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1-33 孤独な羊に、花束を



 無数のドッペルゲンガーが、昏い瞳で僕らを見つめていた――


「ドッペルゲンガーを奪エばどうナルか、ナんて、分かりきってた。ドッペ、ルゲン、ガーはもう一人、の自分。試してミたら相手、が、クク、死ニヤがったから死、ヌ、のは理解って、た。理解ってたけれど、だけど誘惑に俺は、ワタシは耐えられなかった」


 数えきれない程のドッペルゲンガーに囲まれる中、顔を上げたユキヒロの眼からは真っ赤に血が流れ落ちていた。眼球の血管という血管が千切れてしまったようで、見るからに痛そうだっていうのに、ユキヒロは嬉々とした、恍惚とした表情で話し続ける。


「ミたされる、ンだ。それまで寂しくて、寂しくてタマらなくて……辛くて全てを投げ出して、しまイ、たかったのに、ドッペルゲン、ガーが、自分のモのにナった瞬間に、世界が変わるんだ。世界に、色ガ生まれるんだ。ソレが、すっげぇ、スゴく嬉しいんだ。世界がこ、ンナにも素晴らしいもの、だったんだって、昔ノ自分、がすっげェ満たサれて、たんだっテ、思イ出せタンだ」


 ユキヒロは両手を広げ、まるで群衆に語りかける聖職者の様に思いの丈を口にした。たどたどしい口調で語るその様は異様だ。真っ赤な眼の奥に正気は無くて、狂った瞳が何を今映しているのか僕には分からない。

その時、空気が粘着性を増した。


「ユキヒロッ!?」

「ダメだ、スバルっ!」


 励起する魔素。それは分かっても何が起きてようとしているのかスバルはできてない。ついさっきもユキヒロに攻撃されたっていうのは理解出来てるけれども、なぜアイツが僕らに向かって魔術を撃ってくるのか、そして詠唱も無しにどうやって魔術を行使しているのか、何もかもが分かっていない。

不可視の風がまたスバルと僕を襲う。地面が抉られて、僕が慌てて手繰り寄せたスバルの瞳は明らかな困惑で揺れ動いていた。


「っ! 構わん! 攻撃開始っ!」


 後方から怒声。次いで射撃音。後ろに控えてもらっていた軍警察が一斉に発砲して、甲高い音が僕の耳をつんざいていく。


「やめろぉっ、やめてくれっ! やめてくれよぉっ!!」


 スバルが叫ぶ。僕も叫ぶ。けれども、その声は銃声にかき消されるまでも無く軍警には届かない。届くはずが無い。なぜなら彼らはユキヒロを捕まえるべき相手では無くて――殺すべき相手だと認めてしまったから。

着弾とともに砂煙が立ち込めていく。それはあっという間にユキヒロの姿を覆い隠してしまう。

けれども。

一陣の風が吹き荒んだ。砂埃が一斉に巻き上げられて細かい砂が僕らに向かって叩きつけられてくる。


「くぅ……っ!」


僕は顔を腕で覆ってそれを遮る。風が舞ったのは一瞬。暴風はすぐに収まった。

そして何も変わらないユキヒロがそこには居た。


「世界ハ素晴ら、しい。それは思、い出せタ。ダッテいうのに……すグに消えちまうんだ」

「どうしたっていうんだよ、ユキヒロ……」

「……まさか」


 空中に静止していた銃弾が一斉に重力に引かれてアスファルトに落ちていく。カラカラと音をたてたそれは自然の風に吹かれて地面を転がった。

 スバルの嘆きにも耳を貸さず、ユキヒロは血の涙を流す。さっきまでの銃弾の嵐なんて無かったみたいに変わらず僕らの、いや、僕の方を見て真っ赤な涙を流していた。


「何か分かったの!?」

「たぶんユキヒロは……喰われたんだ」


 ユキヒロは孤独を埋めるために、他者を喰らった。他人のドッペルゲンガーを捕食する事で寂しさを埋めて、世界に自分を留めていたんだと思う。けれども、それはきっとユキヒロが一方的に喰らうという関係じゃ無かったんだ。


(人の心を食べるとその人の心が私たちの心と置き換わってしまうのです)


 レストランでのリンシンの言葉が過った。今、まさにユキヒロに彼女の言葉通りの事が起こっているとするならば。


「ユキヒロはたくさんのドッペルゲンガーを喰らってきた。でもそれは同時に、ユキヒロが彼らに喰われる事も意味してたんだ。リンシンがこの間言ってたじゃないか。人一人の心が持つエネルギーは膨大だって。人を食べることは……その人に成り代わる事と同じなんだって」

「そんな……それじゃあユキヒロは……」


 絞り出すような声のスバルに対して、僕は返事をしなかった。


「ダッテいうのに……また世界ガ、裏切るンだ。せっかく、満タされたノに、また、何も、カもが色アせて、寂しクて狂いソ、ウな毎日が、始まルんだよ……

ワカるか? 俺の孤独が、理解でキるか? 世界かラ嫌ワれ、る絶望が、お前ラに理解できるか?」


 僕らが返事ができないでいるのにユキヒロは泣きながら僕らに訴えかけてくる。今の声は誰の声だろうか。ユキヒロの声か。それともユキヒロにドッペルゲンガーを奪われた亡霊の声なんだろうか。正気を失ってしまってるっていうのに、だっていうのにユキヒロは僕らに泣きながら静かに語りかけてきてくれる。その思いは一体誰のものなのか。


「いや……」


これはユキヒロの声だ。アイツが助けを求める声だ。孤独から助かる術を求めて、必死に力を振り絞ってるユキヒロ自身の嘆きだ。正気を失ってなお、他の誰でもなく僕らを頼ってくれてるんだ。だからこそユキヒロは後ろの軍警察には目もくれずに僕らから視線を外さないんだと思う。

 まだ、完全にユキヒロは自分を見失ってはいない。


「まだだ……まだ何とかなるかもしれない」

「何か方法でも思いついたの?」

「いや、何も……でも諦めたらそれで終わりなんだよ、スバル。それに、素直に手を貸してくれるとは思わないけれどイチハなら何か方法を知ってるかもしれない」


 ともかくは、今やるべきことは一つ。ユキヒロを止めることだ。何とかしてユキヒロを捕まえて大人しくさせないと、今のままじゃ何もできやしない。

視界に映るドッペルゲンガーたちが薄っすらと笑ってコードを描き始める。さっきの魔術と無傷のユキヒロに呆気に取られていた軍警察の人たちもまた警戒を露わにして身構えた。

けれども。


「ヒ、カリ……」


 掠れた声でユキヒロが僕を呼んだ。その声は確かにユキヒロのものだ。


「心配するなよ。きっと何とかしてみせるから」


 だけどユキヒロはゆるゆると首を横に振った。


「頼みガ……あるん、だ」

「バカ、縁起でも無いこと言うなよ。絶対……絶対助けてみせるから」

「もう……ムリだ。俺、はもう、戻れない……最初から、ドッペルゲンガーに手を出すべきじゃなかったんだ。今も、けっこ、う、限界なん、だぜ……? ど、うやら、奪ったヤツに、やばかった人、間が居た、みたいでな。気を抜け、ば、さっきみたいに、お前、らヲ、殺シテ、しマいそうになっチまう。殺し、テ、まタドッペルゲ、ンガーを、奪いタくなっちマう。だからヒカリ……」


 辛そうに笑って。そして――


「――俺を殺してくれ」


 一番残酷な言葉を僕に告げた。


「なにを……」

「今も……俺の中には、奪ったドッペルゲン、ガーが、居る……俺を殺せばたぶん……元の持ち主、に返せるは、ずだ。それ、と、俺が渡し、たドッペルゲンガー、の事も、頼、む。四之宮の、ドッペルゲンガーも、一緒に魔技、総研って場所、に保管されて、るからよ……」


 言い終えたユキヒロはとても満足気で、思い残すことは何も無いとでも言いた気だ。

その一方で、僕の裡はひどく荒れていた。

殺してくれ。それは最もひどくて独りよがりな言い草だ。僕とユキヒロは友達だ。かけがえの無い大切な友だ。僕の人生において、無二の友人だ。殺してくれだなんて言われて、殺せるわけがない。

だけども一方では、ユキヒロの言い分を理解できてしまっている僕が居る。何故ならば、それは常日頃僕が思っている願いそのものだから。

現実の辛さに逃げ出したくて。苦しい毎日を終わらせてしまいたくて。

そして何より、孤独な世界を終わらせてしまいたくて。

だから独り者は祈ってしまう。孤独な日々の終わりを。けれど同時に期待してしまう。いつか、いつかこの孤独から抜け出せる日が来るんじゃないかと。そして、このままで終わってしまいたくないと、世界からまた好かれて、そして死んでしまいたいと。だから自分で決断できない。このまま終わってしまうのは、あまりにも救いがないと理解っているから。


「……断る」


 そしてだからこそ僕はユキヒロの願いには応えてあげない。


「ユキヒロは……僕らはまだ生きるべきなんだ」


 例えそれが、人の願いを叶えるという僕の呪いに抗うことであっても、僕はまだ終わらせてしまいたくない。

それは、はかない希望なのかもしれない。きっと僕らは一生この孤独を抱えたままで生きていかないといけないのかもしれない。そこに僕らの希望は、実は存在していないのかもしれない。

だけども。


「ユキヒロの傍にはスバルが居る。タマキが居て、リンシンが居て、僕が居る。僕らの孤独は決して他人には理解できないし、孤独から解放される事は無いのかもしれない。

 でも、ユキヒロ。孤独はさ――癒やすことはできるんだ」


 ユキヒロの姿は、言うなればもう一人の僕だ。スバルやユキが居なくて、十分に支えてくれる人が居なかった場合の僕であり、孤独を埋めるための手段を人から奪うことに求めてしまった僕の姿だ。そんなユキヒロだからこそ――僕は助けたい。ユキヒロを助けるのと同時に、僕が僕自身を救うために。


「僕らは独りじゃない。世界に嫌われてても僕らはユキヒロを好きなんだ。僕らが傍に居る。ユキヒロがこれまで僕の傍に居てくれたみたいに、ユキヒロの周りに僕らが居るんだよ。だから絶対に――ユキヒロの願いは叶えてやらない」

「……ユキヒロさ」

「スバル」


 俯いていたスバルが顔を上げて、掴んでいた僕の手を解くと「ありがと、ヒカリ」とお礼を言って横に並んだ。


「正直ボクにはユキヒロの感じてる孤独なんて理解できない。だってボクはユキヒロじゃないからね。理解はしてあげられない。してあげたいと思うけれど、完全になんて理解できない。でもそれはしょうがないことだと思う。それが人間なんだもの。

 けれど、隣で一緒に歩いていく事はできると思うんだ」


 スバルは僕の方を見て微笑み、そしてユキヒロにもう一度手を差し出した。


「来なよ、コッチにさ。

 頼りなよ、ボクらをさ。

寂しさは無くならなくても、傍に誰かが居ればきっと寂しさは忘れられるから」

「ス…バル……」

「手をボクらに差し出す。ユキヒロはそれだけすればいい。後はボクらに任せていいからさ」


 スバルに続いて僕もユキヒロに手を伸ばした。

僕とスバルの手が宙に並ぶ。ユキヒロとの距離は数メートル。僕らならたった一歩で届く距離だ。けれども今は遠い一歩。

赤い目のユキヒロは無言で僕らの手を見る。赤い涙が頬に伝ったまま、ユキヒロは星空を仰ぎ見た。

そして――


「じゃあ――後は頼む」


 ――ユキヒロは僕らに向かって手を伸ばした。


「ああ。確かに頼まれたよ」


 距離はある。到底手は届かない。けれども、僕らは確かにユキヒロの手を取った。

ユキヒロは安心したように笑った。

次の瞬間、獣の様な咆哮が夜の街に轟いた。


「さて、それじゃ約束した手前、やることはキチンとやらなきゃね」

「だな」


僕らに向かって微笑んだ直後、どうやらユキヒロの意識は他の人間の意識に飲まれたらしく、今は獰猛で剣呑な視線を僕らに向けてる。周囲の魔素は、これ以上ないくらいに大規模に励起して、暑くは無いはずなのに汗ばむくらいにじっとりとした汗を自然と掻いてしまう。きっと緊張によるものなんだろうけれど、不愉快な気候とは裏腹に頭の中はひどくクリアだ。不安なんてどこにも無い。

攻撃が効かなかったからか、それとも会話をしていた僕らに気を遣ってくれたのか知らないけれど、おとなしくしてくれていた軍警察も再びの異変を感じてか遠巻きながらも緊張が高まっているのが振り向かなくても分かった。

ユキヒロと話している間はそれぞれ胡乱に彷徨っていた多くのドッペルゲンガーたちが僕らの方に一斉に振り向く。当たり前だけれど生気の無い視線はひどく不気味で、そんな彼ら彼女らの眼が怪しく光った。そんな気がした。

現れる無数の魔法陣。多種多様な幾何学的模様が何も無い空間に瞬く間に描かれていって、その中に溜め込まれたエネルギーが解放される時を今か今かと待ってるみたいで。

だけれども。


「それじゃ――」

「――行きますか」


 僕とスバル、どちらからともなく一歩前に踏み出した。

 途端、辺りが魔術の嵐が吹き荒れた。




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