桐花琴乃、ベリルの宣戦布告。
9月18日、日曜日の夜19時、その日の街はいつもより静かだった。
休日出勤だった人も、休みで外に出かけていた人たちも自宅に帰宅し、テレビの前で待機していた。なぜなら今日はMステの放送日。この国で今最も話題の彼ら、白銀あくあ、猫山とあ、黛慎太郎、天我アキラの4人が所属しているベリルエンターテイメントの公式SNSやMusic stageのSNSでは、彼らが2週連続でMusic stageへの番組出演が予告されていたからだ。
故にこの国の大多数の女性たちにとって、番組開始までに帰宅しないという選択肢などあり得ないのである。そしてベリルエンターテイメントは、マスク・ド・ドライバーの第3話の終了後に、SNSの復旧と共に異例のアナウンスを出していた。
白銀あくあとベリルエンターテイメントより全ての人たちへ。
19:00から国営放送を含む全テレビ局にて5分ほどのCMを放送予定。
「なにこれ?」
「一体何をやるんだろう?」
「また何かやらかすの?」
「何をやるか分からないから楽しみ」
「見るしかないでしょ」
暗い部屋の中、覚悟を決めたのに1か月以上彼に会う事ができていない1人の女性。
検査のために病院に訪れていた暗い顔の女子高生。
丸の内のビルの一角のトイレの中で、青ざめた顔をしていたシスター服の少女。
のどかな田舎で穏やかな日々を過ごして心を癒していた元人妻。
大事な約束を果たすためにリハビリをしていた幼い少女。
数時間後にライブを控え楽屋でリハーサルの準備をしていた女性アイドル。
池袋で趣味のショッピングを楽しんで来週のイベントに向けて準備していたとある高貴な少女。
今日はお休みでこれから夜まで寝ようとしていたとある国営放送のアナウンサー。
休日なのにラーメン屋のバイトで忙しなく働く1人の女子大生。
そして関係者であるにも関わらず、何をやるか聞かされていなかった私……。
立場も年齢も何もかもが異なっている女性たちが、ベリルエンターテイメントの公式SNSから拡散された情報に視線を落としていた。
「ペゴニア、急いで帰るわよ!」
高貴なる身分の少女の決断は誰よりも早かった。
「全く……これ以上何をやらかすっていうのよ」
画面を見て穏やかな顔で笑う少女。その表情からは、もう男性に対するわだかまりはなかった。
「会いたくて、会いたくて、この気持ちを一刻も早く貴方様にお伝えしたいのに……貴方はどんどんと先に行くのですね」
暗い部屋の中、心が折れそうになっていた1人の女性は開いた携帯の画面に涙の粒を落とした。
「司祭様!! 大変です。早くトイレの中から出てきてください!!」
「あわわわわわわわわ。頼むから、頼むから、頼・む・か・ら! これ以上は大人しくしてください、あくあ様!! なんでもしますからお願いします! もうこれ以上、変な狂信者を増やさないでえええええええ!!」
数人の狂信者がトイレの扉をドンドンと叩く。逃げ場を無くした司祭が祈る神は天使か悪魔か。
「ゆうちゃん、楽しみだね!」
「うん、まいちゃん!」
さっきまで彼らと一緒にいた少女たちは屈託のない笑顔を見せ合う。
「白銀あくあ君……アキラ君を変えた男の子……」
自分を救ってくれた男の子を変えた男の子、彼女にとって男性はまだ怖い存在だけど、その存在にほんの少し興味が湧いた。
「あくあ君はすごいなー。あーあ、せっかく同じクラスになったのに、どんどん遠く離れていっちゃうな」
もう無理だってわかってる。でも彼女は、そんな事で諦められるほどの弱い覚悟は持ち合わせていなかった。
「やばい! 寝てる場合じゃないぞ! 掲示板だ!!」
体にかけた布団を吹っ飛ばして飛び起きた彼女は、だらしのない姿ですぐにパソコンを起動させる。
「くそおおおお、バイト終われよおおおおお、客、はよ帰れえええええ!!」
涙目になった女子大生は、店の裏でゴミ出しをしながら毒を吐く。
「社長、これはどういうことですか?」
その一方で私は、社長に笑顔ではぐらかされた。
「桐花さん、今日はもう帰っていいから、貴女もゆっくりと家で見てね」
それ以上の追及はできなかった。時間は進む、夜18時57分、私は自宅のテレビの前にいる。
同じように多くの人が帰宅しテレビをつけていることだろう。帰宅が間に合わなかった人は、どこかテレビのある場所へと駆け足で急いでいる最中かもしれない。中には家電量販店や、テレビの設置されたお店に駆け込んだ人もいるだろう。
「この後、ベリルエンターテイメントと全放送局、並びに藤グループと森長グループ様各社のご協力の元、全チャンネルで19時より同じCMが放送されます。みなさま、できればそのまま! そのままの状態でもうしばらくお待ちください!!」
アナウンサーは訴えかけるように画面の前の視聴者に語りかけた。この国で生きる多くの女性たちが、その瞬間、その時に同じものへと視線を向ける。私もまたその中の1人だ。
9月18日、日曜、夜19時00分。
聞き覚えのあるイントロと共に、黒背景の白抜き文字が映し出される。
『この世界は美しい』
この曲は、アイドルフェスの時に先行公開されたあくあさんの曲だ。私がベリルエンターテイメントに入る前にとあちゃんが作曲した曲で、本来であればこれがあくあさんのファーストシングルになる予定だったらしい。実際は、この曲が使われる月9よりもマスク・ド・ドライバーの曲の方が先にCD発売するし、カバー曲ではあるが、乙女色の心があくあさんにとってのデビュー曲である。良い曲ではあるが、私にとってこの曲は、まだその程度の認識でしかなかった。
『ああ、世界はこんなにも美しい』
バイクに乗った天我さんと、後部座席に乗った女子高生の姿が映し出された。
次の場面では一緒にゲームを楽しむとあちゃんとお姉さんはくつろいだ様子を見せる。
その次の場面では、黛さんが母親と思わしき女性と一緒の食卓を囲んで食事をしていた。
最後に横断歩道を渡ろうとするあくあさん。その先にいたのは1人のOL風の女性。デートの待ち合わせだろうか?
女性であればどの瞬間であれ誰しもが羨むような光景。
私も男性たちとこういうふうに過ごしたいと思わせる美しい映像だ。
それなのに私は、あまりにも美しくて眩しい映像からほんの少しの歪さを感じ取ってしまう。
『そう、こんなにも美しいんだ』
バイクを降りた天我さんたちは街中でデートを楽しむ。
とあちゃんが眠そうにあくびをすると、一緒にいたお姉さんがその肩に手をかけてにっこりと微笑んだ。
食事を一口食べた黛さんの表情から笑顔が消える。さっきまでの笑顔が嘘のようだ。
あくあさんは近くのカフェに入ると、満面の笑みで女性に向けて手を差し出す。嫌な予感がした。
『でも君はこの美しい世界で苦しんでいるよね?』
天我さんはデート中に豹変する。何か気に食わないことがあったのだろうか。女性の手首を強く掴むと、そのまま女性の体を壁側に叩きつけるように押し込む。怯えた女性が天我さんから顔を背けると、天我さんはそんな女性に対して拳を振り上げた。
とあちゃんの肩に置いた手がゆっくり下の方へと向かっていく。その怪しい手つきに危機を感じ取ったとあちゃんは激しく抵抗する。でも、抵抗虚しくとあちゃんの体を押し倒しその上に跨った女性は、恍惚とした表情でとあちゃんの衣服を無理やり剥ぎ取ろうとした。逃げてとあちゃん!!
さっきまで笑顔だった黛さんは豹変した態度でテーブルをひっくり返すと、椅子から立ち上がって母親に向かって激しい口調で恫喝する。俯いたままの母親は胸を押さえて苦しそうな表情を見せた。それでも続けられる言葉の暴力、何を言っているか聞こえなかったが、その演技は朝に見た辿々しいものではなく真に迫っていた。
そしてあくあさんは、女性から受け取った封筒の中身を見ると、その中に入っていた札束を取り出して数えていく。こんなあくあさんを見たくないとテレビを消したくなった。でも目が離せない。あくあさんは数え終わった札束を乱雑にポケットに突っ込むと女性の肩を叩いてカフェテラスを後にする。1人残された女性はカフェテラスで寂しそうな後ろ姿と共に肩を震わせていた。
『僕はその事に気がついてしまった』
天我さんに殴られてアザだらけになった女子高生の姿が映し出された。その姿は痛々しく見ている方が辛くなる。
とあちゃんは乱れた衣装で、1人天井を見上げて泣いていた。その隣でお姉さんは満足げな表情でシャツのボタンを止めている。全ての行為が終わった事が示唆されていた。
お母さんは真っ暗な部屋の中、1枚の紙に筆を走らせている。そこに書かれていたのは謝罪の言葉ばかりだった。
電話をかける1人の女性。でも私は気がついた。その電話が絶対につながらないことを……。次の瞬間、違う女性からお金を受け取るあくあさんの姿が映し出される。被害者は1人だけじゃなかった。
『だから君を止めなきゃいけない』
おぼつかない足元、女子高生は学校に行くのだろうか、ファンデーションでアザを隠し制服に着替えて駅へと向かう。いってきます。家族にそう言って扉を閉める彼女の笑顔は今にも壊れてしまいそうだった。
とあちゃんはネオンに彩られた町の大きな橋の欄干に手をかける。
お母さんは天井からぶら下がった縄を空虚な目で見つめていた。
あくあさんとデートしていた女性は、どこかのホテルで横たわっている。その手には何かの薬が入った瓶が握られていた。
再び女子高生の映像に戻ると、その子はSNSで友達や親御さんにありがとうのメッセージを送る。
そしてスマートフォンを駅のホームのベンチの上に置くと、線路の方へと向かっていく。嫌な予感が頭の中を駆け抜けた。
『この世界は美しい』
一瞬だけ映るテロップ、次の瞬間、電車のホームから飛び降りようとする女子高生の後ろ姿が映った。
私は思わず両手で口を押さえる。
『ああ、なんて美しいんだ』
欄干に力をかけて飛び越えようとするとあちゃん。
『本当に美しい』
縄を首にかけたお母さんが椅子を蹴飛ばす。テーブルの上には遺書が置かれていた。
『本当に?』
このCMを見ている全ての人に投げかけるようなメッセージ。
ホテルの部屋の中で目の前の視界が朦朧とする女性。
そこに入ってきたのは救急隊員と数人のOLだった。
彼女が結婚詐欺にあっている事に気がついた同僚たちが止めに入ったのである。
『見たくないものから目を逸らしていないか?』
とあちゃんは自殺を思い留まったのか、その場にへたり込んで大泣きする。
作り物の映像だってわかっているのに私は胸が苦しくなった。
とあちゃんとたまちゃんのマネージャーをやるようになってから、弟妹のように私は2人を可愛がっている。この感情は恋ではなく家族愛に近いものだと自分でもわかっているから、身内と思わしき女性に性的暴行を受けて心を病むとあちゃんの映像を見るのは辛かった。
『この現実と争う事を諦めてないか?』
縄に首をかけて苦しんでいた母親を助けたのは黛さんだった。
救われたのかと思ったのは僅かに一瞬、再び母親に対して激しく言葉をぶつける黛さん。おそらく勝手に死のうとしたことを叱責したのだろう。母親に依存している男性は今でも一定数いると聞く。それは別にいいことなんだけど、彼らは母親に対して優しさを返してくれることはない。それが社会問題になっている。でも、映像の母親は、もう耐えきれなくなったのか黛さんに対して激しく言い返す。その言葉を受けた黛さんは激しく動揺する。この映像は衝撃的だった。
男の子に対してこんなに激しく言い返す母親など、少なくともこの国には1人として存在しないからである。
『隣の人の顔を良く見て、君はその人を救えるかも知れない』
通り過ぎていく電車。女子高生はその手前で地面に横たわっている。
線路に飛び込んだと思っていた女子高生を助けたのは、見知らぬ大人たちだった。
大人たちは女子高生に大丈夫と、優しく声をかける。大泣きした女子高生、周りにいたみんながその少女を優しく抱きしめた。
『beautiful right?』
ただひたすらに美しいメロディーラインとあくあさんによる歌。
でもその音楽が作り出した映像は衝撃的だった。
CMが終わるとほんの短い時間のテロップが流れる。
歌 白銀あくあ
作詞 黛慎太郎
作曲 猫山とあ
編曲 天我アキラ
プロデューサー 小林大悟、天鳥阿古
ディレクター/カメラ 本郷弘子
アシスタントディレクター ノブ
構成脚本 八雲いつき
原案 白銀あくあ
衣装/アートディレクション ジョン・スリマン、コロール(特別協賛)
撮影協力 藤グループ各社、森長グループ各社
出演
白銀あくあ、猫山とあ、黛慎太郎、天我アキラ
雪白美洲、小雛ゆかり、小早川優希、玖珂レイラ
ほんの一瞬だったから、後で録画をよく確認しよう。
そんな事を考えていたら映像が切り替わる。
真っ白な背景の前で、ただ1人佇む天我さんはゆっくりと口を開く。
『今、この瞬間もこの国の何処かで、苦しんでいる女性たちがいる』
次の瞬間、映像は天我さんからとあちゃんへ。
『その一方で外の世界に怯え、一歩を踏み出せない男の子たちもいる』
とあちゃんから黛さんへとバトンが手渡される。
『果たしてそんな世界でいいのだろうか?』
黛さんからあくあさんへと切り替わる。
『いいわけがないよな?』
あくあさんは画面の前の私たちに、そして自らに問いかけるように語りかける。
『誰もが美しいと思うそんな社会にするために、僕たちは立ち上がる』
とあちゃんはそう言うとあくあさんの隣に立つ。
『この国は変わっていく』
天我さんがその反対側へと回る。
『僕たちが変えていく』
黛さんはそのままとあちゃんの隣に行く。
『だからみんなにも手伝ってほしい』
あくあさんは画面の前の私たちに向かって手のひらを差し出す。
『みんなが笑って過ごせるそんな世界にするために』
全員の言葉が重なった。
そして画面が切り替わると手書きの文章が映し出される。
『私たちベリルエンターテイメントは、誰しもが笑い合えるそんな優しい世界を作り上げるために、様々な活動を通してこの国をもっと良くするお手伝いをしたいと思っています。白銀あくあ、猫山とあ、黛慎太郎、天我アキラ、代表取締役社長 天鳥阿古』
決意表明? そんな生優しいものじゃない。
これは今のこの社会のあり方に対する宣戦布告だ。
ベリルなら、あくあ様なら本当に変えてしまうかも知れない。私はそう思った。
私は椅子から立ち上がって画面に向かって拍手を送る。
自分もこのままじゃダメだ。
私だってベリルエンターテイメントの社員の1人になったのだから、そのお手伝いがしたい。
何よりも1人の人間、桐花琴乃として、この現状を変えていきたいと思う。
そのためにも、私は私のできる事をするだけだ。
私はバッグの中から作りかけの企画書を取り出すと、あくあさんたちの出番が来るまで企画書の内容を詰めていった。
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