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1-39 希望のヒカリ

本日三話連続投稿の一話目になります。



 カリストから逃げるヒカリは、背後に彼の姿が無い事を確認すると地面に降りた。

そこは奇しくも先日起こった大規模な戦闘の跡地。つい先程逃げ出した場所と同じように家屋は廃墟と化し、真黒に焼け落ちた民家がそこかしこに点在していた。スバルとホノカを抱えたヒカリは、一見しただけではカリストから見えないよう、かろうじて焼け残った屋根の影に隠れるようにその一角に身を潜める。


「ちょっと待って下さい」


 かろうじて残っていたテーブルの上にスバルを横たえようとするヒカリを制し、ホノカが詠唱を行う。しばしの間の後にテーブルの上の灰が吹き飛び、そして創りだした真水で洗い流すと、ヒカリに指示してスバルをテーブルの上にそっと横たえさせた。


「スバルっ! 眼を覚ませよっ! スバル!」


 すでに呼吸が浅くなり、弱々しくなっているスバル。月明かりしかない中で見るその顔色は死人に近い。血の気の引く感覚を覚えながらヒカリは必死にスバルに呼びかけた。


「……う、あ……」

「スバル!」


 そしてその声に応える様にスバルは小さくうめきを上げ、細く眼を開いた。だがその焦点は定まってはおらず、急に咳込むと口からは大量の血を吐き出して口元を汚す。


「う、ゲホッ! ゲホッ!」

「喋らないでください!」


 ホノカはすぐに剣をスバルの腹から抜き取る。抜き取った瞬間に血が傷口から飛び散り、ホノカとヒカリの頬を濡らした。ヒカリはその出血に息を呑み、ホノカはまた真水を創りだして傷口を洗浄。その際の痛みにスバルが苦悶の声を上げるが、聞こえないふりをしてヒカリに使った余りの消毒薬とガーゼ、包帯で応急処置をしていく。

 しかし――


「――ダメ! 血が止まらないっ!」


 傷は深く、ひどい出血は止血処置をしても止まってはくれない。多少勢いは弱まったものの、なおも一秒一秒命の危険は迫っており、いくらスバルが魔術師として強靭な生命力を持っていてもこのままでは失血死は免れない。


「早く病院に運んで処置しないと――」

「どぉこにいぃるのぉかなぁ~!?」


 ホノカは焦燥を浮かべてヒカリに容態を口にしかけるが、それをカリストの子供が戯れる様に楽しげな声が遮った。


「そんなっ! もう追いついてきたの!?」


 思わずホノカは振り返って屋根に遮られている上空を見上げ、ヒカリはギリ、と奥歯を噛み締めながらそっと外に出て空を仰ぎ見た。


「……いや、まだ見つかってはないみたいです。適当に叫んでるだけですね」

「ですけどこのままじゃスバルくんを運び出す事が……」


 外に出て行けば間違いなくカリストに見つかるだろう。ヒカリが囮となる事も頭を過ったが、ホノカ一人でスバルを担いで逃げ切れるか。カリスト一人であればそれも可能だろうが、彼の周りには無数のドッペルゲンガーがいる。ヒカリがカリストと戦っている間にドッペルゲンガーたちにホノカたちが取り囲まれて、そうなれば一巻の終わりだ。

 かと言ってカリストが居なくなるのを待っている程の時間的猶予も無い。スバルの命が後どれくらい持つのか、医者でも無い二人にはその時間は分からず、そんな不確定な未来に身を任せるつもりは無い。

妙案が浮かばず動けない二人。そこにカリストが痺れを切らしたか、夜空に魔法陣が光り、火球の雨が降り注ぎ始める。


「僕らをあぶり出すつもりかよっ……!」


 熱風が荒ぶる。炭と化した廃屋は更に熱せられて白炎となる。空気が滾り、吸い込む熱気がヒカリたちの喉を焼き始める。


「取り囲まれたっ……!」


 そうして作られた炎は巨大な壁となり、三人を逃がすまいとジワジワ包囲網を狭めてくる。

熱に煽られたヒカリの額に冷たい汗が流れ落ちる。ギリ、と自身の迂闊さに歯噛みし、だがどうすることも出来ない。この壁を突破しようにもその瞬間にカリストに襲撃されるだろうし、このまま待機して火が収まるのを待つにはスバルの体力は限界を迎えすぎていた。


「どうすれば……」


 ホノカもまた炎の、ひいてはカリストの圧力に立ち竦むばかり。思考は空回りし、その中でスバルの熱は少しずつ、だが確実に失われていた。

スバルを見下ろすヒカリ。炎の壁、空から探すカリスト、スバルと三点を視線は行ったり来たりするばかりだが、猶予は無い。やがてヒカリは覚悟を決めてカリストの前へ飛び出そうとした。

そこに。


「まったく、見てらんないのにゃ」

「ユキ!」


 どこからともなくユキが現れ、ため息混じりにヒカリたちに近づいてくる。机の上に飛び乗り、応急処置しても止まらないスバルの血をひと舐め。更に意識が朦朧として眼を開けることもままならないほどに衰弱した彼の頬を前脚で叩いた。


「あ、れ……? もしかしなくて、もユキ、ちゃん……?」

「そうにゃ。無様にゃ状態ににゃってしまってるわね」


 死にかけのスバルを前にして辛辣な感想を吐くユキ。治療したホノカはその言い様に眉をしかめた。突然現れたユキが何者なのかは知らないが、ホノカにとってヒカリとスバルは自分を助けてくれた恩人なのだ。少なくとも死にそうな人間に対して嘲笑う様な口を利かれて愉快では無い。不埒な小さな侵入者を捕まえようと歩み寄るが、それよりも先にスバルが小さく自嘲した。


「はは……まったく、ユキちゃんには敵わない、な。ホント、情けないよ」

「でも身を呈してヒカリを守ったのだけは褒めてやるにゃ」

「……ユキ、ちゃんが褒めてくれ、る、なんてね。明日、は雪でも降るかな?」

「明日までスバルが生きてれば自分で確認できるにゃ」


 そのやり取りに満足したのか、ユキはスバルに背を向けて歯噛みしたまま俯いているヒカリの足元に立った。見下ろす彼に対し、彼女は見上げて黄色い眼の中に佇む縦長の瞳をヒカリに向け、そして問うた。


「さて、ヒカリ。単刀直入に聞くにゃ。

 ――スバルを助けたいかにゃ?」

「もちろん! 決まってるだろ!」

「ユキヒロも助けたいかにゃ?」

「当たり前だ。僕は約束したんだ。絶対にユキヒロを助けるって」


 その答えに満足したか、ユキは一度、瞑目。そして再度鋭い眼を見開いて三つ目の問いを投げかけた。


「なら――孤独に耐える覚悟はあるかにゃ?」


 問われたヒカリは言葉を失った。

スバルを助けることと孤独に耐える、その二つに何の関連があるのか。ユキの言葉の真意が何なのか、理解が及ばない。及ばないが、それがこれから大切な事になる事は直感で理解した。

孤独。夜な夜な独りになると襲い掛かってくる恐怖。死さえも解放と思える程の、絶対なる絶望。ヒカリはその時の感覚を思い出した。

怖い。

震える手。それをまじまじと見つめ、ヒカリは強く握りしめた。

だが、それでもスバルとユキヒロ、二人の親友を助けることができるのならば。


「――覚悟は、ある」


 自分は一人じゃ、ない。スバルに、ユキヒロに。ユキにタマキに、そして自分を取り巻く多くの人に助けられて、そして今ここに居る。特にスバルたちには数え切れないくらいに、恐らく自分でも気付かないうちに支えられて生きてきた。

ならば、今度は自分が二人を助ける番。それは命を賭してでは無く、生きるための渇望。自分がこれからも皆と共に並んで生きるために、恐怖と向き合う、そのための決意の言葉だった。


「ユキ、ちゃん……まさか……!」

「そのまさかにゃ。

 ――イチハの封印を、解く」

「ダメ、だ! ユキちゃん、それだけは……ぐっ、ゲホッ!!」

「う、動いたらダメですよっ!」


 それだけは止めなければ。

 ユキを止めるためにスバルは無理やり体を起こして机の上から這っていこうとした。しかしすぐに咳き込み、大量の血を口から吐き出す。ホノカが体を抱き起こしてまた横たえながらも、話にただ一人ついていけて居ないことを嫌ってユキに尋ねる。


「あの、孤独だとか封印を解くとか、一体何の話を……」

「そこのお前」


 だがユキはホノカの声には耳を貸さず、逆にホノカを呼びつけた。その声色と迫力に気圧され、思わずホノカは「はい……」と返事をしてしまい、おずおずとユキに近づいてしゃがみこんだ。


「お前」

「白瀬さん。白瀬・ホノカさんだよ」

「そうかにゃ。んじゃ、ホノカ。お前は精神魔術は得意かにゃ?」

「え? ええ、得意かと言われれば一番得意ですけれど……」

「重畳にゃ。なら、今からわちきの詠唱を復唱して魔素の流れに同調するのにゃ」

「は、はい?」


 魔素の流れに同調する。今まで聞いたこともないその指示にホノカは困惑。そもそも、魔素の流れとは何なのか。ホノカもまた魔技高出身だが、実践でも座学でもそんなものは習った覚えも無いし、誰かが実施していると聞いたこともない。

戸惑ったホノカは指示を仰ぎなおそうとするが、ユキはそれを無視してヒカリに最後の確認をする。


「それじゃヒカリ――何があっても怯えるなにゃ。何を思い出そうとも、ただひたすらに耐えるにゃ。いいにゃ?」

「ダメ、だ……ダメだよ、ヒカリ……ユキちゃん……」


 意識を朦朧とさせ、満足に動かない体の中、必死にスバルは制止の声を上げる。

 しかし。


「スバル」


 ヒカリはスバルに向かって呼びかけ、そして微笑んだ。


「僕を……信じてほしい」


 ヒカリは怖かった。

 今から何が起こるのか。止めどなく不安がこみ上げ、しかし激しく波打つ胸に手を当ててヒカリはその感情を押し殺す。乾いた口内の僅かな唾液が音を立てて喉を流れ落ちた。

 それでもなおヒカリは笑ってみせた。スバルを安心させるため、ユキヒロを助けるため、そして自分が未来へ進むために。

 その笑みを前にしてスバルはそれ以上の言葉を口にすることができなかった。


「……うん、分かった」


 その言葉を聞いて、力尽きたかの様にスバルは眼を閉じた。その顔は、ヒカリが向けたのと同じく笑顔だった。

最後にくれた言葉にヒカリは微笑み、だがすでに時間の猶予が無いと気を引き締めてユキに向き直り、ユキもまた無言で頷き返した。


「――行くにゃ」


 そうしてユキは詠い始める。猫とは思えない清らかな声。聖者を呼び寄せるために選ばれた聖女の如く朗々と、高々に地獄の中に木霊していく。聞くもの全てを癒やす夜の女王は生けるもの全ての視線を集めてコードを空へと描き始める。


「なに、この詠唱……」


 知らない。私は知らない。ホノカは記憶に無い、だがどこか心が洗われる様な詠唱に戸惑い、言葉を失った。しかし、すぐにユキの指示を思い出して大急ぎで初めて聞く呪文を口にする。

そう、初めて聞いた詠唱。ホノカは特別記憶力に優れているわけでもなく、また聞き取り能力に自信があるわけでもない。だが不思議と彼女はユキの詠唱を続ける事ができた。まるで、これまでに何度も聞いたことがあるかの如く。

二つの声が重なる。詩が共鳴し、どこまでも遠く高く、街全体が優しい声に包まれていく。


「……なんだぁ?」


 声は当然カリストにも届く。故に彼の眼からもユキたちの位置は判明していた。だから彼女たちに向かって魔術を行使することもできた。魔術の詠唱を中断させることもできたはずだ。

しかし、カリストはしなかった。できなかった。その声を遮るのは、カリストを以てしても何故か憚られた。

決して犯してはならない聖域。踏み込んではいけない領域。神を信じぬカリストであっても、その声にただ聞き入る事しかできなかった。


地面に描かれていく魔法陣。大きさは僅かに人一人分が立てる程度。だが、その小さな陣の中に編み込まれていくコードの複雑さは、現在開発された魔術を遥かに凌駕していた。


「凄い……!」


 描かれていく陣の中に一人立つヒカリは、高度なコードの構成に思わず感嘆の声を上げた。ミリ単位以下で正確に刻まれていく幾何学文様。有り得ない程に複雑。有り得ない程に難解。コードの理解に自信を持つヒカリでも読み解くのは困難を極め、それ以上にムダの無い綺麗なコード構成にただ魅せられた。


「――ヒカリ」


 たっぷり五分ほど掛けて完成したコード。その秀麗さに見とれていたヒカリに向かって詠唱を終えたユキが声を掛ける。

じっとヒカリを見上げ、ヒカリもまたその鋭い双眸を見遣った。


「――頼む」


 最後の許可を得て、ユキは頷く。そして、起動のトリガーを引く。


「――(Freise)(tzung)


 声が響いた。それと同時に一際眩い光が魔法陣から立ち上ってヒカリを包み込んでいく。

全てが、満たされていく。腕に走る痛みも忘れ、ヒカリは自然と眼を閉じた。

閉じた瞼の裏には暗闇は無く、太陽が地平線から昇り始める直前の曙光にも似た明かりがあった。靄が掛かっていて、それが普通だった頭の中がクリアになっていき不純物が押し流されていく。空っぽに近かった心の奥底に暖かいものが注ぎ込まれる。人が本来持つべきで、しかし遠く置き去りにしていた、形容できない、言葉にできない「 」をヒカリは取り戻していく。

 ――アタタカイ

幸福感が、包容感が満ち満ちていく。世界と濃密に繋がっていたかつての残滓が押し寄せ、明確にヒカリという枠の中を在りし日の記憶が駆け巡った。

スバルが居て、コウジが居て、イチハが居て、カイが居て、そしてミサトが居る。無邪気に皆で遊び回る、当たり前の日々がそこに居た。

家に帰る。泥まみれになって帰ってきたヒカリを笑顔で迎える父が居た。台所で晩御飯の支度をしながらヒカリの姿を見て困ったようにため息を吐き、しかしすぐに頭を撫でて服を着替えさせる母の姿があった。

そして、満面の笑みでヒカリに駆け寄ってくる――(ユキ)の姿があった。

 ――どうして、どうして

自分は忘れてしまっていたのだろうか。自分にはこんなにも暖かい家族が居て、周りにはこんなにも気心の知れた親友たちが居たというのに。

 記憶の海の中でヒカリは眼を閉じ、歓喜の涙を流し続ける。

だが次の瞬間――それらが全て砕け散った。


「あああああああああああぁぁぁぁっッッッ!!」


 現実世界でヒカリは絶叫した。意識が唐突に現実へと弾き飛ばされ、魔法陣の中で両膝を折る。両腕で互いの自らの腕を掻き抱き、包帯の腕から掻き毟り、喉を切り裂きながら掠れた声で叫び続けて何かから逃れるかのように地面に頭を打ち付ける。


「ヒカリくんっ!?」


 突然の豹変にホノカが叫び、名を呼ぶがヒカリには届かない。

寒い。寒い寒い寒い――

自らの全身を孤独が蝕む。指先から、足先から、耳から口から鼻から侵食してきた孤独が犯していく。蹂躙していく。腸が胃が肺が心臓が切り離されていく。世界から切り離されていく。ありとあらゆるものから隔絶され、存在が書き換えられていく。

耐え難い不快感。耐え難き暗さ。耐え難き絶望。それはこれまでの日々の中でヒカリが体感してきたどの夜よりも圧倒的だった。

苦しい? 違う。

悲しい? 違う。

悔しい? 違う。

誰にも理解されず、誰にも共感できない。言葉では表現できない、形容することすらおぞましい辛苦だけがヒカリの心を砕いていった。

痛みで逃れようと頭を激しく地面に叩きつける。皮膚が裂け、血が流れ落ちるがどれだけ打ち付けても痛みはやってこず、「 」が失われていく感覚だけがヒカリを支配した。


「っ! 大丈夫ですか!? 今行きますか――」

「近寄るな」


 苦痛に悶えるヒカリの姿を見かねてホノカが駆け寄ろうとする。しかしその動きをユキの静かな、だが鋭い叱責が遮った。

反射的に足を止めるホノカ。どうして、と戸惑い、足元の猫を悔しそうに睨みつける。だがユキは何も言わず、じっと苦しみ続けるヒカリの姿を眼に焼き付け続けた。


「う、あ、ああ……」


 ユキの視線の先。ヒカリは呻きながら上半身を起こす。未だ全身は激しく震え、苦痛の針に全身を突き刺され、頭蓋からは赤い血が滴り落ちている。


「そんな……そんな、事って……」


苛む絶望のその中でヒカリは理解した。自分が何者なのかを。自分が何を忘却してしまっていたのかを。




 一片の曇もない暑い夏のあの日。ミサトと、コウジと、イチハと、カイと五人で遊んでいたあの日。

記録にも残っていない、史上初めての特異点の中に五人は飲み込まれた。音もなく飲み込まれ、すぐに意識を失ったため特異点の中がどうなっているのか、自分たちがどうなったのか誰も覚えていない。

唯一つ明らかな事。それは皆等しく――世界から切り離された。

人と同じ身体的特徴を持ち、人と同じく成長し、だがしかし、幼き子どもたちは明らかに人とは隔絶された存在となった。

誰よりも優れた頭脳を持ち、誰よりも優れた身体能力を持つ。そして、誰にも持ち得ない不思議な能力(魔法)を得た。同時に、属する世界を失って耐え難い孤独の中で生きることを彼らは強いられた。

時を同じくして各地で発生する特異点。溢れる魔物。通じない通常兵器。

少年たちを切り離した世界は、しかし少年たちを必要とし、壊れた少年たちは世界に属する人間たちに請われて世界に手を貸した。

徹底的に行われる身体検査。昼夜を問わず実施される実験。少年たちの手で解き明かされていく魔素の謎。開発される魔術と魔素兵器の数々。時には少年たちが前線に送り出され、最前線で魔物の猛攻を退けていった。そして眠る間もなく使役される日々。

守られるべき子供を戦いの場に送り出す。平時における常軌を逸した行為は、しかしながら危機に晒されていた非常時においては常軌を逸したその行為こそが平常と化していた。

心身とも疲弊し、擦り切れていく五人。その有り様に誰もが異議を唱えず、綺麗事を口にする者は誰ともなく自然と遠ざけられた。そんな中で当初から自身の特性を理解し、それぞれの魔法を体得していた四人とは別に、ヒカリのみが魔法を具現化できていなかった。

熱・情報・電気・空間。四人が四人とも異なる属性の魔法を行使していたため、ヒカリにもまた別の属性を所持していると研究施設の誰もが考えていた。

だが、いつまで経っても、何を試みようとも顕現しないヒカリの魔法。ヒカリ自身も他の四人に心配や負担を掛けられないと必死だった。実験と研究の合間を縫っては一人考え、思い浮かぶことを全て実施した。

それでも発現しない魔法。何故、発現しないのか、そもそも自分の持ち得る特性とは何なのか、それさえヒカリは把握できなかった。

やがて周囲の期待は失望に変わり、ヒカリに対する価値を見出さなくなっていく。

叱責され、殴られる。食糧事情の厳しい当時の状況もあって、ヒカリの食事がこっそりと抜かれる事もあった。罰として独房に放り込まれる事もあった。それは他の四人に対しては絶対に有り得ない仕打ちで、しかしそれがまかり通ってしまっていたのはヒカリが黙ってそれを受け入れていたからだ。

ヒカリは何も言わなかった。魔法は使えなくても図抜けた身体能力を以てすれば暴力に対向することは容易だった。指先一つ、ホンの少し敵意を込めて突けば相手の体に風穴が開く。一度そうしてしまえばヒカリが自分たちとは違う何かである事を職員たちは明確に理解し、二度と暴虐な振舞いをしようとは思わなかっただろうが、しかしヒカリは一切の抵抗をしようとしなかった。

何故ならば、暴力を振るう彼らもまたヒカリにとっては守るべき対象だったから。

幼いヒカリは、しかしその明晰な頭脳故に理解してしまっていた。今、皆を守れるのは自分たちしか居ないと。驕りでも何でも無く、厳然たる事実としてヒカリは明確に理解してしまっていた。

そして、幼い故にヒカリは耐える以外の術を知らなかった。元々の責任感の強い性格に加え、弱い者を助けるべきという正義の味方めいた価値観。そして芽吹いてしまった使命感故に、期待に応えられない自分を責め、誰かに頼る事を知らなかった。

唯一頼れる他の四人の同士は、魔法使いに結託されるのを恐れた国の方針で別々の施設に隔離されていて、魔技開発の為に毎日決まった時間に行われるディスカッション用のモニター越しに、監視が付けられた状況下でしか会話は許されていなかった。だから、独房の中で母の泣く声を聞き、父が必死に何度も扉の向こうで謝罪を口にしているその姿を見ても、幼い妹が泣きそうになっているのを必死で堪えている顔を見ても、ヒカリは微笑みを浮かべる事しか思いつかなかった。

しかし、全ては破綻した。


「僕が…僕がぁっ……!」


 跪いたヒカリは思い出していた。ずっと封じ込められていた記憶と、昏い感情と、自らが為してしまった悲劇を。

 冷遇された状態のままの数年。対魔物との闘争も人類優位に変化したものの、まだ予断を許さない切迫した状況が続いていた。終わらない戦い。人類同様に五人の少年少女も擦り切れきっていた。そんな日。

 屈折した形で積み重なっていく昏い感情は静かに、だが確かにヒカリを蝕んでいた。そして、不幸にも誰もその事に気付かなかった。気づけなかった。

気づこうとする余裕を持ちえていなかった。

ある日、突如としてヒカリの魔法は顕現した。誰もが待ち望んでいた瞬間だった。ヒカリ自身も、研究者も、両親も、そしてヒカリの置かれている状況を気に病んでいた四人の魔法使いもずっと待っていた瞬間は確かに訪れた。

多くの命と引き換えにして。


「僕が、望まなければっ……!!」


 凶報を聞きつけてミサトやイチハがやってきた時、施設内には誰も居なかった。忙しなく歩きまわる研究者も、嫌味をぶつけてくる所長も、入り口を警備する警備員も。

そして、毎日ヒカリに付き添っていたはずの両親さえも。

どの部屋を覗いても誰も居ない。机上や床には書類が乱雑に散らばり、コーヒーメーカーがコポコポと音を立て、割れたコーヒーカップとぶちまけられた中身が書類を茶色に染めていた。まるで、突然持ち主が消えてしまったかのように。

やってきた四人は全ての部屋を隅々まで探し尽くし、そうして最後に辿り着いた部屋の中で見つけた。

ヒカリは泣いていた。呆然と、眼に光を無くして床にへたり込んで、声も上げずに涙だけを流し続けていた。そして膝の上では、一匹の黒猫だけが丸くなって眠っていた。


 ただ一人、孤独に泣き続けていた。




 そして今もまた、ヒカリは涙を流し続けていた。止めどなく冷たい涙が頬を伝い落ち、次々と溜りを地面に作り上げていく。


「僕が、父さんと母さんをっ……殺したっ……!」


 後悔、罪悪、失望。孤独に寂しさ、絶望。ありとあらゆる負の感情がヒカリの中に満ち満ちていく。


「うあ、あああぁぁ……」


 泣き声を上げながらヒカリは頭を地面に擦り付け、両腕を叩きつける。

思い出したくなかった。思い出さなければ良かった。こんな、こんなにも辛い思いをするのであれば、忘れたままでいたかった。

死。死ね。死ね。死ね。死ねよ。死になさい。死ねばいいのに。死死死死死死死死死死死死死死死――


「そうだ……」


 死ねば、いい。死んでしまえば全てが終わる。この孤独からも、絶望からも抜け出して、楽になれる。今の自分ならば、それを為すのは、容易い。

そもそも、だ。父を、母を、そして多くの人を殺しておいて、どうして自分はこうして今も生きながらえているのか。罪を贖わずして、全てを忘れて生き続けるという恥知らずな所業を為し続けているのか。

ヒカリは傍らに落ちる自分の剣を見た。うずくまった体勢のまま手を伸ばし、怪しく光るその剣先に見入った。刃を掴み、上半身を起こすと、その切先を喉に押し当てた。


「やめてっ、ヒカリくんっ!」


 叫ぶホノカ。その傍らでユキは無言のまま、一言も発しない。

喉に剣先を当てたままヒカリは眼を閉じた。あと、少し。あと少しだけ力を込めて喉に押し込めばきっとこの鋼鉄の塊は自分の喉を容易く斬り裂いてくれる。それで全てが終わる。たった、それだけだ。だというのに。


「どうして……!」


 ほんの少しの力が腕に入らない。メデューサに睨まれたように、腕が石と化したみたいに腕が全く動いてくれなかった。


「ヒカリ……」


 か細い声がヒカリの耳に届いた。目を見開き、涙でグチャグチャになった顔を声の方へと向けた。

そこにはスバルが居た。横になったスバルの意識は戻ってはいない。ただ、うなされた様に時折うわ言を口にしていた。


「大丈夫、だよ……ボクが、今度こそボク、が、守ってあげるから……」


 いかなる夢を見ているのか。あるいは幻覚が見えているのか。何度もヒカリの名を呼びながらそう口にし続ける。

――カラン

ヒカリの手から剣が滑り落ちた。クシャクシャに顔を歪め、涙を拭い、しかし溢れ続ける涙を何度も何度も拭う。嗚咽を堪えようと試みるも堪え切れず、しゃくる声が止まらない。

 ヒカリは俯いた。目元を強く抑え、体が震える。それは悲しみか、それとも歓喜か。

乱暴に腕で涙を拭い、歯を食い縛ってヒカリは立ち上がった。


「……負けるな」


 スバルに、そして自分自身に言い聞かせる。自分に、負けるな。僕らは、独りじゃない。


「助けるんだ」


 スバルを、そしてユキヒロを。未だ激しく蝕み、膝を折ろうとしてくる孤独に耐えてヒカリは魔法陣の外へ歩き出し、足元に落とした剣を右腕で拾い上げた。

一歩進む。炎がヒカリを照らし、足元を一迅の風が吹き抜ける。

一歩進む。重かった足取りが幾分軽くなる。踏みしめた砂利が鳴き、確かな足場をヒカリに与えてくれる。

一歩進む。辛そうに前かがみになっていた上半身が起き、真っ直ぐに背筋を伸ばして前を見据えた。


「スバル……」


そうして辿り着いたスバルの横。すでに呼吸はか細く、いつ止まってもおかしくない状態だった。そのスバルの体に、ヒカリはそっと左腕を当てた。

止血しきれなかった傷口から溢れるスバルの命。掌が汚れるのも厭わずヒカリはそこに触れ、そして次の瞬間、スバルの体が淡く輝いた。

決して強くは無く、だが確かな光。暖かく、優しく、そして全てを癒すような、ヒカリ(輝き)。その光がスバルの体から遥か上空まで立ち昇っていった。

夜の街に走る一本の光の柱。遥か遠くからも確認することができるそれはまるで、天からの希望の光の様でもあった。


「そんな……傷が……」


 ホノカの目の前でスバルの傷が見る見るうちに治っていく。溢れていた血は止まり、ヒカリが巻かれていた包帯を切り取ると、体を貫いていた傷口は最初から何も無かったかのように痕さえ残さず綺麗に治癒されていた。それと共にスバルの呼吸も安定し、今は穏やかな寝息へと変わっていた。


「あとは……」


 ヒカリは容態の安定したスバルから離れ、崩れかけの廃屋から外へ出る。そして肩幅に両脚を広げて立つと、まっすぐにもう一人の親友の体を酷使する敵を見据える。



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