第八話
ラルフが消えた王の間には、王とアスラン、リリアが残された。
「アスラン、少し席を外してくれないか」
王の言葉にアスランは、今にも泣きそうな顔で自分のことを見上げているリリアをしばらく見た後、リリアの頭をそっと撫でて王の間を後にした。
リリアは初めて父と対面した。
いや、父と対面することは何度かあったのかもしれないが、リリアの記憶には無かった。
王もまた、娘をこんなに長く見つめた事はなかった。
いつの間にか大きくなった娘を目の前にして、長年の後悔が涙になってあらわれた。
「父様?」
リリアは、急に涙を流し始めた王に驚き、王のもとへ歩み寄った。
「父様、ラルフと何を約束したの?
どうしてそんなに悲しい顔をしているの?」
「違う……。違うのだ、リリア」
王は膝をつき、リリアをぎゅっと抱きしめた。
「リリア、本当に済まなかった。
私は今まで、お前のことを見ようともしなかった。
王妃に似ているお前を見るのが辛かったのだ」
「私……、母様に似ているの?」
「ああ。とても良く似ている」
王は改めてリリアの顔を見た。
額の傷は薄くなってはいるが、まだ残っている。
あの日、何故、額から血を流す娘に駆け寄り、抱きしめてやれなかったのだろうか……。
王は自分の手で娘を傷つけてしまったことが怖かった。
その時の罪悪感は今でも消えない。
王はリリアの額の傷跡を撫でながら、
「リリア。今まで父親らしいことを何もしてやれなくて、本当に済まなかった。
お前には国民から祝福を受け、皆から愛される王妃になってほしい。
だからラルフに、私の命と引きかえにこの国に雨を降らせてもらう約束をした」
と、説明した。
「そんな……」
リリアの顔が曇ってゆく。
「リリア、そんな顔をするな。
この国の災いは全て私が持ってゆく」
「でも、ラルフは私と結婚すると言っていた。
私がラルフと結婚すれば、父様は死ななくていいのでしょ?」
「リリア。ラルフは言葉巧みに人の心を揺さぶって、人を破滅させていく悪魔だ。
私は始めから覚悟を決めていたから、これで良い。
だが、大切な娘を悪魔に渡すわけにはいかない」
「嫌。父様が死ぬなんて嫌!
母様も兄様も、皆、私を置いて行ってしまう。
父様まで私を置いて行かないで……」
リリアは大粒の涙を流し、ぎゅっと王の腕を掴んだ。
「心配するな。アスランがお前を守ってくれる」
王はリリアの涙を手で拭い、再びアスランを王の間に呼んだ。
「アスラン、リリアを部屋まで連れて行ってくれ」
アスランは泣きじゃくるリリアを抱き上げ、王の間を出た。
昔からリリアの側にはアスランがいた。
リリアに何かあればアスランが 飛んできて、
「おいで、リリア。もう大丈夫だよ」
と、リリアを部屋まで連れていく。
昔はリリアを背負っていたが、逞しくなったアスランは、いつの間にかリリアを軽々と抱き上げるようになっていた。
そしてリリアに、いろんな話をした。
アスランは王の代わりに他国を訪問することが多かったので、花が咲き乱れる国や、一年中雪が降る国、珍しい動物がいる国など、リリアの知らない世界を教えてくれた。
リリアはその世界に引き込まれ、いつの間にか笑顔になっていた。
「私もその国へ行ってみたい」
リリアが目を輝かせると、アスランは少し困った顔をして、
「リリアがもう少し大きくなったら一緒に行こう」
と、リリアの頭を撫でた。
リリアはアスランがいつも側で守ってくれていたことを知っていた。
これからもずっと大事にしてくれることも知っている。
次期国王になるはずだったリリアの兄が死んでから、リリアはアスランと結婚をし、この国を守っていかなければならないと教えられてきたし、それが当たり前だと思っていた。
しかし、ラルフがこの国へ来てからの数日間、リリアの心は揺れ動いていた。
「アスランは、父様がラルフと約束をしていた事を知っていたの?」
「……ああ。知っていた。
王も俺もリリアの幸せを一番に考えている」
「父様の命を犠牲して、幸せになれるはずがない」
当然アスランも、王の代わりに自分の命を差し出す事を考えていた。
この国を救うことができるのならば、自分の命など惜しくはない。
しかし、幼いリリアが一人で生きていくには、まだまだ過酷といえる環境に、リリア一人を残していきたくはなかった。
「リリア。俺は小さい頃、お前を守ってやれなかったことをずっと後悔してきた」
アスランは、ポロポロと流れるリリアの涙を拭い、額の傷をそっと撫でた。
「リリア。俺はお前の側でずっとお前を守りたい。
必ずお前を幸せにする。……だから結婚してほしい」
「……!」
アスランは、突然の言葉に驚くリリアをぎゅっと抱きしめ、リリアの返事を待たず部屋から出ていった。