第二話 墜落船を探せ
レイがラス・クアークに帰ってきた翌朝。
久しぶりに自宅のベッドで安眠をむさぼっていたレイは、けたたましい電話の着信音で目を覚ました。
最初は丁重に無視していたレイだったが、強情にも諦めようとしないベルの音に負け、乱暴に受話器を取った。
「うるせぇぞ! 今、何時だと思ってやがる!」
『こっちのセリフだ、馬鹿野郎!』
不埒な狼藉者を糾弾しようとしたレイは、電話の相手――モアーナの思わぬ反撃に遭って面食らった。
『レイ、お前まだ寝てたのか? もう昼だぞ?』
「は? ……本当だ」
枕元のデジタル時計は、12時24分と表示されていた。完璧に寝過ごしている。
「悪いな。昨日は夜遅くまで頑張ってたもんでよ」
『聞きたかねぇよ、そんな話。それよりもお前、新聞見てみろ』
モアーナの言葉に、レイは寝ぼけ眼をこすりながら、ベッドから起き上がって机に置いてあった情報端末を起動した。
ホログラムディスプレイが浮かび上がると、登録しているラス・クアーク・タイムス紙に号外があることを知らせる着信があった。
「んーと……? は?」
レイが開いた号外には、次のような文面が掲載されていた。
「謎の救難信号 宇宙船か」
ラス・クアーク市当局のヌイラ報道官は13日午前7時からの緊急会見で、ザルジスの通信基地局がデス・キャニオンの方角からの信号を捉えたと発表した。ヌイラ報道官によると、信号は宇宙時代以前より用いられる銀河標準救難信号と酷似したもので、偶然ではあり得ないという。
市当局はこの救難信号の発信元を調査するため、船舶所有者に対して懸賞金をかけることを表明。懸賞金額は5000万クレジットで、救難信号の発信元を発見したという証拠を持ち帰った者に対して支払われる。
「宇宙船? おい、モアーナ。こりゃ一体、どういうことだ?」
記事を読み終わったレイは、困惑しながら電話の向こうのモアーナに尋ねた。
『どういうことも、書いてることそのまんまだ』
「5000万クレジットねぇ……。そんだけありゃ、一生遊んで暮らせるな」
『言うと思ったぜ』
モアーナが笑う。
『ただ、調査するのはデス・キャニオンを越えた“静かの砂漠”だ。あそこに行くのは無理だぞ』
デス・キャニオンは、ラス・クアークから2000キロ以上離れた辺境の集落ザルジスの、さらに向こうに広がる大峡谷だ。
この大峡谷は、惑星をぐるりと一周していることが分かっており、アーキアに漂着した人々はこの内側を生存圏としていた。
そして、デス・キャニオンを越えた先に広がるのは、未だ手つかずの地となっている静かの砂漠である。
何度か派遣された調査隊は、デス・キャニオンを越えることができなかったため、静かの砂漠がどのような地域なのかは全く分かっていない。
まだ見ぬ鉱脈が眠っているとも言われる静かの砂漠だが、そのような理由で商人が近づくことはなかった地域なのだ。
「無理じゃねぇさ。昔、調査隊が出された頃はザルジスの集落なんてなかったろ? デス・キャニオンに一番近い集落でも500キロは離れてた。今は違う。ザルジスで補給すれば、デス・キャニオンは越えられるはずだ」
レイの言葉は間違いではない。
最後に調査隊が派遣されたのは五十年ほど前だが、当時はザルジスの集落は開拓されておらず、そこから400キロほど離れたラス・デジェムという小さな街がフロンティアだった。
調査隊は500キロもの道のりを補給なしで走破し、デス・キャニオンで退却を余儀なくされたのである。
調査報告書では、開拓が進むであろう将来的にはデス・キャニオンの突破は可能、とされていたのだが、調査してもリターンがあるかどうか分からない、という理由によって、以後の調査は凍結されていた。
父親がこの調査隊の一員であったレイはこのことをよく知っており、デス・キャニオンを越えることが決して不可能ではない、と確信していたのだ。
「ただ、資金は必要だ。食料や水を積んで保存しておく専用のコンテナを買わなきゃならねぇし、長い旅になるだろうから、食料調達にも金がかかる」
『船員の給料も弾まなきゃならんぜ。……なあ、おい。悪いことは言わねぇ。この賭けは危険だ。止めといた方が良いと思うぞ』
モアーナの口調は真剣だ。普段ならジョークの一つでも挟む彼らだが、そんな余裕もなかった。
デス・キャニオンを越えることが可能だとしても、その先に何があるかは分からないのだ。思わぬ災難に巻き込まれ、投資が全て台無しになる可能性も高い。
「大丈夫だ。勝算ならある。むしろ、早く動かねぇと先を越されちまうぜ」
『本当か? デス・キャニオンは何も遠いってだけじゃねぇ。ルートが複雑過ぎて攻略できなかったって側面もあるんだぞ?』
モアーナの心配そうな声を聞き、レイは電話を置いているキャビネットの引き出しを開け、何やら古めかしいノートを取り出した。
「心配すんなって。親父が残した調査日誌がある。ここにデス・キャニオンのルート開拓の記録が残ってるんだ。親父は、デス・キャニオンの出口を見つけてるんだ」
『何だと? そんな話、聞いたことねぇぞ』
そう。公式記録として残っているのは、デス・キャニオンが複雑な地形で迷宮のようになっていることと、調査隊がやむなく引き返したことだけだ。
レイが言ったようなことは、記録のどこにも残っていない。
「調査隊が引き返したのは本当さ。出口を見つけられなかったのも、な。ただ、親父は気心の知れた仲間を連れて、デス・キャニオンに再チャレンジしたんだよ。ルート開拓して、次は静かの砂漠に入るつもりだったらしい」
もっとも、その前に死んじまったんだが。レイはそう続けた。
『信用して良いんだな? お前の親父は、ホラを吹くような人間じゃなかったんだな?』
「ああ。俺に任せてくれ。俺なら、絶対にデス・キャニオンを越えてみせる」
しばらく、電話口のモアーナが黙り込んだ。
重大な決断である。当たれば一気に億万長者だが、外せば一生かかっても返しきれない負債を抱え込むことになりかねないのだ。
たっぷり五分間、沈黙が続いた後、モアーナがため息をついたのが分かった。
『……分かった。お前を信じよう。思い返せば、お前を信じて外したことはねぇんだ。賭けてみる価値はある』
「おお! 分かってくれるか!」
『ああ。ただし、絶対に見つけてこい。手ぶらで帰ってきたら承知しねぇからな』
モアーナはそう言うと、後で店に来い、と言って電話を切った。
電話を終えたレイは、いそいそと出かける準備を始める。
と、ベッドの中で何かがもぞもぞと蠢いた。
「さっきからうるさいわよ……。何かあったの……?」
気だるげな表情で目をこすりながら、一糸まとわぬ姿の美人が身を起こした。
スレンダーな体に似合わぬ大きさの胸を見て、レイはベッドに戻りたくなる気持ちをぐっと堪えた。
「ちょっと儲け話があって、な。待ってろ、ザハ。帰ってきたら、俺もお前も大金持ちだ」
「また儲け話……? あなた、そう言って、いつも無一文になって帰ってくるじゃない」
ザハと呼ばれた黒髪の女性は、レイを胡散臭そうな目で見る。
「今度こそ本当だ。他の男を探す準備もしなくて良いからな」
「はいはい。期待しないで待ってるわ」
ひらひらと手を振るザハの首筋にキスを落とし、レイは部屋を出て行った。
気温が50度を超えた昼前、レイとモアーナの姿が港にあった。レイの船には続々と食料や水などの物資が積み込まれているが、二人の表情はなぜか苦々しかった。
「参ったな。まさか、シャーロから金を借りる羽目になるとは……」
「あいつが優先権を買い漁ってたのは、これが理由だったんだな」
レイがデス・キャニオンへの出発を決めた後、二人は合流して必要な物資を見積もり、物資の調達を始めたのだが、ここで問題が起きた。深刻な物資不足である。
シャーロが経営するプレアスタン商会による優先権の買い占めは、市場への供給量を変えないまま、他商会が調達できる物資の量を大きく減少させた。
レイと同じように懸賞金目当てでデス・キャニオンへ向かうことを決めた商人たちは、物資の調達が非常に困難であることにようやく気がついたのである。
そして、物資調達に苦慮する商人たちに救いの手をさしのべたのは、優先権を買い占めた張本人のシャーロであった。
シャーロは市当局が声明を発表した直後から商人たちに融資を持ちかけており、他に手段のない商人たちはこれに飛びついた。
結果として、レイたちも含めたこの街を拠点とする商人の半数以上が、かなりの借金を背負うこととなったのである。
「市長とシャーロがつるんでるなんざ、この街に住んでるなら子どもでも知ってる話だ。発表を遅らせて、物資の値を上げて一儲けしようって考えてたんだなぁ」
モアーナが腕を組みながら唸る。レイも同様だ。融資を申し込んだ時のシャーロの下卑た笑いは、思い出すだけでも不快なものである。
「まあ良い。これで物資は揃った。調査日誌もある。さっさとデス・キャニオンを越えて、5000万クレジットをいただくとしよう」
「うまく行きゃ、良いんだがなぁ」
モアーナが不安げに表情を曇らせている。レイが覚えている限り、ここまで乗り気でないモアーナは見たことがなかった。
「どうした? ずいぶんとまた弱気じゃねぇか。お前らしくもない」
レイがモアーナの肩を叩くと、彼はため息をついた。
「お前はお気楽で良いよな。お前はこういう綱渡りは何度も経験してるし、落ちたことも一度じゃねぇからヘラヘラしてられるんだろうけどよ。俺は初めてなんだぜ?」
モアーナは堅実な商売人だ。無理な橋は渡らず、確実に稼げる時を狙って投資することで、ここまで商会を大きくしてきた。
一方のレイは生来のギャンブラー気質から、たびたび一攫千金を目論んで博打を打ち、今までに三回ほど失敗している。
そのたびにレイは恋人のザハに逃げられ、船員に逃げられ、借金取りに追われる羽目になり、モアーナの助けで危機を脱している。
しかし、今回はレイが借金するだけでは物資が足りず、モアーナも多額の債務を抱え込むこととなった。
レイが失敗すれば、今度こそ助けてくれる者はいない。
モアーナが不安になるのも、無理はない話であった。
「大丈夫だって。俺に任せとけよ」
「それが不安なんだがなぁ……」
ぼやくモアーナを尻目に、物資の積み込みが終わる。船員も全員が乗り込んでおり、後はレイが乗れば出港だ。
「もう金は借りたんだ。やるしかないだろ?」
「そうだがな……。いや、もう言うまい。絶対に見つけて帰ってこいよ」
レイはモアーナと拳を突き合わせ、タラップを上る。
「出港許可は?」
「出てます」
ブリッジのラフマンが答えると、レイは大きく頷き、
「よし。出港だ!」
と叫んだ。
船員たちが大きな声で答え、サンドシップが離床し、埠頭から港の外へと動き出す。
港のサンドシップは多くが出港準備中だ。おそらく、レイと同様にデス・キャニオンへ向かう船だろう。
「船長、まずはティニャへ向かいます。よろしいですか?」
ティニャはラス・クアークとザルジスの中間地点にある街で、デス・キャニオン方面に点在する集落への玄関口となっている。
航海士であるラフマンが立てた計画は、このティニャで一泊した後、ザルジスへ向かって食料や水を補給し、再び一泊した上でデス・キャニオンの突破にかかる、というものだ。
順調に行けば、明後日の夕方頃には救難信号の発信元を突き止められるはず。
レイはそう考えていたが、思わぬ落とし穴が彼らを待ち受けていた。
ラス・クアークは地下に広がる大都市だが、いくつかの建物は地上にも突き出ている。
市政府ビルディングやラス・クアーク商人組合本部などが代表例だが、そんな建物の中で、一際目立つ建物がある。
まるで古代に存在したという砂漠の王族の宮殿の様なこの建物は、アーキアに名高い犯罪王ルー=タンの屋敷だ。
屋敷の正門は、豚のような外見の戦闘種族であるバッサーリアンが門衛として守っており、庭園にはこの砂の惑星では考えられないほどの水が溢れている。
屋敷の中はいわゆる古代バロック建築を模した内装となっており、奥に行くにつれて徐々に豪華になっている。
そんな豪華な内装に彩られた部屋々々の一室に、三人の男の姿があった。
三人の内、二人は普通の人間だが、もう一人は体が緑色の鱗で覆われており、頭頂部から伸びた長い一房の黒髪が、彼をヒューマノイド種族のタラーレであることを示している。
このタラーレの男性こそ、屋敷の主にしてアーキアの犯罪王であるルー=タンだ。
ルー=タンは二人の男性――プレアスタン商会の主人シャーロ・プレアスタンと、ラス・クアーク市長アレクサンドル・ベールマンを前に、ソファーにもたれ掛かって葉巻を吹かしている。
ルー=タンが二人の上位者であることを、如実に思い知らせる構図であった。
「それで? どのくらいの商人が話に乗ったのかな?」
ルー=タンが口を開くと、向かって右側に座る太った男が揉み手をしながら答える。
「私の商会に融資を申し込んだのは、五十人ほどです。ただ、港から出た行商人の数はおそらく百人ほどだろうとの報告が入っております」
「なるほど。この街の商人の半分近くか……」
表情を変えないルー=タンを前に、太った男――大商人シャーロが笑顔を浮かべている。
その隣に座るシャーロとは対照的な痩せぎすの男――ベールマン市長も、病人のような白い顔に笑みを浮かべながらこう言った。
「今回の計画に賛同していただき、感謝しております。事が成った暁には、是非私の三選を支援していただけると――」
「――よい。分かっている」
ルー=タンが手を振ると、言葉を遮られたベールマン市長は笑みを引きつらせた。
犯罪王を怒らせた者で、生き延びた者は一人もいない。
そのことを思い出したベールマン市長は、思わずルー=タンの隣に立つ、装甲服に身を包んだ不気味な人物に目を向けた。
その様子を見たルー=タンが、蛇のような笑みを浮かべた。
「心配なさるな、ベールマン市長。私は貴殿を害するつもりなどない。貴殿が私にとって、有用な人物である限りは、ね」
言外に、役に立たなくなったら処分する、と言うルー=タンに、ベールマン市長は腰を抜かさないようにするのが精一杯だった。
「まあ良い。兵はベールマン市長にお貸しする。レオーネ、ベールマン市長に協力してやれ。いいな?」
「はい、ボス」
今まで黙って立っていた装甲服の男がようやく言葉を発する。レオーネと呼ばれた彼は、返事をするとベールマン市長に手を差し出した。
「へっ……?」
「これからよろしく、という握手だよ。そう怯えるな、市長」
「あ、そ、そうでしたか。これは失敬……」
冷や汗を拭いながらレオーネの手を握るベールマン市長。途端、彼はカエルが潰れたような悲鳴を上げた。
「ギャッ……!」
「し、市長?」
脂汗を滲ませているベールマン市長を、シャーロが困惑した表情で見つめている。
と、レオーネが手を離した。
「失礼。力加減を誤りました」
ベールマン市長は骨が折れそうなほど固く握りしめられ、蒼白になった右手をさすりながら、引きつった笑みを見せた。
「お、お気になさらず。ミスタ・レオーネ」
そう言うと、ベールマン市長は別れの挨拶を述べ、そそくさと屋敷を出て行った。シャーロもその後を追う。
残ったルー=タンは応接室の豪華なソファーに腰を下ろしたまま、新しい葉巻に火を付けながらこう言った。
「レオーネ、とりあえずは様子を見ておけ。ベールマンがしくじるようなら、始末しろ」
「はい、ボス」
妙に機械めいている返事をすると、レオーネは応接室を出て行った。
「さて……。デス・キャニオンから、果たして何人が帰ってこられるかな?」
葉巻を咥えたルー=タンの表情は、正しく獲物を見つけた蛇のそれだった。
ラス・クアークを出発したレイの船団は、二日間かけてティニャを経由してザルジスへ無事に到着し、物資の補給もスムーズに終えた。
そして翌朝、レイと同じく一攫千金を狙う複数の行商人たちと共に、デス・キャニオンに向かって出発したのである。
ザルジスを出発して三時間、何もない広大な砂漠を行く船団は、順調にデス・キャニオンへと近づいていた。
「船長、間もなくデス・キャニオンが見えてくるはずです」
「おう。デス・キャニオンが見えたら、裂け目に沿って南に向かうぞ」
ザルジスから真っ直ぐ西へと向かうレイの船団には、何人かの行商人がくっついている。自信ありげなレイについて行き、漁夫の利を得よう、という輩だ。
「鬱陶しい奴らだな……。一発やるか?」
「船長、そんなことしたら、一気にお尋ね者ですよ」
レイの呟きに、ラフマンが生真面目な表情で注意する。
分かってるよ、と適当に手を振り、レイは父が残した調査日誌に目を落とした。
「親父の記録があってれば、どこかに“煙突岩”があるはずだ……」
レイの父が残した調査日誌によれば、“煙突岩”からデス・キャニオンの谷底へと降り、洞窟になっている方へ向かえば、静かの砂漠へと抜けるルートに繋がるという。
『こちら、タージッド号。大地の裂け目を確認。デス・キャニオンです!』
通信機から流れてくる報告に、レイは調査日誌を置いて外へ飛び出した。
「あれか……」
地平線の先から見えてきた光景は、圧巻の一言だった。
大地を真っ二つに叩き割ったような裂け目が視界の端から端まで途切れることなく広がっており、その幅も向こう側がようやく見える、というほど広い。
裂け目の中は複雑に入り組んだ岩の迷路となっており、父が残した調査日誌のルートを果たして見つけられるのか、不安になるほどだ。
奇妙な形の岩が溢れるこのデス・キャニオンは、かつてこの惑星が水に満ちていた証しである、と地質学者たちは主張する。
ロストリバーが長い年月をかけてこのデス・キャニオンを形成した後、ロストリバーが干上がり、この峻厳な地形が残されたのである、と。
しかし、この雄大な景色の前に、デス・キャニオンの形成過程、などといったちっぽけなことが、どれほどの意味を持つだろうか。
レイだけでなく、彼の船団に所属する全員が、呆然と目の前の光景を見つめていた。
と、その時、船団の横を十隻のサンドシップが次々に駆け抜けていく。レイたちの後ろを追走していた行商人たちだ。
「風情のねぇ奴らだな……」
レイが甲板の手すりに頬杖をつきながらぼやいていると、ブリッジから通信士のロメーロが飛び出してきた。
「船長、通信です」
「あいつらか?」
ロメーロが頷く。
ぼりぼりと頭をかきながら、レイはブリッジへ入り、ヘッドセットをつけた。
「あー、こちら、イージー・マニー号。船長のレイだ」
『よう、レイ! 道案内ご苦労さんだったな! 後は俺のライト・フット号に任せとけ!』
通信機から聞こえてきた陽気な叫び声は、レイの商売敵であるウィプラのものだ。
ウィプラはしばしばレイの商売に割り込み、利益をかっさらっており、船員たちの中には彼を毛嫌いする者が多い。
レイとしては、時々現れては儲けを少し減らしていく、鬱陶しい小バエのような存在だった。
『それじゃあな! 5000万クレジット手に入れたら、お前にも少しは分けてやるよ!』
「はいはい。期待しないで待ってるぜ」
レイがそう答える前に、すでに通信は切れていた。
十隻のサンドシップはスピードを上げ、デス・キャニオンへと突入していった。
「船長、どうします?」
「どうもこうもねぇよ。最初の予定通り、まずは南に向かう」
「了解」
レイの言葉にラフマンが頷き、操舵手のギナエもこれに従って船の舵を左へ切った。
デス・キャニオンを右手に、船団は一路、南へと進む。
「煙突みたいな岩があるはずだ。その近くに、谷底に降りられる坂がある」
レイはそう言ったが、そのような形の岩はしばらくの間、見つからなかった。
「船長、坂がありました! ここから降りられます!」
「いよぉし! 俺たちが一番乗りだ。レイには感謝しなくちゃなぁ!」
ブリッジに笑い声が響く。行商人ウィプラが率いる船団は、レイの船団を追い抜いた後、すぐに坂を見つけてデス・キャニオンへと突入しようとしていた。
「船長、通信機に雑音が」
ヘッドセットを付けて通信機に向かっていた通信士が、不安そうな表情で報告する。
報告されたウィプラは、笑みを浮かべたままこう言った。
「心配するな。デス・キャニオンは磁鉄鉱が豊富らしいからな。多少の雑音は気にしなくて良いだろう」
自信満々なウィプラの笑みに、通信士は何も言えずに通信機へと向き直る。
しかし、彼らにとって、それこそが命取りだった。
『こちら、スモール・フィッシュ号。左前方、崖の上に何か光って――』
僚船から入った通信が突然途絶え、直後に激しい爆音が響き、ウィプラの乗る船が大きく揺れた。衝撃で、船が崖にぶつかる。
「な、何だ!」
「分かりません!」
衝撃で転がったウィプラは、ずれたサングラスを直しながら叫んだ。
しかし、突然の出来事に、何が起こったのか分かる船員がいるはずもない。
いや――
「砂賊です! 崖の上に砂賊が――グワッ!」
ブリッジに駆け込んできた見張り員が胸を吹き飛ばされ、飛び込んだ勢いのまま倒れ込む。
「砂賊だと! 何でこんなところに!」
「応戦しろ! 砲撃手、配置につけ!」
混乱するウィプラに代わり、航海士の男が指揮を執る。
命令を受けた砲撃手が慌てて船首のレーザー砲に取りつくが、泣きそうな顔で叫んだ。
「仰角、足りません!」
基本的に、それほど大きな起伏のない砂漠を航行するサンドシップにとって、攻撃する必要のある敵というのは、同じく起伏のない砂漠を這う砂賊や原住生物だ。頻繁に砂嵐が起き、凄まじいジェット気流が吹き荒れる大気圏内を飛ぶ危険な生物もいない。
そのため、搭載されるレーザー砲もそれほどの仰角を必要としておらず、崖の上にいる砂賊に攻撃ができない、という状況に陥る羽目になっていた。
「くそっ! アルノー、抜けられないか!」
「駄目です! 岩場に引っかかりました!」
ブリッジは大騒ぎだ。ウィプラは急転した状況について行けず、ブリッジの真ん中でボーッと突っ立っている。
と、航海士がウィプラの肩を揺すった。
「船長! しっかりしてください! こちらに攻撃の手段はありません! どうします!」
「あ……に、逃げる……。にげ……逃げるぞ!」
切羽詰まったウィプラが航海士を振り切り、ブリッジの外へ飛び出す。その瞬間、彼の頭が弾け飛んだ。
「船長!」
恐ろしく正確な一撃だ。まるで、ウィプラの行動を読んでいたかのような狙撃である。
ウィプラが頭を撃ち抜かれた――というより、吹き飛ばされた光景を見てしまった船員たちは、完全に戦意を失った。
船団は一方的な攻撃を受け、船員たちが次々に倒れていく。
爆音が響く。僚船が砂賊船のレーザー攻撃を不幸にも機関部に受け、爆散した音だ。至近距離で爆発が起きたため、連鎖的に他の船も大きな被害を受ける。
ライト・フット号には、ブリッジに大きな鉄の塊が飛び込んできて、通信士を押し潰した。
「ひぃぃぃっ!」
状況に耐えられなくなった操舵手がブリッジから飛び出す。しかし、その末路は彼の上司と同じものだった。
頭を弾き飛ばされた操舵手の体が、ウィプラの死体に折り重なる。
「く……。ただで死んでたまるか……」
先ほどの爆発の影響で右腕を潰された航海士が、這いずりながらヘッドセットを手にする。
「こちら、ライト・フット。砂賊の襲撃を受け、我が船団は壊滅……。デス・キャニオンに進入した全ての船に警告する……。ここは、文字通り“死の峡谷”だ……!」
その通信を最後に、ライト・フット号は激しい爆発を起こした。
ライト・フット号航海士の最後の意地、とも言える通信だが、残念ながらこの通信はほとんど役に立たなかった。
なぜならば、ライト・フット号が襲撃されるまでにデス・キャニオンに入った150隻余りの船は、全てが彼らと同じ運命を辿っていたからだ。
辛うじて砂賊の襲撃から逃げ切ることに成功した船も、デス・キャニオンの突破など考えられないほどの被害を出している。
唯一残されたのは、レイが率いる船団だけだったのである。
デス・キャニオンに到達して一時間ほど経過しても、レイの父が調査日誌に残したような“煙突岩”は、姿を見せていなかった。
一時間ほど前に別れたライト・フット号が無残な最期を遂げたことなどつゆ知らず、レイの船団はのんびりと煙突岩を探し続けている。
「見つかったか?」
「いえ。どの船からも報告はありません」
船長室で仮眠を取っていたレイがブリッジに戻ってくる。
航海士であるラフマンは生真面目に仕事をしていたが、操舵手のギナエはあくびをしている。船団ではギナエの方が多数派だ。
「っかしいなぁ……。親父の記録じゃ、それほど遠くないはずなんだが」
ぼりぼりと頭をかきながら、首を捻るレイ。
と、視界の隅で同じように首を捻っているロメーロの姿が目に入った。
「おい、リコ。どうかしたのか?」
レイが近づいていくと、ロメーロはヘッドセットを外しながら、困惑したような表情で口を開いた。
「いえ。他の船団の状況を聞けはしないか、と思って少し探りを入れてみたんですが……」
「ですが、どうした?」
口ごもるロメーロにレイが尋ねる。
「……全く反応がないんです。会話の切れ端すら掴めませんでした」
ブリッジに沈黙が落ちる。ただでさえ、詳しいことが分かっていないデス・キャニオンだ。原因に全く見当がつかない。
「とりあえず、周囲の警戒を厳重にさせるか。調査日誌があるとはいえ、危険なことに変わりはないからな」
デス・キャニオン、という名前は伊達ではない。
単にたどり着くのが難しいだけではなく、危険な原住生物が多数生息しており、冒険者たちの行く手を阻むのだ。
「了解しました。それじゃ、各船に通信を――」
ロメーロの言葉はそこで途切れた。
なぜならば、凄まじい爆音が彼の言葉を遮ったからだ。
激しい揺れが船を襲い、耐えきれなかった船が砂丘で擱座する。
「砲戦用意!」
何が起こったのか分からないまま、危険回避のためにレイが砲戦の指示を出す。船員たちも、レイの指示が出る前に行動を始めていた。
『こちら、バックラー号。タグライン、打ちます!』
僚船から通信が入る。直後、先端にアンカーがついた長いロープが甲板に飛んできた。
これは、砂丘で擱座したサンドシップを引き上げるために、多くの船が備えている曳航用のロープである。このロープを、甲板に備え付けられた穴に引っかけることで、僚船に救助してもらうのだ。
甲板に出ていた船員たちがロープに駆け寄り、これを船に取り付けようとする。
が、次の瞬間、彼らは次々に頭を撃ち抜かれ、倒れ伏した。
「砂賊だ! 6時の方向に砂賊を確認!」
見張り員の叫びに、全員が後方を見る。
そこには、二十隻ほどのサンドシップでレイたちを取り囲む、砂賊たちの姿があった。