それから2
「イオラ! イオラ・リードンはいるか!」
なんの前触れもなく、いきなり現れたマルクール領主の私兵たちに、農場の者たちは顔を見合わせた。
ちなみにリードンというのはこの辺一帯の地域の名前で、平民に家名はない。
それでも、リードン村にいる……いや、居た“イオラ”は、ひとりだけだった。
「イオラ……お嬢さんなら、帰ってきておりませんが?」
「隠し立てするな!」
かちゃり、と脅しをかけるように腰にはいた剣の柄を握る私兵たち。
もともとのどかで平和な田舎である。剣呑な雰囲気に慣れていない彼らは「ひっ」と息を飲んだ。
が。
「あのう……お嬢さん、生きてるんですか?」
恐る恐る、ひとりが聞く。
すると、他の皆も口々に言い始めた。
「イオラお嬢さん、領都に行って、それっきりで」
「領主のご子息に横恋慕して、花嫁さまを傷つけようとしたって」
「それで捕まって、帰って来れなくなって」
「そうそう。それで………」
「牢の中で、自殺したって………聞いているんですが」
ずん、と空気が重くなる。
そう。彼らは、イオラが罪の重さに耐えかねて死んでしまった、と聞かされていた。
罪人のため、また輸送に時間がかかるため、遺体になっても帰ってくることができないと。
「この前、葬式を出したところだったんですが。……空の棺で」
「実は生きてたんですか?」
「あのお嬢さんがタダで死ぬわきゃないって思ってたんですよ!」
「生きてるなら、いまどこに?」
「どこに??」
複数からのすがるような声と眼差しに、私兵たちはうっと怯んだ。
「お、おい聞きたいのはこっちで………」
「知らないから聞いてるんでしょうが!」
「そうよそうよ。イオラちゃん、いったいどうなってるの!?」
非武装の人々に詰め寄られて、無意識にじりじりと後ずさる私兵。
しかし空いた距離は、すぐにまた詰められる。
普段は静かな集落である。騒ぎを聞きつけた人々が「何だ何だ」と集まり始め、事情を知ってさらに私兵たちを取り囲みはじめた。
「そもそも、イオラちゃんだって、花嫁候補だっただろ?」
「領主様の使いってのが来て連れて行ったんだもんな」
「本人イヤそうにしてたけどね」
「まあでも相手は領主様のご子息だし、イオラちゃんならって、ねえ」
「本人イヤそうだったけどね」
「そんなあの子が恋に狂って、なんて……」
「あのイオラが」
「恋」
「……ぷっ」
「やっぱり嘘くさいわー」
「いやいやあの子も年頃だし。もしかして、もしかしたかも」
「何であれ、安易に他人を傷つけるような子ではないんじゃ」
「そう!」
「それはそうよね」
「そこのところどうなってんの?」
「ウチのお嬢さんにいったい何が?」
「―――俺らが知るかそんなこと!」
こっちが聞いているのに、逆に囲まれ質問攻めにされる。
その多さと絶え間の無さに、私兵たちはとうとう逃げ出した。
―――なぜかちょうど一人分空いていた、人垣の隙間から。
相手は無抵抗の一般領民である。領主の命で来ている以上、武器を持っていてそれを脅しに使っているとはいえ、下手に振り回し怪我を負わせるわけにはいかなかったのだ。
「ホントに来たよ、領主からの使いが」
「お嬢さんの言った通りだったな」
「ふー。とぼけるの、どきどきしたわー」
「ちょっと面白かったのう」
追い返すことに成功した彼らは苦笑いである。
おそらく、自分たちが追っている罪人の姿形は細かく聞いていても、どうして罪人になったかまでは詳しく聞かされていなかったのだろう。ましてあんな質問攻めにされるとは思っていなかったに違いない。
どこで口を滑らせるかわからない下っ端に、詳しい話などできないはずだ。
領軍ではなく領主の私兵が来たということからも、公に出来ない後ろ暗さ満点である。
―――一週間ほど前。
イオラが亡くなったと一方的に聞かされて、みんなでお葬式をしたのは本当だ。
しかしそのお葬式の最中だった。
本人がひょっこり姿を現したのは。
驚いて言葉も出ない皆に彼女は簡単に事情を説明し、ひと晩だけ自分の家に泊り、旅支度を整えて、また慌ただしく出て行ってしまった。
みんなで引き留めたが、「たぶん探しに来ると思うから」と少し寂し気に笑って。
「思ったより遅かったわねえ」
「追手が来るまで一週間あったんじゃ。もうちっと休んで行けばよかったのにのう」
「誰も迷惑だなんて思ってないのに」
「そうそう」
そんなわけで、ここの村人たちは、イオラの本当の事情を知っていた。
少なくともいま逃げて行ったゴロツキもどきの領主の私兵たちよりは、よほど。
どちらが正しいか調べる術はないが、どちらを信じるかは決まっている。
ここリードンは、マルクール領の端。
“大地の魔女”様の加護も届きにくいようで、痩せた土地だった。
作物が思うように育たず、上に相談しても、「魔女様に祈れ」だの「ほかの豊かな土地に引っ越せばいい」だの、適当な答えが返ってくるばかり。
そのくせ、他の土地と同じように税だけはきっちりと徴収していくのだ。
上は当てにならないと早々に見切りをつけた彼らは、自分たちで土を改良してみたり、栽培の方法を工夫してみたり、この土地でも元気に育つ作物を探したりと、自分たちで努力を重ねてきた。
病で早々に亡くなってしまったが、イオラの両親も熱心な人たちだった。
だからこそ、土属性の“魔力”持ちの娘が生まれて来たんだろう、と思う。
イオラの“魔力”は、かの“大地の魔女”のように土そのものを変えるほどではない。
が、彼らが努力してきたことを大きく後押ししてくれるような、そんな力だった。
彼女がいなければ、いまほどの収穫量と収入を得るにはあと数十年努力し続けなければならなかったに違いない。
リードンの人々にとって彼女は恩人で、家族も同然なのだ。
「……国境を超えるって言ってたけど、いまどの辺りかしらねえ」
「となりのランド領? その向こうあたりかな」
「もう国を出てたりして」
「いやいやとっくに海の向こうかもよ?」
「マルクールを出さえすれば、なかなか追っかけて行けないでしょう」
街道を普通に歩いていけば、そして関所で留められていなければ、隣の領の領都に着いている頃だろうか。乗合い馬車を使えば、もう少し遠くに行っているかもしれない。
しかし、追われている彼女が普通に移動しているとは思えなかった。
……だって、彼女はひとりではないのだ。
突然お葬式の最中に現れたときも、そしてリードンを後にしたときも。
イオラの傍らには、すらりと背の高い若い男がいた。
この辺りではあまり見かけない褐色の肌に金色の髪と瞳。
“彼”があの悪名高いドラゴンだとは、説明されてもぴんと来なかった。
ちょっと無視できない妙な威厳と威圧感があって、口調もなんだか尊大ではあったが。
彼の姿は、どこからどう見てもヒトだった。
「……ぷっ」
「なんだよ急に」
「いや、あの金髪のお兄さんが、果物食べてるのを思い出してさ」
「ああー。いい食べっぷりだったねえ」
「気持ちいいくらいにね。ぱくぱくと」
正体はドラゴンらしいのに、彼はあふれそうな果汁もこぼさずきれいに食べていた。
それはそれは幸せそうに。
自分で果物は好物だと言っていた。実際そうなのだろう。が。
「わたしたちで収穫したけどこれはイオラが作ったのよ、って教えてあげたときの笑顔が」
「そう! “ふわっ”ていうか、“ほわん”ていうか」
「ふっと緩んだのよねー」
「うわー喜んでるなーって感じで」
「美形の微笑、最高だったー!」
しかも、ご馳走になった礼だと明らかに高そうな宝石をゴロゴロ置いて行かれた。
こんな事になってタダ同然に買い叩かれそうになっていた果物だから、むしろ良かったのに。
イオラが「もう使えないはずだし、適当な大きさに砕いたからバレないはず……」とか何とか呟いていたので、宝石を換金するのは“いざという時”になりそうだが。
ともあれ。
「イオラちゃんも、満更でもなさそうだったしねえ」
「ていうか、やたら気を遣ってなかった?」
「領主様のご子息よりね」
「ええと、“あんなほっそい口だけお坊ちゃん”だっけ?」
「あはは。言ってた言ってた」
そのときに彼らは思ったのだ。
相手がヒトだろうと人外だろうと、どうでもいい。
彼女の事を大事にしてくれるのであれば、助けてくれるのならば。
それで、いいのだと。
「元気で、やってるといいなあ」
それがイオラを送り出したリードンの人々の思いだった。