第37話 ユーリアの災難(修正)
2015年8月26日・お金の単位を修正・誤字修正
第37話 ユーリアの災難
ブラジャーの型抜きが終わり、マリオンが獣車の側に戻った時、ユーリアは既にティファリーゼの攻撃から立ち直り、革紐の作成の途中だった。
ほほが少し赤くなっているように見えるのは気のせいではないだろう。
白獣の革は毛皮であるため毛をそぎ落とす作業が必要となる。そういった仕事を地道に進めているユーリアところだった。
本来は特殊な加工をした太めの糸を使うのだそうだが、ここでは手に入らない。だが細く綺麗に整えられた紐は見事な物だった。
他にも道具があった方が効率が良いそうだが道具がなくても魔法でどうにかなるらしい。
「ユーリアさん、こっちを先にやってくれる?」
マリオンは型抜きの終ったブラジャーのパーツを渡した。
ティファリーゼが型をつくり、マリオンが裁断し、ユーリアの胸の形に合わせてカップ部分をブレスして形を整えたものだ。
型紙にはティファリーゼの立体裁断も駆使されている。
ティファリーゼが行ったり来たりして実際にユーリアのおっぱいに合わせ、修正をかけ、後は縫うだけで出来上がりという状態になっている。
「はい、ありがとうございます」
ユーリアの方もティファリーゼからあらかたの説明を受けているために、まずこちらを完成させるべきだと分かっていた。
これがあれば常に横から見えてしまうかもしれないおっぱいを気にしなくて済むようになる。
本人が一応隠せていると思っているだけで、実際はかなり目の保養になってしまっているのだが、そういう所は指摘してはいけないのである。
ユーリアは革でできたブラのパーツとティファリーゼが作った布のパーツを受け取るとその組み立てを始めた。
「ところでユーリアさん、もしよかったらなんであんなところで一人で遭難していたのか、話してくれないか?」
「はい」
ユーリアは皮に一つ一つ丁寧に紐を通し、縫い上げながら話し始めた。
「二〇日ほど前のこと。わたしがお世話になっている師匠の所に太陽王金のかけらが持ち込まれた。です」
それが始まりだった。
◆・◆・◆
「これを…」
そう言ってユーリアは自分の左手をさしのべた。その薬指には魔鋼でできた指輪がはまっている。
「これは?」
「触媒…です。地精結晶装甲の起点になります」
マリオンは一瞬首をかしげ、そしてユーリアの地精結晶装甲とこの魔鋼の指輪の性質がとても良く似ていることに気がついた。
「ひょっとして、ユーリアさんの鎧って…この魔鋼を、魔力が模倣してる?」
「!」
ユーリアは本当に驚いた。それはマリオンに装甲の性質を見抜かれたと言う事だからだ。
「陸妖精族の鎧は魔力を結晶化させた物…でも魔力を魔力のまま結晶化するのはとても難しい…です」
ただ魔力をまとっただけでは十分な装甲強度や耐熱性や耐寒性が確保できないらしい。おまけに無駄に魔力を消費する。
だから陸妖精族は見本となる物質を身につける。
つまり魔力に見本となった物質のフリをさせるわけだ。
そして見本となるのは何も魔鋼に限るわけではない。
土属性の魔力が模倣できる性質のもので、尚且つ装甲として役に立つだけの性能があればいい。
ある程度限定はされるのだが、別に真銀や質のいい結晶石などでもいいのだそうだ。
これは話を聞く限り絵を描くのに似ている。
まず基準となる小さな絵があると考える。
その小さな絵をたくさん集めて全体として大きな絵を作ると考えた場合、見本があるということは最初の一枚を写真で写すようなものだと考えればいい。
逆に見本がないという事は最初の小さな一枚を手書きで作るのに似ている。
この一枚が高性能であればあるほど、複雑であればあるほど手間もエネルギーもかかるし、一度でも絵を描いたことあれば分かるだろうが上手にかけるとは限らない。
こういう差が出るらしい。
まあ、最初の一枚が出来上がったあとはデーターをコピーするみたいに全体に広げることができるのでこちらの手間は変わらないのだが…
「うーん、つまり魔鋼の指輪を参考にすれば装甲は魔鋼のような性質を持ち、真銀を参考にすれば装甲は真銀に似た性能を持つということか…」
「はい」
だから触媒という言い方も間違いではない。
「ユーリアさんは魔鋼が好きなんですか?」
ティファリーゼだ。
ユーリアはティファリーゼの質問の意味を理解するのに少しかかった。
「いえ、魔鋼は最初の装備、ノームは成人すると長老から魔鋼の装身具を貰う…これが一番一般的だから…」
つまり手に入りやすくて一応合格点を出せる性能を持っているということだ。
魔鋼は武器などになると、かなり高価な物だが指輪に使う分量はわずか数グラム。
現実的に全員分を用意できるものとなるとどうしてもこれになるのだそうだ。
ノーム達は子供の頃からこういった練習をしながら育つ。最初は自分が踏みしめている土を触媒にしてこの地精結晶装甲の展開を練習するらしい。
ただの土と侮るなかれ、砂というのは鉄より固く、熱に強い物も珍しくない。
土の欠点は魔力に対する親和性が低いため、あまり高性能にならないということと、そのため繊細な動きには向いていないという点だ。
魔力との親和性が高い物ほど自分の皮膚のような、体のような感覚で使えるのだそうだ。
だが砂の鎧も、部分鎧のような物から練習を始める子供たちにはかえっていい練習素材だったりする。
そして成人した時に魔鋼の指輪なりペンダントなりを身に付けるようになる。
親や親族が世話役になってその村の長老から魔鋼の装身具を送られる。これは彼らの成人の儀式のようなものだ。
その後は修業をしながら、仕事をしながら、自分で手に入れたもっと良い物に切り替えていく。
よい触媒を持つことは陸妖精族にとって一つのステータスとなる。
「太陽王金は理想一つ…です」
と、ユーリアは言った。
「太陽王金か…ものすごい金属だという話だけは聞いたことがあるけど…」
「そう、武器に向いた金属は三つ、魔鋼。真銀、太陽王金。
太陽王金が最高峰」
魔力との親和性も高く、強靭でほとんど壊れることがない。
金属自体が高い永続性を持っていると言われる金属で、これで作られた武器や防具はほぼ『国宝』級の逸品だ。
新たにつくられるのは数年に一度と言われていて、もしオークションになど出されたら最低で五〇〇〇万リヨン(五億円)というものすごい額になる。
古代につくられた特殊な能力を持つものもあり、神剣だの神槍などと呼ばれるものになると実質値段などないも同然だ。
また魔導器を作る際の要となる部分に利用されることも多く、とにかく貴重なものだった。
当然ノームの使う触媒としても最適なもので、これを持てるノームはそれだけで一目置かれたりする。
ユーリアが修行する工房にこの太陽王金鉱石が持ち込まれたのだ。
◆・◆・◆
「ライナルトさん、ちょっと鑑定を頼みたい物があるんだがな…」
その男は工房の扉をくぐると開口一番そう言った。
ライナルトというのはこの工房の主で武器職人。ユーリアの叔父にあたる陸妖精族だ。
「おおっ、ジルトか、珍しいな武器商人のあんたが鑑定なんて…そんなに難しい武器なのか?」
入ってきた男、ジルトは武器商人だ。武器の鑑定は職人よりも手馴れているはずだった。
「いや、武器の鑑定じゃないんだ…これを見てくれ」
そう言ってジルトが出したのは握りこぶしの半分ほどの大きさの石だった。
ところどころに金色の物がちらちらと見える。
何の気なしにその石を手に取って眺め、そしてライナルトは目の色を変えた。
「これは…太陽王金の原石だ…」
「なっ、何だって?」
「ジルト…これをどこで見つけた?」
「いや…先日…アルダマ山脈を歩いているときに…偶然見つけたものなんだが…」
ジルトはうなった。
ジルトがそれを見つけたのが偶然ならば、それを鑑定しようと思ったのも偶然だった。
たまたま手に入れた石が何かの鉱石であるらしいというのは金属商品にかかわるジルトにはすぐにわかった。
だが専門家でないのも事実。それが何の鉱石なのか区別はつかない。
そして普通は何かの金属を含有する石っころなど拾ったとこで、鑑定しようなどとは思わないものだ。
鉱山を探しているというような特殊な事情でもない限り。
手にすっぽり収まる程度の石っころ、そこから何かとれるとしても大した量ではないだろうし、また精製にもものすごく手間がかかる。
例外は貴金属だろう。金やプラチナなどの貴金属であれば少しは金になるかもしれない。
ジルトはその鉱石をじっと見て、中に金のようなキラキラしたものを見出した。
「ひょっとしてこれが金なら少しは金になるかも…」
そう思ったのだ。
そして金の抽出程度なら、陸妖精族であるライナルトに頼めばやってくれる。
だからちょっと見てもらおうか…
そんな気軽な判断だった。
それが太陽王金…
「どのくらいあるかわかるか?」
どのくらい含有されているだろうか? そういう意味だ。
意気込むジルトにライナルトは首を振った。わかるわけがないのだ。
「だが、ちょっと待て」
ライナルトは作業場の方に移動するとジルトの見ている前でその鉱石をハンマーで殴って割ってみた。
ガチン、ガチンという衝撃の後、石いくつかのかけらに分かれて転がった。
「太陽王金というのはこんなハンマーでたたいたくらいで割れる様なものじゃない。含有量が多ければこの石は割れなかったはずなんだ」
ライナルトの説明を聞きながらジルトは頷いた。
その顔には幾ばくかの落胆が見える。それはつまり大したものではないと言われたようなものだったからだ。
この割れ方と断面の状態からして含有量は一〇パーセント未満か…この石が六〇グラムくらいあるから…三グラムから六グラムという所ではないかな…今の相場は確か三万リヨンと少しぐらいだ…」
大体三〇万円前後と考えていいだろう。
一グラム三〇万円…とんでもないレアメタルである。
少し細身の剣を作ったと考えて、剣一本に一㎏の太陽王金を使うとする。一グラムが三〇万円なら材料費だけで実に三億六〇〇〇万円。
これに太陽王金の精製費用が加わり、それを剣に打ちあげる手間賃が加わる。なるほど確かに最低一本五億くらいはするだろう。
「この石ころだけで、一八万リヨンくらいはするということか?」
ジルトの顔は期待に輝いていたが、ライナルトは首を振った。
「いやそれは無理だな、太陽王金の精製は手間がかかる。インゴットならそんなものだろうが鉱石ではな…四分の1くらいか」
もっともな話である。
「だがそれでも四万リヨンくらいにはなるんじゃないか? ライナルトさんあんたの所で精製はできないか?」
そう聞かれてライナルトは首を振った。
「さすがに無理だな…ここの貧弱な施設ではとてもとても…帝都の錬金術師がまとめて生成しているからギルドに買い取らせるのが一番いい。陸妖精族の村でも少量なら精製できるだろうが…まあ、この量では見合うような物じゃないぞ…」
それが現実だった。
すさまじく希少で、凄まじく手間がかかる。それが太陽王金なのだ。
「だが、鉱石自体を売るというのであれば話は別だぞ。おれに買い取れというなら八万リヨン出すがどうだ?」
「うーむ…結構な金額だが…」
ライナルトの言っていることは間違っていない。
精製にかかかるコストを考えればジルトは大赤字になるだろう。
だが鉱石を買い取るというのなら状況は変わる。
陸妖精族にとって太陽王金はお金でははかれない価値がある。
自分たちのためとなれば多少費用が掛かっても精製に踏み切るのに躊躇はない。
だがジルトは商人だ。赤字になると分かっていてそんなことは頼まない。
それにジルトの側から見ると、なぜライナルトは赤字になると分かっていてそんな大金で買い取るのか? ということになる。
たとえば『ひょっとして何かごまかされているのか』というような…
「いや、残念だが…ギルドに持っていってみるよ」
「そうか…」
その気配を感じたのかライナルトは苦笑しながら引き下がった。
そのあと、結局ジルトは石をギルドに持ち込んだがその鑑定結果は二万リヨンにしかならなかった。
金額がひどかったのでもう一度ライナルトのところに持ち込もうとして断ったジルトだったが、太陽王金も国が管理する希少物質のひとつ。
売らない自由はあるものの好きに売る自由は認められなかった。
どうしても必要な時に確実に確保するため、という名目で、所有者として登録を強制されてしまったのだ。
こうなるとギルドに売るか、売らずに持っているか、そのどちらかしかない。
ジルトは泣く泣くその石を二万リヨンで手放すことになってしまった。
つまり六万リヨンの丸損だ。
どうしても腹の虫が収まらなかったジルトは再びライナルトを訪ねた。
「なあ、ライナルトさん…俺はこれからもう一度あの鉱石を見つけた場所に行ってみようと思うんだ…どうだろう一緒に行ってみないか?
賃金は出せないが報酬は見つけた…いや、採取した鉱石の山分け…もし鉱山でも見つかったら権利の二割を譲るから…」
その申し出をライナルトは快諾した。
鉱山の権利というのはいかにも夢物語に過ぎるが、多少なりとも太陽王金が手に入ればいくつかの触媒を作れる。
太陽王金の触媒。それは陸妖精族にとって多少は無理をしてもいい栄光なのだから。
◆・◆・◆
その日ユーリアはライナルトに呼び出され『冒険』の準備をするように指示を受けた。
陸妖精族たちは若いころ修行の傍ら、自ら素材を集めるために冒険者として活動する者が少なくない。
ライナルトもご多聞に漏れず若いころはパワーファイターとしてそれなりに活躍したらしい。
しかも今回は魔物の少ないアルダマ山脈での鉱石さがし、自分がついていけば若いものを参加させても危険はないとユーリアたちの参加を決めたのだ。
参加メンバーはユーリアの他にライナルト。ライナルトの長男になるトーニ。長女のイリアの計四人。現在の工房のメンバーだ。
四人はライナルトの指導の下ぱっぱと支度を済ませるとジルトと合流してアルダマ山脈に向かった。
ジルトの方は荷物持ちなど自分の商売上の部下五人とジルト自身の六人組。行商をしているメンバーなので誰もそれなりに腕に自信のある人間ばかりだ。
旅は順調に始まった。
途中何度が魔物と戦闘になったがこのあたりに生息む魔物は大した強さは持っていない。
ユーリアたちも戦闘訓練は積んできている。問題なく敵を倒し山脈のふもとにたどり着く。
すぐに山道に踏み入り、一日が過ぎ二日が過ぎ、三日が過ぎたころから雲行きが怪しくなってきた。
先導するジルトに、事あるごとに立ち止まって道を確認するようなしぐさが増えてきたのだ。
四日が過ぎ、五日が過ぎると同じところを行ったり来たりするようになり、明らかに目的地を失っていることが見てとれた。
「どうしたジルト…わからんのか?」
「い、いや、そんなことはない…このあたりで間違いないはずなんだ…もう少し、もう少し探せば…」
語るに落ちるとはこのことだろう。
自分で分からないことを認めてしまっている。
これ以上下手に動くのは危険と判断したライナルトはその場に腰を落ち着けジルトを問い詰めた。
ジルトがこの鉱石を見つけたのは偶然というよりもたまたまだったのだ。
「あの日儂は腹を壊していてな…道を歩いているときに突然もよおしてしまい、藪の中に分け入ったのだ」
こういう環境なので用を足すといっても大概は青空の下だ。だがさすがに下痢の状態でそこらへんにというのは憚られた。
そこで道を逸れて草や木をかき分けてしばらく行った先に見つけた小さな広場で用を足したのだが、その時にこの鉱石を見つけたということだった。
何となくいやである。
いや、ほんとに何となく…
「あの日から数えて四日ぐらいでふもとに出たから逆算すると間違いなくこのあたりのはずなのだ…」
はずなのだといわれても困るのである。
話をまとめるとジルトは南側で金属製の武器を売り、山道を通って戻ってきた。あと数日という所でお腹を壊し、山の中に踏み入って石を拾った。
そこから北側の麓までは四日だったから大体このあたりが石のあった場所…
ということなのだ。
無謀にもほどがある。
大自然の中というのは人間の眼から見ればどこも同じように見えるものだ。
何か目印のような物を見つけたとしても、よほど目立つものでない限りあっという間に自然に、そして記憶に埋もれてしまうに違いない。
つまり最初から無理なのだ。記憶に頼ってたまたま見つけた場所にもう一度…などというのは…
「探索はここまでにするべきだ。これ以上は道に迷う危険がある」
ライナルトは決断を下した。
「いや待ってくれ、ライナルトさん、ここまで来てそれはない…あと少し、あと少しで見つかるんだ」
何の根拠もない話なのだがこういうことはよくある。
あともう一回やればうまくいくはずだ。あと一回、あと一回……そうして結局ダメということはよくあるのだ。
ライナルトは太陽王金が見つかればいいなという程度で冒険に参加した。他の目的としては子供たちに冒険を経験させるという意味合いもある。
だがジルトは太陽王金で大儲けを夢見てしまった。
もし小さいものでも鉱脈が見つかれば地球でいう所の億万長者。ここでいえば王侯貴族に肩を並べることもできる『成功』となるはずだった。
あきらめきれなかったのだろう。彼は必死に食い下がった。
「分かった、だがあと一日だけだ。それでだめならいったん町に帰る。この手の探索はもっとしっかり準備をしてからでないと危ない。出直すべきだ」
「分かった。それでいい」
根負けしたライナルトの提案をジルトは飲んだ。
諦めるのでなく一時撤退するだけ、そういう論法はまだしも受け入れやすいものだったのだ。
ジルトにしてもどこかで踏ん切りをつける必要があるのは分かっていた。だが思い切れなかったのだ。
それにライナルの提案はもっとしっかりした準備を整えて探索を試みればひょっとして…という希望をジルトに抱かせた。
正規の街道から腹下しが這う這うの体で進んだところにある広場。対して奥まってはいないだろう。確かに街道周辺をしらみつぶしにすれば発見できる可能性はある。
だからあと一日やってだめなら…というのは踏ん切りをつけるための儀式のようなものだった。
だがそれが間違いだった。
次の日、見通しのいい広い場所に出たときに、それはやって来た。
◆・◆・◆
その日は朝から好天だった。
木々の隙間から見上げるために全体は見渡せなかったが頭上には青空が広がっていた。
なのにどこかでドーンとか、ガラガラいう音が遠く響いていた。
ユーリアたちは少し開けた場所に出て周囲を見回した。だが何もない。
「へんだな…これと言って天気が崩れるような様子はないが…」
雲はのんびりと流れ、風はサワサワと穏やかだった。
「こんな日にカミナリなんて…」
もちろんカミナリでなどありはしないのだ。
!!!
それは衝撃だった。ズバン! でもあり、ビシッ! でもあり、ドカン!でもある。聴覚を圧倒する轟音。
その瞬間ユーリア達は皆、一度に弾き飛ばされて、巻き上げられるように地面を転がって、何人かは周囲の樹木に叩き付けられた。
もし地精結晶装甲がなかったらユーリアも大けがをしていたかもしれない。
「何事だ!」
一番先に立ち直ったのはこの中で一番経験豊富なライナルトだった。身を起こし、周囲を確認しようとした。
彼のそばには娘のイリアが倒れていた。幸い大した怪我はしていない。偶然同じ方に弾かれたらしい。
次に見えたのはジルトの部下、地面に倒れて動かない…どこかにぶつかりでもしたのだろうか…
そして衝撃の元と思われける方向に目を向けて…固まった。
そこには今まで見たことのない魔物いた。
しかも人間をその大きな口に易々とくわえて…
ジルトの部下だった。
あまりのことにライナルトも反応できずにいた。他の者に至っては最初に転がされた衝撃からまだ立ち直っていない。
次の瞬間絶叫が響いた。
突然動き出した魔物が人間を一人、口に加えたまま、そばに倒れていたジルトに突進し、その太った身体に大きな鉤爪を食い込ませた。
「ぐぎゃーっ」
深々と胴を穿つ数十cmはある大きな爪。握りしめられた指は胴を圧する。口から大量の血が吹き出し、どう見ても致命傷だった。
咥えられた一人目もその反動で足がちぎれ落ちた。だがこちらは既に反応がない。
魔物の被害の絶えないこの世界においても、実際に魔物が人間を引き裂き食い殺すところを見る人間は限られている。
普通に暮らしていればそんなものとは縁がないものだ。
ユーリアも初めて見た凄惨な光景に一瞬固まってしまった。
そしてユーリアは最初に魔物がいた場所とジルトが立っていた場所を結んだ延長線上にいた。
何とか身を躱しえたのは恐怖で腰が抜けたからだ。
僥倖ではあったが、完全にとはいかなかった。
ユーリアを捕まえようと延ばされた爪はユーリアをぎりぎり空振りしてその着ていた貫頭鎧衣を引っかけた。
たとえば走っている車に服が引っかかり、いきなり引っ張られる衝撃はどれほどのものだろう。
ガツンと全身を殴られたような衝撃が走りそのままユーリアは気を失ってしまった。
◆・◆・◆
「それで…どしたの?」
今こうしているのだから助かったのは間違いないのだが、ティファリーゼはそう聞かずにいられなかった。
アルビスと二人、マリオンにしがみついて離れそうにない。
「気がついたときは空の上…眼下に森が見えて…」
ユーリアの貫頭鎧衣はずいぶん破れていて、今にも千切れそうで、何かつかまる物はと思って周りを見たときに目に入ったのは魔物にぶら下げられ運ばれる二体の死体。
そう二人は既にこと切れていた。
貫頭衣の断裂は少しずつ進んでいるようでこのままでは千切れるのは時間の問題だった。
どうしていいかわからずに周りを見回す。
ここから逃げるということは空中にダイブすることだ。
だがこのまま逃げないということは魔物の巣まで一緒するということだろう。どちらにせよろくな未来ではない。
どうしていいかわからないでいるうちに、結局彼女の貫頭鎧衣はびりびりとさけ、千切れてしまった。
とっさに手を伸ばして商人が来ていた外套を掴んだのは。落ちることに対する恐怖がとらせたとっさの行動だったが、結局ジルトの外套はその首から抜け落ちてしまう。
運命は彼女に空中ダイブを強要した。
だが運命は彼女の味方だった。
木々枝に何度も叩き付けられ、木の葉に身体を叩かれ、打撲や裂傷を作った。
たがそのおかげで勢いが弱められ地面に叩き付けられたにもかかわらず気を失うだけで済んだのだ。
もちろん装甲のおかげもあるだろう。
ユーリア自身は意識を手放してしまったせいで気が付かなかったが。魔物は落とした獲物を探してなんどかその場を旋回した。そののち諦めたように飛び去って行った。
彼女を守ったのは密集した森の木々だった。
そしてここが地竜シムーンの縄張りであったことも幸いした。
凶暴な魔獣がこのあたりにはいなかったのだ。
もしここが普通の場所であれば気を失っている間に他の魔物に襲われただろう。
この結果、所持品のすべてを失ったが、その対価としてこれだけの幸運があったと考えれば、まあ安い物かもしれない。
◆・◆・◆
「話を聞くとその魔物は村でユルゲンさんに聞いた魔物と同じ物かな…それって二、三日前だよね?」
「多分…」
気を失っていた時間を算入できないので正確なところは分からないがおそらくそんな物だろうとユーリアは言う。
「うーむ」
マリオンは唸った。
「ちょっと整理してみよう…ユルゲンさんがその魔物を見たのが…数日前…ユーリアさんが魔物に出くわしたのが三日まえ…
そんな大きな魔物が山にいて話題にならないというのも変な話だから、村の人たちが考えたようにごく最近この山に来た」
おそらく間違いはないだろう。
今となってはユルゲンがヤギを取られたのがいつなのかはっきり聞いてこなかったことが悔やまれる。
「もし本当にこの山のシムーンというのが魔物を駆除するとして…やっぱり魔物が来て即日というのは…ないよな…どのくらいかかるんだろう…」
答えられるものはなかった。
だがそれなりに時間がかかると考えると、まだ、その魔物がこの山を飛び回っている可能性がある。
「さてどうするか?」
このまま山道に入るのが正しい選択かどうかということだ。
「ユーリアさん、聞きたいんだけど…これから行く山の道ってどんなところかな…話を聞くとその魔物、活動するのに結構広い場所が必要かもしれない…」
ユーリアはマリオンの言いたいことをすぐに察してくれた。
「道は獣車一台通れるくらい…曲がりくねっていて、谷間だったり森の間だったりする…です」
悩みどころだった。
どちらにしても行かなくてはならないのだが…危険な魔物がいるところに乗り込むというのは利口な選択ではない。
「広いところが危ないのなら…今の方が危ないのではないでしょうか…」
ティファリーゼ言われてマリオンは周囲を見回す。
「ああ、確かにその通りだね」
今マリオン達は広々とした場所で野営をしている。
もちろん可能性の話でしかないのだが、魔物はかなり速く飛ぶ魔物らしい。であれば入り組んだ狭い場所は苦手かもしれない。
おまけに現在までの目撃証言がすべて昼間。昼も夜も活動し続ける動物など人間くらいだろうから『昼行性』の可能性もある。
「周囲がうっそうとしていて夜だと安全性が高くなるかも…」
逆に広々とした街道や草原などは昼間動くと危険ということになる。
ただの想定なのでもちろん油断はできないが…
「魔物の活動範囲も広いみたいだから…このままクラナディア帝国中心方向に行っても、もと来た道を戻ってもあまり安全というわけではないな…」
どうやら間の悪いことにマリオン達は魔物の活動範囲のまっただ中に入り込んでしまったらしい。
そして正確な検証はできないから今一つ当てにはならないが、どの方向に進んでも数日から十数日は危険範囲を抜け出せないようだ。
「よし、このまま進もう。山道まであと二日くらい…山道に入れば危険度は下がるだろうし、なんと言ってもその竜神様のお膝もとだ。他よりはマシだろう」
マリオンはそう決断した。そのシムーンがどの程度当てになるかは不透明だが、魔物の活動範囲内で、尚且つシムーンの活動範囲外というのが一番危ない気がする。
そしてマリオンは二人と…いや、一応三人とそうだんして車を街道から外し、近くの森の中まで移動させた。
「しばらくは細心の注意を払わないとな…」
「はい、旦那様なら大丈夫です」
ティファリーゼのキラキラした目がちょっと重たいマリオンだった。
37話をお届けします。
感想などございましたら是非お寄せください。
心待ちにしております。
誤字、脱字など見つけられましたら遠慮なくご指摘ください。
お願いします。
それではお越しくださいましたあなたに感謝しつつ、今日のことろはこの辺で…
お相手はトヨムでした。




