1-16 君代ヤヨイ
魔術の四(五)元素:英雄が発見した魔素技術を使う上で大元となる熱・電気・空間・情報の四つを指す。現在までに開発されている魔術は全てこれらに関する基礎方程式から派生している。一部では更にもう一つの元素があるのではないかと議論されているが、今のところ発見されていない。
別所コウジは英雄の一人だ。現在の古今東西のあらゆる魔術の源泉となる技術を開発し、特異点から発生した魔物たちとの闘争を人類有利に進める事ができたその功績から自然発生的に広まった呼ばれ方の一つが「英雄」で、だけれども最近になって学術的な見地から定められたもう一つの呼称を彼らは持っている。
すなわち、魔法使い。
彼らの他には誰にも真似できない、人類が手にするべきでない圧倒的な魔技。一般人とは格別される程の能力を持つ魔術師よりも、ずっと遥か高みに位置する畏怖すべき存在。
これまで一般に抱いてきた魔術師のイメージ、すなわち遠距離攻撃タイプであったり、近接戦闘が苦手だったり、防御力が皆無だったりというややエッジの効いた存在とは僕らの知る魔術師が外れているのと同様に、魔法使いもまたそれとは異なっている。いや、異なりすぎている。
魔術師でさえ多くの一般人とは格別すべき力を持っているというのに、魔法使いはその魔術師さえも赤子扱いする程の能力を持ってる。
知力、肉体、魔技。全てにおいて最早人類という括りに留めるべきでない、一つ上の階層に到達したかの様な存在。その膂力は、一度本気で奮えば、人なんて一瞬で肉片へと変える事ができる。例え魔術師だとしても、間違ってもその力を受け止める事なんてできない。僕が一瞬でも堪える事ができたのは、たぶん僕がコウジの知り合いだったから殺さない程度に手加減してくれたのと、少々普通の魔術師よりも頑丈だからだと思う。
だけども今の一撃は違う。確実に、絶対にコウジは殺しても構わないくらいの力を込めたはずだ。
だというのに。
「何者だよ、テメェは」
君代ヤヨイはそれを涼しい顔をして受け止めた。両手で持った魔技高支給のショートソードを交差させてタマキとリンシンに向かって振り下ろされた拳を容易く受け止めてみせた。
止められたコウジはもちろんの事、僕もスバルも、そしてタマキやリンシンも含めて全員が唖然としてその事実を飲み下す事ができずに、ただ彼女に注目せざるを得なかった。
全員の視線を一身に受ける中で、彼女はいつもと変わらない平坦な口調で声を発する。
「……違うわ」
「あぁ?」
「この獏は、一連の事件の犯人では無い。私が保証する」
「はぁ? テメェが保証したって何の意味もねぇんだよ。何か証拠でもあんのか?」
「ある。けれども今は言えない」
「……テメェ、もしかしなくてもふざけてんのか?」
「私は事実を述べているだけ」
「だからその根拠を示せっつってんだよ!」
君代さんを押し返して、コウジは強引に間合いを取る。苛立ちをそのまま拳に乗せて真っ青に燃え上がる腕を振るうけれど、君代さんは軽やかにそれをかわしていく。その表情には焦りも必死さも見えなくて、だからこそたぶんそれが余計にコウジを苛立させてる。
「クソがっ! さっきからちょこまかと逃げやがって!」
「アナタに殴られたら死にかねない。避けるのは当然」
「殺してやるから逃げんなっつってんだよ!!」
残像しか残らないコウジの拳を、会話しながらもまるでどこに攻撃が来るかが分かってるかのように君代さんは避け続ける。
そしてまたコウジの拳が空を切った。
「がっ!」
君代さんの体は宙を軽やかに舞って、見上げたコウジの顔面に着地する。英雄たるコウジを赤子を相手にするみたいにあしらい続けるその様に、僕らはさっきから呆気にとられっぱなしだ。
「テメェ!!」
「アナタがどう生きようと勝手。思考を放棄して他人に良いように使われ続けるのも自由。けれど、それが皆を不幸にすることもある」
「ああ!?」
「覚えておいて」
怒りに染まったコウジの頭上から一方的に告げると、僕ら全員が見ている目の前で君代さんの姿が一瞬にして掻き消える。
「消えたっ!?」
「どこに!?」
急いで辺りを見渡すけれど、近くにはどこにも居ない。三六〇度グルリと見て、でもどこにも痕跡も無い。視線を少し上げて遠くまで見回し、そこでようやく彼女の姿を見つけた。
僕らから五〇メートルくらい離れた、四階建てのマンションの避雷針の上。遥か高みから僕らをいつもの無表情で見下ろしていた。
「一瞬であんなところに……」
スバルの愕然とした呟きが、さっきまでの戦闘が嘘の様に静まり返った夜の町に消えていく。それと同時にまた君代さんの姿も一瞬で見えなくなった。
「君代さん……」
ほんの数日前まで彼女は単なる僕らのクラスメートだった。だというのにここ数日で彼女は不可思議な存在へと変化してしまった。
コウジの一撃を容易く受け止める、細身の体に似合わない膂力。子供と戯れるみたいにあしらい続ける身体能力。そして、一瞬で姿を消す能力。僕の知る限り、あんな魔術はないはずだ。
分からない。彼女は、何者なんだよ……
「……クソッ、胸糞悪ぃ……」
コウジの声で僕はハッと意識を彼女からコウジへと移した。彼女の事よりも今はコウジと、そしてリンシンだ。
痛む腹を抑えつつもタマキとリンシンの元へ近寄って声を掛ける。
「二人とも大丈夫?」
「ええ……正直何が起きてるのかわけが分かりませんけれども……」
「それよりヒカリの方こそ大丈夫? お腹は大丈夫?」
「正直吐きそう」
手加減してくれたんだろうけれど、今にも胃がひっくり返りそうだ。よく胃に穴が開かなかったな。こういう時は少々頑丈な自分の体が頼もしく感じてしまう。
だけどもそんな事は言ってられない。何とかして二人を逃がさないと、せっかく手に入れた手掛かりが失われてしまいかねない。
「そんな警戒すんな。気が削がれた。今更そいつを捕まえようなんざ思ってねーよ」
極悪人としか思えない目つきの悪い三白眼で僕らを見下ろしながらそう言うコウジは、口の中のガムを喉を鳴らして飲み込むとポケットから新しいそれを取り出して口の中に放り込む。
確かにコウジの顔を見てみれば、生まれつきだから仕方ない殴りかかってこんばかりの目つきだけども、でも剣呑な色は消えててどこかバツの悪そうな感じだ。コウジは喧嘩っ早いけれど、相手を油断させて、とかそういうやり方は嫌いなはずだし、ここで気を緩めた瞬間に何かしてくることは無いと思う。
隣のスバルに眼を遣れば、スバルも僕を見返してくる。たぶん、結論は同じだろう。僕も何よりもまず、休みたい。
ふぅ、と肺から大きく息を吐き出す。肋骨は殴られてないはずだけど、息を吸うのも少し痛い。
「別所三佐っ!!」
と、そこへコウジを呼ぶ声。
振り返って見上げれば、小さな迷彩服の人影が二つ、家の上を飛び越えながらこちらに向かってきていて、その声と姿には僕もスバルも、そしてタマキも見覚えがあった。
「ようやく見つけましたっ! 勝手な行動は慎んでくださいっ! 三佐一人で戦うと町の被害が大きくなるんですから!」
「あー、はいはいはいはい。うるせぇな、相変わらず。どこで誰が何しようが勝手だろうが」
「そういうわけにはいきませんっ! ただでさえ三佐は上から要注意人物と思われてお目付け役が付けられているんですから! せめてほとぼりが冷めるくらいまでは自重してください!」
「無駄っスよ、サユリちゃん。どうせ言うこと聞かないんスから言うだけムダ。それよりも早く帰りましょ―よ」
「貴様は黙ってろっ、雪村ぁっ!! それと上官に向かって気安くそんな呼び方をするなっ!!」
「ンな事より霧島ぁ、何か食うもん持ってねえか? 少し本気出したら腹減った」
「俺も腹減ったッス。三佐の後始末の前にどっか飯食いに行ってきていいッスか?」
「……お願いですから二人とも少しは言う事を聞いてください」
……声を掛けづらい。最初はこめかみに青筋を立てて怒鳴ってたのに最後には懇願に変わってるし。何だか背中も煤けてるような。あ、胃薬飲んでる。
自由気ままな二人相手に振り回されてる姿はまるで。
「何だか、幼稚園の保母さんみたいだね」
スバルの言葉に、ホロリと涙が零れそうだ。苦労してるんですね、霧島さん。
とは言え、このままで居るわけにもいかないし、声を掛けるとしますか。主に霧島さんの胃を守るために。
「霧島さん」
「はぁ……ん、ああ、君たちか。しばらくぶりだな。大事ないか?」
「ええ、まあ。霧島さんもその……苦労なさってるみたいで」
「言うな……
それよりもどうして君たちがここに? まだ見回り当番日では無いはずだが? それに……」
霧島さんの視線がやや鋭くなって、僕の後ろに立っているタマキと、そしてリンシンを捉えた。
今のリンシンはフードで頭を隠していないから、一目で彼女が魔物だと分かるだろう。それにコウジは「獏」を犯人と判断して攻撃してきた。ならば霧島さんや雪村元会長を始め、事件を調査している自衛隊組の中でも獏が犯人である事は共通認識のはずだ。だとすれば、ここで身柄の引き渡しを求められる可能性もある。
「四人ともそう警戒しないでくれないか。君の考えている事は何となく分かるが、別に我々も警察も獏が犯人だと断定しているわけではない」
霧島さんのその言葉に僕らはみんな息を吐き出した。流石にコウジみたいに問答無用に、ってことはないとは思ったけれど、うん、また面倒な事にならなくて良かった。
安堵に僕もスバルもタマキもホッと胸を撫で下ろしていたけれど、だけどもここで声を上げたのは意外にもコウジだった。
「はぁ? 何言ってんだ、霧島。俺は獏を捕縛してこいって言われたぞ? それも生死問わずでだ」
「え?」
「そんなはずはありません。疑ってはいますが少なくともまだ監視対象なだけのはずです。獏は人類に対して友好的な種族ですし、確証も無しにいきなり強制連行は有り得ませんよ」
どういう事だ?いくらコウジが英雄で特別扱いされているとは言っても同じ自衛隊の魔術師部隊。だというのにどうしてそこで認識に齟齬があるんだ?
「どうやら認識に違いがあるみたいだね」
「小鳥くん、だったか。君の言う通りそのようだ。三佐も含めて一度情報を整理したいのだが、どうだろうか? それに君らがどうしてその獏を守ろうとしているのか、そこの事情についても聞かせてほしい。事情によっては協力も厭わない」
どうするか。振り返ってスバル、タマキ、それにリンシンに眼で尋ねてみると、スバルとタマキは頷き返してくれた。
リンシンだけは不安そうに体を震わせているけれど、寄り添ったタマキが微笑みかけてやると少し迷い、けれども小さく頷いて同意を示してくれた。ならば僕としても特に気にすることは無い。彼らが霧島さんの言葉を信じるというのなら、僕も同じく信じてみるだけだ。
「なら場所を変えよう。彼女も少し落ち着く時間が必要だろうからな」
リンシンの様子を見てそう言ってくれる霧島さんの優しさが嬉しかった。
「サユリちゃんってやっぱ保母さんが似合ってるよね」
「やかましい」
ボソリと言ったスバルの呟きは、今度はキチンと霧島さんに届いてしまったらしく、頭を叩かれてた。
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