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孤独な龍

 嗚呼、やはりか。やはりこうなってしまうのか。

 龍神りゅうじんは己の顔に向けられた薙刀の切っ先から視線をずらし、少女の憤怒に染まる顔を見つめる。


「おのれ、邪神め! 悪霊の正体はやはり貴様か! おばば様の姉様はどこだ! やはり喰ろうてしまったのだな!」


 おばば様の姉様。その呼び名に心当たりはないが、五十年前に丁度少女と同じような年頃の女が来て、龍神の言葉も聞かずに暴れ狂ったのを思い出した。

 不気味な鱗だらけの龍の妻などになってたまるものかと喚き散らし、懐から短刀を取り出したあの女のことを言っているのだろうか。


「……それは、お前の前に来た贄姫か。あれは、俺を見るなり自ら腹を切った。俺は、人の魂を喰らったりはせぬ」

「邪神の言葉など信じぬ! その顔の傷痕、以前の贄姫とも戦い、争って付けられたものだろう! ええい、邪神など討ち滅ぼし、生贄の儀式などという悪しき因習は、この私が必ずや絶やしてみせる!」

「……俺は、お前と戦わぬ。だが、次に俺を斬れば、お前は」


 ブン、と音を立てて薙刀の切っ先が一閃し、ようやく治りかけていた顔の傷をなぞる。より鋭く、深く。

 再び己の顔から吹き出してしまった穢を、止めることなど、やはりできなかった。


「うぐっ」


 痛みに声を漏らしながらも、龍神は無抵抗だった。己の命をなげうち、家族の元を離れて嫁入りをした少女に手を上げることなどできぬと思ったからだ。

 願わくば、ただ穏やかに二人、永久に幸福な時間を過ごしたかった。愛し、愛されるの喜びを感じてみたかった。


 この、薙刀の娘は強く優しい女子おなごであった。

 龍神は彼女へ会いに現世うつしよへ趣き、人と同じような姿の体をして何度も話しかけた。

 都に住む帝やそれに近い貴族以外……農村地帯の民は婚約を結ぶ前に恋というものをし、そのまま結ばれる者もいる。その過程を踏めば、この強い心を持ち、人々に愛される娘とわかり合えると信じていた。

 いつかこの娘を愛し、自分も愛される。その日を夢見ていた。


 しかし彼女は龍神を悪霊と非り、戦う道を選んだ。か弱い少女らを庇い、名乗りを上げた勇ましい贄姫。結局これまでの贄姫たちと同じ、曲がりなりにも神として祀り上げられた龍神を尊ばぬ、愚かな人間であった。


 正義。その甘言に騙されたような気分だ。結局この娘は、龍神の話など耳も貸さぬ。己の中で決めた価値観を変えられぬ。見た目が違う、傷を負った異形など愛さぬ。


 龍神は、流れ出る穢に飲まれて人としての終わりを示す冥の道へ誘われていく、その勇ましい花嫁の姿を見送る。

 嫌いではなかった。だが、愛してもいない。


「おのれ、おのれぇ! お前も道連れにぃ!」


 ここよりも深い底なし沼に落ちていくような中、女は懸命に一歩一歩と龍神の元へ進もうとする。彼女に対して、もう贄姫への執着、慈しみの心は無かった。

 神をほふらんとし傷を付けた。その穢れた魂の浄化には、どれほどの時間が必要だろうか。だが、もう、そんなことは関係ない。またこれから五十年、傷が癒えるまで、一人で亡者らを見張らねばならぬのかと憂鬱に溜息を溢す。


 ――さすがに、もう疲れたな。


 人の形でいた龍神は龍の姿に変わると、くるくると蛇のようにとぐろを巻き、穢れた顔を体に押し付け、暫しの間眠る事にした。

 夜になると、また闇の中を亡者がうろうろと彷徨さまよって、現世への道を探しだす。それを諌め、元の正しい道へ戻すのが龍神の役目だ。だからあまり長くは休めないのだが、傷を負ったせいか体がだるい。


 今の贄姫で何人目だっただろう。もう長く生きすぎてよくわからない。

 次の贄姫も、披露目の儀が執り行われたのちに、人の形で会ってみよう。傷が争いの証と見なされるのならば、顔を隠そう。龍の姿も見せぬようにしよう。さすれば、いつかは一人くらいはここでの生活くらしに馴染んで、夫婦めおととまでにはならずとも、友にはなれるかもしれない。


 孤独な神は、ただ言葉を交わすだけでも良いと思った。時には喧嘩などすることもあろうが、一人で永遠に居続けるよりはずっといい。

 狛犬も仁王も二つ並べて置くのだ。神だって二柱並んだとて構わぬのではないかと思う。


 いつかの贄姫に弓で射られて、歪んだまま生えてしまった鱗がチクリと傷に触れる。龍神は再び溜息を溢した。

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