから楽しみにしてて、だから今日も一緒にご飯食べようね!!」


 撮影現場を出て帰路に着く私の心に、あの嫌な思い出はもう一欠片として残ってない。

 だって、太陽よりも眩しいあくあ君の笑顔が、そんなどうでも良いことを全て吹き飛ばしてくれたから。


「よーし、頑張るぞーーー!」


 だから、待っててね、あくあ君。私もすぐにそこにいくから!!

 そしてその野望が叶った暁には……。

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