第十五話
翌朝リリアが目を覚ますと、また目の前にハイドの顔があった。
「ハイド!」
「やあ、おはよう。リリアは毎回驚くんだな」
ハイドが面白そうに笑う。
「ハイド、いつからそこにいたの?」
「さあ? 急にリリアの寝顔が見たくなった時からかな?
そんなことよりドレスが出来上がったから着てみて」
ハイドはリリアの返事を待たず、起きたばかりのリリアの手を引いた。
リリアもハイドのせっかちな性格にはすっかり慣れてしまったようで、文句も言わず付いて行った。
「ここだよ」
ハイドが部屋の扉を開くと、明るい日差しのもとで水色に輝くドレスがトルソーにかけられていた。
「綺麗……」
何年も雨の降らない砂漠のような国で育ったリリアは、日差しを遮るために、厚い布で作られた服ばかりを着ていたので、透き通った布で作られたドレスを見るのは初めてだった。
リリアはドレスに施された装飾を一つ一つ、じっくり見ながらため息をもらした。
「妖精みたい……」
「リリア、早く着てみて」
ハイドはメイドらしき二人の女性を呼び、
「リリアの着替えを手伝って」
と、指示した。
「よ……、よろしくお願いします」
リリアは少し緊張しながら、二人のメイドに挨拶したが、メイドは返事もせず、無表情のままトルソーにかかったドレスを取った。
「ああ、リリア。
言い忘れていたけれど、この屋敷にいる俺やラルフ、ビンセント以外は全て人形で出来ているから言葉を話さない」
「人形?」
「そう。だから話しかけても無駄だ」
「何だか寂しいね……」
「寂しい?」
リリアはマイカに髪を結ってもらっていた頃のことを思い出した。
毎朝髪を結ってもらいながら、マイカといろんな話をした。
大抵はアスランのことで、二人はよく笑った。
「この二人に名前はあるの?」
「名前なんか無い」
「じゃあ、私が名前を付けてもいい?」
「別に構わないけれど……。
リリアって変わっているよな」
「そうかな」
「うん。変わっている。
でも、そんなリリアが好きだ」
ハイドはリリアをぎゅっと抱きしめた。
「……!」
突然抱きしめられたリリアは、驚きで体が固まってしまった。
リリアからすれば、ハイドの方がよっぽど変わっているように思える。
「さぁ、早く着替えてよ」
ハイドは部屋のソファーに腰を下ろした。
「あ……、あの、ハイド。
着替える時は席を外してくれないかな……」
「何で? 俺は気にしないよ?」
「私は気にするの」
「ふーん……。
なら部屋の外で待っているから、着替えが終わったら呼んで。
ついでに髪も結ってもらうといい」
そう言ってハイドは一旦部屋から退出した。
リリアは二人の人形に手伝ってもらいながら、ドレスに腕を通した。
「ええと……。あなたの名前はローズで、あなたはバイオレットがいいかな……」
リリアは本で知った花の名前を挙げてみたが、どちらも同じ顔をして同じ服を着ているので、全く見分けがつかなかった。
それに、この屋敷には他にも名前のない人形が沢山存在しているのだろう。
「いつか皆に名前を付けてあげるから待っていて」
リリアが呟くと、無表情な人形たちは何も言わず、鏡台の前に置かれた椅子に座るよう、リリアを促した。
人形がリリアの髪を優しくとかす。
目を閉じると、マイカにとかしてもらっているようで、つい最近のことなのに、とても懐かしく感じた。
「リリア、まだ?」
扉の向こうでハイドの声がすると、人形たちはスッと部屋の奥へ消えていった。
「いいよ」
リリアが答えると、ハイドとラルフ、ビンセントが入ってきた。
ハイドしかいないと思っていたリリアは、ラルフとビンセントがいることに驚いた。
着飾った姿を誰かに見せることが初めてのリリアは、緊張して棒立ちになってしまった。
「ハハ。固まっている。リリア、少し回って見せてよ」
ハイドが笑う。
ビンセントはハイドに無理矢理連れて来られたようで、全く興味無さそうに違う方向を向いていた。
「な? このドレス、リリアに似合っているだろう?」
ハイドが満足げにラルフの方を見ると、
「ああ」
と、ラルフがリリアを見て微笑んだ。
リリアは恥ずかしさのあまり耳まで真っ赤になって俯いた。
ラルフはリリアの頭を撫で、
「ドレスを脱いだら、二人でお茶にしないか?」
と、聞いてきた。
「う……、うん」
リリアが俯いたままうなずくと、
「先に庭で準備しているから、着替えたらおいで」
と言って、ハイドと一緒に部屋を出た。
ラルフとハイドが退出したあと、ビンセントが立ち止まってリリアの方を見た。
リリアが緊張して固まっていると、ビンセントは
「改めて言っておく。この世界に人間の居場所は無い。
今度の夜会も参加するな」
と、言い残して部屋から出ていった。
ビンセントは何故こんなにも自分のことを嫌っているのだろう……。
リリアの目から涙がこぼれた。
再び現れた二体の人形は、リリアからこぼれ落ちる涙をハンカチで拭った。
人形に感情は無い。
きっとドレスが汚れてしまうから、涙を拭いたのだろう。
リリアは涙を止め、ドレスを脱いでラルフの待つ庭へ向かった。
庭はあまりにも広く、背の高い木々が生い茂っているので、ラルフを探すのは容易では無かった。
途中、甘い香りが漂ってきたので、香りを頼りにリリアは進んだ。
「ラルフ、どこ?」
「リリア、こっちだ」
茂みを抜けると、既にセッティングが整ったテーブルでラルフが待っていた。
リリアが椅子に座ると、ラルフはティーポットから温かいお茶を淹れ、リリアの前に置いた。
この世界に来てラルフと二人きりになるのは初めてだ。
いつもならリリアがラルフを質問攻めにするけれど、今はそんな気分にならなかった。
しばらく二人の間に沈黙が続いた。
「この世界に少しは慣れたか?」
「うん……」
ラルフが先に口を開くと、リリアは嘘をついた。
ラルフはリリアの嘘に気付いていたが、何も言わなかった。
リリアはラルフに聞きたかったことを、お茶と一緒に飲み込んだ。
リリアは、相当な覚悟でこの世界に来ると決めた日の事を思い出した。
甘い香りと柔らかな風が優しくリリアを包み込み、まるでリリアの事を応援してくれているように思えた。