第二話
小柄な男は、手にした木の棒で見たこともない大きな模様を地面に描き始めた。
もう何年も雨の降らない乾いた地面が粉塵をあげる。
城の中にいた者たちも立ちこめる粉塵に気付き、わらわらと城の外へ出てきた。
男は模様を描きあげると汗を拭い、鞄の中から小瓶と分厚い本を取り出した。
男は手にした本をバラバラとめくり、呪文のようなものを唱えながら小瓶の中の液体を描いた模様の中心めがけて振りかけた。
その瞬間、粉塵とは別の真っ白い煙が地面から吹き上がった。
『……!』
見ていた者たちは煙たさと眩しさに思わず目を覆ったが、しだいに煙の中から現れるものに釘付けになった。
煙の中から現れたのは、黄金に輝く長い髪をなびかせた美しい男だった。
美しい男は小柄な男を見るなり、
「久しぶりだな。今度は何の用だ?」
と、口を開いた。
小柄な男は体の埃を払いをし、
「この国に雨を降らせて欲しい」
と、言いながら、本や木の棒を鞄の中に入れ、
「王様、これで私の役目は終わりです。
後はこの男と契約を交わしてください」
と、王に一礼し、そそくさと帰ってしまった。
あまりに早い展開に、見ていた者全てが呆然としていたが、美しい男は気にも止めない様子で辺りを見回し、
「良いだろう」
と、言った。
「……本当に雨を降らせる事が出来るのか?」
我に返ったアスランが目の前の美しい男に聞くと、美しい男は小さく笑った。
「造作もないことだ。
但し、国中に雨を降らせるとなると、それ相応の対価が必要だ。例えば国王の命と引き換えに……」
「な……!」
「アスラン、待て!」
構えるアスランを王が諌めた。
王は目をつむって一呼吸置き、静かに
「よかろう」
と、答えた。
この話は王とアスラン、目の前の美しい男にしか聞こえていなかったが、突然現れた見たこともない美しい男に辺りはざわめいている。
王は辺りを見回し、
「ここで話すのも何だ。二人とも城の中に入れ」
と、ゆっくり城の中へ足を進めた。
アスランと美しい男も黙って王に続いた。
王が玉座につくとアスランは王を護るように側に付き、美しい男は対面するように立った。
いつでも刃を向けられるように構えているアスランに対し、美しい男は腕組みをしたまま涼しい顔をしている。
「アスラン、落ち着け」
王はアスランの緊張を和らげるように声をかけた。
「アスラン……。
私はこの国にとって、もう必要のない人間だ」
王は静かに語り始めた。
「最愛の妻を亡くし、跡取りとして育ててきたはずの息子までも亡くした。
私にはもう何もない。
生きていても仕方のない人間だ。
私一人の命でこの国が立ち直るのであれば、喜んで悪魔に命を捧げよう」
「王よ。リリアがいるのです。
あんなに小さな子を独りにするつもりですか?
リリアは今でも国民たちから『災厄の王女』と呼ばれ、忌み嫌われているのに」
「だからアスラン。後はお前に国を任せる。
どうかリリアを……、リリアを幸せにしてやって欲しい」
アスランは返す言葉を失った。
王の命令は、今まで絶対だった。
それにリリアだけはどうしても自分の手で守りたかった。
二人の会話を黙って聞いていた美しい男は、
「これで決まりだな。
まぁ、雨が降ったところで、この国が簡単に立ち直るとは思えないが」
と、鼻で笑い、
「この城で一番見晴らしの良い場所へ案内してくれ」
と、言いながら、王の間から出て行った。
アスランの案内で、美しい男は城の中で一番見晴らしの良いバルコニーに立った。
このバルコニーは、亡くなった女王が一番好きだった場所だ。
今は渇れ果て、崩れかけた大きな噴水も見える。
美しい男が目を閉じ、すっと手をあげると、遠くの空から大きな水竜が現れた。
水竜が大空を駆け巡ると、通った後に厚い雲が湧き立ち、やがて雨雲となって乾いた土を濡らした。
水竜の美しさ、数年ぶりの恵みの雨に、城にいた者達は外へ飛び出し、歓喜の声をあげて体で雨を受け止めた。
水竜はやがてぐるりと体の向きを変え、彼方へ飛んでいった。
水竜は国中を回っているのだろう。
歓喜の声は城の外からも聞こえてくるようだった。
「うわぁ。すごい!」
美しい男が空を見上げていると、背後から声がした。
美しい男が振り返ると、いつの間にか少女が後ろに立っていた。
少女は、砂漠のようなこの国には似つかわしくないほど肌が白く、額に大きな傷あとがあった。
「私はリリア。アナタは誰?」
「……ラルフ」
美しい男は面倒臭さそうに答えて、また空を見上げた。
リリアはラルフの態度を全く気にしていない様子で質問を続ける。
「あんなに大きな竜を出して雨を降らせるなんて、ラルフは神様なの?」
ラルフは苦笑した。
「神など、気まぐれにしか願いを叶えないだろう。
俺は契約した者、全ての願いを叶える」
リリアはラルフの言っている意味がよく分からなかったのか、
「神様でなかったら、ラルフは悪魔?
でも変ね……。本で見た悪魔はみんな真っ黒なのに。
……あ、そうか!
本を書いた人は悪魔を見たことがないのね」
と、勝手に話を進めた。
「お前は悪魔が怖くないのか?」
「うん。絵本に描かれている悪魔は怖そうだけど、ラルフみたいな悪魔なら全然怖くない」
あまりにも無邪気なリリアに、思わずラルフが笑ってしまった時、
「姫様!
部屋の外へ出てはいけないと言われているでしょう。
さあ、早く部屋に戻りましょう」
と、慌てた様子の女がリリアの腕を掴んだ。
リリアは女に引っ張られながら振り向き、
「ラルフ、また後で」
と、手を振った。
「リリアは幼い頃からなるべく外に出さないようにしている」
外の様子を見に出てきたアスランがラルフに向かって話し始めた。
「リリアは『災いを呼ぶ王女』として、国民たちから嫌われている」
アスランが話を続けたが、ラルフは何も言わず、また面倒臭そうに空を見上げた。