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マシュマロ茶番

 5年前の冬。俺達が中二真っ盛りの頃である。


「で、まだ告白せんのか」


「ぶっ!」


 秋二が漏らした言葉に、俺は飲んでいた缶ジュースの中身を思いっきりぶちまけた。


「あーあーあー」


 冬一が笑いながらハンカチを差し出してくれたので、それでもって最低限の場所を拭いながら、俺は秋二に叫んだ。


「いきなり何言いやがる!?」


「お前がぼけーとして煩わしいからだ。とっとと玉砕してしまえば良いものを」


 しかし秋二の奴はふてぶてしい態度でそう返し、人の恋路の結末まで勝手に決める。


「しねーよ! しないためにその……色々と準備をしてるんだよ」


 その暗澹たる未来を否定してから、あまり自信がなくなって、俺は口の中で呟いた。

 何せ俺の思い人、川中理紗さんは、派手さは無いものの優しげな微笑が持ち主の、クラスで3番目ぐらいには人気の女子だ。

 用意無しで戦える相手ではない。


 冬一と秋二の飴と鞭作戦により好きな人をつい漏らしてしまったのが運の尽き。

 あれから3ヶ月。忘れてくれたかと思ったタイミングで、秋二は俺をせっついてくるのだ。


「相手は待ってくれんぞ。樋口が好きだったアイドルも、この前妊娠引退したしな」


「かわなっ……あの人はそういうのとは違うの!」


 俺が言い返すと、秋二はふふんと肩を竦める。

 上から目線かましやがって。お前は王様か何かか。


「来年からは受験だしね」


 どこか遠くを見ながら、冬一が呟く。

 そうか。来年になったらこいつらとは進路が別になるのだ。


 まぁどうせこいつらとの腐れ縁は切れないだろう。

 それより問題は、川中さんのほうだ。

 確かに早く告白……とは行かずともアドレスぐらいは入手しなくては。


「あ、猫」


 俺が決意を固めていると、冬一の奴が急に暢気な声を出してそれをぶち壊した。

 猫なんかの何が珍しいのか。

 恨みがましい気持ちでそちらへ視線を向けると、確かにそこには猫がいた。


 そいつは真っ黒な体をしていて、俺と目が合うとくしゃみを出す寸前のようなぶちゃいくな顔を披露する。


 そしてその日を境に、俺の青春は終わりを告げた。




 ◇◆◇◆◇




「しかし……っず、なんだな」


 薄暗い店内。丸テーブルの席についたシュージがぽつりと漏らす。

 その向かいに座った俺は、顔を上げちらりと奴を見た。

 室内で編み笠を被るわけにもいかず、頭に巻いた手ぬぐいの間からは汗が垂れる。


「異世界でラーメンというのも、おかしな気分だ」


 こちらに顔を向けずにそう言うと、ずるずるずる。シュージは再び麺を啜る。

 ラーメンを食う際邪魔にならないよう、奴の鬱陶しい髪は後ろで束ねられていた。


「お前が流行らせたんだろうが」


 男の顔を眺めながらの食事なんて確かに不毛だ。

 俺もどんぶりに顔を落とし直し、奴に言い返す。


 こう見えても一国の……複数の国を束ねるエステマ帝国の王であるシュージ。

 奴は権力を持っているのを良いことに、様々な地球の文化をこの世界に広めてきた。

 ラーメンもその一つで、どこを気に入ったのかこれが異世界の住人達に大ヒット。

 今ではどの飯場にもある定番メニューになってしまっている。


 その為、周囲を見れば丸テーブルにつきエールで乾杯している男たちがいる、いかにも西洋ファンタジー的な酒場の中で、俺たちはラーメンにありつくことが出来るのだ。


「米も流行らそうとしたのに、一向に流行らん」


 しかし、その試みが毎回成功するとは限らない。

 むしろ失敗する方が多いのが当然で、例えば白米食は生産や味の好み等の理由で異世界住民に受け入れられず、定着しなかった。


「僕はパン派だから良いけどね」


 ザ・空気を読まない男、フユイチが、俺の隣でやはりラーメンを啜る。

 淀みなく箸を動かし、汁の一滴も飛ばさないその食い方は、まるで何処ぞの貴族のようだ。

 フユイチの奴は、この世界に来る前は結構なボンボンであり、そこで学んだ礼儀作法はラーメンにすら通用するらしい。


「お前とはいつか、雌雄を決しないといけないと思っていた」


 主食の対立に、シュージが口から麺を垂らしたままギロリとフユイチを睨む。

 こいつは偉くなっても相変わらず行儀が悪い。


「全てのパン派のために、僕は戦うよ」


 ちゅるっと麺を啜ってから、今まで見せたことがないようなまじめな顔でフユイチが応える。


「お前らが全力で戦うと、地形が変わるんだからやめい」


 間に挟まれた俺は二人を交互に睨んでから、スープを飲んでため息を吐いた。


 俺の名前は君人ハルゾー。この厄介な爆弾たちの目付役のような者だ。


「しかし……なんだな」


「今度はなんだな」


 冒頭のセリフを繰り返すシュージに、俺は呆れて頬杖をついた。

 その年で健忘症か。

 

「妙にピリピリした村だ」


 だが、そんな俺の冷ややかな視線に構わず、シュージは周囲を見回す。 


 釣られて俺も同じようにしてみると、エールで乾杯しているようなおっさん達も、ちらちらとこちらを窺っているような気がした。


「お前の変装がバレたんじゃないのか?」


「バカを言え。そうなれば民衆などこちらへひれ伏し替え玉し放題になるわ」


 シュージをからかうつもりで言ってやると、奴からは真顔でそんな返答が返ってくる。

 王様のくせにやたら庶民的なサービスを求める奴だ。

 三つ子の魂百までということか。


 俺たちが今いるのはムゲラという鉱山村だ。

 昔は治癒の効力を増す魔力石とやらを産出しまくっていたそうだが、今はそれも落ち着き、大分寂れている。

 煤で汚れたおっさん達の顔にも、緊張より疲れが色濃く見えた。


「すみません。醤油ラーメンもう一杯」


 俺たちがそんなやり取りをしていると、我関せずのフユイチが手を挙げ給仕の女の子を呼んだ。

 行儀が良いのとは別に、俺たちの中で一番食うのもこの男だ。

 替え玉でないのはスープまで飲み干してしまったからである。


「あ、はーい」


 返事をした女の子は、膝丈のスカートを翻してこちらへやってくる。

 この世界における女子の下履きと言えば大抵は足首までのロングスカートだが、一部でそれなりのミニ丈も採用され始めている。


 これも、シュージが行った地球文化普及活動の結果だ。

 地球と比べればまだまだギリギリラインを攻めているとは言えず、普及率も高くはない。

 が、スカート丈を約半分まで縮めてしまうような大胆な改革を行ったシュージ王の手腕だけは、高く評価して良いのではないか。


「ふふん」


 そんなことを思いながら件の王の方を見ると、俺の気持ちが通じてしまったらしく奴は鼻を高々と伸ばしていた。


 やだやだ。付き合いが長いと妙なところで以心伝心してしまうものである。


「醤油ラーメン一丁ね。他のお客さんは注文無い?」


 少女の方には、俺たちのそんなやり取りが理解できるはずもない。

 彼女は俺たちを交互に見ると、そう尋ねてきた。


「えーと、じゃぁアサム一杯」


「俺もだ」


 目の保養というかロマン補充をさせてもらった手前、何も頼まないのはバツが悪い。

 そう思って俺が飲み物を頼むと、シュージも同じ注文をする。


 アサムは同名の果実をすり潰し蜂蜜と水を混ぜたもので、この世界では酒は飲めないけれどちょっと気分を出したいときには打って付けの飲み物だ。

 基本は庶民の味方だが、シュージの奴はこれを大層気に入っており、配下に苦い顔をされているらしい。


「はいはい。アサム二杯っと」


 注文を覚えるときの癖なのか。少女が手のひらに何か書く真似をしながら注文を復唱する。


「ここのラーメンすごく美味しいね」


 そんな彼女に、フユイチがにっこりと話しかけた。


「ま、店長の拘りだから」


 あまりに優男な笑みに普通の女子ならころっと行くのだが、客商売だと慣れっこらしい。

 少女はあっさりとそれを店長のほうへ受け流す。

 フユイチスマイルを流された店長は、頬を染めて恥ずかしそうに笑った。


 俺たちが元いた地球でもラーメン業界の切磋琢磨は凄まじく、日進月歩の食べ物であった。

 それを異世界でここまで再現……いや、創り出してしまうとは確かに恐るべし異世界人である。


「お客さん達、旅の人でしょ?」


 俺が感心していると、フユイチの視線をかわした少女がこちらの顔を覗き込んできた。


「あぁ、その通り」


 いいや、今日からここに住むことにしたんだ。

 というギャルゲー的な無意味選択肢も頭に浮かんだ俺だが、流石にやめておいて普通に答えることにする。


 すると、こちらの選択肢で正解だったらしく、少女は手を打ち合わせると嬉しそうに顔を綻ばせた。


「やっぱり! お客さん変な格好してるからそうじゃないかって!」


 ……どうやら一言多い性格らしい。

 変な格好なのはそこの黒ずくめだけで、俺はこの世界の標準ファッションを着こなしているはずなのだが。


「店員の教育がなっていないようだな」


 件の黒ずくめが、目を伏せて呟く。

 声を荒げないのは、そうすると自分が変な格好だと認めることになるからだろう。

 しかし俺には奴のこめかみに浮かんだ心の青筋がばっちり見えていた。


「あ、ごめん! 変ってそういう意味じゃなくて、この辺で見ない格好だなって」


 少女もシュージの声が微妙に震えていることに気づいたらしく、慌ててフォローに入る。


 だが、その変とこの辺を間違える奴はいないだろう。

 思ったが、とりあえず言わないでおいてやる俺。


「まぁいい……それより何かあったのか?」


 シュージの奴もその辺り少しは大人になったようで、鼻から息をぬくと彼女にそう問いかけた。


「何かって?」


「周りの人たちが暗い顔だから、何か困ったことでもあるんじゃないかなって」


 少女が首を傾げる。

 するとフユイチがお人好し丸出しの台詞で、シュージの言葉を補足した。


 それを聞いた少女は、はいはいそういうことね。的に鼻から息を吐くと、そっぽをむいて答える。


「別にぃ。あの人たちはいつも大体あんな感じよ」


 シュージ達の質問が煩わしかったというよりは、村の労働者に含むところがあるという態度だ。

 毎日ふくらはぎばかり見られて嫌気が差したのだろうか。

 少女は飛び抜けて美人というわけではなく、そばかすも浮いている。

 だが、そのふくらはぎは、肉食動物でなくとも一口かじりたくなるような肉とすじの見事な混合具合を醸し出していた。


「ただ、最近はハテロダイアンの産出量が減ってるのと、あいつらが来るようになってるから」


 そんな俺の思索に構わず、少女は思わせぶりなセリフを吐いて口に指を当てた。


「あいつら?」


 そんなことをされると逆にスルーしたくなるのが人情というものだ。

 しかしお人好しのフユイチは、バカ正直に彼女へと問いかけた。


 隣のシュージが、バカ正直め余計なことをとでもいうような表情をしている。

 それぐらいでめくじら立てんでも良かろうにと思うかもしれない。

 しかしか今回は、俺もシュージに同意見だ。


 こういうことにフユイチが興味を示した場合、大抵それは厄介ごとなのだ。

 そして俺達は、それにほぼ間違いなく巻き込まれる運命にある。


「お邪魔しますよ」


 そう思った途端、酒場のサルーンが開き、ここにはそぐわない雰囲気の身なりの良い小男が入ってきた。


 彼はその後ろに、護衛というのには少々ガラの悪い強面達を連れている。

 この組み合わせだけで既にトラブルの匂いがプンプンである。


 案の定、店にいる人間達の敵意ある視線が彼らへと一斉に向けられた。


 ちなみに俺達の敵意ある視線は、フユイチへと向けられている。


「え、何? 何かな?」


 長い付き合いなのにフユイチはその意味が分からないらしく、困惑した表情でこちらを見返してくる。

 あの人物は、絶対にフユイチの奴がフラグを立てたせいで登場したのだ。

 因果律的なものをねじ曲げて、突然虚空から現れたに違いない。


「あれはね。うちの鉱山を買い取ろうっていう商人よ」


 俺の妄想を余所に、フユイチの困惑声を勘違いしたらしく、少女がそんな風に説明した。


「そりゃまた豪気な話だな」


 先ほどの話では、この村にある鉱脈はかなり掘り尽くされているらしい。

 そんなもんを買い取って、どうするというのだろう。


「隠された財宝でもあるのかもしれないね」


「……まぁ、村のみんなもそう言ってるわ」


 笑顔に戻ったフユイチが呟くと、少女がため息を吐きながら同意する。

 まぁ確かに、その鉱山とやらにはまだ何らかの価値があって、それをあの商人が独占しようとしていると考えるのが自然だろう。


「商人自身はなんと言っているのだ?」


 そんな風に俺が考えていると、先ほどまでトラブルの予感に嫌そうな顔をしていたシュージが、妙に積極的になって少女に尋ねる。

 おそらくこいつは、財宝という言葉に反応したのだ。

 この男、異世界から呼び出され身分も何もない状態から王様にまで上り詰めただけあって、権力だのお宝だのという言葉には目がない。


「えっと、あの人の先祖がこの村の出身で、寂れていくこの村を救いたいとか言ってたらしいけど……」


 それに対して歯切れの悪い少女の返事。

 彼女も商人の言葉を信じ切れていないのか。それともこの見るからに胡散臭い男が急に乗り気になったのを不気味に思ってか。


「ミスカぁー」


 その時、カウンターの方から声がかかった。

 呼びかけられているのは、おそらくここにいる少女だ。


「あ、つい話し込んじゃった。すぐ持ってくるからね」


 それを聞いた少女は早口でそう言うと、短いスカートを翻してマスターの元へと戻っていった。


「ふむ……」


 その膝裏を見ながら、シュージが口元に手を当てる。


「おい、まさかつるはし持って財宝探しするってんじゃないだろうな」


 同じ所を見ていた俺だが、嫌な予感がしてシュージに問いかけた。


「阿呆。そんなめんどくさいこと誰がするか」


「一ヶ月後にガラムランへもつかなきゃいけないんだからな」


 シュージは視線を動かさぬまま、へっと吐き捨てるが本当に分かっているか疑わしい。

 念のため釘を刺した俺だったが、その袖をちょいちょいっと引っ張るものが。


「ここの人達が困ってるなら、僕は手助けしたいな」


「どうせお前はそう言うと思ったよ。ていうかその可愛い気の引き方やめれ」


 まるで童女のような控えめさで俺を呼んだのは、フユイチだった。

 その底なしの善人ぶりと案外似合っている仕草が気持ち悪くて、俺は邪険にその指を払う。


「ハルゾーだって、困っている人は見過ごせないでしょ?」


 しかしフユイチの奴は今度は小首を傾げると、こちらの顔をのぞき込んでくる。


「お前と一緒にするな。俺は最後まで責任持てない事には関わらない主義なの」


 それをしっしと払って、俺はそっぽを向いた。


 ごついのを後ろに連れているものの、あの商人が強引な地上げをしているとかいう話も少女からは出ていない。

 胡散臭いというだけで彼らを叩きのめすわけにはいくまい。

 そもそも本当にただの慈善事業かもしれないのだ。

 それを見極めて対処するとなると、それ相応の手間と時間がかかるだろう。

 話が寂れた村の復興ともなると、十年単位になるかもしれない。


 こいつらがどう思っているかは知らない。

 しかし俺はいずれ(できれば近いうちに)この世界から去る存在だ。

 飼えない野良猫に餌をやってはいけないように、俺は面倒を見きれるか分からない事には手を出さないようにしているのだ。


「ハルゾーって昔から、変なところ細かいよね」


 俺がうむうむと自らのスタンスに関して理論を補強していると、フユイチが困ったような笑顔で呟く。


 お前が何を知っているんだ。とは言えない程度には長い付き合いなので、俺は唸らざるをえない。


「借りた漫画の読み方まで指図するしな」


「お前は人の本読むとき広げ過ぎなんだよ!」


 だが、人の貸した本を癖が付くまで広げて読む輩は許せない。

 さりげなく自分の無精を人のせいにしようとしているシュージに、俺は言い返した。


「ふん、面倒な奴だな。俺は美味しいところが摘めればそれで良い」


 だがシュージの奴は悪びれる様子もなく腕を組むと、鼻から息を発射する。


「王様としては最低の発言だぞそれ。ていうか、だからその美味しい所ってのは……」


 呆れながら尋ねようとすると、シュージが「ん」と顎で商人の方を示す。

 いちいち横着な奴だ。思いながらそちらを見ると、炭坑夫であろう客の一人が、彼の座る席へ大股で歩いていくところだった。


「おうおうおうおう」


 明らかに穏やかな様子ではない。

 それを察して、用心棒達が立ち上がる。


「おめーが何か企んでるのは分かってんだよぅ! とっととこの村から出て行け!」


 怪しい呂律で身振り手振り。商人達に近づきながら男はまくし立てる。

 かなり酔っ払っているようだ。


「おいおっさん。そういうのは余所で……」


 用心棒の若い方がおっさんの肩に手をかける。


「うるせぇ!」


 その瞬間、腰の入ったおっさんのパンチが彼の顔へ炸裂した。

 

 火花散るような、拳の軌道がいつまでも目に焼きついて離れなくなるような、男ならば誰もが見惚れるような素晴らしい一撃だ。


 周囲がスローモーションになり、その中を殴られた男がゆっくりと背後へ倒れる。


 誰かが唾を飲む音。一瞬後、酒場が歓声で沸いた。


「お、おぉ、うお……」


 その轟音の中、俺は戸惑いながら周囲を見回した。

 確かに良いパンチだったが、そんなヒーロー扱いしちゃって大丈夫なのか?

 商人さん完全に悪役になってるじゃないか。


「恐るべし炭坑夫。伊達に厳しい肉体労働を毎日こなしているわけではないな」


 そんな中、シュージは感心したように頷く。

 残った用心棒とおっさんがにらみ合いになり、店内の人間も何なら加勢しようかという姿勢を見せ始める。

 周囲が放電でもしているかのように熱くなり始めるのを見計らって、シュージの奴は立ち上がった。


「ふ、中々良いパンチだ」


 そうして奴は白々しい言葉を吐きながら、ゆっくりと商人と拳闘炭鉱夫のほうへと歩み寄る。


 奴は周囲の緊張などまるで気にしない。

 もしくはその緊張が自らに注がれるのを楽しんでいるようだ。


 あまりに堂々としたその姿勢に、止めるものもなく奴は騒動の中心へとたどり着いた。


「どうだ。俺と世界を獲ってみないか?」


 そうして奴は、ぽん、と炭鉱夫の肩に手を置く。


「お前もうるせぇ!」


 その瞬間。またしても閃光のような一撃が炸裂する。

 哀れ趣味の悪い真っ黒男は用心棒と共にノックダウン……とはならかった。


 ふよん。

 シュージの頬に炭鉱夫の拳がヒットした瞬間、そんな気の抜けた音を立てて彼の拳が止まったからだ。


「ぶぶぶ、ボクサーならばグローブをつけんとヴぁ」


 奇妙な発音で、シュージが喋る。

 辛うじて聞き取れたグローブという言葉に俺が炭鉱夫の手を見ると、彼の両手は真っ白く柔らかな塊に覆われていた。


「な、なんだこりゃ!?」


 突然自らの両手に出現した白い塊に、炭鉱夫が狼狽した声を上げてそれを外そうとする。

 だが、ボクサーのグローブは一人で外せるようなものではなく、しかもそれには結び紐すらついていない。

 口で噛むことによりそいつを取り除こうとした炭鉱夫だが、その瞬間彼の表情が変わった。


「う、うめぇ!?」


「それはマシュマロだ」


 炭鉱夫の言葉に、満足げな笑みを浮かべてシュージが答える。

 グローブではないのかというつっこみを置いておくとしても、ただのマシュマロではあるまい。

 あのキレのあるパンチの衝撃を完全に殺したのだ。通常のマシュマロの何十倍もの弾力性ともっちり感を兼ね備えていることだろう。

 蕩けそうな炭鉱夫の顔を見れば、非常に美味い事も簡単に想像できる。


「あ、ありがとう助かった」


 マシュマロを貪る炭鉱夫をぼんやりと眺めていた商人が、しばらくすると我に返った様子でシュージに礼を言った。


「どうやら人材不足で苦労しているようだな」


 いやいやと首を振り、シュージは伸びている用心棒を見下ろしてそれに応える。


「俺を雇わないか? こいつらの十万倍は働くぞ」


 のされたぼんくらと同一視された用心棒の片割れが、ひくりと頬を引きつらせる。

 なるほどそういう魂胆ね。ようやくシュージの意図が分かり、俺は頬杖をつきながらため息を吐いた。


「何ならここにいる全員をマシュマロに変えてやろうか?」


「わ、私はそこまでは望んでいない!」


 やはり悪徳商人というわけではないようだ。いやそこまではと言っているからちょい悪商人ぐらいの按配かもしれない。


 そんなアホな事を考えながら俺がその茶番を眺めていると、隣に座っているフユイチがやおら立ち上がった。


「そうはさせないよ」


 言い放つと、奴はシュージ達の方へと歩き出す。

 

「ほほう、この俺にたて突くか愚か者め!」


 それを受け、シュージは腕組みをし過剰にふんぞり返った。


「……お客さんたち友達じゃないの?」


 先ほどのウェイトレスがラーメンを盆に乗せ戻ってき、不思議そうな目でシュージとフユイチを見比べる。


「はっはっは、今知り合って相席になったばかりだ!」


「パン派とご飯派の溝は深いんだ」


 それに対し、奴らはぽんぽんと言葉を返した。

 この息の合いっぷりだけで十年以上の腐れ縁だとバレそうである。

 だが、奴らの謎の勢いに少女は「そ、そうなんだ」とそれ以上追求せず俺のテーブルにラーメンを置いた。


「一応俺の後ろに隠れとき」


 で、こちらに説明を求める視線を向けてくるのだが、それをスルーする形で俺は彼女を促す。


「え、あ、うん」


 するとウェイトレスはあからさまに不安そうな顔をしたが、それでも俺の背後に隠れた。

 盾が無いよりはマシと考えたのだろう。


「ところであんた……」


「何?」


「いや、良い」


 俺が頑強な盾足り得るかは、君がひと夏のアバンチュールを経験しているかどうかにかかっているのだ。


 しかし俺に、そんな事を正面きって聞く勇気はない。

 それに、いくらあいつらでもこんなラーメンが美味しい店を壊したりはすまい。


 半ば祈るような俺の気持ちを裏切るように、シュージフユイチ間の緊張は増してゆく。

 まるで荒野の決闘のようだ。

 

 店の外でやってくれ。マスターの顔は露骨にそう言っていたが、もはやあの二人には誰も割って入ることができない。


 そして、数秒の沈黙。


「喰らえ!」


 先に動いたのはシュージだった。

 奴が指先をフユイチに向け伸ばすと、その先から光の粒がマシンガンの如き勢いで飛び出す。


「ふっ」


 呼気を放ったフユイチが腰にぶら下げた名刀グラヌセイバーを振るい、それらを全て弾く。

 この間俺も矢を弾いたが、あれとは比べ物にならない密度と速度だ。


「うわぁ!」


「ひゃぁ!」


 弾かれた弾丸は客席テーブルに着弾。

 悲鳴を上げる客達だが、流れ弾が当たる人間はいない。


 それでもやはり恐ろしいのだろう。ウェイトレスは俺を盾にする形でしゃがみ込み、目をかたく瞑る。

 なんだかなぁと思いつつ、俺はフユイチの注文したラーメンをすすった。

 うむ、やはり美味い。


「ふ、やるな」


 ――シュージが射撃をやめたのは、酒場中のテーブルに弾丸の山がこんもりできてからだった。


「君が本気なら、危なかったよ」


 言って、フユイチが客席のほうを見る。

 奴が弾いた弾丸は白く柔らかな物体。マシュマロでできていた。

 

 あいつそんなにマシュマロ好きだったっけ。

 思いながら、俺はラーメンの合間にマシュマロをつまむ。

 いくら双方とも美味いからといって、この食い合わせはどうにもならない。


「ふん、引き時だな」


 シュージもまた背後を見ると、腰を抜かして呆けている商人を促した。


「え? あぁ、え……?」


 混乱から覚めた商人だったが、謎の男がいつの間にか自分たちの一派に属していること。というか、主導権を握ってしまっていることにもう一度疑問の声を上げる。


「今日のところは引き上げてやる。次にこの方が来るまでよく考えておくことだな」


 あくまで自分は商人の配下である。よってこの騒動の責任も彼にある。

 というスムーズな責任転嫁を果たして、シュージがびっとフユイチを指差した。


「わ、私か!?」


 責任を擦り付けられた商人はひっくり返った声を上げる。


「そのときは受けて立つよ」


 勇者フユイチは心なしか男前な表情でシュージの挑戦を受け止めた。


「ひゅーひゅー!」


「もぐっ、もが、いいぞあんちゃーん!」


「しかしうめぇなこれ」


 店にいる荒くれ者たちは、マシュマロを放り込みながら歓声を上げた。

 やはり無駄にノリが良い。


「ほれ、行くぞ」


 そうして、いまだにぽかーんとした顔をしている商人の首根っこを掴み、シュージは店を出て行った。

 のされた用心棒を残ったほうが担ぎ、慌てた様子で着いていく。


「な、何なの一体?」


 ウェイトレスの少女が呟くが、俺にも良く分からない。

 ただ、何かしらの茶番が始まったのだということは、はっきり分かっていた。

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