自称、あやかしが現れました 2
◇ ◇ ◇
「おい、そろそろ落ち着いたか」
「こんな状況で落ち着くわけがないでしょ!」
私は隣に座る仮装男、名前は翠藍というらしい、に必死にしがみつきながらも彼を睨み付けた。翠藍はなんと、信じられない跳躍力で夜空を飛び、私を高層ビルの屋上の柵の外側に連れ出した。
眼下には都心の煌めく夜景が広がっているが、「わぁ、綺麗」とのんきに観賞する余裕は今はない。なにせ、足下が殆どフルオープンなのだ。この男から手を離したら最後、私は転落死する危機である。
翠藍が言うには、彼は幽世から現世の人間の生態調査のために派遣されたあやかしなのだそうだ。
普通ならクスリでもしてる頭のおかしい奴だと一蹴するところだ。しかし、バッサバッサと背中の羽根を羽ばたかせて実際に飛んでいるところを目の当たりにしては信じざるを得ない。
この格好は……もしや天狗の仲間か!?
「なんで生態調査なんてする必要が? まさか現世に侵攻してくるの?」
「侵攻? なぜ侵攻する必要がある? そこに観察対象があれば生態調査するだろ? お前達はしないのか?」
翠藍が怪訝そうに眉を寄せた。
それって、生物学者が動物の生態調査するみたいなノリだろうか。人間っていうのは、この人達にとっては動物と同じ位置づけなのだろうか。
「何を調査するの?」
「今日は初めて来たからな。とりあえずは様子を観察するだけのつもりだったのだが、お前のせいで計画が崩れた」
翠藍は私を見下ろすと、ため息を吐いた。
「ちょっと待って。それ、絶対に私のせいじゃないと思うんですが?」
「とにかく、俺は報告書をまとめる必要がある。仕方がないからお前を観察するか」
全然人の話を聞いてないよ。あやかしってのは、人の話を聞かない生き物なのかね。私が〝幽世のあやかし調査役〟に任命されたら間違いなく『特徴:人の話を聞きません』って書くわ。
てか、なんで私が観察対象なのよ。意味わかんないし。
「はぁ? あなた、馬鹿じゃないの!?」
「俺は秀才と名高いんだぞ」
「ひっ」
翠藍は私をじろりと睨み付けてきた。
蛇目に睨まれると本気で怖い。まさに蛇に睨まれた蛙のごとく、私は呆気なくこのおかしな訪問者の観察対象になったのだった。
◇ ◇ ◇
結局、私は翠藍を連れて、当初行く予定だったクラブに行くことにした。
どうにでもなれと、半ばやけくそである。ちょうどチケットも二枚あったしね。
翠藍は興味深げにまわりの人間を見渡していた。
「おい、ここの連中はなぜ幽世の者の真似をしている。幽世に憧れているのか?」
翠藍が不思議そうに聞いてきた。『幽世の者を真似している』というのは、皆が色々な仮装をしているからだろう。中にはお化けの格好をしている人もいるし。
「今日はね、特別な日なの。みんなが仮装して大騒ぎする日」
本当は多分違うけど、面倒くさいから適当な説明をした。ハロウィンの由来なんて知らないし。
「なぜ仮装して大騒ぎするんだ?」
「それは、誰かとはしゃぐと愉しいから! はい、飲んで、飲んで」
私はカウンターから見繕ってきたお酒をさっと翠藍に差し出す。
「そんなものか?」
翠藍は小さく呟くと、私からグラスを受け取った。
興味深げにグラスを回して、鼻を近づける。そして、恐る恐るといった様子でそれを口にした。
よし、飲んだ!
翠藍に渡したのは、バーテンダーに聞いて用意してもらった一番強いウオッカだ。酔っ払ってくれたらうまく撒けるかもしれないと思ったのだ。
「旨いな」
私の心の声など露知らぬ翠藍は一気にお酒を飲み干すと、続けて二杯目、三杯目も飲み干した。
その様子に唖然とする私をよそに、ずいぶんとお気に召したようでご機嫌になっている。
あれを三杯一気飲みとか、ザルですか? いや、ザルを飛び越して枠なの?
カクテルしか飲んでないこっちが先に酔い潰れたら洒落にならない。
ところで、私は一つ気になっていたことがあった。翠藍の黒い羽はホンモノなのだろうか。さっき羽ばたいているのは見たけれど、もしかしたら精巧な機械という可能性も捨てきれない。
そっとその羽に手を触れると、冷んやりとした感触がした。
「おい。羽に勝手に触るな。男のイチモツに勝手に触るようなものだぞ」
「へ? イチモツ??」
その意味を理解して、いっきに赤くなり狼狽える私を見て、翠藍は楽しげに笑った。
「冗談だ」
機嫌よさそうに口の端を持ち上げた翠藍は、ははっと笑う。顔に出ないだけで多少酔っ払っているのかもしれない。
その笑顔に私は不覚にも、ちょっと可愛いかも、って思ってしまった。
クラブでは最優秀の仮装を選ぶ即席コンテストがあった。当然選ばれるわな、イケメンなあやかしさん。
「何処から来ましたか?」
「幽世の桐憲から」
「羽は自作? 目はコンタクトかな?」
「これは生まれつきだ」
「普段のお仕事は?」
「学者だ」
最後の仕事だけやけに普通の答えだったが、まわりの人達は翠藍があやかしになりきっている人なんだと思って大いに盛り上がって大笑いしていた。そして、なぜかスマホで記念撮影までしている。
「よく笑う奴らだな」
私のところに戻ってきた翠藍は、写真を撮るときにまわりの人に触れられて着崩れた袴を整えながらそう言った。
「翠藍を仲間だと思って、一緒に愉しんでたんだよ」
「俺が仲間? なるほど。誰かとはしゃぐと愉しい、と言うことだな?」
「うん、そう」
翠藍は私の答えに満足そうに頷くと、「確かに愉しいのかもしれないな」と笑った。