白銀あくあ、弓を引く。
「この後の体育の授業は選択授業だ。着替え終わったらそれぞれ提出した選択授業の集合場所に集まるように」
俺はその言葉を聞くと慌てる。
なぜ慌てているのかというと、そうしないと大変な事になるからだ。
しかしいくら俺が早く行動しても、女子たちの行動はどんどん素早くなる。
クラスの女子たちは合図と同時にすぐに衣服を脱いで、見てはいけないものを俺に見せつけようとしてくる。
普通に考えたらご褒美でしかないのかもしれないが、それをじっくりと見る度胸が俺にはない。
俺は逃げるように教室を後にした。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
体育の授業より前に疲れるってどういうことなんだよ。
俺は男子のために用意された更衣室に入るとその場で項垂れた。
しかしこうやってじっとしていると、頭の中の脳裏に先ほどの光景が思い浮かんでくる。
俺だって男子だ、あんな光景を見せられてムラムラとしないわけがない。だから、このムラムラとした気持ちはこの後の運動で発散する事にしよう。
俺は制服を脱いでロッカーの中に入れると、中に入っていた袴を取り出して着替えた。
普通、体育の選択授業といえば柔道だったり剣道だったりが多いのだが、この学校には珍しく弓道の選択授業がある。前世で弓道部に入部していた俺は迷わず弓道を選択した。
「よーし、久しぶりの弓道だ。頑張るぞ」
俺は更衣室を出ると弓道場へと向かう。
一礼してから弓道場の中に入ると、俺は自分がやらかしてしまったことに気がついた。集められた1年生はみんな体操服で、誰一人として俺のように袴を着ていなかったからである。
「えっ、嘘、白銀王子の選択授業って弓道なの?」
「男子って体育は普通見学なんじゃないの? 白銀くんが来るなんて嬉しい誤算なんだけど」
「はわわわわ、白銀しゃまの袴しゅがたてぇてぇ……」
「やば、今年の1年に凄い子が入ったって聞いてたけど、予想以上だわ」
「朗報、3年間弓道を選択してた私、今この瞬間に全てが報われる」
俺は先生や先輩のいる方に挨拶すると、1年生が集まっている箇所の端っこにそそくさと混じる。
ちなみに体育の選択授業の種類は数十種類と多く、そのために1年生から3年生まで合同で行われるそうだ。
なお、数ヶ月おきのスパンで選択科目を入れ替える事ができ、継続して同じ科目を選択しても大丈夫らしい。
男子は基本的に体育は見学だが、希望者は参加することができる。その一方女子は、用紙に希望する科目を5番目まで記入し、定員をオーバーした授業は抽選になるそうだ。
「よし、これで全員揃ったな。……それにしても白銀、君は袴の着方を知っていたのだな。1年は最初の授業でそれをやろうと思ってたのだが」
弓道の選択授業の担当は、俺たちのクラスの担任の杉田先生だった。
杉田先生はこの学校の弓道部OGで、弓道部の顧問もしているらしい。
「す、すみません……」
浮き足立って気合い入れて袴を着てきた自分が恥ずかしい。
俺はうつむき気味に小さな声で言葉を返す。
「なに、謝る必要などないさ。それよりも白銀、もしかして君は経験者なのか」
「はい。一応……」
杉田先生は顎に手を置いて、ふむと小さく言葉を漏らす。
「最初に私がお手本を見せようと思ってたのだが……白銀、良かったら射って見ないか?」
女子生徒たちの痛いほどの視線が俺に向けられる。
この状況で断れるはずもなく、俺はわかりましたと言葉を返す。
俺は弓道場に用意された弓矢を手に取ると、ふぅと小さく息を吐いて心と体を整える。
自分の射る矢の長さに合わせて脚を開くと、弓を左膝に置いて右手を腰に当てた。
「ちょっと待って、無理、もうこの時点でカッコ良すぎる」
「あんな背中にギュッて抱きつきたい」
「やばい袴男子最高じゃん」
1年の女子のあたりが少し騒がしくなった。
弓道場が静かなだけあって余計に声が通る。
やめてくれ、流石に俺も恥ずかしくてこそばゆい気持ちになった。
それに気がついた杉田先生はコホンと咳払いする。
「1年、弓を引くときは静かに」
俺は杉田先生の注意の後に、もう一度心を整えると弓を構えた状態から打ち起こして弓を引く。
その状態で心身が一体になるタイミングを待って矢を放つ。
ぱさっ……。
俺の放った矢は見事に……見事に地面に落ちた。
やはり一度乱された心を整えるのは難しい。
今だって的にも当たらなかった事が恥ずかしくて残心の状態が乱れそうになる。
「わっ、弓が引けるなんてすごいね白銀くん」
「白銀くんって力持ちなんだね。すごーい」
「弓を引いてる時すごくかっこよかったよ」
明らかなお世辞だ。
逆に気を遣わせてしまったみたいで優しい言葉が余計に俺の心に刺さる。
「1年女子、それと2年の女子も気持ちはわかるが静かに」
だめだ、これでは終われない。
俺は天井を見上げると意識を切り替えて再度集中する。
3年間やってきてこれじゃあ前世で俺に弓道を教えてくれた先輩や先生に申し訳が立たない。
俺は外の世界を一旦シャットアウトすると弓と真剣に向き合う。
うん、もう大丈夫だ。
風の音、弓を引く音、自分の呼吸の音、全てが一つになる。
トンっ。
俺の放った矢が的の中心に中った。
一瞬の静けさの後、俺の耳に音が戻ってくる。
「えっ? えっ!? すごいすごい! 的の中心に当たった!」
「横顔やばい。カッコ良すぎて無理、耐えられない」
「すみません先生、お手洗い行ってもいいですか?」
「あっ、あっ、お姉さんもう卒業の年なのに、後輩くんに心を射抜かれちゃったかも……」
「トンって音のあと、心にキュンってきたよね。あれで心を撃ち抜かれて恋に落ちない女の子なんていないよ」
「ああ……私、白銀くんの弓になりたい」
「私はそんな高望みしない、使い捨ての矢でもいいからお姉さんを使って欲しい」
「むしろあの手袋になって、右手の代わりに私を消費して欲しい」
一斉に騒ぎ出す女子生徒達。あまりにも騒がしかったので話している内容はよく聞こえなかったけど、後半やばそうな事を言っていた人たちがいたような気がする。
もちろんこの状況で怒られないわけはなく、すぐに杉田先生の雷が落ちてきた。
「1年、2年……それに3年女子もか。いいだろう、お前らがそのつもりならこの1時間でみっちりと礼儀というものを教えてやろうか。それとお手洗いに行きたい女子、3分以内に帰ってこい。いいな。間違ってもトイレを汚すんじゃないぞ!!」
先に上がっていいぞと杉田先生に言われた俺は、一人、更衣室へと戻っていく。
杉田先生からは残りの時間は申し訳ないが教室で自習して欲しいと言われた。
俺は言われた通りに教室に戻って一人自習しようとしたが、女子たちが脱ぎ散らかした制服や下着があまりにも目に毒すぎて集中できそうにない。
着替えの時も思ったけど、どうやらクラスメイトの女子たちは俺が女性に対して忌避感がない事に気がついてしまったのだろう。これでもかというくらいぐいぐいと攻めてくる。
一度意識すると教室の中に充満した女の子のいい匂いに、心がかき乱されて自習どころではなかった。
俺が心の中で葛藤しているとどうやら授業が終わったのか、同じ弓道を選択していたクラスメイト達は疲れたような表情で教室に戻ってくる。杉田先生にだいぶ絞られたのだろう。元はと言えば俺のせいでごめんね。
俺は女子たちの着替えを見ないようにするために1人こっそりと教室を出た。