馬と裸とお説教
『んー、どこだ?』
調子良くパカラってきた俺だが、走ってきた方向にミスカが見当たらない。
どうやら快調に飛ばし過ぎたせいで、彼女を追い越してしまったらしい。
……シュージも言っていたが、元からユニコーンの力を宿しているせいでこの姿と相性が良すぎるようだ。
とっとと戻らないと知能まで馬並になってしまうかもしれない。
などと考えながら、俺が元来た道を辿っていると――。
パチャン。という水の弾ける音が、耳に届いた。
水気を含んだ空気が流れ込んで来、思わずぶるると息を吐きながらそちらに顔を向ける。
視界に入ったのは、やろうと思えば一息で泳げるような大きさのこじんまりとした泉だ。
そこに、一人の少女が浸かっていた。
露になった背中が月に照らされ、痩せ気味の体を折れそうなほど華奢に見せている。
しかし伸びきっていない手足はその肌の張りを想像させ、体を流れ落つる水はそれを肯定する。
胸にかかった翠のペンダントはどんな豪奢な宝石よりも美しい。
水と戯れ自然と笑顔零れる様は、まるでニンフェットのようであった。
あぁ麗しの妖精よ。我が身を受け入れ給え。
――はっ。
彼女の姿を眺めながらポエムった俺は、しばらくして我に返った。
いかん。大分ユニコーンの感性が混じっている。
脳髄はものを思うには非ずと言うが、ユニコーンの体になると考えまでそちらに寄るらしい。
もしかして、脳も変形してたりして……。
恐ろしくなって首を左右に振る。
するとブルブルという鼻息が漏れ、その音にミスカが顔を上げた。
「だ、誰!?」
叫びとともに、彼女は体を肩まで泉に沈める。
惜しい。いや、まずい。
この場面でいやーいやーごめんごめんなどと出ていったら間違いなく変態扱いされる。
俺の変装だなんて知れたら、もはや馬の姿のまま全速力でこの村から走り去るしかない。
相手が水浴び中でしたなんて言っても、あの魔王野郎は勘弁してくれないだろう。
つまりここは、なりきるしかない。
後ろ向きの覚悟を決めた俺は、ミスカの前に姿を現した。
『娘よ……我が名は聖獣ユニコーン』
なるべく厳かな声で自己紹介をする。自分で聖なるとか名乗ることに若干の抵抗はあるが、こういうのは勢いだ。
突然現れた白馬の存在に、彼女は目を丸くし硬直している。
いきなり馬登場はやり過ぎただろうか。
やはり和ませ路線に乗り換えようかと俺が迷っていると――。
「ゆ、ゆ、ゆ、ユニコーーーーン!? 殺される!」
ミスカが突然素っ頓狂な声を上げ、泉から立ち上がった。
『こ、殺さっ!?』
思わぬダブルショックに目を見開く俺。
「わ、私男の人とお付き合いとかしたことないし! キスだって小さいころお父さんにしただけです! しかも頬です! 許してください!」
そんな聖獣ユニコーンに対し、ミスカは両指を組んで祈るように懇願する。
『う、うむ案ずるな清き乙女よ。俺……我は危害を加えに来たわけではない』
はっと俺から我に返った俺は、馬面を逸らして彼女を宥めた。
両手があればどーどーとしているところだ。
それにしてもユニコーン。凄まじい恐れられっぷりである。
その辺の魔物より評判悪いのではなかろうか。
俺は勝手に乗り移られているだけなのだが、こういう反応が続くとさすがに凹む。
「え、ええと、それじゃぁどんな御用…なんでしょうか?」
俺がそっぽを向いたままでいると、ミスカは言葉を選びながらこちらへ問いかけてきた。
『とりあえず体を隠せ』
このままでは落ち着いて話も出来ない。
俺が告げると、ミスカは「ユニコーンってそういうの気にするのね」的な若干不思議そうな顔をして泉に体育座りをした。
服を着ろという意味だったのだが、そのまま逃げられても気まずいしこれでよいだろう。
念のため前脚を泉に浸してみると、地熱でもあるのかそれなりに温い水であり風邪の心配も無さそうだった。
「この辺りの泉は暖かいんで、眠れないときとかたまに浸かりに来るんです」
俺がちゃぷちゃぷとやっていると、微笑ましいものを見るような瞳でミスカが解説した。
怖がられなくなったのは嬉しいが、その内敬語もなくなりそうだ。
この世界。建築等は地球で言う中世に倣ったものが多いが、水道事情は魔法のおかげで便利に発達している。
よって入浴を外で行う必要も無いのだが、彼女にも色々事情があるらしい。
しかし、老人ばかりの村だからって外はなぁ。
「あの、一緒に入りたいん、ですか?」
水を弄りながら俺が注意すべきか悩んでいると、ミスカが唐突にそんな事を言い出した。
『ち、違わい!』
思わず素に戻った俺が叫ぶと、彼女は目を丸くする。
おのれファンタジー世界系女子め。どういう貞操観念してるんだ。
己が馬であることも忘れ内心で呟いた後、平静を取り戻した俺はミスカに尋ねた。
『我はお前の父がしている、隠し事について聞きに来たのだ』
「隠し事……ですか?」
先程のきょとんとした目のまま、ミスカは俺をじっと見つめる。
その目には畏れやら戸惑いやら色んな感情が篭められているようで、色々気恥ずかしい。
『そうだ。お前の父が宝を隠している事により、人々に疑心の目が生まれ、それが諍いの種となっている。何故彼は宝を隠そうとする』
言葉を選びつつ、俺はミスカへと問いかけた。
宝が存在する。という前提を使っているので、問いかけというよりカマかけに近いか。
だが俺は、正直宝の正体などどうでも良い。
聞きたいのは、宝とやらがあるのなら何故それをいつまでも後生大事に隠しているのかだ。
おかげで色々と厄介なことになり、俺まで巻き込まれる羽目になっているというのに。
「えっと、それは……」
俺の質問に、ミスカはしばし考え込むような姿勢を見せる。
宝のことなんぞ口にしたから疑われてるのだろうか?
いや、そもそも宝なんぞやっぱり存在しないのか。
無駄に良い毛並みの下で冷や汗を流す俺だが、やがて彼女は下を向いたままぽつりと答えた。
「先代村長のころから、宝のことは村人に秘密なんです」
ぴくり。先代という言葉に、ぴんと立った俺の耳が動く。
良かった! やっぱり宝はあったのだ!
別に欲しいわけじゃなく、これで外していたら恥ずかしいにもほどがあった。
「宝のことは、村長家の者だけが知ること。そして、時が来るまでけして持ち出してはならない。という言い伝えで……」
内心からこみ上げる安堵を表に出さないよう俺が努めていると、ミスカは浮かない顔で語る。
『それは何故だ』
「分かりません。その、私も現物は見たことが無いので……」
財宝が怪盗マグロの盗んだ品物だという話が本当なら、確かにほとぼりが冷めるまで待つ必要があるだろう。
しかし、もう数十年も経っているはずだ。
どういうことだろうと俺が考え込んでいると、やおらミスカが立ち上がった。
「う、嘘じゃないです! この紙にもそれが書かれていて……」
そうして彼女は、興奮した様子で胸にかけたペンダントを差し出す。
『分かった、分かったから立つな!』
自らの潔白を証明するようにあられもない姿をした彼女を、俺は慌てて制止した。
いや、俺も異世界に来て長いし女子の裸を見たことがない訳ではないのだ。
ないのだが、この不意打ちに動揺しない男はうちの勇者様ぐらいだろう。
『ちょっと見せなさい。いや、体じゃなくてそのペンダントの中身だ』
平静を取り戻した俺は、なるべく威厳も取り戻した声でミスカに要請した。
そうして、彼女が立たずに済むようちゃぷちゃぷと泉の中へ入っていく。
水面に映る自らの姿は馬以外の何者でもない。
若干ブルーになりながら、俺はミスカへ近づいた。
「ええと、それじゃぁ、失礼して」
怖がって逃げるんじゃと心配していたミスカだが、そんな様子も無く頭を下げた俺の角にペンダントをかける。
その際水位が上下して悪戯な水平線を描いたが、俺は目を瞑って波の誘惑に耐えた。
「あの、これです」
やがて、パカリとペンダントを開ける音、その中から何かを取り出す音が聞こえ、遠慮がちなミスカの声が聞こえた。
恐る恐る俺が目を開けると、そこには何やら紙片が広げられている。
彼女の体へ合っていた目の焦点を戻すと、そこにはこう書いてあった。
「 我坑道ノ奥ニ財宝を封印ス。
コノ封印、期限過ギルマデ何人タリトモ解クベカラズ。
封印期限:聖暦1999年葵月 」
紙はボロボロで、しかも濡れた手で掴んでいるものだから端がとろけてきている。
あまり大切にしていないのか。
思いながら、俺は紙の内容に考えを移した。
まず日付だ。今は新聖暦002年なので、これは旧暦ということになる。
ということは、だ。
『この期限は……何年後だ?』
「ええと、だいたい十年です」
異世界の暦にいまだ疎い俺が尋ねると、ミスカは不審がることもなくそう答えてくれた。
相手は浮世ばなれした馬だ。知らなくともしょうがないと考えたのだろう。
『十年……か』
合わせて六十年。気の長い財宝である。
つまりあの村長のおっさんは、生まれる前からその財宝とやらを守っているということだ。
律儀を通り越して不思議な話である。
「あの……もういいですか?」
内心で俺が首を捻っていると、ミスカがもじもじとしながら尋ねてきた。
いくら馬面相手とはいえ、更に注視しているのは紙とはいえ、鼻息のかかる距離で体を晒すのには抵抗があるのだろう。
良かった、やはり異世界人の娘さんにも羞恥心はあるのだ。
『あぁ、聞くべきことは聞いた』
妙に安心しつつ、俺は蹄を返すとその場を立ち去ることにした。
何か忘れてる気もするが、こんだけ情報があればシュージも納得するだろう。
ミスカに尾っぽを当てないように反転すると、なるべく厳かに歩いていく。
「あの、待ってください!」
だが、そんな俺の背中へと、ミスカから声がかかる。
『何だ?』
もう一度首だけ振り向いて、俺はミスカに応えた。
「私に、力を授けてくれませんか?」
『力?』
「そうです。ユニコーン様はその、清らかな乙女には力を与えてくれるって伝承にもありますし」
すると、自分で清らかな乙女と言うのが恥ずかしかったのか。
口ごもりながらミスカは俺に嘆願する。
ユニコーンの力を押し付けられた俺は、けして清らかな乙女などではない。
どこかでその伝承とやらが捻じ曲がったのだろうか。
一通り考えてから、俺はミスカに尋ねた。
『その力を以って、何を為そうというのだ』
どこぞのあらすじのようなセリフだ。
が、与える方にとっては当然の問いだろう。
そもそも与えたくても与えられないので、適当に理由付けて断ろう。
こすっからく企む俺の前で、ミスカは俯きながら答えた。
「この村を、出たいんです」
水滴の落ちる音に紛れるような小さな声だ。
「私、生まれてからずっと、自分に何かあったら村の宝を守るようにって父に言われていて……でも、十年も経ったらおばちゃんだし」
そうして、自分の身の上を静々と話し出す。
二十代中盤で何がおばちゃんか。などと憤慨する人もいるだろうから説明しておこう。
この世界において、結婚に年齢制限はない。
貴族の関係強化のため幼子が嫁に出されるなどということは当たり前として、市民の中でも結婚適齢期は15~20とかなり低めになっている。
小娘かと思ったら人妻でしたなんて事も往々にしてあり得るので、ユニコーンにとり憑かれている俺にとっては割と死活問題だ。
まぁ要するに、二十代中盤でおばちゃんという彼女の認識は『あくまでこの世界において』一般的なものなのである。
閑話休題。まぁそれはそれとして。
『特別な力などなくても、故郷を出ることは出来るだろう』
どこぞへの配慮をつらつらと頭に浮かべ終えた俺は、彼女に言葉を返した。
この村の若者は、みんな特殊能力に目覚めたから出て行った訳ではあるまい。
「で、でも……私がいなくなったらウェイトレスもいなくなっちゃうし、お爺ちゃん達の世話もあるし……」
するとミスカは、言い訳めいた口調でそんな理由を並べ立てる。
ミスカが村を出て行くことを、酒場に来た爺さんがあまり心配していなかった訳はこれだろう。
彼女は、自らに与えられた役割を放棄することが出来ない。
それは彼女の優しさであり弱さでもある。
人間誰しも存在意義などという厄介なものには悩まされる訳で、必要にされたいと思いながらあんまりそれに忙殺されると自分には他の道があるんじゃないかしらんなどと考え出す。
しかし、特にそんなものは見つからず、かと言って何の指針も無いまま全てを捨てて世界に飛び出せるほど、彼女は愚かでも勇者でもない。
そんな訳で彼女は文句を言いながらも村から出ることは出来ず、全てを解消してくれそうな特別な力とやらに憧れた……のではないだろうか。
『その調子では、特別な力などあってもお前の悩みは消えないぞ』
勝手に彼女の心情を考察して、俺はミスカに言葉を投げた。
「な、何で……そんなこと」
対し、彼女は困惑の声を上げる。
馬畜生ごときに見透かしたような事を言われたくないのは分かる。
それでも、俺の口は止まらない。
『今のままのお前がどんな力を得ようと、頼まれれば力を振るってしまうだろう。そうなればまた面倒事がお前に舞い込んでくる』
例えば俺の近場にいる勇者様がそうだ。
奴は魔王退治の道中、四六時中面倒を押しつけられていたという。
それでもフユイチが挫けなかったのは、あの男が底抜けのお人好しで、かつ全ての人間を助けたいと思っているような本人曰く欲張り男だからだ。
普通はできない。
余計に増える面倒事は、村を出る前より彼女を苦しめることだろう。
「わ、私ホイホイ人の頼みを受けたりするような考え無しじゃありません!」
その勇者様を間接的にノータリン扱いしながら、ミスカが抗議する。
しかし、だ。
『力を持ちながら自分のためだけに使うのは、非常に後ろめたいぞ。厚い面の皮と鋼の精神が必要だ』
少々早口になりながら、俺は彼女に再度告げた。
例えばどこぞの魔王のように、部下に懇願されようと俺につっこまれようと頑として譲らず、天上天我唯我独尊を貫けるような強かさか全てをスルーする馬の耳が必要だ。
なんだかんだで爺さんたちの世話をしてしまう彼女にそれができるだろうか。
ましてや。
『それがいきなり手には入ったものならば、尚更な』
もらい物の力というのは、どうにも据わりが悪いものだ。
勝手に与えられた物であっても、「これ使ってなんかしろよ」と見知らぬ誰かに急かされるような気分になる。
もちろん、そんなもんに従う義理はない。
むしろ逆らってやるべきだ。
しかし生半可な覚悟ではその境地には至ることはできない。
人からニート呼ばわりされようと己を貫く断固たる決意が必要なのだ。
……この流れで言うと本当は、老人が腰を痛めていようと遠くで争う声が聞こえようとスルーするような一貫性も欲しいところなのだが、そこまではいけないのが俺の半端なところで。
「少し、考えてみます」
いつの間にか己を省みていた俺を他所に、ミスカが呟いた。
伏し目がち、髪から水滴が落ち波紋が広がるその姿は、涙を流しているようにも見える。
……いやいや考えすぎだろう。
思考が大分ユニコってたのを自覚し、俺はようやく正気に戻った。
説教めいたことを言ってしまったのも、おそらくそのせいだ。
『う、うむ、それではさらばだ』
「あっ……!」
急いで戻らねば。
決意した俺は、逃げるようにその場を後にしたのだった。