第三話 熱砂の激闘
人がたどり着くのは困難である、と言われたデス・キャニオン。
そのデス・キャニオンに現れ、いきなり僚船を沈めた砂賊の姿に、船員たちは戸惑いを隠せなかった。
「くそったれ! 何でこんなところに砂賊がいやがるんだ!」
「理由は後だ! 応戦しろ!」
悪態をつく船員を叱り飛ばしながら、レイは船長室に急ぐ。お気に入りの狙撃銃を取るためだ。
「敵影捕捉!」
「当たらなくても良い! とにかく撃て!」
レイが叫び、その言葉に応じるかのようにイージー・マニー号の砲撃手がレーザー砲を発射する。
しかし、レーザーは砂賊船のすぐ横を通り抜け、反対に砲撃手が敵の狙撃で頭を撃ち抜かれてしまった。
「全員伏せろ! 腕の良い狙撃手がいる!」
慌てて身を隠す船員たち。レイも甲板の手すりに身を潜めつつ、敵の様子をうかがった。
砂賊は二十隻ほどの船団で、半円状にレイたちを取り囲んでいる。包囲網は厳重で、これを突破することは難しいだろう。
活路を見出すとすれば、デス・キャニオンしかない。
「まずは船を引き上げないと駄目か……」
甲板の中央部に打ち込まれた曳航用のロープ。これを船に固定し、僚船に引き上げてもらわなければ、この窮地を脱することはできない。
「ハシム、俺が援護する。タグラインを固定しろ」
「は、はい!」
レイが近くにいた見張り員に指示を出すと、彼は緊張した面持ちでロープを見据えた。
レイは狙撃銃を手に、砂賊のサンドシップを観察する。狙うのは、こちらの船員を的確に射殺している狙撃手だ。
「あれか……?」
手すりに空いた小さな穴から砂賊の船を観察すること数分、レイはようやくそれらしき男を見つけることができた。
その男は全身を装甲服で包んでおり、手にはかなり大きなライフルを持っている。あれは間違いなく、狙撃用の銃だ。
「向こうもこっちを狙ってやがる……。顔を出したら一発だな」
となれば、残るは顔を出した瞬間に敵を狙撃する、という神業を成し遂げるほかにない。
もはや無謀にも近いが、そうしなければこの窮地を脱することはできないのだ。
「距離は……このくらいか? 風はほとんどない」
頭の中で自分が狙うべきポイントをイメージする。完璧な射線をイメージできてはいるが、これが実現できるかどうかは分からない。
「ハシム、カウント5で敵を撃つ。お前は何も考えずにロープを固定しろ。いいな?」
「はい……!」
頷く見張り員を見て、レイは深呼吸した。外せば、レイも見張り員も撃たれてそこでおしまいだろう。緊張の一瞬である。
「5、4、3、2、1……」
ゼロ、と叫んだ瞬間、レイが立ち上がり、見張り員はロープ目掛けて駆け出した。
覗き込んだスコープの中で、敵がこちらに狙いを定めているのが分かる。
「くたばれ……!」
悪態を一つ、引き金を引いた。この惑星では珍しい火薬式のライフルが、大きな発砲音と共に銃弾を放つ。
銃弾は照りつける二つの太陽と、熱砂からの照り返しで70度近くまで気温が上がった砂漠を飛翔し、目標へと襲いかかる。
「……ちっ!」
初弾は外れ、狙った敵とは別の男を撃ち抜いた。銃口を5ミリだけずらし、再び引き金を引く。
同時に身を隠そうとするが、一瞬だけ遅かった。
「グァッ……!」
左腕に燃えるような痛みを感じる。幸い、弾は綺麗に貫通したようだが、レイは激しい痛みに気絶しそうなほどだった。
「くっ……ハシム、ロープは――」
途中で言葉を切るレイ。
ロープを固定するために走った見張り員は、甲板にがっちりと固定されたロープを守るかのように覆い被さったまま、事切れていた。
「くそっ……! リコ! バックラー号に引っ張り上げさせろ!」
「了解です!」
通信士のロメーロに指示を出すと、すぐに船が引っ張られ始めた。砂丘をがりがりと削っていき、そして船が砂丘から脱出する。
「機関全速! 谷底に降りろ!」
イージー・マニー号は砂丘から抜け出した勢いのまま加速し、近くにあった坂を駆け下りていく。
僚船がそれに続くが、一番後ろを走っていたサンドシップがフローティングエンジンの設置されている機関部を撃ち抜かれ、船底を擦りながら谷底へと墜落していった。
「うわあぁぁぁ!」
船員たちの悲鳴があっという間に遠ざかっていく。激しい勢いで激突したサンドシップが押し潰され、一瞬遅れて爆発。衝撃で崖が崩れ、道の一つが閉ざされた。
「船長、どうします!」
「どうしようもない、とにかく逃げるんだ!」
三隻に減った船団が全速でデス・キャニオンの谷底へと駆け下りる。もちろん、このルートは当初予定していたものではない。
レイたちは、進むべき道も分からぬまま、死の谷を進まざるを得なくなったのであった。
デス・キャニオンへと駆け下りていくサンドシップを眺める装甲服の男に、砂賊の男が近寄っていく。
「ミスタ・レオーネ、追わなくてよろしいのですか?」
「構わない。あの様子では、静かの砂漠へ到達することもできないだろう。奴らの債権はあの豚が押さえているのだ。問題はあるまい」
「はっ。では、撤収で?」
装甲服の男――レオーネが無言で頷くと、砂賊の男はブリッジへと戻っていった。
レオーネはサンドシップが消えた方を見つめながら、腕を押さえている。装甲服の腕の部分は関節部が薄くなっているのだが、その部分から血を流していたのだ。
「イージー・マニー……確か、レイ・アブネリの船だったか」
一発目はレオーネの隣に立っていた部下の頭を吹き飛ばし、二発目ではレオーネの腕を貫いたあの狙撃手。
この装甲服を着てからは初めてとなる怪我に、そしてその怪我を負わせたイージー・マニー号の狙撃手に、レオーネは好敵手の匂いを感じていた。
と、ブリッジからヘッドセットを付けた男が出てくる。この砂賊船に乗り込んでいる通信士だ。
「ミスタ・レオーネ、コルベットⅠが接舷許可を求めていますが」
「コルベットⅠが? ……許可も何も、あちらの方が形式的には立場が上だ。断る理由もないだろう」
「はっ」
通信士がブリッジに戻る。しばらくして、砂賊船とは大きく異なる外観のサンドシップが近づいてきた。
甲板には最新式のレーザー連装砲が据え付けられ、舷側には機関砲座が左右に三つずつ設けられている。
後部甲板には小型の偵察用ホバーバイクが二台積まれており、このサンドシップが戦闘用に建造されたものであることをうかがわせる。
サンドシップが接舷し、タラップが渡される。乗船してきたのは、ラス・クアーク治安部隊の制服を着た男たちに守られたベールマン市長だった。
「市長、いかがなさいましたか?」
レオーネが銃を手にしたままでベールマン市長を出迎える。
ベールマン市長は銃を見て一瞬だけ硬直した後、頭を振ってレオーネへと近寄っていった。
「ミスタ・レオーネ、早くあの船団を追っていただきたいのだが。このままでは取り逃がすぞ」
最初はどこかビクビクしていたベールマン市長は、台詞の後半になるにつれて強気な態度を取り戻す。
レオーネはそんな彼の姿を見て、内心でため息をついた。
「市長、デス・キャニオンが危険なのは我々にとっても同じです。無理に追えば、我々とて無事では済みませんぞ」
レオーネがそう言うと、ベールマン市長はどこか怯えた表情をした。
「いや、しかし取り逃せば、あの方に迷惑がかかるのでは……」
無論、ベールマン市長の本音はそこではない。あの方――ルー=タンが自分を見放すことを恐れているだけだ。
そのことが分かっているレオーネは、ベールマン市長を軽くあしらった。そもそも、見逃したところで問題はない。
「問題ありません。どうせあの船団が無事に帰り着いたとして、債権はシャーロ殿が押さえているのです。あの者たちに為す術はない。そうでしょう?」
銃を見せつけるように威圧すると、ベールマン市長は口籠もってしまった。
「他に何かご用件は? もし、ないのでしたら、そろそろ帰投しようと思いますので」
「あ、ああ。大丈夫だ。ミスタ・レオーネ、ご助力に感謝する」
慌ててきびすを返すベールマン市長。
その後ろ姿を見ながら、レオーネはため息をついた。
「あんな俗物のお守りをしなければならんとは……。ボスも面倒なことを押しつけてくれる。だが――」
――久々に良い獲物に出会えたことには感謝しなくては。
レオーネの呟きは誰にも聞かれることなく、熱風が吹き荒れ始めた砂漠に消えていった。
砂賊船による突然の襲撃から二時間ほど経過した頃、予期せずデス・キャニオンへと進入することになったレイの船団は、困難に直面していた。
「“大砂蛇”の群れが前方にいます!」
「またか……。引き返せ!」
それなりに広い幅の谷底を、三隻のサンドシップがUターンする。
と、船団の前方にいた――今では後方にいる巨大な蛇のようなモンスターが、船団の後を追い始めた。
レイたちが遭遇したのは、アーキアでよく見られる原住生物の一つ、デザート・サーペントだ。
デザート・サーペントは、通常のものは大きくても1メートルほどの体長で、人が掴める程度の大きさなのだが、このデス・キャニオンに生息する種は違う。
サンドシップの半分くらいの大きさであり、人程度であれば簡単に丸呑みできるほどの大きさにまで成長しているのだ。
そんな巨大な蛇が後方から追ってくる、という状況は、ホラー映画顔負けの迫力を船員たちに与えている。
「船長、駄目です! 追いつかれます!」
「ウルマス、奴らの目を狙え! サタジット、後は頼む。俺も出るぞ」
「了解です、船長」
ラフマンが頷くのを見て、レイは狙撃銃を手に甲板へ出た。包帯を巻いた左腕の調子を確認しつつ、後ろから追いかけてくるデザート・サーペントを眺める。
「クイーン・サンドワーム並みの迫力だな……」
「船長、のんきなこと言ってないで加勢してくださいよ!」
レーザー砲を操る砲撃手のアーヴァの叫びに、レイは苦笑いで答える。
「分かったよ。……ったく。船員の癖に、船長使いが荒いぞ」
レーザー砲でデザート・サーペントを攻撃するアーヴァの隣に立ち、銃を構える。スコープを覗き込み、数秒ほどで引き金を引いた。
銃弾はデザート・サーペントの目を見事に撃ち抜き、目を奪われた大蛇はのたうち回りながら、周囲の仲間たちを巻き込んで崖へと突っ込んだ。
「伏せろ!」
レイが叫んだ直後、砕け散った岩や砂が甲板に降り注ぐ。幸い、距離が離れていたこともあってそれほどの被害はなかった。
「おーおー。こりゃまた、盛大に突っ込んだなぁ」
のっそりと起き上がったレイが目にしたのは、崖が崩落して完全に塞がった谷底の道と、岩に挟まれてピクピクと痙攣するデザート・サーペントの姿だった。
盛大に被った砂埃を払いながら、レイは体を伸ばす。
「何にせよ、これでゆっくり――」
――ドーン!
鉄くずを押し潰すような轟音と共に船が揺れ、甲板に立っていたレイや船員たちが耐えきれずに倒れた。
「今度は何だ!」
「す、砂トカゲだ!」
「バックラーがやられた!」
船員たちが口々に叫ぶ。レイが左を見ると、サンドシップと同じくらいの巨大なトカゲが、サンドシップを踏み潰している様子が見えた。
巨大なトカゲ――サンドリザードの突然変異体は長い舌を船室に突っ込み、中にいた船員たちを絡め取っている。あれは、捕食だ。
「た、助け――」
恐怖に歪んだ船員の姿が見えたのは一瞬のことで、サンドリザードは舌で捕らえた五人の船員を一気に飲み込んでしまった。
「機関全速! 食い終わる前に逃げるぞ!」
レイが叫ぶと同時に、残ったイージー・マニー号ともう一隻のサンドシップは速度を上げて逃走を開始した。
一方、サンドシップを前足で押さえつけ、船員たちをペロリと食べていたサンドリザードは全ての船員を飲み込んでも満足しなかったらしく、猛烈な勢いで二隻を追走し始めた。
「ウルマス、撃て!」
「でも、もう充電が!」
思わず舌打ちするレイ。もう二時間近く、船団は脅威に晒され続けている。その度にレイはレーザー砲で脅威を排除し続けてきたのだが、遂にバッテリーが切れてしまったようだ。
交換用のバッテリーパックも携行してきたのだが、それを積んでいたサンドシップは砂賊の襲撃を受けた時に谷底に叩きつけられて爆発炎上している。
「冷蔵貨物室を全部の船につけなかったのは失敗だったな……」
レイが呟いたように、食料や水が駄目にならないように保存するための冷蔵貨物室はイージー・マニー号とつい先ほど押し潰されたバックラー号にしか準備されていない。
これは純粋な資金的問題によるものだったのだが、このために食料や弾薬を積み分けしなければならなかった、ということが、ここへ来てレイたちをピンチに陥れている。
「駄目だ、追いつかれる!」
見張り員の言葉に我に返ると、サンドリザードはあっという間に距離を詰め、あの長い舌が届くところまでやって来ていた。
サンドリザードが首をすくめる。あれは、舌を思い切り突き出す際の準備行動だ。
「総員、退避!」
レイが叫ぶと同時、船員たちが必死の表情で後部甲板から前部甲板へと走り出した。
「あ――」
「ウルマス!」
しかし、当然ながら間に合わない者もいる。アーヴァを含めた三人が長い舌に絡め取られ、後部甲板のレーザー砲ごと、一瞬でサンドリザードの餌食となった。
「くそったれ……!」
激高したレイが狙撃銃を構え、引き金を引く。
しかし、感情的になる余りに狙いを良く定めなかった弾丸は、サンドリザードの硬い鱗を掠めるに留まった。
サンドリザードの目が、ぎろりとレイを捉える。
「ちっ……!」
次の標的は自分だ――。
レイが覚悟を決めた瞬間、開け放たれたブリッジの扉から手が飛び出てきた。
サンドリザードの長く細い舌がレイを襲う寸前で、その手がレイをブリッジに引き込む。
舌は甲板を激しく打ちつけ、大きな穴を開けた。
「何やってんですか、船長! しっかりしてください!」
「あ、ああ……。すまん、サタジット。頭に血が上った」
レイを引き込んだ反動で床に尻もちをついたラフマンが、レイの頬を打つ。
叩かれたレイは、頭に上っていた熱が冷めていくのを感じた。
「二人とも、掴まって! 旋回します!」
「イージー・マニーよりタージッド、次の三叉路を右へ旋回!」
操舵手のギナエが叫び、ロメーロが僚船に慌てて通信を送る。
レイとラフマンが近くの椅子に掴まった直後、船が大きく右に傾き、狭い路地へと進入した。
「おい、エニ! 大丈夫なんだろうな!」
「分からん! でも、これならあの砂トカゲも追って来られ――」
ラフマンの疑問に答えようとしたギナエの言葉は途切れた。サンドリザードが、体を崖の両側に擦りつけるようにしながら、無理矢理この路地へと突き進んできたのである。
「嘘だろ……」
「エニ、集中しろ! 少しでも船を擦ったら一発でアウトだ!」
二隻のサンドシップが進入した路地は、ようやく一隻のサンドシップが何とか通れる、といった程度の幅しかなく、少しでも気を抜けば崖に接触し、バランスを崩した船体が激しく叩きつけられるに違いない。
そんな狭い路地を、二隻のサンドシップは全速で疾走しているのである。体感速度は倍近い。
「――っ!」
息をつく暇もないほどのデッドヒートだ。右に左に、船が曲がるたびに、激突の恐怖がレイたちを襲う。
彼らを追いかけるサンドリザードは、崖に体を押し込んでいる分、速度が落ちてはいたが、それでもサンドシップのスピードを緩めることはできない。
だが、そんな曲芸的な疾走が長く続くはずもないのだ。
イージー・マニー号の後ろを走っていたサンドシップが、わずかな操作を誤って右舷を崖に擦る。
その瞬間、船体が大きく左に弾かれ、崖に激突。左舷を押し潰されたサンドシップは、そのままの勢いで左右に激突を繰り返し、衝撃に耐えきれなかった機関部が激しい爆発を引き起こした。
「ぐっ……!」
爆発と共に船体がくるくると縦回転して谷底に突き刺さる。爆風とサンドシップの破片がイージー・マニー号を襲った。
「エニ、迷うな! 進め!」
イージー・マニー号は疾走を続ける。
後ろを追いかけてきていたサンドリザードは、サンドシップの残骸に引っかかって立ち往生していた。
「前方に坂があります!」
「デス・キャニオンを抜けるぞ!」
誰かが叫ぶと同時、イージー・マニー号はトップスピードで坂を駆け上り、デス・キャニオンの谷底から飛び出た。
「衝撃に備えろ! ゼン、砂に突っ込ませるなよ!」
「アイ・サー!」
ギナエの横で計器を見ていた機関士のオナカーがいくつものレバーを調節しながら、フローティングエンジンを操り、船体姿勢を維持する。
空高く舞い上がったイージー・マニー号が徐々に高度を下げ始めると、オナカーはそれに合わせるようにフローティングエンジンの出力を上げていく。
「衝撃、来ます!」
「フローティングエンジン、出力最大!」
着地の瞬間、オナカーはフローティングエンジンの出力を最大にした。
イージー・マニー号は、飛び上がった勢いのままで着地したため、船体が思い切り砂に沈み込む。
「頼む、上がってくれ……!」
ザザーッという砂をかき分ける轟音が響く中、オナカーは祈るように声を絞り出した。
スピードが見る見るうちに下がっていく。完全に止まってしまえば、もうイージー・マニー号を砂から引き上げることはできない。
「駄目か……?」
ラフマンが呟いたその直後、ドンッという衝撃と共に、イージー・マニー号は砂から抜け出し、再び速度を上げ始めた。
「よっしゃぁ!」
「やったぞ! デス・キャニオンを抜け出せた!」
船員たちが歓喜の声を上げる。
だが、レイとラフマンは表情を変えていなかった。
「サタジット、ここはどっちだ?」
レイがぼそりと呟いた言葉に、ブリッジの空気が固まる。
そう。デス・キャニオンを抜けた、と言っても、闇雲に逃げ回った結果に過ぎない。
確たるルートを通ってきた訳ではなく、すなわち、ここが静かの砂漠だとは限らないのだ。
ラフマンは、沈痛な表情をしていた。
「……地図上では、こちら側にザルジスの街が表示されています。ここは、静かの砂漠ではありません」
それが何を意味するのか。
僚船を失い、装備を失った彼らは、もはやデス・キャニオンを突破することはできないのだ。
レイは、一世一代の大勝負に敗れたのであった。
レイの船団がデス・キャニオンの突破に失敗した二日後。
夕暮れ時のラス・クアーク港には傷ついたイージー・マニー号の姿があった。
いつもと変わらない喧噪に包まれたラス・クアーク港で、唯一、イージー・マニー号の停泊する埠頭だけが、葬式のような静けさに支配されている。
船から港に渡されたタラップから、意気消沈した船員たちが降りてくる。
その最後尾を歩くレイに、彼の親友が声をかけた。
「よう、レイ。無様だな」
「モアーナか。全くだ。言い訳のしようもない」
罵倒され、殴られても文句は言えない、と思っていたレイからすれば、モアーナの態度は極めて落ち着いたものだった。
分かりにくい、と評判のバスカーの表情だが、長い付き合いのレイには、彼が怒っていないことが分かる。
「怒って、ないのか?」
恐る恐るレイが尋ねると、モアーナは深いため息をついて、カンドーラの袖口からシガレットケースを取り出した。
「吸うか?」
レイの質問には答えず、モアーナがシガレットケースを差し出す。
少しの間だけ悩んだ後、結局レイはタバコをもらうことにした。
「しまった。ライターがねぇ」
「締まらねぇ奴だな。……ほれ」
胸ポケットからライターを取り出したレイが、モアーナの咥えたタバコに火を付ける。
「ありがとよ」
「そりゃ、こっちの台詞だ」
軽く笑い、煙を大きく吸い込む。途端、奇妙な冷たさを感じてむせ返った。
「ゲホッゲホッ! 何だ、これ! メントール入りか?」
咳き込みながら尋ねるレイに、モアーナは大きく頷いた。
「最近吸うようになってな。女受けも悪くねぇ」
「お前が女受けなんて気にすんのか?」
からかうように笑うと、モアーナは鼻をふんと鳴らした。
「部下の話だよ。タバコ臭いですってうるせぇんだ」
「難儀なこった」
軽い雑談をしながら、改めてタバコを燻らせる。じっくり吸ってみると、これも案外悪くない、とレイは思った。
しばらく、静かにタバコの煙だけが流れる時間が続く。
そろそろ二本目に移ろうか、というタイミングで、ようやくモアーナが口を開いた。
「なあ、レイ。何で失敗したんだ? お前、絶対に成功するって言ってたろ?」
遂に来たか、と内心で身構えるレイ。
口調こそ普段と変わらないものだったが、言葉の方は取りようによっては辛辣だ。
「言い訳がましいと思うかも知れんが、砂賊に襲われたんだよ。その後も色々あったが……」
そう言うと、レイは帰ってくるまでに起きた出来事を順に説明していく。
モアーナは黙ったまま、それを聞いていた。
「――とまあ、こんな感じだな。色々理由はあるが、そもそもの根本は俺が賭けようって言ったことにある訳だからな」
だから全ての責任は俺にある。
そう言おうとしたレイの言葉を、モアーナは手で遮った。
「責任云々なら、止めなかった時点で俺も同罪だ。それよりも、考えなきゃならねぇ点があるはずだ」
「んあ?」
予想とは異なる展開に、思わず変な声を上げてしまうレイ。
モアーナはそれを気にした様子もなく、胸元から一枚の写真を取り出した。
「これ、見てみろ」
「は? ……これは、市長か?」
モアーナが見せた写真には、船の上で談笑する市長の姿が写っていた。そして、その隣に立っていたのは――
「――装甲服の男!」
「やっぱり知ってるのか。こいつに襲われたんだな?」
驚きに目を見張るレイに対して、モアーナはやはりか、と肩をすくめている。
「この写真は一体何なんだ?」
「デイリー・シティの記者が撮った写真だ。お前がここを出た日に撮ったらしい」
レイの頭の中で、段々とパズルのピースがはまっていく。
「市の懸賞金……市長と装甲服の男……。なるほど、何となく読めてきたぞ」
「その頭の回転がもっと早くに来てればなぁ」
「うるせぇ」
モアーナのぼやきに、吐き捨てるように答えるレイ。
「つまりだ、市長と砂賊がつるんでたってことだな? 懸賞金を賭けて、それに乗っかった商人を叩き潰す……。シャーロが黒幕か?」
口にした直後、それはないな、と頭の中で否定する。
何もこのような回りくどい方法を取らなくても、シャーロの牙城を脅かすような商人はいないのだ。
そうなれば、考えられる犯人は多くない。もっとも有力なのは――
「おやおや、お二方。ずいぶんと楽しそうに歓談していらっしゃる。何か面白いことでもありましたかな?」
二人の会話に割り込んできたのは、噂をすれば影、大商人シャーロだった。今では、二人の命運を握る債権者でもある。
「これはこれは、ミスター・プレアスタン。このようなところまで、どんなご用件で?」
人を食ったような笑みを見せるレイ。いつもならば、この笑みを見たシャーロは額に青筋を浮かべるのだが、今日は余裕を保っていた。
「困りますなぁ、キャプテン・アブネリ。あなた方には融資をしていたはずです。忘れた、とは言わせませんぞ」
ニヤニヤと嫌味な笑顔を浮かべるシャーロ。劣勢にある者を嬲るのが楽しくて仕方がない、と言わんばかりの表情だ。
と、今度はレイに代わってモアーナが前に進み出る。
「シャーロの旦那、確かに俺たちは旦那から借金をしてる訳だが、だからと言って談笑しちゃいけねぇって法もないでしょう。それに、返済期限はまだまだ先のはずですぜ?」
彼らが結んだ融資契約が短期融資とはいえ、返済期限までにはまだまだ余裕がある。モアーナの言葉は嘘ではなかった。
「それはそうですがねぇ、ミスタ・ロフトー。返す当てはあるんですかな?」
「それは……」
シャーロの意地が悪い質問に黙り込む二人。
彼の言う通り、レイもモアーナも、抱え込んだ借金を返済するだけの当てを失っているのだ。
「ふふふ。そう、気落ちすることはありません。そういうこともあるだろう、と思いましてねぇ。あなた方が借金を返済するためのプランをご提供しに来たのですよ」
「何だと?」
シャーロの予想だにしない言葉に、レイとモアーナは顔を見合わせた。
「私の友人に、あなた方のような運び屋を必要としている人がいましてねぇ。その方をご紹介しようとやって来た次第なんです」
親切な言葉だが、口調には嫌らしさが滲んでおり、裏があることを感じさせる。
その時、シャーロの思惑を読もうとする二人の前に、新たに二人の男が現れた。前を歩く男に対して、シャーロが恭しく礼をする。
「お前はあの時の……!」
レイが目を見開いて指さしたのは、二日前、彼の船団を襲った砂賊たちの中で、一際凄まじい腕前を披露していた、あの装甲服の男だった。
「……」
「まさか、この目で直に見ることになるとは、な」
一方、モアーナが注目したのは、珍しいアジュールブルーのカンドーラに身を包んだもう一人の男だ。
非常に特徴的な緑色の鱗と、頭頂部から伸びる長い一房の黒髪。このアーキアではそれほど数のいないタラーレで、シャーロが礼をするような男は一人しかいない。
アーキア最大の犯罪王と謳われる、ラス・クアーク市民の恐怖の的。
「お初にお目にかかる。私はルー=タンという者だ。以後、よろしく」
蛇が、笑った。