ノアだけはガチ
俺の自己紹介に、周囲の男達が妙にがっかりした声を出す。
何なのだろう。俺が神様であってほしかったとかだろうか。
そうなればお前らなんぞ塵も残らないんだぞ。分かっているのか?
誰もが勇者だの魔王だのという肩書きを持っているはずがない。
持っていたのなら、そいつらの価値は激減する。
異世界に来てすら、世間は肩書き地獄である。
もっとこう、相手の中身を見ようとすることが平和への第一歩だと思うのだが……。
俺の心中に関わらず、しらっとした空気が場に流れた。
「締まらんやつだな」
その様子を見ていたシュージが、口調はつまらなそうに、しかし表情は明らかに楽しそうに呟く。
「しょうがねぇだろ! 俺にはお前らみたいな大層な肩書きねぇんだから!」
おちょくられている。分かっていながら我慢できず、俺はシュージに叫び返した。
誰のおかげでこんな居たたまれない気分を味わっていると思っているのか。
原因のもう一端であるフユイチはと言えば、若干困ったような表情でニコニコしている。
「うちの掃除係にならいつでもしてやると言っているだろうに」
「いらねぇよそんな役職! 別に掃除も好きじゃないしな!」
王様気取りで腕を組むシュージのありがたい斡旋を、俺は全力で拒否した。
お前ん家東京ドーム数十個分ぐらいの広さがあるじゃねぇか。
一週間かけても終わんねぇよと俺が言ってやろうとした時である。
「ふざけるなー!」
置いてきぼりになっていたタオル一枚のおっさんが、激昂して叫んだ。
だから相手の戦力が予想以下だったのに、何故彼らは怒るのだろう……。
「お前達、かかれ、かかれーー!」
俺がグチグチと考えていると、おっさんが兵士達へと号令を飛ばした。
「「「オ、オオーー!!」」」
それを受けてこちらへと向かってくる彼らの、妙に勢いづいた様子が更にムカつく。
「ふん、迎え撃ってやれスケカク」
「だからそれはもう良いっての……」
辟易としながら、俺は杖を構えた。
確かにこの二人には劣るが、先ほどの矢だって何とかなったように、俺だってそれなりには戦えるのだ。
それを証明してやる……という気持ちでいたのだが。
「お前はこっちだ!」
「むぐぅ――!」
おっさんが、地面に転がされていた少女を米俵のごとく担ぐ。
「後始末は任せたぞ!」
そうして奴は、あろうことか少女を担いだまま逃げ出すではないか。
あの野郎、贅沢三昧をしていただろうに変なところで逞しい。
「ハルゾー! 任せたよ!」
妙な感心をしている俺へと、一足先に兵士達から囲まれたフユイチから声が飛ぶ。
「何で俺が……!」
「お前の得意分野だろうが」
抗議しようとした俺へと、何やらおっさんの居た辺りに視線を落としつつ更にシュージが畳みかける。
「あ、あの子がその、アレかは分からないだろ!?」
「ええいうるさい! とっとと行け!」
そんなあいつらに、俺はどもりながらも言い返す。
が、シュージはバンザイを繰り返しながら俺を追い立てた。
「ひぃ!」
「うわ、ゆ、床が!」
その動きに合わせて前方の水晶床が隆起し、兵士共に悲鳴を上げさせる。
……確かにこいつらを人質付きのおっさん追跡任務なんかに当てたら、大惨事になる気がする。
「ち、しょうがねぇな!」
結局、俺はおっさん達を追うことにした。
シュージが隆起させた地面を蹴って兵士達を飛び越えると、フユイチが相手している兵士達の間を縫って中庭を通り抜ける。
すると前方に、閉じられていない裏門らしき物を発見。
それを潜り抜けると、俺はえっほえっほと揺れる尻へと声をかけた。
「そこまでだ!」
なんか気の利いたセリフでも浮かべば良かったのだが、思いつかなかったのでしょうがない。
とりあえずフユイチの真似をしてポーズを決める俺。
「ぷはっ、た、助けて!」
猿ぐつわを何とか顎の下に押しやった少女が、首をめぐらせて助けを求める。
「あぁ、ちょっと待ってろ」
彼女に頷きおっさんへと駆け寄ろうとした俺だが、先におっさんが足を止めた。
そうしてやっこさんが、ゆっくりと振り返る。
その顔は、笑っていた。
「くっふっふっふ」
その不気味な笑い声に、抱え上げられている少女がいやいやと首を振る。
俺も若干引きながらおっさんの様子を観察していると、奴は腰に巻いたタオルの中から真っ黒い玉を取り出しこう言った。
「勇者でもなく魔王でもなく一番の下っ端を寄越すとは! 油断したな!」
「誰が下っ端だ! ていうか今それどっから出した!?」
おっさんにつっこみを入れるも、まるで聞いていない。
「ふはははは、儀式は既に終わっていたのだ! そして邪悪なる力は今ここに!」
やっこさんは陶酔した様子でそう語ると、股間あたりから取り出した黒い玉を自らの口の中へと放り込んだ。
俺と人質の少女が一斉に顔をしかめる。
そのせいで一瞬反応が遅れてしまうが、直後に玉の正体に気づいて俺ははっとした。
「あ、やべっ!」
声を出すがもう遅い。
おっさんが蛇のような健啖さでそいつをひと飲みにすると、その体がドクンと震えた。
そのままおっさんの体は、内部から太鼓で叩かれているかのように不規則に、大きく振動する。
そしてその度に手や足が膨れ上がり、耐えきれず破れた皮膚の下からは黒い肉が露わになっていく。
足を覆う汚いすね毛は過剰に伸び下半身を覆い尽くし、薄かった頭頂部の毛もわさわさと顔中を埋め尽くす。
その下でメキメキとおっさんの輪郭が変形し、口が裂けた。
「キャァァ――!」
更には彼の頭からにょきにょきと鹿のような角が伸び、抱えていた少女を天高く連れ去っていく。
おっさんの体はいまや二倍以上に巨大化し、角はその半分。
つまり少女は、5メートル近い上空へと釣り上げられたわけである。
「た、助けて! 降ろしてー!」
そりゃもうおっさんの角に持ち上げられた少女が、半狂乱になって叫んでいる。
昔家で飼ってた猫があんな感じになった事があったが、自分の意志ではなくしかも華麗な着地も期待できない状態の人間であればその恐怖は尚更だろう。
「この姿こそ大海嘯以前の高位魔族の力を取り込んだ私の奥の手! 金持ちは自らを自らの力で守ることが出来てこそ金持ちなのだ!」
そんな彼女に構わず、でっかくなった口で、おっさんがペラペラとよく喋る。
おっさんの体は、すっかり鹿の頭と筋骨隆々の体を持つ訳の分からない生物へと変化を遂げていた。
口振りから察するに、おっさんが行っていたのは本当に悪魔召還の類の儀式で、その成果があの黒い玉だったのだろう。
悪魔というのは、かつて滅んだとされる魔物の先祖の俗称である。
が、その説明は後回しにしよう。
とにかく、周囲を覆う黒いオーラと空気の震えから、そのデカい体がこけおどしではないことは伝わる。
「おい、君!」
状況が逼迫してきた。
ためらっている場合ではないと覚悟を決めた俺は、少女へと呼びかけた。
「は、はい!?」
角に乗っかってるとか引っかかっているとかの状態になっている彼女が、俺の声に反応する。
スカートを捲り上げられ露わになった太股を見ると、よけい気が重くなる。
とにかく息を吐いて、俺は彼女に念押しすることにした。
「これから一つ重大な質問をするが、これは決して俺の趣味趣向、ましてや性的欲求に根ざしたものじゃない! まずそれを理解しろ!」
「はい!?」
俺の呼びかけに少女が同じ言葉、しかし今度は語尾上がりで戸惑いの声を出す。
そりゃそうだろう。
しかし彼女の同意を得ている暇はない。
少女を真っ直ぐ見つめると、俺は彼女に問いかけた。
「君は、処女か!?」
聞いたとたん、少女の顔が遠目にも分かるほど紅潮する。
「ななな、何を聞くんですか!?」
非常におぼこな反応だ。これはもう言質を取らずとも大丈夫だろうと思うのだが、そうは問屋が卸さない。
「いいから答えろ! 死にたいのか!?」
少女から決定的な一言を引き出す為、俺は彼女に恫喝とも言える勢いで迫った。
「ええええええ!? は、はいそうです! 男の人とおつきあいしたこともありません!」
涙目になりながら、可哀想な少女はそう答える。
彼女にその答えをもらった途端、俺の全身に活力が漲った。
「よし!」
「よしって言ったー!?」
「ハッハッハ、何を聞くかと思えば私が生け贄に選んだのだから処女に……」
そしておっさんが笑い声を上げた瞬間――。
ドシン! 言いかけたおっさんの頭から、角が落ちる。
そして角にし引っかかっていた少女はと言えば、既にそこにはいない。
彼女は、一瞬にしておっさんの脇を通り抜け、その背後へと移動した俺の腕の中にいた。
拘束はすでに解かれている。
「え、あ、はっ!?」
状況を理解できず、おっさんが地に落ちた自らの角を二度見。
それからやっこさんは、背後からの眩い光に気づいてその発生源、つまり俺を見た。
俺の体は今、人間蛍光灯といった具合に全身が白い光に包まれている。
「貴様、一体何者だ!?」
おっさんが、先ほどした質問をもう一度繰り返す。
それに対し、俺はずっと被っていた編み笠を取ることで応えた。
光がより一層強くなり、少女が目を逸らす。そして――。
「ユニ、コーン……」
編み笠の下から現れたものを見て、おっさんが呟く。
俺の額と頭頂部の間には、眩く輝く、真っ直ぐな一本角が生えていた。
「海の害獣ユニコーン!」
「聖獣だ聖獣!」
人外となったおっさんが叫ぶ。
その不名誉な呼び名に、俺は思わずそれを訂正した。
「そんな。あの、伝説の生き物が……」
少女が呟く。
それに答えることなく、俺はおっさんを見た。
ノアの洪水……というエピソードをご存じだろうか?
人間が神様の怒りを買い、大洪水によって洗い流されてしまうというエピソードだ。
その中でノアという爺さんがかの有名な箱船を作り、様々な動物のつがいを乗せた。
しかしそこに乗ったユニコーンは、つがいになった動物達を次々に突き殺し、ノアによって海へと放り出され溺れ死んでしまう。
その神話が、この世界にも存在する。
少し違うのはこの洪水が、当時世界のほとんどを支配していた邪悪な魔物――悪魔を洗い流す為に引き起こされたものであること。
そして、放り出されたユニコーンが、ど根性で生き残ってしまったことだ。
生き残ったユニコーンはノアへの憎しみで力を蓄えた。
そうするうちにたてがみはワカメに、蹄は貝に、尻尾はイカタコクラゲを束ねた触手へと変わったらしい。
海の仲間達を引き連れ、ノアへと復讐戦争を仕掛けたユニコーン。
戦いは7日間続き、それを仲裁したのが、世界に洪水を起こした女神ティンダロッドだ。
女神の美しさ清らかさにユニコーンはひざまづき、彼女に服従した。
その後、人々はユニコーンを畏れ、日本で言う菅原道真よろしく海の聖獣として祀り上げて崇めることにしたらしい。
……こんなどうしようもない話、長々と語ってしまって悪いとは思っている。
つまりはその、ろくでなしのユニコーンの力が俺には宿っているのだ。
何故、誰のせいでこんなものが備わってしまったかは分からない。
この世界へと召還されたときには、既に与えられていたものだからだ。
「た、た、助けてください」
既におっさんの手からは助けたというのに、少女が命乞いを再開する。
自由になった腕に力が籠もり、抱き上げた俺を全力で突き放そうとしているのが伝わってくる。
ユニコーンについて俺が分かっていることは少ない。
まず分かっているのは、このユニコーンという生き物は、世間的な評判が著しく悪いということだ。
それもそうだ。
老若男女処女ではないと見れば突き殺す。
処女と見れば甘え倒す。
しかもこの世界のユニコーンは、それをこじらせて戦争まで引き起こしているのだ。
評判が良いはずがない。
祀られているのも恐怖心からだ。
「いや、突き殺したりしないから、うん。でも俺の側から離れないようにね」
助けたはずの少女のリアクションに傷つきながら、俺は彼女を地面へと降ろした。
分かっていることはもう一つ。
この駄馬は女を、それも処女を助けるときにしかその力を発揮しようとしないということだ。
俺と同じように力を与えられたフユイチやシュージが、ノーリスクノーコストであれだけの力を発揮できるにも関わらずである。
「何がユニコーンか! 老人に突き落とされるような獣など恐るるにたりん!」
悪魔の姿と化したおっさんが、こちらへと突っ込んでくる。
手に持った杖を構え、俺はおっさんと対峙した。
「ふっ!」
俺が気合を篭めると、杖の先端に螺旋状の溝が刻まれた光の角が現れる。
鋭く巨大な鉤爪を有した腕が、俺達へと振り下ろされる。
それを俺は、杖の先で払った。
キャキィィ!
という高い音が響き、角部分が回転する。
「うぎゃぁ!」
それは何の抵抗も無くおっさんの伸びすぎた爪を削り取り、やっこさんを一瞬で深爪にした。
腕を押さえておっさんが仰け反る。
しかしそれだけでは収まらない。
むしろ穂先の回転はどんどんと激しくなっていき、光の粒子をまき散らしながら輝きを増していく。
俺は腰を深く落とすと、杖――今や槍となったそれを構えた。
頭の中に呪文が浮かび、次の瞬間、叫びと共に槍を突き出す。
「ユニコーン・トゥインクル・トゥインクル・スプラッシュストリ――ーム!」
ごぅ! という音が槍から発せられたかと思えば、その先から目を開けていられなくなるような、一際激しい光の奔流が溢れ出る。
それはおっさんの体を飲み込み、射線上にあった水晶と化した塀すらも巻き込み、塵へと分解していく。
――光が収まった後、そこには深くえぐれた水晶の床と、どこまでも真っ直ぐに開けた道があった。
ちょっとやりすぎたかもしれない。
落とした編み笠を拾いながら、俺は反省した。
先ほどまで生えていた輝く角は、一足お先に引っ込んでいる。
「こ、殺した!」
だが、そんな俺の後ろから、守ったはずの少女がひどい事を言って飛び退く。
「違ぇよ! 今のはこう、魔法少女的な浄化技だよ!」
振り向いた俺は、編み笠を被り直しながら彼女へと抗議する。
何故彼女から非難されなければならないのか。
そもそも俺は殺していない。
「浄化って……でも建物も壊れてるし」
落ち着いて考えれば、異世界少女に魔法少女と言っても伝わるまい。
だが後半の言葉は理解できたようで、しかしその言葉に似合わぬ目の前の惨状に、彼女は不信さ丸出しの声を出した。
「あれは魔法で出来た水晶だからだ!」
一応聖獣であるユニコーンには、魔の力を祓う力がある。
今俺が撃ったのも、見た目は派手だがそういう技だ。
魔のつくものは何でも吹き飛ばしてしまう融通の効かなさがあまりにもユニコーン的だが、ともかくそれで人間を殺してしまうことはない……はずだ。
「だからおっさんだって……あれ?」
だからおっさんだってちゃんと生きている。
と言おうとして再び前方に視線を戻すが、その先にはある意味清々しいまでに開けた大地があるだけだ。
「……」
「……」
気まずい沈黙が、俺達の間で流れる。
少女も一応俺が命の恩人だと思い出したのか。視線に気遣いのようなものまで表れ始めている。
もしかしたらあのおっさんは骨の髄まで悪魔になっていて、俺の魔法によって消し飛んでしまったのかもしれない。
だとしたら……いやいやあれは正当防衛だ。
「助け、助けて!」
俺がそんな風に自己弁護をしていると、頭上から声が響いた。
見上げると、裸のおっさんが木に引っかかって悩殺ポーズをしている。
どうやらあの光線……浄化技の余波であそこまで飛ばされたらしい。
それを確認し、俺はほっと息を吐いた。
おっさんの生死は正直どうでも良いが、浄化技と言った手前俺の沽券に関わるのだ。
さんざん人を疑った少女に対し、どうだとばかりに胸を張ると、彼女からは若干呆れたような視線が返ってくる。
命の恩人にも正直に接する、裏表のない女子だ。
「派手にやったねぇ」
壁から出来た穴を通って、フユイチとシュージがひょっこりと現れた。
水晶の塀によって透けている城内を見ると、気絶した兵士たちが土嚢の如く重ねられている。
「ふん、美味しいところを譲ってやったのだから、これぐらいしてもらわんとな」
「美味しいところってお前! この子がひと夏をエンジョイしてたら俺死んでたぞ!」
皮肉げな笑みを浮かべるシュージに、俺は迂遠的表現を使って言い返す。
女子の貞操について勝手に話してしまうのはまずいかもしれないが、あんだけ煌びやかな光で彼女の処女性について証明してしまったのだから今更だろう。
「あの魔法陣を見て、儀式の内容には察しがついていた。あのおっさんが悪魔を召還したことも、儀式に使うのが生娘だと言うこともな」
「分かってたなら説明しろっての……」
だが俺の抗議にも動じず、シュージは当たり前のようにそう答えた。
そう言えば領主のおっさんも生け贄の処女がどうだか言っていたはずだ。
「うぅ……」
ちなみに処女だの生娘だの散々言われ、少女は真っ赤な顔になって俯いている。
これが原因で貞操を適当にぶん投げたりしないか、とても心配だ。
「まぁ、これにて一件落着だね」
そんな少女の行く末など知らん顔をして、フユイチがそう締めくくった。
「いやいや、どうすんだよこれ」
しかし、気絶した兵士やら木にひっかかった全裸のおっさんやらをこのままにしておくわけにもいくまい。
しかも周囲は水晶張りだ。途方に暮れて周囲を見回す俺。
「問題ない」
すると、シュージがそう言ってパチンと指を鳴らした。
突如、床に魔法陣が出現し、その下からぬめりと鉢がねと面貌をつけた黒衣の男が現れる。
というか忍者だ。
「後処理は任せた」
彼に対し、シュージが横柄に告げた。
忍者は片膝をつき、ずっと待機していましたというようなポーズを取っていたが、周囲の水晶とそこに出来たでっかい穴を見て目を丸くする。
「あ、後処理とは……どうすれば」
「とりあえず気絶してる奴らは引っ立てろ。あそこの木に引っかかってる奴もな。それと語尾にはござるをつけろと言っただろうが」
どうやら成り行きを影の如く見守っていたわけではないらしい。
ついでにこの忍者スタイルは強要されたものらしい。
「し、失礼しましたでござる」
「詳しい事情はそこの娘から聞け」
律儀に語尾をつけた彼に対し、シュージが顎で少女を示す。
目を丸くする少女に視線をやり「はっ」と返事をした後、忍者はシュージを窺うように見てから尋ねた。
「ところで王。やはり我々の護衛を受け入れて頂くわけには……」
「うるさい。俺はバカンス中なのだから嫌だと言っただろう」
が、けなげな彼の提案を、シュージはすげなくしっしと断る。
「それに護衛なら、世界最強の勇者と他一名がついているからな。後は余計だ」
「他一名で悪かったな」
成り行きを見守っていた俺だが、流石に聞き捨てならない言葉が出てきて口を挟んだ。
勝手に護衛扱いされたフユイチも苦笑いをしている。
「ご迷惑をかけます」忍者の彼が視線でそう言ってきたので、俺もまた「いえいえ」と視線で答えた。
この男に振り回されるのは、俺の方がずっと慣れているのだ。
◇◆◇◆◇
次の日である。
村を旅立った俺達は、再び街道を歩いていた。
空では太陽が、今日もカンカンに照っている。
「つうか、バカンスなんて大丈夫なのか?」
うだる日射しにまたも死にそうな顔になっているシュージに、俺は問いかけた。
こんな奴とはいえ王様がフラフラ出歩いていたら、あの忍者モドキの彼でなくても困るだろう。
「前にも説明しただろう。俺が席を空けることによって、その隙に跳梁跋扈しようとする不貞の輩を炙り出す作戦だと」
俺の問いに、シュージは前を向いたまま鬱陶しそうに答える。
温度調節ぐらい魔法で何とかならんのかと聞いたことがあるが、それをすると周囲の人間が雪だるまになるらしい。
「空けてる間に簒奪されてないと良いよね」
簒奪……臣下などに国を奪われることである。
俺の横――シュージの反対側を歩くフユイチは、シャレにならんことを楽しそうに言う。
「その時はまた奪い返してやるから大丈夫だ」
だがそれに、シュージもまた二ヤッと笑って返す。
長い付き合いだが、こいつらのこういうところは未だに理解できない。
ていうか俺を挟んでそんな物騒なやり取りをしないで欲しい。
「まぁそれならガラムランにつくまで後一ヶ月。のんびり行こうよ」
俺の願いが通じたわけではなかろうが、フユイチは軽く伸びをすると、言葉通りのほほんと頬を緩めた。
……一ヶ月後、東と西の国境。聖都ガラムランで大規模な成典が開かれる。
そこでは東と西の国の強固な友好条約が結ばれる予定で、それぞれの国の代表(つまり片方は魔王シュージ)と、勇者フユも立ち会い人として招致されていた。
特に功績があるわけでもない俺が呼ばれている筈もないので、今回はこの二人について行っている形になる。
「ていうかお前ら、約束は守れよ」
「はぁん? 知らんなぁ~」
思い出した俺が二人に釘刺すと、シュージがあからさまに悪い顔をして笑う。
「三流悪役の真似は即刻やめろ」
どうか息子だけはとでも乗ってやろうかとも思ったが、どう考えても俺が損をするだけなので冷たく突き放す。
「秘蔵図書の閲覧だよね。大丈夫だよ」
するとフユイチの奴が、俺たちのやり取りを何やら満足げに見てから頷いた。
聖都ガラムランには、東西はおろか外れの島国や果ては魔族のものまで、あらゆる本が収められている大図書館があるらしい。
更にその奥には、大司教に赦された者しか閲覧できない秘蔵図書があるらしいのだが……俺の目的はそれだ。
「あそこになら、地球に戻る手がかりがあるかもしれないからね」
「あぁ、俺は、絶対に元の世界に戻ってやるんだ」
決意を込め、俺は呟いた。
俺は、こんな世界に定住するつもりはない。
勝手に連れてこられて、変な力を与えられて。
……力を奮うことに快感が無いと言ったら嘘になる。
だがそれでも、こんな理不尽な事をする神だかもっと他の奴だかの思い通りになんて、俺はなりたくないのだ。
「まだそんなことを言っているのか。諦めていい加減定職に就け」
「人をニート呼ばわりするな!」
しかし、世界への反逆を表明する俺を、シュージは呆れたような顔で見る。
まるで放蕩息子を見る母親の目だ。
「まぁ、ニートって職を求めてる人の呼び名だからね」
「働く気はある! あっちの世界に帰れたら……」
で、反対側のフユイチは、家庭の事などノータッチな父親のような暢気さでそんなことを言う。
それじゃまるで、俺が働きたくないからそんな事を言っているようではないか。
「と言うか、お前が帰りたい理由はこれだろう」
抗議の為に俺がフユイチの方を向くと、その隙にシュージが俺の編み笠に手をかける。
「あ、馬鹿!」
フユイチに意識を向けていたせいで、反応が遅れた俺は笠を取られてしまう。
ばさり。
――編み笠の下には、陽を受けて輝くゆで卵のような頭があった。
「わははははははは!」
それを見た途端、シュージの野郎がそれを指さし爆笑する。
「しょうがないだろ!? 毎回角が生えるところの髪が抜けるんだから!」
全国の頭髪が薄めな人間へと宣戦布告するような奴のリアクションに、俺は断固抗議した。
俺だって好きでこんな頭にしている訳じゃない。
ユニコーンの力が収まると額……よりちょっと上にある例の角も引っ込む。
だが何の嫌がらせか、角に押し出され抜けてしまった頭髪は、元に戻ってきてくれないのだ。
つまり、そのままだとかなり可哀想な……髷を結っていないのがおかしいような状態になる。
よって仕方なく、俺は髪を全部剃っているのだ。
「ハゲでニートで処女厨。……モテる要素ゼロだな」
ひとしきり笑った後、シュージは酸素を求め喘ぎながら呟く。
「うるせぇ! 全部俺のせいじゃねぇよ!」
「きっと、そんなハルゾーを好きな女の人が現れるよ」
フォローのつもりか追い打ちをするためか、フユイチはのほほんと笑う。
「そんな特殊性癖の女はこっちが願い下げだ!」
叫び返して、俺は改めて誓った。
俺は絶対、この不名誉な称号達を蹴り捨て、自分の世界へと帰ってみせるのだ。
見上げた空には今日も、竜の尾が長く長く刻まれていた。