第9話 幼馴染と待ち合わせ
「朝陽、そろそろ起きなさい。あんた、いつまで寝てる気?」
「……んっ……うるさい……あと五分」
「あと五分って言ったってね。もう十二時、約束の時間ギリギリよ」
「じゃあ、あと三分……」
「いい加減にしなさい、早く起きて支度する! 女の子との待ち合わせに遅刻するのはお母さん許せないわ」
「……何言ってんだよ美咲。母さんを自称するとかどうした……って、あれ」
寝ぼけ眼を擦り、ぼやけた視界で声の主を捉える。
いつものように呆れ顔の美咲が映るはずだったのだが、実際に目に飛び込んできたのはエプロン姿の母親だ。
「ほら、寝惚けてないで顔洗って下に来なさい。朝昼兼用でご飯用してるから」
「わかった、ありがとう……」
部屋を出て階段を下りていく母親の姿を見送り、朝陽はようやく今日がゴールデンウィーク初日だということを思い出す。
そして同時に美咲との約束も思い出した。
十二時に駅前集合。
昨日の帰り道、それだけ伝えられて美咲は家に帰ってしまった。
何でも行き先は秘密らしい。
軽装で大丈夫と言っていたので、そこまで遠くには行かないと思うが不安は拭えない。
活発で後先考えない性格をしている美咲なら、平気で日帰り旅行くらいは企画してきそうな勢いがある。
言われるがままに幼馴染に行き先を任せてしまった自分の迂闊な判断を、朝陽は顔を洗いながら呪った。
「遅い……」
駅前のベンチに座ってから既に三十分が経とうとしていた。
腕時計の針は十二時十五分を指している。
女の子を絶対に待たせるなと五月蠅い母親に急かされまくり、十五分前行動をした努力は何だったのか。
当の女の子が遅刻して来るなら元も子もない。
ベンチの背もたれに全体重を預けながら、朝陽は今更ながら待ち合わせ場所の指定に不満を覚えた。
家が隣同士なのに、わざわざ徒歩十分前後の駅前で待ち合わせをする意味が分からない。
家の前で集合ならどちらかが遅れようが自宅待機で済むというのに、駅前と指定されてしまえばベンチで物思いに耽るしかなくなる。
大体、待ち合わせ場所を指定した本人が遅れてくるとはどういうことなのだろう。
「絶対、何か奢らせてやる……」
普段はあまり気にすることが無い待たされることへの不満を猛烈に覚えるのは、相手が幼馴染だからなのかもしれない。
待ち合わせ場所を指定したのに遅れてくるという暴挙に対し、納得する理由が得られなかった場合はそれなりの代償が必要だろう。
具体的にはジュースかアイス。
幼馴染同士でどちらかの非がはっきりとしている場合、大抵は奢りで解決する。
「朝陽っ!」
三十分以上遅れてきたらもっと高額なものでも奢って貰おうか、そんな計画を朝陽が立てていた時だった。
聞き覚えのある元気いっぱい、弾けるような明るい声で名前を呼ばれた。
振り向けば遠くから走ってくる人影が見える。
「おせえよ美咲! 今すぐ十五字以内で納得の理由を……」
「ごめん、待ったよね。何か奢る」
「あ、ああ……」
たっぷり遅刻をいびった後、どうせ大したことが無い理由を聞き出して奢らせよう。
そんな考えが一瞬で頭から消え去り、言葉に詰まってしまったのは美咲が予想以上に素直に非を認めたからではない。
ベンチ座る朝陽の目の前で止まった美咲の姿に異変があった。
ここまでずっと走って来たのか、激しく上下している肩が外気に晒されていた。
本来あるはずの布が無い。
所謂オフショルダーという種類の服であることは分かるのだが、朝陽にとって理解が及ばなかったのはそれを美咲が着ているという点だ。
普段、私服は上はTシャツ、下はジーンズといった朝陽と大して変わりが無いファッションをしているくせに今日はどうしたことだろう。
白地の袖口がレース状でひらひらとしたオフショルダーのトップスもさることながら、ボトムスもゆったりと存在感を放つワイドデニムパンツと見たことが無い服を着ている。
そのまま視線を下に落とせば、靴はスニーカーではなくヒールサンダルだしもう訳が分からない。
一言で表せば、いつの間にか私服がオシャレになっていた美咲に朝陽は開いた口が塞がらなかった。
ついでに二言目を添えると、目は釘付けになっている。
「……どう?」
どう、とはどういうことなのだろう。
美咲はどんな言葉を求めているのだろうか。
朝陽は胸の内で正解を探す。
ヒールを履いていると言えども、まだ少しだけ朝陽の方が身長が高い為に自然と美咲が上目遣いの格好になる。
真ん丸で大きな黒い瞳に真っ直ぐ見据えられ、朝陽は言葉を失った。
ここはいつも通り茶化すべきか、それとも本心を正直に伝えるべきか。
対峙する二択に頭を悩ませている間も美咲の視線は朝陽を捉えて離してくれない。
たっぷり五分ほどの沈黙があった。
現実世界の時間にしては十秒程度だが、朝陽の体感ではそれほど長く感じられた。
「……可愛い、と思う」
「ホント!? やった!」
脳内で繰り広げられた激しい決闘の結果選ばれた本心を朝陽が伝えれば、美咲は太陽の様な眩しい笑顔を浮かべて小さくガッツポーズをした。
絶対に弄られるか馬鹿にされるとも思っていのだが、美咲の嬉しそうな反応は朝陽にとって意外でもあり、難解な問題に正解を示す解答でもあった。
入学式の日、同じような問いがあった。
その時は茶化すを選択して間違えた。
美咲が怒っていた理由は結局わからなかったが、思い当たる節が無いわけではなかった。
美咲はあの時、きっと制服を褒めて欲しかったのだと朝陽は今ようやく答えに辿り着いた。
中学の時と違うとは言えど、見慣れていた美咲の制服姿に何も感じなかったのが正直なところだが、とにかくあの時は褒める必要があったのだろう。
そう考えれば、一連の美咲の反応も朝陽は頷ける気がした。
女心は全く分からないが、朝陽は幼馴染心は長い付き合いの中でしっかりと分かっているつもりだった。
それが最近分からなくなってしまった。
制服を褒められなかったことに怒る。
私服を褒めたら喜ぶ。
これではまるで、女心を扱っているような気持ちになる。
「なんで待ち合わせを駅前にしたんだよ。家の前の方が絶対楽だったろ」
「家の前だと新鮮味が無いからスルーされると思って……」
「何だそれ」
柄にも無く素直に幼馴染を褒めたことが気恥ずかしくなり、朝陽は話題を変えながら改札を抜けてホームに向かう。
話の流れでついでに遅れた理由を追求すれば、久々過ぎて準備に戸惑ったかららしい。
何が久々なのか、何の準備なのかは教えて貰えなかったが、遅れは遅れなので朝陽はジュース一本で手を打つことにした。
他にも他愛の話をしているうちに目的地に向かう電車が到着する。
ゴールデンウィーク初日ともあって車内は家族連れや学生の集団でかなり混雑していて、必然と美咲の顔が近づいた。
きめ細やかな肌には薄っすらと化粧が施されいて、唇には淡く赤いルージュが引かれている。
中学までの美咲はオシャレも、化粧も全くしていなかった。
もしかしたらしていたのかも知れないが、朝陽が気にしたり気づくことは全く無かった。
美咲は幼馴染の前に高校生の女の子だという事実を朝陽は再認識する。
きっとJKとやらは外に行くときは外見に気を遣うのだろう。
だから幼馴染同士で遊びに行くと言えども、良い服を着てメイクを施す。
そう考えることでしか、朝陽は美咲の変化を説明することが出来なかった。
服と服が触れ合う程近づいた幼馴染からふんわりと漂う甘いフルーティーな香り。
朝陽は知らない内に変わっていく美咲の姿を本人に気づかれない様に視界に収めた。
少し俯いて淡く頬を染めている美咲を可愛いと思ってしまうのは何故なのか。
女心と幼馴染心に加えて自分の心も分からなくなってしまった朝陽は、激しく脈を打つ心臓の鼓動を聞いて頬が熱くなるのを感じた。