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カボチャ女の夜の冒険  作者: 茅葺
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古い方のジャック

(入るときにきちんと閉めなかったのかしら……)

 首をひねってみてもその瞬間の記憶が鮮明にならない。咲季はそのあとも釈然としないまま過ごし、食後二時間ほどしてようやく帰宅のために腰を上げた。

「気を付けて帰るんだよ」

 伯父はほろ酔い加減で上機嫌だ。

「うん、また明日来るね」


 食器と鍋類を片付け、ゴミを始末して流しもピカピカに拭きあげた。玄関まで見送りに来てくれた伯父に何度も念を押して戸締りをさせ、自転車を押してレンガ積みの門柱を抜ける。


 大学に隣接したこの界隈は、入り組んだ昔ながらの住宅街だ。明るいうちに通ったときには辻々の電柱に最新式のLEDライトが取り付けられていたが、どうもどこかで道を間違えたような気がした。街灯の光が次第にまばらになり、たまについているものも黄色い白熱電球が多くなってきたのだ。


「こんな道、あったかしら……」


 晩秋の夜空は薄く曇り、湿気があるのか辺りには靄が立ち込めてきている。靄でぼんやり煙ったその路地を、灯りをともしてパタパタと走り去っていく影が見えた。はっとして前方の闇を見透かすが、もう何も見えない。


 耐震基準などどこかへ置いてきたような、古めかしく危なっかしいコンクリート製の高塀や、丁寧に刈り込まれたツゲの生垣などで区切られて、この裏通りはひどく見通しが悪いのだ。行く手に現れる曲がり角や脇道に、同じような低い位置を動いていく灯りと足音が何度も現れては消える。


――Trick or Treat!


 そんな声も聞こえるが、そろそろ時刻は二十時を回ろうとしている。いくらハロウィンの夜といっても子供が出歩くには少し遅いのではないか? そして、ここまで歩いた体感の距離からすれば、いくらなんでももういい加減、大学からずっと東側にある大通りに突きあたるはずでは?

 

 どこかでパトカーらしきサイレンの音が聞こえ、咲季はぶるっと身を震わせた。

「やだ……何か事件かしら……」


 ――美矢(みちか)ー! 何処へ行ったの、みちかぁーッ?


 遠くから聞こえてくる、若い母親の取り乱した叫びが耳を打つ。咲季はぎょっとして立ち止まった。何かが、おかしい。尋常ではないことが起きつつある、そんな感じがしたのだ。

 それにしても、かしらかしらと呆けたように疑問形ばかり羅列する自分の間抜けさがいささか腹立たしい。


(うん。キミさ、そろそろ状況を把握すべきだと思うよ)


 不意にすぐそばでそんな声が聞こえた。同時に、首筋にはモゾっとした感触――小さな、本当に小さなほとんど重さのない手が、指を広げて彼女のうなじをくすぐったような、そんな感覚があった。


「ひ……!?」

 思わず小さな悲鳴とともに息を飲み込む。するとその手は彼女の頭のてっぺんへ移動し、少し大きくなって重さを増した。何かほとんど人間サイズの物が頭の上、斜め前方へと飛び出した気配があり、次の瞬間、目の前に()()が姿を現した。


 自転車の前かごに取り付けたLEDランプの、せわしなく点滅する白色光の中に浮かび上がったのは、オレンジ色に近い黄色とつやのある黒でだんだらに彩られた、咲季自身よりわずかに小柄な少女だった。

 

 完熟カボチャの皮のような色のベレー帽の下には、癖の強いウルフシャギーの黒髪が化粧っ気のない頬とやや三白眼気味の大きな目を囲むようにひろがっていた。

 上半身は黒レザーのビスチェの上からオレンジ色のベルベット製ボレロを引っかけ、腰回りにはカニの足のような付属品が何本か突き出し巨大に膨らんだ、黒いカボチャパンツ。

 黒とオレンジのボーダー柄で統一された二―ハイソックスとアームカバーもさることながら、何より特徴的なのは――漫画に描かれたチェシャ猫のように半月形に笑み開かれた口元と、そこに並んだ虎バサミ罠のようなギザギザの大きな白い歯。


 そんなブッ飛んだ特徴にもかかわらず、その少女の顔は魅力的で愛嬌があった。


「……だれなの、アンタ」

 身構える咲季に、少女は上半身を捻ってあさっての方角を向き――つまり咲季に横顔の整ったEラインを見せつけながら――名告った。


「ボクかい? ……そうだねえ、『ララ国丸』とでも呼んでもらおうかな」


 ら ら く に ま る ? 


 咲季の首の後ろで産毛がちりりと逆立つ。サボり気味で単位はギリギリ、実用には程遠いが、彼女の選択外国語の一つはフランス語だ。


 発音は全然違うが、もし「l'Araignee-Mal」とでも綴るのならば、それはおおむね「蜘蛛の悪」――すなわち蜘蛛の姿をした悪魔、悪鬼とでもいったものを意味するのではなかったか?


 瞬間、伯父の家で見かけたあの小さな黒い蜘蛛めいた影と、それが這いだしてきた古書が脳裏をよぎった。

「アンタ、まさかさっきの……」

 咲季がそういいかけると、男のような喋り方をするその奇妙な少女は驚いたように顔の前で手を叩き、こちらをはやし立てた。


「ご明察! さっきキミがご親戚と引っ張りっこしたのは『エッジワース写本』と呼ばれる魔導書でね。ボクは長い間あの本に挟み込まれて封じられていたんだよ。キミたちのおかげで久しぶりに出ることができた。だからお礼を言おうと思ってついてきたんだけどね……キミ、このままじゃあ家には帰りつけないよ。分かってるかな?」


「どういうこと!?」

 

 語気を鋭くする咲季に、ララ国丸は大きな目をわずかに細め、周囲の靄がかった暗闇を指さした。


「このあたりの街路はもう、あっちとつながっちゃってるんだよ。結界化してる、と言ってどのくらい通じるかわからないけど。さっきの家でボクのほかに何か、変なものを見たんじゃないかな? これはあいつの仕業なのさ」


 そういわれて思いつくのは一つしかなかった。台所に一瞬現れて消えた――


「薄汚い緑と紫のまっずそうな根っこだよ――ルタバガっていう野菜なんだけど」

「……見たわ」


 やっぱりね、とつぶやいて蜘蛛少女がうなずく。

「あいつはボクと一緒にあの本に閉じ込められてたんだけどね。今夜はハロウィン……まずいときに外に出てきてしまったもんさ。あいつは、古い方の提灯ジャックジャック・ザ・エルダーは、今どきのハロウィンとすべてのカボチャに対して怒ってるんだよ」


「意味がわからないわよ」


「意味がわからなくても、状況からは逃げられないんだよね」

 ララ国丸はそういった。


「ほら」


 何かが咲季の横を小走りに駆け抜けるのが感じられた。視線で追ったその正体に咲季はぞっとした。ボロ布の塊のような、背の低い生き物が三体がかりで、小さな男の子を担いで走っていくのだ。


「見ただろ? あっちから出てきた性質のよくない霊が、この世界から子供のきれいな魂を持って帰ろうとしてる。ジャックのやつが暴れまわってるから、あいつらはその後ろを追っかけていくのさ。何とかしないとキミもこのまま狭間に落ち込んじゃうね」


「よ、よくわからないけど、流石にあれは追っかけなきゃ!」

 咲季は自転車にまたがった。乗れ、とも言わないのにララ国丸が自転車の前かごに腰から下を折りたたむようにして突っ込んでくる。

「ちょっ……!」

「とりあえず漕いで! なかなかの行動力だ、実にイイね!」


 ララ国丸の言うことは、半分くらいも理解できない。だが、咲季にはこの少女の超然とした態度が気に入らなかった。


「それだけ煽ってくれるってことは、私がどうすればいいか、具体策があるのよね?」


「あるとも。長く閉じ込められすぎてたせいでボクの力は少々足りないんだけど、キミの手伝いをしよう。というかはっきり言えば頼みたいんだ。あいつに一発食らわせて、正気に戻してやって欲しいのさ」


 蜘蛛の魔物は両手から銀色の糸をたなびかせながら、奇妙なしぐさで腕を振り回した。糸の塊は風に吹かれたように咲季の身体に巻き付き、次第に何かの形を作り上げていく。

「ちょっと、何これ! 何なのこれ!」

 言いながらもペダルを漕ぐ足は停めない。ライトの光が届くかろうじてギリギリの範囲を、まださっきのボロぎれめいた影が走っているのが見えるのだ。


「魔法だよ……うん、魔法さ。ほかに呼びようはないね」


 咲季のスパッツは今や、ララ国丸の穿いているものと同様の、ただし色違いの黄色いカボチャパンツになっていた。緩やかな着心地と通気性。自転車は羽が生えたように地上から浮き上がり、1メートルほどの高さに滞空している。


 カボチャパンツから供給される不思議なスタミナに突き動かされて走るうち、咲季はいつの間にか自分の頭も、近年おなじみのハロウィンの仮装よろしくくりぬかれたカボチャ提灯の内側にあることに気づいていた。


「カボチャ!? あのルタバガとか言うのがカボチャに怒ってるんなら、私がこんな格好じゃ逆効果なんじゃないの!?」

「ランタンの問題は、ランタン同士でけりをつけるしかないんだよ」


 前かごの縁から膝から先を突き出し、ソファーに身を沈めたようなふんぞり返った格好でララ国丸がそう言った。


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