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「夜は出たくないの」

作者: 絵里子

 「夜は出たくないの」


 大学の演劇サークルで活躍している女優の卵の朝子は、いつも、夜になると帰ってしまう。

 飲み会に誘ってみても、カラオケに誘ってみても、ぜんぶナシのつぶて。


「つきあい悪いよな」

「いわゆる、品行方正ってやつ?」

「それにしちゃ、やりすぎなんじゃ? サークルの親睦会にも出席しないんだぜ」


 仲間たちは、お互いに噂し合った。

 そう言われてみると、朝子は、少し変わっているようだった。

 夜が近づいてくると、そわそわしはじめる。


 定期的に、香水の匂いが強くなる。

 普段から長袖を着ている。

 夏、暑いときだろうと、肌は絶対に見せない。

 まるで隠れた恋人がいて、その注文に応じているようだった。


 あれだけの美人だったら、それも無理からぬ話である。

 並み居る男どもを蹴倒して、独身貴族を貫く朝子は、男たちからは羨望のまなざしで見られ、女たちからは嫉妬の目で見られていた。


「朝子って、ご先祖さまは華族さまだったらしいじゃないの」

 女たちは、ささやきあった。

「いまは大企業の一人娘。お金も地位もばっちりね」

「ああ、逆玉があるといいのになー」

 男たちは絶叫する。


「なによ。あたしたちじゃ、満足できないの?」

 女たちが腕を組むと、

「そりゃそうだよ。地位も名誉も美貌もある朝子と君たちでは、比べる対象にもなりゃしないさ」

 女たちは、歯ぎしりして悔しがった。




 そんなこんなでサークルの空気も悪くなっていき、朝子は嫌がらせを受けるようになった。

台本やダイナーズクラブカードの入った財布を盗まれたり、高級な自転車を盗まれたり、ひどいのになると舞台の上での食事に、ガラスが混じっていたりした。



 さすがに監督役のサークル代表も眉をひそめて、

「こんなことが続くようなら、朝子さんには出ていってもらわなきゃな」

 と言い出した。

 朝子の相手役をすることの多いぼくは、断固としてそれに反対した。


「悪いのは、嫌がらせをした連中だろ? なんで朝子さんが追い出されるんだよ?」

「だけど、実際問題として、うちの会になじもうとしていないのは事実じゃないか。もっと普段から、親しめるような態度をとってくれよ」


 代表は、うんざりしたように言った。

 そこでぼくは、ひとり学食でランチを食べている朝子さんに近づき、

「今回のこと、ひどいよね」

 と水を向けてみた。


 朝子さんは、ちょっと寂しい笑顔を見せた。

「しょうがないわ、だってわたくしは、ほかのひととは違いますもの」

「きみの、そういう態度はよくないと思うよ」


 ぼくは、ハッキリ言ってやった。すると朝子さんは、軽く目を見開いて、

「―――あなたも、ほかのひとと違うみたいですね」

 と、言ってくれた。

 ぼくはうれしくなった。これを機会に、お近づきになろうと思い、


「あした、小さな舞台小屋でシェークスピアの『十二夜』をやるらしいんだ。見に行かないか」


 と、誘ったら、朝子さんはさっと顔色を変えた。

「十二夜……」

 なにがそんなに気になるのだろう。そわそわが激しくなっている。


「確かに、何が言いたいのかよくわからない作品らしいんだけど。きみも女優を目指してるなら、勉強になるよ。シェークスピアは、きらいかい?」

「いいえ……。夜でなければ行けるわ……」


「夜の7時だよ。是非来てくれ。これをきっかけに、夜への恐怖症を克服して、みんなにもなじんでいこうよ」

 ぼくが必死で口説いたおかげなのかどうか。

 朝子さんは、とうとう、チケットを受け取ってくれた。

ぼくは有頂天になって、明日が来るのを待った。




 その日の夜6時半。

 小屋の前でぼくは待っていた。

 今にも降りそうな曇り空、星すら見えることもない。

 

 いまのぼくの心境と似てるな……。


 朝子さんに、振られちゃったのかもしれない。

 ぼくと彼女じゃ、身分も住む世界もちがうのかもしれない。

 だけど、チケットは受け取ってくれた。

 来てくれる。

 きっと、来てくれる。




 すると、小屋に続く細い道に、すらりとした美女が駆けてきていた。

 朝子さんだ。

 髪を振り乱して、いつもとは雰囲気が違う。

 むうっと香水が、鼻をついた。


「ごめんなさい。でも、もうムリみたい」

 近づくなり朝子さんは、ぼくにチケットを押しつけた。

「どうして? 急な用事でもできたの?」



 ぼくが問い返すと、重くたれこめていた夜の雲がすうっと晴れた。

 煌々と、満月が照りわたる。

 朝子さんは、返事もせずに、目の前に広がる満月を見上げた。


 その直後。


 朝子さんが、《《変化した》》。

 筋肉が盛り上がり、ギラギラと輝く金色の眸。

 野獣のような吠え声、両手の長い爪。彼女はそれでワンピースを引き裂いた。

 露出した肌には獣毛が生えて、美しかったその顔は、オオカミのの冷酷で凶暴な顔になったのだ。

 小屋に来ていた観客が、悲鳴を上げた。


 夜に彼女が出歩けないわけを、ぼくは初めて気づいたが、ときすでに遅すぎた。

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― 新着の感想 ―
[一言] 逆に私は昼間出たくありません。 特に今の季節は! 夜出歩けないのは辛そうです。
2021/07/21 21:28 退会済み
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