第14話 幼馴染と陸上
中学三年生の夏。
高校受験が迫る上級生として最後の大会を前にした練習でのことだった。
部内で一番の有望株だった朝陽は真夏の太陽に照らされ、大量の汗を流しがらひたすらに練習に打ち込んでいた。
神経を研ぎ澄ませ、全身を使ってコースを疾走する。
どんなに辛くても走っている間は余計なことを考えないで済む、そのはずだった。
「美咲ちゃん大丈夫!?」
「氷と冷却スプレー早く!」
「誰か先生呼んできて!」
仮想のゴールテープを前にして、朝陽の意識の中で悲鳴と怒声が混じりあった。
ゆっくりと足が止まり、ベストタイム更新はお預けとなる。
いったい何があったのか、目を向けた先に幼馴染の姿があった。
複数の部員に囲まれ、その中心で倒れ込んでいる美咲。
いつもの明るく眩しい笑顔は苦悶の表情で歪んでいた。
両の手で押さえている右足の下腿部に異常があったことは遠目からでも十分にわかった。
オーバーワークによるハムストリングの負傷。
全治三か月。リハビリをすれば生活に支障が無く、スポーツも問題なく行える。
中学最後の大会は出場できないことが決まったが、高校からまた陸上を続けられるとのことだった。
「お疲れ様、カッコよかったぞ」
「ありがと、結果は県予選敗退だけどな」
「でも自分には勝ったでしょう?」
中学最後のレースとなった四百メートルのコースを朝陽はベストタイムで走り切った。
不思議と、いや、どこかでわかっていたことだが達成感や充足感といった感情は沸き上がらなかった。
決勝で惜しくも負けてしまったことに関しては微塵の悔しさも感じない。
燃え尽きた、という表現は適さないだろう。それは陸上に対して真摯に取り組んできた選手にのみ許される言葉だ。
「美咲は高校でも陸上を続けるのか?」
「あー、うーん……高校は帰宅部かな。足が治っても今までみたいにいかないだろうし。それに、せっかくだしJKエンジョイしたいじゃん?」
「そっか」
「何よその反応。自分から聞いておいて素っ気ないな。そういう朝陽は高校どうすんのよ」
「……俺は――」
――まだ決まってない。
本当は決まっていた。
陸上は続けない、と。九十九パーセント決まっていた決意が美咲への質問と答えで百パーセントになったのだ。
いつからだろう、美咲と張り合っていたタイムに大幅な差がつきはじめたのは。
いつからだろう、美咲と一緒に走ることがなくなったのは。
いつからだろう、美咲と部活中に話さなくなったのは。
わかっていたことだった。
男女で身体能力の差があることは。
いつか対等に競えなくなることは知っていた。
もともと幼馴染と競う為に始めた競技だ。
どこかで朝陽は辞め時を探していた。
「美咲が怪我をした時思ったんだ。これ以上、陸上を続ける意味が無いって。だから辞めた。ただ、それだけ」
いずれ陸上は辞めていた。
そのきっかけが美咲の怪我だっただけ。
だから美咲は気負う必要が無い。
そう最初から伝えていれば良かったのに、半年間も胸に秘めていたのは何故か。
それは朝陽がこの話によって、美咲に嫌われると思っていたからだ。
相手にならなくなったから辞める。
そしたら怪我をしたことで辞めることになった美咲はどう思うだろうか。
間違いなく、いい気持ちはしないだろう。
「話してくれてありがとう」
話を終えて、恐る恐る美咲に顔を向けた朝陽は心臓の鼓動が跳ねたのを確かに感じた。
幼馴染は絶対に負の感情を覚えるだろうと思っていたのに。
それなのに、美咲の表情は優しく穏やかな笑顔だった。