白銀あくあ、自己嫌悪に陥る。
この世界の俺には妹がいる。
名前を白銀らぴす。中学2年の多感なお年頃だ。
プラチナブロンドの綺麗な髪と、翠と藍のオッドアイが特徴的である。
ちなみに母であるまりんとは、髪の色も目の色も全くといっていいほど違う。
「だってらぴすちゃんは、もう一人のママ似だから」
「えっ!?」
もう一人のママ? 確か父親が違うとかなんとかって言ってなかったっけ?
俺が頭を混乱させていると、母さんは手をポンと叩いた。
「あっ、そっか、あくあちゃんは記憶喪失だったから混乱させないように父親が違うって言ってたんだっけ」
母さんは本棚から一冊の本を開くと、とあるページを開いて俺の目の前に差し出した。
そこに書かれていた内容を読んで俺は目を強く見開く。
男子出生数低下による同性同士による出産について。
俺はページをめくってその内容を確認する。
その項目に書かれていた事を要約するとこうだ。
つまりこの世界では女性同士の生殖細胞を摘出して、遺伝子編集技術を用いて赤ちゃんを作る技術が存在している。そういえば俺のいた世界でも、マウスで同性交配の実験が成功したとニュースになっていたな。
恐るべき科学の進歩に目を見開いた。
「えっ? じゃあ……」
俺は母さんの顔を見つめる。
「うん、お母さんは二人のママと結婚して3人を出産したのです! 正確にいえば、あくあちゃんとしとりお姉ちゃんが私、そしてらぴすちゃんを出産したのはもう一人のママだけどね」
驚愕の事実である。
なんと、今世でも俺にお父さんはいませんでした。
「ごめんね、あくあちゃん……」
何故か母さんは、瞳をうるうると滲ませる。
「あくあちゃんだって、本物のお父さんが欲しかったよね?」
「あ、いや……そんな事ないよ母さん。産んでくれたことに感謝をしても、文句を言うことなんて絶対にないから」
涙脆い母さんは、俺の名前を呼びながら胸の中に飛び込んできた。
俺は抱きつき癖のある母さんを抱き止めると、優しく背中をさすってあげる。
着物のせいで最初は気がつかなかったが、抱き締めるとその体は思っていたよりも小さい事に気がついた。
母さんは、こんなにも小さな体で俺たち家族を支えて、ずっとこの世界の俺の我儘に耐えていたのか。
そう考えると自分のやった事ではないとはいえ、やるせない気持ちでいっぱいになる。
「あっ、あっ、ありがとうあくあちゃん、ごめんね。お母さん思わず抱きついちゃって、気持ち悪かったよね」
「ううん、少し恥ずかしいけど、母さんの事を気持ち悪いとかそんな事思ったこともないから」
正直、前世でも親子の関係が一度もなかった俺には、母親というものはドラマとかお話の中での知識しかない。
それでも病院で最初に出会った時から、母さんは本当にずっと俺の事を気遣ってくれている。
母親としての無償の愛、家族の優しさ、本物の家族を知らなかった俺に母を教えてくれたのは母さんだった。
そんな母に感謝をすることはあっても、文句を言うことなんてあるだろうか?
だけどその反面、俺は初めての母親にどういう距離感で接していいのかわからずに戸惑っている部分もある。
俺がもう少し小さければもっと素直に甘えられていたかもしれないが、素直に甘えられる年齢ではないのだ。
「うっ、うっ、あくあちゃんが良い子すぎて辛いよぉ」
慰めたつもりが余計に泣かせてしまった。
こうなると俺にはお手上げである。俺は母さんに寄り添って泣き止むのを待つ。
暫くすると落ち着いた母さんは、何かを思い出したのか、ハッとした顔で俺のことを見つめる。
「あっ、そうだ! あくあちゃん、この前行った政府の施設で受けた説明の事だけど……ちょっと良いかな?」
念の為に周囲をキョロキョロと確認した母さんは、立ち上がると戸棚の引き出しの中から一つの紙袋を取り出した。
母さんはその無地の茶色の紙袋を、そっと俺に手渡す。
一体何が入っているんだろう?
俺は紙袋を開いて中を確認する。すると、何やら箱のようなものが入っていた。
紙袋の中からその箱を取り出した俺は、箱に書かれていた文字をゆっくりと読み上げていく。
「コンドー……えっ!?」
紛れもなく避妊具だ。
俺は慌てて母さんの顔を見る。
すると母さんはにこやかな笑みを浮かべた。
「あくあちゃん、これは男の子が望まない妊娠を避けるために必要なものです。使い方は、知ってるかな?」
俺は無言で頷く。というか、頷くことしかできなかった。
「ごめんね。本当はお母さんが使い方を教えてあげたいんだけど、母さん、その……男の人とそういう事した経験がなくって」
衝撃の事実に俺は固まってしまう。
いや、母さんが女の人との交配技術を用いて俺たちを産んでいる事を思えば、これは当然の事なのかもしれない。
「ううっ、お母さんが処女だなんて、やっぱりあくあちゃんも恥ずかしいよね?」
「い、いや、そんな事ないよ。俺はその……ンンッ、母さんがその、綺麗な体で? うん、すごく嬉しいよ」
母さんは再び泣きそうになったが、なんて言って慰めればいいのかわからない。
俺は、恥ずかしいとか思ってないよ、今の母さんが好きだよ、と母さんを落ち着かせる努力をする。なんでなのか自分でもわからないけど、今までいっぱい苦労してきたであろうこの人にはあまり泣いてほしくないと思った。
「そっかー。あくあちゃんは、お母さんが誰のものにもなってなくて嬉しいのかー。そんな甘えんぼさんだったなんて知らなかったなー。えへへ」
なんか間違った方向にいいように解釈された気がするけど、まぁいいか。
母さんに泣かれる方が俺としてはなんだか心がモヤモヤして辛いしね。
俺は適当にうんうんと頷いてあげた。
「もし……もしもの話だけど、あくあちゃんがお母さんの事をそういう目で見てくれているなら、お母さんは、あくあちゃんとそう言う事をしたり、お手伝いしたりするのは全然大丈夫だからね」
「えっ?」
適当に頷いていた事を後悔して俺は固まる。
母さんはなんかとんでもない事を言い出した気がするけど、これは大丈夫なのか?
いや、大丈夫なはずがない。
流石に家族とだなんて、そんなの法律とか世間体とか、絶対に何かが引っかかって社会が許さないだろ。
「あっ、そっか、あくあちゃんは記憶喪失だから忘れてるかもしれないけど、男の子が家族の人にそういう事を手伝ってもらったり初めてを教えてもらう事は別に珍しい事じゃないんだよ」
えっ……?
あまりにも自分が知っている常識とかけ離れすぎて、俺は固まってしまった。
「もちろん私以外にもしとりとしたって問題ないし、流石に生理前の子にはちょっと難しいと思うけど、らぴすだってもう生理来てるし、学校で知識だけは勉強しているからそういう事をお願いしても大丈夫なはずだよ」
俺は頭の中に浮かびかけていた淫らな姿のらぴすを振り払うように、首をブンブンと左右に振る。
ただでさえらぴすは、髪の色も瞳の色も違って俺に全然似てないから、それを想像してしまうとすごくまずい気がした。いやいや、そもそも中学生の女の子相手に、そういう事を想像する方が問題だろ俺。
俺は頭の中で素数を数えて冷静さを取り戻していく。
「あ、うん……でも、その、俺は大丈夫、だから」
俺は辿々しい言葉を吐きながら避妊具の入った箱を紙袋に戻すと、目にも止まらぬ光速の寄せで紙袋をテーブルの端っこへと追いやる。その勢いのまま俺は用事があるからと言って、まるでロボットのようなぎこちのない挙動で自分の部屋へと逃げるように退散した。
しかし一度意識してしまったものを拭う事は簡単ではない。
お風呂の脱衣所に洗濯籠の中に無造作に置いてあった家族の下着やらぴすの制服、ちょっとした……いや、かなり積極的で過度なスキンシップと無防備なチラリズム、思春期の強い衝動をもて余した体には全てがキツすぎる。
その日の夜、俺は物凄くムラムラしたが、お布団の中で呪文のように家族でしたら負けだと何度も自分に言い聞かせるように呟いて乗り切った。
「ちょ、ちょっと買い物行ってきます」
翌日、朝食を食べ終わった俺は、我慢できずに嘘をついて家を出ると直ぐに政府の施設に駆け込む。
この施設、最低限、月に一回の利用は決められているが、それ以上来てはいけないと言うルールがあるわけではない。むしろ来れるなら来れるだけ来てほしいと言うのが政府の意向だそうだ。
俺は直ぐに受付を済ませる。すると担当の深雪さんが出勤していたのか、直ぐに俺のところへとやってきた。
「白銀様、本日は当施設をご利用していただけると伺いましたが、もしや前回の私の説明が至らずに、器具のご使用に関して何かご不明な点がございましたのでしょうか?」
どうやら深雪さんは自分に不手際があったのではないのかと思っているようだ。
月に何度も利用していいとは言われてるが、もしかしたらこんな短い期間で2回もくるのは珍しい事なのかな?
俺は深雪さんには申し訳ないと思いつつコクリと頷く。
「は、はい。その……前回の説明だけじゃ、まだ分かりにくくって」
だって、俺がそう言えばまた深雪さんが手伝ってくれる。
自分でもなんて最低な事をしているんだと自己嫌悪に陥ったが、深雪さんの衣服では隠し切れない蠱惑的な体つきを見た瞬間、もはや俺にそれ以外の選択肢は残されていなかった。
あぁ、こんな自分が知られたら、きっと深雪さんには嫌われてしまうだろうな。
しかし深雪さんは、こんな俺を蔑んだような目で見下ろすわけでもなく、いつものようにクールな無表情で対応してくれた。
「そうですか。それは申し訳ありませんでした。では、前回の部屋にご案内いたします」
一言で言うと深雪さんはプロだった。おかげさまでスッキリしたし、色々と解消された気がする。
「いえ、これもお仕事の一つですから……」
……そうだよな。仕事の一つだと言われて少しショックだったが、深雪さん目線で考えれば当然の事だろう。
がっくりと項垂れた俺を見て、深雪さんはコホンと咳払いをした。
「ですから……もし白銀様がお嫌でなければ、今後も私が業務のお手伝いさせていただきたいと思っております。よろしいでしょうか?」
深雪さんは自分の出勤日が書かれた予定表を俺に手渡す。また、それとは別にプライベートの電話番号や他の連絡手段も教えてもらった。出勤日以外でも連絡さえすれば深雪さんが応じてくれらしい。
いくら仕事とはいえ、そこまでしてもらえる事に申し訳なく思う。
でも深雪さんのような女性から魅力的な提案を断ってしまうほど、俺はできた男ではなかったのだ。
「こ、こちらこそ、よろしくお願いします」
恥ずかしかったけど、俺は勇気を振り絞って深雪さんにお願いした。
すると深雪さんは、俺に向かって優しく微笑む。
「分かりました。それでは今後ともよろしくお願いいたします」
深雪さんの表情を改めて見ると、いつも通りのクールな無表情だった。
やはり俺の見間違えだろうか? ……いいや、きっと気のせいなんかじゃない。
あの時、確かに深雪さんはほんの一瞬だけど、俺に対して優しく微笑んでくれた気がする。
だからきっとあれは笑顔だったのだと、俺はそう思うことにした。