温かく、醜く、冷たく
まだ幼い頃、母に買ってもらったマフラー。嬉しくて、肌に触れる温もりは優しくて。
「温かいでしょ?」
そう言って、母は僕を抱きしめてくれた。人の肌を伝う熱が安心するものだと、初めて知った。
あの日もらったマフラーは、今はどこにあるのだろう。
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「んっ…… 」
白い肌に頬ずりをする。くすぐったそうに声を漏らす、それはとても可愛らしく婀娜やかで、彼女の魅惑的な外見をより引き立てる。
彼女と唇を重ねる。 キスと言えば聞こえはいいが、こんなものは粘液の交換だ。 他人の粘液を求めるなど普通じゃない。 しかし重ねるたび、求めるたびに。本能が理性を追い越していく。
彼女の指の間に、僕の指が絡まる。離さぬように、このまま二人の手が一つになれればと願うように。強く、強く握る。
触れる全てが柔らかく、温かい。安心する、孤独を打ち消してくれる。愛おしい、とはこれほどまでに依存性のあるものなのか。そう思うほど、危険で優しい感情だ。
「…… っあ」
どこまでも婀娜やかに、彼女の表情に熱が増していく。意思のある生物の性行為に、欲望は常につきまとう。 触れる肌に、彼女の熱が上がるのを感じる。
温かい、いやむしろ熱い。優しい温もりではなく、情熱的な欲求。
彼女の顔に手で触れる。…… 先ほどの可愛らしさは消え失せ、官能的で、欲にまみれた表情になっている。快感を求める、どこまでも人間らしい表情。
女性特有の温もり、僕の好きな温もり。今はそれが、ただの雌としての熱としか感じない。
高まる熱に触れる僕の心は、そこで冷めたことに気づいた。
♦︎
夏の暑さを忘れさせるために、空からは雨が降っている。
あの日失くしたマフラーは、今はどこにあるのだろう。 母と一緒に、燃えて消え去ったのだろうか。優しかった母親。女手一つで僕を育ててくれた、大切な母。どこまでも優しく、美しく、温かかった。
だから、取り戻したかった。 あの日、知らない男の前で雌の表情を現した母に、戻ってほしかった。 買ってもらったマフラーをあげれば、温かさを取り戻してくれると信じた。
でも…… かつて母だった人は、僕を捨てて雌としての道を選んだ。
「…… 心はどこに行くのかな」
空から降る雨を見つめて、一人つぶやく。 僕が求めるのは心の温かさ。触れるだけで、安心して泣き出しそうになるくらいの、大切なもの。不安を紛らわせるために吸い込む白い煙は、ほんの数秒で見えなくなる。あの日、母から抜け出した温かい心は。今もまだ、どこかを彷徨っているんだろうか。
「…… また、探さないと」
雌となった彼女にもう温もりはない。ただ、雄を求める本能だけが残った。意味が分からない、そう言って出て行った。理解してほしいとは思わない。彼女も、母やマフラーみたいに温かさと安心を与え続けてはくれなかった。次の温もりを、探さないと。そうしないと、寒くて…… 寂しい。
「…… はぁ。 いやぁ、雨強いですねぇ!」
「…… そうですね」
パシャパシャと音を当て、雨宿りをしている僕の横に一人の女性が現れた。 スーツ姿のその人は、濡れた髪やスーツをハンカチで拭いている。
「突然だったんでびっくりしましたよ!」
「…… そうですね」
「大丈夫です? 具合、悪いです?」
…… しつこさを感じさせない、優しい声。雨の日に似合わない、明るい振る舞い。
「…… 寒い」
母を失ったあの日から。ずっと、寒くて仕方ない。
「え⁉︎ それは大変です! 私、家近いので良かったら雨宿りしてってください! 風邪でもひいたら私が申し訳なくなるんで!」
そう言って、その人の手が僕の頬に触れる。…… 雨に濡れて冷たい手が、どこか温かさを持っている。
あなたなら、あなただったら。
「大丈夫です?」
僕の心を、温め続けてくれますか?
終