第十六話
夜会の日が来た。
眠らない悪魔たちが快楽を求め、ラルフの屋敷に集まってくる。
リリアは部屋の窓から外を見た。
暗闇に、屋敷の敷地に入る馬車の、ぼんやりとした明かりが行列になっていて、とても幻想的だ。
「リリア、準備はいいか?」
正装したハイドが部屋の扉をノックした。
「ハイド……。大人っぽい」
「ハハ。今さら? リリアも綺麗だよ」
ハイドはリリアの胸元にピンク色のコサージュを付けた。
「ラルフは今回のホストだから、既に招待客をもてなしている。
リリアのお披露目は夜会の最後だから、それまでは俺と一緒に居よう」
ハイドはリリアと手をつなぎ、会場に向かった。
会場はとても広く、きらびやかだった。
リリアは、屋敷の中にこんなにも広いホールがあったとは、想像もしていなかった。
着飾った悪魔たちが、好きな場所で好きなことをして遊んでいる。
そんな中、リリアは悪魔たちの注目の的だった。
「この娘が噂の人間か?」
「ラルフが連れてきた人間って、この子?
この世界に連れて来てどうするの?」
あとどれくらい『人間』という言葉を聞くのだろう……。
ハイドがあしらってくれるので、悪魔たちの質問に答える必要はなかったが、それでもリリアは最後まで居られるか不安だった。
社交的なハイドは人気者のようで、男からも女からも声を掛けられる。
「ハイド! この間の約束、すっぽかしたわね」
「ごめん。今度埋め合わせするよ」
「ハイド、カードゲームやろうぜ」
「ああ。
今日は女神が付いているから勝たせてもらう」
ハイドはリリアの肩をぎゅっと引き寄せた。
「……!」
ハイドの何気ない行動が、いつもリリアをドキドキさせる。
「リリア。
今からカードゲームを始めるから、隣で見ていて」
そう言われてリリアは、二人がけのソファーのハイドの隣に座った。
リリアはカードゲームのルールが全く分からかったので、ハイドの様子を、ただ見ていた。
ハイドは瓶入りの酒を飲むたび、テンションが高くなっていく。
『このゲーム、あと何回で終わるのだろう……』
そんなことを考えていたリリアは、背後に冷たい視線を感じた。
リリアがそっと後ろを振り向くと、正装姿のビンセントが壁際に立って、窓の外を見ながらワインを飲んでいた。
ビンセントも相当人気があるようで、女たちがビンセントの回りを囲んでいた。
「ビンセント。夜会に参加するなんて珍しいわね。
私たちと一緒に飲みましょう?」
「いや。遠慮する」
ビンセントの返事は、相変わらずそっけなかった。
リリアはビンセントに気づかれないよう、また前を向いた。
ハイドはすっかり酒に酔い、カードゲームを止めて男同士で話し始めていた。
そこに、先程までビンセントを誘っていた女たちが現れた。
「ハイド。久しぶりね」
「よぉ」
「人間の彼女。男同士の話ばかりでつまらなそうにしているわよ?
お嬢さん、良かったら向こうで女同士で話さない?」
「いや。今日は俺がリリアをエスコートするから」
「あら。そんなに酔っぱらって、どうやってエスコートするつもり?
それより女同士で話す方が楽しいはずよ。ね? お嬢さん」
女たちは微笑みを浮かべてリリアを見た。
「駄目だ。リリアは俺と一緒に居るよな?」
ハイドがリリアの肩に手を回した。
ハイドは完全に酔っているようだ。
「……。私、行ってくる」
リリアは、この世界にも女友達が欲しかった。
ハイドは何とも思っていないかもしれないが、ハイドの何気ない仕草や行動に、リリアは毎回ドキドキしなければならない。
「ハイド、お姫様を借りるわね」
「……分かった。
リリア。俺はここで待っているからな」
女たちがクスクスと笑いながらリリアに手招きをすると、ハイドはソファーでぐったりしたまま、リリアに手を振った。
リリアは女達に連れられて、隣の部屋に入った。
一人が部屋の扉を閉めると、リリアの回りを女たちが囲んだ。
「アンタ、人間のくせに何でこの世界に来たの?」
「ラルフが連れて来るっていうから、どんな女かと思えば……。
ただのガキじゃない」
「場違いなのよ!」
一人が赤いワインをリリアの頭にかけた。
透き通った水色のドレスが、みるみる紫色に染まっていく。
それを見て、女たちが声をあげて笑う。
『こんな姿……。ラルフやハイドに見られたくはない』
リリアは俯いたまま、時が過ぎ去るのを待った。
「黙っていないで何とか言いなさいよ!」
カラフルな生クリームで彩られたカップケーキがリリアに向かって投げつけられる。
「人間の世界へ帰れ!」
リリアはビンセントの言葉を思い出し、この世界が自分のいるべき場所ではないことを思い知った。
「リリア。帰るぞ」
男の声が聞こえたと同時に、女たちの笑い声が止まった。
リリアが顔を上げると、扉の前にビンセントが立っていた。
リリアは、ビンセントが初めて自分のことを名前で呼んだことに驚いた。
「やだ。冗談よ? ビンセント。
少しふざけていただけだから」
一人がビンセントに駆け寄ろうとした時、ビンセントの黒い瞳がみるみる赤くなっていった。
「ヒッ……!」
女たちは恐怖に震え、顔をこわばらせた。
「子どもは寝る時間だ。お前達も早く帰れ」
そう言ってビンセントはリリアの手を掴み、部屋を出た。
部屋から出ると、ビンセントは掴んでいたリリアの手をパッと離し、長く続く廊下をスタスタと歩いた。
リリアは俯いたまま、黙ってビンセントの後に付いていった。
「言っただろう。ここはお前のいる世界ではない」
ビンセントは振り向きもせず、リリアに言った。
「……ごめんなさい」
リリアは今にも消えてしまいそうな声で言った。
その声にビンセントは立ち止まり、振り返った。
「……ごめんなさい」
リリアがもう一度言うと、ビンセントは大きなため息をついた。
「言い過ぎた。別にお前が悪いわけではない」
ビンセントは再びリリアの手を掴み、長く続く屋敷の廊下を黙って歩いた。
リリアの部屋に着くと、あんなにうるさかった音楽や笑い声が消え、まるで別世界にいるようだった。
「着替えを用意しておくから、シャワーを浴びて来い」
ビンセントが、ワインやカップケーキで汚れたドレスを脱がし、リリアに真っ白なタオルを渡した。
リリアは小さく頷いてバスルームに向かった。
鏡に映った自分の姿があまりにも酷くて、自分でも笑ってしまいそうになるのに、ビンセントは一度も笑わなかった。
リリアはシャワーで全身を洗い流した。
「うっ……、ううっ……」
リリアはバスルームで声を押し殺して泣いた。
自分の涙が止まるまで、バスルームにこもった。
こんなに長い時間泣くのは初めてかもしれない。
温かいシャワーは、汚れと一緒にリリアの涙を流してくれた。
少しだけスッキリしたリリアがバスルームから出ると、ビンセントがリリアのベッドに腰を下ろしていた。
「着替えだ」
リリアはビンセントが用意した、何の飾りもない真っ白いワンピースに着替えた。
「リリア。こっちに来い」
リリアはドキッとし、恐る恐るビンセントに近付いた。
「ここに座れ」
リリアがビンセントの隣に座ると、ビンセントはリリアの髪をタオルでガシガシと乾かし始めた。
「人間は脆いから、すぐ風邪をひく」
髪を乾かし終えると、ビンセントは温かいお茶を淹れ、リリアに手渡した。
「飲め。ぐっすり眠れる」
ビンセントから渡されたお茶はピンクに近い薄紫色で、甘い花の香りがした。
リリアがお茶を飲み干すと、ビンセントはリリアに布団をかけ、ベッドの近くにあった椅子に座り、黙って本を読み始めた。
リリアは隣にビンセントがいることに緊張したが、次第にまぶたが重くなり、いつの間にか眠ってしまった。