1-6 異形生命体、あるいはモンスターとその手段について
魔術:大気中の「魔素」の状態を解析し、詠唱による方程式を記述することで魔素に干渉し、様々な現象を引き起こす事ができる体系的技術。
ドッペルゲンガー:内なる自分の存在。訓練や薬物で仮想的な「魂」を発現、定着させる、いわば人工的な存在。魔術を使うための「触媒」となる。
「ふぅーん、なら明日からはユズホちゃんも一緒なんだね」
「ああ、コースが違うから僕らみたいに四六時中ってわけにはいかないだろうけど」
夜間見回りの集合地点に向かう道すがら、スバル達と合流した僕はついさっきユズホさんと交わした約束を皆に話した。すでにユキヒロやタマキとは一年以上の付き合いになるし、スバルに至っては十年以上にもなるからそれなり皆の性格も理解しているつもりで、だから僕が勝手に話を進めても特に何も言ってはこないだろうとは思ってる。けれどもやっぱりキチンと返事を貰うまでは不安でもあり、特にスバルはついさっき振った相手で気まずさもあるだろうから特別了承が貰えるか気になってた。
「どう、かな? やっぱり嫌かな?」
「別に。いいんじゃないかな? そりゃボクはヒカリ以外に付き合うつもりはないからユズホちゃんがしつこく言い寄ってくるのならともかく、友達として付き合う分にはボクは何の不満も無いよ? さっき話したくらいしか付き合いが無いけど、何となくユズホちゃんとは仲良くできそうな気がするし」
「そっか。それを聞いて安心したよ」
胸を撫で下ろしつつ僕はユキヒロ、そしてタマキと順に顔を見ていく。二人共特に不満は無いようで、これでユズホちゃんの加入、と言っていいのかは分かんないけれど、今後も付き合っていくのが決まった。
「しかし、スバルも意外と手が早いんだな」
「え?」
ユキヒロがメガネのズレを直しながらそんな事を口走り始めた。
「そうですわね。ワタクシたちが先生方たちに怒られている間にあんなに可愛い少女と二人っきりになるのですから。きっとあの手この手で傷心少女の幼気な心の隙間に入り込んで手篭めにしてしまったに決まってますわ! 嫌がる少女を言葉巧みに唆し、当人が知らぬ間にそっと当たり前の様に心の片隅に、しかし確かにその存在を住まわせるなんて! なんて……なんてうらやましい御人なのでしょう! その役目、ワタクシが担いたかったというのにっ!」
……なんでだろう、タマキの話は僕の実際の行動と別に大きく間違ってるわけじゃないのに聞いてると自分がホントとんでもない悪党に思えてくるのは。下心が全くゼロかと問われれば答えに窮するところではあるけれども、そんなタマキが思ってるようなやましい想いは無いというのに。
「だよねっ。ヒカリはボクと一心同体のはずなのにさっ、一人だけとっとと逃げちゃうなんてホントひどいよっ! おかげでカラオケにも行けなかったしさ」
「いや、怒られたのは二人して派手に魔術を使い始めたせいだと思うんだけど……」
「そうだぞ、二人共。ここで怒っていいのは見捨てられた俺だけだ」
それも何か違う気がするんだけど。
「それよりユキヒロはケガとかは大丈夫だった? なんか派手に飛んでってたけど」
「ん? ああ、問題ない。幸いにしてメガネは壊れなかったからな」
お前の本体はメガネかよ。
「はぁ……ヒカリはそんな楽しい時間を過ごしたというのに、ワタクシたちと言えば怒られた上に憂鬱な時間を過ごさなければならないなんて、それを考えるだけで憂鬱ですわ」
「どうした突然って……ああ、指導員たちのことか」
タマキがため息を吐くけれど、その気持ちはよく分かる。
指導員――正確に言えば対異形生命体攻勢訓練指導員というのだけれど、彼らと接するのは確かに僕としてもできる限り遠慮したいところで、僕だってため息吐きたいし、このまま寮の部屋に帰って寝てしまいたい。恐らく、魔技高専の特任コースの生徒であれば誰もが進んで彼らと接したいとは思わないだろう。つまりは、そういう人たちということだ。
今から約十年前、この世界に現れた魔術。そしてその主要因である魔素が溢れかえった時、世界は混乱で満ち満ちた。
魔素は元々この世界に存在していたものでは無くて、かと言って突然「無」から現れたわけじゃない。
あの日。
僕らの住むこの世界に現れた特異点。異常事態。世界の各所に顕現したらしいその特異点は僕らの誰も知らない、それこそ数々のフィクションの中で空想として語られていた誰も本当に存在するとは想像さえしていなかった異なる世界と繋がっていた。
いわば異世界。そこには魔素なんて僕らからすれば未知の物質が溢れていて、突然繋がったその穴から吹き出した魔素はあっという間に世界を覆った。でも魔素自体が僕らに何か影響を及ぼしたかと言うとそういうわけでは無くて、世界が混乱したのはその異世界から溢れでたもう一つの存在。
魔物。モンスター。怪物。獣人。亜人。人によってその呼び方は様々だけれど、どれも指し示すのはその特異点を通じてコッチの世界にやってきた異形の生物たち。血の気が多くて好戦的な彼らと僕らの世界がぶつかり合うのは最早必然と言ってもおかしくは無くて、彼らとの間に戦端が開かれるのに誰もが予想してたように時間は掛からなかった。
彼らが犯人である事件が日常的に起き、街は血の海と化して、実際にいくつかの街は彼らに占拠されて人類は逃げ出さざるを得なかった。
それでも最初は誰もが楽観視していた。溢れでた、とは言っても人類の数に比べればその数は少なくて、彼らの大多数はそこらの獣と同じように理性を持たない存在であって、感覚としては熊やライオンが街に現れた様なものだろうか。戦う術を持たない一般市民からすれば脅威ではあるけれども、それなりに武器さえ手にすれば十分に対抗できる。そう信じていた。
だけども彼らは強かった。
僕らよりも遥かに強靭な肉体に眼を疑うような身体能力、何より、彼らは僕らが持たないある武器を持っていた。
それが、魔素だ。
体は常に魔素で出来た膜の様な物に覆われていて、これまで僕ら人類が所持していた武器は、全くの無力というわけではないけれども、ただの一撃で致命傷を与えられる程の威力を発揮したわけでもない。でもそれだけで彼らは僕らにとってとんでもない脅威になるわけで、僕ら人類は少数である彼らに追い詰められていった、というのが昨今の学生なら誰もが習うここ十年の歴史だ。一時期はかなり追い詰められていたらしい。
それでも僕らがこうしてまだ世界で大手を振って歩ける理由。
それはただ一つ、魔術の存在。
魔素を生まれつき纏う彼らに有効なダメージを与える為にはこちらも魔素を用いた反撃手段を用いるしか無かった。その術が魔術であり、編み出した四人は今では「四英雄」として世界中から崇められてるけれど、その彼らが編み出した魔術は世界各国の援助もあって瞬く間に一つの技術として確立されていき、結果、彼ら魔物の侵攻を食い止め、世界は以前の様に落ち着きを取り戻すことができた。
もっとも、完全に異世界からの来訪者を駆逐できたわけでも無くて、ある特定の地域に隔離されてるだけであり、また彼らの全てが僕らと殺し合いをしたがるような好戦的で危険な存在でも無いから、一部の種族は僕らと同じように町中で何事も無いように暮らしてる。というか、彼ら彼女らの中の一部は愛くるしい容姿からあっという間に受け入れられて、日本だと一部の層には熱狂的に愛されてる。この点に対しては「流石はとてつもない国、日本」だとだけ僕の感想を述べるに留めよう。
そして、これが本題だけれど、まだ世界には特異点がある。
特異点はどうやら一定の期間が過ぎると勝手に閉じてしまうらしくて、と同時に不規則な場所に不規則な周期で開いていく。そこら辺の法則は現在進行形で研究者が解析しようとしてるみたいだけれど成果は上がってない様だ。今も世界のあちこちで小さな特異点が発生して、そこから魔物が現れてるのが現状。だからこそ夜な夜な見回りが必要であるわけで、けど何処で発生するかも分からないから人手が必要なわけで、したがって僕らの様な魔術的素養がある魔技高専の学生が駆り出されるわけで。
かと言って僕らはまだ所詮学生であり学生でしか無い。言ってみれば半人前もいいところであり、しかしながら将来的には有望とされていて、そんな嘱望されている人材を単独で見回りに送るのは世間的にも人材的にも不安が残る。だから僕らには指導員として現役の自衛官でかつ異形生命体に関する部署の隊員さんが付き添いとして同行するのだけれど。
「ええ。それなりに優秀なのは認めますけれども、暇さえあれば人を侮辱するあの性格破綻者たちはどうにかならないのでしょうかしら?」
そう。端的に言えば彼らは非常にプライドが高いのだ。
勿論かの混乱時期を切り抜けた自負もあるだろうし、対異形生命体に対しては専門家であり、一般人よりは遥かに戦闘力として優れているのは事実で、大多数の国民・市民は彼らによって安全な生活が確保されていると言って良い。けれどもそれがどう拗れたのか、彼らは誰彼構わず人を見下すし、暇さえあればバカにするし、恩着せがましい。どうやらその根底には、他の人たちとは違うっていう「選民思想」があるらしい。
自分たちは優れていて、自分たちが守っているのは自分で身を守ることもできない「劣等人種」。だから一般人は自分たちを尊敬し崇め、傅かなければならない、というのは言いすぎかもしれないけれども、傍から見ているとそんな雰囲気を醸していて、だから大多数の人は彼らの事を好んでないし、けれども彼らが守ってくれてるのは事実であるから言葉で非難はできてもそれ以上の行動を起こすことはできていない。たまたま彼らの素養が時代のニーズとマッチしているから持て囃されてるだけであって、別に彼らが人間的に優れているわけじゃないとは思うんだけれど、彼らはそうは思わないらしい。歪んだ依存関係で馬鹿馬鹿しいとは思うけれども、残念ながらそれが現実だ。
「ハーケンクロイツでも胸に飾っとけばいいのにな。きっとヒゲの伍長殿がエルベ川から祝福してくれるぜ」
「あら、魔術師がアーリア人ばかりじゃ無い事に憤慨するかもしれませんわよ?」
「それか魔術師の起源はアーリア人だって主張しだすかもな。それはともかく、アイツらの人格について言っても仕方ない事だ。実際彼らに指導を請わなければならないんだからな」
「それでも人としてもっとキチンと接するべきですわ」
「コッチが大人の対応を取ればいいさ。バカな振りしてヘラヘラしとけば大して突っかかってくることもないしな。それよりも三人とも、『使い魔』はちゃんと持ってきたか?」
「モッチのロン! ほら、今回はちゃんと持ってきたよ!」
ユキヒロが宥めながら使い魔について聞いてくる。そういえば、前回の見回りの時に突然「使い魔を持ってきてないとは何事だ!」とかって随行の先生に怒られたんだっけ。それまで「使い魔に頼るとは何事だ!」とか言ってたくせに。その程度の理不尽はもう諦めたけど。
その事を思い出したのかタマキは顔をしかめてたけど、スバルは気にした様子も無くポケットから僕そっくりの人形を取り出して見せつけてくる。
使い魔について簡単に一言で言えば、仮想人格搭載型ロボットで、本来の目的は魔術を使うための魔素を大気中から取り込んで貯めたり、またすでに開発された膨大な数の魔素方程式を記録させておいて、使用者の魔術使用を補助したりするためのものだ。元々は戦時中に未熟な魔術師を一端の人材として活用するために魔素励起補助機能をつけてたり、敵である魔獣たちの情報をいつでもどこでも取り出せるようにと単なる記録装置として開発されたものらしいけれど、最近だと元来の情報科学技術と魔素工学の融合が進んで今や立派な自立型ロボットになってる。初期型だと如何にもな機械機械した見た目だったみたいだけれど、最近は有機素材が使われるようになって見た目は生物と判断が付かないくらいに精巧になってて、ペットとしても人気が高い。ネコ型やイヌ型、果てはイグアナみたいな爬虫類タイプも発売されてて、おまけに人格も搭載されててしゃべることもできるから、魔術とは全く関係ない一般の女子高生や一人暮らしのご老人宅でも人気だとか。
それはともかく。
「……スバル、貴方がヒカリの事を大好きなのはワタクシも大層存じてますわ。確かにヒカリはワタクシから見ても……少々度が過ぎているところはありますけれども、尊敬できなくもない程度には素晴らしい人物というのは認めましょう。でも、それは無いと思いますの……」
「えー? いいじゃん、ほら、ヒカリそっくりでよく出来てるでしょ? でしょ?」
「そっくり過ぎるから皆引いてんだよ」
うん、繰り返しになるけどスバルに好かれてるのは僕としてもイヤじゃないけど、これは流石に無い。人形らしく手のひらサイズになるようにデフォルメされてはいるけれど、何処からどう見ても僕でしか無くて、しかもいつの間に録音したのか声や言い方まで僕そっくりだ。
「日々集めたヒカリ語録から編集するの大変だったのに」
「しかも自作!?」
「あ、ちゃんとヒカリの寝言も入ってるからね」
おまわりさんコイツです。早く何とかしないと本当に僕の貞操が危ない。
「ストーカー行為も程々になさいな。行き過ぎた愛情が行き着く先はロクでも無い結末ですわよ?」
「ぶー。そういうタマキの使い魔は何なのさ?」
「ふふん、よくぞ聞いてくれましたわ!」
言いながら颯爽とタマキが取り出したのは――
「やっぱりそっくり人形じゃねえか!」
「何を仰るの!? このつぶらな瞳! ツインテールの輝く金髪! どこからどう見ても小学生にしか見えない平べったい胸にトレードマークの黒ネクタイ! 勝ち気にコチラを見下す強気な眼差し! ワタクシが持てる限りの財力と技術と時間をつぎ込んで作り上げたこの『THEアイドル・イチハちゃん』をそんなド変態の手作り人形と一緒にしないで頂けるかしら!?」
「あーっ! ボクが丹精に作り上げた作品をバカにしたなっ、タマキ!」
「ワタクシの努力の結晶をそんな人形と同列で語られることの方が耐えがたい侮辱ですわっ!」
ただ単に使い魔を確認しただけなのにどうしてこうなるのか。タマキの口が悪いのは今に始まったことじゃないんだからスバルも軽く受け流せばいいだろうに。まあ、これも二人のコミュニケーションみたいなものか。
「実際に作ったのは俺だけどな」
「……僕はたまにユキヒロが恐ろしくなるよ」
ちなみにタマキの言う「アイドル・イチハ」は世の男性のみならず女性をも虜にする、今世間で一番人気のアイドルだ。常にテレビのどれかのチャンネルに露出してるから、世情に疎い僕でも知ってる。
「まーたくだらない事で言い争いをしてるのかにゃ、あの二人は」
ぎゃあぎゃあと罵り合う二人をボンヤリと眺めてると、肩に軽い衝撃。フサフサとした尻尾の毛が耳たぶを撫でるのがくすぐったくて肩に眼を遣れば、一匹の黒猫が呆れていた。
「ユキ」
「まぁーったく、いい加減飽きてもいい頃だと思うんだわさ、わちきは」
街頭の光でさえ反射して輝くほど毛並みの良いこのネコ。ユキ、と僕が呼んだコイツこそが僕の使い魔だ。ピンクの首輪がトレードマークで、ネコにも美人という概念があるならたぶんコイツの事を言うんだろうなというくらい可愛らしいコイツだけれど、一体どういう仮想人格がインストールされてるのか、面白いほどに僕の言うことを聞かない。いつだって自由気まま。気づけばふらっと居なくなっていつの間にか今みたいに僕の傍に戻ってくる風来坊。もっとも、僕がコイツに指示を出すことなんてほとんど無いし、僕が必要としてる時にはちゃんと戻ってくるから問題は無いのだけれど。
「逆にあの二人の言い争いが無くなったらソッチの方が不気味だがね、俺は」
「言えてるかも」
「ふん、みゃあそんにゃもんかしらね」
「あ、ユキだ」
「あら、ホント。ユキちゃん、お久しぶり」
「久しぶりもにゃにも昨日会ったばかりにゃ」
「ワタクシにとって可愛い子と一日会わなかったらもうお久しぶりなのですわ」
低レベルな争いをしてた二人だけど、ユキを見つけるとあっさり意識をコッチに向けて近づいてきた。ユキが来るといつもそうなんだけど、どんなに激しくじゃれあってても二人はすぐに何事も無かったかのようにユキの所に寄ってくるんだよね。ユキにはケンカを止める不思議な才能でもあるんじゃないかとつくづく思う。ロボットだけど。
「そいつは光栄にゃ。それより、早く行った方がいいんじゃにゃいかにゃ?」
「え?」
「怖いおっさんが待ってるみたいニャよ?」
ユキの言葉に振り向いてみれば、気がつけば僕らはすでに集合場所の眼の前まで到着してて、そして集合場所では今回の筋骨隆々の随行教師(四十二歳)が腕組みしてコッチを睨みつけてた。
さてさて、特に怒らせる様な事をした覚えは無いんだけれど、開口一番に何を言ってくるやら。とりあえず覚悟だけはしておこうか。
お読み頂きましてありがとうございました。
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