慎太郎、僕のヒーロー。
聖クラリスとのボランティア交流学習。
ほんの一年前まで、僕がこういった行事に参加するなんて全くと言っていいほど考えられなかった。
「白銀……」
僕はエントランスの中心で子供達と触れ合う白銀を見て笑みを溢す。
いつだってどこだって、白銀はみんなの中心にいる。
マスク・ド・ドライバー、ヘブンズソード、白銀が撮影を見学しないかと言ってくれたから、僕は役者をしている白銀に興味が湧いてその誘いに応じた。そこで見た白銀の演技は今でも目に焼き付いている。だから本郷監督にドライバーにならないかと誘われた時も、白銀と同じドライバーを演じたら、もしかしたら僕も白銀のような眩しい存在になれるんじゃないかとそう思った。
でも現実はそんなに簡単じゃない。
「はい、カーット! 黛君、さっきより良くなってるよ」
本郷監督はそう言ってくれたけど、自分がダメなのは自分が一番よくわかっている。
白銀と比べるのも烏滸がましいレベルだが、同時期に始めた天我先輩や猫山と比べても自分の演技は明らかにダメだった。それどころか慌てるとセリフを噛んでしまって、演技以前の問題である。どのみち声はあとで収録し直すから問題ないけど、それでも演技はどうしようもない。
「白銀……なぁ、どうしたら僕は白銀みたいになれるんだ」
撮影の合間、僕はトイレの中のお手洗いで、鏡に反射した自らの濡れた顔を見てそう呟いた。
努力してもがけばもがくほど、ほんの少し前に進んでみると、余計に白銀の凄さに気付かされる。
目の前の壁がどんどんと高くなって、お前なんかじゃ白銀のようにはなれないと言われた気がした。
「ゆうちゃん、剣崎くん来てるよ。行かなくていいの?」
近くから聞こえてきた看護婦さんの声に、僕はハッとなって現実に引き戻される。
「いい……」
振り向くと車椅子に乗った少女が、白銀のいる中心から1人遠く離れた所にいた。
僕はゆっくりとその少女の元へと近づく。
「どうしたの……?」
女の子の中でも奥手な女の子はいる。本当はみんなと同じようにあの輪の中に入っていきたいけど、遠慮をしているだけなら、どうにかしてあげたいと思った。
「あっ……黛くん」
僕に気がついた看護婦さんは、こそこそと小さな声で話しかけてきた。
「えっと……実はね。ゆうちゃん、足を怪我して手術したんだけど……明日の歩行訓練が怖くて、多分憂鬱になってるんだと思う。よかったら一緒に遊んで気を紛らわせてあげてほしいんだけど……大丈夫かな?」
「は、はい、自分でよかったら大丈夫です」
僕はゆうちゃんの側に近づくと、白銀がやっていたみたいに膝を折って目線を合わせて話しかける。
ゆうちゃんは僕の顔を見て、ほんの少しだけびくんと反応すると強張った表情をした。
「よかったら僕と一緒に絵を描かない?」
「う……うん……」
僕は看護婦さんから画用紙を受け取ると、ゆうちゃんの隣の席に座って彼女の目の前に画用紙を置いた。
「それじゃあ次のお題は、みんなの好きなことを書いてみようか!」
好きなこと、好きなことか……。
「ゆうちゃんは好きなことある?」
「……うん」
クレパスを手に持ったゆうちゃんは、ゆっくりと絵を描き始める。僕はスケッチブックが動かないように押さえたり、ゆうちゃんが次に使う色のクレパスを探して手渡したりした。
「……できた」
「お兄ちゃんに見せてくれる?」
「……うん」
画用紙いっぱいに描かれていたのは、ゆうちゃんが太陽の下で走っている姿だった。
さっき看護婦さんから少し聞いたけど、ゆうちゃんは男が起こした交通事故に巻き込まれて、足を怪我して手術することになったそうだ。しかも男は無免許で、事故を起こした後もこんな小さな子供に対して怒鳴り散らしていたという。だからゆうちゃんは、同じ男の白銀の輪にも加わらず、僕に対しても怯えたような表情を最初に見せたのだ。
「ゆうちゃんの絵、すごく上手だね。ゆうちゃんは走るのが好きなの?」
「うん……」
少しは僕に対して心を開いてくれたのか、ゆうちゃんは照れた表情を見せる。
「ゆう、走るの好きなの……前にお母さんが、大人のお姉さんたちのかけっこの大会に連れて行ってくれて、それから走るの好き。だからゆうもいつかね、かけっこの選手になるんだ」
「そっか……ゆうちゃんにはちゃんと打ち込めることがあるんだね。羨ましいよ」
「お兄ちゃんはないの……?」
ゆうちゃんの純粋な疑問が僕の心にチクリと刺さった。
白銀の手伝いでやることになった作詞のお仕事をきっかけに、マスク・ド・ドライバーの撮影、なし崩し的に出演したライブや音楽番組。どれもこれも自分が白銀みたいになりたくて、始めたことである。
果たしてそこに僕の意志はちゃんとあったのだろうか? 確かにどのお仕事も楽しかったけど、胸を張って言えるだけの自信が僕にはなかった。
僕がゆうちゃんの質問に答えられずに俯いていると、1人の看護婦さんがゆうちゃんのところにやってくる。
「ごめんゆうちゃん、ちょっといいかな。実は明日の歩行訓練なんだけど……」
「いい! ゆう、どうせ歩けないもん。この前だって失敗したもん!!」
ゆうちゃんは電動車椅子のボタンを押して、1人何処かへと行ってしまう。僕は立ち上がって引き止めようとしたが、ゆうちゃんの質問に答えられなかった自分に引き留める権利はないんじゃないかと思いとどまってしまった。
「どうかした?」
異変に気がついた白銀が僕のところへとやってきた。
さすがだよ白銀、こういう時、お前は絶対に気がつく奴だと思ってたし、白銀ならきっと僕と違ってゆうちゃんを前向きな気持ちにさせる事ができるだろう。
「頼む、白銀……ゆうちゃんの事を励ましてやってくれないか」
僕は白銀に頭を下げる。
かっこ悪いな。そう思ったけど、これが僕にとっての最善の答えだ。
そう思っていたのに、白銀は僕に対して意外な言葉を口にした。
「嫌だ!」
「えっ?」
僕は白銀の言葉に固まった。目の前の白銀と視線があう。
「黛、お前は……お前は本当にそれでいいのか?」
白銀の言葉に、僕の心の蓋が外れて嫌な自分の感情が溢れ出していく。
「っ! い、嫌に決まってるだろ。でも僕は白銀あくあみたいにヒーローじゃないんだ! 僕なんかじゃ白銀あくあにはなれないんだ!!」
声を荒らげてしまった僕に、周囲の視線が集中する。でもそれ以上に、白銀も声を荒げた。
「なんで俺にならなきゃいけないんだよ! お前は白銀あくあじゃないだろ! 黛慎太郎だろ!!」
「だからその黛慎太郎じゃ誰も救えないんだよ!!」
自分で言っていて情けなくなる。でもそれが事実だ。白銀あくあはあんなにも多くの子供たちを笑顔にしていたのに、僕はたった1人の小さな女の子ですら笑顔にできない。みたくもない現実と向き合わされた。
「そんなことねえよ!!」
白銀の一際大きな声に僕は一歩後ずさる。
「黛、お前はもしかしたら知らないのかもしれないけど、俺は黛の……黛慎太郎のいいところをいっぱい知ってる!! いつも周りのことをちゃんとみてたりとか……優しいところとか。何よりも、いつも頑張って何か新しい事に挑戦してる黛の度胸と前向きな気持ちに俺は励まされたし、それを誰よりも近くで見てたから、俺も頑張らなきゃって思ったんだよ!」
白銀は僕の両腕を掴んで体を揺さぶる。その言葉は真剣で、嘘も偽りもない。心に心をストレートでぶつけてくるような言葉だった。
「この世界でアイドルをやろうと思ったのも、何かに挑戦しようと思ったのも、お前が応援してくれたから、俺だってやってやろうって思ったんだ! 何もできない? 嘘つけよ。お前はもう既に俺を、白銀あくあの事を救ってるんだよ! いいか黛! 俺がお前のヒーローなら、お前は俺のヒーローなんだよ!!」
僕がお前の、白銀あくあのヒーロー……だって?
「だから……だから、お前はお前だけのヒーローを目指せよ!! 白銀あくあじゃない、黛慎太郎にしかなれないヒーローを目指せばいいじゃないか!!」
白銀あくあじゃない。黛慎太郎にしかなれないヒーロー。その言葉に感情が強く揺さぶられた。
「行けよ、黛……いや、慎太郎! あの子に勇気を与えるのは俺じゃない。ましてや他の誰かでもない。黛慎太郎! あの子だって俺じゃない、慎太郎の事を待ってるはずだ!!」
白銀は僕に向けて拳を突き出した。その腕は筋肉質で、僕のヒョロイ腕なんかと全然違う。頼れる男の拳だった。僕が憧れて憧れてなりたかった男の拳。でも、この拳に頼り甲斐を感じるのはきっと僕と比べて筋肉があるからだけじゃない。白銀の拳の奥にある熱い何かを僕は感じ取る。でも僕はずっと、ずっと……その表面しか見てこなかったのだと、今更ながらに気付かされた。
僕は両手を持ち上げると、気合を入れるために自分の両頬を強く引っ叩く。頬がジンジンして痛かったが、その分、気合は入ったし、もう迷いはない。
「すまない、白銀……いや、あくあ。目が覚めたよ。僕は……僕は! 白銀あくあじゃない、僕にしか、黛慎太郎にしかなれないヒーローを目指すよ」
「ああ!」
白銀と拳を突き合わせた僕は、先にエントランスを出たゆうちゃんを追いかけようとしたが、肝心なゆうちゃんがエントランスを出た後どっちに行ったのかわからなかった。
勢いよく出たのにかっこつかないな……でも仕方がない。それが僕なんだから。そんな事を考えてたら目の前の曲がり角の壁にもたれかかった猫山がいた。
「ほら、あっち」
猫山が指差した方向を見ると、外の広いバルコニーへと向かう扉が開いていた。
「猫山……お前」
「慎太郎、次からは僕の事も、とあって呼んでよね」
猫山は少し恥ずかしそうにそう言った。どうやらさっきのやりとりも見られていたらしい。
僕は猫山とも拳を突き合わせる。
「ありがとう! 行ってくる!!」
「うん!」
僕は猫山に礼をいうと、ゆうちゃんの待っているバルコニーへと向かう。
バルコニーに出ると、すぐにゆうちゃんは見つかった。僕はゆっくりと、ゆうちゃんの居る方向へと向かう。すると僕に気がついたのか、ゆうちゃんはゆっくりとこちらを振り向く。
「お兄ちゃん……ゆう……ね。公園でみんなと追いかけっこしてたの。そしたらね、大きな車が公園の中に突っ込んできて、ゆうの事をひいたの」
ゆうちゃんの言葉に眉間の皺が深くなる。きっと痛かっただろうな。辛かっただろうな。僕には想像することもできない苦しみだったと思う。そんな痛みを理解してあげられないことが悔しくなる。
「ゆう痛くて痛くて、いっぱい涙が出たの。そしたら車を運転していたお兄ちゃんが出てきて、ゆうが悪いって、公園で走ってたゆうが悪いって言ったの。ねぇ、お兄ちゃん……ゆう、このまま歩けないほうがいいのかな?」
僕の喉の奥が熱くなった。
「そんなわけないだろ!! 僕は、走ってるゆうちゃんの姿が見たい!!」
子供が公園で遊ぶのは当然のことだろ! そりゃ誰にだって車の運転をミスすることはあると思う。でも元はと言えば、免許も持ってないソイツが公園に突っ込んだのが100%悪いのであって、普通に遊んでたゆうちゃんが悪いわけじゃない。
「本当?」
「ああ、本当さ!」
僕はゆっくりとゆうちゃんのそばに近づく。
「歩行訓練はきっと大変だと思う。気軽に頑張れなんて言えないけど、それでも……それでも頑張ってみないか? いつか、いつの日か、ゆうちゃんがちゃんと走れるようになったら、僕はゆうちゃんと一緒に公園でかけっこがしたい。さっきゆうちゃんが描いた絵みたいに、お日様の下で2人でかけっこをしよう」
「うん、ゆうもお兄ちゃんと一緒にかけっこがしたい。でも……ね、この前、歩行訓練の時に立ちあがろうとしたら、事故の事を思い出しちゃって、怖くて怖くて立ち上がれなかったの……!」
ゆうちゃんの言葉に、胸が苦しくなった。
「そっか、明日の歩行訓練、怖いよな……歩けなかったらどうしようとか、そういうこと考えちゃうよな。僕だって、そんなに心が強くないから少しはわかると思う。でも……でもな。勇気を出さなきゃ、きっと後悔すると思うんだ」
ゆうちゃんに言い聞かせるように……いや、自分に言い聞かせるように言葉を紡いだ。そして僕は決意する。
「ゆうちゃん、お願いがあるんだけどいいかな」
「う、うん……ゆうにできる事ならなんだっていいよ」
「明日の朝のマスク・ド・ドライバーを見てくれないか?」
「ドライバー?」
僕は首を縦に振った。
「勇気を出して立ち上がったら報われるってことを、僕はゆうちゃんに知ってほしい。最初の一歩は怖いかもしれないけど、踏み出したその先に何が待っているのか。だから、明日の朝のマスク・ド・ドライバーは剣崎総司じゃない。僕の事を……橘斬鬼の事を見ていて欲しいんだ!」
女の子たちを笑顔にしたい。白銀のそんな夢を、僕はどこか他人事として捉えていたんだと思う。だけどそうじゃないって事に気付かされた。僕にだって誰かを笑顔にすることはできる。
少なくとも今、僕の目の前にいるゆうちゃんを笑顔にするのは白銀じゃない! 他の誰でもない、僕がゆうちゃんを笑顔にするんだと思った。
『黛くん、今日から君もドライバーだ!!』
本郷監督にそう言われた時も、僕はどこか他人事だったと思う。
でも今はそうじゃない。僕だってみんなのように本当のドライバーになりたい!!
ゆうちゃんと約束した後、僕は自然と2人のところへと走り出していた。
「あくあ、とあ、お願いがあるんだ……!」
僕がそういうと2人は無言で頷いてくれた。
「心配しなくても、黛ならそう言うと思ってたぜ! 本郷監督がすぐにスタッフのみんなを集めてくれるって、俺も一緒に土下座してやるよ」
「天我先輩にも連絡したし、阿古社長も一緒に土下座してくれるって、まぁ僕もするけどね、土下座。後、ボランティア活動はちょうどこれで終わりらしいから、杉田先生も病院の人たちも帰っていいって」
2人は僕が何も言わなくても全てを察してくれていた。それが嬉しくて声が震える。
「い、いいのか……?」
「いいのかもクソもないだろ。世界中の女の子を笑顔にしようとしているのに、目の前の小さな女の子1人を笑顔にできなくて何がアイドルだよ。それに、忘れてないよな。俺たちはドライバーだぜ。ドライバーはな、一度でも演じたら最後、命が燃え尽きるその瞬間までみんなの憧れたドライバーじゃないといけないんだぞ」
「そんなこと、誰が言ったのさ?」
あくあの言葉に対して、とあは怪訝そうな目線を返す。
「本郷監督に決まってるだろ」
「ふふっ、確かにあの人ならいいそう。そっか、じゃあ僕も最後までそうじゃないとね」
とあの言葉に僕も頷く。
「それにしても明日の午前中だよね。Mステのスタジオ入りにちゃんと間に合うかなぁ」
「間に合わせるしかないよな。まぁ間に合わせるのは俺たちじゃなくて阿古さんたちなんだけどさ」
「その阿古さんがOK出したんだし、本郷監督がノリ気になったんだから、もうやるしかないよね。準備してくれるスタッフの人には後でごめんって言っとこ」
目の前を歩く2人の背中が眩しく見える。ああ、なんて頼もしいのだろう。僕も2人に負けないドライバーになるぞと誓う。そして僕は、小さな声でありがとうと呟いた。
「なんか言った?」
「いや、なんでもないよ。だから行こう!」
僕の言葉に2人は大きく頷いた。
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