第49話 スミシア
第49話 スミシア
スミシアの町は高さが四メートルもある城壁に周囲をぐるりと守られた巨大な都市だった。
城壁と言ってもただの壁ではなく、幅が三メートルもあるもので、石と漆喰を混ぜて作った、つまりコンクリートのような素材で作られた物で。城壁の上を駆け回れるようになっている上、内部は柱に支えられた空洞になっている。
各所に銃眼が作られているが、壁の厚みが五〇センチはあるために矢をいかけるにしても効果範囲は狭いだろう。
むしろ外を確認するためののぞき穴かもしれない。
これならば…と、マリオンは考える。
例えば今までに出会ったような魔物が襲ってきたと仮定して、
(大蜥蜴、肉食大猪なら問題なく防げるな…あいつ等がどう頑張ってもこの城壁は崩れないだろうな…)
そう思える。
(空の魔物はどうなんだろう?)
素朴な疑問だが飛行型の魔獣が都市部を襲うということはあまりない。
都市は結界石に守られていて、城壁の内側は結界の影響下にある。
飛行魔獣もあまり近寄りたくはないのだ。
結界を無視できるような強大な魔獣というのはそもそも個体数が少なく、めったにいるモノではない。
一応の備えとして城壁のところどころに櫓が作られているし、町の結界石の上には対空用の塔が立っている。空に対する守りというのはこのぐらいしかやりようがなく、都市の防衛に対する備えというのはやはり陸上中心にならざるを得ないらしい。
町の門は大きく、重厚で金属でできた二重の門が脇に設置された機械で開閉できるようになっている。
現在は出入りがある時間ということなのだろう、門は解放されていてそこを人や馬車が…今は出入りしていない。
なのでマリオン達は待たされることなく門まで進み、門の脇に立っている衛兵の『とーまあ―――れーーー!』という少し芝居がかった、韻をふんだ声にあわせて獣車を停止させた。
この衛兵の格好がまた、マリオンを驚かせた。
ドーラやゾラの衛兵はいかにも武装した人間がたっているというだけと言った風情で、冒険者と呼ばれる人達とあまり変わらない格好をしていた。
特徴と言えば武装が統一されていて、少しお金がかかっているというくらい。
だがこの門のところに立っている衛兵は一言で言うと『軍人』とか、あるいは『警官』という印象があった。
その印象を決定づけているのが『制服』だろう。
スラックスタイプのズボンに革の編み上げハーフブーツ。
上着はのど元まである裾の長いもので、手を突っ込める位置にタッグ付きの大きなポケット。背中と胸と腰の脇には装甲版が付いていているが地球で見かけるジャンパーのように見える。
装甲ジャンパーだ。
全員が左に同一規格の剣をつるし、長い棍棒を持っいる。
頭には先のとんがった金属製のヘルメットをかぶり、飾り紐で顎をとめ、胸と肩にも飾り紐で作られた階級章が付けられている。
今まで見た衛士に比べると一気に組織としてのレベルがアップしたように見える。
次いで衛士に身分証の提示を求められたマリオン達はそれぞれに身分証を提示する。
イストは自分で、マリオンは『冒険者証』と教会からもらった『中権使のメダル』を。
ティファリーゼはマリオンの所有物扱いだし、アルビスは子供なのマリオンが保護者ということで身分証はない。
ユーリアはマリオンのパーティーに正式加入したということになるのでマリオンの後。マリオンから『うちのパーテイーのメンバーです』と紹介があった後になる。
まずイストを対応していた衛士が声を上げだ。
「これは失礼しました。貴族さまでしたか…イスト・カーティカイネン子爵さま、どうぞお通り下さい」
「はにゃ?」
意外な台詞だったのでマリオンは変な声を上げてしまった。
貴族さまという言葉が引っかかった。
とてもそうは見えない…という意味で…
「いや、ははっ、まあそういうわけでの」
イストは照れくさそうに頭をかいている。
確かに身なりは立派だったし、侯爵家に仕えていると言っていたから平民ではないと思っていたマリオンだったが、まさか貴族とは思わなかった。
まあ貴族というものもほとんど会ったことがないんだが、気さくな爺さんという印象はあまりそういった隔たりを感じさせなかった。
以前にあったことのある貴族というとドーラで偉い人に挨拶をしたことがあるだけでだ。
あのときは一方的にほめられるだけという状況だったのだが、あの御仁いかにも貴族という人物だった。
(してみると…貴族はやはり貴族らしいのかいいな…)
この二人を比べてマリオンはそう思う。
そうでないといろいろ困るのだ。マリオンはそう気が付いた。
例えば不敬罪とか、侮辱罪とか、気に入らないからやっちゃおうぜーとか…そんなものに引っかかると困るのだ。
この世界は身分制度が確立している。
日本では不敬罪などありはしない。
まあそれでも政治家などにいきなりつかみかかったら捕まるのだが、こういった封建社会の身分制度というのはそれとは随分ちがう。
たとえば普通に町を買い物していたら肩がぶつかった。
だから気をつけろ馬鹿野郎とか言ったら相手がお忍びの貴族様。不敬罪で捕まって極刑になったりとか…可能性はあるのだ。
漫画やアニメなどで貴族が威張っていたりすると『何こいつ』などと思ったりした過去もここでは笑い話。
町をお忍びで歩いている御貴族さまが気さくだったりすると『うわーいい人』なんて思ったのはとんでもない話。
そこら辺を歩いている人がひょっとしたら貴族かもしれないなどと言うことになったら平民は怖くて道も歩けないのだ。
肩がぶつかっただけで一族郎党捕まって奴隷落ちなど悪夢以外の何物でもない。
だから貴族は良い服を着て、いかにも貴族ですという態で、護衛やお供などを引き連れて歩くのが万民に対する親切というものなのだと今は思う。
ユーリア達妖精族は身分に頓着しない種族なので礼節を守ればあまりうるさいことは言われないということになっているらしい。
かなり能力の特化した種族なのでそれぞれの分野で敬意が払われているということがある。
この世界では鍛冶師であれ薬師であれ専門的な職人というのは実力なりに社会的な地位が高い。
おまけに生来の口べたも手伝って、あまり恐縮しているようには見えなかった。
だがティファリーゼのほうはきっちりした身分制度の中で育った娘さんだ。
明らかに緊張してマリオンの背中に隠れている。
「なになに気にするまい。貴族といえども戦士の姿で野にある限りは一介の冒険者、礼儀も作法も必要ないぞ、まして命の恩人にそんなことを言ったら神々に申し開きがたたん。トゥドラにぼてくりこかされてしまうわい」
そう言ってもらえると助かるのである。
だがこれは、何もイストか特別という訳ではなく暗黙のルールというやつでもある。
この国の貴族は民の見本として率先して魔物と戦うことが求められる。そういうお国柄だ。
ノブリスオブリージュではないけれどここでは普通にそういう思想が定着している。
だから冒険者の中には貴族が混じっていることは結構あることだし、冒険者というのは実力が上がると良い装備を持つものなので見た目で区別するのは難しくなる。
だから冒険者として活動している場合は貴族という身分よりも同じ冒険者という意識が前にきて一種無礼講のような状態なる。
ただ目上の存在であることには変わりがないわけで、仲間であり、目上でもあるという状況の中で、その人にどういう態度で接するか、それは個人の品性の問題だと考えられる。
調子に乗るようなバカはやはり出世はできないということだろう。
(とすればここの身分制度は結構うまく機能しているのかもしれないな…)
マリオンはそんな感心をしながらうんうん頷いた。
そんなときにマリオンの身分証を堪忍していた衛士が爆弾を投下した。
「こけは失礼しました。中権使殿したか…御身もチェックは必要ありません。お通り下さい」
「?」
良く話からなかった。マリオンの頭に疑問符が浮かぶ。
そして爆弾が着弾した。
「何じゃ、おぬし、士族身分だったのか?」
(士族身分? 確か貴族と平民の間…叙勲を受けた正騎士のこと…で確か準貴族扱い…)
「うえぇぇぇ?」
イストの言葉の意味がしみてからマリオンは変な悲鳴を上げた。
◆・◆・◆
寝耳に水とはまさにこのことだった。
「旦那様…いつの間にかご出世なさって…」
ティファリーゼが目尻の涙をぬぐっている。
「さもありなん」
どういう納得の仕方をしたのかユーリアも頷いていた。
アルビスも…この場合…まあいいだろう。
マリオンは自分の頭の上をカラスが飛んでいるような気分になった。もちろん『アホー』とか鳴いている。
「何じゃ知らんかったのか…トゥドラらしいのお」
イストは何かひどく懐かしいものを見たように嬉しそうにほほえんだ。
イストの解説によればこの『中権使』という身分は士族待遇を約束するものなのだそうだ。
教会の聖職者は見習いを過ぎて一人前、別の言い方をすると平聖職者のなるとこの士族身分相当の礼遇が約束される。
これはあくまでも礼遇であり、なにがしかの権力がある訳ではない。
振るえる権力らしきものというと貴族に面会を申し込む正統な権利があること。そして町の出入りなどがフリーパスになること程度だ。
これは教会の立場や仕事の内容に関わることで、例えば医療行為をする人間が相手が貴族だからと言って遠慮していては話にならない。
もしくは聖職者として権力機構から外れたところにいる教会関係者が貴族相手にひるんでいてはいけない訳だ。
なので一人前になった聖職者は士族身分の人間に対しては『タメ口』を聞いて良いと慣例として定まっている。
聖職者としての位階があがり『高』の称号が付くようになるとこれは当然貴族と同等の礼遇を約束される。
その中でやはりミソになるのは『実質的な権力がない』と言う点だろう。
貴族は聖職者に平伏を要求する権利はない。
逆に聖職者も誰に対しても平伏を要求したりはできない。
誰に対しても対等の存在として振る舞える。その保障が『○○と同等の礼遇』と言う形でこの世界に根付いている訳だ。
そしてこの『中権使』の称号は一般的な聖職者と同等に三王神教会に貢献したものに与えられるもので、聖職者と同じ扱いを教会から受け、翻って一般社会からもそういう扱いを受けることになる。
(してみると?)
一通りの話を聞いてマリオンは考えた。そして上からパァァァッっと光が振ってきたような気分になった。
(これってひょっとしてものすごく良いもんじゃね?)
日本で生まれ育ったマリオンには礼儀作法の知識など無い。
貴族に会ったとき平伏すべきなのか、それともきっちり腰を折るべきなのか。あるいは跪くべきなのか、それすら分からないのだ。
だがこの『中権使』の称号は騎士や役人に対しては対等の存在として振る舞えることを保障してくれているし、貴族に対しても無礼にならない程度の礼節を守れば取りあえずきつくとがめられるようなことはないという立場をくれる。
もちろん宮廷などではそうもいかないだろうが、そんなところはいかなければいいのである。
つまりマリオンがマリオンの常識の範囲内で行動することを『是』としてくれるシステム。それが中権使!
マリオンはこれを用意してくれたドーラの教会の人達に心からの感謝を捧げた。
そして『そんなら教えてくれればいいのに』てなことを考えてちょっとむっとした。
まあ悪気があったとも思われないし、士族待遇が『中権使は士族待遇である』『マリオンは中権使である』よって『マリオンは士族待遇である』という三段論法の結果出てくるものなので説明しにくいものではあったろう。
「まっ、いろいろ便利になったと考えよう」
マリオンのまた短絡することにした。
だからといって何かが変わる訳でもない。
ティファリーゼは元々旦那様一筋だったし、今回の一件でもすごいですねーと喜んでいる。
アルビスは勿論そんなことは気にしない。
ユーリアは…多分少しだけ感心してくれている様に見えた。
やはり自分の所属するパーティーリーダーの出世は嬉しいのだろう。とマリオンは考える。
イストは元々無礼講にするつもりではあったのだが、やはり平民が貴族相手に無礼講などと言ってもなかなか気楽にはできないことは知っているのでマリオンが士族身分であることは、気楽という意味で喜ばしいことのようだった。
◆・◆・◆
その後マリオン達はイストの案内で宿屋に向かった。
今日、宿泊する宿屋なのだが助けてもらったお礼にぜひおごらせてくれ。と言われたのだ。
日本人としては少々遠慮したい気分はあったが、それでも懐かしいトゥドラの話などが聞けるだろうと思うと惹かれるものがある。
なので恐縮しながらもその申し出を受けることにした。
本来であれば、まずユーリアの住み込んでいる工房に向かい。彼女の無事を知らせるべきなのだろうが、これは当のユーリアに反対されてしまったために後回しになった。
「ここから工房までは二時間はかかる。今からいくと日が暮れる…」
と言うのがその理由だ。
このスミシアという町はかなり大きな町だった。
東西に延びる全長五kmという町で現在地が一番東の東門のそば。鍛冶士の工房が集まっている当たりは西よりの区画になる。
町中を数キロ進むというのやはりそのくらいの時間はかかるだろう。
スミシアの北には鋼の迷宮と呼ばれる迷宮があり、この迷宮ではその名の通り鉄をはじめとした金属素材がたくさん取れる。
クラナディア帝国で使われる金属類のおよそ半分がこの迷宮から産出する。
迷宮から金属が産出するというのか今一つよくわからないのだが、とにかく鉄を始めとして、金、銀、クロムやチタンなどの馴染みの深い金属から、さらに魔鋼や真銀などの不思議金属までいろいろな金属が取れるらしい。
勿論一番多く取れるのは普通の鉄となる。
それ故にこの町で暮らす人はそれらをとってくる冒険者とそれらを精製する製鉄、製銀の事業に携わる人達。そしてそれを加工する鍛冶士などの職人や工場などで働く人。
そしてそれらの人を相手にした商売の人達とで成り立っている。
現在マリオンがいる東エリアはクラナディア帝国各地に向けた玄関口であり、金属製品や優秀な武器を求める人達がクラナディア帝国中から、場合によっては国外からもやってきて、買い物をする商業区画になる。
当然装備屋の他に宿屋なども多く、裕福なものが集まるために一番豪華なエリアでもある。
マリオン達が目指している宿屋もそんな場所にある。
この区画を西に進むとそこは冒険者区画と呼ばれるエリアだ。
この区画の城壁は『鋼の迷宮』に直接接していて、そこに大きな門が作られている。
迷宮の門と呼ばれる大門だ。
冒険者達はその門から迷宮に挑み、戦果を競う。
この区画は冒険者ギルドと関連施設。冒険者、冒険者を相手にしたいろいろな商売で成り立つ区画だ。
その西側に広がるのが工業区画になる。
製鉄のための巨大な溶鉱炉や、特殊の金属を精製する小型の炉。それらを使う鍛冶士などの加工技能者が入り乱れた一番大きな区画で、言ってみればこの町の心臓部に当たる。
植木鉢を逆さまにしたような巨大な溶鉱炉施設が遠目からも見て取れ、スミシアのシンボルにもなっている。
ここでは毎日大量の金属が精製されている。
鉄を中心としてクロムを混ぜた『ステンレス』や、炭素を混ぜだ『鋼鉄』などが毎日大量に精製されている。
そしてイストのお目当てである『真銀』もこの区画で精製されている金属だ。
さらにユーリアの住み込んでいる。いや、住み込んでいた工房もこの区画の中にある。
確かに二、三時間はかかりそうだった。
作り出されたインゴットを使い職人達が腕を競って良い武器、良い防具を作り出し、それのみならず鍋、包丁などを作る工場。自走車などの部品などを作る工場もあり。
ここは間違いなく一大工業都市なのだ。
「しっかしこれは…まさに大都会だな…」
「はい…」
始めてここに来るマリオン、ティファリーゼ、は町の偉容にあっけにとられてしまった。
町は綺麗な石造り、地面は獣車用の道も人の歩く歩道も石で舗装されている。
鋼鉄と思しき金属板で補強されている部分もあり、町その物の経済力の差だろうか、どっしりとしたおそらくブロンズの柱の上に魔力燈が設置され、等間隔で並んでいる。
この町は石と鉄の町なのだ。
ここは大通りだが建物には透明板をはめ込んだものが多く見られ、ドーラなどより一段進んでいるという印象があった。
「まあここはクラナディア帝国建国時から帝国の中心の一つだしの、なんと言っても皇帝陛下の直轄地じゃ…貴族に差配が任されている貴族領や今現在開拓をしている最中の南方領域とではやはり違うじゃろ」
確かにそういうものかもしれない。
ドーラも悪くはない感じだったが、ここを見るとやはり皇帝と一伯爵との格の違いのようなものがあるのだろう。
そして目の前に現れた宿屋? ホテル? 旅館…老舗旅館も結構すごいものだった。
「ほれここじゃ、オオエド風というやつでの…なかなかわびさびがあって良いものじゃよ」
(異世界人に詫寂を説かれるとは思わなかった)
マリオンは。
それは大きな敷地に二階建てほどの建屋が『く』の字型に二列に設置されたもので、建屋と建屋を渡り廊下で繋ぎ、開いている敷地は庭園として整備された、たしかに日本風の高級老舗旅館という印象の宿屋だった。
建屋が見事な大理石造りなのだが、デザインの所為かあまり違和感がなくしっとりと落ち着いて雰囲気を持っている。
たとえば日本式の美を知る人が大理石を素材にそれを作ったような…
「すごーい、きれー」
「始めて入ったけど…感動」
「なんか逃げたくなって来た…」
二人は大いに感動を味わった。
マリオンは少々たじろいだ。
「旦那様、夢のようです、こんなすてきなところに泊まれるなんて…」
「噂には聞いていたけど…こんなにすごいとは思わなかった」
どうやらこの二人の感激は留まるところを知らないらしい。
「イストさん。いいんですか? こんなとこ」
「なに、かまわんよ、儂が定宿にしているところじゃ、大したもんじゃない」
イストは曇りのない笑顔でそう答える。
腐っても鯛と言う言葉が頭をよぎった。
(いやいや、腐ってもは失礼か…さすがに貴族…庶民とは感覚がちがう)
普段一日三〇〇リヨンとかで暮らしている庶民と、何千万リヨンという金額を動かしている貴族とでは当然金銭感覚が違うということだ。
国家の運営に関してイストはその予算を気にしなくてはならない立場ではあるが、日常生活においては使用金額に枷をはめるような暮らしはしていないのだろう。
おごるとは言ったものの、それがいくらになるのかとか、そういうことは全く気にする気配がない。
おそらくイストが受け取っている歳費からするとここの超高級と言って支障のない宿屋の宿泊費も意に介す必要のないものなのだ。
「取りあえず五日分部屋をチャージしておいたからの、その間はここを自由に使ってくれ」
「あー…ありがとう…ございます…イストさん、今更ですが…ここって一般のの冒険者が泊まれるような宿屋ですか?」
マリオンは格式が高すぎてたじろがずにいられない。
イストはにっこり笑った。
「心配はいらんよ。ここは高級な宿屋で、貴族も使うが商人も冒険者も利用する。
あまり格式ばってはおらんし、一般的な礼儀をわきまえていればあまりトラブルにはならん」
実はそれが一番不安だったりする。
「わずかばかりだがおぬしらを見ていてあまり心配は知らんとワシは思うよ。
まあ泊るのに会員の紹介が必要だが、そこはほれ、わしが推薦したということでの」
(それって一見さんお断りっていうんじゃ…)
マリオンは内心冷や汗を流した。
少なくともそんな上品な人間でない自信はある。
宿屋に認められると会員のような扱いになり、その会員の紹介がなければ止まれない宿。
いきなりぽっときて、紹介もなしに泊まることは貴族でもできない。
まあ伝統ある貴族ならこういう宿の紹介状の取得に困るようなことはないという現状はあるのだが、どちらにせよとんでもない宿屋である。
おまけに…
「どうするね、マリオン君、この宿屋は働いている娘たちも皆美しいことで有名なのだが…」
「はひゃ?」
つづくイストの質問にマリオンは変な声を上げた。ちょっと意味が解らなかったのだ。
だがわからなかったのはマリオンとアルビスだけでティファリーゼもユーリアもその意味が分かったらしい。
マリオン自身馴染めないこともあり失念しているのだが、この世界の宿屋というモノは娼婦の斡旋も普通にやっている。
それはこの高級宿屋でも変わらない。
いや、それどころか高級宿屋であるからこそ、この宿屋は男たちのあこがれの桃源郷なのだ。
マリオンが脇に眼を向けると、立ち働いている女性たちはとても美しい娘が多かった。
スレンダーな娘もいればちょっとぽっちゃりした娘さんもいて、更にいろいろな人種の女性が立ち働いている。
ひょっとしたら彼女たちもそうなのかもしれない。
だがあまりこういう話はありがたくない。
ティファリーゼとユーリアのほっぺがちょっと膨れているように見えるのは気のせいではないだろう。
別に彼女たちはマリオンの恋人というわけではないので、文句を言われるのも筋違いのような気もするのだが、面白くなければ膨れるのが女心。ここは空気を読まないといけない所だ。
焼きもちを焼かれるなど男冥利というのである。
「い、いえ、こちらは子供づれですし、必要ありません」
「ほう、なるほど…確かにこれは無理だの」
マリオンの言葉にイストは深く納得した。
「それではお部屋にご案内いたします」
前に立って歩き出した女中さんに連れられてマリオン達は廊下を進む。廊下から見える庭園は日本風で、水と岩と木を組み合わせた繊細なもので、一般市民だったマリオンにとっては馴染みのあったものでは無いけれど、何か琴線に触れるものがある。
「ここ…本当に落ち着くな…」
マリオンはぽつりとこぼした。
この宿屋の名を『御大陣』という。
御大尽かい!
◆・◆・◆
室内。
御大陣の建物は石造りだったが、室内は畳だった。
気になって知覚を強化し透視して見たが、石の上に簀の子を引いて風通しを確保し、その上にたたみが敷いてあった。
二部屋構成で手前が洋風でローテーブルとソファーが四人分。奥が和風でベットはなく、人数分の布団が運び込まれている。
和室も洋室も一〇畳ぐらいある。
ここはマリオン達の部屋でイストはいつも使っている部屋を割り当てられていた。
「イスト様がお食事をご一緒にと言うことでございますので、食事の時間になりましたらお呼びにあがります。それまでおくつろぎ下さい。
大浴場はすでに使える時間ですのでどうぞご利用下さい」
女中さんの言葉にマリオンはかろうじてありがとうと鷹揚に返す。
雰囲気に負けて直立不動で頭を下げそうになってしまうがそれは違う気がしたのだ。
女中さんは続けて部屋の鍵の扱いや、布団を敷くタイミングなどいくつかの説明をしてくれ、マリオンの気になっていたいくつかの質問にも笑って答えてくれた。
プロである。
しかし帰り際、マリオンの耳に口を寄せ『もしよかったら呼んでくださいねの』とささやかれたときにはちょっとぞくりとした。
睨んでいるのが二人ほどいるのでやめてほしいマリオンだった。
「まあ、とりあえず風呂だな」
「露骨に話題を変えよとしてません?」
まあその通りである。
だがマリオンにお風呂に入らないという選択肢はない。
それをわかっているユーリアは仕方がないとため息をついた。
「ここのお風呂は男湯と女湯に分かれてるんですよね…一緒に入れないのは残念です…ね?」
「あー…うんまあそうね」
マリオンは言葉を濁した。
「うっ……」
ユーリアはなぜか言葉に詰まった。ちょっと顔を赤らめているように見えるが若い娘さんの恥じらいだとマリオンは判断した。
こういう宿屋だと混浴とかありそうだがマナーとしてお風呂での不埒は禁止なのだそうだ。
ティファリーゼとユーリアを見送り、アルビスを抱えて風呂に行く。
風呂は自然石を利用した和風の物で、これも素晴らしいものだった。
能書きを見る限り、地下からくみ上げた天然温泉のようで美人の湯として有名なんだとか。
この温泉のおかげでこの宿屋は女性の利用客も存外多い。
マリオンにしてみればお風呂であり、温泉であるだけで十分ご褒美ある。
「おお、来たな」
「あっ、じいちゃんだ」
「結構すぐに来たつもりなんですけど、早いですねイストさん」
「当然じゃ、やはり一番は風呂じゃよ」
「まったく同感ですね」
いきなり駆け出そうとしたアルビスを救い上げ、足の先から少しずつかけ湯をして簡単に体を流す。
続いて自分も。
「おぬし、やっぱり北方の出身なのか?」
こういう質問が出るところを見るとやはり北の方の人間の感性は日本人に近いのかもしれない。
「いや、自分のルーツはよくわからんです。旅暮らしだったので…」
「とするとお前さんの親御さんがこっちの出身なのかもしれんな…」
もちろん大ウソにはなるのだが、ここは『そうかもしれません』と相槌をうつ。
そのあとマリオンはイストが話すトゥドラたちの冒険譚を聞きながら楽しい時間を過ごした。
ここまでゆっくりしたのは実に久しぶりだった。
ご心配をおかけしました。包帯が邪魔で執筆ができなくなっていたトヨムです。
何とか復帰できました。
執筆速度が遅くなっているために更新の予定が立たなくなっていますが準備ができ次第投稿していくつもりです。
よろしくお願いします。
ご意見ご感想などございましたら是非お寄せください。
トヨムは心待ちにしております。
それでは今日も読みに来てくださった皆さんに心からの感謝を。
トヨムでした。




