キテラ、出会ってはいけなかった2人。
カノン王女殿下の結婚式が中止になってから十数時間後、私は薄暗い自らの部屋の中で目の前のディスプレイに映ったニコニコマークと対峙する。
「悪いけど、これでチェックメイトだよ!」
聖あくあ教十二司教が一人、管理人ことハイパフォーマンスサーバー。スターズのネットワークをほぼ手中に収めた彼女は、ついにスターズ正教の主教である私の自室にあるパソコンまでも自らのものとしてしまった。
何も知らない他者から見れば明らかにまずい状況ですが、私にとってはこれも想定していた事の一つにしか過ぎません。
「ふふっ。お見事です。わざわざ私の自室にまで侵入して来られたということは、この私に何か言いたい事でもあるのでしょうか?」
私の問いに対して、彼女は一呼吸置く。
「……私の要望は2つ、1つはスターズがやっている一般市民への検閲の撤廃もしくは緩和、そしてもう1つは今後あくあ様とそれに関わる人たち、もちろんカノン王女殿下を含めてね。それらに一切の手出しをしないこと。その条件をのんでくれるなら、こちらが支配したネットワークの全てを返すわ。どう? 悪くない取引だと思うけど」
私は変わらず笑みを浮かべながら、彼女の提案に即答する。
「拒否するわ」
「この状況で拒否ができると思っているのですか?」
私は彼女の言葉を遮るように、一つの質問を投げかける。
「ねぇ、ところで貴方は妹ちゃんの方? それともAIの方?」
「なっ、なんで貴女がそのことを!?」
動揺した時の言葉の揺らぎ、呼吸の取り方……それら全てからAIには出せない人間独特の間が感じられた。
いえ、それよりも少し前のやりとりで一呼吸置いてから私に提案してきたのは、とても人間らしい反応の一つだと言えるのではないでしょうか。
「なるほどね、人間らしさが誤魔化せてないわよ、鯖兎みやこちゃん」
「っ……!」
「ふふっ、まだ中学生だったかしら? じゃあ仕方ないわよね。いくら頭は良くても色々と経験がたりませんもの」
私はポケットからスマートフォンを取り出すと部下の一人に指示を出す。
次の瞬間、目の前にあったディスプレイの画面が揺らぐ。
「な、なに? これって……」
動揺する彼女に私は労いの言葉をかける。
「悪いけど、ネットワークの方はもう返してもらうわね。ありがとう、貴女のお陰で今回は助かったわ」
おそらく彼女は慌てていることでしょう。自分が奪ってきたものが一斉に奪い返されていくのだから。
私はディスプレイからニコニコマークが消えたのを確認すると、ゆっくりと席から立ち上がった。
「さて、今日もお祈りを捧げましょうか」
自らの部屋の中にある本棚の一つをスライドさせると、その奥にあった扉を開けて地下へと降っていく。
薄暗く狭い階段を通っていると、昔のことを思い出しそうになる。
そう……全てはあの日から始まった。
私の名前はキテラ、自らの血統を示す苗字はない。
生まれて直ぐに親に捨てられた私は、孤児院でしばらく暮らした後に、飛び抜けて優秀だと言う理由からスターズ正教の司祭の1人に引き取られた。
「いつの日か、貴女がスターズ正教の主教になるのよ」
私を引き取った司祭は、とてもつまらない人間だった。
プライドが高く、権力と金にしがみつき、イライラすることがあると直ぐに折檻する。
最初の2、3年は地獄だったが、私が優秀だったことに気分を良くしたのか、私以外にも孤児院から子供を引き取るようになると折檻をされなくなった。とは言っても、私がされてないだけで、他の子供たちは折檻されていたから折檻自体がなくなったわけではない。
そんな私に変化が訪れたのは16歳になった時だ。
「キテラ……貴女、とっても綺麗になったわね」
悍ましい視線を向けてくる司祭に体が震えた。
孤児院にいた時、見知らぬ年上のシスターに体を触られたことがあったが、それと同じ視線を司祭の瞳から感じる。
こんなことは、この国の孤児院やスターズ正教の中では珍しいことではない。
中にはそれがきっかけで女性が好きになる人がいると聞くが私は逆だった。
女性に触られることに恐怖を感じるようになったのは、孤児院でのあの出来事が理由だと思う。
みんなが寝静まったあと、特に優しかったシスターが私のベッドの中に潜り込んできた事に気がついた。
「大丈夫、すぐ終わるからね」
にっこりと微笑むシスターに、私は最初何が起こっているのかわからずにびっくりして固まってしまう。
シスターは私の着ていた服の裾に手をかけた瞬間、私は自分が何をされようとしているのか理解した。
「はぁ……はぁ……」
息を荒げたシスターの視線に、私は体を小刻みに震える。
気持ち悪い……! シスターが私の顔に自らの顔を近づけてきた瞬間、それは嫌だと私は必死に抵抗した。するとシスターは強引に私に体を拘束しようとする。その時のシスターの欲に駆られた表情は私の心の中に深く焼きついた。
いやだ、いやだ、いやだ……!
「いやっ!」
偶然なのか火事場の馬鹿力だったのか、幼い私は運良くシスターを突き飛ばす事に成功した。
流石にシスターもあまり騒がれたくなかったのか、その事が功を奏して私の事を諦めて隣の部屋に行く。その後のことは知らないけど、階段で泣いている女の子を見たから、きっと誰かが私の代わりにそういう事をされたのだろう。
あの時から私は、女性に体を触られることに対して恐怖を抱くにようなってしまったのです。
「ありがとう。貴女のおかげで彼女を排除することができたわ」
私は私が汚される前に、自らを引き取った司祭の情報を当時の主教だった人物に売りました。
「それじゃあ、空いた司祭の枠には、そのまま輔祭キテラが務めることにしても大丈夫かしら」
当時、若くして輔祭という司祭を補佐する立場の役職についていた私は、そこで得た情報を元に何人かの司祭を脅して、そのまま空位となった司祭の立場を得ることができました。
シスターは基本的には複数の人間と同じ部屋の中で暮らす事になっているけど、司祭になれば自分専用の鍵付きの部屋を与えられます。その日、私は生まれて初めてベッドの上で安眠することができました。
もう誰からも怯えなくていい。でも……そんな安らかな生活も長くは続かなかったのです。
「貴女、本当にいい体してるわね」
私が20歳を超えた頃、私のお尻を見つめる当時の主教の視線から彼女達と同じ悍ましさを感じるようになった。
スターズ正教は女の園、男性保護などと謳ってはいるがそれはあくまでもまやかし。公には保守派、社会派などと言われているような人物でも、それを隠れ蓑にして裏から過激派に手を貸している者達は決して少なくはありませんでした。
「ねぇ。キテラ……私と一緒に、スターズ正教のこれからについてゆっくりと話し合いましょう。そうね……私の部屋で、二人きりで、ワインでも飲みながら……どうかしら?」
同じだ。主教もあのシスターや、あの司祭と何も変わらない。
司祭の時のように、こいつも引き摺り下ろさないと私が汚されてしまう。
私が私の心と体を守るために、こいつをスターズ正教から追い出さないといけない。恐怖に駆られた私は必死だった。
「司祭キテラ。ありがとう、貴女のお陰でスターズ正教にメスを入れる事ができたわ」
私は当時の女王陛下だったメアリー様と手を組み、主教と一部の司祭を引き摺り下ろした。
メアリー女王陛下は優秀な方で、歴代の女王陛下が見逃してきたスターズ正教の腐敗に気がついておられたのです。スターズ正教を一新するきっかけが欲しかったメアリー様と、主教を排除したいという私の利害は完全に一致しました。しかし、この一件で長年に渡るスターズの腐敗を見逃してしまったこと、その責任をメアリー様が取らざるを得なくなってしまったのです。故にメアリー様は、48歳の若さで女王を退位することになってしまった。
「後はよろしくね」
取引の際、メアリー様は私に三つの条件を提示なされた。
その条件の一つは私がスターズ正教の主教になること、二つ目に女王陛下に就任したフューリア様と最低10年間は連携すること、三つ目にその娘であるヴィクトリア様の教育係になること、この三つを条件に私とメアリー様は取引を交わしたのです。
「私なんかが主教でよろしいのでしょうか? それに王女殿下の教育係だなんて恐れ多くて……」
「問題ないわ。貴女ならきっと良い方向に導いてくれる。そんな気がするの」
それから2年後、私が22歳の時に、当時30歳だったフューリア女王陛下がカノン王女殿下をご出産なされました。
フューリア女王陛下はメアリー様と比べると普通でしたが、だからこそ女王陛下であろうと、個人よりも女王であることに当時からこだわっていたように思います。
私が教育係を務めたヴィクトリア王女殿下も12歳の子供にしては優秀でしたが、フューリア女王陛下同様に凡庸でした。やはりメアリー様だけが特別だったのでは……おそらくそう思っていたのは私だけではなかったと思います。だからこそ、カノン殿下の優秀さ、そのカリスマ性は際立ちました。
優秀であるだけではなく行動力があり、自分の意見をはっきりといい、みんなの前に立って歩けるような人物。それでいて愛らしく、慈愛に満ち溢れていたカノン殿下。彼女がまだ10歳にも満たない年齢の時から、みんなが望んだ理想の女王陛下の姿を重ねていた人は多いと思います。特に彼女が笑った顔はメアリー様に似ていて、私も思わずびっくりしました。
「キテラ……私、どうしたら良いのかもうわからないの」
フューリア女王陛下は歳の離れた姉妹に頭を悩ませていました。
カノン殿下が12歳の時、ヴィクトリア殿下は24歳でしたが、もはや両者の間には、比べるのも烏滸がましいほどの差があったと思います。ましてやカノン殿下の2年後に生まれたハーミー殿下も、カノン殿下とは別のベクトルで優秀であったことからそれも追い風になってしまったのでしょう。
「メアリー様から、カノン殿下は東の島国の文化に興味がおありだとお聞きしました。しばらくこの国から離してみるのもよろしいのではないでしょうか?」
ヴィクトリア殿下は、妹思いの優しい方でしたが、それでも傷つかなかったわけではないでしょう。私は家族がいなかったから、人のそういう感情があまり理解できませんが、それでも10数年間はヴィクトリア殿下との付き合いがあります。それくらいのことを察する事ができるくらい、私も歳をとったのでしょう。気がつけば私も34歳になっていました。
「そうね。申し訳ないけど、たまにで良いから東の国に行った時、カノンの様子を見に行ってくれる?」
「ええ、もちろんです」
私はヴィクトリア王女殿下の教育係でしたが、カノン王女殿下と繋がりがなかったわけではありません。
むしろ彼女は若い時の私に似て……いいえ、私以上に優秀でしたから、優秀すぎる彼女があまり孤立しないように、最初は折を見て出過ぎない程度にはアドバイスしていたくらいの関係でした。
そのことがきっかけで、カノン王女殿下は何かある度に私に相談を持ちかけてくるようになったのです。
気がついた時には、ヴィクトリア王女殿下以上に、カノン王女殿下に愛情を向けていました。
「キテラ……姉さんをよろしくね。それとありがとう」
カノン王女殿下は、全てに気がついていました。
ヴィクトリア王女殿下がそうだったように、カノン王女殿下もまた姉であるヴィクトリア王女殿下のことを思っていたのです。何より母のように女王になりたかったヴィクトリア殿下と違って、カノン殿下はあまり女王になることに拘っていないように見えました。
女王はやりたい人がやれば良いのよ……。
今に思えば、カノン王女殿下が8歳の時に私につぶやいたあの一言は、彼女なりの本心だったのではないかと思います。この世に生を受けて34年……私の人生のほとんどはスターズ正教に縛り付けられていました。
そもそも外の世界を知らない私にとっては、ここで生きるしか道がなかったのですが、果たして私はスターズ正教のトップとして相応しいのであろうか? そう考えてしまうようになったのです。
カノン王女殿下がスターズからいなくなり、私がその事に頭を悩ませてしまったせいで隙ができたのでしょう。以前力を削ぎ落とした過激派がスターズ正教の中で、静かにそして確実に勢力を伸ばしてきていたのです。
気がついた時には全てが手遅れでした。
過激派はスターズ正教の中で完全に根を張り、海外でも活発に活動をしていたのです。
その中に、カノン王女殿下が留学した東の島国の名前がありました。
「この国に、カノン王女殿下がいるのね……」
スターズ正教の仕事とは別に、私はプライベートな旅行というていで東の国に一人訪れました。
カノン殿下が我が国を離れて4年、私が38歳になった時です。
今にして思えば、これが私にとって生まれて初めてのプライベートな旅行でした。
東の島国は、私が聞かされていた話よりよっぽど刺激的で多様性に溢れていたのです。
それを絶妙なバランス、言ってしまえばそこに住まう人たちの良い塩梅によって保っている。一見すると危うく危険な状況にも思えるけど、規制を強める方向へと舵を切ったスターズと比べて、受け取る側の一般市民に全てを託すという、こういう形の国のあり方も良いのではないかと思いました。
「ふぅ……」
カノン王女殿下に会うことも忘れて、普通に楽しんでしまいました……。
年甲斐もなく遊んでしまったせいでしょうか、あろうことか乗る電車を間違ってしまったのです。本当ならタクシーで移動すればよかったのかもしれないけど、異国の地で密室の中、運転手の女性と二人になるのは避けたかったので仕方ありません。もう直接、誰かに手を出されるような立場ではないですが、いまだに私のことをそういう目で見てくる女性は少なくないのです。
でもこの国の女性は、あまりそういう視線を向けてくる人がほとんどいないような……私が外人だからでしょうか?
そんなことを考えていると、誰かが私に話しかけてきました。
「あの……お困りですか?」
流暢なこちらの言葉で私に声をかけてくれた女性は、とても綺麗な人でした。こんなに綺麗な人を見たのは、カノン王女殿下以来かもしれません。
「えっと……駅を間違えたみたいなんです」
せっかくなので私は、その女性に地図を見せて行きたい場所を指差す。
彼女は地図を覗き込むと、ああと小さく声を漏らした。
「そこの駅なら私も行く予定があるので、よかったらご一緒にどうですか?」
「ありがとう。助かるわ」
私は彼女の提案に甘えて一緒に電車で行く事にしました。
この出会いこそが、のちに私の運命どころかスターズの運命すらも変える事になったのだと思います。
「私の名前はキテラ、親切な貴女のお名前を伺っても良いかしら?」
私がそう言うと、彼女は背景の太陽すらも霞むような暖かく慈愛に満ち溢れた優しい笑顔でこう言ったのです。
「私の名前は雪白えみりです。よろしくね、キテラさん」
これがスターズ正教の主教であった私と、聖あくあ教の聖女と呼ばれた彼女との初めての出会いでした。
本編では少ししか絡んでいませんが、鞘無インコ視点でのシロとたまとの絡みになります。
月2回以上はこういう小話やりたいですね。
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