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「世界の色彩は、それほど美しくはないものよ」
マーガレットは、虚ろ気な眼差しで、だけど明確な口調で、そう答えた。
◆
「サッカー部の桐谷先輩、怪我しちゃってインターハイの出場難しいんだってさ。災難だよね、本当。」
凛が溜息交じりに、シュンと哀し気な表情を見せた。
「いきなりどうしたの?」
私は唐突な凛の溜息に動揺した。
「複雑骨折だって。しかも右足首の」
「右足首?」
「なんかさ、予選大会の決勝戦で、相手の選手とボールの取り合いで足が縺れて、運悪く足首をポキッと、だってさ」
凛は、お昼のお弁当に入っているミニトマトを箸の先でこねくり回している。
「インターハイ、せっかく見に行けると思ったんだけどなあ。」
「凛ってサッカーに興味あったっけ?」
「全然!」
無邪気な表情で、先ほどまで箸の先で遊んでいたミニトマトを口にほおばった。
「え、じゃあなんで行きたいの?」
「桐谷先輩を見に行きたいから」
「好きなの?」
「好きというか、カッコよくない?」
凛は惚けた顔で、ニヤニヤしている。
「そ、そうなんだ……」
思わず凛の熱量に押され、たじろいでしまった。
「だってさ!顔は爽やかだし、身長も180センチあるんだよ!しかも、読者モデルで雑誌に載っちゃったりしてさあ。王子様だよ、王子様!」
彼女の過熱ともいえる憧れゆえの興奮が異常なまでに伝わってくる。
「凛って、ああいう人がタイプなの?」
興奮冷めやらぬ凛に、ふと疑問を投げかけた。
「うーん。タイプというか、憧れだよね。手が届かないってわかっているからこそ、妄想できるというか、理想にリアリティがないというか」
2人が向かい合う空間の温度が少し下がったような気がする。凛は冷静を取り戻したようで、ようやくお弁当のおかずを吟味しながら、卵焼きを箸でつまみ食べ始めた。
桐谷先輩は、3年生のサッカー部キャプテンだ。顔が爽やかで身長が高い。おまけに運動が出来ることから、校内ではファンクラブが設立されるほどだ。
たしかに王子様という表現はあながち間違ってはいない。私も一度だけ凛に連れられ、サッカーの練習を見に行ったことがある。
風が心地良い5月のこと。整備された緑の芝生が映えるサッカーグラウンドで、走り回るサッカー部員をフェンス越しに私は眺めていた。隣で凜は目を輝かせながら、桐谷先輩を見つめていた。
「やっぱりサッカーしてる姿ってかっこいいよね」なんて凜は呟いていたが、私は少しもキュンとする胸のトキメキとやらには響いてはこなかった。
凜の傍らで、私は青い空の遠くを眺めるだけに終わってしまった。
「そういえばさ、夏帆はどんな人がタイプなの?」
ふいの質問に、頭の思考が止まる。
今まで聞かれもしなかったし、考えもしなかった。
「あまり、男の人に興味ないというか……、今は思い浮かばないや。」
突き放すような答えかたしかできない。
今はそう答えることで精一杯だった。
凛が何かを察したのか、これ以上、心の内へ踏み込むことはなかった。
私は男の人に興味がないわけではない。
むしろ私にも、そういう憧れの王子様みたいな人が現れてほしいなという女の子らしい願望ぐらい持ち合わせている。
だけど如何せん、御伽噺と現実には目が眩むほどの温度差がある。
理想とは追いかけるものではなく、ふと隣に寄り添うものであってほしいのだ。
だから、今は時の流れと、出会いの運命に身を委ねているに過ぎない。
思い浮かばないというのは、まだその時でないという思いから出た言葉なのかもしれない。
「そういえばさ、夏帆は芸術学の授業何を選択したの?」
空気を変えようと、凛が話を転回する。
「私?美術だよ。凜は?」
「私は音楽だよ。絵とか描けないからね。」
「私もそんなに絵は上手くは描けないよ。」
「え?じゃあなんで選んだの?」
「―――白黒のね、"Maria"っていう絵に惹かれたんだ」
私は懐かしむように答えた。
◆
2年前の11月の立冬の日のことだ。
暦では冬の初めだが、まだまだ紅葉が紅く日々を照らしている。
銀杏並木で黄色く染まる真っすぐな道を、私は母と二人で歩いていた。
「彩乃も付いてくればよかったのにね。」
母がやれやれと困り顔で呟いた。
私は母とともに、彩乃の描いた水彩画が出展されているこども美術展覧会に向かっている。
車で10分ほどのところに会場はあるのだが、晴れた天気にどうも外を歩きたくなったようで、「たまには歩かない?」と母に言われ、コンビニでカフェラテを2つ買って、ぶらぶらと並木道を散策している。
私も普段は自転車通学で、ゆっくり歩くことなんてあまりしなかったが、こうやって季節を感じながら歩くというのは、普段から感じている鬱陶しいしがらみを綺麗に解いてくれる魔法をかけてくれるようであった。
当の妹はというと、家族と一緒に絵を見られるのが気恥ずかしいようでついては来なかった。
私には一つ下の妹がいる。
妹は昔から絵を描くのが好きで、よく幼稚園生の頃は白い画用紙にクレヨンで落書きをしていたのを覚えている。
今では絵画教室で本格的に絵を習っているみたいだけだが、最近は描いた絵を見せてくれる頻度は少なくなった。
態度もそっけないので、それを母に尋ねてみたら、思春期特有のそれらしく、「あなたもそうだったのよ、バカね。」と母に言われた。
少しムッとしたが、ちょっとしたことでもひた隠し、気に入らないことに喚き散らし、まるで世界の不運は私を中心に回っているような、メリーゴーランドのように感情は行ったり来たりをしていた年ごろなんだろうと、無理やり腑に落とした。
展覧会に行こうという言ってきた母であったが、母も私も絵のことはよくわかっていない。
素人目でしか見ることは出来ないのだが、芸術に触れたときの言葉にできない感情の高ぶりは親子共通で感じるみたいであった。
「着いたわね。展覧場所はどこかしら」
ほどなくして、私たちは会場となる美術館に到着した。
到着したはいいものの、展覧会場がわからず、母は美術館の案内図を目で追いながらおろおろとしている。
「多分、ここじゃない?ほら」
私は案内板大小数ある展覧場所の企画展示場室を指さした。
美術展覧会のリーフレットに記載してあるアクセスを確認し、そこで間違いないよと母に言った。
「こんな大きいところに飾ってあるのね。」
母は驚嘆している。
「だって、県内の小中学生が出展してるんだよ?当り前じゃない。」
私は呆れながら言った。
会場となる『モリノ記念美術館』は、彫刻と絵画の展示を数多く展示しており、「森の中の美術館」というテーマで、木目を基調とした内装となっており、中央エントランスには樹齢100年を超える吉野杉を柱として使用している。
この幻想的な建築は国内外でも有名で、アクセスが都会ほど良くないにも関わらず、数多くの美術ファンがここを訪れている。
企画展示場に着くと、そこには子供連れの親子や老夫婦が会場内で絵を眺めていた。
無音の喧騒と踊る足音が会場を包み込み、静かなる熱狂が見物客の芸術心を湧き立たせ、絵に生命を与えているように見えた。
私は、この一つの箱庭に、別世界の匂いを感じた。
企画展示室は多くの絵画を展覧するために、かなり広い作りとなっている。
小学校低学年から中学校高学年までが展覧会の対象年齢となっており、大きな企画展示室を4つほどのブースに区分けし、展示していた。
私と母は企画展示へと足を踏み入れると、展示案内図が掲示されていた。
企画展示室内は4つのブロックに分けられており、小学生低・中学年(1~4年生)、高学年(5~6年生)、中学生低・中学年(1~2年生)、中学生高学年(3年)の順にブースが設けられている。
展示会場には、ピンと張りつめた空気が漂っていた。
一挙手一投足に空気がまとわりつき、視線までもが、絵に不思議な魔法でもかけられたように釘付けにさせられた。
私はその張り詰めた空気の中を緩やかな歩みで、母と小学生低・中学年から順にブースを回っていく。
そこには10点もの絵が飾られており、家族の絵や動物の絵、花の絵などが展示されていた。
まだまだ上手いとは程遠いが、やはり子供の見る純な好奇心に映る世界は色鮮やかで、明るさに溢れているようで、スケッチが大胆に主張されている。
私にもこれぐらい自分に素直になれば、少し世界は変わっていたかもしれないなんて、そんな背伸びした思いを独りでに呟いていた。
ブースは次のブロックへと変わり、小学生高学年のブースとなり、そして私たちは中学生のブースへと順路を回った。
中学生のブースからは空気が入れ替わるような、小学生の溌溂とした温かさから、感情の明暗が移ろう寒さへと私は肌で感じ取っていた。
彩乃の絵は、中学2年生のブースにあった。
「朝の畔」 作者:西城 彩乃
水彩画で描かれたその絵は、大胆にも繊細な淡い青と暗い緑を基調とした色合いでタイトルの冷たさとは相反した温かさを感じる。
木々が暗く影をつくり、真ん中には朝日が葉々から池に漏れ落ちている。
朝靄が混じる冷たくも光差す黎明の時を、彼女の絵は描いていた。
これは私には見えない世界。彩乃にしか見えない世界なんだ。
なんと淡く、儚く、美しいのだろうか。
私はたった一枚の風景画に、心を揺り動かされるほど、強く惹きつけられた。
彩乃はよく口癖のように「私の絵は上手くない。上手い人はもっといる。私の絵なんて大したことないよ。馬鹿言わないでよ」と言っていた。
私には絵を描く才能なんかないからこそ、彩乃の絵は素晴らしいと思うし、尊敬もしている。
その言葉を思い出すたびに、私が惹かれるその絵を、貴女の心で卑下しないでなんて心から思っている。
絵は人の価値観を知ることのできる美しい芸術であるということ、それを心から楽しんで描けること、悲しんで描けること、それら全てに価値があり、それら全てが私のようなしがない人の心をも揺れ動かしているという事実を知ってほしいと願っていた。
「彩乃、絵上手いわね」
母が感嘆の声を上げた。
絵の下のほう、タイトルの横には「教育委員会教育長賞」と掲げられている。全作品の中で2番目の賞となる。これだけ上手いのだから納得、とはならなかった。しっくりこない。
これ以上に上手い絵があるのだろうか。彩乃の絵も相当にレベルが上の作品である。疑問符を浮かべながらも、中学2年生のブースを後にし、中学3年生のブースに足を向けた。
そのブースには、色とりどりの風景画が並んでいた。
色彩も学年が上がるにつれ、多くの色が使われ、絵に立体と奥行き、時間と命を、その筆一つで繊細に描いている。
10点の作品が展覧され、そのどれもが入賞作品となっている。
その中に一つ、鉛筆で描かれた白黒の作品があった。
「Maria」 作者:東条 麻衣
その絵は、すべてが白と黒で描かれていた。
教会で一人、シスターが片膝を立て、一体のマリア像に祈りを捧げている。
私はその美しさに息を飲んだ。
届くともわからない祈りを賢明に捧げ、その瞳は瞑る直前の陰りと涙が潤んでいた。ステンドグラスから差し込む光も、祈りに潤むシスターの涙も、埃と土が舞う空気も、神と人の届かぬ祈りの冷たい温度も、その全てが白と黒で描かれているにも関わらず、私の目にははっきりと色が映っている。
素人の私にもわかるぐらいに、それは常人の域の絵ではなかった。この絵には一体、何色の白と黒が使われているのだろうか。
私は、黒は黒一色、白は白一色だと思っていた。だがそれは私の思い違いであった。
髪の毛一本一本の色が違い、服のわずかなヨレやシワ、ステンドグラスに反射する光と影、木製の長椅子に溜まる微小な埃までもがその黒と白に躍動を与えている。
これは私の思い違いなんかではない。私たちには見えない世界なんだ。
人間の目がいかに優れているからといって、ここまで繊細に色を見分けることなんてできないし、ここまで描き切ることも到底出来ない。
それほどまでにこの絵は、果てない色への神秘と狂気が入り混じる様は、私を惹いてやまなかった。
だが一つ気になる点がある。普通、聖母マリアを絵画として描くと、聖母マリアが祈る姿が描かれることが多いのだ。以前、家族で美術館のイベント展示に行った際、聖母マリアとキリストの絵を見たことがあった。
館員の解説曰く、聖母マリアは祈りを捧げる聖人としての象徴とされているらしい。絵画の世界では子であるキリストを青のベールで身を包む母であるマリアが優しく抱きかかえる絵画が一般的である。だがこの絵には、マリアのそのような姿はない。
彫刻として神を模倣する聖人として祈りを捧げている姿が半身だけが描かれている。あくまでもこの絵の主役は「祈るシスター」なのだ。だから、この絵の本来のタイトルは「祈る教会の少女」でなければ辻褄があわないのはずだと違和感を覚えた。
当然のようにその絵には「県知事賞」と掲げられていた。数分前、彩乃以上の絵はないとタカを括っていた私を恥じたいと何度思ったことか。
絵が描けることと、絵が上手いことはまったくもって別次元のことなのだろうか。
世の中には自分に視えない物が視える人がいて、それを写実に描ける人がいる。
それが現実画であろうが空想画であろうが関係なく、色に命を吹き込むことの出来る人がいる。
彩乃には自分の好きであった絵を、いつしか嫉妬と憔悴で嫌いにならないで欲しいと私は願っている。
そして私も少しだけ、筆を握り、パレットを持ちたいという感化された願望が、少しだけ心に芽生え始めてきた。
2
[西城 彩乃 2年前 コンクール2ヶ月前]
私は、温かなオレンジ色をした電球が照らす6畳の自室で一人、真っ白なキャンバスを眺めていた。
2ヶ月後に美術コンクールの市展に提出する絵を描かなければいけないが、一向に筆が進んでくれない。心の蟠りが、白い靄となって私の目に前に現れては消えを繰り返し、私の指先に絡みついては離れないのだ。
私は丸椅子に腰かけたまま、じっと動けずにいた。時計は夜7時を指し、かれこれ1時間が経とうとしている。
私が呆けた顔で椅子に座り続けていると、どこからか夕食のいい匂いがした。
どうやらその匂いは一階のリビングキッチンからであり、香ばしい醤油と生姜のツンとした匂いが2階へと続く階段を伝い、左奥の私の画室、その扉の隙間から私の鼻へと漂ってきているみたいであった。
今日は生姜焼きなんだと、ふとカレンダーを見た。
うちでは水曜日は決まって豚の生姜焼きと決まっている。なぜなら、近所のスーパー「マルイチ」の食肉特売日は水曜日なのだ。
だから決まって家の水曜日には生姜焼きが食卓に並ぶ。
その匂いがだんだん香ばしさを増すと、階段を一歩二歩と、誰かがギシギシと音を立てながら登ってくる音が聞こえた。
そろそろ下に降りる準備をしなきゃと、私は重い腰を上げた。
コンコン。
部屋の扉をノックされる。
「彩乃、晩御飯できたよ」
ガチャリと部屋の扉があき、階段からの冷気と生姜焼きの香りがふわりと流れ込んできた。
「うん、すぐ行く」
私は画材の後片付けをする中、開いた扉の先には姉の夏帆が突っ立っていた。
お姉ちゃんは遠目ではあるものの、所々色彩の汚れのついたイーゼルの上にちょこんと乗ったキャンバスを見つめていた。
扉から覗いたお姉ちゃんは少し寂しげな眼をしていた。
いつからだろう。私があの爛々とした輝きを眩しさに目をつむり、いつの間にか、その輝きに出来た自分の影ばかりをただ眺めるようになっていた。
私は、真っ白なキャンバスを眺めるのをやめ、リビングに下りて行った。
リビングの食卓には生姜焼きが三皿、温かなごはんと共に、お母さんとお姉ちゃんと私の分が取り分けてあった。
家族団らんの食卓。
バラエティー番組をみながら笑う母と、それにつられて笑う姉。私はそんな温かな団欒の中で、黙々とただただ箸を進めている。
こんなにも部屋は明るいのに、手先には一切の温かさを感じず、冷たさだけが駆け寄ってくる。
温かいご飯が喉を通るたび、私の中の何かがつっかえ目の節にまでそれは耐え難く上りあがってきた。
食事を終えると、そそくさと自分の部屋へと帰る。
そしてまた部屋の電気をつけると、椅子に座り、真っ白なキャンバスを虚ろな目で眺めていた。
何も描けないまま時間だけが過ぎ、私はとうとう睡魔には勝てず布団に潜った。
◆
私の孤独が始まったのは、人には視えない色が視えた時からだっただろうか。
初めて視た人の色はお姉ちゃんの綺麗な水色をしていた。
たまに黄色だったり、オレンジだったりころころと変わることはあるのだけれど、私の絵を見たときのお姉ちゃんはいつも水色に見えた。
人に色が視えるようになったのは、小学2年生の時からだった。
いや、元から認識出来ていなかっただけで、見えていたのかもしれない。
家のリビングでお互い色鉛筆を交換こしながら描いていた時だった。学校の花壇に植えてある鮮やかな橙色のマリーゴールドを画用紙に目一杯に描いていた時に、お姉ちゃんは私の左隣にちょこんと座り、覗き込むようにしてきらきらした眼差しで私の描いたマリーごルドを眺めていた。
お姉ちゃんは綺麗な水色に輝いていた。
好奇心のままに、爛々としていて、私の淡い太陽なような、私には少し眩しかった。
人には色があると認識してから、私の周りには色が溢れた。
商店街を行きかう人は、赤だ青だと指をさしながらお母さんと手を繋いで歩いていたことからすごく不思議がられていた。
私は成長するにつれ、人に色が視えるという感覚は異常であるということに薄々気づき始めた。
この現象は私だけなのかと、インターネットで調べたところ、どうも「共感覚」という現象が最も近しいということが分かった。
共感覚といえば、代表的なものが文字に色が見える「色字」、音に色が見える「色聴」が主流となっている。最近の研究では150以上の共感覚が確認されているが、私はそれに当てはまるのかは正直わからない。
人の色が見えるということは、いわゆる霊能力的なものを想像してしまうかもしれないが、そんな大それたものなんかではない。
最初はこれが何の色なのかはいまいちわかっていなかったが、だんだんその色を視ていくうち、それはどうも感情に結びついているものだとわかるようになった。
母親は怒っていないといいながら赤い色を放ち、絵が綺麗だねという絵画教室の知り合いは、黒に近い青を放っていた。
そのどれもが靄のかかったような、濁った色をしていた。
大概の人は、その表情とはとても一致しないような色を放ち、私はそれを見るたびに嘔吐感がこみあげては、よく体調不良に悩まされていた。
私には、人には見えない色が見える。色は私の世界に色彩ではなく、孤独を与えた。
私に接する人の色は、もう怖くて見ることは出来ないのだ。
分かってはいけない人の本質を、その感情の色に、私は目を瞑った。
◆
雨の降る土曜日。
私はじめじめとした湿気が身体へと纏わりつき、否応なしに鬱屈な気分になった。
今週から夏休みが始まったというのに、最初の土曜日がこんな天気なものだから、この幸先の悪さはこれから訪れるであろう期待の夏休みに泥水をかけられたようであった。
そんな気分の中、私は母の運転に揺られながら、後部座席でドアへもたれかかっていた。
車窓にはいくつもの水滴が撥ねては垂れ、滴り落ちていく。
絵画教室までは車で約20分の距離にあり、休日はいつもこの心地よい揺れの中で、少しだけ目を閉じた。
もはやこれは私の一種の癖のような仕草であった。
私は電車やバス、車といった心地よく揺れるというところに座っていると、眠くもないのに睡魔が近寄り、気づけば私はよくこくりこくりと寝てしまっていることが往々にしてあるのだ。
多分この癖は幼いころに、疲れ果てた私を迎えに来た車に対して、あれは寝るには申し分ない場所だという認識ができてしまい、次第に揺れる場所は無意識に体が寝台車と間違うほどの癖のようになってしまったのだと思う。
そして、今日も私はそんなじめじめとした空気の中で、癖に支配されるがままに眠ってしまった。
短い睡眠の中で、私はほとんど夢を見ることはない。
だけど、今日はこの雨の中で、どこかの車がスリップ事故を起こしたのか、いつもの道路が渋滞で込み合っていた。
それはほんの15分ぐらいの軽い渋滞ではあったが、夢を見るには十分な時間であった。
暗く静かな林の中を、私は手探りで進んでいる。
夢の中とは思えぬほどに、それらすべての冷たい空気を感じる。
どこか見覚えのある森のような気もするが、それはどうも遠い記憶の中にあるらしく、私の頭の忘却を手探りで探してはみるが、どうにも思い出すことが出来ない。
あたりには朝霧が立ち込め、草花には朝露がつき、歩くたびに足がぐっしょりと濡れていく。
どこに進むかも分からずに、ただただ息を切らしながら前に進んでいく。
ふと、遠くに一筋の光が見えた。
その光が私を呼んでいるようにも見え、堰を切ったように私は走り始めた。
開けた視界には、小さな池が音を立てず静かに佇んでいた。
黎明を刻むその林は、白い朝霧が朝日に反射し、淡く幻想的な空気を纏っている。
池の水面は揺れもせずに、白い木漏れ日がただひたすらに透き通っていた。
なんて静かな何だろうか。
清廉な空気が私の孤独を癒していく。
私が求めていたものは、理解なんかではない。
この孤独という私の伽藍堂に、清廉な空気が吹き込み、色彩を混ぜたような気がした。
「着いたわよ」
母の一声で、私は一気にその森から抜け出し、車の中へと意識が戻った。
あれだけ混迷した私の絵が、たったひと時のうたた寝に救われるとは思ってもいなかった。
なぜこのタイミングだったのかはわからない。
孤独を取り払ってと神に祈り続けたそれが、たったいまこのタイミングで届いたのかもしれない。
私は今の夢を忘れる前にと、絵画教室のへと傘もささずに走り出し、その扉のドアノブを急かすように引っ張る。
私は無造作に荷物を教室の端のほうへと置くと、適当な椅子を見つけ、すぐさまさっき見た夢を忘れぬよう、一心不乱に下絵を描き始めた。
私は下絵のほとんどを描き終えると、その絵に向かってぼそりと「朝の湖畔」と呟いた。
頭にパッと浮かんだ題名だったが、なんとなく語呂がよくて、私の好きな響きだ。
きっとこれは、私の黎明なのかもしれない。
私は下絵を見つめ、深い森を彷徨い歩いた先に見つけた光を掴むように、柔らかく紙を撫でた。
3
[東条 麻衣 2年前 コンクール2ヶ月前]
私は小さい頃より、人よりも繊細に色を見ることができた。
まだ、私が幼稚園の頃、クレヨンの色はどうしてこれだけしかないのだろうと疑問に思ったことがある。
先生から好きな絵を描いてみようと言われても、私は確か白紙で提出した記憶が残っていた。
先生に「茜ちゃんは何か好きなものないの?例えばお母さんとか、お父さんとかさ」と、その白い紙に何かを描くように促された。
決して、絵を描くのが嫌だとか、好きなものなんか無いとかそんな反抗的なことではなくて、ただただその白い紙とこの数少ないクレヨンに戸惑ってしまったのだ。
私はとにかくこの白い紙に何か描かなきゃお外に遊びに行けないと思ったのか、しぶしぶそのクレヨンに手に取った。
右を見ても左を見てもお父さんとお母さんを描いていたものだから、私も当たり障りなくお父さんとお母さんを思い浮かべその紙に絵を描いた。
お父さんは少し茶色みがかった肌色に、顔には黒子が点々とまぶされ、髪には白髪が入り混じっていた。そして母には、なにかに追われるように生活を頑張る苦労がうかがえ、すこしばかり茶色のしみが顔に浮き始め、髪はカラーリングする暇もなく、プリンのような髪色に変色していた。
幼いながらに、私は体のパーツの色の配色ばかりが気になり、両親を思い浮かべても、まずどの色を使うべきなのかと迷いながらも、顔の輪郭を描いて、パーツを描き、最後に髪の毛を塗った。
先生は私の完成した絵を覗き込んだが、あまりいい顔をしていなかったのを覚えている。
幼稚園生の絵のレベルなどは知れたもので、私もそのころはまだまだ絵を描くのが好きぐらいだったので、郡を抜いて上手いとかそういうことはなかったのだが、どうも先生はその絵の上手さとかではなく、絵の配色に首を傾げているようであった。
クレヨンで描いていたせいか、あまり色のなじみはなかった気もするが、肌色にはベージュと茶色を織り交ぜ、髪の毛には黒と白と茶色を何本も重ねて描いていた。
今であれば、油絵とか水彩画とかを使えるので、そんな汚い混色にはならないはずだが、先生は私のクレヨンの絵を見て、「髪の毛はみんな黒いのよ」と一言を私に落とした。
私はその言葉に納得はしなかった。
確かにみんな遠目では髪の毛は黒いかもしれない。
だけど髪の毛の黒にも濃淡があって、光に照らせば赤にだって茶色にだって変色する。
人間の肌だって、薔薇の赤い花びらだって、紋白蝶の白い羽にだって、私にはその濃淡が浮き出て見える。
一つの色が単色で見えたことなんて一度もない。
私は母に幾度となく、色んな色が視えると何度も母に言い続けるものだから、困り果てた挙句に、私はいくつもの眼科を連れまわされた記憶がある。
近くのクリニックではどうにも判断できないと、専門医のいる大学病院での眼科で精密検査を行い、明確ではないものの診断が下った
私の眼には4色型色覚という特別な色覚が備わっている可能性があるとの診断であった。
人間が光を視覚するのに、視細胞と呼ばれる桿体細胞と赤錐体、緑錐体、青錐体という3つ錐体細胞が備わっており、それぞれの錐体細胞に存在するたタンパク質オプシンとレチナールによって、光を捉えている。
そして、私の眼には3つの錐体細胞にもう一つの突然変異として生まれた錐体細胞が存在する可能性があるのだという。
断定をしないのは、あくまでも色覚診断を行っただけであって、それ以上の細胞検査までは行っていたいためだ。
私はその診断結果を聞いて、少しホッとした。
普通ではないけれども、きちんと原因が分かったことによって、今まで歪な形で喉に突っかかっていた塊が、ほろほろと削り落ちてストンと胃の中へ落ちた感覚がした。
だがその納得感と表裏するように、寂しさという感情がふつふつと私の中に湧き出してきた。
子供ながらに、人には理解されない事情を抱えるというのは、世界から孤立したような疎外感を生み出した。
その疎外感はどこか、私の寂しさの餌となり、いつしか自分だけの居場所を追い求め、心だけがどこか体の外を彷徨い始めていた。
◆
そうして私は幼き日から居場所を探し始め、いつしか15歳となった。
中学校の美術室が好きで、いつの間にか美術室が私の居場所となっていた。
美術部としての活動もそうだが、本気で美術活動をしている人などこの学校にはおらず、結局放課後の遅くまでこの美術室に残っているのは私一人だけとなっている。
石膏と油絵具の香りが、私にとってはアロマのような癒しを与え、穏やかな時間を私にくれた。
時に、この美術室で春夏秋冬の夕焼けを見ては、その夜と昼をつくった神の生誕のような美しさに焦がれ、その陽が落ち切った後にこの美術室を後にしている。
そして、私の一番嫌いなものは、学校から家へのこの帰り道であった。
一歩一歩進むたびに、鬱屈な自分の心が漏れ出し、私の足取りを重くする。
そして家に着くころには、私の眼は一切の色を映さず、ただモノクロな風景が映っていた。
父も母も絵のことはからきしで、私の絵を見ては上っ面に上手いねとしか言うことはなかった。
「上手だね」とか「才能あるね」とか、そんな吐き捨てるほど聞いた耳は、もうその言葉に質量を感じることはなくなった。
母は、私が絵に没頭している姿を見ると、ちゃんと勉強をしなさいだとか部屋を片付けなさいだとかまるで耳元を飛び交う小蠅のように、耳障りなほど言ってくる。
結局は、母が良く言う絵を上手いというのは、それは趣味の範疇という理解であって、これから来るであろう社会への適合への強制を強いるところをみると、甚だそれに尊敬の念を感じることはなかった。
家の空気に馴染めないのはそのせいなのかも知れないと、もう一人の脆弱な私が耳元で囁くが、自分を押し殺し、その空気を吸えば吸うほど、私の色彩の眼は曇っていくのがわかった。
私は家を居心地の良い場所などとは到底思えず、毎日のように学校の美術室を思い浮かべては、小さな自室で蹲っていた。
いつか、私は鎌倉の浜辺の近くで海を眺めながら、自分だけの美術室が欲しいと夢見ていた。
季節は蒸し暑さの増す初夏となった。
学校の中間テストが終わり、夏休みまで残り一週間を切った教室は、外の蒸し暑さと合間るように、鬱陶しいほどに暑さを帯びている。
私以外の他の生徒は、やれ海に行くだ旅行にいくだ実家に帰るだと、夏休みの訪れに胸を躍らせながら待ち望んでいるが、私だけはその中で冷め切った気持ちでいた。
なんせ、夏休み中は美術室は使えず、私はあの居心地の悪い家に引きこもらなければならないからだ。
唯一、自分の部屋とは別に、物置を改造した窓のない画室があることが救いであった。
私は4時限目の授業を話半分で聞きながら、手帳のスケジュールを確認する。
どこまでも空白なマスが続き、それが11月に到達したころ、ポツリと一つだけマスの埋まったページに目が止まった。
そこには『絵画コンクール展示日』とだけ記載されていた。
忘れていたわけではないが、頭の片隅のどこかに転がしていたのは事実であった。
あまり気乗りではないが、通っている絵画教室の先生の協力もある手前、絵を仕上げなければいけない。
私はぼそりと、「絵、描かなきゃな」と教室の窓の外に広がる澄んだ青い空へと呟いた。
そんな夏空に浮かぶ大きな積乱雲を遠目で見つめ、私はそのやんわりとした形を宙で指をなぞっていた。
◆
夏休みに入り、私はぽうとオレンジ色の電球が光る仄暗い画室の椅子に座り込んでいた。
イーゼルに乗せられた画用紙は白紙のままで、私はそれを何も考えず、ただ眺めている。
私はずっと疑問でいた。
絵画教室では、水彩画と油彩画を主に描いていたが、どうも生み出せる色には限界があって、私は物足りなくなっていた。
私の瞳に映る色を、真っ白なキャンバスに描き切れないことは、私にとって苦痛でしかなかった。
色は有限でありながらも、私には無限の色が映っている。
何百枚と描いてきた絵は、そのすべてが未完成の作品なのだ。
いくつかはコンクールで賞を貰ったり、公募展示されたりと、世に出て評価をされているがどうも私は腑に落ちずにいた。
そんな完成への渇きが私の創作意欲を蒸発させていく。
もう私には、真っ白なキャンバスに色彩を描く気力など残ってはいなかった。
ふと、床に転がっている中途半端に芯が削られた硬筆が目に入った。
そういえば最近は絵具ばかりで、長らく鉛筆画などは描いていない。
大概はシャープペンシルで軽く下書きをしたり、ノートに落書きほどのスケッチを描いたりはしているが、それはそれであって、決して絵を描くと呼べるほど代物でもない。
どうも絵画教室に通うと、皆が水彩画だの油彩画だのと目立つものばかりを描くものだから、私もそれにつられ、不完全燃焼ながらも筆ばかりを握ってしまっていた。
私は少し埃をかぶった硬筆を拾い上げ、画用紙に一直線の線を引いた。
黒という色は、その希釈度によって無限の濃淡を出すことができる。
絵具では難しかったことが、この硬筆一本で、自在に無限の黒を生み出せることに感動を覚え、私は白い画用紙に力の強弱をつけながら、思いのままに絵を描いていく。
それはまるで私にとって虹のような光景であった。
こんなにも身近に私の色彩は転がっていたのかと思うと、私自身が今まで自分の悩みを正当化しながらも可能性を探さずに、子供のようにただ茫然としていたことが悔しくてたまらなかった。
絵画コンクールのテーマなどは特に決まっておらず、特に使う絵具などに指定はない。
私はこの硬筆一本で色彩を描こうと思い立ち、その持ち手を強く握る。
そうして、絵の構図を考えるために、腰を下ろした椅子の上で目を瞑り、私は深い意識の中へ身を沈めていった。
黒という無限の色彩を得た私は、深い深い意識の中に一筋の光を見出した。
この一筋の光をいかにして具現化していこうかと、私は自分の意識の深海を回遊する。
私は今まで、目で視た風景だけをひたすらと描き続けたが、自分の心情を描いたことは一度たりともなかった。
表現方法がなかったわけではないが、現実の風景の鮮やかさとは反対に、寂しさというフィルターがかかってしまった心情はモノクロにしか映っていなかったために、自分でそれを美しいとは思えていなかったために、今まで描くことが出来なかったのだ。
その心情のフィルターの一点から差し込んだ一筋の光からは、心の色彩が温かな光となって漏れこんでいる。
私はその光に向かって両手を組み握り、意識を飛ばす。
きっと世界の隔たりを受け入れ、寂しさを愛するようになった時、このモノクロのフィルターが消えてなくなることを想いながら、形なき神に祈りを捧げた。
ふと、手に持った硬筆が床にコトンと落ち、その音に私は意識の深海から引っ張り上げられるようにして、目を開けた。
私はその落ちた硬筆を拾い上げ、何かに憑りつかれるようにして、仄暗い画室で白いキャンバスに色鮮やかなモノクロを描き始めた。
4
[夏帆とマーガレットと美術室]
私の通っている高校で、とある噂が流れていた。
その噂というのが「美術室には幽霊がいる」という、甚だ信じてよいものかと疑うようなちんけな噂ではあったが、私はなぜかそれが頭から離れることはなかった。
そもそもなぜこんな噂が流れ始めたのかを私なりに調べてみたところ、どうも放課後にいつも同じ位置に制服を着た少女が微動だにせずに毎日のように座っている姿が目撃されていたからであった。
どうもその話は下級生、つまり今年入った高校一年生から浮き出た話であって、それが噂に噂を呼び、学校で微かに話される怪談のように囁かれていた。
だが、所詮は思い込みによる妄想で、いずれ風化していく噂だと私は分かっている。
美術室の幽霊と揶揄された少女は、上級生の間では"マーガレット"と呼ばれていた。
美しい花に例えられてはいるが、実際は皆から愛でられているわけでもなく、好かれているわけでもない。
毎日夕焼けを眺め、その髪がオレンジに染まっていく様子がまるでマーガレットのようだという理由らしい。
マーガレットは私の同学年ではあるが、違うクラスの少女だった。
私は彼女とは一度も話したことはなく、名前も知らない。
知らなかったというには語弊があるかもしれないが、以前聞いた名前がマーガレットというニックネームに押しつぶされ、そのインパクトからか本名を思い出せないでいた。
5月に入り、ちょうど4月の出会いの喧噪も落ち着いてきたころ、私はふいにあの絵のことを思い出した。
白黒の"Maria"に惹かれ、凛にバカにされながらも、今年は選択教科を美術にしている。
特にこの授業は受験に関係あるとか、成績が取りやすいとかそういうわけではなく、ただただ、絵がどのようにして描かれるのかを知りたいという探求心だけが私の好奇心を揺り動かしていた。
選択教科は5月から開始した。
オリエンテーションなどはなく、いきなり実技から入るものだから、絵心のない私は少し戸惑いながらも一生懸命授業に取り組んだ。
最初の授業は木炭を使った、石膏像のデッサン。
指先が黒く汚れながらも、何度も色を重ねてはぼかし、重ねてはぼかしを繰り返し、陰陽をつけながら立体を出していく。
どうも私にはマシな絵心があったようで、皆の出来上がった絵よりも少しだけ出来栄えは良かったものの、素人にしてはというレベルであって、私が感動した絵には遥か遠く及びもしないものであった。
私はこの授業が始まる前、2年前の11月に展覧会に行ってからというもの、その日を境に、様々な絵の描き方教本を買い漁り、スケッチノートにとにかく身近な物や風景画を何枚も何枚も描いてはいる。
だが芸術という分野はそう簡単に上達するわけでもなく、私の行っているのは写実であって、どうもオリジナリティというのは一向に芽を出すことはなかった。
絵を始めて数か月という時点で、オリジナリティという言葉を出すこと自体おこがましいのかもしれないが、素人というのはどうも憧れに生き急いででも近づきたいという焦燥の病に罹患するようで、私のその罹患者の一人になっていた。
ほどなくした学校の放課後。
私の頭からマーガレットという単語がちょうど消えかかっていた六月のことであった。
特に部活動に所属していない私は、今日も家でデッサンに励もうと授業が終わるとせっせと帰り支度をして帰路についていた。
途中、何気なく近くの公園に立ち寄り、スケッチをしようかと思い、ベンチに座り込んだ。
がちゃがちゃとカバンの中身を漁ったが、どうも私はスケッチに必要な筆記用具をそのまま学校に忘れてきたみたいで、「あっ……」という言葉とともにその場で落胆した。
無いものはいくら探してもないわけで、私は自転車で15分ほどの距離をゆっくりとしたペースで漕ぎながら戻った。
学校に戻り、自身の教室のある2階まで上がっていくと、そこには空になった教室だけが立ち並んでいた。
あまり放課後の誰もいない教室に立ち寄らないものだから、私にとってはいつも騒がしい教室が静寂に包まれているという状況にステップを踏みながら少しばかり踊っても見たい気分になったが、誰かに見られては一生の恥になりかねないとその気持ちを抑え、そそくさと自身の机の中から筆記用具を見つけ出し、カバンの中へと詰め込んだ。
ふと窓のカーテンレースを広げ、校庭を見下ろすと、サッカー部や陸上部が汗を流しながら部活動に励んでいる。
その姿にカッコいいなと思ってはいたが、如何せんあの大声でハキハキとした体育会系の雰囲気は私には馴染まない。
遠くから眺めるぐらいがちょうどいいのだ。
そんなことを思いながらぼんやりとしていると、外では町内の5時を知らせる時報が流れ、「故郷」のメロディーが聞こえてきた。
ちょうど夕焼けが差し込み、教室内が真っ赤に染まった。
私はその赤を見ると、はっと美術室のことを思い出した。
今ならまだいるだろうか。
私は急いでその教室から駆け出すと、3階の隅にある美術室へと走り出した。
ものの2分ほどで美術室の前には到着したが、その扉を開けるのに少し緊張する。
先ほどまで、どうしても会いたいという気持ちが昂ってはいたが、いざ扉の前に立つと、好奇心の表裏にある恐怖心がせせりあがり、私の手を震わせるのであった。
私はそんな恐怖心に負けてたまるかと、引き戸の取ってを指でつかみ、ガラリとその扉を開けた。
開けた先には、私の想像通りのマーガレットがいた。
汚れのない白い制服に、黒く綺麗に伸びた髪。
白い肌とのコントラストがその人物の儚げな美しさを映し出している。
マーガレットは窓の外、陽がゆっくりと落ちていく様を、椅子に座りながらただじっと眺めていた。
「あ、あの……!」
私は震える口で、窓の外を見つめるマーガレットに声をかける。
彼女はゆっくりと私の方へと振り向いた。
「珍しいですね。こんなところに人が来るなんて」
その口調は優しくも、どこか氷のような冷たさを感じた。
私はその一声にたじろいだが、その場から逃げることはしなかった。
なぜ、いま私はこの美術室に来たのだろうかと、ふと、そんなことが頭を過る。
その理由を考えてみれば、あまりにも不明瞭で、曖昧であって、何が言いたいかというと、「直感」というにわかに信じがたいものを私は信じてしまった。
「あなたは……なんでこの時間に美術室に……?」
ごもごもとしながらも、ゆっくりと言葉を紡いでいく。
どうも私の悪い癖で、人に恐縮するとすぐに十分すぎるほど丁寧な敬語を発してしまう。
1秒、2秒、3秒。
どんどんと不安なほどに間が空いていく。
私は今までの人生の中で、これほどまでに1秒を長く感じたことはなく、これほどまでに1秒ごとのコマの中に不安という泥が蓄積していく感覚は初めての経験であった。
「夕焼けが好きなのよ」
マーガレットは遠くを見つめ答えた。
「夕焼けが……好きなんですか……」
「あなたはあの夕焼けが何色に見える?」
唐突な質問に少し戸惑う。
「赤……ですか?」
私は、自信なさげに答えた。
「正解よ。それが普通なのよ。夕焼けは赤であって、それ以外の何色でもないの」
私はマーガレットの言葉の意味を理解することができなかった。
当たり前のことを言っているはずなのに、どこか違和感を覚え、それが喉に突っかかる。
ふと、私は一歩横へと足を広げた。
先ほどからマーガレットの体が動くたびに見え隠れしている、奥に立てられているこげ茶色のイーゼルが気になるためだ。
「見たい?」
あからさまな行動すぎたせいか、マーガレットはそんな私の姿に苦笑しながら、体を横にずらし、描いていた絵を見せてくれた。
少し気恥ずかしかったが、その絵を見た途端、そんな恥ずかしさもどこかへと消えていった。
キャンバスには今まさに地平線から消えかかる夕焼けが白黒で描かれていた。
それはあまりにも、細かく風景描写されていて、幾重にも影が塗り重ねられている。
「あなたはこの夕焼けが何色に見える?」
私は無意識にその絵を見て、「赤」と答えていた。
「不思議でしょ?あなたは今まさに落ちようとしている本来の夕焼けを見て、「赤」と言った。だけど、あなたはこの白黒の夕焼けを見ても「赤」と言ったわ。それならどちらが本当の「赤」なのかしら」
「それは……どういうこと?」
その言葉の矛盾は、いかに人間に色が見えていないかを問いかけるようなものであった。
マーガレットの言葉の弱点を突くとすれば、「それは見る順番による錯覚」と言えなくもない。
先ほどは、夕焼けの景色を見てから、白黒の風景画を見たために、最初に見た「赤」がそれに目に残っていたのだと考えられる。
では、白黒の風景画を見た後に、夕焼けを見たら私は何と答えていただろうか。
その答えは「オレンジ」だったかもしれないし、「白」だったかもしれないし、「黄色」だったかもしれない。
「いい?あなたにはあの夕焼けが「赤」に見えているだろうけど、私には赤には見えていない。「白」だったり、「黄色」だったり、「緑」だったり色んな色合いが混ざり合って見えているの」
私は固唾を飲んで、その言葉に聞き入る。
「世界の色彩は、それほど美しくはないものよ」
マーガレットは、虚ろ気な眼差しで、だけど明確な口調で、そう答えた。
私にはあの輝きながら落ちていく夕焼けは、この世の中でも指折りの美しさがあると思っているために、その言葉に不快感を少し覚えた。
彼女は続けて、「夕焼けというのは私たちが視ている「赤」ではなく、水の上に浮かんだ油のように、何色も入り混じって見えている」のだと言った。
さきほどまで、少し彼女の言葉に不快感を覚えていたが、確かに私がその光景を見ても、美しいなんて言葉は出てこないだろうとその不快感が和らいでいった。
「全てが……そう視えているの?」
「そうよ。すべての色が繊細に見えているの。確かに絵描きにとってそれは思ってもいないほど嬉しいことかもしれないけれども、私にとってはある意味の呪いなのかな」
「呪い……」
「だけどその呪いのおかげで、本当の色も知ることができたのよ」
マーガレットは白黒でキャンバスの絵を撫でる。
その目は微笑み、なにか巣の中で守られる雛のような目をしていた。
「白と黒。この2色には無限そのものなのよ」
「……無限?」
「さっきあなたはこの「黒」を「赤」と言ったわ。じゃあ、私がこのキャンバスに白と黒で海を描いたらあなたはなんて答える?」
「見てみないとわからないけど……」
「青……きっとあなたはそう答えているわ。私にはあなたの言う青には視えていないけれども、あなたの理想の青を表現できる。これって素晴らしいことじゃない?」
「そう……なのかな」
私は、ずっと上手くなりたい上手くなりたいと、ひたすら絵を描き続けてきた。
彼女の言葉は、そんな藻掻いている私に、一筋の光をもたらしてくれた。
「上手いだけが全てではないのよ。あなたも絵を描くの?」
「えぇ……まぁ……まだ始めたばっかりですけど」
「それなら知ってるといいわ。いい、決して色に囚われてはいけないよ」
私は、その言葉に無言で頷いた。
今はその意味が、正直なところあまりわかってはいない。
今思えば、その悩みは理解されない彼女から出た、唯一の本音だったのだと思う。
私とマーガレットは美術室で落ち行く夕日を見ながら、その美しさにただ静かに佇んでいた。