白銀あくあ、新しい人生が始まりました。
ついにこの時が来た……!
幼い時から憧れていたテレビの向こう側。
早くに両親を亡くして一人ぼっちだった俺は、画面の向こう側から元気と勇気を与えてくれた数多くのアイドル達の笑顔に、何度も救われてきた。俺もアイドルの人たちみたいに、みんなを笑顔にしたい。アイドルは俺の生きるための希望であり、人生の目標になった。
業界最大手のアイドル事務所のオーディションに合格した俺は、厳しいレッスンを耐え抜き、やっとの想いでデビューの切符を掴む。そして今日、ついに俺は練習生から一人のアイドルとしてデビューする日を迎えた。
「よしっ! 行くぞ!!」
気合を入れた俺は、舞台袖から勢いよくステージに飛び出る。
大きな歓声、それに応えるように俺は観客席へと満面の笑顔を返す。
さぁ、ここからだ!
曲のイントロが流れ出した瞬間。俺の立っていた場所に影が映った。
それまで俺に注がれていた観客席からの黄色い歓声。それが絶叫へと一瞬で移ろい変わっていく。
異変を感じた俺は、みんなの視線が注がれる頭上へと顔を向けた。
視界に映ったのは、今まさに俺が立っている所へと落ちてくる大きな照明器具。気がついた時にはもう手遅れだった。体は反応しないのに、目の前に落下してくる照明器具や周囲の音だけがスローモーションになる。
こんな事で、こんなところで、死にたくない!
その願いは虚しく、目の前で光輝いていた俺の未来が黒一色に塗り潰される。
後の事はもう何もわからない。何故なら俺の人生は、そこで全てが闇に包まれ終了したからだ。
前世の俺の記憶は、ここで途切れている。
享年20歳、なんともあっけない幕切だった。
それなのに俺はなぜか今、生きている。
「しかしこの顔は……」
目が覚めたら病室だった。
俺は鏡に映った自分の姿を見て、違和感に気がつく。
確かにこの鏡に映った顔は間違いなく俺自身だ。そこに認識の齟齬はない。
しかし、今鏡に写っている自分の顔は、最後に見た自分の顔よりも確実に若返っていた。おそらくは高校生くらいだろうか? 若返った? いや、時間が巻き戻ったのか……?
「……あくあ……ちゃん?」
聞き覚えのあるキラキラネーム。そう、何を隠そう間違いなく俺の本名だ。
フルネームで白銀あくあ、ちなみに芸名も全く同じの白銀あくあである。
優しくそれでいて今にも泣きそうな声に反応して振り返ると、病室の開かれた扉の手前に和服を着た美人なお姉さんがいた。口元を手で押さえた美人なお姉さんは、瞳をうるうると滲ませて今にも泣き出してしまいそうに見えるが、果たして彼女は一体何者なのだろうか?
「あくあちゃん!」
和服を着た美人なお姉さんは、零れ落ちた一筋の涙と共に、手に持っていた巾着袋を床に落とす。それと同時に一目散に俺の方へと駆け出すと、俺の体を強くぎゅっと抱きしめた。
この人は、俺の知り合いなのか……? だめだ何も思い出せない。
俺がうまく状況を飲み込めずに戸惑っていると、異変に気がついた看護師さんたちが病室にやってきた。
「先生、こっちです!」
看護師さんは俺の姿を確認すると、慌ててお医者さんを呼びに行った。その間も見知らぬ和風美人さんがずっと俺に抱きついて泣いていたので、俺はとりあえず優しく頭を撫でて宥める。
残った看護師さん達はその様子を見て、みんな目を丸くしていた。おーい、眺めてないでみんな助けてよ。誰でもいいから、誰か俺にこの状況を説明してくれー。
◇
お医者さんの話を聞いていくつかわかった事がある。
どうやら俺は、階段で転げ落ちて打ちどころが悪かったのか意識を失っていたらしい。ちなみに今の俺の年齢は15歳、中学3年生で卒業前だという。今はもう1月らしいが、なんと俺はまだ高校進学の予定すら決まってないそうだ。
え? まだ決まってないの? と驚いたが、それにはちゃんとした理由がある。
なんとこの世界、男性の出生率が異常に低いせいで男女比がかなりおかしくなっているのだ。100人いたら女性99人に対して、なんと男子は1人の割合しかいない。故に男性は貴重で保護されるものとされ、政府の政策によって様々な男性優遇措置が施されているそうだ。
そのせいもあって、男性たちは女性に対して横柄な態度をとるものも多く、最近では男は草食系や絶食系が増えているらしく、男性の引きこもり問題なんかも社会的な課題の一つとして頭を悩まさせているのだとか。
今世の俺はまさにその状況と合致しており、中学生とは名ばかりで小中と学校には登校しておらず、家でもずっと引きこもり生活を続けていたようだ。
何やってんだよ、今世の俺……。
お医者さんからの説明を受けて病室に戻った俺は、隣の椅子に座った和服美人へと視線を向けた。
なんとこの和服を着た美人のお姉さん、どうやら俺の母親らしいです。これには流石にびっくりした。
母さんの名前は、白銀まりん、まさかの親子揃ってのキラキラネームに俺もドン引きである。
ちなみに今世の俺には、前世にはいなかった二人の姉妹がいるらしく、大学生の姉の名前をしとり、中学生の妹の名前をらぴすというらしい。まさかの一家全員キラキラネームである。もうここまで来るとグゥの音も出ない。
俺がそんな事を考えていると、母さんは手に持ったハンカチをぎゅっと握りしめて、申し訳なさそうな表情を見せた。
「ごめんね、あくあちゃん……お母さん、いきなり抱きついちゃったりして気持ち悪かったよね」
あー、なるほどね……ちなみに俺には今世での記憶はないのだが、母さんの表情を見て、自分が母親に対してどういう態度をとってきたのかが理解できた。なお、記憶がない事に関しては、お医者さんとの話で頭をぶつけた衝撃で記憶喪失になってしまったという事で纏まっている。
「えっと……母さん? 俺の方こそごめん。今まで散々迷惑かけて、今日からちゃんとするから」
俺がそう言うと、母さんの涙腺が決壊した。
「あ“あ“あ……あぐあぢゃんんっ……!!」
うっ……ますます泣かせてしまった。この状況、一体どうするのが正解だったんだろう。初めて面と向かって会話する母さんに対して、今の俺は少し戸惑っている。
前世の俺の母さんは産後の肥立ちが悪く、俺を産んで直ぐに亡くなってしまった。そして写真も残されていなかったために、俺は母親の顔すら見たことがなかった。
初めてみる自分の母は、色気のあるタイプの美人さんで、きっちりとした和装の魅力と相まって美しさに拍車がかかっているように見える。正直なところ、母を知らない俺からすれば、目の前の母さんは母と言うよりも顔見知りの近所のお姉さんと接している感じに近い。だから俺は、初めて接する母とどういう距離感で接すればいいのか図りかねていた。
「ごめんね、あくあちゃん……お母さん取り乱しちゃって、記憶を失っちゃったあくあちゃんからしたら、目の前で知らないおばさんが泣いちゃって気持ち悪かったよね」
俺は首を左右に振る。少なくとも、俺のことを思ってくれて泣いてくれているのだと思うと、すごく心が温かくなった。これが家族の愛ってやつなのかな?
「いや、そんなことはないよ。それよりも、母さんに聞きたいことがあるんだ」
これ以上母さんを泣かせないために、俺は話の方向へと話題を逸らした。
「か……あ……さん? あくあちゃんが私のことお母さんって……」
あ……母さんは俺の一言にますます泣き出してしまう。俺はなんとかして母さんを泣き止ませようとしたが、慰めようと優しい言葉をかければかけるほど、ますます泣かせてしまった。そうこうしているうちになんとか泣き止んだ母さんに、家族の事やこの世界の事、今世での自分がどうだったかを聞いて改めて現状を確認していく。
ちなみに話を聞いて確信したが、今世の俺はやっぱり最低のクズだった。
引きこもりで学校にも行かないくせに、こんな綺麗な母さんを奴隷のように扱った挙句、金の無心はするわ、しまいには暴力を振るおうとしたらしい。もちろんその対象は母さんどころか、今は大学生の姉や中学生の妹にまで及んでいたそうだ。
うん……今世の自分の人生を乗っとってしまった事に最初は罪悪感はあったけど、そんなのは今世の俺の所業を聞くうちに吹き飛んじゃったよね。こんな優しい人に暴力を振るおうとするとか、ちょっと理解できない。
母さんの話を聞いて、俺が今世の俺の現状に頭を抱えていると、誰かが病室のドアをノックした。
「失礼しまぁーす」
やたらと甘ったるい声の看護士さんが、病室の中に入ってきた。ウェーブのかかった茶色がかった髪の毛に、男性に媚びるような甘めのメイク、歳は20代後半だろうか。彼女は俺の記憶の中の看護師さんと違って、パンツルックではなくスカートを穿いていた。しかもそのスカートが、パンツが見えてしまうのではないかと思うくらい丈が短くて目のやり場に困る。それに加えて上着が少し小さめのサイズなのか胸部がぱつんぱつんに張っていて、やたらと胸部の豊かさをアピールしているように見えた。
「あくあさーん、お風呂の準備が整いましたぁ」
お風呂……ああ、そういえば、少し体がベタベタする気が……。せっかくだからお言葉に甘えてさっぱりしてこようかな。ベッドから立ち上がって看護師さんについて行こうとした俺を、母さんが間に入って阻止する。
「ありがとうございます。それでは、私が責任を持ってあくあちゃんをお風呂に連れて行きますので」
「いえいえ、お母様はここで待っていただいて、介助の方はプロである私にお任せくださぁい」
「あらまぁ、看護師さんにそこまで気を遣って頂くわけには行きませんので……」
「こちらもお仕事ですしぃ、全然気になさらなくていいんですよぉ、ですから、ね、お母様はここでゆっくり……」
え……? まさか俺って一人で風呂に入っちゃいけないの?
流石にそれは恥ずかしい。俺は二人が押し問答をしている隙に、近くにいた別の看護婦さんに浴室のある場所を聞いて、そそくさと一人でお風呂に向かった。後ろから俺の名前を呼ぶ声が聞こえてきた気がするが、聞かなかったことにしておこう。
なろう連載に合わせてまろやかになっておりますが、その分加筆修正しております。
本日3話から4話更新するつもりです。