1-14 獏Ⅱ
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英雄:かつて特異点から現れた魔物と戦争で、魔素技術の開発に多大な貢献をした四人の尊称。一人一人が強大な戦闘力を持ち、魔術師とは一線を画す。
獏。
名前だけは僕も聞いた事がある。もちろん動物としてのバクではなくて、確か、夢を喰らうという伝説上の生物。
記憶が正しければ悪夢だけを食べるって話で、決して人のドッペルゲンガーを食べるってわけではないけれども――
「所詮伝説上の話だもんな……」
伝説にある獏とユキヒロが言う魔物としてのバクが同じなはずも無いし、けれども夢を喰らうということと人のドッペルゲンガーを喰らうという事に何となくアナロジーを感じてしまう。どっちも眼に見えない、だけども人に無くてはならない存在。だとすれば魔物のバクがドッペルゲンガーを食べるというのも有り得ない話じゃないのかもしれない。だからこそユキヒロも半ば確信めいたものを抱いて連絡してきたのだろう。
「獏、ですの?」
「ユキヒロが言うにはね。何か知ってる、スバル?」
「うーん、普通の動物のバクとか伝説の獏は知ってるけど、魔物のは聞いたことが無いなぁ」
ユキヒロに指定された場所に向かうため、家々を飛び越えながら聞いてみるけど、やっぱりスバルもタマキも知らないか。
電話で話した感じだとユキヒロもまだ詳しくは知らないっぽくて、これから詳細について調べてみるって言ってた。それでも知ってる範囲で教えてくれた話によると。
「いわゆる動物としてのバクに近い低位の獏もいるみたいだけど、それとは別に人の姿に違い高位の獏も少数居るって言ってた。魔物だけれども性格は至って温厚。個体によるんだろうけど、積極的に人を害する事は無いみたいで、だから横須賀とかの隔離地域じゃなくて街中に住むことを認められてるって」
「そうなんですの? 街中に住める魔物って数が少ないからそれなりに知ってるつもりですけれども、それにしてはあまり聞かない種類ですわね……」
「数が少ないんじゃない? トビーとかタイニードッグとかは人と友好的だし、数がそれなりだから有名だけど、極少数しかいないマイナーな種類だとそんなにニュースにならないだろうし」
「ユキヒロもそう言ってた。数が少ないから生態とかもよく分かってなくて、見た目も基本人と同じだからパッと見で区別がつかないらしいよ。一応耳とかに特徴はあるらしいけど」
とはいえ、近くで見たとしても区別がつくかどうかも怪しい、とも言ってたけど。
「まあ獏の事は何となく分かったよ。それで、ユキヒロがそんなに自信満々に言ってるって事は何らかの根拠があるんだよね?」
「もちろん」
ユキヒロにしては珍しくまくし立てる様に色々と話してくれたせいで結構聞き漏らしてしまったけれど、それでもさすがに大事なところは覚えてる。
「昔の魔物がらみの事件を漁ってみたらしいんだけれど、その中で一例だけ奇妙な事件があったらしいんだ」
「奇妙?」
「そう。それまでの魔物が起こした事件は大抵は暴力的、つまりは被害は主に家屋の損壊とか人を殺傷するものだったんだけれど、中には今で言う精神魔術を使った事件もあった。でもそれだって自傷・他傷に走ったりだとか奇声を上げたりだとか明らかに精神に異常をきたしてたりしてたものだった」
「うん、普通はそうだよね」
「だけどその一件の被害者はただ寝てるだけだったんだ。何をしても反応を示さなくて、なのに外傷も脳の損傷も何も無くて、そして……一週間後にそのまま亡くなった」
「それって……」
タマキが息を飲んで、僕は首肯した。
「うん……今回のユズホさんの症例と同じなんだ。もっとも当時は当たり前だけどドッペルゲンガーを視認する技術なんて無かったから結局死因不明のままなんだけどね。でも、だからユキヒロも自信を持ってるんだと思う」
「でも、それと獏との関係はどこにあるのさ?」
「事件の時、被害者の傍に獏が居たんだ。周囲に他に魔物が居なかった事、発見した警察官にその獏が襲いかかってきた事から獏が犯人だと断定された。その時に殺されてしまったせいで真犯人がその獏かどうかは今となっては分からないけれど」
「ともかくも、今回の犯人を捕まえてみれば全て明らかになることですわ」
黒塗りの屋根の上に着地して、タマキは力強く空を舞った。僕とスバルは後ろからそれを追いかける。
「ユキヒロが指定してきた場所まで後どれくらいですの?」
「もうすぐだと思う。このまま真っすぐ行けばヒカリが言ってる獏の認可居住区に着くはずだけど……」
どこまで行っても明るい住宅街の、似たような画一的な家の頭上を走っていく。前に進んでるはずなのに後退してるような、そんな錯覚を覚えながらも前を走るタマキとスバルの後ろを僕は追いかけていく。ただ力を込めて蹴る脚だけが前に進んでるはずだと訴えかけてきて、僕はそれを疑わないように素直に受け入れた。
「ここら辺のはずだけど……」
四階建てのマンションの屋上に着地してスバルが町を見渡す。僕とタマキも貯水塔の傍に登って同じように煌々と街灯が照らす町並みを見下ろした。
「魔物が住むのを認められてるからといって、何か特別な作りではありませんのね」
「そりゃ人間に害を及ぼさないって認められて、人に溶け込んで生活してる種族だからね。隔離したり区別しちゃったら人との融和にならないし」
「それもそうですわね……」
しかし、一個体とは言え、事件を起こした種族を安全とみなして隔離区域から外に出すことを認めるって相当な決断だと思う。もちろん魔物が起こす事件よりも人間が起こす事件の方が圧倒的に多いわけだから、個人を見て全体を同一とみなすなんてのは愚の骨頂だとは思うけれど、残念ながらコミュニティの「外」から来た存在には人、魔物を問わずそんな考え方をしてしまう場合がほとんどであって、だからこそ反対を抑えて居住を認めた人はすごいと素直に思う。
「ん……二人共」
スバルが僕らを呼ぶ。振り向けば、スバルが眼を細めてある一角を見つめていた。
「……あそこに誰か居る」
「見回りの自衛隊員では無くて?」
「分かんない。ヒカリ、格好とかまで見える? もし見回りなら魔技高の制服とか自衛隊みたいにひと目で分かる服装してるはずだよ」
スバルに言われて、指さされた方を眼を凝らして見る。確かにそこにはハッキリと動く影が見えて、その姿形は細身の人だ。
そして格好は――
「……見回り組じゃない」
「やっぱりかぁ」
「うん、しかも黒っぽいパーカーを来て頭からフードを被ってる」
――スバルが言ってた、犯人の情報と同じで。
「っ! タマキっ!?」
「おぉぉ前がァァァァッ!!」
隣で人影を見ていたタマキが叫びながら空に飛び出した。
クソッ!しまった!
タマキはひどく直情的で行動的だ。犯人を見つけたタマキがどうするかなんてよく考えてみれば分かるはずなのに!
マンションの屋上から飛び出したタマキが一直線に人影に向かっていく。
「ヒカリっ!」
「分かってる!」
「イェ・スペラ・エオ・アウスブレーネン……」
僕らも慌ててタマキの後ろを追いかけるけれど、夜空にタマキの詠唱が響いて幾つもの魔法陣が描き出されていく。それはタマキの得意魔術で、その中でも最高の威力を持ってる。だけど、そんなのを使えば……!
「ダメ、タマキ! その魔術は……!」
スバルが叫ぶけれど怒りに我を忘れてるのか、聞こえてる様子も無い。見る間にコードが構築されていって、フードの男は空中の夥しい魔法陣を見上げるばかりだ。このままだと、まずいっ!
「スバルっ、僕を風でっ!!」
「……っ! OK!」
すぐに僕の意図を察して、スバルは一瞬で詠唱を終える。
スバルのコードは鮮やかだ。魔法陣なんて発行しているだけで彩りなんて無いはずなのに、スバルの描くコードはまるで生きてるみたいに「生」に溢れてる。
男のくせに憎たらしいくらいに透き通った綺麗な声が夜の町に木霊して、色取り取りの小さな魔法陣が僕の背後に現れる。
そして衝撃。背中が見えない風の塊で叩かれて息が詰まって、けれどもそれを堪えて前を見据える。
更に加速する世界。スバルの魔術で空中で軌道が変わった僕の体は、そのままタマキが構築した魔法陣へと向かっていき、僕は手を伸ばした。
今にも発動しそうな大魔術。発する光の眩しさに眼を細めた。
でも、間に合った。
触れることの出来ない魔法陣に手が届いたと同時に僕は声無き言葉を口にした。
「 」
途端に魔法陣を構成していたコードが崩れていく。
魔法陣は、遠目には昔から多くの創作物で描かれてきたように単なる幾何学模様にしか見えない。けれどもその実、線の一本一本には複雑で煩雑な魔素方程式が記述されていて、それらが適切な順序で適切な箇所に描かれてる。そして決まった法則で読み込まれる事で狙った魔術が発動する。例えるならコンピュータのプログラム。正しくコードを記述しなくちゃパソコンのソフトが起動しないけれども、ただそれと魔術が違うのは、魔術の場合は多少正しくなくても発動してしまうことだ。魔素をより多く消費すれば、強引にでも魔術は発動してくれる。そして一度コードの記述が終わってトリガーが引かれれば途中で発動を止める事はできない。
けれども一つだけ止める方法がある。そして僕はそれを知っている。
「正しく」間違ったコードを書き込んでやれば、魔術の発動も掻き消すことが出来てしまい、僕はそれを行使した。
もっとも、なぜ僕がそれを知っているのかは知らないのだけれど。
「は? え?」
タマキが困惑の声を上げる。当然だろう。タマキからすれば確かに魔術を発動させようとしたはずで、しかも発動直前まで行っていたのが突然消えたのだから。
「きっ、キャアアアァァァッ!!」
そして僕が消したのは構築されていた全ての魔術。ならば空中で魔術を使って浮遊していたタマキの体も地球の重力に惹かれて自由落下してしまうのも自明なわけで。
だけどもまあ、僕が心配する必要は無いわけで。
「……っよっと」
タマキが落ちるよりも先にスバルが落下地点に待ち構えていてくれてて、頭から降ってきたタマキの「脚」を掴んで墜落を鼻先五センチで食い止めてくれた。さすがスバル。頼りになる、というところだけれども。
「……受け止めてくれた事は感謝致しますわ、スバル。けれど、これはないんじゃ無いのではなくて?」
頭から落ちて脚を掴まれたということは、まあ、当然ながら頭が下にあるわけで。
そしてもう一つ言うのなら、女子の制服は他の大多数の高校と同じくスカートな訳で。
「別に気にしなくてもいいんじゃないかな? どうせ僕らは見慣れてるんだし、タマキの熊さんパ……」
「ふんぬっ!!」
「えれふぁんとっ!?」
あ、入った。しかもモロに。
「ふにゃっ!」
スバルの手が緩んでタマキが顔面からベチャッとアスファルトに落下した。だけどもタマキはそのまま何食わぬ顔で立ち上がって無言で制服についた汚れを払う。
「何か、見えましたか、ヒカリ」
「イエナニモミテナイデス」
「ならば宜しいですわ」
全く以て見事なまでの作り笑顔で睨みつけてくるタマキに対して他にどういうセリフの選択肢があるというのか全く全っく以て想像ができないからとりあえず応えてみたけれど、どうやら正解だったらしくて僕にはそれ以上何も言わなかった。
代わりに、じゃないけれど、タマキの会心の一撃を受けて下腹部の更に下辺りを抑えて悶えてるスバルにはトドメの一撃を刺してたけれど。許せ、スバル。後で骨は拾ってやるから。
それよりも、だ。
「さて、悪辣な変態の処分は終わったところで――見つけましたわよ」
どうやら頭に血の昇った状態からは落ち着いたらしく、タマキはいきなり攻撃を仕掛けたりはせずに黒フードに向かってそう宣言した。
目の前で突然襲い掛かられて驚いたのか、それとも突然始まったコメディなやりとりににびっくりしたのかは定かでは無いけれども、黒いフードは尻もちをついた状態で僕らを見上げていた。
けれどもタマキの言葉にハッとしたのか、慌てて立ち上がってワタワタと慌て始める。
相手が立って初めて気がついたけれど、随分と小柄だ。身長はタマキと同じくらいだから、たぶん一五〇センチくらいかな。体の線も細いし、まるで小学生みたい。
「ずいぶんと手こずらせてくれましたわね。けれど、アナタの悪行もここまでですわ、連続通り魔さん?」
「ち、違うのです!」
声も高い。それに幼い感じだ。まるで少女みたいに。
タマキもたぶん同じ感想を抱いたんだろう。面食らったような顔をして、そして少し――顔がにやけてきてた。
「な、何が違うと言うのです? ここ最近起きている魔術師が昏睡している事件の犯人では無くて?」
「わ、私じゃ無いのです! 誤解なのです!」
「お黙りなさいっ!」
「ひっ!」
タマキの大声にその疑惑の少女らしき人物は驚いて体をビクって震わせた。何だろう、相手はものすっごく怪しいのに小動物チックで、まるでコッチが虐めてるような気分になってきてしまう。
「その黒い服! 顔を隠してるフード! 犯人とまるっきり同じ姿で夜中に歩き回ってる人物のどこに誤解な要素があるというのですか!」
「ふぇぇ! そ、そうだったんですか!? わわわた私、犯人さんと同じ格好なんですか!?」
「そうなのですわ! もしアナタが犯人では無いというのなら顔を隠す必要など無いのでは無くて!?」
言われてそこで初めて気がついたらしい。少女はフードを脱ごうと手を頭に掛けて、けれどもそこで手が止まった。
「あの……」
「なんですの?」
「こ、攻撃しないでくださいね」
聞くからに怯えた声でそう告げると、その少女は恐る恐るフードを外した。
そこで顕になった顔は、やっぱり女の子だった。体格の割に幼く見せる丸顔に、少しタレ気味の眼は口調から想像するのと同じように気弱そうだ。ショートボブの髪の毛は、根本が白で毛先が黒っていう風にシマウマみたいに白黒。そして頭の上には、人間とは違う事を証明するみたいに小さな耳が乗っかってる。
「獏、なのかな?」
「だと思うけれど……」
復活したスバルが小声で聞いてくるけれど、さすがに人型の獏なんて当然のことながら見たことは無いし、ユキヒロからもそこら辺の情報は聞いてない。分かるのは彼女が人間ではなくて、特異点の穴の向こうからやってきたであろう魔物だということしか無くて。
「君は、獏、なのかな?」
「え、あの、その……そうです」
ショボン、と俯いて女の子は肯定した。とりあえず目の前の少女が獏だということは判明したけれど、さて、これはどうしたものか。
「どうなんだろ? 僕にはこの子が犯人だとは思えないんだけど……」
「うーん、そうだねぇ……」
「二人とも騙されてはいけませんわ! 確かに見た目は可愛いけれども、魔物の中には見た目を偽装する事に長けてる種族も居ますの! 見た目で判断するのは危険ですわ!」
「そ、そんなことしてないのです! わわ私は人間に擬態するのが苦手で……だから耳も上手く隠せなくて……」
「そんなこと言ってもワタクシは騙されませんわっ! さあ、覚悟しなさい!」
「タマキ、タマキ」
「なんですの!?」
「鼻から情熱が溢れてるよ?」
お前が一番騙されてんじゃねえか。
鼻血を止めどなくダラダラとだらしなく垂れ流してるタマキを見て、何だか気が削がれてしまったな。
「ふぅ……」
とりあえず今のところこの子も敵対する気は無いみたいだし、話は通じそうだな。ユキヒロを疑うわけじゃないけれど、まだ本当に獏が犯人だって決まったワケじゃないし、どうしてこんな夜中に彼女が外を出歩いてるか、そこら辺から話を聞いてみようか。
「君を今すぐどうこうしようとはしないから、そう警戒しないでほしいな」
「……本当ですか?」
「いきなり攻撃しようとしたから信用出来ないとは思うけれど、少なくともまずは話からしてみたいと思ってる。僕の名前は紫藤・ヒカリ。君は?」
対話の始まりは自己紹介から。そう思ってできるだけにこやかに笑って話しかけてみたけれど、彼女はうつむき気味で、僕が一歩前に出ると一歩退がる、っていう風に距離を詰めようとしてくれない。そりゃ怖いわな。彼女が犯人かどうかは置いておいて、急に魔術で襲われて三人に囲まれて、しかも話しかけたのが僕なんだし。
困った。これなら最初から人好きのされる顔のスバルに話しかけさせれば良かった。もっとも、顔の美醜が人間と一緒かどうかは分からないけれど。
そんな事を考えてると、フードを下ろした彼女はおずおずと名前を口にしてくれた。
「リン…シンなのです」
「リンシン? それが君の名前?」
尋ね返すと彼女――リンシンはコクリと頷いてくれた。良かった、まだ嫌われてはないみたいだ。
「分かった。それじゃあリンシン、教えて欲しい事があるんだけど、良いかな?」
いつも小学生に接してる時みたいに腰を屈めて、リンシンと同じ目線になるように高さを調整しつつ、横目でチラリとスバルとタマキに目配せする。僕一人だと記憶漏れが起きるだろうし。
タマキは自分の鼻血を抑えるので精一杯みたいだけど、スバルは気づいてくれたみたいで、両手を上げて敵意が無い事をアピールしながら僕の隣で腰を落とした。
「どうやら君も知ってるみたいだけど、今この町で魔術師が襲われる事件が起きてる。そんな中でどうして君がこんな夜更けに出歩いてるのか、教えてくれないかな?」
「……それは――」
「どうやらすでに先客が居たみたいだな」
戸惑いがちながらもリンシンが口を開いてくれようとしたその時、彼女の声を遮るようにして男の声が聞こえた。
「捕まえてくれたところ悪いが、ここからは俺達の仕事だ」
振り向いた先の街灯の逆光に照らされる一つの影。低くもまだ若そうな声の主は、ゆっくりとこっちに向かって、そして立ち止まると僕らを見下ろした。
その影を、僕らは知っている。
「――コウジ」
久々の姿に、僕は思わず彼の名前を呟いた。
別所・コウジ。僕らの幼馴染であり、自衛隊の一員として働いていて。
そして――
「さて、今日で悪行もお終いだ。――獏」
辺りに一層眩い炎を纏わせるアイツは。
世界の英雄だ。
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