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白銀あくあ、合同音楽会いっきまーす。

「おぉ……ここがメアリーか……」


 俺は生徒会の要請もあって、メアリー女学院との合同音楽会のために隣県を訪れていた。

 メアリーは幼稚園から大学まである超名門校で、女子御三家と言われている有名女子学校の一つである。歴史のある学校だけあって建物も作りも素晴らしく普通に見入ってしまった。

 ちなみにその御三家の一つ、聖クラリスには妹のらぴすが通っているが、クラリスとメアリーはライバル関係にあるらしい。仲が悪いということはないんだが、お互いに切磋琢磨する関係なんだそうだ。


「白銀さん、こっちです」

「あ、はい」


 今日は俺以外にもクラスメイトで生徒会庶務の千聖クレアさん、先輩で二年生、生徒会のナタリア・ローゼンエスタ副会長、同じく生徒会で三年生の那月紗奈会長、そして担任の杉田マリ先生がこの合同音楽会のために同行しているが、実際に演奏するのは、俺、ローゼンエスタ副会長、那月会長の3名だけだ。杉田先生は引率として、クレアさんはもしもの時のためのピンチヒッターとして俺たちに帯同している。

 そして今日は平日だが、俺たちは普通に午前中は学校で授業を受けてきた。杉田先生と生徒会の皆さんが言うには、午後の授業は公欠扱いになっているらしい。だから欠席しても出席扱いになっているそうだ。


「初めまして、ようこそおいでくださいました」


 メアリーの生徒会の皆さんと先生方が、駐車場までご丁寧にお迎えに来てくれたので俺たちは軽く会釈する。ちなみにメアリーの制服はワンピース型のセーラー服だ。紺色の生地に白襟、細い赤リボンと制服の首元にある十字架のマークと、スカートの裾に残った袴の名残である黒いラインが特徴である。ちなみにクラリスの制服にも首のところの生地に十字架のマークが入っているが、あっちはメアリーの紺色に対抗しているのか白セーラーが伝統だ。


「本日の合同音楽会なのですが、事前にご連絡した通り、進行の方を少し変更いたしまして……その、1年の白銀様には最後に演奏していただきたいのですが、ほ、本当によろしいのでしょうか……?」

「あ、はい、大丈夫ですよ」


 最初の予定では、幼等部、小等部、中等部、高等部、大学の順番で演奏する予定だったらしい。でも俺が参加したことで、警備の関係上で最後にしてほしいと言われた。申し訳なく思った俺は、ご迷惑をおかけするなら代わりの人がと提案したが、それを言ったらメアリーの子に泣かれちゃったんだよね……。女の子を笑顔にするのって難しいな。俺はアイドルとしてまだまだだなと、より頑張ろうと気合が入った。


「それで、その……白銀様は、他の方の演奏をお聞きになったりとかなさいますか? もし、ご不快でしたらご休憩室もご用意していますが……」

「よろしければメアリーの皆さんの演奏も、乙女咲のみんなの演奏も聴きたいのですが……ご迷惑ですか?」


 乙女咲のみんなの演奏はもちろんのこと、メアリーからは、カノンの他にも、知り合いのえみりさんも演奏するから聞いてみたいと思っていた。


「い、いえ、大丈夫ですよ! 流石にメアリーや招待校の生徒達と同じところ……というのは難しいですけど、乙女咲の皆様にはご観覧用のバルコニー席をご用意していますので、そちらの方をご利用いただければと思います」

「ありがとうございます」


 わざわざ特別に席まで用意してもらってたみたいで申し訳ない。でもこの世界の今の男性の立場を考えたら、これも仕方のないことなのだろう。


「それじゃあ私たちは準備してきますから」

「ああ、はい。わかりました」


 会長と副会長の2人は、演奏用のドレスに着替えるために別室へと向かう。俺も後でスーツに着替えなければいけないが、着替えるだけなので直前で大丈夫だろう。

 俺は杉田先生とクレアさんと一緒に、生徒会の人たちの先導でバルコニー席に案内された。


「こちらになります」


 俺は入り口の前にいた警備員の人達に、今日はありがとうございます。お世話になりますと声をかけてからバルコニー席に入る。これはもはや前世からの癖といってもいい。例えば役者さんの中には家を出る時から自分を作ってくる人がいたりとか、アイドルならあえて普段の時から自分のイメージを崩さないとか、そういうタイプの人はあえて挨拶をしない人もいるけど、俺はそれはそれでいいと思う。それだけ仕事とか自分の作りあげたものに対して真剣なんだなって伝わってくるしね。でも俺を鍛えてくれたジョニーさんという人はすごく礼儀に厳しい人だったから、挨拶だけは丁寧にちゃんとしろと教えられた。それが染み付いているのだと思う。


「流石はメアリー。伝統のホールはスターズの古い建築を参考にしているから趣があるし、使っているカーテンや椅子も一流のものばかりだなあ」


 杉田先生は感嘆の声を漏らして、うっとりとした目で周囲をキョロキョロと見つめる。そういえば先生は、ミュージカルを見たりするのが好きだって言ってたから、こういう雰囲気のあるホールが好きなのかな? 俺もここで演奏できるのかと思ったら少しワクワクしてきたな。

 その一方でクレアさんはいつも通りだ、中学の時はスターズに留学していたから、もしかしたらこういうのには本場で見慣れているのかもしれない。


「そろそろ大学生の演奏が始まるようですね」


 メアリーの合同音楽会は1日かけて行われるが、幼等部から中等部までの演奏は午前中に行われる。高等部と大学は午後からの日程だ。ちなみにメアリーの生徒は中等部以上は一日参加だが、午前中の招待校は午後を見ずに帰宅することが慣例となっている。それなのにホールの奥の方には、普段は閲覧しないはずの幼等部や小等部、午前中の招待校も残っていた。今回の合同音楽会の演奏はそれほどまでに素晴らしかったということなのだろうか? 楽しみだなあ。


「あ」


 さっきまで静かだった観客席の中で、誰かが声を漏らした。

 それと同時に、観覧席に座っていた全員が一斉に俺の方へと振り向く。

 ステージの上で見られ慣れてるとはいえ、この状況で一斉に見つめられると中々に恥ずかしいものがある。俺はとりあえず笑顔で手を振る。アキオさんも言っていたが、困った時はとりあえずニコリと笑って手を振っておけばごまかせるそうだ。


「う……」


 え……? 観客席の中の1人の女の子が前のめりに倒れた。でもすぐに両隣の子がその子の体を支えて事なきを得る。よ、良かった……。そのまま前の座席の背もたれに顔をぶつけたりしたりしたら大変な事になっていたかもしれない。しかしその子を皮切りに、数人の女子たちが同じようなことになって隣の席の子に介抱してもらう。俺はどうしようと、隣に居た杉田先生の顔をチラリと見ると、先生は苦笑しつつほんの少し呆れた顔をしていた。居た堪れなくなった俺は視線を反対側にいたクレアさんの方へと向ける。するとなんだか、困った人ですねと残念なものを見るような憐れみの目で見られた。きっと、そんな気がするだけだと思いたい……。

 いや……いやいやいや、流石に手を振っただけでこうはならんでしょ。きっと長時間参加してたから、具合が悪くなった子がいただけだって。そうだよ、そういうことにしておこう。

 俺は気がついてない振りをして、そのまま座席に座った。


「げ……」


 え? 俺またなんかやらかしたのかと声の方へと反応する。

 すると下に視線を向けたクレアさんが、ほんの少しだけ嫌そうな顔を見せた。

 クレアさんはクラスメイトの中でも落ち着いている方で、常に平坦というか……平常心のままでいるような人である。そんなクレアさんが、珍しく自らの感情を覗かせるように表情を崩していたから俺はびっくりした。


「どうしました?」

「あ……いえ、すみません。知り合いをお見かけしたものでして、つい……気にしないで下さい」


 ふーん、クレアさんにもそうやって素を見せる人がいるんだなあ。クラスメイトの中でも大人びている彼女は、ぶっちゃけ隣にいる杉田先生より大人に見える時がある。というか杉田先生は、最初のイメージでは少し硬いのかなと思ってたけど、普通にクラスメイトからちょっかい出されるとじゃれあったりする時もあって、子供っぽいところがあるかわいい人だなと思った。

 そんなことを考えていると、ポケットの中に入れていたスマートフォンが微弱に振動する。

 演奏もまだなので、中を開いて確認すると、カノンからのメッセージだった。


『ふーん、隣に可愛い子連れて楽しそうだね。私だって、あくあとお話ししたいんだけどなー?』


 ふっ、俺は思わず笑みが溢れた。カノンはあんまりねっちりとした嫉妬をするタイプではないけど、隠さずにやきもちを焼いてくれるタイプだから、恋愛初心者の俺としてはありがたい。知らず知らずにストレスを溜めて苦しまれるより、こうやってちゃんと言ってくれる方が自分としても対処しやすいからね。

 俺はすかさずカノンに返信した。


『うん、大好きなカノンが隣だったらもっと楽しいだろうな。でも、カノンの可愛さに緊張して、俺はあまり喋れないかもしれないけど、それでもいいかな?』


 結論から言うと返答はなかった……。果たしてこの返答で正しかったのかと不安になる。そういえばついこの前も、こういうことがあった。そう、あれは、マスク・ド・ドライバー、ヘブンズソードの第2話が放送された直後の事である。


『私もあくあとぎゅっとしーたーいー!』

『きっと、ぎゅっとするだけじゃ終わらないけど、それでもいい?』

『え……』


 この時もカノンからの返答がしばらく途切れた。こういうことがしょっちゅうある。何かカノンを怒らせることをしていなければいいのだが……。何を隠そう俺は前世も含めて、女性とお付き合いするのはこれが初めてのことだ。だから頼む、誰か俺に正解を教えてくれ!!

 っと、そろそろ演奏が始まりそうなので、俺はスマートフォンの電源を落としてポケットの中に突っ込む。ちゃんとマナーは守らないとね。


「メアリー女学院、合同音楽会を再開します。午後の部は乙女咲学園より3名の方の演奏を予定しております。また大学では提携校の〜」


 ホールの照明がゆっくりと落ちていくと最初の演奏が始まる。

 演奏のトップバッターは誰かなと思ってたら、出てきたのは喫茶店の常連客だったえみりさんだった。


「最初の演奏は雪白えみりさんで、讃美歌lilyの独唱になります」


 俺はみんなと同じようにステージに向かって拍手する。舞台袖から出てきたえみりさんは、上品な純白のワンピース姿だった。もとより綺麗な人だったが、品のある装いがその身に纏う清らかなオーラを際立たせている。

 えみりさんが歌う讃美歌lilyは元々古いアニメの曲だったが、作曲者ですらも知らず知らずのうちに世界でヒットしてしまった異例の曲だ。えみりさんはアニメなんて見てないだろうから、きっと教会で歌っていたのを聞いて知ったんだろうなあ。

 この曲は解釈が難しく、真に意味を理解するために様々な意見が飛び交うほどだが、そんな曲を、えみりさんはこれこそが正解だと言わんばかりに、神々しくも清らか、厳かで神秘的な雰囲気で歌い切った。一言で言うと圧巻である。えみりさんがこんなにも歌が上手だったなんて思いもよらなかったが、それ以上に歌唱中の雰囲気も相まって曲の美しさが際立たされた。この曲はラテン語の歌詞で、翻訳すると自らが聖女だと歌うちょっと痛い歌詞らしいんだけど、えみりさんは知っているのかな? でも、えみりさんくらい綺麗なら聖女と言われてもおかしくないな。


「す、すごい……」


 隣にいた杉田先生は目を煌めかせて感動していた。


「あ、あわわわわ……」


 その一方で反対側に座っていたクレアさんは、すごく具合の悪そうな顔でぐったりとしていた。だ、大丈夫なんだろうか? 俺はそっとクレアさんに話しかける。


「クレアさん大丈夫? 具合が悪そうに見えるけど……俺で良かったら控え室に連れて行こうか?」

「ひゃ、ひゃう」


 クレアさんは片耳をサッと手で押さえて顔を赤くする。


「だ、だいじょうぶれふ……もうアレは知らなかった事にしておきますから……」


 アレ? 知らなかった事? クレアさんの言葉の意味はよくわからなかったけど、さっきまでの青ざめた顔から血色のいい顔に戻っていたからとりあえずは大丈夫だろう。

 俺は隣のクレアさんがまた顔色を悪くしないか気にしつつ、他の出演者の歌や演奏へと耳を傾けた。どれも素晴らしく上手だったが、最初のえみりさんが凄まじすぎて、他の人は少しかわいそうだった。歌が上手い人はいっぱいいるけど、特徴的で自分の世界観をちゃんと作り出せる人は滅多にいないからね。それでも後の演奏者や歌唱もみんな頑張ってたし、どれも良い演奏や歌であることには変わりがない。だから胸を張っていいし、しょぼくれる必要なんてないよと、俺は彼女達に一際大きな拍手を送った。


「さてと……」


 俺は大学生の演奏者が半分くらい終わったところで、席から立ち上がった。


「俺もそろそろ着替えてきますね」

「それでは私も、もしもの時のために着替えます」


 クレアさんも俺に続いて席から立ち上がる。


「それじゃあ私も、白銀をきっちりと控室まで送り届けるとするか」


 結局、杉田先生も立ち上がって、3人で控室へと向かう。


「ありがとうございました」

「ああ、頑張ってこいよ白銀!」

「私も着替え終わったら、杉田先生と一緒に席から見てますね」


 2人とはここで分かれ俺は控室の中に入る。ちなみに控室の前には警備員が複数立っていた。俺は彼女達にもお仕事大変ですね。ありがとうございますと声をかけてから部屋の中に入る。

 俺は控室の中に作られた広めの更衣室の中に入ると、服を脱いで、ハンガーにかけていたシャツやスーツを着ていく。これは自宅にあったコロールの最新の秋冬ものだけど、スーツやシャツに皺ができてはいけないからと事前にメアリーに送付していた。


「うん……こんなものかな」


 革靴を履いた俺は、外にあった全身の姿見に映った自らの姿を確認する。無難なデザインだが美しい仕立てと上品な触り心地のスーツは一眼見て高級品だと認識できるほどだ。その一方でプリーツの入ったシャツはとてもフォーマルだが細かいところがいかにもデザイナーズといった感じで、普通の蝶ネクタイとは少し違うバタフライネクタイはドレッシーでハイファッションな感じがする。ただ、ネクタイの端に蜂のマークが入ってるのを見ると、ヘブンズソード繋がりで天我先輩を思い出してしまってクスリと笑ってしまった。おかげでほんの少しだけど緊張が解けた気がする。ありがとう天我先輩。


「まだ時間あるかな?」


 控室の壁にかかった時計を見たら、まだ時間に余裕がありそうだったから、演奏の時に前髪が邪魔にならないようにハード系のワックスで整える。うん、これで大丈夫。俺はピアノに関しては普通だけど、せっかくだからいい演奏がしたいしね。少しでもパフォーマンスを上げるために、こういうところにも努力を惜しんじゃダメだ。


「よしっ!」


 俺は整えた髪を鏡でチェックすると、控室を出て舞台袖へと移動する。ちょうど大学生の演奏が全部終わったタイミングだったのか、控え室には乙女咲とメアリーの高等部の演者達が待機していた。


「あ、会長、副会長」


 俺は待機していた那月会長とローゼンエスタ副会長に話しかける。


「う……」

「あ……」


 なぜか2人はこちらを見て一瞬だけ固まってしまった。

 那月会長は少し派手な真紅のドレスで、ローゼンエスタ副会長は青を基調としたドレスを着ている。2人ともただでさえ綺麗なのに、髪まで綺麗にセットしていてより美しさに磨きがかかっていた。


「ひっ……」


 そんなことを考えていたら、背中に刺さるような冷気を感じたのでそちらの方へと視線を向ける。


「あ……」


 俺が後ろに振り返ると、わかりやすく頬を膨らませたカノンがそこにいた。首まで覆い隠した黒と深紫を基調としたカノンのドレスは一見するととても上品だが、透け感のあるチュール素材が用いられているせいか大人びたセクシーさが感じられる。実際、透けたチュール素材の下に見える肩のラインとか、鎖骨のあたりの肌がうっすらと透けていてグッとくるものがあった。

 すかさずポケットからスマートフォンを取り出した俺は、電源を入れてささっとメッセージを送る。


『素敵なドレスだね。カノンによく似合ってるよ』


 隣に控えていたペゴニアさんが一旦後ろを向いた後に、カノンの耳元で何やら囁く。おそらくだけど、演奏があるからカノンはペゴニアさんにスマートフォンを預けてるのかもしれない。


「っ!」


 カノンの顔がみるみるうちに赤くなる。

 良かった……どうやら機嫌を直してくれたみたいだ。カノンは一言、二言、ペゴニアさんに何かを囁く。するとペゴニアさんはメイド服のポケットに手を突っ込むと何やらポチポチと操作する。次の瞬間、俺のスマートフォンが新着のメッセージを受信した。


『他の女の子にデレデレするのは別にいいけど、私のことも、ちゃ……ちゃんと見て欲しいな!』


 可愛らしいメッセージにほんの一瞬笑みが漏れる。そのメッセージに続いて、2件目の新着メッセージが入った。


『お嬢様は白銀様が来ると聞いて、せっかくおめかしなされたのに、白銀様が他の女の子の方を先に見られたからやきもちを焼かれたようです。先ほども、お嬢様が彼女なのに、お嬢様が見ている前で隣の女の子と仲良さそうに話していたのを見て、ヤキモチを焼かれていたようですね。なにぶん、お嬢様にとっては、白銀様が初めての彼氏様でありますから、どうか寛容なその御心でご容赦のほどよろしくお願いいたします。お詫びとして、ペゴニアにご奉仕できることでしたら、なんでもいたしますから……ね』


 俺は剣呑な目線をペゴニアさんに返す。すると彼女はあえて胸を張って強調する。くっ……あの人、俺が女の子の胸部が好きだって気がついてるな……! 仕方ないだろ、男子にとって、女の子の胸部はとっても魅力的なんだよ!! 男なんだから、それくらいは許してほしい。俺はそっとスマートフォンの電源を落とした。


「白銀……?」


 振り向くと那月会長が怪訝な表情をしていた。俺は慌ててなんでもないですと答える。


「うむ! それならいいんだ。では、そろそろ出番なんで行ってくるよ」

「はい、微力ながらここから応援してますよ那月会長」

「会長……くれぐれも暴走だけはしないでくださいね」


 何やらローゼンエスタ副会長に釘を刺された那月会長だったが、苦笑いしながら舞台袖からステージの方へと向かっていった。

 ステージでヴァイオリンの演奏を披露した那月会長は、ヴァイオリン曲の定番とも言えるヴィヴァルディの夏、第一楽章をチョイスする。元よりしっかりとした演奏技術が備わってる上に、感情を乗せた熱い演奏に俺もローゼンエスタ副会長も、観客たちも痺れた。こういう演奏を聞くと、ついついヴァイオリンをやってみたくなるんだけど、実際にやるとなると大変だしすごく難しいんだよね。


「那月会長、素晴らしい演奏でした!」

「会長、お疲れ様です。タオルをどうぞ」

「ああ! 2人ともありがとう!! やっぱり、ステージはいいな! 興奮した!!」


 那月会長は、ローゼンエスタ副会長に渡されたタオルで首元を拭う。

 メアリーの演奏が終わると、次はローゼンエスタ副会長の演奏だ。


「ナタリア、気合いだ! パッションだ!!」

「ローゼンエスタ副会長、演奏楽しんできてくださいね」

「ふふっ、2人ともありがとう。それじゃあ私も行ってくるわね」


 ローゼンエスタ副会長は、ほんの少し笑みを見せるとゆっくりと舞台袖からステージの方へと向かっていく。

 サクソフォーンを手に持ったローゼンエスタ先輩は、ジャズの定番のナンバーを軽快なリズムで吹いた。こちらもまた那月会長と違ったかっこよさがある。俺は那月会長に続いてローゼンエスタ副会長の演奏にも聞き惚れた。

 やべぇぞこれは……。乙女咲のレベルは普通に高いし、本当に最後が俺でいいのか? 一応めちゃくちゃモジャさんのところで、みんなに見てもらってコソ練しまくってきたけど、流石にちょっと自信無くなってきたぞ……。


「ナタリア良かったぞ! ほれ、タオルだ!!」

「ローゼンエスタ副会長、サックス吹いてる姿すごくかっこ良かったですよ」

「ありがとう2人とも、ステージの上でサックス吹くのは久しぶりだから少し緊張しちゃった」


 ローゼンエスタ副会長は柔らかで自然な笑顔を見せる。やはり演奏するまでは少し緊張していたのだろうか。


「これもあのいい匂いのする草のおかげね」

「え?」

「ん……ごめんなさい。なんでもないの。ふふっ」


 草がどうのこうの言ってた気がしたけど、気のせいかな?

 そんなことを考えていたら、俺の隣をカノンがすれ違う。

 ほんの少しだけ、カノンの唇が動く。


 見てて。


 そう言われた気がした。

 俺と同じくピアノを演奏するカノンが選択したのはリストのラ・カンパネラである。ピアノの中でも最難関曲と呼ばれるこの曲を迷いなく選択するところがいかにもカノンらしい。最初の一音から美しくも研ぎ澄まされたメロディに誰しもが引き込まれる。もちろんカノンはたったの一度もミスすることなく完璧な演奏で最後まで弾き切った。お、俺の彼女すごすぎぃ……。え、ちょっと待って、俺この演奏の後に弾くの? マジで? 嘘でしょ?

 ステージから戻ってきたカノンは、満足そうな表情で俺の隣を過ぎ去っていった。かっけぇな……。でもそれと同時に負けたくないなって思った。うっし、さっきまでちょっとびびってたけど、これは負けてられないぞ。


「白銀……だ、大丈夫か?」

「白銀様、今なら交代もできますよ?」


 俺は気を遣ってくれた那月会長とローゼンエスタ副会長の方に向けて笑みを見せる。


「大丈夫です。さっきみたいな完璧な演奏は無理かもしれないけど、俺は俺なりに頑張ってきたものをぶつけてみようと思います!! だから応援しててくださいね!!」


 カノンのおかげで逆に気合が入った。技術だけじゃカノンに勝てないかもしれないけど、俺は俺なりにできる精一杯の演奏をみんなに届けたい。そのために練習してきたし、乙女咲の一年代表として恥ずかしい演奏はできない。


「いってきます!」


 俺は2人に背を向けると、ほんの少しだけ手を振り上げていってきますとジェスチャーをした。


「あああ、剣崎だ、剣崎がいるぞナタリア!」

「はいはい、わかってますよ会長、お好きですもんねドライバー。まぁ私も好きなんですけど……」


 自分でもちょっと剣崎っぽいなと思って恥ずかしくなったけど、2人の言葉は聞かなかったことにする。むしろステージに上がる前に恥ずかしい思いをしたからこれ以上恥をかく事もないだろう。


「乙女咲学園高等部、一年代表、白銀あくあさんによる演奏。曲はラフマニノフのピアノ協奏曲第二番より第一楽章moderato」


 拍手に包まれたステージの上を歩く。幸いにもステージ慣れしているおかげもあって緊張はない。俺はピアノの前に立つと観客席に向かってお辞儀をした。

 椅子に着席した俺は高さを合わせて心を整える。そして、ゆっくりと、優しく女性の肌に触れるように鍵盤の上に手を置く。目を閉じて軽く息を吐くと、ほんの少しだけ瞼を開いた。最初の一音は重要で、そこに全てを持っていくように、教会の鐘を鳴らすような音を奏でる。後ろのオーケストラと調和していくように、それでいてピアノの音を主張するように音を紡いでいく。

 優しくて綺麗で優雅なタッチ、静かな音の中に込められた激しい感情を表現しつつ、俺はそこに、愛と感謝の気持ちを込める。もちろんそれだけではない。ラフマニノフの曲を演奏するにあたって重要なのは、ラフマニノフにしか出せないその独特の色気だろう。俺は、ここにカノンとのさっきのやりとりからヒントを得た。

 こんなに近い距離にいるのに、俺たちは直接声を掛け合うこともできない。お互いに忙しくスケジュールを合わせることもできないそのもどかしさと寂しさ、会いたい話したいという焦がれるような感情を曲に乗せた。

 そのおかげか練習の時よりも遥かにいい演奏ができたと思う。これも練習に付き合ってくれたモジャさんや、とあ達のおかげだ。この演奏をみんなに聴かせたかったな。

 最後の一音まで丁寧に気持ちを乗せて弾き切る。ほんの少しだけ時間を置いて、ステージは大歓声に包まれた。

 俺はピアノ椅子から立ち上がると、観客席に向けて再びお辞儀する。そして指揮者の人と握手を交わした。俺がうまく演奏に乗れたのも指揮者やオーケストラの人たちのおかげである。俺はオーケストラの人たちにも軽く頭を下げ、再度観客席に向かって頭を下げた。そして、ゆっくりとした足取りでステージから舞台袖の方へと向かう。


「す、すごく良かったぞ、白銀!!」


 那月会長は興奮した面持ちで出迎えてくれた。


「本当に……とっても素敵な演奏ありがとうございます」


 ローゼンエスタ副会長も、柔らかな笑顔で表情を綻ばせる。


「白銀、よくやった! お前が乙女咲の誇りだ!!」


 いつの間にやら舞台袖にやってきていた杉田先生は大喜びだ。こんなにも喜んでくれたら、こっちも嬉しくなる。


「お疲れ様です。体調大丈夫ですか? 演奏、感動しちゃいました」


 俺はクレアさんがスッと差し出してくれたタオルを受け取って汗を拭く。クレアさんはエメラルドグリーンの綺麗なドレスを着ていた。本当は弾きたかったかもしれないのに、申し訳ないことをしちゃったな。


「ありがとうございます! 那月会長やローゼンエスタ副会長、お二人の演奏に負けないように俺も乙女咲の一年代表として頑張りました! それについてきてくれたのに出れないクレアさんの事を考えると、恥ずかしい演奏はできませんよ」


 俺は手を前に出して4人とハイタッチを交わす。そしてカノンの方をチラリと見ると、周りが見てないことを確認してからカノンにだけウインクを送る。それを見たカノンがフラフラと倒れそうになって慌てたが、隣のペゴニアさんが支えてくれてことなきをえた。ナイスです、ペゴニアさん。

 カノンのおかげもあって、俺はメアリーとの合同音楽会を無事に成功させることができた。

森川楓こと○○スキーの日常回のお話を投稿しました。

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― 新着の感想 ―
[良い点] >自らが聖女だと歌うちょっと痛い歌詞 ぶわはははは! m( _ _)ノシ ミ☆
[良い点] 面白く、いつも楽しく読ませて頂いてます。 [気になる点] 92話で少し思ったのですが、流石にラフマニノフは気軽に選曲できる(「学生の音楽会で弾くのなら問題ないレベル」の人ができる)曲ではな…
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