第1話 好きだよ
天ケ瀬朝陽には幼馴染で腐れ縁の同級生がいる。
「朝陽、ほら早く起きる! このままだと入学式遅れちゃうって!」
「うーん……あと五分……」
「それもう何回も聞いたから」
「じゃああと三分……」
「……いい加減起きろこの寝坊助が!」
身体全体を包み込んで温もりを与えてくれていた掛け布団が一気に宙を舞う。
布団が吹っ飛んだ、まさにそんな感じだ。
「……おはよう、美咲」
「はい、おはよう。さっさと顔洗って制服に着替えな。朝ご飯はもう用意されてるから。食べたら歯磨きして直ぐ家出る。わかった?」
「わかりました、お母さん」
「誰がお母さんだ」
ぺちん、と軽く頬を叩かれ意識が完全に覚めた。
寝惚け眼を擦り、まだ若干ぼやけている視界でベッドの淵に座っている制服姿の女の子を捉える。
姫宮美咲
栗色の髪を肩の上で短く揃え、ぱっちり二重の真ん丸な黒い瞳を覗かせている少女とはかれこれ十年以上の付き合いになる。
両親が互いに高校生の同級生で大の仲良し。
その仲良し度は相当なもので、隣同士で家を建てることになったらしい。
都会の喧騒から少し離れた土地に若くして立派な二階建ての一軒家を構えた両家はめでたく同じ年に子供を授かり、今に至るというわけだ。
お陰様で美咲とは物心つく前から共に過ごしてきた。
幼稚園、小学校、中学校はもちろん一緒。
押し入れに閉まってあるアルバムは朝陽の写真を集めたもののはずが、その殆どに美咲が写り込んでいる。
その逆もまた然りで、朝陽と美咲とはどんな時でも本当にずっと一緒だった。
そして何も変わらないまま今日という日を迎えた。
部屋に飾ったカレンダーを目を凝らして見つめれば、今日の日付に赤い文字で入学式と書いてある。
「高校もよろしくな、美咲」
「何よいきなりかしこまって、気持ち悪っ」
「いや、何か急に言いたくなった」
「……こちらこそよろしく」
若干言い淀んで言葉を紡いだ美咲は、気恥ずかしい空気に耐えられなかったのか勢いよく立ち上がって朝陽の部屋を出ていく。
「玄関で待ってるから、早く用意済ませて来て。初日から遅刻とかありえないからね」
こちらを振り返ることはせず、やっぱりお母さんのような忠告を早口に言いながら階段を下りて行った。
「美咲ちゃん、いつもありがとねえ」
「いえいえ、もう慣れましたから」
「もー、美咲ちゃん本当にいい子! このままダメ息子を拾ってやって欲しいくらいだわ」
一階から聞こえてくる会話に聞き耳を立てていると、やがてバタン、と玄関のドアが閉まる音がした。
父親はもう仕事に行っている時間なので、確実に美咲が外に出たことになる。
念の為、幼馴染が部屋に居ないことを確認してから朝陽はゆっくりと再び目を瞑った。
美咲の声で朝を迎える。
それはもう当たり前の光景だった。
耳元で囁かれるおはようも、優しく頬を叩く手の温もりも。
全ては日常の一ページ、そのはずだった。
「好きだよ、あっくん」
今朝、微睡の中でうっすらと聞こえた美咲の透き通った凛とした声。
あれは夢だったのか、それとも……。
姫宮美咲は幼馴染で腐れ縁の同級生だ。
それ以下でもそれ以上でも無い。
それなのに。
「……この胸の高鳴りはなんなんだ」
ふかふかのベッドに身を預けながら胸の真ん中に手を当てると、心臓が全速力で走った後の様に激しく脈を打っていた。