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1-18 THE Idle(idol)

また長くなりました。来週はお休みかもしれません。


【魔術詠唱について】

魔術は英雄が開発した魔素方程式を解析し、大気中の魔素に干渉することで発動するが、音として発することで不可視のコード(魔法陣)を描くことができる。詠唱は基本五音節で構成され、元素・現象・対象・距離・永続時間からなるが必ずしも全ての音節は必要では無く、また追加することでより詳細で正確な発動が可能になる。


 獏のリンシンと出会って久方ぶりに会ったコウジに殺されそうになって君代さんに助けられて霧島さんを含めた六人で深夜のお茶会という何とも慌ただしい時間を過ごした翌日。というか日付的には今日。

僕らは秋葉原の町に居た。

何故かといえば答えは唯一つであり、帰り際にコウジが残してくれたメモにここに行くよう書かれていたからで、その目的はといえばこれも唯一つ。

紅葉(もみじ)・イチハに会うためだ。


「この町にそのイチハさん、という方がおりますの?」

「コウジのメモによるとそのはずだよ。なんでアキバなのかは知んないけどさ」


 イチハもまたコウジと同じく僕やスバルの幼馴染で、そしてこれまたコウジと同じで、ずっと昔に親の田舎で出会った仲だ。最初に会ったのはどのくらい前だろうか。小学校に入る前で、まだ四歳か五歳くらいだった気がする。あの頃は人見知りも激しくて、中々仲良くなれなくて、何とか一緒に遊べないかって色んな事で気を惹こうとしてたっけ。今となってはその時の面影は微塵も無くなってしまってるけれど。


「イチハって言えばタマキが大好きなアイドルと同じ名前だな」

「そうなんですのよ。きっとこれからお会いするその子もイチハちゃんと同じくらいに可愛いに決まってますわ!」


 ユキヒロが今気づいたのかそう言ってタマキに話を振ると、タマキは今にも鼻から情熱を溢れさせんばかりに顔を紅潮させて何処からとも無く取り出した「イチハちゃん人形」にうっとりとした表情で頬擦りし始めた。人の趣味をどうこう言うつもりはないけれど、出来るなら公衆の面前でそういうことをするのは止めて欲しい。周囲の眼が痛い。


「あの、その、私もそのイチハさんという方に会ってもいいなのですか? 私みたいな獏が一緒に行くと……迷惑じゃないなのですか?」

「気にすることないにゃ。というより気にすること自体ムダにゃ。あの子は来るもの拒まず去る者はどこに逃げても監視し続ける。去らなくても監視し続ける。むしろ会わない方が身のためだにゃ」


 ひどい言い草だ。最近の仮想人格は凄いもんだとつくづく思うけれど、誰がインストールしたのだろうか、この性格は。


しかし、ずいぶんとユキはイチハの事を知ってるみたいだけれど、ユキってイチハに会ったことあったっけ?


「そっか、ヒカリはイチハと会うのって久しぶりだったっけ?」

「メールだけはひっきりなしに着てるけどね」


 普段は神出鬼没でどこに居るのか分かんないくせに、どうでもいい内容をひどい時は十分とおかずに送信してくるから僕の受信箱はイチハのメールでパンパンだ。ただでさえメールはあまり使わないのにイチハが送りまくるからいつ開いたってイチハの名前しか出てきやしない。今はもう返信するのさえ諦めた。

ところで。


「いつまで僕の背中に居るつもりだよ」

「ずーっと」


 秋葉原の駅に着いてからずっとスバルはまるでひっつき虫みたく僕の背中にしがみついてて離れようとしない。だからさっきから声がずっと耳元で聞こえてくるし、話す度に吐息が掛かってこそばゆいし歩きにくい。いい加減離れて欲しいんだけど、まあスバルはスバルでこういう時は人の言う事を聞かないしな。別に重いわけじゃないし、ちょっとくらいなら我慢してやろうと思ってた。


「ふふ、最近こういう事できる雰囲気じゃ無かったしね。だから今のうちにヒカリの体温と体臭をこの身に刻み込んでおくのさ。

 ああ……久々に嗅ぐヒカリの香り……ハァハァクンカクンカ! クンカクンカ! スーハースーハー! スーハースーハー! ね、ね、ヒカリ! ペロペロしてもいい!? ペロペロしてもいい!?」

「やめろ」


 さっきから隙あらば首筋を舐めようとしてこなければ。ただでさえ鼻息荒いし、いい加減どうにかして欲しい。期待を込めてリンシンと並んで前を歩くユキヒロに声を掛けてみるけれど――


「アナタダレデスカ? ヒトチガイデハアリマセンカ?」


 とかクソムカつく返事を返してくれやがる。今に見てやがれ。まあ、僕がユキヒロの立場だったら、間違いなく人混みの中で男に背中から抱きつかれて首筋の匂いを嗅がれてる奴を友人だとは思いたくないけれど。もっとも、見た目小学生の女の子二人を連れて歩いてるユキヒロも世間的にはだいぶグレーな状況だけど。


「その、リンシンだったか?」

「はいなのです。なにですか?」

「……ゴメンな。俺がキチンと確認せずに伝えたせいで君まで巻き込んでしまって」


 肩を落としてユキヒロが、歩きながら隣のリンシンに謝った。

確かにキッカケはユキヒロの情報だったかもしれないけれど、そこまで気にする必要は無いと思う。情報をどう扱うかは僕ら側の問題だし、それに僕らだけじゃなくて霧島さんやコウジも獏が犯人だと思ってたし、リンシン自身も一人で問題解決に動いてた。この時点でリンシンが巻き込まれるのは当然の帰結だし、むしろ謝るべきはユキヒロじゃなくて真っ先に攻撃を仕掛けたタマキじゃないだろうか。


「気にしなくていいのです。もしお兄さんたちが居なかったら、たぶん私はあの英雄さんに連れて行かれていたのです。だからありがとうございますなのです」

「謝ってるのにお礼を言われるとな」


 許すどころか笑顔でお礼を言われてユキヒロは苦笑いだ。そして「そっか……」とそれ以上何とも言えず口ごもってしまった。


「ま、結果オーライだよ。別にユキヒロも悪い事したわけじゃないんだしさ、ちゃんと謝ったしそれでいいんじゃない?」

「そう、だな。そういう事として受け止めておくよ、どういたしまして、リンシン」

「はい、なのです」


 ニコッと見るからに無垢な笑顔をリンシンは浮かべた。こうやって見ると、リンシンって大きいけれどやっぱりまだ四歳って感じだな。素直でいい子だし、出来ればこのまま素直なままで成長していって欲しいと思う。


「……」


 ……ぜひとも隣で無言で鼻血を垂らし続ける様な汚れた大人にならないで欲しいと切に願うよ。

 それはともかく。


「アキバに来たは良いけど、イチハは何処に居るんだよ」

「メモには細かい場所書いてなかったからねぇ。さっきからボクもメール送ってるんだけど、こういう時に限って全然返事が返ってこないし」


 まさか虱潰しに探して歩くのか?確かに町自体は歩いて回れる広さだけど、それでも裏路地とかも多いし、メインストリートの店も相当だ。イチハを知ってるのは僕とスバルだけだからみんなで手分けして探すわけにもいかないし、どうしたものか……


「どうする? コウジに聞いてみる?」


 ああしてイチハの情報をくれたくらいだし、コウジなら知ってるかもしれないな。だけど問題は。


「アイツ、電話に出るか?」

「……たぶん出ないと思う」


 活動時間は夜だしな。まだ夕方だし、もしかしたら起きてるかもしれないけれど、寝てる可能性が高い気がする。とはいえ、他に何か手段があるわけでも無いし、試すだけ試してみてもいいだろう。


「ん? 何だ?」


 スバルがコウジに電話しようと携帯の電話帳を漁り始めた時、ユキヒロが声を上げた。釣られて僕もユキヒロが見てる方に目を遣ると、なるほど、確かにさっきまでと様子が違う。

つい数分前までは歩行者天国をみんな好き勝手な方向に歩いてたけれど、今は何というか、一つの流れみたいなものが出来てる。

最初はなんとなく分かる程度の人の流れだったけれども、しばらく眺めているうちに段々その流れは大きくなって明らかに一方向に向かってるのが理解できる程度になっていった。たくさんの人が居るから当然それなりにざわついてはいたんだけれど、そのざわめきも徐々に大きくなって、みんな近くにいる人と話し始めてる。全体的に浮ついてる印象だ。


「みんな駅の方に向かってますわね」

「事件、なのですか?」

「それにしてはみんな楽しそうだにゃ」


 楽しそう、というよりもどちらかと言えばこれから起こる何かに心を弾ませてる、そんな感じ。一体何が始まるんだ?


「……とりあえず行ってみようぜ」

「そうですわね。行ってみましょう」


 ユキヒロとタマキの二人も何が起こるのか判ってない。そのはずなのにどこか表情は楽しそうで、僕らが返事をする前にはすでに二人の脚はみんなと同じ流れの方向に動き出していた。


「ダメだね、コウジにも繋がらない」

「どうするにゃ? もう二人共行ってしまって、このままだと人混みで見失ってしまうにゃ」


 仕方ない。コウジにも連絡が取れないんならともかく動くしか無い。このままだとユキヒロたちと逸れてしまうし、もしかしたらイチハもみんなが向かってる方向に居るかもしれない。運任せなのはどうかと思うけれど、他にどうしようもないし。

背中にスバル、頭の上にユキを乗せて、そして二人に置いて行かれたリンシンの手を引いて人の流れに乗って歩いて行く。珍しいな。二人とも面倒見は良いし、特にタマキなんかさっきまでリンシンにベッタリだったのに置いてくなんて。

元々道路上に人はそれなりに居たけれど、今となってはアチコチから集まってきた人たちで密集度が上がってしまっていて、まるで花火大会会場みたいだ。気をつけないとあっという間にユキヒロたちを見失ってしまいそうだ。


「……ステージ?」


 そうして歩くこと数分。いよいよ人集りは密度を上げて、アキバ中の人間が一箇所に集まってるんじゃないかっていうくらいで、初夏の夕方特有の涼しげな風なんてまさにどこ吹く風と言わんばかりに辺りは熱気に包まれていた。流石にスバルも暑くなってきたのか、僕の背中から降りて制服の襟元を開けてパタパタと扇いでる。

ざわめきながらも皆が注視する先には、一つの仮設ステージ。あまり大きくはなくて、学校の体育館のそれより少し小さいくらいだろうか。


「何でしょうか? テレビのイベントがあるなのですか?」


 リンシンが言ったみたいにまるで何かのイベントがあるみたいで、なるほど、だからみんなここに集まっていたのか。急にここに向かう人の流れが出来たのはたぶん、直前になってイベントの情報が流れて、それが口コミで急激に広まったからなんだろう。

しかし、こんなに人が集まるなんてよっぽど有名な人が、現れ、るの……か?


「……まさか」


ここで頭の中でピン、と何かが繋がった。アキバに行けというコウジのメッセージ、イベント用のステージに、有名人を見ようと集まった人たち。

僕とスバルは同時に互いの顔を見合わせた。


「……どう思う?」

「たぶん、ヒカリの思ってるとおりだと思うよ……」


僕らのその仕草を待っていたかのように、突然流れ始める大音量の音楽。明るくポップなイメージのそれとともに一瞬だけ静まり返って、そして僕らの周囲ですし詰め状態になっていた観衆たちから歓声が響き渡った。


「うおおおおおおおおおおおおっっっ!!!!」


 歓声、悲鳴、大喝采。

 思わず鼓膜が破けるんじゃないかと勘違いするくらいにシンクロした観衆の爆声。もうそれは天を裂き地を砕かんばかりで、そこに男も女も無い。誰もが心待ちにしていた人物の登場の予感に心の底から絶叫して、すでに感動の涙を流してる人もいるし、あるいは失神してどこからか駆けつけたスタッフに運びだされてる人だっている。当人たちにとってはまさに天にも昇る気持ちだろう。

けれどもこの時点で僕は今から起きる事をおおよその確度で予想出来ていて、それはスバルとユキも同じ。リンシンだけは判ってなくて、周囲の急激過ぎるテンションの上がり方にびっくりして僕の背中に抱きついてる。

まったく、これから現れるだろう人物の事を考えれば周囲のテンションのことも理解できなくないけれど、その人物の事を昔から知ってる僕としてはそこまでの思い入れも無いから今の環境は阿鼻叫喚の気持ちだ。

そして件の人物は――


「みんなーっ!! 今日は集まってくれてありがとぉーっ!!」


 白黒縞模様のニーソックスに灰がかったチェックのスカートを翻して踊るようにしてステージに登場する彼女。濃い目のオレンジのノースリーブシャツを着て、彼女がステージ上を駆けまわるのに合わせて胸元の黒いカジュアルネクタイが踊ってる。明るい金色の髪をタマキみたいにツインテールに結わえ、やや釣り上がり気味だけども愛嬌たっぷりに眉尻を下げてマイクに向かって「ありがとぉーっ!」を絶叫連呼しまくってる。せっかくマイク使ってんだから絶叫しなくても聞こえると思うけれども、それも彼女なりの客に対する気遣いなんだろうか。

彼女の言葉に応えようと観客たちもまた同じように大絶叫。彼女の一声ごとに熱気と汗をまき散らすその様に対して僕はどういう感想を抱けばいいのだろうか。誰か教えてほしい。


「何も考えずに敢えてバカになるのが正解じゃないかな?」

「じゃあそういうスバルはバカになれるのか?」

「ムリ」


 即答だった。まあ僕としても彼女の事は嫌いじゃないし、むしろ好きではあるけれども、友達に対してここまでのこういう類の感情を抱くのはムリという話だ。

それはともかく。

今こうしてステージでマイクを握ってる僕の幼馴染である友人は。


「せぇっかくこうしてみんな集まってくれたんだから、さぁっそく一曲目に行ってみよーっ!」

「うおおおおおおおおおおおおおっっっ!!」


 今をときめく人気絶頂、顔を知らない者はいない大人気アイドルであって。


「イ・チ・ハちゃーん!! 俺の方を見てくれぇぇぇぇっ!」

「大好きだ、イチハー!!」

「バカヤロウ! 『ちゃん』をつけろよこのデコ助がっ!!」

「貴様ら俺の嫁のイチハちゃんに汚ねぇ視線をぶつけるんじゃねぇ!!」

「何言ってやがるっ! イチハちゃんは俺の嫁だっ!!」

「ふざけんなっ! 一万年と二千年前から愛情注いでる俺の嫁だって決まってんだよ!」

「古いネタでアピールしてんじゃねぇっ! 彼女は俺の嫁だ!」


 僕らの探し人でもあった。







◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆





 アイドル・イチハ。

 この名前を初めて聞いたのは果たしていつだっただろうか。確か、三、四年前だった気がする。その時は「紅葉・イチハと同じ名前だなぁ」程度の感想くらいしか思いつかなかった気がする。僕は別にアイドルには特別興味を引かれないし、音楽だってたまにスバルやユキヒロから勧められたのをただ勧められるがままに耳にする程度だ。テレビだってほとんど見ないし、ネットのポータルサイトに載ってるニュースを少し見る程度しか世の中の動きを知らない。だから、このアイドルと僕の知るイチハが同一人物であると、スバルから教えてもらうまで気付かなかった。だから、その事を知った時には「あのイチハがまさか」と驚いたものだ。それまで僕の知っている小学校に入る頃のイチハは決して暗い性格では無かったけれども、かと言って人前で何かを積極的にやろうって性格でもなかったし、誰かの後ろにひっついて回る引っ込み思案に近かった記憶がある。まあそんな認識もこの数年のやり取りで完膚なきまでに全力で打ち消されたわけだけれども。

とはいえ、僕の中で「紅葉・イチハ=アイドル・イチハ」の認識が新たに確立されたところでどの程度人気なのかなんて知らなかった。世の中にはアイドルと名乗る人間は五万とは言わなくてもそれなりの数が居るわけで、アイドルの卵と呼ばれる人たちも含めれば日本だけでも相当な数に及ぶだろう。さすがにイチハの名前をそれなりにニュースで耳にするから全くの自称に近い状態では無くて、それなりに人気もあるんだろうなとは思ってた。やがて世間からも「人気アイドル」と呼ばれるようになって、やっと「ああ、ブレイクしたんだな」なんて、どこか一歩引いたどこかの親父さんみたいな気持ちでそれを聞いてた。

まあ、そんな認識だから実際に具体的にどの程度人気かなんて分かるはずも無くて、分かることもないだろうと思ってた。分かったところでイチハに対する認識は変わらないし、接し方も変わらない。僕にとってイチハは「幼馴染のイチハ」でしかないから。

けれども、その考えは間違っていたのかもしれない。さすがに接し方を変えるつもりはないけれども、少なくとも「大人気」の意味を正しく認識できてなかったと今、僕はまざまざと見せつけられていた。


「すげぇ……」


 戦慄。まさに今の僕の中に渦巻く感情を端的にその言葉が表していると言ってもいいだろう。

ステージの周りに集った数えきれない程の大観衆が、ステージ上で歌って踊るイチハに合わせて一糸乱れずに同じ振付をしている。明るくノリの良い音楽に合わせて飛び跳ねて、興奮そのままに激しく手を振る。サビでイチハが一際声に力を込めて高らかに歌えば、それに合わせて一体いつ練習したんだと小一時間は問い詰めたいくらいにピッタリと息を合わせて合いの手を叫ぶ。まさに愛の手。

彼女は女性アイドルだから、まあ観客には少々むさ苦しい大きいお兄さんが多いのだけれども、それも比較的であって、少なからず女性の客だっているし、中には小さい子がお父さんだろう人に肩車されて一生懸命腕を振って振付に付いていこうとしている。さすがは大人気アイドル、そのファン層は老若男女を問わないと言うのか。今この場で空気を読めていないのはきっと僕とスバルくらいだろう。


「タマキとユキヒロはどこに行ったんだ?」

「あそこで絶叫してるよ」


 スバルが指差してる方を見れば、ステージに向かって叫んでる客に混じって、大興奮して小さな体で精一杯ジャンプしながら鼻血をまき散らしてるタマキと、その隣で熱に浮かされた様に一緒に歌っているユキヒロの姿があった。タマキのお陰でなんとも分かり易い。

しかし意外だ。タマキはイチハの事を大好き(最早崇拝の域に達してる)なのは知ってたけれど、まさかユキヒロもここまでイチハにハマってたなんてな。普段クールな印象が強いから、ああしてアイドルのライブではしゃぐ姿はとても新鮮だと思う。僕はユキヒロの趣味・趣向に是非を語れるほどの人間でも無いから、個人的にはタマキみたいに度を越した愛を抱かなければいいな、と願うだけだ。


「まだこんな事してるのかにゃ……」

「えっ?」


 頭の上から肩の上に降りたユキが、僕の耳元で吐き捨てる様に囁いた。会場の大歓声に容易く消されてしまう程度の大きさしか持っていないその声は、けれどもその声の大きさに反して強い感情が込められているような気がして、そしてそれはひどくネガティブな響きに聞こえた。

心底嫌悪して、憎悪して、けれども憎みきれない、そんな感情。もちろん僕の様な人間にプログラムが作り出す仮想人格の感情表現を読み取れるほどにソフトに精通はしていなくて、よしんばユキの人格が人間だったとしてもその機微を感じ取れる程に僕の情緒や琴線は発達もしていなければ感受性が豊かな人間でもない。それでも、たった今の一言には色んな想いがないまぜになっているんじゃないか、という様な感想を僕に抱かせるには十分な程に強く耳に残った。


「相変わらずだよね。でも、イチハにしたってどうしようも無いだろうし、このくらいは良いんじゃないかなって思うけど。これがイチハが見つけた生き方なんだろうからさ」


 そしてスバルは訳を知っているようで、端正な顔に苦味を少し、呆れを多少、そして羨望みたいな気持ちを含ませた笑顔を浮かべた。

二人して何の会話をしてるんだ? イチハの生き方? そもそもユキの指す「こんな事」ってライブの事? それともアイドルとして生きてる事を指してるのか? だとしたら聞き捨て置けないな。


「何の話をしてるのか分かんないけど、人の人生にケチをつけるのはいくらユキでも聞き捨てならないな。ユキはあんまりイチハが好きじゃないみたいだけど、でもイチハは僕の友だちなんだから、あんまり悪く言わないでほしいな」

「……ヒカリは何も知らにゃいからそんな事言えるのにゃ」

「何も知らないって、じゃあ僕が知らない事を教えてくれよ」

「ヒカリが知る必要は無いにゃ。関係にゃい人間はすっこんでろっていう話にゃ」

「む」


 この言い草にはさすがに僕もカチンときた。そりゃ確かにユキとイチハの間に何があったのか、どんな問題が起きてるのかなんて知らないから口を出すなと言われればそうなのかもしれない。

けれどもユキもイチハも僕の大切な友達だ。たいして人の役に立たない僕にとってはもったいない存在だと思うし、かけがえの無い人たちだ。ならばこそみんなには仲良くして欲しいし、何か問題が生じたのであればそれを解決できるように手伝いたい。もし誤解があるようなら、出来る限りその誤解を解いてあげたい。せっかくできた人と人の繋がりを詰まらない理由で絶ってしまってほしくなんてないから。

これは僕の勝手な考えだからもちろん押し付ける気はないし、親切心の押し売りもする気はない。でも、もっと言い方ってものがあるんじゃないか?


「まあまあ、ユキちゃんもヒカリも落ち着きなって。ユキちゃんも気持ちは分からないでもないけど言い過ぎ」


 スバルが宥めてくれるけれど、ユキは黄色く鋭い瞳を一度細めてプイッとそっぽを向いてしまった。参ったな、どうやら完全に機嫌を損ねてしまったらしい。


「ヒカリもさ、イチハの事を心配してるのは分かるけど、事情をよく知らないまま口を出してると余計こじれる事もあるんだからさ」

「むう、そっか……事情を話してくれたりは……」

「ゴメン。本当はヒカリに隠し事なんかしたくないんだけどさ、こればっかりは本当にヒカリには話せないんだ。本当にゴメンよ。あ、でも別にヒカリに飽きたとか嫌いになったとかそんなんじゃないんだよ! むしろいつでも僕の尻は受け入れオッケーだから!」

「分かってるよ」


 いや、別に後半は分かりたくもないけれど。

けれど必死になってフォローしてくれてるスバルを見てるとこれ以上話を聞くのは憚られるな。力になりたいけれどなれない。それは悔しいけれど、でもあのスバルが拒むんなら本当に僕には知られたくないんだろう。流石に自分の自己満足のために他の人に迷惑掛けてまで手助けするつもりはないから。


「あの、何か後ろの方が何か賑やかなのです」


 リンシンが何かに気づいたらしく、ステージとは逆の方向を振り向いた。小さいリンシンだから直接何か見えるわけじゃないと思うけれど、髪からちょこっと飛び出した耳が忙しなく動いてる所を見ると、獏は結構耳が良いのかもしれない。

僕もスバルもリンシンが言った方向を見遣った。そこから見える景色は相変わらず熱気に満ちてて狂気さえも伺えるほどの群衆のエネルギーが溢れてる。誰もがイチハに陶酔し、歓喜し、狂おしいまでの情熱を向けてる。

けれど、遥か後方からこれまでと違ったざわめきが聞こえてきて、始めは小さかったその声も次第に僕らの居る方まで届くようになってきた。それはさっきまでの熱狂とは違って、何だか悲鳴に近い。ステージから聞こえてきてたイチハの声も止んで、スピーカーから音楽だけが流れてた。


「あ、やば……」


 マイクに入るイチハの声。どうやらマイクを切るのを忘れてるみたいだけど、それ程の緊急事態が起こったのか?まさか、まだ昼間だけど魔術師を襲ってる犯人が現れたっていうのか?

少し緊張が走って辺りを警戒するけれども、その答えはすぐにやってきた。


「コラーっ!! 何をやってるっ!! ここでライブを開く許可は出しとらんぞーっ!!」


 ……なんだ、それ?

僕が脱力してる僕を他所にお巡りさんが数人、一目散にコッチに向かって走ってくる。

どうやらこのゲリラライブは警察とかに許可を出してなかったらしく、ピーピーと笛を鳴らしながらお巡りさんたちが声を張り上げる。

それと同時にさっきまであんなに熱狂してた人たちが蜘蛛の子を散らすみたいにあっという間に数を減らしていく。それはもう見事なまでの逃げ足で。別にコッチは悪い事してるわけじゃないから逃げる必要は無いと思うんだけど、どこか後ろめたさでも感じてたのかもしれない。

気づけばステージの脇で音響やら照明をいじってたスタッフらしき人たちも居なくなってるし、残ってるのはよっぽど熱狂的なイチハのファンらしき前列の方にいる人と、ステージの上で未だにマイク握ってるイチハだけだ。

立ち尽くす僕らのすぐ傍をお巡りさんが駆け抜けて、一目散にステージに向かってく。


「そこの君っ! そこから降りてこっちに来なさい!」


 拡声器を持った一人がイチハに向かって呼び掛けて、残った何人かのお巡りさんがステージに登ろうとしてる。けれどイチハにとって国家権力(お巡りさん)というのは他愛もない存在らしい。

登り切った警察の一人が捕まえようと腕を伸ばすけれども、イチハはその手をひらりと避けて脚を引っ掛けて転ばせた。そしてまだ登ろうとしてた警察の頭を踏んづけてステージから飛び出した。


「やなこった!」


 シュタッ!という擬音を残して着地。そして残った客にたいして満面の笑みを浮かべてブイサイン。

 なにやってんだか、全く……

さっきから脱力しっぱなしの僕をよそにイチハはあっかんべーをして、なおも捕まえようとするお巡りさんたちをヒラリヒラリとかわして逃げていく。逃げて欲しいと願うべきか、それともさっさと捕まってしまえと祈るべきか悩むところだ。どちらかと言えば捕まってしまえと思うけれども。今ならまだ罪は軽いぞ?

そんな僕の期待も虚しくイチハは捕まえられる事も無くて、そしてあろうことか僕らの方へと「タッタッター」と擬音がつきそうな足取りで向かってきた。


「嫌な予感がするのは僕だけか?」

「たぶん諦めた方が良いんじゃないかな?」

「やっほー、ヒッカリーっ!! ひっさしぶりぃっ!! 元気だったぁー!?」


 走りながらデカイ声で呼ぶのは止めて欲しい。まだ残ってた人たちが一斉にこっちに注目して何とも居心地が悪いけれども、イチハはそれを気にした様子も無い。手をブンブンと振りながら嬉しそうに笑って、その笑顔はひどく無邪気だ。無許可でライブをしてたのに悪気なんて全く感じてないみたいで、何がそうさせるのかなんとも楽しそうだ。

その様子を呆れながら僕は、さて無視して逃げ出すかそれとも普通に声を掛けて自首を促すべきか少し迷ったけれども、残念ながらその決断を下す前に、傍にやってきたイチハが僕の腕を掴んだ。


「にゃ!?」

「ちょ、ちょっと!」

「さぁて、それじゃ逃げるわよっ!」


 僕の制止の声も聞く耳持たず。「ビューン!」と小学生みたいに自分で声を上げながら強引に僕を引っ張っていって、肩に乗っていたユキが落ちて、イチハもそれに気づいてるはずなのにやっぱり気にしない。


「道を開けて開けてー!」


 イチハが叫んだ。するとそれまで雑多に集まってた元観衆たちは、軍隊もかくや、とばかりに僕らが通るための道を作っていく。


「んじゃ皆さん後はよろしくーっ!」


 そしてその道を通り抜けながらイチハは、僕を掴んだ方とは別の手でヒラヒラと手を振りながら残った人たちにそう叫んだ。一体何が、と振り返ってみれば、すぐ後ろにユキを拾ったスバルが居て、その手の先にはリンシン。更にその後ろではさっきまで道を作ってた人たちが、今度はまた一気に一箇所に集まっていって、後ろから追いかけてきてた警察官たちの進路を塞いでしまった。


「こ、こら! どきなさい! くそっ、待ちなさいっ!!」

「待てと言われて待つバカがいるかバーカ!」


 もう一度あっかんべーをして、お巡りさんをバカにするように――訂正。明らかにバカにして――高らかに笑いながら僕らを引き連れてイチハは走ってく。

ああ、これ絶対僕も共犯者に思われたよな……

かと言ってイチハの手を振り払うわけにもいかず、この場に留まるわけにもいかず。

仕方なくイチハについては行くけれど、まるで屠殺場に連れて行かれる豚になった気分だった。



お読み頂きましてありがとうございました。

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つぃったー→@satoru_shinto

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