1-22 Interlude-2
「イチハは、犯人を知ってるにゃね」
その質問と同時にスバルは弾かれたようにイチハを見た。
ユキの問いはイチハの虚を突いたらしく、一瞬動きを止めて、次にはわずかに顔をしかめてみせた。
それでもすぐに表情にアルカイク・スマイルを貼り付けて、ソファに大儀そうに背を預けてユキを見下ろす体勢へと変える。聞かずとも、今の間が雄弁に物語っていたが。
「……どうしてそう思うのかしら?」
「単純な話にゃ。わちきが知るイチハが知らにゃいはずがにゃいからにゃ。半分はカマかけだったけど、その反応を見るとどうやら当たりだったみたいだにゃ」
言いながらユキが鼻を小さく鳴らすと、イチハはやれやれと軽く瞑目して肩を竦めてみせる。
「しくったわね。久々にユキちゃんに会えたから気が抜けちゃったかしら?」
「昔からイチハは嘘を吐くのがヘタクソにゃ。嘘を吐いてる時のイチハは声が少し低くなって、口調が荒っぽくなるにゃ」
「ボクは全然気づかなかったんだけど……」
自分の方が付き合いが長いはずなんだけど。そう小さくぼやきながらスバルは頬を掻いた。
幼馴染のスバルよりもイチハの癖を知ってるなんて、ユキはどれだけイチハを観察してるんだろうか。言葉ではイチハを嫌っている雰囲気を醸しているが、実はイチハの事が好きなんじゃないか。
「それは無いにゃ。あんまりふざけた事言ってると、スバルとは言えども噛みちぎるにゃ」
「まだ何も言ってないんだけどな……」
何を噛みちぎるのかは怖くてスバルは聞けなかった。口にしてないスバルの思考を読む力と言い、男の大切なモノを大切だとも思わないその姿勢と言い、げに女は恐ろしい。人知れずスバルは戦慄に体を震わせた。
それよりも、とスバルは居住まいを正す。
「犯人を知ってるならぜひとも教えて欲しいんだけどさ。イチハだって、口ではああ言ってたけど、本当はずっと僕らの事を観察してたんだろうからどれだけ苦労してるか判ってるくせに」
ふてくされた様にスバルは口を尖らせた。
毎日毎晩、寝る間も惜しんで四人で犯人を探し求めた。事件が起きた場所を探し歩き、犯人の手がかりを探し、しかし犯人はそんなスバルたちをあざ笑うかのごとく別の場所で事件を起こしていく。
スバルたちとて魔術師の端くれだ。車の様な移動手段は持っていないが、自前の身体能力を活かしてかなり広範囲を探索しているにも関わらず足取りさえ掴めない。ネットも駆使して、やっと手に入れた情報でさえもデマだった可能性が高く、まるで犯人はスバルたちが探しているのを知った上で掌の上で転がしている。そんな感想さえ抱いてしまう。
いかなイチハが一方的な利益供与を嫌ってるとはいっても、知っているなら教えて欲しい、というのは偽らざるスバルの本音だった。
「わちきも同感にゃ。だから改めて聞くにゃ。どうして教えないにゃ?」
「……ほんっとに二人とも過保護よねぇ」
ユキが尋ね、だがイチハはそれには応えずめんどくさいと言わんばかりにため息を吐く。
その言い草にユキはピクリと口端を釣り上げ、スバルも小さな口を更に尖らせる。だが事実二人共ヒカリに対しては過保護である自覚も多少あるので反論は口にせず、代わりに鼻を鳴らして抗議の意を示した。
「教えなかった理由は二つ。一つは私のポリシーとして一方的に手を貸すのが嫌いだから。そしてもう一つ」
二人の抗議の素振りも意に介せず、イチハは右手の人差指を一本立てた。
「これはヒカリ自身で解決すべき問題だと思ったからよ」
「一つ目は理解するよ。これまでずっと言ってきた事だし、これまでの事を思えばね。
けど二つ目はよく分かんないな。しかも『僕ら』じゃなくて『ヒカリ』が解決すべきだって言うんでしょ?」
「そうよ。まあ、四之宮・ユズホに関してはヒカリだけじゃなくてスバルたち全員の問題だと思ったから少し手は貸したけど、少なくとも犯人はヒカリが中心となって解決するべきね。私はそう確信してるわ。ああ、別にヒカリ一人にやらせろってワケじゃないから。ただ犯人を捕まえるのはヒカリにさせてあげなさいよ」
「理由を聞かせるにゃ。イチハが何をどこまで知ってるかは知らにゃいけど、何もわちきたちに教えずにただそうしろっていうのなら、それは昔イチハたちをこき使ってきた人間たちと何も変わらないにゃ」
「……そうね」
尻尾を真上に立てて、一定のリズムで左右に振りながらユキはそうイチハに投げかける。それに対してイチハも同意し、口を湿らせようとジョッキを手に取ろうとするがすでにジョッキの中身は空で、小さく舌打ちしてわずかに残った温くなったビールを喉の奥へと流し込んだ。
「平たく言えば、いい加減ヒカリも現実を直視する時が来たって事」
「全然平たく言えて無いにゃ。わちきたちはイチハたち魔法使いと違って頭が悪いからにゃ。バカでも分かるくらい噛み砕いて言うことをオススメするにゃ、魔法使い『様』?」
「もう、わがままなんだからユキちゃんは。でもそこが可愛いんだけどね」
皮肉を込めてユキはイチハを様付けで呼ぶが、イチハは軽く聞き流す。そのことにユキは不満げに眉根を寄せるが、イチハはそれに気づかないふりをして、そして逆に二人に対して問いかける。
「ねえ、スバルもユキちゃんも、いつまでヒカリの面倒を傍で見続けるつもり?」
「いつまでって……」
答えようとしてスバルは口ごもった。
ずっとスバルはヒカリを守ることばかりを考えて生きてきた。ヒカリと共に生活し、ずっとヒカリを支えて生きていくのだと信じて疑わなかった。自分は男でヒカリもまた男であるから残念ながら伴侶としてはムリだと諦めてもいるが、それでもパートナーとしてヒカリの傍に居続けたいと願っている。
「何事にも『永遠』は無いのよ。何にだって終わりは、いつかはやってくるの」
だがその願いが適う保証はどこにも無い。ヒカリがいつまでもスバルと一緒に居ることを望まないかもしれない。疎ましく思われるかもしれないし、何らかの要因で傍にいれなくなる日がくる事だってある。その可能性をスバルは考えてこなかった。
(――いや……)
考えてこなかったのでは無い。意図的に眼を逸し続けてきたのだと、イチハの諭す声に揺り動かされながら自嘲した。
ヒカリの隣に自分が居ない。それはスバルにとってはひどい恐怖であり、受け入れ難い未来であった。だからこそ考えないようにと逃げ続けてきた。ただ考える、それだけでそんな未来がいつか来てしまうのが怖くて。
「スバルたち魔術師も私たち魔法使いも不死じゃない。世間一般よりも頑丈に出来てるけれども頭を撃ち抜かれれば死ぬし、不治の病に掛かれば死ぬ。スバルだってユキちゃんだって、私だってミサト姉も皆ヒカリより早く死んでしまう可能性だってある。さて、そうなってしまった時、ずっと守られて生きてきたヒカリはその先もちゃんと生きていけるんでしょうね?」
「詭弁にゃ。可能性としてはあるけれど、そんなの……」
「待って、ユキちゃん」
イチハの話にユキは反論しようとする。だがそれをスバルが制止して、下唇を噛んだ。
まさか、と思いながらも左手で頭を抱える仕草をして恐る恐る口を開く。
「……そんな、そんな恐ろしい事態が生じる可能性があるってイチハは思ってる……?」
ユキは黄色い眼を剥いてイチハを見上げた。イチハが口にしていたのは単なる可能性。有り得なくは無い、けれどもその確率は恐ろしく低い――まるで杞の国の人間が空が落ちてくる心配をしていたくらい――事態の話だ。ユキもスバルも、他の人間が口にすれば「杞憂だ」と笑い飛ばしていただろう。
だがイチハが口にすればそれは情報の重みが違ってくる。預言者が口にする確定された未来であるかのような錯覚さえ覚える。情報の魔法使いがする言葉は時にそれほどの意味を持つ。
スバルも縋るような視線をイチハに送る。対して、イチハは曖昧に微笑んだ。
「深読みしてるみたいだけど、私はあくまで可能性の話をしてるだけよ?」
そう嘯くが、スバルにはその発言が真実であるのか、イチハの本心が何処にあるのか判別できなかった。
だが――
(起こり得る、って考えておくべきなんだろうね……)
スバルはオプティミストに見られる事が多いが、その実ペシミストだ。望んでいる事態には百パーセントならず、必ずどこか意に沿わない事が起きる。なのに何処までも意に沿わない事態には成り得る。世の中はそんな理不尽さで満ちていて、だからこそいかなる事態になろうとも失望に押し潰されないようスバルはあらゆるパターンを考えるのが習慣であった。
であるならば。
「……だからイチハは、ヒカリが一人になっても一人で乗り越えていける様にすべきだって言うんだね」
イチハの意図をキチンと確かめなければならない。有り得ないと切って捨てるのでは無く、来る未来をより良い物にするために、スバル自身が適切な行動を取るために情報の魔法使いの考えを理解しようとする必要がある。――理解が及ぶかは別として。
「……スバルはイチハの話を信じるのかにゃ?」
「可能性として考慮しておくべきだとは思う。別にイチハが言ったからじゃなくて、未来はいつだって不確定だからさ。だって」
僕らがこんな風になるなんて、誰も予想できなかったでしょ?
そうスバルから言われてユキは顔を逸らして俯き、そして空になったジョッキのガラスに自らの黒猫姿を認めて項垂れた。
「イチハの言いたい事は分かったよ。だけど、それと今回の犯人がどう結びつくのかがよく分かんない」
「直接は関係無いわよ。でも、そうね……今回の事件でヒカリの意識改革を促すっていうのが適切かしらね」
「意識改革……?」
オウム返しにスバルが問い返したちょうどその時、部屋の扉がノックされた。
「失礼します。お飲み物をお持ち致しました」
入ってきたのはマコトで、両手で抱えられたトレーの上には先程までそれぞれが飲んでいたものと同じ飲み物が置かれていた。
「そろそろお代わりが必要になる頃合いかと思いまして」
「ありがとう。さっすがマコト。気が利くわね」
イチハが賛辞の言葉を述べて褒め称えるが、マコトはわずかに微笑んだだけで恭しく一礼し、すぐに部屋を辞していく。
パタリ、と扉が閉じると同時にイチハは冷えたジョッキを嬉しそうに持ち上げて一気にあおっていき、スバルとユキも一息入れようとカップに手を伸ばした。
甘くて温かいココアが胃の中に流れ込んでいき、スバルはそっと息を吐き出した。
「それで、意識改革って?」
「自分で決断する意思を持つ事。私はね、いい加減ヒカリも孤独に向き合っていくべきだと思うの」イチハはジョッキをテーブルに置く。「私がヒカリの記憶を閉じ込めて以来、ヒカリは変わってしまったわ。
十年前、ヒカリは私たちを引っ張っていってくれた。一人ぼっちで閉じこもっていた私を外の世界に連れ出してくれたし、たくさんの優しさをくれた。冷たい孤独から救ってくれた。他ならぬヒカリ自身の意思で。周りからどう思われようとも関係なく、『ヒカリがそうすべきだと思って』私たちの手を握ってくれたわ」
「うん。だからこそボクらはこうして今も友達として話していられる」
そう言って少しだけスバルは過去に思いを馳せた。誰一人として友達もおらず、作り方も分からず、誰かからいじめられるだけの毎日。今思えば責任の一端も自分にあったと思うが、当時は全てから眼を閉じて、ひたすらに耐える辛く苦しかった日々だった。
そこを救ってくれたのがヒカリだった。「友達になりたいから」という理由で、ヒカリはスバルにとって最初の友達になってくれた。たったそれだけの事。だが、それはスバルにとって名前の通り「輝」だった。
「ええ、そうよ。ヒカリに出会ってから私の世界は大きく変わったわ。大げさでも何でもなくて、本当にそれくらいの影響を与えた。あの時のヒカリは輝いて見えた。けれど、今のヒカリは違う。いつだって『誰かの為』だって言葉を言い訳にして周りに流されてる。常に誰かの機嫌を伺って、顔色を見て、お人好しを装って、自分を殺してる。誰かに嫌われる事を怖がって、見返りはいつだって望まない。ただ『嫌われない』ことだけを願ってるだけ。正直見てられないの」
「なら見なければいいにゃ。見たくもないものをわざわざ無理して見て嫌な思いをする必要は無いにゃ」
「相手がヒカリじゃなかったらそうしてたわよ。それでソイツがどんな人生歩んでどんな死に方をしようが私には関係ないもの。でも、私は昔の恩をまだ十分に返せてない。この世界みたいな『恩知らず』には他ならぬ『私自身』がなりたくないの」
ユキの反論にイチハは少しだけ憤慨した様子で、だが一口ビールを喉に流し込むとわずかに顔を俯かせてしかめ面を浮かべる。
「本当の孤独は怖い。人に嫌われればそれだけ孤独が蝕んでくる。それがどのくらい恐ろしいものかはきっとスバルもユキちゃんも理解できない。だけど私は理解る。アレは恐ろしいものよ。私という存在を塗りつぶしてくる絶望的な何かよ。できるなら二度と体感したくないわ。でも私もヒカリも絶対に逃れられない。ヒカリがヒカリである限り絶対的な孤独は逃してくれないの。なら、向き合って一緒に付き合っていくしか無いじゃない」
「イチハみたいに?」
「……私だって怖いわ。今だって孤独感から逃げまわってる。逃げるためにアイドルやってるんだもの。だけど、少なくとも一度はキチンと寂しさと向き合ったし、それは私だけじゃない。ミサト姉だってコウジだってカイ君だって孤独に向き合いながら、それでも何とか対処方法を見つけて折り合いをつけて生き延びてる。前進してるわ。例え、カメみたいな歩みでもね。
でもそんな中でヒカリだけがまだ同じ場所に立ってるわ。無意識に後ろばっかり振り向いて、前に進もうとして、だけど進む勇気が無くて、パブロフの犬みたいに同じ場所をグルグルと回り続けてる」
「……ヒカリはヒカリなりに頑張ってるにゃ」
「まだ足りないわ」
項垂れたままユキが言葉を絞りだすが、それをイチハは容易く一蹴した。
「まだ、頑張ってない。いつまでも『誰かの為』以外に動けないところがその証拠よ。
いい? 誰かの為だなんて耳障りは良いけど、人間は所詮自分の為でしか動けないの。勉強を頑張るのは自分がいい生活をしたいから。偉くなりたいのは自分が他人より優位に立ちたいから。人に優しくするのは自分が、他人が傷ついてるのを見たくないから。自分が悲しい思いをしたくないから。そして、その事をヒカリ本人が昔は理解してた」
イチハの脳裏に不意に思い浮かぶ昔。周りの眼を気にしてヒカリを遠ざけようとして、それでも手を差し伸べてくるヒカリに対して「どうして私に構ってくるの?」と聞いた時の言葉。
(「周りなんて関係ないよ。僕がそうしたいからしてるだけ」か……)
幼い口調と温かい笑顔を克明に思い出すことができ、イチハは軽く眼を閉じる。
「今回の事件、犯人を追っていく中でほぼ間違いなくヒカリは決断に直面するわ。大切な何かを失う事態になった時に周りの顔色を伺わず、周囲に流されずに自分が正しいと思える行動を取ること。その先にある、失った後に襲ってくる絶対なる孤独の一端に正面から向き合うこと。それを乗り越えられたら、そこでようやくヒカリは自分のしでかしてしまった過ちに向き合う準備ができるんだと、私は思うわ」
そう言い切って、イチハは話は終わったとばかりにビールを一気に飲み干す。
流れる沈黙。隔離された部屋には店内のBGMが漏れ聞こえてくることもなく、静寂だけが場を支配した。
やがて、ユキがその沈黙を破った。
「……時が来た、という事にゃね」
「ユキちゃん……」
静かに呟くユキに、スバルは苦渋に満ちた表情を向けた。
「つい数日前にも言ったにゃ。今のヒカリにはかつて程の抵抗力は無いにゃ。にも関わらずイチハの魔法が解ける間隔が短くなってるのは、ヒカリ自身が記憶を取り戻す事を無意識に望んでる証にゃって。スバルも納得したはずにゃ?」
「うん……」
ヒカリの寝顔を見ながら二人で話した、ヒカリが進むべき道。あの夜、スバルはヒカリが記憶を取り戻す事を認めたが、それでも不安は残る。強く噛み締めた唇が腫れて、破けた箇所からわずかに血が滲んだ。
「怖い?」
「……うん、怖いよ。いつかは来る時だとは思ったけど、その時が近づいてきてるかと思うと怖くてたまらない」
想像するだけで怖気が走り、スバルは左腕を掻き抱く。それに、と俯いたままでスバルは感情を吐露する。
「ボク自身の感情だけを優先させるなら、ヒカリにはこのままで居てほしい。ボクにとってはどんなヒカリでもヒカリだし、今のヒカリも、嫌だなって思うことはあるけど、それでも好きだし」
「でもそれはスバルにとっても、ヒカリにとっても不幸なことよ?」
「うん、それも分かってる。いつかは変わらないといけない時は来るし、世界はそんなモラトリアムを許容してくれるほどに優しくないから」
だから、ヒカリが記憶を取り戻してもボクはそれを受け入れる。そう告げ、しかし予想できる最悪の事態を想像して、声が震えるのを必死で堪えながらイチハに尋ねる。
「もし、もしだよ? 何の準備もなくヒカリが思い出したら、どうなるかな?」
「予想でしか無いけど、罪悪と孤独に溺れて死ぬでしょうね。傍に私が居れば何とかなるでしょうけど、結局同じことの繰り返しになるわ」
「……確認だけど、イチハは居なくならないよね?」
みんな、居なくなってしまう。
その未来予想図に堪え切れずにわずかに震える声でスバルは確認し、イチハは立ち上がってポンとスバルの頭を軽く叩いた。
「安心して。少なくとも私は居なくなるつもりは無いわ」
「……年下のクセに」
安心させるための仕草に、スバルは憎まれ口を叩き、だがイチハの手を払うこと無く受け入れ続ける。
「ユキちゃんが私の物になったら逃避行しちゃうかもしれないけど」
「……イチハの物になるくらいにゃら、意地でも噛み殺して逃げてやるにゃ」
鋭い歯をむき出しにしてユキは威嚇してみせ、イチハはそれを見て「怖い怖い」と戯けてみせる。そんな二人を見て、スバルはそこでやっと笑みを浮かべることができた。
「最初にも言ったけど、別にヒカリ一人で背負わせる必要は無いわ。いきなりはキツイでしょうし、自力でヒカリが気づいた後はむしろサポートしてあげてよ」
「十分イチハも過保護にゃ」
そう言って笑いながらユキはテーブルの上からスバルの膝に飛び乗り、前足で軽くタッチすると膝上から飛び降りた。
「そろそろ時間にゃ。早く帰らないとまたタマキに怒られるけど、それでもいいのにゃ?」
「もうそんな時間か」
壁に掛けられた時計の針はすでに夕刻。カップの中に残っていた、少し冷めたココアを飲み干してスバルは立ち上がった。
「とりあえずヒカリは今晩私の方で処置しておくから。しばらくは精神が安定するはずよ」
「いつも悪いね。ボクがもう少し魔術を使えたら良いんだけど……」
「これも私の特権よ。そこは譲る気は無いの。
それじゃ私の方もそろそろ行くから。リンシンを拾って四之宮・ユズホを何とかしてくるから後は宜しくね」
そう言うと、スバルの視界からイチハの姿が掻き消えた。姿は見えないが確かにそこに居るだろうイチハは、これみよがしにビールのジョッキを持ち上げて名残惜しそうに逆さまに傾け、気づいた時にはスバルの後ろのドアが閉まる音がしていた。
「これから何が起こるのか分かんないけどさ……」
ユキを肩に乗せながらスバルは独りごちた。
「勝手に居なくなったりしないでよね、イチハ」
イチハが出て行った扉に向かってスバルは言葉を投げかけた。
だが当然、スバルのその願いに答えを返してくれる人は誰もおらず、スバルの声だけが虚しく反射して静寂に吸い込まれていった。
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