カノン、私の宝物。
まるで悪夢を見ているようだった。
スターズに強制送還された私は、母である女王陛下から突如として結婚を言い渡されたのです。
王宮の中でも最も厳重な警備体制を敷かれた塔の中に軟禁された私は、数日後に行われる結婚式、ただその日を待つばかりでした。
『お嬢様……ここから逃げましょう。豊かな暮らしはできないかもしれませんが、お嬢様1人ならペゴニアが養って見せます!』
私と一緒に監禁されてしまったペゴニアは、毎日のように私にそう言ってくれた。
でもこれからの長い人生、ずっと逃げ続けるのは難しいし、何よりも私のせいでペゴニアの人生から自由を奪ってしまうのは嫌だったのです。
『ありがとうペゴニア……でも、私はスターズの人間だから、この国と国民のために尽くさなきゃ』
『お嬢様……』
お付き合いをしていたあくあには申し訳ない事をしたと思う。
でも、あくあは素敵だから、私がいなくなったとしても他の女の子達がきっと放ってはおかない。
あくあの事を考えると胸の奥が苦しくなるけど、仕方ない事だと自分に何度も言い聞かせた。
結婚式前日、しばらく続いた軟禁生活が今日で終わる。しかし、結婚したとして自由はあるのだろうか?
雲に隠れてしまったお月様を窓辺から眺めながら、ぼんやりとそんな事を考えていた。
『お嬢様、私の後ろに……!』
最初に反応したのは、ペゴニアだった。暗闇の中から感じる気配に、私も警戒心を強める。
雲の隙間から漏れた月明かりが、どこからともなく現れた来訪者をゆっくりと照らしていく。
「敵じゃない。安心して……」
私とペゴニアの前に現れたのは、なんとも奇妙な忍者の格好をした小さな女の子だった。
『ペゴニア、見て! 忍者よ忍者!』
『えぇ……?』
目を煌めかせる私と相反して、ペゴニアは困惑した顔を見せる。
『しかもアレ、あの猫耳って本物!?』
忍者さんの頭巾に包まれた猫耳がぴこぴこと動く。
「この猫耳は作り物なのです。その名も全自動型猫耳。後、尻尾も」
おぉ〜。すごい!
しかもこの子が喋ってる言葉は、つい最近まで私たちが滞在していた国の言葉だ。
4年もあの国にいたのに、まだこんなに驚かされる事があるなんて……こういう遊び心は、スターズにはないわ。
「で、小さな忍者さん貴女の目的は?」
忍者さんは両手を上げて敵対する意思がない事を示す。
「拙者の名は、くノ一ことポップコーン・パンケーキで候」
「ポップコーン?」
「パンケーキ?」
忍者さんで猫耳と尻尾がついてて、ポップコーンでパンケーキ?
情報の大渋滞に混乱した私とペゴニアは顔を見合わせる。
「拙者、ポップコーンとパンケーキが好きで候。だからポップちゃんとか、パンケーキちゃんと呼んでくれると嬉しいです……」
「は、はぁ……それでパンケーキちゃんはどうしてここに? そもそもよく侵入できましたね……」
ここの警備は厳重だ。
はっきり言ってこんな小さな女の子がどうやって侵入したのか疑問である。
「拙者の目的はただ一つ。カノン王女殿下……貴女を助けるために今、多くの人が動いてます。だから……もし、次に貴女の前に手を伸ばす人がいたら、その人の気持ちに応えて欲しい。私は、その事を貴女に伝えにきたのです」
パンケーキちゃんは大きなクリッとした猫目で私のことを見つめる。
「それと侵入は簡単。拙者にはこれがあるで候」
そう言ってパンケーキちゃんが取り出したのは一つの風車だった。
「この風車には匂い袋がついていて、この匂いを嗅げばどんな女性も一発で気絶してしまいます」
えっ……? それ大丈夫なの? なんか有害な生物兵器とか、匂い嗅いだ人は大丈夫なのかしら。
「これはうちの調香師が作ったものだから安心して欲しいで候。人体に影響……は否定しないけど、匂い嗅いでも幸せな夢を見るだけです」
あ、怪しい……。でも興味本位で嗅いでみたい気もする。
そんなことを考えていたら、隣にいたペゴニアに頭の中を読まれたのか、ダメですよお嬢様と小さな声で囁かれた。
「そういうわけだから、伝えることは伝えたので帰るのです」
パンケーキちゃんは天井からぶら下がった紐を伝って天井裏へと戻っていく。
そ、そんなところから来たんだ。まるで本物の忍者みたい!
ってちょっとかっこいいなぁって思ってたら、パンケーキちゃんが天井裏から顔を出した。
「ところで、教会ってどっちの方向なのか知りませんか? 道に迷ったで候……」
私とペゴニアは何もないところでズッコケそうになる。
え? 忍者なのに方向音痴? ただでさえ情報が大渋滞を起こしてるのに、これ以上属性足しちゃうの!?
しかも方向音痴なのに、よくここに辿り着けたね……。ある意味、感心する。
パンケーキちゃんは、ペゴニアに教会のある方向を指差してもらうと、改めてお礼を述べてそちらの方向へと向かった……というか向かったと思う。
一体、アレはなんだったんだろう。細かいことは気にしてはダメな気がした。
「私も覚悟を決めなきゃね……」
翌日、予定通りに結婚式が行われる事となった。誰と結婚させられるのかはまだわからないけど、最初から私に拒否権などない。ペゴニアは最後の最後まで私の手を取ってくださいと言ってくれたけど、私はそれに対しても首を横に振り続けた。
教会の外で、少し諍いがあったみたいだけど、私の乗る車は予定より少し遅れて教会の中に入る。
『予定を変更して、控室には行かずに、このまま式場の方へと向かいます』
ほんの少しだけ整え直された私は、ゆっくりと式場の中へと入る。
会場の中にはすでに参列者が席に座り、母である女王陛下と、父である王配、そして、幼少期にお世話になったスターズ正教、主教のキテラの姿もあった。その場に来ていないのは、私の結婚する相手くらいのものだろう。
結婚式で花婿さんがする事は、誓約書にサインをするだけなので、全員が揃った後に花婿さんが来てサインだけして帰るのが普通とされている。だからその後の披露宴も、花嫁が1人で対応するのが当たり前とされています。
でも、あくあだったらどうだろうな……そんなことを考えてしまう。
嫌だな……。
私は誰にも聞こえないように、小さな声で呟いた。
本当は結婚なんてしたくない!
結婚するならあくあが良かったし、これから自分が誰かのものにされてしまうのが怖くて仕方がなかった。
私の体はきっと自由に弄ばれて、心はズタズタに切り裂かれてしまうのだろう。
それでも私は、スターズの王族として与えられた使命を全うしなきゃいけない。
でも……でも……もし、あくあが私の事を助けに来てくれたら?
そんなことあり得ないってわかってるけど、たった一つだけ願いが叶うのだとしたら、あくあのものになりたかった。私の目からほんの一雫の涙がこぼれ落ちる。
助けて……。
私が本当に言いたかった言葉。
最後の最後になって、私は何を言っているんだろう。
自分でもそう思ったけど、心がもう無理だと叫んでいる。
ペゴニアを巻き込むのは嫌だし、スターズのみんなの期待を裏切るのも嫌だ。
でも結婚したくない。結ばれるのならあくあがよかった。
自分でも面倒臭い奴だって事はわかってる。
でも彼は……こんな私の我儘を、聞き逃したりはしなかった。
「カノン!」
最初はゆっくりと開いていく扉、その隙間から見えた私の愛する人とヴェール越しに目が合う。
私の頬に伝う一筋の滴、その煌めきを見た瞬間、彼は力強く式場の扉を蹴飛ばしたのです。
ああ……!
それは私にとって……ううん、私と同じ時間を共有したあの国の人達にとっては忘れるはずのない光景でした。
マスク・ド・ドライバー、ヘブンズソード、その第一話で見せた、私が愛する人が演じる剣崎総司のキック。世界を変えた……ううん、みんなの心を救ったあのキックが、今まさに私の心に纏わりついた柵を吹き飛ばすように、式場の扉を力強く蹴飛ばしたのです。
「君の事を迎えにきた。だから……今だけは大人しく俺に攫われてくれ!」
ああ……ああ、やっぱり来てくれたんだ。
来てくれるわけない、来ないよね、なんて思ってたけど、心のどこかであくあが助けてくれるんじゃないかって、そんな事を思っていなかったといえば嘘になる。
「あくあ様……」
声が震える。その場に崩れ落ちそうになった。
さっきまで不安で凍えていた心が、ドキドキし過ぎて破裂しそうになる。
『愛する人が目の前で今にも泣きそうな顔をしていたら、抱きしめて安心させてあげたいと思うのは恋人として当然のことだ。スターズだけじゃない、たとえ世界の全てを敵に回す事になったとしても、俺はカノンのところに行く。止めたければ止めればいい。ただし、止めるつもりならそれ相応の覚悟を持って止めに入ることだ』
本気なんだ……あくあはずっとずっと全てのことに対して本気なんだ。
そして私は、みんなは知ってる。彼が本気でこれをやるって言ったら、それを実現しちゃうって事を、私と一緒にあの楽しい時間を共有した人たちならみんなが知っている事だ。
良いの? 私、結構面倒臭いし、頭の中だって結構お花畑だよ? それでも、それでも、あくあは世界を敵に回してでも私のことを救ってくれるって言うの?
『俺は……俺は、誰かを愛する事を恐れていた。人を愛するってことにすごく臆病で、カノンと付き合ってるときも、いつかは身分差でこの関係が終わるだろうと思ってた』
同じだ……私もこの関係がうまくいくなんて、心のどこかで不安に思っていた。
私はスターズの王族で、いつかは誰かと結婚しないといけない。
でも、あくあはあの国の大事なアイドルだし、もし、彼がスターズという国に、私のお婿さんになったら国際的な問題にすらなりかねないと思ったからだ。
『手を尽くして、それでも無理だったら諦められる。でも無理だったんだよ。自分の気持ちに嘘をつくなって、見透かされていた』
ペゴニア……ごめんね。本当はペゴニアは誰よりも私のことがわかっていたのだ。
私が本当は嫌だってわかってたから、だからずっとここから出ようって言ってくれたんだよね。
『自分と向き合うことから逃げるなよって心を打たれた』
あくあはすごいな。私は自分と向き合うことを諦めて……でも、諦めきれなくて、最後の最後に涙を流してしまった。
『アイドル白銀あくあとしてじゃなく、ただの1人の白銀あくあの望みは何かと問われた』
スターズの王女、カノン・スターズ・ゴッシェナイトじゃなくて、ただの1人の女の子として考えたら、私の望みは最初から決まっている。そう答えは最初から一つしかなかったのだ。
『俺は心の底からカノンの事を愛してる! 他の誰にも渡さないし、カノンを幸せにするのは俺だ!』
私も心の底からあくあの事を愛してる。いつかは他の誰かとも私と同じような関係になるかもしれないけど、あくあを一番最初に幸せにしてあげるのは私だ。私以外の人になんて譲りたくない!
『カノン、たった一言でいい……君の気持ちを聞かせてほしい』
私は小さく口を開く。
『嫌……あくあ以外の人と結婚するなんてやだ!』
私の感情の波を堰き止めていたダムが決壊がする。
『お母様……私も覚悟が決まりました。たとえ、愛すべき母様や父様と、愛すべきこの国と国民達と訣別することになったとしても、私は私の愛した人と添い遂げます!!』
あくあは世界を敵に回しても私を迎えに来ると言った。
だったら私は世界を敵に回してでも彼の手を取ります!
私の決意表明を受けた母は、今回の事の顛末についてゆっくりと語り始める。
『ふざけるなよ! そんなことでカノンは……カノンに、あんな顔をさせてしまったことを理解してるのか!!』
同じ王族として母の言い分は理解できる。でもだからと言って心が傷つかないわけじゃない。
だから、あくあが母に怒ってくれた時は素直に嬉しかった。私は母の気持ちもわかってしまうから……。
『ねぇ……カノン。貴女は、あくあ君よりこの国のことを優先できる?』
私は母の言葉に首を左右に振る。
無理だ。私は何よりも誰よりもあくあのことを大事にしたい。
もうこれ以上、自分の気持ちには嘘をつきたくなかった。
『そう……わかったわ。ごめんねカノン』
母様は私にだけ聞こえるようにそう言うと、結婚式に出席した人たちの前で、私が次期女王陛下の候補から外れたことを高らかに宣言した。
『母様……』
『カノンこれで貴女は自由よ』
自由……その一言で、私の心が軽くなった気がした。
母は女王として周囲にいた人たちに指示を出す。その姿を見て、私にはやはり女王は無理だと思った。
私ならきっとその場で、子供のことを抱きしめてしまうから……。
「カノン」
近づいてきたあくあを見て、私は慌てる。
ちょっと待って、心の準備がまだ……。
「あっ、あっ……見ないで、今、化粧が崩れてるから」
「大丈夫、カノンはいつだって綺麗だよ。だからほら、こっちを向いて」
あくあは私の頬に手を添えると、指先で涙の粒を優しく拭ってくれた。
「ごめん、来るのが遅くなって」
「ううん……私の方こそごめん。この国のことに巻き込んでしまって」
遅くなんてないよ。
きっと、あのタイミングだったから、私もあくあの手を取れた。
もし、あくあがそれよりも前に、それこそ軟禁されていた王宮の中で助けてくれたとしても、自分の立場に意固地になって断っていたと思う。私はそれくらい面倒臭いのだ。
「カノン……抱きしめてもいいか?」
「う、うん……」
えっ? 待って、今普通にうんって言っちゃったけど、全然準備できてないよ。きゃっ。
戸惑う私の体を、あくあがギュッと抱きしめた。
「少しは落ち着いたかな?」
「うん、ありがとう」
ふぁ……久しぶりのあくあの匂いに心が安らぐ。
あくあは私が落ち着いたのを見計らうとゆっくりと体を離して、その場に跪いた。
「えっ、えっ……!?」
戸惑う私の目の前で、あくあはポケットから小さな箱を取り出す。
「カノン、俺と結婚してほしい」
え……? 今、なんて言ったの?
なんか結婚がどうとか言ってたような気がするけど、気のせいだよね?
私の耳、おかしくなっちゃったのかも。お、おおおおお医者様どこ!?
「カノン」
「ひゃ、ひゃい」
あくあは私のことをじっと見つめる。
そ、そんな優しい目で見られたらもう、もう!
「俺じゃ嫌?」
「嫌じゃありません!!」
この間、僅かに0.000000001秒間。
むしろ若干被せ気味に即答してしまった。
「じゃあ結婚しよっか」
「はい、喜んでぇ!!」
あは、あはははは、夢だ、そうだこれは夢だと確信する。
きっと目が覚めたらパソコンの前でうたた寝してて、嗜みちゃん大勝利とか書き込んだ後に、掲示板でプゲラwって言われているんだと思う。
でも私のことを抱き上げてクルクルと回る感覚は、いくらなんでもリアリティがありすぎる。
え……夢だよね? ゆ、夢じゃない?
「ありがとうカノン!」
「ふ、ふぁい……」
あくあはそのまま私の体を椅子に座らせるような格好で抱き上げた。
えっ、えっ? 何、この抱き方? もしかして、俵抱きって奴ですか?
俵抱きっていうのは、白龍先生の書いたのうりんという作品の中で、農家の男の子が主人公の女の子をお米の俵を抱えるようにして抱き上げるやり方で、当時一般社会を巻き込んで大論争になった抱き方の一つです。
でもなんか、それとは違うような……だってあれだとあくあの顔は見えないのに、今のこの体勢はあくあの顔がすごく近いし……。
「カノン、危ないから首の後ろに両手を回して」
待って待って! 首の後ろに両手を回すとか無理だよ!!
お、男の子と女の子がそんなに体を密着させたら、赤ちゃんができるかもしれないじゃない……。
でも、あくあがしろっていうし、いいのかな? 私はゆっくりとあくあの首の後ろに両手を回す。
ますますあくあの顔がちかくなって、頭がフットーしそうになった。
「みんな……」
「おめでとう、あくあ! お幸せにね!」
「あくあ、それでこそお前は白銀あくあだよ!」
「カッコよかったぞ後輩! いや剣崎!!」
周りを見るとあくあだけじゃなかった。
なぜかポイズンチャリスが居るけど、今の私にそれを突っ込むだけの空き容量はない。
「カノン〜、よかった、よかったねぇ!」
ティ、ティムポスキー!? じゃなかった、楓さん、なんでこんなところにいるの!?
私が戸惑った顔をしていると、そんなの友達を助けるためじゃないと言われた。
「カノン、無事で良かった。幸せになってね」
姐さん……琴乃さんまで……。
それによく見たら奥の方に、目隠しをしてるけど、捗るじゃなくって、えみりさんもいる。
あくあが来たことも嬉しかったけど、私にとってはこっちも同じくらい、ふ、普通に嬉しいかも。
だって、私には身分があって、メアリーの同級生だって、スターズに居た時にできたお友達だって、お互いの立場とか色々なことを考えたら、普通は助けに来ないと思う。
でもみんなにとっては、そんなことはどうでもいいんだ。
あくあだけじゃない。私はあの国で、こんなにも大事な宝物を手に入れていたんだ。
そのことに気付かされて涙が止まらなくなってしまう。そんな私をみんなが優しく慰めてくれた。
ありがとう、みんな。
だから待っていてね。今度は私がみんなを幸せになれるようにしてあげるから。
私はこの結婚式を機に、一つの一大決心をした。
私だけじゃない。あくあにはもっともっと沢山の女の子を幸せにしてもらうんだって。
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