第30話 凶賊(修正)
2015年7月28日一部修正。
第30話 凶賊
マリオンはしばしの休憩の後、ティファリーゼを獣車の中に残し、一人で夜の荒野に出て行った。
周辺の状況の確認のためともう一つ、水のためだ。
大福の中にはかなり大量の水を取り込んでは来たが、どのくらいと明白にわかるわけでもない。
このくらい入っているな…というイメージはあるのだが、それが何日分なのかは分からない。
先は長いし、井戸の水の水質も不安がある。そして何より町の井戸は有料だ。
生水を飲んで腹壊すなよ…というおばあちゃんの声がよみがえってきたりする。ちなみにテレビで見たお祖母ちゃんの声であって、マリオン自身に祖母の記憶はない。
変なものを思いたしたな。
ともかく補給物資は補給できるときに補給する。これは基本だろう。
まず北西方向に直進する。
そちらに冒険者が使う綺麗な泉があると聞いたのだ。
少しだけ地面から浮いてすべるように進む。たまにトンと地面を蹴るが、地面との接触はそれだけだ。
マリオンがまとっている魔力は空間属性で、強い空間の歪み、つまり質量として作用する。
その事実はこれまでの生活の中でなんとなく理解できた。
これは恐ろしいことにプラス方向の質量、つまり引力として作用するのみならず、マイナス方向、つまり強い斥力として展開することもできる。
これは地球の物理学では手の届かないところなのだが…まあできるものはできるのだから、とりあえずそういうものとして納得しよう…とマリオンは決めた。
つまりマリオンは細かく『重力』『質量』を制御できる魔力の力場で包まれていると考えていい訳だ。
なので自分に対する惑星の重力の影響をある程度無視する事ができるし、その上で自分の進みたい方向に空間の歪み、つまり引力を創り出す事もできる。
そうすれば地面すれすれをすべるように進むことが可能になる。
つまり自分の進みたい方向に向かって落下し続ける状態を作り出せる訳だ。
此処で目覚めたばかりの頃、魔獣の森を彷徨っているときに、地面すれすれを滑るように進む長距離ジャンプをやっていたが、その原理であり、その進化形といっていいものだ。
あの時に比べ、はるかに長い距離を進み、尚且つ安定しているのは力の制御になれたことが一番の理由だ。
例えばあの後使えるようになった触手とか…
マリオンは今触手を斜め後に翼のように広げている。
その役割は移動を安定させる翼であると同時に姿勢を安定させる尻尾でもある。
このおかげで以前とは比較にならないくらい早く安定して進むことができる。
とはいっても速度は時速で六〇キロくらいに押さえている。
怖いから…
だが人間が時速六〇キロで前進できるということのすごさは分かってほしい。
それはわずか三〇分で三〇キロの距離を進めるということなのだ。
むっ、当たり前か…
いやいや『三〇km』というのは人間が歩いて旅をする場合に一日の移動距離の目安とされる距離だ。
それをわずか三〇分で進む。
やはりかなりすごい。
そんな事を考えていたからマリオンは前方にある岩を見落とした。
地面から突き出した尖った二mほどの岩だ。
「みぎゃー」
気が付いた時にはほぼ目の前。かなりのスピードで近づいてくるそれを、マリオンは必至の思いで躱した。姿勢が崩れて宇宙空間のようにくるくる回ってしまう。
あとちょっと気付くのが遅れていたら突っ込んでいたかもしれない。
はっきり言って涙目である。
すっごく怖かった。
時速六〇キロ、侮りがたし!
ふわりと姿勢を戻し、ドンと加速する。
目的地とする泉まで、結果、四〇分もかからなかった。
◆・◆・◆
それは泉というよりも湖と言っていいほどに大きかった。
到着するとマリオンは『濾過の水瓶』というマジックアイテムを取り出した。
見た目は大理石で作った上品な水瓶に見える、しかしその実、材質不明のアイテムだった。
トドゥラから譲られたマジックアイテムで、古代遺跡から見つかった発掘品だそうだ。
どんなに汚れた水でも、この水瓶のお尻を浸せば、きれいな美味しい水になって水瓶の中にたまっていくという不思議道具だ。
荒野を旅するうえで非常に役立つアイテムだった。
平たく言えばこれさえあればティファリーゼのいうようなオシッ…オホン!オホン!も飲料水に変えられるわけだ。
湖の水面に水瓶をつけるとすぐに内部に水が湧き出してくる。
これは結構なスピードだった。
この速度は周囲の水が多ければ多いほど、純粋であればあるほど早くなる。
逆に水が汚れていたり、少なかったりすると水がたまるのに時間がかかる。ぶっちゃけ時間さえかければ地面に穴をほってお尻を埋めるだけで地中の水を取り出すことも出来たりする。なかなかすごい道具だ。
その水瓶に、これほど早く水がたまっていくと言う事は、この川の水がかなりきれいだと言うことだ。
「このペースならこの川の水は普通に飲んでも大丈夫かもな…」
そんなことを考えるマリオンだったが、勿論生水を飲んだりはしない。なぜっておばあちゃんの声が…
ってもういいから…
その湧き出してくる水のなかに大福をポチャンと落とす。
すぐに器の中にたまった水が渦を巻いて大福に吸い込まれ消えていく。
件の『水保存エリア』に送り込まれているのだ。
あとはただ待っていればいい。
現在のところ大福にどのくらいの物が格納出来るのか、限界が見えてきたことはない。
少なくとも今までに入れた物で、中がいっぱいになったという感覚はまったくないのだ。
水保存エリアも同様で、濾過の水亀の中に次々湧き出してくる水を三時間も格納続けても『もう無理』というような感覚はやってこない。
してみればこのクラインという魔物は本当に便利な存在だといえる。
もっとも水道の蛇口をいっぱいに捻って出てくる水量が毎分二〇リットルくらい。
濾過の水瓶に入ってくる水はたまり方からしてそれよりもずっと早いと考え、それでも控えめに倍くらいとして計算して四〇リットル×六〇分×三時間で、とりあえず七二〇〇リットル。つまり七トンの水だ。
これは重さで考えるとすごい量に思えるが体積にすれば一メートル四方の立方体七つ分でしかない。
四畳半の部屋の床に並んでしまう量だ…
そう考えればまだまだ余裕があって当然なのかもしれない。
「でもまあこれくらいでいいか…一回分としては…」
三時間が過ぎたころマリオンはそう言って作業を切り上げた。
あまり長時間町を留守にするのも良くないだろうし、眠る時間も無くなる。時間は深夜に差し掛かるころだ。
だいいち飽きた。
日本人が一日に使う水の量は大体三〇〇リットルと言われている。
平成日本ほどは使わないと考えれば余裕で一か月分の水にはなる。
マリオンが飲み水のみならず、洗い物や風呂などに潤沢に使うとしてもそのくらいはもつ。
確かに一回の取水で確保できた量としては十分だろう。
◆・◆・◆
それを見つけたのはあくまでも偶然だった。
マリオンは取水した場所から今度はいったん南下するように進んだ。
同じ道を戻るだけでは手に入る情報量が少なくなると考えたマリオンは、少しルートを変えてみることにしたのだ。
そうすると冒険者たちが狩場としている草原地帯に入るわけだが、その草原を目指して肉食大猪が集まるように移動している形跡があった。
草原の中で繰り広げられた血なまぐさい戦闘が周辺の肉食大猪を呼んだのかもしれない。
近くにいたものが血臭と腐臭にひかれて集まり、その肉食大猪の興奮がさらに離れたところにいる個体を興奮させて呼び寄せる。
凶獣というのはそういうものらしい。
凶獣が集まり、そしてそれにつられて普通の肉食大猪も集まる。
しかも周辺にいる他の魔獣や動物を食い尽くしながら。
個体数こそ少ないが行動パターンは軍隊アリのようだ。
「だけどこれなら確かに一週間もすればかなりの数の肉食大猪を間引くことができそうだな」
特に凶獣が先に集まるのがいい。集まった凶獣を駆逐できれば問題は解決に向かうだろう。
「こりゃ、そんなに心配する必要もなかったかな…」
マリオンは胸をなでおろした。
そんな時、マリオンは近くに人の集団を感じ取った。ここからそう離れていない場所に三、四十の人間の反応がある。
「…ありゃ? 人の気配?」
場所は大きな岩山の裏側。
草原の只中に高さ一〇メートルほどの垂直に切り立った、それでいて天辺が平らに切り落とされたような岩山がある。こういう岩山は草原の中に大小あるのだが、その一つから人間がいることを示す光の靄が感じ取れる。
まだ少し距離があるため、ごちゃごちゃっとして判別が難しいが人間の反応には違いない。
「もうこんなところまで冒険者が来たのか…」
だとしたらなかなかの快進撃だ。
「ちょと様子を見てみるか…」
ちょっとした好奇心だった。確かめる手間も大したものではないし…そう考えマリオンはそちらに向けて地をけった。
◆・◆・◆
『……なんだろねここは…』
最初、それを見たとき、そこが何なのか判断に困るところがあった。
冒険者というのは男と女では男が多い。
まあ女性に良いところを見せるためうってつけの職業だから当然なのだが、全体としては七対三、こういう辺境だとその割合はさらに男に傾き女性冒険者はあまり見かけない。
なのにここにいる四〇人弱のうち、およそ三割が女だった。
しかも時間は既に深夜、
やることはやったらしく男も女も裸で、しかもあられもない恰好で眠りについている。
状況はかなり乱れていて、まるで乱交のようなありさまだ。
岩山の中はくりぬかれた様になっていて、外周を岩でできた壁で囲った部屋のようにな構造だ。かなり広い。
その一部が開かれて出入り口の役割をしているらしい。
その入り口には丸太を組んで尖らせたバリケードのような物があり、内部には木を組んだ粗末な檻。そして騎獣がつながれた杭などなどがある。
奥の方には湧き水まである。
(これは冒険者じゃないな…)
マリオンはそう判断した。
となると可能性は流民の集落か盗賊のアジトだろう。
彼らは岩山の裂け目をうまくつかってその内側にバリケードを築き、その奥で生活しているのだ。
入り口付近に火を囲み、酒を飲んでいる男たちがいるがこれは見張りかもしれない。ただほとんど寝ていて役には立っていない。
目につくのはそこを入って少ししたあたりにある大きな石。
地面に大きな引きずったような跡があり、よそから運んできてそこに安置したに違いない。そしてその下から魔力の波動が広がっている。
自分が持つ結界石によく似た波動が…
(なるほど、あの下に盗んだ結界石があるわけか…盗賊で決まりだな…さてどうするかな…)
盗賊の対処は基本殲滅だという話はした。
ぶっちゃけここにいる盗賊をすべて撃ち殺したとしても誰も文句は言わないだろう。
いやそれどころか褒められ賞金も出るだろう。
マリオンは魔銃を取り出した。
じっと見る…だんだん息が荒くなってくる。
極度の緊張の所為だ。
やはり人間を撃つのは怖い。盗賊の一人に狙いをつけ、引き金に指をかけ、そしてどうしても力を入れることができずにその手をだらんと下げた。
ふう、とため息をついて頭をふり別の手を考える。
(盗賊を狩りたがっている奴らがいるから、あれに任せてもいいのではあるまいか…)
それは酒場で盗賊を見つけることに躍起になっていた三組の冒険者。
これが完全な逃避であることは分かっている。いるのだが…
(犯罪者を見つけたら警察に通報。これがまず人の道だよな…)
(賞金首だそうだから…横取りはまずいかもしれないし…)
(肝心なのは盗賊を逃がさないことだから。ここは集団で挑むべきだな…)
これは自分に対するいいわけだ。
決断できない自分に対する言い訳。
そして一歩後ろに下がり、その場を離れようとしたときに、暗闇の中で動く影に気が付いた。
マリオンにとって、ただの暗闇は意味がない。魔力知覚で状況ははっきりと見える。
それはまだ若い女で、なかなか綺麗な娘だった。
かっこうはほぼ全裸。暗い色のぼろ布を抱えて胸と股間を隠している。そのうえで闇の中を這いずるように少しずつ外に移動していく。
まるで見つかるのを恐れるかのように。
マリオンは彼女に注目した。
別に彼女の裸に見とれたわけではない…それは一瞬だけだ。本当に一瞬だから許してやってほしい。
それよりもマリオンは一つの事実に気が付いてしまった。
(ここにいるのが盗賊だとして、すべての人間が盗賊だとは限らないんじゃないか? ひょっとしても盗賊に攫われてきて、ここで…)
砦のあちこちであられもない恰好で寝ている女たち…全部ではないかもしれないが、あのうちの何人かが無理やりここに攫われてきた人なのでは?
女は入り口の所に差し掛かる。
見張りは飲んだくれ、半ば夢の中、気付いた様子はない。
そしてそのままうまく入り口を抜け、砦の外に抜け出した。
(よし)
月の明るい夜だった。このまま走れば目立つだろう。
だが女はぼろ布をかぶり、地面に伏せて少し様子をうかがうと移動してまた伏せるを繰り返した。
暗い色のぼろ布は地面に広がるとまるで影のようで見えづらい。
ごつごつした地面をしっかりとした足取りで、素早く進んでいく。
マリオンはもう彼女の行動から目が離せなくなっていた。
手に汗握るとはこのことだった。
(このまま放置というわけにはいかない。姿を見せないようにして何とかあの娘を町まで運べないかな…)
彼女が町に助けを求め、町から戦力が出て盗賊が討伐される。それが最も理想的な形だろう。
いろいろ言い訳をかましたが現実問題マリオン一人で盗賊を殲滅。しかも捕まっている『かもしない』女たちを救出…これは不可能だろう。
マリオンが手を出さなかったのは結果的に正しい選択だったということになる。
マリオンがさてどうしたものかと考え始めたその時に…
『女が逃げたぞー』
という声が沸き起こった。
マリオンは顔をしかめ、舌打ちをして逃げる女の後を追った。
◆・◆・◆
「やった。抜け出せたわ」
女の名前はフレデリカと言った。
もとは普通の隊商で働いていたが、先日、隊商が盗賊に襲われ、男は殺され、女は犯されたうえで売り飛ばされるという惨事に見舞われた。
フレデリカが盗賊たちの元に残されたのは彼女が若く、そして美しかったからだ。
奴隷というのは刑事犯であれ、経済犯であれ、犯罪者を無理やり社会に貢献させるシステムだからその流通は国の管理下にある。
それ故に攫われて売られるような人間は正規のルートに乗ることはない。
裏ルートというやつだ。
そしてそういったルートでは奴隷の売値はあまり高いものでは無い。
勿論高額ではあるのだが、美しいからと言ってとても高く売れたりはしないのだ。
だったら手元に置いて色々役にたて貰った方がいいと盗賊たちは考えた。
フレデリカは自分を嬲る盗賊がそういうことを言っているのを聞いた。
(このままじゃ死ぬまで嬲り者だ…)
フレデリカは盗賊たちの隙を伺った。
一切の抵抗をやめ、諦めたように言いなりになっていると盗賊たちはすぐに油断し始めた。最初鎖につながれていた足もすぐに開放され、自由に歩けるようになった。
信用したからというのではなく、玩具にするのに自由に引き回せる方が都合がいいからだ。
それでもフレデリカは無気力にただ人形のように盗賊たちの、男ばかりではなく女たちにまで、玩具にされながらチャンスを待った。
そしてここ数日、周囲の状況が変わり始めていた。
何か狂暴な魔物が出るということで盗賊たちが砦にこもるようになってきたのだ。
最初は砦の中の人数が増えることに絶望したフレデリカだったが、それは逆に福音だった。
クサった盗賊たちは昼間から酒を食らい、やることもないので淫蕩な行為にふけり、だらしなく寝コケるようになったから。
それはフレデリカの体が酷使されるということではあったがそこでも無抵抗を貫けばフレデリカを警戒する盗賊はすぐにいなくなった。
ほかにも何人か同じような境遇の娘がいたが、彼女たちはフレデリカほど強くはなく、凌辱の日々に耐えられず、抵抗したり、逃げ出そうとして…ひどい暴行を受け、ある日突然砦からいなくなるのだ。
フレデリカは耐えた。
そして千載一遇のチャンスはやってきた。
その日盗賊たちはみな昼間から酒を飲んで暴れ、クダを巻き、それぞれの楽しみに耽溺していた。
そしてフレデリカは偶然入口の近くに連れ出され、用が済むとそのまま放置された。
そして気が付いた時には周りにちゃんと意識を保った盗賊は一人もいなかったのだ。
砦からしばらく離れたころ、もと来た方向で騒ぎが起こり、松明が掲げられ、人の動きがはげしくなった。
フレデリカはそれでも姿勢を低くして影にまぎれながら逃げ続けた。
(まだ脱走がばれたとは限らないわ…)
だがフレデリカの希望はかなえられなかった。
人間の目はごまかせても動物の鼻はごまかせなかったのだ。
「本当にこっちかよ?」
「知るか! ドリーに聞け」
声が近づいてくる。
声は二つ。そして大きな影が二つ。
ドリーにまたがった盗賊が二人というわけだ。
ドリーというのは彼らが乗っている使役獣で、一般に騎獣と呼ばれる動物の一種だ。
用途は馬に似て人間が騎乗するのに使われる動物だが、馬や牛ではなく鳥だった。
一時期地球に強鳥類と呼ばれる、鳥と恐竜の中間のような動物がいたがそれ近い。
鳥類が恐竜の子孫であるというのは最近は良く知られることだが、このドリーを見るとよくわかる。
背の高さが二m。頑丈なくちばしをもち、全身を羽毛におおわれている。
首と足が長く、鶏を大きくスマートにしたような動物だ。
翼には鉤爪がついていて、尻尾は尾羽ではなく恐竜のような一本尻尾になっている。
空を飛ぶような力はないが、羽を広げて動きを安定させる走り方をするため、脚は速く、短時間なら時速八〇キロ。五〇から六〇kmの巡航速度ならかなり長い時間走り続けられる。
だがこの場合問題なのはこいつが鼻が利くということだろう。
「ほら、いたぜ」
フレデリカは地面から立ち上がりぼろきれを体に巻き付けて走り出した。
盗賊の言葉に見つかったことを悟ったのだ。
あとは全力で逃げるしかない。
「ふはは、ほんとだ。いやがった、おらおら、待ちやがれ」
盗賊はドリーの手綱をビシリと鳴らした。
「くっ!」
フレデリカは歯を食いしばって走る。だがそもそも全力疾走で時速八〇キロも出すドリー相手に逃げきれるはずもない…
ごつごつした地面が足の裏を突きさす。
フレデリカは自分の眼に涙があふれるのを感じた。
「おら大人しくしやがれ!」
盗賊の振り回した剣の鞘がぼろきれに絡んでフレデリカの手からそれを剥ぎ取った。
この一枚を失えばフレデリカは全裸だ。
「ああ…」
次の一撃で終わりかと絶望感にとらわれそうになるフレデリカだったが現実はそうはならなかった。
「お、おい見ろよ」
「ひゃーっすげえ、ブルンブルンだぜ」
盗賊たちは最初、さっさとフレデリカを捕まえて帰るつもりだった。
鞘ごとの剣を振り回したのもフレデリカを打ちのめすつもりだったからだ。
だが鞘は狙いを外してフレデリカからたった一枚の衣類を奪った。
テレデリカはスタイルもいい女性らしい体型の美女だ。その彼女が月明かりの下を全裸で駆けていく。
その姿は盗賊たちの脳天を直撃した。
盗賊たちはドリーのスピードを緩め、よろめきながらも走るフレデリカを後ろから横から鑑賞する。
フレデリカからすれば威嚇されているようなもので、必至で足を動かした。
「おら、もっと走れ」
盗賊たちはスピードがおちれば革の鞭でフレデリカの尻を撃ち、横から乳房を叩く。
盗賊二人は当初の目的を忘れ、獣欲に身をゆだねていた。
フルフルと揺れる胸に、尻に、そして打ちすえた時の柔らかな感触と、フレデリカの苦痛に満ちた声に興奮が高まってく。もうフレデリカを嬲ることしか頭になかった。
盗賊の口から紡がれる卑猥な言葉の数々と自分の体を小突き回す男たちの蛮行にフレデリカはくじけそうだった。
「はあっ…はあっ…もう…だめ…だれか…」
今まで一人で必死に耐えてきたフレデリカが誰かに助けを求めたのはこれが初めてだった。
そして今度はフレデリカの願いは叶えられた。
「おらもっと走れ、止まったらぶっ挿すぞ」
「ギャハハッ、何を挿すんだ? 剣か? それとギャー!!」
盗賊の一人が左足を押さえてドリーから転げ落ちた。ドリーも地面に倒れて痙攣している。
「お、おい、どうした」
もう一人の盗賊がドリーの向きを変えで仲間に駆け寄る。
その盗賊は空気を切り裂く音と、自分の足を貫く一条の光を見た気がした。
「ぎゃーっ、いでえ、いでえ」
転げ落ち、地面にたたきつけられ、そのままのたうちまわる二人の盗賊。
足を貫く激痛にもう周囲の警戒も何もない。地面を転がり足を抱え、立ち上がることもできない。
フレデリカは気が付いた。二羽〔二頭?〕のドリーのうち一頭は瀕死で転がっている。だがもう一頭は怪我もなく、乗り手の盗賊を失ったことでその場でたたらを踏んでいる。
「はっ!」
フレデリカは全裸をものともせずに、反射的にドリーの手綱を掴んで鐙に足をかけ一気にまたがった。
「お願い、走って!」
商隊暮らしの長かったフレデリカはドリーを操るのにも慣れている。
このあたりの地理も大体はわかる。どちらに行けばゾラの町があるのか、それくらいは…
フレデリカは肌を突きさす強風も無視して必死にドリーを走らせた。
砦からはそれなりに距離がある。
もし他の盗賊がドリーを使って追いかけてきたとしても、ドリーの走る速度はほぼ同じ、いや、乗っている人間が軽い分フレデリカの方が早いはずだ。
フレデリカは脇目もふらずに、あるかもしれない追手におびえながら必死でゾラに向かって駆け続けた。
◆・◆・◆
「ぢくじょう、なにがあったんだよー」
「だれがだずげでー」
地面でのた打ち回る盗賊たちを一瞥し、マリオンはそのままフレデリカの後を追った。
町に無事につくのを見届けようと思ったのだ。
マリオンの手には魔銃が握られていた。
彼女に対する援護がここまで遅くなったのはやはり人間を撃つことがためらわれたからだった。
だがそのためらいも盗賊たちの非道に対する怒りが押し流した。
さすがにあれは腹に据えかねた。
まあそれでも足を狙ったのは平和な日本で育った人間の甘さであるかもしれない。
命をとる決断まではできなかったのだ。
だがこの世界ではその気遣いはあまり役に立たない。
マリオンが立ち去って少し、盗賊たちが砦に戻ろうと地面を這いずっているときに、彼らは地面を響いてくる足音に気が付いた。
そしてブホッ、ブホッという息遣い。そしてすれた異臭が周囲を漂い出した。
盗賊たち背筋に怖気が走る。
暗闇の中から肉食大猪が現れた。
「ひっ、ひっ」
「ひやーっ」
走って逃げようにも足が言うことを聞かない。
小さな穴が開いているだけに見える傷口、焼き切れたために一滴の血も流れていない。それなのにまるで足が無くなってしまったかの様に何の感覚も無い。
当然走って逃げるなどできはしない。
のた打ち回っているうちに肉食大猪は至近距離まで走って来てしまった。
そしてその瞬間、片腕に激痛が走った。万力で締め上げられ、押しつぶされるような痛み。
次の瞬間、体が上下左右に激しくシェイクされて腕に今まで感じたとのない激痛とミチミチという何かが引き千切れる違和感が走る。
あらん限りの力で叫んだ。
こんな大きな声が自分の口から出るのが信じられないほどの声だった。
「ぎゃあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
荒野に絶叫が響き渡る。
それは離れた所にいる仲間たちにまで届いた。
仲間の悲鳴を聞きつけて駆けつけた他の盗賊が見たのは肉食大猪に噛み砕かれ肉片に変わった人間とドリー、そしてそれをがつがつとむさぼる三頭の肉食大猪だった。
魔獣が色気をだし自分たちの方に食欲をむけるのを見て、盗賊は戦闘をあきらめ全速で砦に引き上げた。
あそこならば魔獣は入ってこられない。そして乗っているドリーは肉食大猪よりも早い。
結局この夜逃げた女と、追いかけた盗賊二人は運の悪いことに魔獣に出くわしそのまま食われてしまったということになった。
そしてその判断が彼らの運命を決めることになった。
◆・◆・◆
翌日ゾラの町はまた騒然となっていた。
原因は昨夜遅くに町に助けをもとめて美女がたどり着いた。と言う噂が飛び交っていたからだ。
その女は盗賊につかまり殺されそうになったところを、命からがら脱出に成功して町に助けを求めたのだ。と…
それは同時に隊商を皆殺しにするような非道な盗賊の存在を知らしめることであり、この世界の人間であれば凶獣の大量発生とその凶賊の存在を結び付けて考えるようになるまで時間はかからなかった。
『盗賊を殲滅しない限り事態の解決はない』
と多くの人間が認識した。
マリオンは昨夜フレデリカという女性がドリーで町にたどり着き、助けを求めるまでを見届けた。
そして彼女が保護されるのを離れたところから見守っていた。
彼女の名前はこの時に知りえたものだ。
フレデリカはそのまま神殿で保護された。女性神官たちがフォローにあたっているのは確認したからもう心配はいらないだろう。
そして事態はマリオンの期待したように動いているようだった。
◆・◆・◆
「よっ!」
「あっ、ヘラルドさん」
「おっ、覚えててくれたか」
マリオンの背中をたたいて声をかけてきた男は、先日酒場で盗賊話しにくいついてきた冒険者のリーダーの人だった。
三組のうちの最後の一チームだ。
「重装備ですね…狩りですか?」
ヘラルドは周囲をきょろきょろと見回して、マリオンに顔を近づけると。
「そう、狩だ…相手は盗賊だがな」
と囁いた。
「ああ、なるほど…」
マリオンは頷く。
この男は例の結界石をもった盗賊を狩るつもりなのだ。
「うわさは聞いたか?
そうか、実はその噂の盗賊が、先日お前の言っていた盗賊らしい。ギルドから正式に討伐以来が出たよ…
本当は討伐隊参加者募集の依頼だったんだがな…うちのチームはたまたま兵力を集めていてな…ちょうど30人ほどのチームを組んだばかりだったんだ。それでギルドに掛け合ったらな、取り分でもめる必要もないから、と、うちのチーム単独依頼という形で契約を振ってくれることになった。実に運が良かった。
ついては『あの盗賊の話…あまり広めてくれるなよ』」
最後は小声だ。そう言いながらヘラルドはマリオンの手に一〇〇〇リヨン硬貨を一枚そっと握らせた。
口止め料だろう。
「もちろんですよ」
マリオンは快諾した。
というかいろいろ問題があるので、マリオンの側から盗賊の話を誰かに振るつもりは全くなかった。
まあそれでも貰える物はもらっておこうとマリオンはありがたく銀貨を左手で握りこんだ。当然、行先は大福の中だ。
「話すような機会も、あれ以来ありませんでしたし…どこにも漏れてませんよ…でも他の二チームはどうしたんですか?」
「ああ、あいつらなら昨日の朝からさっそく草原に探索に出ているよ…俺はまず準備を先行させたのさ」
そう言ってヘラルドは笑った。
どうやらこの男は本当に運が良かったらしい。
ギルドや行政府は昨日の夜、もたらされた報告に頭を痛めていた。 この盗賊が今回の騒動の元凶であることはほぼ間違いなかった。
そしてこの盗賊、凶賊と言って差支えがないほど簡単に人を殺す。
だが町の戦力はほとんどが周囲の村に送り出されている。
今更呼び戻し、村に被害が出たら本末転倒であるし、戦力が集まるまでに二、三日もかかればその間に情報が伝わり盗賊たちが逃げてしまう可能性が高い。
荒野にいる盗賊団は町や村に情報を集めるための仲間を飼っているものなのだ。
盗賊の話が噂になった以上時間的な余裕はなかった。
タンタの町からの援軍を待つなど論外だ。
苦慮した行政側は苦肉の策として冒険者をかき集めて討伐隊を結成することを選んだ。
とにかく人手を集めて一気に強襲。
これが盗賊を逃がさない唯一の可能性だった。
そしてクエストが出されたのだが、それと前後するように『狩りのために偶然戦力の増強をしていたパーティー』が『俺たちに任せないか?』と、名乗りをあげた。
それがヘラルドのパーティーだった…というわけだ。
「でも盗賊ですか…捕まっている人とかもいるんですかね?」
これは昨日あの光景を見てから気になっていたことだ。間違って被害者が殺されたりしないように一応の注意喚起のつもりだった。
だがヘラルドはこれをきっぱり否定する。
「実はギルドから詳しい話を聞いたんだかな、その盗賊から逃げてきた女が言うには、今、アジトいるのは全部盗賊だそうだ、前は捕まっていた女もいたらしい。だが昨日逃げてきたフレ…じゃない女が言うには彼女が最後の捕虜だそうだ。
もともと男はその場で殺して捨てていたらしいしな…」
「それはひどい…」
「まったくだ…今回の凶獣の大量発生もこの盗賊が一枚かんでいる可能性はある…そう考えればこいつらの罪は二重三重に重い…捕まれば極囚、殲滅したところで文句も出まい」
「隊長、準備できましたー」
「おう! じゃあな…朗報を持ってくるぜ…うまくいったらまた別に礼はするからな」
「ええ、期待しています」
そう言うと手を振ってヘラルドはドリーにまたがった集団の下に返っていく。
そこには三〇騎の専用鎧で防御を固めたドリーとそれにまたがった戦士たちか整列している。
その先頭にいるドリーにまたがり『出撃』と剣を振り下ろすヘラルド。
開け放たれた門から一気に強鳥騎兵が走り出す。
「なるほどな…これなら町にスパイがいても対応する方法はないわな」
マリオンの魔力知覚には何人か慌てふためいている人間が見えている。そのうちの何人かは盗賊の仲間かもしれない。
だが彼らがどう頑張っても仲間の下に急を知らせる連絡が届くより、ヘラルドたちがアジトを襲撃する方が先だろう。
彼らの拠点は目立つ、この際それもあだとなる。
「これでこの件は落着か…」
マリオンはそうつぶやきながら遠ざかる騎兵の影を見送った。
●○●○● ●○●○● ●○●○●
おまけ・設定資料『凶獣化』
魔物の強化あるいは凶化現象です。
条件は魔物であること。
そして大量の魔力の摂取でする。
過去トンでも学者の研究によって、人類圏や迷宮外縁などに生息する弱い魔物に魔石や倒したばかりの強い魔物を与えると一気にその能力がアップすることが分かっています。
元々は人間を捕食した魔物が強く、そして凶暴になる現象の解明のための研究でした。
原理が解明されたことで人間は上質で大量の魔力を持った生き物であり、それを補食した魔物が人間の魔力、この場合は生命力という方が良いかもしれませんが、それによって『強化』されてしまう。と言う仮説が成り立つ訳です。
あくまでもあまり魔力の濃くない地域に生息する魔物に発生する現象で、迷宮の中の、もともと強い魔物には起こらない現象です。
そして捕食対象は新鮮でなければならないとされています。
死亡して時間が経つと魔物であれ、人間であれ、その生命力抜けていき最後には失われてしまうのです。
いきなりどかんと強くなるようなものでは無いので、普通であれば冒険者で十分対応できる物でしょう。
今回は百人近い犠牲者という異例の被害が騒ぎを大きくしました。
30話をお届けします。
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それでは本日もお立ち寄り頂きありがとうございました。
お相手はトヨムでございました。




